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ずっと小学生ころから、村のお地蔵さに手をあわせてました。おばあちゃんのガンの手術もお母さんの手術も難しいと医者さんに言われていたのが助かりました。奇跡だと言われてました。私、自身も助かりました。感謝しています。今でも近くに行ったときは手をあわせています。
それは、いいお地蔵様だったんですね。
誰かを助けたい、という気持ちはいつも受け入れてくれるのじゃないかな?
@@yukirosello8467 その通り
たまたま
よく わかるわけないけど、それでいいと 思います。私もそうだから。
まんが日本昔話が放映されてた頃は日本人ほぼ全員こういうことを自然と熟知してたなぁ‥やっぱあれ凄い作品だったんだな‥
たしかに……近くに祖父母や、親しいご年配がいない子供であっても、しきたりや風習みたいなものを学べる機会ですよね。日本人のメンタリティに少なからぬ影響を与えていた作品だと思います。
再放送どんどんしてほしいのに😢
動画の内容のような事、日本昔ばなしでありました?昔アニメ見てたけど、手を合わせるはしてたけど見知らぬ地蔵や祠とかに手を合わせるなとか地縛霊がいるとか、覚えないです…。
@@main943トラウマ回と名高い『飯降山』はまさに今回のテーマそのものと言っていいエピソードだと思います。登場人物の尼さん3人は『山そのもの』に祈りを捧げていますし、最初こそ感謝の念からの祈りだったものが後に横柄な頼み事へと変化していった挙句、尼さんは人の心を失くしてしまいます。つまり「寛大に扱ってくれた神様を怒らせ見放された結果、ナニカに取り憑かれ唆された」って感じに解釈できますね。霊的な部分に関して直接的な描写があるわけではないので観る人の印象次第ではありますが、少なくとも「神様の前では謙虚な心を忘れずに」という戒めであることは共通すると思います。他にも「禁足地に好奇心で近づいた」系のお話とかも幾つかあったと思いますよ。
子供の頃、手のできものを、お地蔵さんの下の小石でこすったら治りました。また、あの笑顔に何度心が救われたことでしょう。手を合わせて拝むと心が落ち着きます。お地蔵さん、ありがとうございます。
要約すると不幸な事で亡くなった人の鎮魂を込めたお地蔵様や祠に対して、救いを求めるのがお門違いという事ね。
その通り。
この番組より解りやすい解説😲👍💯
仏像は所詮人間が作った物質に過ぎない。それに向かって感謝を捧げるのは祈る人の心の調御に繋がるから問題は無いが、何かを求めて祈るのはその人自身の欲に繋がるので、その欲に応じた低級霊を呼び寄せてしまうということ。
その逆です!不幸になる!地の蔵と言う地獄
地の蔵と言って言わいる地獄不幸になる!
最近は『かさじぞう』のお話とかあまり読まれないのかなあ。路傍のお地蔵さんに手を合わせるような優しい心の人には幸せがくるんだよ。
それはたぶんラッキーな例なんだろうなぁお地蔵さんに限らず、無管理の宗教的な建築物には悪霊やよろしくないものが取り憑いていることがあるので、あまり有難がったり近づいたりしない方がいいかも
かさじぞうに出てくるような六地蔵は手を合わせてもいいんじゃなかったっけ?
バイクを走らせていると、よく道路のカーブ辺りにお地蔵様を見るんですよね。交通事故で亡くなられる方が多くて祀られているのかな、と思って安全走行を改めて意識するきっかけになっています。
神社に祀られている神様でも、お願い事をすべきではないお社もあるそうだから、由来をきちんと知ってから拝むのは大切なんですね。
そもそも正確な由来が伝わっている神社が少ない。
愛知県丹羽郡扶桑町の高雄小学校裏にある葉森神社は、別名首塚と呼ばれる。戦国時代、頭部に深い傷を負って敗走して来た僧兵を村人が介抱するも程なく落命する。介抱の礼として「死後は村人を末代まで頭部の災いから守護する」と言い残し、村人は丁重に葬りその上に祠を建て祀ったとの由縁がある。
いい話ですね
@@pontarou01様返信ありがとうございます。実際に御利益があったことが言い伝えられ、掃除も行き届いており氏子に大切にされていることがわかります。名古屋鉄道犬山線の木津用水駅を降りて歩いてすぐの所にあります。
お地蔵様もよくわからんけど、そこら辺にずっとある大きな岩とか石とかもむやみやたらに腰掛けたり登ったりすると恐ろしい事になる、ってことも聞いたことある。その昔に祭事をした場所だったり無縁仏を葬った目印に置いた石だったり(これは特に山中に見られる)するから「一休みで腰掛けるなら石より木の切り株や倒木に挨拶してから座れ」と子供の頃母親に聞いたことがあります。
気にし過ぎる必要はないです。切り株と同じように石にも挨拶して座ればいいだけ。挨拶しなくてもバチは当たりませんが、神道の精神を持っていれば日頃の生活も穏やかになると思います。
山で仕事してるのでお気持ちよくわかります〜❤
日本には八百万の神の考えがあるからどこにでも神様はいらっしゃる畏敬の念は大切米一粒にも七柱の神様がいらっしゃる
気にしすぎる必要は無いなどと神道の精神を育んですらいない人に口出しされる筋合い無いですよね。
その話詳しく知りたいな
大学生の頃、石神石仏に興味があって南関東一円の石造物を撮影して回ってました。純粋に民俗学的興味で記録を残す目的でしたが、撮影させていただいた後は必ず手を合わせていました。ただ、明らかに荒れているような場所とか曰く因縁の有るようなものには、帰途気分が悪くなるような経験もありました。バイクで転倒して骨折したことも。触らぬ神に祟りなし、というのも強ちウソではないと教えられたかつての思い出です。
すみません、その際、南関東地域で、石のまる彫りの馬頭観音像って見たことありますか?
まる彫りというのがどんなものなのか判りませんが、文字の陰刻のみの馬頭観音は何回か見た記憶があります。
レス有り難うございます。地元が南関東で、近所の藪の中に浮彫や文字などではなく、石を丸々削った恐らく江戸期の作の、高さ1m程の馬頭観音と思われる立体石仏があります。特徴から青面金剛ではないようです。近隣地域では同様の馬頭観音像は見当たらず、珍しい物なら文化財課か教育委員会に報告してみようと思います。ありがとうございました。
石を丸く削った形状だと僧侶の墓石として使われる卵塔のような感じでしょうか?石仏に多く見られる舟形光背も上端部を丸く削っていますが、お話だとそう言うものではなさそうですね。青面金剛が彫られたものだと庚申塔が一般的で、金剛の足元に邪鬼、さらにその下に三猿(見ざる言わざる聞かざる)があしらわれていますので、似た意匠の馬頭観音と見分けがつきますが、風化の為細かい造形が失われていることも多々あって判別に困ることもありますね。(頭部に馬の頭が付いていれば馬頭観音で確定)なお、庚申塔では建立された日付が必ず庚申なので裏面にある碑銘を確認するのも一つの手です。(庚申講・庚申待などの記銘が多いです)また、像の頭の両脇に日輪・月輪があるのも庚申塔の特徴です。もう一つ三宝荒神像(秋葉神社系だったかな?火伏等の願掛け)ということも考えられますが、あまり路傍の石仏としては見かけたことがありません。もしもそれが一般的な特徴から離れた馬頭観音なら、民俗学的に面白い事例になるかもしれませんね。郷土史家さんたちの見解も是非伺いたいところです。
俺は福岡在住で昔の街道の近くに住んでいる。その街道に設置されていた思われる神社に集められていることをよく目にするな。地蔵菩薩様は子どもの守り神として、しはれ
私もお地蔵さんや祠などに通るたびに参ってたんですが、地元で有名な住職に「何でもかんでも参るとこの子は頼れると思われて憑いて来られる(周りの霊的なものに)」と注意された事あります😮
そいつが助けてくれるかも分かんないしな
特に、霊感を持っている人は気をつけた方が良いよな
「無念」や「祟り神」を祀って鎮めている祠もあると教わった記憶がありました。
その通り素人が関わると一族巻き込んで祟られるよ?
それだけでなく、山を彷徨う霊や動物霊などが宿り代を求めて宿るケースも多いですね。地蔵さんの格好していれば供え物にありつけるからです。近付くだけで眉間がミリミリするのはヤバいです。
@@cartonseaviewjp ある人と出会ってから眉間の間に違和感感じるのですがこれはお知らせ?なのでしょうか?優しい方なのですけど
その人の眉間?
非科学的過ぎて酷いな
歌の歌詞にもあるけどお墓やお地蔵様、祠や神棚の中には何もいないと思っています。大切なのはそういうものに手を合わせて自分が今生きさせて頂いている事を感謝する事だと。供養や信仰はすべて自身の体内にあると察した還暦過ぎです。
激しく同意です。
それはそうなんだけど彼岸で帰って来た(設定の)ご先祖様に失礼だから思ってても言っちゃダメなヤツ
凄く分かります。同意です。
@@kobain779 そのご先祖様達が過去から延々と繋いで来てくださった命のおかげで自分が今生きていられる事への感謝そしてその命を未来へと繋いで行ける事への感謝をこめて手を合わせています。
霊を信じない人ってガチで歳とっても一切信じないんだよな。わかる人には理解できないが。
土地売買の仕事で、敷地内の草むらに小さな石碑を見つけて気になり地主もわからないとの事なので昔の地図から遊女屋敷だったことから、水子の供養にしてたのだと思います。お祓いをして、解決しました。昔は、弔いが多かったのでしょうね
私はそうは思いません。お地蔵様は放置されているのは可愛そうです。手を合わせる人が居ないのは罰当たりだと思います。お地蔵様の存在は知っていますが手を合わせると自分が死んだ後の得になったり亡き先祖の供養になったりするのではないかと思います。神様の祠も拝む人がいれば神様がお慶びになられ、通行人を事故から守ってくださるのではないかと思います。通りすがりの道祖神様には「こんにちは、この道を通らせていただきます」等と心の中で唱えるだけでいいと思います。僧侶様だったらこう言いそうな感じがします。
不幸になったことをお地蔵さまのせいにするような人間にはなりたくないな。
おかしいぐらいに不幸になったらそりゃ神だが悪魔だかのせいだろ神が良い奴って前提がまずおかしいんだよ、平和ボケしすぎや
@@アル-e3y 神も悪魔もおらんで。日本だけがこんなに平和なのは国民の努力の賜物。平和ボケしすぎや。
日本人が掲げてる憲法に信仰の自由書いてあるから他人の信仰に口を出すのはちょっと…
@@kobain779 神はいるじゃなきゃ神を呪ったあの日からずっとどんな確率だよってレベルでおかしいぐらいの不幸が起きるのはなんでなん?w
@@kobain779 あと別に日本だけがこんなに平和なのは神だか悪魔だかのおかげだなんて一言も言ってないだろ平和ボケとか何のこと言ってんのか全く分からんわ
道端にある地蔵以外にも、川や滝のそばにある地蔵や祠には手を合わせてはいけないというのも数十年前に人から聞いていました。
ゆっくり解説動画のほとんどが霊夢が無知側で魔理沙が説明側だけど今回は巫女である霊夢が祠について説明してるのすこ
私の住む町には抱き地蔵があります。そのお地蔵様を持ち上げる事ができればセーフ!できなければ、アウト!という!私はいじめっ子にそれを試してみろと脅迫されました!当時のヘタレだった私は嫌嫌実行しました。その前にお地蔵様に手を合わせて御免なさい!御免なさい!御免なさい!と謝罪してから抱き地蔵を持ちました!でも!びっくりするほど軽々と持てました。勿論お地蔵様を元の場所に戻す時もすいませんでした!すいませんでした!すいませんでした!と謝罪しながら大切に戻しました!あとお小遣いをはたいておはぎをお供えしました!でも私は祟りは受けていませんよ!
宗教でいがみ合うことが多い世界なので、日本のような価値観が広がると割と平和になるんじゃないかなーと思っている。
霊夢が得意分野でちゃんと説明役に回ってる動画見ると安心する
道路にある地蔵は死亡事故がある場合が多い。高校時代に先輩が事故の起きる場所に地蔵がありその地蔵に蹴りを入れてバイクで帰る途中に事故をして地蔵に蹴りを入れた足が切断した話が有りました。
地蔵を壊したりイタズラする人がいますが。そちらの方が怖い気がします!💀霊が怖いと言いますが?生きてる人間が1番質が悪いのは確かですよ…😞
観光地の奈良公園に、猿沢池と言う池があって、その隣に小さな川があります、その川の中に、石仏の浮島があって、有り難い物だろうと勝手におもってたら、4百年続く、菊壱文殊という刀鍛冶の爺さんに、あれは、戒めの為に川に漬けてあるから、ありがたがるもんじゃない!と教えて貰った話を思い出しました。
こういうのは気持ちが大事だから謎の祠や小さいお地蔵さんでも必要あらばお祈りしてる
それで良いんですよ
35年程前に隣りの市に田んぼに囲まれた交差点の角に石で出来た、やや大き目のお地蔵さん一体に赤い頭巾と垂れが掛かっているお地蔵さんが有りました。言われが石垣の霊や、周辺の事故で亡くなられて地縛霊に成った方を御祓でその一体に纏めて封じ込めている役割りが有ると聞きました。定期的に祭事を行わないと悪い霊が抜き出てしまうと言って居たのと亡くなわれた方々の遺族以外は手を合わせる物じゃ無いと当時地元の婆さん達が言って居た。夜中にダンプで有る子供一人のひき逃げ事故が有りました。少し精神的に追い込まれて自首した犯人は石垣から飛び出した子供二人をひいて轢き逃げして夢で怖い目に遭い自首との事です。現場検証で実際に轢き逃げした子供は一人にもかかわらず二人をひいたと言い張ったそうです。お年寄りいわく、二人目の子供はお地蔵さんから抜け出た霊で子供を事故に遭わせて一緒にひかれた子供の霊だそうです。お祓いは霊を成仏させるのでわなく、そこに居る地縛霊などをお地蔵さんに一時的に封じ込める為の地蔵と言って居ました。お地蔵さんにも色々と依代や役割が有るので、やたら滅多に手を合わせるのは怖いと思います。
今回の動画の的を得た様な事例の話ですね。勉強になりました。
御仏は慈悲の存在だけど、怨霊を鎮める為に神として崇めたり、ちゃんとした神様でも荒御魂とか気難しいことも多い。
去年の12月26日新潟市内に雪が降り歩道がアイスバーン状態でした滑って頭を打つところが背中を抑えられた状態になり頭を打たずにすみました。JR越後線の踏切のそばにお地蔵様の箱らが在りますが2度助けて貰いました。1度目は、両手に買い物袋を持っていて雨が降り出したので家に帰るまで降らさないで下さいとお願いしたら2・3分後にどしゃ降り状態になり濡れづに住みました。こういう事もありますよ!
福沢諭吉は若い頃、祠には本当に神様がいるのか確かめようと覗いたら、石ころが数個入ってるだけだったと。「なんだ、神様なんていないじゃん!迷信じゃん!」とドヤ顔。で、その石ころを投げ捨てて適当に拾った石を中に入れたと。それを知らずに有り難がって拝む人々をせせら笑ってたとか。これ、マジ祟られる案件たと思うが、その後なんの霊障もなかったところをみると、諭吉にはよほど強い守護霊がついてたのかも知れないな。😓
福沢は無神論者にして無宗教、無信仰。なんらかの障りがあったとしてもそれを結びつける思考などしないでしょうね。
さすがの神様も諭吉には頭が上がらんのは今も昔も同じっちゅうこと
偉人伝に載る人は、オーラからして、ワイらより強い❗️
お札になって誰かれとなく厄の元となり祟られていますよw
隕石とかも神に与えられた石と祠で祀っていますから、偶々その類いの祠だったじゃないですかね。
多分、心のあり方次第だと思います。
人が良すぎるのもまた問題、ということにちょっと似ているなと。優しさと感謝は依存心や傲慢さと紙一重、とも言われたりもしますし、結果的に手を合わせて何が起こるかは人によりけりだと思っています。
車を買ったからって近所の神社にお参りしたらそこは妖怪を祀ってたとかで車が妖怪化したっていう水木しげるの漫画があったな。
車に轢かれて亡くなった動物を可哀想と思うと憑依するから、無視しろと言われていますが、私は必ず手を合わせます助けを求めてくるなら、手を差し伸べるべきだと思います私は小さい頃から、古い墓石を見るのが好きで、毎日お寺を散歩していました現在自宅には鎌倉時代から南北朝時代の墓石が50基以上集まっています近所ではお化け屋敷と言われていますが家族は全く氣にしていません(妻は葬儀屋の娘です)私を賴って來てくれた方逹と思い、大切にしています
田舎なので道端や道の真ん中で猫、狸、猪、鼬車に轢かれてます。私は車が居なければ車から降りてタオルに包んで道端に移してあげます。轢かれるのは一度で良いから。無理ならゴメンなと言って車のワイパースイッチハンドルに付けてる数珠を触ってます。
お地蔵さんやお墓を見かけると手は合わせないが心の中でお祈りをしてしいる。
『無縁仏のお墓に、同情や、お墓参りのついでに…とか、軽々しく手を合わせてはいけない!』 …って聞いた事がある。無縁仏が、手を合わせてくれた事に喜んで、その人に付いてきてしまうんだって。 お地蔵とか祠なんかも、同じような障りがあるのかな?昔から〈触らぬ神に祟りなし〉といわれるのは、そういう事なんでしょうね…。
これはまさに《夏目友人帳》の内容だ。神様にも色々いらっしゃるんだな。
善い悪いにかかわらず、境界の向こうに触れるのは危ないと小さな頃からお年寄り連中に口酸っぱく言われてきました。下手に触れない、それだけ心掛けておけば充分だと思います。
事故現場で花を添えている場所も無関係な人は手を合わせてはいけないとも言われてますね。やっぱりこういうのは坊さんか巫覡さんに任せよう。
高校の同級生が事故で亡くなった場所にお地蔵様があるんだけど、手を合わせないほうがいいんかな?事故現場とお地蔵様は30メートルぐらいズレてはいるんだけどね
@@ネム-t9q 無関係ではなく、きちんと同級生を供養してあげたいみたいな気持ちでいくなら大丈夫かとお墓でもそうですが、荒れてるからと無関係な他の人のお墓をキレイにしたら、そこのご先祖の霊が憑いてきたなんて話もありますからね関係者じゃないなら、手を合わせるのはスルー推奨
霊感ある奴が言ってたな。交通事故現場の花束とか見て手を合せると連れてきちゃうから俺は拝まないとね。
こどものとき、愛犬を連れて散歩していた。過疎地の山村だからいつものように林の中に愛犬と連れ入ったが、突然愛犬が狂ったように吠え出した。まるで熊とでも遭遇したかのように、恐怖と怒りで毛を逆立てて草むらに向かって吠えたてた。そんな風に野生の防衛本能全開で吠えたのは後にも先にもそのときだけだった。何がいるのだろうと草むらを棒でかき分けると小さな石の祠があった。この動画のような知識はなかったけど、子供心に“これはやばい”と感じて、首輪を懸命に引っ張ってその場を離れた思い出がある。
これマジです。区画整理で場所移動した時神様が抜けて、悪い物が入り込んでそれを知らず家の近くだから引き取ったらもう大変!マジで体調崩した。山伏にきちんとしてもらい落ち着きました。
霊に取り憑かれたら不幸になるとよく言われていますが、その不幸ってなんなのでしょうね…霊とかに関係なくとも、生きてるとつらいことや望まぬことが起きるのがデフォだと思っています若い頃、突然の事故で死にそうになった経験があって、だからこそ今も日々生きていられる喜びを実感しています事故に遭った時は不幸だと思いましたが、今では事故のおかげで何気ない日常に感謝することを学んだので、事故自体を不幸とは思っていません
そりゃオメーがたまたま無事だっただけだろ。霊障やそれに続く不幸が忌避されんのは往々にして取り返しのつかない惨事に繋がるからだよ。重度の障害を負う怪我につながる程度ならまだいい方、下手すりゃそれで命を失う。あるいは延々死ぬまで(死んでも)理不尽な不運に見舞われ続ける。“取り憑かれる”ことを軽く見過ぎてやせんかえ?
破産とか火事、事故、事件トラブルに巻き込まれたり、あと難病とか障碍で下手すりゃ末代まで祟られるよ。霊といっても善悪あるし、悪霊の集合体とか手を付けられない。
あれは閻魔大王の監視カメラだからな
上手い!
悪い子イネガ〜👹📹
地蔵は良く車道脇にもありますね。
小さい事かも知れないですが、お地蔵様と言った方が良いと思います。
その考えた方すこ😊
大分市在住の者です☺️今の『うみたまご』がある場所から、別府沿いに数百メートル進んだ所にお地蔵様(設置場所は海側)がありました☺️現在は撤去されてるんですが、以前に霊感の強い友達と自転車でその地蔵の前を通った時、その友達の自転車の後輪が急に持ち上がり、車道に投げ出されるという衝撃的な事がありました😳💦自分はすぐ後ろでそれを見てましたが、自分には特に何もありません😳友達とすぐに自転車の点検をしましたが故障等は全く認められず、それどころか『あの地蔵の前を通った時にゾクッとした😨』と語ってます😭ちなみに、その怪現象が起きた日は風もないクソ暑い真夏日で、突風等も無く(そもそも自分もすぐ後ろを走ってたから、突風なら同じように煽りを受けるはず)きっとあの地蔵の仕業だ、と2人で話しました😭
地縛霊だから悪さします。チンピラ以下ですからね。
ブレーキロックしただけじゃねえの?
@@コイサンマン-k7s 自分も最初はそれを疑いましたが、どんなに調べてもブレーキに異常は無かったんです😭自分も一度、前ブレーキのボルトが突然折れて前輪に絡み、その場で一回転した事があります😅しかし、友達の場合は『前に進みながらスムーズに後輪が上がって行った』んです😭
木の枝が前輪にひっかかりロックした可能性は考えられませんか。その場合枝がしなるのでロックしつつも多少は前に進むと思います。また転倒後に外れて道端に枝が落ちていればそれが原因と気付かないと思います。まぁあくまで推測に過ぎませんけど。
@@johnneybgoode9272 その当時の道に木や草等は全くありません😭狭くて舗装された歩道(自転車2台で並んで走るのも無理)があるだけです😭現在は歩道が拡張されて街路樹があります☺️
お地蔵さんに舐めた態度して、罰を当てたられた…とまでは言わぬまでも、やんわりと教え諭されたことがありまして(主観的に)。もし同じようなことをお稲荷さんとかにやらかしていたらもっとえげつない目にあわされていたかも…と思ってぞっとしましたね。
子供の頃、田舎のお婆ちゃんの家の近くの道端に『お地蔵さま』がありました。子供だけは手を合わせて良い、と言われました。大人は素通りするというのがお約束だったと記憶してます。
徹夜で長距離ドライブする時かならっず道端の地蔵様に手を合わせていくが、無事故で帰ってこられる。ちゃんとお賽銭も置いてますよ。100円ですが。
初めて見るチャンネルだけど巫女さんの霊夢が解説役なの合ってるな
他のチャンネルで神社のマナーを一切知らない霊夢がいてモヤモヤしています。
解釈一致
@@snow4262 ゆっくり霊夢と博麗霊夢は別人だと思った方が良いですよ実際自分は違和感を感じた事が無い
@@snow4262 原典の霊夢もかなり適当ですからね…もともと周囲の妖怪たちにすらもっと巫女らしくしろとツッコミを喰らいまくってきた上に最近じゃもはや看過できないと茨木華扇から修行と喝を喰らいまくってますし
お寺のピカチュウのお地蔵様を興味本位で触ったら、水子の霊を100たい位に憑依されて、帰宅してからやけに両肩が凝ってしまって、その日に友人が自宅に来てその時に今度は友人に乗り移り、深夜に頭がわれる位に痛くなり、何度も吐いて体がだるく動けないと友人から電話があってもしかしたらと思い知人の霊媒師さんのところに連れていき除霊を友人はする羽目になりました。無闇にお地蔵さんには触らない方がいいと認識をさせられました。友人に迷惑が掛かってしまい反省をしました。
祠や地蔵さんじゃなくともただ献花されてたり、お供え物とかが置かれてたりすると真っ先に周囲の道路の交わり方とかを見ちゃうなぁ
近所にも、地蔵堂がありめす。最近、町内の人気者の若い兄さんが、病気で亡くなりました。彼は身寄りなく、みなでその地蔵堂に祀り、色々お供えしています。最近、この地域に越して来た私は、付き合いもあり、お堂の横を通る時は、必ず手を合わせていきます。
お地蔵さまに、赤い帽子とかよだれかけ作ってかけてるおばあちゃん超絶長生きで108まで、生きました。←真実誰かが作ってるんだよねあれは
由来のわからない祠を拝むと、死人のスタンド攻撃を受けることがある…ということですねわかります
貴様ッ!見ているなッ!
スタンドは引き寄せあう性質をもっているから、あなたもスタンド使いかもしれない。
その通り。マジで止めといた方が良い。何でも神様仏様と崇拝する事が既に間違いで有り、石仏が何故そこに設置されてるか何故曲がり角やT字路か考えて見たら良い。交通事故死者の魂以外居ないから。その地縛霊が助けてくれる訳も無く、例えば救急患者にお願いしても其処では無く寧ろ患者は自分が助けて欲しくお願いしたい位だから、寧ろ縋り付いて来る。そんな相手と縁を持つ訳だから不幸に成るのは当然で正に触らぬ神に祟り無し。ですからね。
本体のいなくなった独立したスタンドはだいたい厄介
手を合わせなくても、前を失礼しますと「黙礼」するのもNGですか?いつもやってしまってる自分、ガクブル・・・
言い伝えがどうであろうとも拝む本人の気持ち次第です
触らぬ神に祟りなしが基本だぞ!阿呆!!相手が暴力団のギャングだとこれ幸いと弱みに付け込み、侵略のあ足場にするよ?そう思えば本人の気持ち次第?眷属使って騙して取り込み詐欺をするのが、ギャングの常套手段でしょう?配下の新興宗教を使うかもだよ?悪霊の波状攻撃受けて陥落するよ!
甘い祟り神に人間の価値観が通用すると?
良いですね、自分にはしっくり来ました。神も仏も人の心の中にあるような気がするので。宗教心が無いから甘いのかなあ…。手を合わせることが失礼にあたるなんて言われるとうかうかご挨拶も出来ないですね。これからは通りすがりの由来不明のお地蔵様は素通りしようか…苦笑
例えば街のチンピラにお願いしても、お願いする本人の気持ち次第ですか?違うでしょう?チンピラに何されるか。石仏の中身はこうした地縛霊だから何されるか。そう言う話だと判りましたか?
@@雹寿院千代 本人の気持ち次第ですよそもそも日本の信仰は畏怖が根幹にあります土着信仰なら尚更ねそれに手を合わせるのは人間側が願い事をする為ではありません感謝を伝えたり挨拶をする為ですよ都会はどーか知りませんが田舎ではそーした信仰を未だに大事にしてますし荒神様も道祖神様も同じように大事にしています動物霊だ自縛霊だ安いテレビ評論家みたいな人間の評価で区別して手を合わせる方が不敬ですチンピラにだって毎日顔を合わせてれば一瞥で攻撃を受ける事はなくなりますよ見えない人間があちら側を入れ知恵で単純に判断し鵜呑みにするのはどーかと思いますがね
近所のお寺の境内に在る飢饉供養塔😅が霊感てんで無しの私でもはっきり判るくらいヤバい気脈を生じて居るので前を通る際には出来るだけ遠巻きに蟹歩きしたり後ろ歩きしたりして背中を見せない様にして通過して居ます😅
お地蔵さまは 閻魔大王の地上での姿だと テレビで言ってたよ
出鱈目です。地蔵菩薩は仏陀の前身足るボーディサットバァで菩提薩多で地獄の衆生すら救う菩薩行を成しやがて仏陀に成る悟りの生命体即ちボーディサットバァです。閻魔大王は元は死神ですからね。
@@雹寿院千代 じゃあ放送倫理委員会に言っといてね
山のお地蔵様に子供の頃手を合わせた後馬の幻覚を見て気絶した事がありました。むやみに手を合わせてはいけないのですね。
思い出せればで結構ですがどんな形の石仏さんでしたか?
得体の知れない相手に自ら絡んで行く様な物ですからね。アレを神仏だと嘘吐いた連中が恨めしい。
ホントこういうの見てると色んな視点があるなとか色んな考え方があるなとか純粋にその考察を聞いてて楽しい😌お地蔵さん服着てる可愛い!今日も見守りありがとう!とかしか思わなかった😂手を合わせるのは無知が故に怖くてしてこなかったですが🥲
「お前由来も知らないし縁もないのに拝むんじゃねぇ!」ってかずいぶん怒りっぽい神様だなぁ、前通るだけでも怒られそうだなぁ
それだけ心がすさんだ神様もいるかもしれませんね。
境内に入って庭の小さな砂粒が、足の裏について外に出ただけでも命を取る神様もいますよ?お地蔵様は、この世で修行した修験者が行き倒れたりしてお地蔵さまに祀られてる場合もあるから、むやみに手を合わせないほうが良いと思います。未来永劫子々孫々に至るまで、そのお地蔵様を祀る気持ちがあるならどうぞ。触らぬ神に祟り無し、ということわざが正解なのです。
祟り神も「神」だからなぁ
知らない大人に頭撫でられて泣く子がいるのと同じなのだと思います。
つまり、因縁つけるなという訳ですね。
大丈夫よ。なんだか手を合わせたくなる方…に対しては、お逢い出来たご縁をありがとうございますという感謝の気持ちで手を合わせたら失礼にも当たらないし、その時生者としてしっかりした気持ちを持っていれば、ついてこられることもないですよ^ ^
自分は手を合わせる主義です。
登山に行くと山の中腹や山頂にある神社にお参りします。里山を歩くとお地蔵さんやいわれのわからない古い祠も多々みかけます。自分は霊感は強くないが、山登りの途中で一番悪い気を感じすぐ離れたいと思った祠のことは今でも覚えています。
そういう所は昔は禁足地として立ち入り禁止にしていた場所もあると聞きます。
神様の都合は解りませんからね祟神か機嫌が悪かっただけか、又はそこに蛇がいるから来るな!だったりして警告してくれるのも、それを受け取れるのもありがたい事かもしれません
人が登るような山にある祠は基本的には問題ないというかその山自体がご神体だからそこに踏み入ってる時点で祠どうこうは些細な事
俺は霊的なモノは信じていないが、生きている人間がむやみに立ち入ってはいけないような所は確かにあると思ってます。たとえば旅行とか行って、旅館の近くを歩いていたりした時、少しでも「嫌だな」と感じたら絶対に行きません。
一番悪い感じがした祠は近づかない方がいいですよ。
さわらぬ神に祟りなしだから得体の知れない神仏に むやみやたらと手を合わせるなと 若い頃に教わりました
興味深く見せていただきました。お参りして拝んだあとになにか悪いことがあったら、拝んじゃいけないものだった!!って自分勝手に思ってるだけじゃないでしょうか? いいことも悪いこともなんの前触れもなく起こるのに、なんでその拝む対象のせいにしたがるのか。他の方が述べられているように、それが人の感じ方の面白いところでもありますね。拝む拝まないも自由であるし、気持ちの面でそれぞれの奉られているものを大切にしていけるとよいですね。
無視する方が失礼になるんじゃねーかなぁ?そもそも大抵の地蔵の由来なんて知りようも無いし…
人づてで聞いた話ですけど大昔に道路の拡張工事に関わっていた責任者が工事する前の道沿いにあったお地蔵さんを邪魔なのでどこかのお寺へ引き取らせて数年後、責任者の右足が腫れあがりお医者さんから足の切断を宣告されたので四苦八苦し、あらゆるところへ相談し行きついた霊能力者に相談したら地蔵さんを元の場所へ戻しなさいとのアドバイスを受けて元の場所へ戻したら足の切断を免れたという話を聞いた事があります。
その方、糖尿病じゃないですよね?😭
@@クルット-u5q この話は20年以上昔聞いた話で、確かに糖尿病も関係ありましたがここまで悪化したのは霊的な影響と方位の障りが重なったとの事です。方位の障りはその場で応急処置的な方法を施してもらったのち自宅へ戻った頃に今まで歩けなかった足がすぐに歩けるようになった話を聞きました。ちなみに相談者は地蔵さんの存在を忘れ去っていた上で相談したら地蔵さんの事を指摘されたとの事です。
自分は少し人とは違う霊的能力あるけど、普通の人間は普段素通りして行く、お地蔵さんや無縁仏など手を合わせる時点で、気持ちがこもってるので、どんな理由由来があろうが嫌な気持ちはなく、嬉しいはずです。結局は神様など手を合わせたり、信じる信じないは自分次第で、本人の気持ちですから適当な事は言わない方が良いですよ。
あと、昔住んでた家の裏に大きな竹藪があり、そこでよく独りで遊んでいた。その竹藪は、地元で代々続く豪農の土地で、畑や養鶏もしていた。そこに不思議な、20㌢位の小さな鳥居や、丸い石が半分位地中に埋めてあり、何か古代文字のような物が刻まれていた。子供心に何か凄い怖いような不思議な尊いような畏怖の念みたいな印象で、以降そこで遊ぶ事は減った。同じ頃、更に家の土台の麓に、江戸時代からあるような古い卒塔婆が大量に見つかり、父がお清めをしてから火にくべて燃して処分した。その後、豪農も商売や土地を畳んで竹藪は30年位前に全て更地に造成され、新興住宅地となり、新しい道も出来て、すっかり元の姿は無く、まるで違う町になってしまった。あの祠や鳥居や丸い石、卒塔婆は何だったんだろう……
ま、映画ポルターガイストの様な事が何も知らない住人に起きて無いと良いんですがねぇ。不動産屋は無責任ですからね。大抵ヤクザ経営だしね。
古代文字のようなものって、もしかして梵字なのでは?古代インドのサンスクリット語由来の文字で、仏教関係で多く使われる文字です。古い時代から現在に至るまで、卒塔婆や石塔といった仏教関係の碑文によく書かれています
何せ45年位昔の事なのでハッキリとした文字の形までは覚えてないのですが、検索するとその文字のような気がする…あれらは何だったのかなぁ…
豪農で鳥居とかあるなら、大量の卒塔爺含めて田の神の可能性もありますからわからないですね。神仏集合で田の神様で外敵駆除から祖先供養まで全て名主たちが中心に行っていましたからね。実家の近所にある田の神祭るのが大量の牛と馬のための卒塔爺と馬頭観音と山の神の鳥居と漁の大量祈願の恵比須様セットで今は名主の家だけでなく地域の集落でかわりばんこに面倒みていますからね。
@@カイトウ-s4h 偶然かもしれないけど、その町は元々一つのデカい山を住宅地にしたもので、すごい町全体が坂道で、新しい道が出来るまではその町に入るためには、一本の坂道の入口しかなかった。人も車も全てそこから。そしてその山の麓には大きなお寺と墓場があって、町名とは別に、その山の町は○○寺住宅という呼び名だった。その後、正式な町名すら平成の大合併で変更されたのにも関わらず、数少なくなった土着の旧住民の年寄り達は、未だに○○寺住宅と呼んでいた。うちはとっくに引っ越してしまい、親も亡くなったり惚けたりしてもう当時の事は分からなくなってしまった。昔の事として静かな記憶としてそっとしとくのがいいと…
動物の魂は清らか。何も怖いモノではない。彼らを恐ろしいものとする人間の心が一番恐ろしい。大事なのは自分のお願いをするのではなく感謝を伝えること。全ての魂が救われますように。
そう云えば、登山した時、ふもとにお地蔵さんがあり、登山の無事を祈って飴を供え、手を合わせましたが、低山でわかりやすいルート、しかも一度登った事がある山にもかかわらず、下山で迷いに迷って、反対方向の登山口に出てしまい大変な目にあいました。
無事に下山されて良かったですね。怖いな
山のふもとの地蔵には挨拶しておいて、俺に挨拶無しとは良い根性してるなって山神様が怒ったのかも?帰れたのは、お地蔵様が「まぁまぁ、別のもんだとは思わなかったんでしょう、彼は多分山由来の存在に挨拶したつもりだったんですよ」と宥めて何とか怒りを納めてもらったから…とか色々と想像できますね、とにかく帰れて良かったですね。
自分の家に仏壇と神棚があれば他で手を合わさなくても良いかと思います。夫の実家は家族が各自が御札や御守り、縁起物や置物を集めて何か異様な空気でした。
コンビニの近くにある祠に手を合わせたらその夜、子供の霊が来て体の上に乗っかられました😓
まじか
楽しそうな笑い声が余計怖かったです
@@TAKAYUKI-SATO おそらく祀っていたのは神様ではなく、幼くして亡くなった子供だと思います。祠の中に玩具がいくつか置かれていて、昭和5年という文字と人名らしき文字が書かれた紙があるので
@@TAKAYUKI-SATO何言ってるんだ
@@TAKAYUKI-SATO 神仏と死人は違うからな。
本気ですか。全然知らんで挨拶のつもりで手を合わせていた。教えてくれてありがとう!❤
10年程前に田舎の山に行って祠や道祖神があり、雑草が生い茂っていて汚れたコップや割れた酒の瓶が転がっていてから、雑草を狩り、汚れたコップを川で洗い川水を入れて、割れた酒の瓶を排除して手を合わせてましたが、現在も取り憑かれた感じもなく別に良い事も悪い事も無く平穏ですが、その場所は大丈夫な由来があったと言うことですかね…?意味もなく手を合わせるのは失礼かもしれませんが、別土地に訪れた際ならむしろ余所者なのだから手を合わせる事は悪い事ではないと個人的には思います。何も起きないのは霊感がないからかもしれませんが…
うちの街には地蔵がやたらと多いんだけど、大半は粗く削ったものなんです。とあるTV番組で延暦寺駅の周りに多くの地蔵が地中から見つかった話があって、恐らく信長に攻められた人たちを祀ったんじゃないかという事だった。その地蔵とおなじなんですうちの地蔵と信長に攻められたの。
余りNHKの偽ドラマを信じてはダメだよ?信長は非常に神佛を尊重してた武将なので、破戒僧に厳しかったのだぞ?父信秀の葬儀で暴れたのは読経に来た僧達の本性知ってたからだよ?信長は百凡の領主の子と違い幼少期に領民の子と遊んでたから、寺領酷さを見てたそうで、台風で田が荒れて税を払えない農民に僧兵が平気で乱暴狼藉してたの見てたから、坊主の嘘を嫌ってたので批判してた無量寿院の層が葬儀に来てその清めで抹香を父信秀の位牌にかけたのだよ?知り合いの親を斬り殺した悪僧がいる宗派を誰が信じる?信長は渡りの真面目な僧や修験者は優遇してたの知ってる?NHKの捏造歪曲ドラマでは描かれてないよね?信長が自身を魔王と称してたのは破戒僧に天罰を与える存在として自己を見做したので延暦寺や強訴をする神社を嫌ったからだよ?大体何故現代の仏教は衰退したのかね?多分どの宗門も戦国期の禊をせず21世紀まで来たからその時点でブッタに破門された宗門に霊的な支援は絶えてるので中興の祖は生まれた宗派は戦国期以降ありました?神道はWW2終戦で禊をしたよ?だから神社関係が盛り返してるのさ!
閻魔大王と地蔵菩薩は同じだと聞いた事が有ります…
自分も聞いたことがあります。!閻魔様の化身がお地蔵様だって。。。。
中国の宋の時代の経典には既に「地蔵菩薩が閻魔大王である」という記述がある。元々はヒンドゥー教で冥界の王として死者の生前の罪を裁く神だった閻魔大王は、仏教で救いの神として取り入れられ、その救いの姿が全ての人を救う地蔵菩薩の化身として重ね合わされるようになった、という記述があるように、時間の流れによって、地蔵=閻魔大王の信仰ができたみたいですね。
閻魔様より、葛飾の両さんの方が…😆スミマセン🙏関係ないね😉
仏説地蔵発心因縁十王経が出典だと柳田国男が書いていたかと思います。偽経だそうですが日本では広くそうした話が伝わっているようです。
@@マキさん-y9o 部長『両津は何処だ⁉️💢』仲川『インドに修行に行きました❗️😅』
まぁ心の込め方次第じゃない?何でもかんでもお願いするために手を合わせる人と、由来は分からずとも、こんにちは、お邪魔しますとかご挨拶すると人とでは全然違うと思う。
墓地で無闇に知らない墓に向かって念仏や勤行を唱えるのも同様に危険な行為だといわれてますね。成仏されている霊ばかりではないので、なんの霊的能力もない人が余計な慈悲心を表そうとすると憑依されることがあるそうです。気をつけましょう。
ココロ当たりがあって、何十年ぶりに謎が解けた気になりました。数十年前、土地勘の無いところで歩いていて、道に迷いかけて不安に思い、ふと気付いたら道の端に道祖神が居らして…確か旅の守り神だった記憶があったものだから、気付いたらと同時に無事に家へ帰れます様に🙏✨と手を合わせたその瞬間から足元から頭へと『ゾゾゾゾゾッ』って凄まじい寒気が駆け上がったの💦寒気…と言うより目にはしてないけど、鳥肌が勢いよく逆だっていくのを明らかに実感しながら頭の先まで遡ったのよ😱💧すぐ合わせた手を離せばなんてコト無いンだけど…気のせいかな?と再び手を合わせた途端また足元から頭へと鳥肌が逆だって行く感覚がッ‼️明らかにヤバいと自覚せねばならなくて、急いでソコから離れたけど…アレから事ある毎には思い出しては『アレはなんだったんだろうか。。。』ってずっと不思議だったンですよね〜💦💦💦偶然見つけたこの動画で、なんだかやっと腑に落ちた気分です。アレは本能的に理屈じゃない危機感を、否応なく勉強させられた様なモノ。道端の道祖神に手を合わせちゃイケナイってね💧その訳を知れた事、本当にありがとうございますm(_ _)m
動画を見る前に、おそらく詳しい事を知らないなら拝まない方が良いと予想して全て説明を聞きました。なるほどと思いましたが,タイトルに『むやみに』をつけた方が内容にあってると思いました。
触らぬ神に祟りなし。 つまりそもそ大丈夫だと分かっていても何もしないのが一番無難って事だ。
ちょっと「誤解」があるねぇ。地蔵ちゃんと言うのは「報われない魂を慰める為に作られている」のは「その通り」だね。ゆえに「そこには報われない魂が集まって来る」と言うのも「その通り」だね。で、その「場所」へ「関わる」と言う事は「救ってあげようとして近づくに等しい」訳。これは「先方さんから見るとそう見えてしまう」と言う事ね。これも「基本的には動画ちゃんの説明してくれておる通り」なのだけどさ。「ちょっち違う」のは、昔の子達が「迂闊に関わってはいけませんよ」と「教えていた」のは「別に怖がれと言っていた訳では無く」てさ。そう言った「気の毒な境遇に在る子達」へ「迂闊に関わり」そして「その気も無い」のに「その子達へ変な期待をさせる」のは「弄ぶに等しい事である」ので「罪作りな事である」から「してはいけませんよ」と言う「思いやりの心」を「教えていた」のよ。己らで無神経に関わって於いて「その上それらを怖がる」とか「そンな失礼な御話もそうそう無ぇ」わな。これ「心」ね。履き違えてはいけませんよ☆
これは本当にその通り。全部が全部ではないけど、縁知らぬ道端の地蔵に手を合わせて同情的な態度を取るのは止めた方が。地蔵さんのうしろで囲まられてた不浄霊が『お!この人なら助けてくれそうかも!』と付いて来てしまう事が有る。道祖神、馬頭観音等も様々ないわれがある事を承知して欲しい。
昨日の日暮れ時に龍神の祠に手を合わせたら ばーんって音がして どっから何の音だかもわからないんだよね自分的には吉兆じゃないかとは思うんだけど
道端のお地蔵さんに手をあわせてた別に不幸も幸せも無いけどこれからもするな
犬の散歩で通っていた山道に文政うん年と刻んである馬頭観音像があって、かれこれ十数年ばかり拝んでますそこは悪いことは起こらなかったけれど、今後はよそでは気をつけようかなと
お地蔵さんに手を合わせる事が危ないとは、何も信じれなくなりそうだ。
地縛霊の絵が怖いけど、わかり易かったです。
小さい頃に親から知らん地蔵に手を合わせるなって注意されたなぁ
賢い素晴らしい親ですねぇ。良く判ってらっしゃる。その通りです。関わるべきでは無い。
お地蔵さんの前を通るとたまに「お腹が空いた」と言われるときがあるのでおにぎりがあるときは後で回収に来ますからねとお地蔵さんに言っておにぎりをおいていきます。たまに取り憑こうとするのでそんなときは「今度やったら怒るよ💢」と注意します。
乞食に施しする様な物。地縛霊等無視すべき。
よくおばあちゃん道端のお地蔵様にお花とかお供えしてない?
近所の地蔵堂、いつも誰がが、お供えしてくれてます。
道玄坂地蔵尊は怖いんだよなぁ。300年以上あるそうだし、口紅塗っている。 戦時中渋谷が焼け野原になった時、地蔵尊が真っ黒になった為に白塗りにしたとか。六本木の狸穴(まみあな)町の狸坂の上に地蔵があって、朝になると坂の下に移動しているとかで、狸の仕業と言われている。駒場地蔵尊なのかわからないが、江戸時代に、太子堂(当時は太子堂村)の村民が謎の伝染病で村人の大半が死亡した為、駒場や池尻(当時 池尻村)の村民が地蔵尊の前に集まり、手を合わせ「謎の伝染病から村人を守ってください。」と願ったら、村人誰1人病気にならなかったとか。それ以来、地蔵尊を「〆切(締め切り)地蔵」と呼ぶようになった。
うちの周りには池が沢山ありますが必ずお地蔵様がありますね池では溺れた子供が沢山居るので…お地蔵様は人の形をしているのでつい心が動きますが迂闊に手を合わせてはいけないのですね
ちょっとまってwもう10年近く通勤時の地蔵に手を合わせてるけど、いいことしかないんですけど…いまさらやめれないし由来とかネットで調べても出てこないこのルーティンが心の拠り所だったのに、急に不安になってきたよ
市役所とかで聞いてみたら如何でしょうか?☺️よくテレビの『何だコレ⁉️ミステリー』でも、よく分からない建物とかは市役所に行って聞き込みしてますよね☺️もしくは、そのお地蔵様の近くにお寺でもあれば、由来が分かるかも知れませんね☺️
この動画の心理的影響より、今までのルーティンを大事になさったほうが良いと思います。動画は表現の1つに過ぎませんから。コメ主さんがちゃんと手を合わせご利益があるのなら、それが一番大切ですよ。
多分、ずっと見守ってくれている「ご近所さん」的な顔馴染の守り神だと思うので、特に問題無いと思います。例え由来が何であろうと、長年禍無く関係を持ってくれていらっしゃったので、急に余所余所しくなったら、そこにおられる存在も悲しく思うと思います。
気にしなくていいんじゃないかな。今まで通りにするのが一番。
無闇に手を合わせてはいけないとしても、電車に乗ってる時にお腹痛くなったら、心の中の神様に必死に手を合わせて祈ってしまうよね。どうか間に合ってくれと。
トイレの神様🚽
人間界と接点が多い神様なら「拝めば願いを叶える」存在かも知れないけど太古の神様だと、生贄を捧げて絶対的な存在だったから、敬意を払う存在。何かをお願いする存在ではなく、これまでの平穏無事な毎日を送れた事への感謝を届ける存在。「私のこんな願いを叶えてください」ではなく「こんな平穏な毎日を送れるのも神様のお陰です。感謝します」を伝える為に毎日通う存在が、神様です。
お地蔵さまにあんまり手合わせない方がいいんだ…それっぽいもの建ってたら何でもかんでも手合わせるタイプだからこれから気をつけよう
映画もしくは原作小説『憑神』で、彦四郎が酔ったまま藪に埋もれた祠に手を合わせて「なにとぞなにとぞ宜しくお願い奉りまする」とまで言ってしまったシーンのやっちまった感すげぇもんね…まさか最強の貧乏神と疫病神と死神がいっぺんに憑いてくるとは普通思わないけども…
私も地蔵様に掃除と言いますか払い落としをする前にやっていました。改める良い機会でした。ありがとうございました。
ずっと小学生ころから、村のお地蔵さに手をあわせてました。おばあちゃんのガンの手術もお母さんの手術も難しいと医者さんに言われていたのが助かりました。奇跡だと言われてました。私、自身も助かりました。感謝しています。今でも近くに行ったときは手をあわせています。
それは、いいお地蔵様だったんですね。
誰かを助けたい、という気持ちはいつも受け入れてくれるのじゃないかな?
@@yukirosello8467 その通り
たまたま
よく わかるわけないけど、
それでいいと 思います。
私もそうだから。
まんが日本昔話が放映されてた頃は日本人ほぼ全員こういうことを自然と熟知してたなぁ‥やっぱあれ凄い作品だったんだな‥
たしかに……近くに祖父母や、親しいご年配がいない子供であっても、しきたりや風習みたいなものを学べる機会ですよね。
日本人のメンタリティに少なからぬ影響を与えていた作品だと思います。
再放送どんどんしてほしいのに😢
動画の内容のような事、日本昔ばなしでありました?
昔アニメ見てたけど、手を合わせるはしてたけど見知らぬ地蔵や祠とかに手を合わせるなとか地縛霊がいるとか、覚えないです…。
@@main943トラウマ回と名高い『飯降山』はまさに今回のテーマそのものと言っていいエピソードだと思います。
登場人物の尼さん3人は『山そのもの』に祈りを捧げていますし、最初こそ感謝の念からの祈りだったものが後に横柄な頼み事へと変化していった挙句、尼さんは人の心を失くしてしまいます。
つまり「寛大に扱ってくれた神様を怒らせ見放された結果、ナニカに取り憑かれ唆された」って感じに解釈できますね。霊的な部分に関して直接的な描写があるわけではないので観る人の印象次第ではありますが、少なくとも「神様の前では謙虚な心を忘れずに」という戒めであることは共通すると思います。
他にも「禁足地に好奇心で近づいた」系のお話とかも幾つかあったと思いますよ。
子供の頃、手のできものを、お地蔵さんの下の小石でこすったら治りました。また、あの笑顔に何度心が救われたことでしょう。手を合わせて拝むと心が落ち着きます。お地蔵さん、ありがとうございます。
要約すると不幸な事で亡くなった人の鎮魂を込めたお地蔵様や祠に対して、救いを求めるのがお門違いという事ね。
その通り。
この番組より解りやすい解説😲👍💯
仏像は所詮人間が作った物質に過ぎない。
それに向かって感謝を捧げるのは祈る人の心の調御に繋がるから問題は無いが、何かを求めて祈るのはその人自身の欲に繋がるので、その欲に応じた低級霊を呼び寄せてしまうということ。
その逆です!不幸になる!地の蔵と言う地獄
地の蔵と言って言わいる地獄不幸になる!
最近は『かさじぞう』のお話とかあまり読まれないのかなあ。路傍のお地蔵さんに手を合わせるような優しい心の人には幸せがくるんだよ。
それはたぶんラッキーな例なんだろうなぁ
お地蔵さんに限らず、無管理の宗教的な建築物には悪霊やよろしくないものが取り憑いていることがあるので、あまり有難がったり近づいたりしない方がいいかも
かさじぞうに出てくるような六地蔵は手を合わせてもいいんじゃなかったっけ?
バイクを走らせていると、よく道路のカーブ辺りにお地蔵様を見るんですよね。
交通事故で亡くなられる方が多くて祀られているのかな、と思って安全走行を改めて意識するきっかけになっています。
神社に祀られている神様でも、お願い事をすべきではないお社もあるそうだから、由来をきちんと知ってから拝むのは大切なんですね。
そもそも正確な由来が伝わっている神社が少ない。
愛知県丹羽郡扶桑町の高雄小学校裏にある葉森神社は、別名首塚と呼ばれる。
戦国時代、頭部に深い傷を負って敗走して来た僧兵を村人が介抱するも程なく落命する。介抱の礼として「死後は村人を末代まで頭部の災いから守護する」と言い残し、村人は丁重に葬りその上に祠を建て祀ったとの由縁がある。
いい話ですね
@@pontarou01様
返信ありがとうございます。
実際に御利益があったことが言い伝えられ、掃除も行き届いており氏子に大切にされていることがわかります。
名古屋鉄道犬山線の木津用水駅を降りて歩いてすぐの所にあります。
お地蔵様もよくわからんけど、そこら辺にずっとある大きな岩とか石とかもむやみやたらに腰掛けたり登ったりすると恐ろしい事になる、ってことも聞いたことある。その昔に祭事をした場所だったり無縁仏を葬った目印に置いた石だったり(これは特に山中に見られる)するから
「一休みで腰掛けるなら石より木の切り株や倒木に挨拶してから座れ」と子供の頃母親に聞いたことがあります。
気にし過ぎる必要はないです。
切り株と同じように石にも挨拶して座ればいいだけ。
挨拶しなくてもバチは当たりませんが、神道の精神を持っていれば日頃の生活も穏やかになると思います。
山で仕事してるのでお気持ちよくわかります〜❤
日本には八百万の神の考えがあるからどこにでも神様はいらっしゃる
畏敬の念は大切
米一粒にも七柱の神様がいらっしゃる
気にしすぎる必要は無いなどと神道の精神を育んですらいない人に口出しされる筋合い無いですよね。
その話詳しく知りたいな
大学生の頃、石神石仏に興味があって南関東一円の石造物を撮影して回ってました。
純粋に民俗学的興味で記録を残す目的でしたが、撮影させていただいた後は必ず手を合わせていました。ただ、明らかに荒れているような場所とか曰く因縁の有るようなものには、帰途気分が悪くなるような経験もありました。バイクで転倒して骨折したことも。
触らぬ神に祟りなし、というのも強ちウソではないと教えられたかつての思い出です。
すみません、その際、南関東地域で、石のまる彫りの馬頭観音像って見たことありますか?
まる彫りというのがどんなものなのか判りませんが、文字の陰刻のみの馬頭観音は何回か見た記憶があります。
レス有り難うございます。地元が南関東で、近所の藪の中に浮彫や文字などではなく、石を丸々削った恐らく江戸期の作の、高さ1m程の馬頭観音と思われる立体石仏があります。特徴から青面金剛ではないようです。
近隣地域では同様の馬頭観音像は見当たらず、珍しい物なら文化財課か教育委員会に報告してみようと思います。ありがとうございました。
石を丸く削った形状だと僧侶の墓石として使われる卵塔のような感じでしょうか?石仏に多く見られる舟形光背も上端部を丸く削っていますが、お話だとそう言うものではなさそうですね。
青面金剛が彫られたものだと庚申塔が一般的で、金剛の足元に邪鬼、さらにその下に三猿(見ざる言わざる聞かざる)があしらわれていますので、似た意匠の馬頭観音と見分けがつきますが、風化の為細かい造形が失われていることも多々あって判別に困ることもありますね。(頭部に馬の頭が付いていれば馬頭観音で確定)
なお、庚申塔では建立された日付が必ず庚申なので裏面にある碑銘を確認するのも一つの手です。(庚申講・庚申待などの記銘が多いです)
また、像の頭の両脇に日輪・月輪があるのも庚申塔の特徴です。
もう一つ三宝荒神像(秋葉神社系だったかな?火伏等の願掛け)ということも考えられますが、あまり路傍の石仏としては見かけたことがありません。
もしもそれが一般的な特徴から離れた馬頭観音なら、民俗学的に面白い事例になるかもしれませんね。郷土史家さんたちの見解も是非伺いたいところです。
俺は福岡在住で昔の街道の近くに住んでいる。その街道に設置されていた思われる神社に集められていることをよく目にするな。地蔵菩薩様は子どもの守り神として、しはれ
私もお地蔵さんや祠などに通るたびに参ってたんですが、地元で有名な住職に「何でもかんでも参るとこの子は頼れると思われて憑いて来られる(周りの霊的なものに)」と注意された事あります😮
そいつが助けてくれるかも分かんないしな
特に、霊感を持っている人は気をつけた方が良いよな
「無念」や「祟り神」を祀って鎮めている祠もあると教わった記憶がありました。
その通り素人が関わると一族巻き込んで祟られるよ?
それだけでなく、山を彷徨う霊や動物霊などが宿り代を求めて宿るケースも多いですね。地蔵さんの格好していれば供え物にありつけるからです。
近付くだけで眉間がミリミリするのはヤバいです。
@@cartonseaviewjp ある人と出会ってから眉間の間に違和感感じるのですがこれはお知らせ?なのでしょうか?優しい方なのですけど
その人の眉間?
非科学的過ぎて酷いな
歌の歌詞にもあるけどお墓やお地蔵様、祠や神棚の中には何もいないと思っています。大切なのはそういうものに手を合わせて自分が今生きさせて頂いている事を感謝する事だと。供養や信仰はすべて自身の体内にあると察した還暦過ぎです。
激しく同意です。
それはそうなんだけど彼岸で帰って来た(設定の)ご先祖様に失礼だから思ってても言っちゃダメなヤツ
凄く分かります。同意です。
@@kobain779 そのご先祖様達が過去から延々と繋いで来てくださった命のおかげで自分が今生きていられる事への感謝そしてその命を未来へと繋いで行ける事への感謝をこめて手を合わせています。
霊を信じない人ってガチで歳とっても一切信じないんだよな。わかる人には理解できないが。
土地売買の仕事で、敷地内の草むらに小さな石碑を見つけて気になり
地主もわからないとの事なので
昔の地図から遊女屋敷だったこと
から、水子の供養にしてたのだと
思います。
お祓いをして、解決しました。
昔は、弔いが多かったのでしょうね
私はそうは思いません。
お地蔵様は放置されているのは可愛そうです。手を合わせる人が居ないのは罰当たりだと思います。
お地蔵様の存在は知っていますが手を合わせると自分が死んだ後の得になったり亡き先祖の供養になったりするのではないかと思います。
神様の祠も拝む人がいれば神様がお慶びになられ、通行人を事故から守ってくださるのではないかと思います。
通りすがりの道祖神様には「こんにちは、この道を通らせていただきます」等と心の中で唱えるだけでいいと思います。
僧侶様だったらこう言いそうな感じがします。
不幸になったことをお地蔵さまのせいにするような人間にはなりたくないな。
おかしいぐらいに不幸になったらそりゃ神だが悪魔だかのせいだろ
神が良い奴って前提がまずおかしいんだよ、平和ボケしすぎや
@@アル-e3y
神も悪魔もおらんで。
日本だけがこんなに平和なのは国民の努力の賜物。
平和ボケしすぎや。
日本人が掲げてる憲法に信仰の自由書いてあるから他人の信仰に口を出すのはちょっと…
@@kobain779 神はいる
じゃなきゃ神を呪ったあの日からずっとどんな確率だよってレベルでおかしいぐらいの不幸が起きるのはなんでなん?w
@@kobain779 あと別に日本だけがこんなに平和なのは神だか悪魔だかのおかげだなんて一言も言ってないだろ
平和ボケとか何のこと言ってんのか全く分からんわ
道端にある地蔵以外にも、川や滝のそばにある地蔵や祠には手を合わせてはいけないというのも数十年前に人から聞いていました。
ゆっくり解説動画のほとんどが霊夢が無知側で魔理沙が説明側だけど今回は巫女である霊夢が祠について説明してるのすこ
私の住む町には抱き地蔵があります。そのお地蔵様を持ち上げる事ができればセーフ!できなければ、アウト!という!私はいじめっ子にそれを試してみろと脅迫されました!当時のヘタレだった私は嫌嫌実行しました。その前にお地蔵様に手を合わせて御免なさい!御免なさい!御免なさい!と謝罪してから抱き地蔵を持ちました!でも!びっくりするほど軽々と持てました。勿論お地蔵様を元の場所に戻す時もすいませんでした!すいませんでした!すいませんでした!と謝罪しながら大切に戻しました!あとお小遣いをはたいておはぎをお供えしました!でも私は祟りは受けていませんよ!
宗教でいがみ合うことが多い世界なので、日本のような価値観が広がると割と平和になるんじゃないかなーと思っている。
霊夢が得意分野でちゃんと説明役に回ってる動画見ると安心する
道路にある地蔵は死亡事故がある場合が多い。高校時代に先輩が事故の起きる場所に地蔵がありその地蔵に蹴りを入れてバイクで帰る途中に事故をして地蔵に蹴りを入れた足が切断した話が有りました。
地蔵を壊したりイタズラする人がいますが。そちらの方が怖い気がします!💀霊が怖いと言いますが?生きてる人間が1番質が悪いのは確かですよ…😞
観光地の奈良公園に、猿沢池と言う池があって、その隣に小さな川があります、その川の中に、石仏の浮島があって、有り難い物だろうと勝手におもってたら、4百年続く、菊壱文殊という刀鍛冶の爺さんに、あれは、戒めの為に川に漬けてあるから、ありがたがるもんじゃない!と教えて貰った話を思い出しました。
こういうのは気持ちが大事だから謎の祠や小さいお地蔵さんでも必要あらばお祈りしてる
それで良いんですよ
35年程前に隣りの市に田んぼに囲まれた交差点の角に石で出来た、やや大き目のお地蔵さん一体に赤い頭巾と垂れが掛かっているお地蔵さんが有りました。言われが石垣の霊や、周辺の事故で亡くなられて地縛霊に成った方を御祓でその一体に纏めて封じ込めている役割りが有ると聞きました。定期的に祭事を行わないと悪い霊が抜き出てしまうと言って居たのと亡くなわれた方々の遺族以外は手を合わせる物じゃ無いと当時地元の婆さん達が言って居た。
夜中にダンプで有る子供一人のひき逃げ事故が有りました。少し精神的に追い込まれて自首した犯人は石垣から飛び出した子供二人をひいて轢き逃げして夢で怖い目に遭い自首との事です。現場検証で実際に轢き逃げした子供は一人にもかかわらず二人をひいたと言い張ったそうです。
お年寄りいわく、二人目の子供はお地蔵さんから抜け出た霊で子供を事故に遭わせて一緒にひかれた子供の霊だそうです。
お祓いは霊を成仏させるのでわなく、そこに居る地縛霊などをお地蔵さんに一時的に封じ込める為の地蔵と言って居ました。
お地蔵さんにも色々と依代や役割が有るので、やたら滅多に手を合わせるのは怖いと思います。
今回の動画の的を得た様な事例の話ですね。勉強になりました。
御仏は慈悲の存在だけど、怨霊を鎮める為に神として崇めたり、ちゃんとした神様でも荒御魂とか気難しいことも多い。
去年の12月26日新潟市内に雪が降り歩道がアイスバーン状態でした滑って頭を打つところが背中を抑えられた状態になり頭を打たずにすみました。
JR越後線の踏切のそばにお地蔵様の箱らが在りますが2度助けて貰いました。
1度目は、両手に買い物袋を持っていて雨が降り出したので家に帰るまで降らさないで下さいとお願いしたら2・3分後にどしゃ降り状態になり濡れづに住みました。
こういう事もありますよ!
福沢諭吉は若い頃、祠には本当に神様がいるのか確かめようと覗いたら、石ころが数個入ってるだけだったと。「なんだ、神様なんていないじゃん!迷信じゃん!」とドヤ顔。で、その石ころを投げ捨てて適当に拾った石を中に入れたと。それを知らずに有り難がって拝む人々をせせら笑ってたとか。これ、マジ祟られる案件たと思うが、その後なんの霊障もなかったところをみると、諭吉にはよほど強い守護霊がついてたのかも知れないな。😓
福沢は無神論者にして無宗教、無信仰。なんらかの障りがあったとしてもそれを結びつける思考などしないでしょうね。
さすがの神様も諭吉には頭が上がらんのは今も昔も同じっちゅうこと
偉人伝に載る人は、オーラからして、ワイらより強い❗️
お札になって誰かれとなく厄の元となり祟られていますよw
隕石とかも神に与えられた石と祠で祀っていますから、偶々その類いの祠だったじゃないですかね。
多分、心のあり方次第だと思います。
人が良すぎるのもまた問題、ということにちょっと似ているなと。
優しさと感謝は依存心や傲慢さと紙一重、とも言われたりもしますし、結果的に手を合わせて何が起こるかは人によりけりだと思っています。
車を買ったからって近所の神社にお参りしたらそこは妖怪を祀ってたとかで
車が妖怪化したっていう水木しげるの漫画があったな。
車に轢かれて亡くなった動物を可哀想と思うと憑依するから、無視しろと言われていますが、私は必ず手を合わせます
助けを求めてくるなら、手を差し伸べるべきだと思います
私は小さい頃から、古い墓石を見るのが好きで、毎日お寺を散歩していました
現在自宅には鎌倉時代から南北朝時代の墓石が50基以上集まっています
近所ではお化け屋敷と言われていますが家族は全く氣にしていません(妻は葬儀屋の娘です)
私を賴って來てくれた方逹と思い、大切にしています
田舎なので道端や道の真ん中で猫、狸、猪、鼬車に轢かれてます。
私は車が居なければ車から降りてタオルに包んで道端に移してあげます。
轢かれるのは一度で良いから。
無理ならゴメンなと言って車のワイパースイッチハンドルに付けてる数珠を触ってます。
お地蔵さんやお墓を見かけると手は合わせないが心の中でお祈りをしてしいる。
『無縁仏のお墓に、同情や、お墓参りのついでに…とか、軽々しく手を合わせてはいけない!』 …って聞いた事がある。
無縁仏が、手を合わせてくれた事に喜んで、その人に付いてきてしまうんだって。 お地蔵とか祠なんかも、同じような障りがあるのかな?
昔から〈触らぬ神に祟りなし〉といわれるのは、そういう事なんでしょうね…。
これはまさに《夏目友人帳》の内容だ。
神様にも色々いらっしゃるんだな。
善い悪いにかかわらず、境界の向こうに触れるのは危ないと小さな頃からお年寄り連中に口酸っぱく言われてきました。下手に触れない、それだけ心掛けておけば充分だと思います。
事故現場で花を添えている場所も無関係な人は手を合わせてはいけないとも言われてますね。やっぱりこういうのは坊さんか巫覡さんに任せよう。
高校の同級生が事故で亡くなった場所にお地蔵様があるんだけど、手を合わせないほうがいいんかな?
事故現場とお地蔵様は30メートルぐらいズレてはいるんだけどね
@@ネム-t9q
無関係ではなく、きちんと同級生を供養してあげたいみたいな気持ちでいくなら大丈夫かと
お墓でもそうですが、荒れてるからと無関係な他の人のお墓をキレイにしたら、そこのご先祖の霊が憑いてきたなんて話もありますからね
関係者じゃないなら、手を合わせるのはスルー推奨
霊感ある奴が言ってたな。
交通事故現場の花束とか見て
手を合せると連れてきちゃうから俺は拝まないとね。
こどものとき、愛犬を連れて散歩していた。過疎地の山村だからいつものように林の中に愛犬と連れ入ったが、突然愛犬が狂ったように吠え出した。まるで熊とでも遭遇したかのように、恐怖と怒りで毛を逆立てて草むらに向かって吠えたてた。そんな風に野生の防衛本能全開で吠えたのは後にも先にもそのときだけだった。何がいるのだろうと草むらを棒でかき分けると小さな石の祠があった。
この動画のような知識はなかったけど、子供心に“これはやばい”と感じて、首輪を懸命に引っ張ってその場を離れた思い出がある。
これマジです。
区画整理で場所移動した時神様が抜けて、悪い物が入り込んでそれを知らず家の近くだから引き取ったらもう大変!マジで体調崩した。
山伏にきちんとしてもらい落ち着きました。
霊に取り憑かれたら不幸になるとよく言われていますが、その不幸ってなんなのでしょうね…
霊とかに関係なくとも、生きてるとつらいことや望まぬことが起きるのがデフォだと思っています
若い頃、突然の事故で死にそうになった経験があって、だからこそ今も日々生きていられる喜びを実感しています
事故に遭った時は不幸だと思いましたが、今では事故のおかげで何気ない日常に感謝することを学んだので、事故自体を不幸とは思っていません
そりゃオメーがたまたま無事だっただけだろ。霊障やそれに続く不幸が忌避されんのは往々にして取り返しのつかない惨事に繋がるからだよ。
重度の障害を負う怪我につながる程度ならまだいい方、下手すりゃそれで命を失う。あるいは延々死ぬまで(死んでも)理不尽な不運に見舞われ続ける。“取り憑かれる”ことを軽く見過ぎてやせんかえ?
破産とか火事、事故、事件トラブルに巻き込まれたり、あと難病とか障碍で下手すりゃ末代まで祟られるよ。
霊といっても善悪あるし、悪霊の集合体とか手を付けられない。
あれは
閻魔大王の
監視カメラだからな
上手い!
悪い子イネガ〜👹📹
地蔵は良く車道脇にもありますね。
小さい事かも知れないですが、お地蔵様と言った方が良いと思います。
その考えた方すこ😊
大分市在住の者です☺️
今の『うみたまご』がある場所から、別府沿いに数百メートル進んだ所にお地蔵様(設置場所は海側)がありました☺️現在は撤去されてるんですが、以前に霊感の強い友達と自転車でその地蔵の前を通った時、その友達の自転車の後輪が急に持ち上がり、車道に投げ出されるという衝撃的な事がありました😳💦
自分はすぐ後ろでそれを見てましたが、自分には特に何もありません😳
友達とすぐに自転車の点検をしましたが故障等は全く認められず、それどころか『あの地蔵の前を通った時にゾクッとした😨』と語ってます😭
ちなみに、その怪現象が起きた日は風もないクソ暑い真夏日で、突風等も無く(そもそも自分もすぐ後ろを走ってたから、突風なら同じように煽りを受けるはず)きっとあの地蔵の仕業だ、と2人で話しました😭
地縛霊だから悪さします。
チンピラ以下ですからね。
ブレーキロックしただけじゃねえの?
@@コイサンマン-k7s
自分も最初はそれを疑いましたが、どんなに調べてもブレーキに異常は無かったんです😭
自分も一度、前ブレーキのボルトが突然折れて前輪に絡み、その場で一回転した事があります😅
しかし、友達の場合は『前に進みながらスムーズに後輪が上がって行った』んです😭
木の枝が前輪にひっかかりロックした可能性は考えられませんか。
その場合枝がしなるのでロックしつつも多少は前に進むと思います。
また転倒後に外れて道端に枝が落ちていればそれが原因と気付かないと思います。
まぁあくまで推測に過ぎませんけど。
@@johnneybgoode9272
その当時の道に木や草等は全くありません😭
狭くて舗装された歩道(自転車2台で並んで走るのも無理)があるだけです😭
現在は歩道が拡張されて街路樹があります☺️
お地蔵さんに舐めた態度して、罰を当てたられた…とまでは言わぬまでも、やんわりと教え諭されたことがありまして(主観的に)。もし同じようなことをお稲荷さんとかにやらかしていたらもっとえげつない目にあわされていたかも…と思ってぞっとしましたね。
子供の頃、田舎のお婆ちゃんの家の近くの道端に『お地蔵さま』がありました。子供だけは手を合わせて良い、と言われました。大人は素通りするというのがお約束だったと記憶してます。
徹夜で長距離ドライブする時かならっず道端の地蔵様に手を合わせていくが、無事故で帰ってこられる。
ちゃんとお賽銭も置いてますよ。100円ですが。
初めて見るチャンネルだけど巫女さんの霊夢が解説役なの合ってるな
他のチャンネルで神社のマナーを一切知らない霊夢がいてモヤモヤしています。
解釈一致
@@snow4262 ゆっくり霊夢と博麗霊夢は別人だと思った方が良いですよ実際自分は違和感を感じた事が無い
@@snow4262 原典の霊夢もかなり適当ですからね…
もともと周囲の妖怪たちにすらもっと巫女らしくしろとツッコミを喰らいまくってきた上に
最近じゃもはや看過できないと茨木華扇から修行と喝を喰らいまくってますし
お寺のピカチュウのお地蔵様を興味本位で触ったら、水子の霊を100たい位に憑依されて、帰宅してからやけに両肩が凝ってしまって、その日に友人が自宅に来てその時に今度は友人に乗り移り、深夜に頭がわれる位に痛くなり、何度も吐いて体がだるく動けないと友人から電話があってもしかしたらと思い知人の霊媒師さんのところに連れていき除霊を友人はする羽目になりました。
無闇にお地蔵さんには触らない方がいいと認識をさせられました。
友人に迷惑が掛かってしまい反省をしました。
祠や地蔵さんじゃなくともただ献花されてたり、お供え物とかが置かれてたりすると真っ先に周囲の道路の交わり方とかを見ちゃうなぁ
近所にも、地蔵堂がありめす。最近、町内の人気者の若い兄さんが、病気で亡くなりました。彼は身寄りなく、みなでその地蔵堂に祀り、色々お供えしています。最近、この地域に越して来た私は、付き合いもあり、お堂の横を通る時は、必ず手を合わせていきます。
お地蔵さまに、赤い帽子とかよだれかけ作ってかけてるおばあちゃん超絶長生きで108まで、生きました。←真実誰かが作ってるんだよねあれは
由来のわからない祠を拝むと、死人のスタンド攻撃を受けることがある…ということですねわかります
貴様ッ!見ているなッ!
スタンドは引き寄せあう性質をもっているから、あなたもスタンド使いかもしれない。
その通り。
マジで止めといた方が良い。
何でも神様仏様と崇拝する事が既に間違いで有り、石仏が何故そこに設置されてるか何故曲がり角やT字路か考えて見たら良い。
交通事故死者の魂以外居ないから。
その地縛霊が助けてくれる訳も無く、例えば救急患者にお願いしても其処では無く寧ろ患者は自分が助けて欲しくお願いしたい位だから、寧ろ縋り付いて来る。
そんな相手と縁を持つ訳だから不幸に成るのは当然で正に触らぬ神に祟り無し。
ですからね。
本体のいなくなった独立したスタンドはだいたい厄介
手を合わせなくても、前を失礼しますと「黙礼」するのもNGですか?
いつもやってしまってる自分、ガクブル・・・
言い伝えがどうであろうとも拝む本人の気持ち次第です
触らぬ神に祟りなしが基本だぞ!阿呆!!
相手が暴力団のギャングだとこれ幸いと弱みに付け込み、侵略のあ足場にするよ?そう思えば本人の気持ち次第?
眷属使って騙して取り込み詐欺をするのが、ギャングの常套手段でしょう?配下の新興宗教を使うかもだよ?
悪霊の波状攻撃受けて陥落するよ!
甘い祟り神に人間の価値観が通用すると?
良いですね、自分にはしっくり来ました。
神も仏も人の心の中にあるような気がするので。
宗教心が無いから甘いのかなあ…。
手を合わせることが失礼にあたるなんて言われると
うかうかご挨拶も出来ないですね。
これからは通りすがりの由来不明のお地蔵様は素通りしようか…苦笑
例えば街のチンピラにお願いしても、お願いする本人の気持ち次第ですか?
違うでしょう?
チンピラに何されるか。
石仏の中身はこうした地縛霊だから何されるか。
そう言う話だと判りましたか?
@@雹寿院千代
本人の気持ち次第ですよ
そもそも日本の信仰は畏怖が根幹にあります
土着信仰なら尚更ね
それに
手を合わせるのは人間側が願い事をする為ではありません
感謝を伝えたり
挨拶をする為ですよ
都会はどーか知りませんが
田舎ではそーした信仰を未だに大事にしてますし
荒神様も道祖神様も同じように大事にしています
動物霊だ
自縛霊だ
安いテレビ評論家みたいな人間の評価で
区別して手を合わせる方が不敬です
チンピラにだって毎日顔を合わせてれば一瞥で攻撃を受ける事はなくなりますよ
見えない人間があちら側を入れ知恵で単純に判断し
鵜呑みにするのはどーかと思いますがね
近所のお寺の境内に在る飢饉供養塔😅が霊感てんで無しの私でもはっきり判るくらいヤバい気脈を生じて居るので前を通る際には出来るだけ遠巻きに蟹歩きしたり後ろ歩きしたりして背中を見せない様にして通過して居ます😅
お地蔵さまは 閻魔大王の地上での姿だと テレビで言ってたよ
出鱈目です。
地蔵菩薩は仏陀の前身足るボーディサットバァで菩提薩多で地獄の衆生すら救う菩薩行を成しやがて仏陀に成る悟りの生命体即ちボーディサットバァです。
閻魔大王は元は死神ですからね。
@@雹寿院千代 じゃあ放送倫理委員会に言っといてね
山のお地蔵様に子供の頃手を合わせた後馬の幻覚を見て気絶した事がありました。むやみに手を合わせてはいけないのですね。
思い出せればで結構ですがどんな形の石仏さんでしたか?
得体の知れない相手に自ら絡んで行く様な物ですからね。
アレを神仏だと嘘吐いた連中が恨めしい。
ホントこういうの見てると
色んな視点があるなとか
色んな考え方があるなとか
純粋にその考察を聞いてて楽しい😌
お地蔵さん服着てる可愛い!
今日も見守りありがとう!
とかしか思わなかった😂
手を合わせるのは無知が故に怖くて
してこなかったですが🥲
「お前由来も知らないし縁もないのに拝むんじゃねぇ!」ってか
ずいぶん怒りっぽい神様だなぁ、前通るだけでも怒られそうだなぁ
それだけ心がすさんだ神様もいるかもしれませんね。
境内に入って庭の小さな砂粒が、足の裏について外に出ただけでも命を取る神様もいますよ?お地蔵様は、この世で修行した修験者が行き倒れたりしてお地蔵さまに祀られてる場合もあるから、むやみに手を合わせないほうが良いと思います。未来永劫子々孫々に至るまで、そのお地蔵様を祀る気持ちがあるならどうぞ。
触らぬ神に祟り無し、ということわざが正解なのです。
祟り神も「神」だからなぁ
知らない大人に頭撫でられて泣く子がいるのと同じなのだと思います。
つまり、因縁つけるなという訳ですね。
大丈夫よ。なんだか手を合わせたくなる方…に対しては、お逢い出来たご縁をありがとうございますという感謝の気持ちで手を合わせたら失礼にも当たらないし、その時生者としてしっかりした気持ちを持っていれば、ついてこられることもないですよ^ ^
自分は手を合わせる主義です。
登山に行くと山の中腹や山頂にある神社にお参りします。里山を歩くとお地蔵さんやいわれのわからない古い祠も多々みかけます。自分は霊感は強くないが、山登りの途中で一番悪い気を感じすぐ離れたいと思った祠のことは今でも覚えています。
そういう所は昔は禁足地として立ち入り禁止にしていた場所もあると聞きます。
神様の都合は解りませんからね
祟神か機嫌が悪かっただけか、又は
そこに蛇がいるから来るな!
だったりして
警告してくれるのも、それを受け取れるのもありがたい事かもしれません
人が登るような山にある祠は基本的には問題ない
というかその山自体がご神体だからそこに踏み入ってる時点で祠どうこうは些細な事
俺は霊的なモノは信じていないが、生きている人間がむやみに立ち入ってはいけないような所は確かにあると思ってます。
たとえば旅行とか行って、旅館の近くを歩いていたりした時、少しでも「嫌だな」と感じたら絶対に行きません。
一番悪い感じがした祠は近づかない方がいいですよ。
さわらぬ神に祟りなしだから
得体の知れない神仏に むやみやたらと手を合わせるなと 若い頃に教わりました
興味深く見せていただきました。
お参りして拝んだあとになにか悪いことがあったら、拝んじゃいけないものだった!!って自分勝手に思ってるだけじゃないでしょうか?
いいことも悪いこともなんの前触れもなく起こるのに、なんでその拝む対象のせいにしたがるのか。
他の方が述べられているように、それが人の感じ方の面白いところでもありますね。
拝む拝まないも自由であるし、気持ちの面でそれぞれの奉られているものを大切にしていけるとよいですね。
無視する方が失礼になるんじゃねーかなぁ?
そもそも大抵の地蔵の由来なんて知りようも無いし…
人づてで聞いた話ですけど
大昔に道路の拡張工事に関わっていた責任者が
工事する前の道沿いにあったお地蔵さんを邪魔なので
どこかのお寺へ引き取らせて数年後、責任者の右足が
腫れあがりお医者さんから足の切断を宣告されたので
四苦八苦し、あらゆるところへ相談し行きついた霊能力者に
相談したら地蔵さんを元の場所へ戻しなさいとのアドバイスを受けて
元の場所へ戻したら足の切断を免れたという話を聞いた事があります。
その方、糖尿病じゃないですよね?😭
@@クルット-u5q この話は20年以上昔聞いた話で、確かに糖尿病も関係ありましたがここまで悪化したのは霊的な影響と方位の障りが重なったとの事です。
方位の障りはその場で応急処置的な方法を
施してもらったのち自宅へ戻った頃に今まで歩けなかった足がすぐに歩けるようになった話を聞きました。
ちなみに相談者は地蔵さんの存在を忘れ去っていた上で相談したら地蔵さんの事を指摘されたとの事です。
自分は少し人とは違う霊的能力あるけど、普通の人間は普段素通りして行く、お地蔵さんや無縁仏など手を合わせる時点で、気持ちがこもってるので、どんな理由由来があろうが嫌な気持ちはなく、嬉しいはずです。結局は神様など手を合わせたり、信じる信じないは自分次第で、本人の気持ちですから適当な事は言わない方が良いですよ。
あと、昔住んでた家の裏に大きな竹藪があり、そこでよく独りで遊んでいた。
その竹藪は、地元で代々続く豪農の土地で、畑や養鶏もしていた。
そこに不思議な、20㌢位の小さな鳥居や、丸い石が半分位地中に埋めてあり、何か古代文字のような物が刻まれていた。
子供心に何か凄い怖いような不思議な尊いような畏怖の念みたいな印象で、以降そこで遊ぶ事は減った。
同じ頃、更に家の土台の麓に、江戸時代からあるような古い卒塔婆が大量に見つかり、父がお清めをしてから火にくべて燃して処分した。
その後、豪農も商売や土地を畳んで竹藪は30年位前に全て更地に造成され、新興住宅地となり、新しい道も出来て、すっかり元の姿は無く、まるで違う町になってしまった。
あの祠や鳥居や丸い石、卒塔婆は何だったんだろう……
ま、映画ポルターガイストの様な事が何も知らない住人に起きて無いと良いんですがねぇ。
不動産屋は無責任ですからね。
大抵ヤクザ経営だしね。
古代文字のようなものって、もしかして梵字なのでは?
古代インドのサンスクリット語由来の文字で、仏教関係で多く使われる文字です。
古い時代から現在に至るまで、卒塔婆や石塔といった仏教関係の碑文によく書かれています
何せ45年位昔の事なのでハッキリとした文字の形までは覚えてないのですが、検索するとその文字のような気がする…
あれらは何だったのかなぁ…
豪農で鳥居とかあるなら、大量の卒塔爺含めて田の神の可能性もありますからわからないですね。
神仏集合で田の神様で外敵駆除から祖先供養まで全て名主たちが中心に行っていましたからね。
実家の近所にある田の神祭るのが大量の牛と馬のための卒塔爺と馬頭観音と山の神の鳥居と漁の大量祈願の恵比須様セットで今は名主の家だけでなく地域の集落でかわりばんこに面倒みていますからね。
@@カイトウ-s4h
偶然かもしれないけど、その町は元々一つのデカい山を住宅地にしたもので、すごい町全体が坂道で、新しい道が出来るまではその町に入るためには、一本の坂道の入口しかなかった。
人も車も全てそこから。
そしてその山の麓には大きなお寺と墓場があって、町名とは別に、その山の町は○○寺住宅という呼び名だった。
その後、正式な町名すら平成の大合併で変更されたのにも関わらず、数少なくなった土着の旧住民の年寄り達は、未だに○○寺住宅と呼んでいた。
うちはとっくに引っ越してしまい、親も亡くなったり惚けたりしてもう当時の事は分からなくなってしまった。
昔の事として静かな記憶としてそっとしとくのがいいと…
動物の魂は清らか。何も怖いモノではない。彼らを恐ろしいものとする人間の心が一番恐ろしい。
大事なのは自分のお願いをするのではなく感謝を伝えること。
全ての魂が救われますように。
そう云えば、登山した時、ふもとにお地蔵さんがあり、登山の無事を祈って飴を供え、
手を合わせましたが、低山でわかりやすいルート、しかも一度登った事がある山にもかかわらず、
下山で迷いに迷って、反対方向の登山口に出てしまい大変な目にあいました。
無事に下山されて良かったですね。怖いな
山のふもとの地蔵には挨拶しておいて、俺に挨拶無しとは良い根性してるなって山神様が怒ったのかも?
帰れたのは、お地蔵様が「まぁまぁ、別のもんだとは思わなかったんでしょう、彼は多分山由来の存在に挨拶したつもりだったんですよ」と
宥めて何とか怒りを納めてもらったから…とか色々と想像できますね、とにかく帰れて良かったですね。
自分の家に仏壇と神棚があれば他で手を合わさなくても良いかと思います。夫の実家は家族が各自が御札や御守り、縁起物や置物を集めて何か異様な空気でした。
コンビニの近くにある祠に手を合わせたらその夜、子供の霊が来て体の上に乗っかられました😓
まじか
楽しそうな笑い声が余計怖かったです
@@TAKAYUKI-SATO おそらく祀っていたのは神様ではなく、幼くして亡くなった子供だと思います。祠の中に玩具がいくつか置かれていて、昭和5年という文字と人名らしき文字が書かれた紙があるので
@@TAKAYUKI-SATO何言ってるんだ
@@TAKAYUKI-SATO
神仏と死人は違うからな。
本気ですか。全然知らんで挨拶のつもりで手を合わせていた。教えてくれてありがとう!❤
10年程前に田舎の山に行って祠や道祖神があり、雑草が生い茂っていて汚れたコップや割れた酒の瓶が転がっていてから、雑草を狩り、汚れたコップを川で洗い川水を入れて、割れた酒の瓶を排除して手を合わせてましたが、現在も取り憑かれた感じもなく別に良い事も悪い事も無く平穏ですが、その場所は大丈夫な由来があったと言うことですかね…?
意味もなく手を合わせるのは失礼かもしれませんが、別土地に訪れた際ならむしろ余所者なのだから手を合わせる事は悪い事ではないと個人的には思います。
何も起きないのは霊感がないからかもしれませんが…
うちの街には地蔵がやたらと多いんだけど、大半は粗く削ったものなんです。とあるTV番組で延暦寺駅の周りに多くの地蔵が地中から見つかった話があって、恐らく信長に攻められた人たちを祀ったんじゃないかという事だった。その地蔵とおなじなんですうちの地蔵と信長に攻められたの。
余りNHKの偽ドラマを信じてはダメだよ?信長は非常に神佛を尊重してた武将なので、破戒僧に厳しかったのだぞ?父信秀の葬儀で暴れたのは
読経に来た僧達の本性知ってたからだよ?信長は百凡の領主の子と違い幼少期に領民の子と遊んでたから、寺領酷さを見てたそうで、
台風で田が荒れて税を払えない農民に僧兵が平気で乱暴狼藉してたの見てたから、坊主の嘘を嫌ってたので批判してた無量寿院の層が葬儀に来て
その清めで抹香を父信秀の位牌にかけたのだよ?知り合いの親を斬り殺した悪僧がいる宗派を誰が信じる?
信長は渡りの真面目な僧や修験者は優遇してたの知ってる?NHKの捏造歪曲ドラマでは描かれてないよね?信長が自身を魔王と称してたのは
破戒僧に天罰を与える存在として自己を見做したので延暦寺や強訴をする神社を嫌ったからだよ?
大体何故現代の仏教は衰退したのかね?多分どの宗門も戦国期の禊をせず21世紀まで来たからその時点でブッタに破門された宗門に
霊的な支援は絶えてるので中興の祖は生まれた宗派は戦国期以降ありました?神道はWW2終戦で禊をしたよ?だから神社関係が
盛り返してるのさ!
閻魔大王と地蔵菩薩は同じだと聞いた事が有ります…
自分も聞いたことがあります。!閻魔様の化身がお地蔵様だって。。。。
中国の宋の時代の経典には既に「地蔵菩薩が閻魔大王である」という記述がある。元々はヒンドゥー教で冥界の王として死者の生前の罪を裁く神だった閻魔大王は、仏教で救いの神として取り入れられ、その救いの姿が全ての人を救う地蔵菩薩の化身として重ね合わされるようになった、という記述があるように、時間の流れによって、地蔵=閻魔大王の信仰ができたみたいですね。
閻魔様より、葛飾の両さんの方が…😆
スミマセン🙏関係ないね😉
仏説地蔵発心因縁十王経が出典だと柳田国男が書いていたかと思います。
偽経だそうですが日本では広くそうした話が伝わっているようです。
@@マキさん-y9o
部長『両津は何処だ⁉️💢』
仲川『インドに修行に行きました❗️😅』
まぁ心の込め方次第じゃない?何でもかんでもお願いするために手を合わせる人と、
由来は分からずとも、こんにちは、お邪魔しますとかご挨拶すると人とでは全然違うと思う。
墓地で無闇に知らない墓に向かって念仏や勤行を唱えるのも同様に危険な行為だといわれてますね。
成仏されている霊ばかりではないので、なんの霊的能力もない人が余計な慈悲心を表そうとすると憑依されることがあるそうです。気をつけましょう。
ココロ当たりがあって、何十年ぶりに謎が解けた気になりました。
数十年前、土地勘の無いところで歩いていて、道に迷いかけて不安に思い、ふと気付いたら道の端に道祖神が居らして…
確か旅の守り神だった記憶があったものだから、気付いたらと同時に無事に家へ帰れます様に🙏✨と手を合わせたその瞬間から足元から頭へと『ゾゾゾゾゾッ』って凄まじい寒気が駆け上がったの💦
寒気…と言うより目にはしてないけど、鳥肌が勢いよく逆だっていくのを明らかに実感しながら頭の先まで遡ったのよ😱💧
すぐ合わせた手を離せばなんてコト無いンだけど…気のせいかな?と再び手を合わせた途端また足元から頭へと鳥肌が逆だって行く感覚がッ‼️
明らかにヤバいと自覚せねばならなくて、急いでソコから離れたけど…
アレから事ある毎には思い出しては『アレはなんだったんだろうか。。。』ってずっと不思議だったンですよね〜💦💦💦
偶然見つけたこの動画で、なんだかやっと腑に落ちた気分です。
アレは本能的に理屈じゃない危機感を、否応なく勉強させられた様なモノ。
道端の道祖神に手を合わせちゃイケナイってね💧
その訳を知れた事、本当にありがとうございますm(_ _)m
動画を見る前に、おそらく詳しい事を知らないなら拝まない方が良いと予想して全て説明を聞きました。なるほどと思いましたが,タイトルに『むやみに』をつけた方が内容にあってると思いました。
触らぬ神に祟りなし。 つまりそもそ大丈夫だと分かっていても何もしないのが一番無難って事だ。
ちょっと「誤解」があるねぇ。地蔵ちゃんと言うのは「報われない魂を慰める為に作られている」のは「その通り」だね。ゆえに「そこには報われない魂が集まって来る」と言うのも「その通り」だね。で、その「場所」へ「関わる」と言う事は「救ってあげようとして近づくに等しい」訳。これは「先方さんから見るとそう見えてしまう」と言う事ね。これも「基本的には動画ちゃんの説明してくれておる通り」なのだけどさ。「ちょっち違う」のは、昔の子達が「迂闊に関わってはいけませんよ」と「教えていた」のは「別に怖がれと言っていた訳では無く」てさ。そう言った「気の毒な境遇に在る子達」へ「迂闊に関わり」そして「その気も無い」のに「その子達へ変な期待をさせる」のは「弄ぶに等しい事である」ので「罪作りな事である」から「してはいけませんよ」と言う「思いやりの心」を「教えていた」のよ。己らで無神経に関わって於いて「その上それらを怖がる」とか「そンな失礼な御話もそうそう無ぇ」わな。これ「心」ね。履き違えてはいけませんよ☆
これは本当にその通り。
全部が全部ではないけど、縁知らぬ道端の地蔵に手を合わせて同情的な態度を取るのは止めた方が。地蔵さんのうしろで囲まられてた不浄霊が『お!この人なら助けてくれそうかも!』と付いて来てしまう事が有る。
道祖神、馬頭観音等も様々ないわれがある事を承知して欲しい。
昨日の日暮れ時に龍神の祠に手を合わせたら ばーんって音がして どっから何の音だかもわからないんだよね
自分的には吉兆じゃないかとは思うんだけど
道端のお地蔵さんに手をあわせてた
別に不幸も幸せも無いけどこれからもするな
犬の散歩で通っていた山道に文政うん年と刻んである馬頭観音像があって、かれこれ十数年ばかり拝んでます
そこは悪いことは起こらなかったけれど、今後はよそでは気をつけようかなと
お地蔵さんに手を合わせる事が危ないとは、何も信じれなくなりそうだ。
地縛霊の絵が怖いけど、わかり易かったです。
小さい頃に親から知らん地蔵に手を合わせるなって注意されたなぁ
賢い素晴らしい親ですねぇ。
良く判ってらっしゃる。
その通りです。
関わるべきでは無い。
お地蔵さんの前を通るとたまに「お腹が空いた」と言われるときがあるのでおにぎりがあるときは後で回収に来ますからねとお地蔵さんに言っておにぎりをおいていきます。
たまに取り憑こうとするのでそんなときは「今度やったら怒るよ💢」と注意します。
乞食に施しする様な物。
地縛霊等無視すべき。
よくおばあちゃん道端のお地蔵様にお花とかお供えしてない?
近所の地蔵堂、いつも誰がが、お供えしてくれてます。
道玄坂地蔵尊は怖いんだよなぁ。
300年以上あるそうだし、口紅塗っている。 戦時中渋谷が焼け野原になった時、地蔵尊が真っ黒になった為に白塗りにしたとか。
六本木の狸穴(まみあな)町の狸坂の上に地蔵があって、朝になると坂の下に移動しているとかで、狸の仕業と言われている。
駒場地蔵尊なのかわからないが、江戸時代に、太子堂(当時は太子堂村)の村民が謎の伝染病で村人の大半が死亡した為、駒場や池尻(当時 池尻村)の村民が地蔵尊の前に集まり、手を合わせ「謎の伝染病から村人を守ってください。」と願ったら、村人誰1人病気にならなかったとか。それ以来、地蔵尊を「〆切(締め切り)地蔵」と呼ぶようになった。
うちの周りには池が沢山ありますが
必ずお地蔵様がありますね
池では溺れた子供が沢山居るので…
お地蔵様は人の形をしているので
つい心が動きますが迂闊に手を合わせてはいけないのですね
ちょっとまってwもう10年近く通勤時の地蔵に手を合わせてるけど、いいことしかないんですけど…
いまさらやめれないし由来とかネットで調べても出てこない
このルーティンが心の拠り所だったのに、急に不安になってきたよ
市役所とかで聞いてみたら如何でしょうか?☺️
よくテレビの『何だコレ⁉️ミステリー』でも、よく分からない建物とかは市役所に行って聞き込みしてますよね☺️
もしくは、そのお地蔵様の近くにお寺でもあれば、由来が分かるかも知れませんね☺️
この動画の心理的影響より、今までのルーティンを大事になさったほうが良いと思います。
動画は表現の1つに過ぎませんから。
コメ主さんがちゃんと手を合わせご利益があるのなら、それが一番大切ですよ。
多分、ずっと見守ってくれている「ご近所さん」的な顔馴染の守り神だと思うので、特に問題無いと思います。例え由来が何であろうと、長年禍無く関係を持ってくれていらっしゃったので、急に余所余所しくなったら、そこにおられる存在も悲しく思うと思います。
気にしなくていいんじゃないかな。
今まで通りにするのが一番。
無闇に手を合わせてはいけないとしても、電車に乗ってる時にお腹痛くなったら、心の中の神様に必死に手を合わせて祈ってしまうよね。どうか間に合ってくれと。
トイレの神様🚽
人間界と接点が多い神様なら
「拝めば願いを叶える」存在かも知れないけど
太古の神様だと、生贄を捧げて絶対的な存在だったから、敬意を払う存在。
何かをお願いする存在ではなく、これまでの平穏無事な毎日を送れた事への感謝を届ける存在。
「私のこんな願いを叶えてください」
ではなく
「こんな平穏な毎日を送れるのも神様のお陰です。感謝します」
を伝える為に毎日通う存在が、神様です。
お地蔵さまにあんまり手合わせない方がいいんだ…
それっぽいもの建ってたら何でもかんでも手合わせるタイプだからこれから気をつけよう
映画もしくは原作小説『憑神』で、彦四郎が酔ったまま藪に埋もれた祠に手を合わせて「なにとぞなにとぞ宜しくお願い奉りまする」とまで言ってしまったシーンのやっちまった感すげぇもんね…
まさか最強の貧乏神と疫病神と死神がいっぺんに憑いてくるとは普通思わないけども…
私も地蔵様に掃除と言いますか払い落としをする前にやっていました。改める良い機会でした。ありがとうございました。