平手はただの表現力が飛び抜けたセンターではなくて、秋元の寵愛を受け、楽曲の選定やライブの演出やセトリにまで関わるほど、欅坂の世界観そのものを作り出しているような存在だった。運営の大人たちまでが一番年下の少女に依存している異常な状況の中で、それに抗うの並大抵なことじゃないけれど、その状況に違和感を感じて小林は最後まで平手を追い越そうと努力を続けてきたからこそ、欅坂最後の舞台でセンターにいるんだと思う。
平手に頼りきりだったメンバーを批判する人もいるけど、結局彼女たちに「平手しか認めて貰えない」という恐怖心を与えたのは、平手センターを期待してた私たちファンであること忘れない で欲しい。
実際はそんなことなかったと思うんだけどね。ぺーや尾関がセンターでもファンはそれを受け入れたでしょう。応援する人はするしそれで応援しない人はしない。選抜から推しメンが外れても暴動すら起きないのだから。運営が平手を変えることに臆病だったと思う。
そうなんでしょうか?ライブで平手の代わりにセンターをやったときも一部の信者やアンチを除き多くのファンは好意的に受け止めていたと思います。変化を一番恐れていたのは大人たちのような気がします。
@@藤咲純-v3j さん、僕もそう思いますね。平手さんがいなかった2回目のアニバーサリーライヴ、全部見たいですもん。欲を言えば、全員に1回はセンターをやらせてあげて欲しかったですね。
自分が思うに、運営の人たちが実際に何歳くらいなのかわからないですけど、運営の人たち自身が大人と呼べるほど成長してなかったのではないかと思います。こういう若い女の子達を担当するということは、彼女たちの「人生を預かる」ということだと思います。そういう意識を持てるほど大人だったのか?違う気がしますね。そもそもそういう人格の人たちではなかったのかも知れないですが。社会でも企業でも、部下や若い人を守る方法を自然と知っている人もいれば、全く検討もついてなさそうな人もいますし。
この映画で小林、菅井、小池がめちゃくちゃ魅力的に感じた。
平手は天才だけど繊細な性格を持ってたんだなと、、それをサポートしきれなかった周りの大人に少し腹立たしくなった。
同感です。自分は特に小池さんの姿勢に胸を打たれました。
平手さんと全く同じ物はつくれなくても、別のベクトルでなら同じ土俵に立てるんじゃないかっていう前向きな判断というか決意があの時のグループの内部状況でよくできたなと思いました。結果として、今ではセゾンは小池さんの代名詞ですし素晴らしいパフォーマンスとして出来上がっていますから、自分の中で小池さんの株爆上がりでした。
僕は数ヶ月前から平手に「欅坂にいて楽しいですか?」と聞きたいと思っていた矢先、平手からメンバーへの問いかけでとても心に響くものがありました。
グループの方向性がわからない、その事でメンバーの熱量にも差が出る。
これが華々しいデビューの代償なのかな。
乃木坂も最初はAKBのライバル、みたいな変な立ち位置与えられたけど、自分たちでAKBとは別の清楚さみたいな方向性を自分たちで「作っていった」
けやき坂、日向坂はもっとわかりやすい。
逆境で大人たちも方向性がわからない中で自分たちでハッピーオーラという方向性を「作り出した」
だからこそ、全員が同じ方向を向けたんじゃないかな。
大人たちに従うな、と謳った欅坂が結局1番大人たちのエゴで作り出した方向性で売れてしまい縛られてしまったのが皮肉でしかない。
本当に報われて欲しい。
TAKAHIROさん聖人だな、と思いました。みいちゃんが泣いているところに寄り添って、みいちゃんの不安を頭ごなしに元気付けるのではなく「僕の意見いいですか?」とあくまで一つの意見として励ましている場面がすごく印象的。信者になってまう。
ファンと欅のキャッチボールが出来ていないという話、凄く共感しました。
そして映画内のインタビューで平手が一切語っていない、語るメンバーも全員じゃない、というのも違和感を感じました。
結局、メンバーに寄り添っていた「大人」はTAKAHIRO先生だけだったのかなて思いました。
メンバーに平手さんがやりたくないと言ってるから中止とか、できないと言ってるから今日の公演は欠席と説明しているチーフマネージャーや運営のお偉いさんに違和感を受けました。欅坂46における大人の役割ってなんだったのか?
監督はTAKAHIROさんにした質問を運営の方々にしていただきたかったです。
大人が最後まで平手さん依存から脱却出来なかったことが、このグループの不幸だったと思います。
@@小川孝弘-g5w 今野がけやきに選抜制を取り入れ、「欅って書けない」で発表までしたのに、なぜか覆されたんだぞ。今野より秋元康の力のが強いんだぞ。今野に聞いてもダメ
大人に抵抗する歌を歌ったり、そういったイメージで活動する中で、実際にはいわゆる大人の言う事を聞いて活動しているということの違和感やズレが次第に大きくなったのかな…と改めて思いました
欅坂好きだったけど、大きい精巧なハリボデを見てるようだったね。
大きいし精巧な作りだけど、どこまでいってもハリボデだから近くで見れば違和感を覚える。
それに気づく人と気付かない人とで温度差が余りにも大きすぎたよね。
ショーとして、ビジネスとして、神格化してパッケージ化するのは必要だがあまりにその裏側との乖離があったり、中身が伴ってないのはかなり致命傷だったね。
発煙筒事件から明らかに異常をきたしていたわけでそれまでは握手会も
参加したり冠番組でも屈託のない笑顔は平手にあった。
メンバーや平手に思い出させないように事件をスルーしたのかもしれないが
あの事件に全く触れないのは疑問だった。
でも事件に触れたらその後も平手を使い続けたことはある種の虐待と変わらないように見えるしね。
メンバーの今後は基本的に楽しい活動であってほしいし、人生も。
映画で平手友梨奈が握手会でファンに殺されそうになった襲撃事件を入れなかったのは違和感を感じました
当初は笑顔で活動してた彼女が心を閉ざしたのはあの事件の可能性が大きいのにドキュメンタリー映画ならそれも伝えるべきだったと思いますし
平手が紅白の楽屋で欅坂を辞めたいとメンバーに伝えた時に
「みなさんは欅坂で活動してて楽しいですか?」とメンバーに問いて言った言葉は少なからずも握手会襲撃で殺されそうになった平手友梨奈の心の崩壊を表してた口調だったと思います。
欅坂のキーマンである一部の卒業生(今泉・志田・鈴本・長濱・平手)のコメントを聴きたかったな。ターニングポイントは2017年夏~2018年初頭だったのは沿革やブログ、週刊文春報道から分かってるわけだし。
Broadcast103166 ネルとかにに関しては、大人もやり方じゃない?
志田、鈴本とは少し違うと思う
あと、グループに入る前にAKBグループ見てて、大人の事情その他云々は
分かってたと思う。
忍耐とか足りない部分が多いののもあるのでは?
平手も自分に依存されてそれも嫌だったんだろうなと思った。文春にあんな風に書かれてたのに今泉兄の証言では平手と志田は良き話し相手って言ってたのもずっとよく分からなかったけども、繋がってそこはすっきりしたw
ほんとそれ
一般人になった米さんや、制作時に休業していたねるは無理だったかもしれんけど、卒業生の在籍当時の姿勢とか思いが語られて居たら、もっと見方が変わってくると思えた。
みんなが平手に対して肯定的な言葉をかけている中、小林だけ「みんなと考えが違うから言えない」。
多分小林は平手に感謝こそしているけど、きっと肯定的な感情じゃない部分もきっと大きい。でもメンバーが平手平手言ってたからその雰囲気はきっと壊せなかった。そして多分それは今泉にも言えたこと。(あくまで想像)
小林今泉みたいに、自分の思いをきちんと持っているメンバーが他にもいて、そのメンバーの思いをもみ消そうとする雰囲気が欅坂メンバー内に無ければ、多分こうはなってない。
守屋のインタビューにはつくづくため息だったし、平手だからバックダンサーでもいいと思えたなんてあくまで副キャプのお前が言うなよって感じでした。
小林と今泉の分析も納得。
欅坂というゲームは平手友梨奈しか勝てないゲーム。というのを悟ったのが今泉。
小林はなおも内部から変えようとしているのだと思う。
最終的に特定の誰かにヘイトが行くような
ドキュメンタリー映画だが
それもヘイトをも金儲けに利用しようとする
徹底した秋元康プロデュースグループだと思う。
仮にメンバーの誰がが取り返しのつかないことをした場合、
無責任な大人たちは誰が責任取るのでしょうか?
メディアは、木村花さんのように
ファンの責任にし、
大企業護送船団軍は
誰も秋元康やSONYレコードの責任を追求しないでしょう。
腐ってます完全に。
ジャニオタの友達と映画観に行ったけど、「ライブに対する姿勢が狂ってる」って言った。「ライブは来てくれるファンに楽しんでもらうためにするものでしょ。あんなの(東京ドーム公演)は、ライブじないよ。てちがいないとできない(初期のライブ)とか、苦しそうに直前まで首ふって(ドームのてち)、なんかおかしい。誰のためにやってんだろ。何から何までアイドルとして異常。ファンのために頑張ってる人もいるかもだけど、目立つ人の言動が総意になっちゃうからそういうのほんとやめた方がいい。応援してて辛くなることばっかりじゃないの?推しの幸せがファンの幸せでしょ?ちゃんと幸せ?」と言ってた。
結構、確かにって思った…
映画を見るまでは裏側なんて知らないんだからそんなこと言われてもね、、、むしろ、裏側を見せるための映画なのに、、、
ファンではないから観たことはないけど、akb48も乃木坂も
裏では辛いことがたくさんあったと
ドキュメンタリー映画であったと聞いたことがある。
ジャニーズの映画があるかは知らないけど、ジャニーズはそんなに裏では
苦しい思い無しで挑めてるの?
それに、推しの幸せがファンの幸せ
かどうかは人それぞれだと思う。
もしみんながそうなら、嵐の二宮結婚であんな炎上するわけないからね
問題提起をして終わらせるというのが、しかも現メンバーやTAKAHIRO先生のコメントのみで終わらせるのがなんとも責任放棄ではないのかという気がしました。あくまでエンタメで主人公は平手であり欅坂のメンバーなのは分かるのですが...
運営は人としてどうなの?コメントはないの?と感じる映画でした。
改名してもまだ続いていくため欅坂について話すタイミングはよく考えないといけないと思いますが、やはりこれだけ追い詰められているのですから大人が説明しないのはあまりにも酷いのではと思いました。
そもそも平手ありきのものを作ってきて、平手が出れなかったらお前ら平手なしでは何もできないのか、は自分たちの責任をアイドルに押し付けすぎ
楽曲に罪はないとは思うけど
欅坂特有のダークな曲やアイドルらしくないパフォーマンスは
グループとしてのチームワークや雰囲気も変えてしまったんじゃないかと思ってしまう
メンバーのメンタル面の弱さもあると思いますが私は大半は運営や上層部の責任と考えています。
芸能界に入ってすぐのメンバー達、確かに覚悟はしてきていると思うけど1枚目が予想以上に伸びた、それによって負担も大きくなり、平手にも依存していた。その時の映画での偉い方のセリフ。あれは正直モチベーションをあげるための言葉には思えない。あの映画が全てではないことは分かりますがもう少しあの場面でかける言葉はあっただろうしあの時に平手がいないと何も出来ないとか言うなら自分たちも少し試して見ることも出来たはず。
結局他の可能性も見いだせず平手に負担をかけ、脱退、改名。更には今度発売されるアルバムの収録内容変更。各部門ごとに分かれてたとしていても運営がここまでだと
メンバーが可哀想に思えてきた。
守屋の平手のバックダンサーでもいい発言は自分よりも才能がある人が前に立つべきだっていう運動部をしていた守屋なりの考えだとは思ったしそれほど失望はしなかった。それだけ平手がすごいんだったんだろうなとしか思わなかった。
正直不協和音は見ていてなんか怖くなってくる楽曲なので殆ど聞いていないけどメディアもあの曲で騒ぎすぎたのもあるんじゃないのかな
長文で申し訳ありません。どうしても自分が思ったことを書きたかった為長くなってしまいました
この動画を見て今まで感じてた違和感を具現化できたと思う。
これまでずっと欅坂46のオタクとして応援していく中で平手の行動や、それに対するファンの行動に違和感というか、このままでいいのかなって感じてた。だけどライブに行くとやっぱり平手のパフォーマンスはかっこよくて、魅力的で、引き込まれるものがあって、だからこそ平手一強になってる状況に見て見ぬふりをしてきた気がする。これはファンだけじゃなくてメンバーも同じだと思う。ずっとセンターを任されてきた平手を神格化して何をしても「平手だから」と許してしまう空気ができてたんじゃないかな。そんな空気が平手は嫌だっただろうし小林のような本気でセンターを狙ってたメンバーも嫌だったと思う。平手には勝てないっていう半ば諦めのようなものがメンバーにあったから緩い空気ができて不祥事がたくさんあったりしたんじゃないかな。
こんな事態に陥ったのは平手に全てを背負わせた運営のやり方に責任があると思うし、改名してからはこんな失敗をしてほしくない。2期生が新しい風を吹き込んでいい空気ができてほしい
菅井に「平手、もっとしっかりしてよって思わなかった?」っていうインタビューされてちょっと間があったのが印象に残ってる
遅ればせながら失礼します。
自分はコロナ禍(20年4月)に欅坂を知り、そこから欅坂の変遷を可能な限り調べ、ラストライブ、映画を拝見しました。それまでアイドルとは無縁だったのですが、『黒い羊』を聴いた時に自分のこれまでのアイドルのイメージ、偏見を綺麗に壊されたのを強く覚えています。
映画を見て最初に出た感想は『この子達は何をモチベーションにしてアイドルをやっていたんだろう』というものでした。
基本的にアイドルは自分がセンターに立って人気になることが大きな目標としてあると思うのですが、主の言う通り、欅坂は『平手しか勝てないゲーム』であり、ほかのメンバーがどんなに頑張ってもセンターにはなれず、自分の存在に価値はあるのかと不安になってしまうのは容易に想像できます。特に19年のツアー、避雷針で平手が復活した際の歓声の凄まじさを聞いた時に、自分のファンであっても求めているのは私ではなく平手なのではないかと感じてしまうのではないかと思いました。この悩みがあるが故にアイドルなんて、と考えて男に走ったりしてしまったのかなと。
ただ、そのなかでも最後まで戦っていたのが小林だったと思います。ほかのコメントにもありますが『私は他の人と考えが違う』というコメントは自分もよく覚えていますし、周りが次々と諦めていく中、この絶対的に不利なゲームに5年間本気で勝ちにいった。それ故、最後にセンターに立っていたんだと思います。
ゆいぽんとずーみんは間違いなく強かった、てちに真摯に向き合ってた、確かにルールは悪かった
不協和音のイントロが流れて凄まじく湧く会場と、それに比例するような苦しみ方を見たときにグロいなエグいなと。
人間見習い 表現は良くないが不協和音をのイントロで湧くファンを見て怒りというか侮蔑、軽蔑に似た感情を覚えた。人が苦しんでるのを嬉々として喜んでる姿に戦慄が走る。
Eag Rap 運営の思惑通り、ファンは熱狂してましたね。あれで熱狂しない方が無理があります。そういう演出でした。結局はファンも運営の思惑通り踊らされてたってことです。私もあの場にいましたが、平手が無理やりステージ上に引っ張りだされてたなんて想像もつきませんでした。それほどの圧倒的なパフォーマンスでした。
同時に、自分が盲目な「信者」の1人であったこともこの映画で痛感しました。
MV撮影ってものすごいお金かかるって聞きました。10プではそれが平手の当日欠席により全てチャラ。それも「曲を表現出来ないから」という凡人には理解できない理由で。メンバー、特に初のMVに参加出来た二期生はすごく悔しかったと思うよ。
私が1番引っかかったのは、運営の大人がそのことをなんの躊躇いもなく平気な顔してメンバーに伝えてた場面。
平手1人の都合でMVチャラにさせといて、「欅坂が解散に近い状態になってしまったのは君たちの気持ちがそうなってるから」だって。めちゃくちゃ気持ち悪いと思ったし、情けない大人だなって思った。
結局、平手がいなきゃ成り立たないグループにさせたのは運営の大人たちだよね。
その通りだと思います。監督があえて、振付師であるTAKAHIRO先生に「大人の役割とは何か?」とインタビューしているのは、運営の大人に対する皮肉ではないでしょうか。秋元と関係が深い平手が様々な決定権を持つことに対して運営が正しい対処することができなくなったことで、それを間近に見た1期生たちの心が闇落ちしていったように思います。櫻坂ではしっかりとした「プロ」としてのマネジメントをお願いしたいです。
舞台裏の生々しい辛い姿を映画で観て、美化のひとつとして捉えるのは個人的に気持ち悪かったので、納得するコメントありがとうございます。受け手がいろんな思いになる映画だと思いますが、とても見応えがありました。
私はきっと欅坂の「ファン」と呼ばれる人の1人であって悪くいうと「信者」の1人だと思う。
だからぱくゆうさんの言葉を聞いてすごく刺さったし冷静になれよって言われた気がしました。
東京ドームの1日目にあの不協和音のイントロが聞こえて来た時、私は正直またメンバーが辛い思いをするんじゃないかと心配になって、曲が進んでいくと同時に苦しそうな友梨奈ちゃんの姿何かを伝えようと真剣なメンバーを見て涙が止まらなかったです。ここまでして伝えようと思わせてしまったファン私たちに大いに責任はあるしSNS等で言葉を発していなくても、見ている私自身が子供だからとか関係ない。
井の中の蛙。アイドルの中で表現するグループだった。それだけを過大に評価して過大に期待をしていた。もう一度映画見直したくなりました。「信者」ではなくてメンバーの力になれるファンでありたいと思いました。もっと冷静になるべきだったんだと思います。見ている距離が近すぎたんだと。。
短命でも美しかったから惹かれたんだと思う、確かに倒れすぎだけど…
責任を負うべきは大人、は激しく共感
AKB→乃木坂とは違う売り方を作り出すチャンスを逃したな
ぱぅゆうさんの率直な意見と誤解のない語り口は天性のものですね。音楽だけでなく自由に思いついたことを発信してほしいです。平手友梨奈についてメンバーの齋藤冬優花が平手脱退後のブログで「平手の頭の中にあったやりたいことを全て叶えたかった」と書いていますが、私も同じ気持ちです。平手は常にグループの演出や未来について考えていて、それが一番楽しいことだと公言していたし、本人も行き着くところまでやらないと納得できない性格なので可哀想という感想は持ちません(創作したりステージに立つ人間には稀にそういう人がいると思います)先日のFNS歌謡祭での森山直太朗さんと平手友梨奈ちゃんの圧巻のコラボを見てさらにその気持が強くなりました。
メンバーが平手平手じゃあこのざまになってしまうなって思う。1人に依存し過ぎ。今泉がセンター目指してたけどこのメンバー内の雰囲気では文春で書かれたような事が起きてたとしてもおかしくないとも思った。暴言かもだけど、腐ってる組織の典型…
欅坂は、多くの秋元グループがある中で、各グループの色分けや住み分けを考えざる得なくなった結果の実験モデルだった感じがします。
けれど欅坂は、短期間でファンや特に多感な青春時代を過ごす方々に、強烈な印象を与え、少女たちが見せる一瞬の輝き煌きを見せてくれました。
延命が続くグループよりもすがすがしくはかなげで、よい意味での成功例となったグループでもあると思います。
平手がやりたくないから、平手が納得できないから中止など、普通ではあり得ないことが平手だから許されていた。特にPV撮影に来なくて、監督が菅井に「もっとしっかりしてよと思わなかった?」と聞いて、それに対して思わなかった菅井に衝撃を受けました。そんなことが当たり前にまかり通る程平手中心だったんだなぁと感じます。
結局メンバーの本心はわからない
確かにファンが欅坂に無意識のうちに重圧を与え傷つけたことはわかった。
でもあの映画からは結局メンバーや大人が何をファンに伝えたいのかわからなかった。平手友梨奈が伝えたいことは何か、メンバー全員の気持ちを知りたかった!正直何を得たのか分からず結局欅坂の核心がわからない映画でした。
ただただメンバー全員が被害者だった。
共感する点が多い感想でした👏🏻
東京ドームの不協和音、角を曲がる前の平手の様子が特に衝撃的でしたね……大人に引きづられるようにステージに上がっていく姿は正直辛すぎて見ていられなかったアンコールの声も凄く怖く感じました
あと、君は君らしく とか 意志を貫け とか歌ってる割にメンバーが受け身すぎてガッカリしました 平手が出られなくなったら自分がセンターを務めようとかいう強い意志の子居ないんだなと 周りが平手を神格化しすぎたのもあるのかみんな自分に自信が無さすぎるのが欅の問題点だし今後の課題のような気がしました
ただ、最後のコメント撮りでゆいぽんが 自分は他の子と違う思いがあると思うから言えない って言ったのがとても気になりました ゆいぽんは何を思ってるのかな………………
ファンとしては、それは違う!と言いたい気持ちもあるのに、認めざるを得ないというような意見が多々ありました。私は映画を見るたび、果たして応援し続けることが、グループのパフォーマンスを求めることが良いことなのかわからなくなりました。
小林、今泉についての考え方や、楽曲がパフォーマンスや映像に伴っていない(少し言い方が違いますが)という考え方にすごく納得がいきました。
欅坂46に関わらず、主に秋元康がプロデュースするアイドルは裏側までも作品に仕立て上げる傾向がありますし、秋元康がプロデュースするアイドルを好きになるファンもまたそれを求めてしまうというのが、人として良くないのかもしれないと思いました。
倒れたり、怪我をしたりすることが多かった平手はデビュー当時14歳で、初めて飛び込んだパフォーマンスの世界で自分のコントロールが効かなくなったのだと思います。ぱくさんは、メンバーを守れなかった運営に問題があるとおっしゃってますが、ファンもまた同じ気持ちです。
ただ最近のインタビューで平手自身が、映画を見て周りの大人を責めないでほしいと言っています。だから運営を責めるなというのではなく、平手が100%やらされてあそこまで疲弊したと受け止めず、平手のパフォーマンスへの熱意が確かにそこにあったことを、ファンじゃない方にも知ってほしいと思います。
ファンとメンバーのパフォーマンスとのキャッチボールができていないというのは、指摘されて初めて気づいたことでした。ファンとして情けなく思います。応援の仕方で、彼女たちを守れたのではないかとも思います。不協和音のイントロ、角を曲がるのイントロが流れた瞬間の歓声は、外から見たら恐ろしいものであったかと思います。
メンバー全員の気持ちはわかりませんが、メンバーのインタビューでは「ずっと不協和音をパフォーマンスしたかった」「欅坂46らしいライブができて嬉しかった」というようなことがよく聞かれます(東京Dについてのインタビューに限りません)。グループが届けたいものを、作り上げた作品をしっかり受け止めてその感想を届けるのがファンだと思うので、グループが届けたかった不協和音に対してあの歓声が起こるのは、間違ったことではないと思うのです。少なくとも、平手以外のメンバーに対してのファンのあり方は、正しかったと思っています。平手友梨奈がいる欅坂46を、ファンとして守っていけるような応援の仕方ではなかったかもしれません。
長々と書いてしまいすみません。個人の意見ですし、ファンとして欅坂46を追い詰めてしまったことを弁解するような見苦しい文章になってしまいました。
映画からは、ファンはこれで良かったんでしょ?というような皮肉も感じたような気がしました。新グループを応援するにあたってファンとしての応援の仕方もまた改めるべきではないかと思います。
ゆいぽんがずーみんのことについて喋ってくれたのが嬉しかったです。
私は4年近く前にたまたま歌番組の再放送で欅坂46を見て初めてアイドルに興味を持ちましたが、未だに「アイドル」の定義が解りません。一つだけ解ったことは、未成年であった彼女たちは責任ある大人が守らなければならなかったという事です。大人は子供たち自身の行動からも子供たちを守らなければならない時があります。それが出来ていないように見えたのが残念です。
2日前に映画見た者です。この動画を見て、ずっともやもやしてたものがだいぶスッキリした気がします!
正直、映画を見ていて涙が止まりませんでした。苦しむメンバーをみるのが辛かったからです。
『平手は凄いなぁ、私はあんな風にはできない。』じゃなくて、『平手は凄いけど、私も平手に負けないような人にならなきゃ』って多くのメンバーが思ってくれれば、今のような状況にならなかったのかなと思います。多くのメンバーが前者のように考えてしまったのは、運営やメディアやファンの影響もあると思いますが…
とにかく、平手や欅坂のメンバーが報われてほしい限りです。
熱狂的なファンの意見ばかりコメント欄で目にして時に違和感を感じていたのですが、その違和感の答えがここにありました。言語化能力素晴らしすぎる、、。
これまで良くも悪くもいろんな感情と戦い続け、時には涙を流すような日もあったと思うのに、それでも見てくれる人に届けようと形は変わろうと前向きに頑張ろうとしている彼女たちには、ただただ感謝の気持ちしかないです。
映画の感想としては大きな図式の作り方、その展開の仕方、展開をつなぐ編集力がかみ合っていて、高橋監督さすがだなと思いました。
その上で言えば、欅坂を語る時に、➀肯定、②いろいろ分かるけど肯定、③いろいろ分かるけど苦言、④苦言…があるとして、ぱくゆうさんが③だとすると、自分は②みたいな感じですかね。
なので、同じことを逆側から言ってる感じの語り方になるんですが。欅の楽曲は大人的には「劇」のつもりだったが、本人たちが「劇以上」のものにしようとしてしまった。そこで大人は軌道修正を図ろうとしたが、一度ついた火は消せなかった。でも、劇以上の異様な熱量を帯びていたから「ドルヲタ村」の外の人間も巻き込む熱狂が起きた(自分も元々アイドルファンではなかったし)。「面白い少年マンガ、しかもこれ現実、ヤバくね!?」みたいになった。
もちろん、これはやばいことだし批判されてしかるべきですが、自分はアイドル表現の歴史に「ヤバい作品・映像・伝説」が残るのは「よいこと」だろうと思い肯定してきた。長くはもたないだろうけど、もつ間は、「残せるだけ残せ」と思い支持してきた。メンバーもしんどいだろうが、後で振り返った時には、ヒット曲最低2曲、ミリオン達成、紅白4回、ドームで公演…なわけで幸せだろうと思う。また、運営側も新しいものを作るわけだから「え?これどうすんの?」の連続だったでしょうし。もちろん「だからいいのだ」と開き直れることではなく、批判されるべき・反省すべきなのはそのとおり。罪の意識も持つべきだと思います。あと、おっしゃるように、欅独自のシステム&カルチャーを作れてなかった。AKB・乃木坂流れの既存のモノの上に新しいモノを乗せようとしたので、ゆがみがひどかった。それはそう思います。
なので「誰鐘楽曲分析」のコメント欄にも書きましたが、今後は、「安心安全&ある程度の高品質」がベースになるかなと思います。真摯な分析で、とても良い動画だと思いました。
映画とかぱくさんの意見とか色々含めてやっぱり改名が1番正解に近い決断なんじゃないかな〜ぱくさんも言ってた通り正解例じゃなくて失敗例とするなら改名を気に修正出来ることもあるだろうし、平手って言う絶対的センターがいない中でどう欅坂の皆が活動していくのかってのも楽しみです。特ゆいぽんと天ちゃんの活躍ですかね最近フォーカスされる事が多いし
ステージから見せてくれるものに対しての客席の反応の話とても納得です。
私は初めて欅坂を見に行った時、コールなんてできませんでした。周りは沸いてるけど、そんな余裕なくて、ただ彼女たちのパフォーマンスに引き込まれて。
ずっと棒立ちでステージを見て、ノリが悪いと周りのファンに思われてるだろうなと思いましたが、私にとっては正しい見方だったんだなと安心しました。
二人セゾンの演出と歌詞が未来を見透かしていたように、ここまでは大人も子どもも同じ方向を向いていたのかなと思います。
サイマジョに比べたら不協和音は見せ物にしか見えないし、その後二人セゾンに二度と戻ることはなかった。
花のない桜を見上げて、満開の日を想ったことがあったか...。
櫻坂ではどんな桜が見れるのか。いろいろな桜にスポットが当たってもいいと思う。
ドキュメンタリーとはいえ、運営側から出ているものなので基本的には出したい/だしてもいい情報しかでていないことには留意が必要。
AKBのドキュメンタリーからなんとなく見続けてるけど基本的には変数が変わってるだけで数式自体は変わってないってのが率直な感想で、実際ぱくゆうさんの感想も過去のAKBドキュメンタリーできいてきたものとそう変わりません。宇多丸さんなんかもおなじような評をしていたと思います。
映画自体はそれ以上のものではないのかなぁと。
@@kk-km2ms
まぁそうですねえ。
例えばモーニング娘のシングル「ふるさと」は安倍なつみセンターでほぼ彼女のソロ曲のような構成で他のメンバーはものすごく不満そうな顔を見せていました。しかしなっちの頑張る姿、センターの重圧、まわりへの気遣いなどを見るうちにメンバーたちの気持ちはなっちを支える方向へ変わっていきました。
こういう話はAKBにも乃木坂にもあって今回も、メンバーが違うので当然リアクションの違いはそれぞれにあるが、似たようなことってあったよね?って話。
そして全エピソードに既視感がありました。
平手の精神が病んでいくドキュメンタリー映画。メンヘラを柱にせざるを得ないグループは沈む船、私は二人セゾンまでのシングルが好きだった。10代の若者で精神のコントロールはむずかしいです。
運営が欅坂という作品を作るという気持ちを先行した結果、その間にいるメンバーという生身の人間を考慮しないで進めて行ってしまった。そしてその象徴をより象徴として強くしてしまい、周りの責任感欠如にも繋がったと思います。
小林由依と今泉唯のシーンをどう捉えていいのか分からなかったので、面白かった。
実は、映画で一番驚いたのはライブの歌声です。
「あ、こんなにちゃんと歌ってるんだ」という驚きです。
DVDではかなり修正してますよね?
それと、私は平手友梨奈アマチュア説を唱えていて、MLBのテクニックやパワーにないものが日本の高校野球にはありますよね。平手さんは1試合で200球投げるエースのようなものだと感じていました。
(脱退してから、プロっぽくなったなとも感じています)
200球投げさせる監督はどうかしているし、それを商売にするのも問題だけど、それに感動している私にも問題があったということか。
このアマチュア説?の中身はすごく共感。
単なるダンスや魅せ方の上手い下手ではなく、身を削って、命を燃やしてるからこその「何か」を感じさせてくれる子だなって見るたびに感じますね。
たとえばだけど、燃やしたりするのに関してもそれを管理するのがプロですからね
本当に燃やしてはいけない
どれだけ燃やして見えるか、倒れるにしてもそれを演技でやるとかね
本当に倒れたらそりゃいけないよという話で、そのためにはそれほどの期間とかが必要ですからね
肉体だって改造していくべきですし
ファンはそれを求めていたなら、やはりファンも狂ってたのかなとはおもうわ
2018年の武道館飛ばしで小林と志田がブチ切れたようだが、他のメンバーは平手なしでやって行こうと思わなかったのが残念でならない。
当時のけやき坂が武道館3dayライブをやったのに観覧したのはその小林志田と長濱の3人だけというのも・・・
山田太郎
映画には出てないけど、本当は欅坂の歴史の中では避けられない話のはず。
この話を運営が出したがらないのは、平手が出られないことは前から分かっていたにも関わらず、当時のひらがなけやきでは武道館3日間を完売させられないから、欅坂の名前でチケットを売った詐欺的な行為を責められたく無いためとしか思えない。
運営の都合の良い部分しか出さない公式映画の限界を感じる部分ですね
Hiro Miz
なるほど、そういった裏事情があったのですね
ちなみに小林、志田がキレたというのは事実ですか?
事実ならキレた相手は運営ですか?それともメンバー?
あっ、なんか質問ばかりですみません
五角形の話は本当にそう思います。
自分の中ではサイレントマジョリティーと黒い羊以外はそこまで響かない楽曲だと思っているのですが
ファンがどんな曲に対してでも熱狂しているのには違和感がありました。
ただ、楽曲の完成度がそこまで高くなくても、ファンが熱狂し魅了されてしまう曲にしてしまうのが
平手のパフォーマンス能力であり、平手でしか出来ないことなんだと思いました。
特に不協和音は音源が解禁された当初はそこまで人気はなかったですが
MVやライブで披露されるごとにどんどん記憶に残る曲になっていった印象です。
メンバーの休演について。
AKB48や乃木坂46はある意味学生スポーツに近い形であるのだと思う。それぞれの楽曲やパフォーマンスはある意味典型的なアイドルらしいものであり、メンバーの活動もアイドル卒業後を見通したものであると言える。メンバーをどんどん代えていく一方、ある程度グループの枠を越えた活動も重視されていた。例えば、グループのライブ欠席理由として体調によるもの以外にいわゆる「外仕事」、例えば舞台などの仕事も多い。時には欠席ではないがフォーメーションや歌割を入れ替えて披露することもあり、そこで代役がいかに見出されていくかも含めて醍醐味でもあるのだと思う。加えて、卒業制度を持つ以上、柔軟な運用で楽曲を歌い継いでいくためにも代役を立てやすくするシステムについて私はおかしいとは思わない。
しかし欅坂46は、平手友梨奈をあまりにもフィーチャーしすぎ、アイドルとしては世界観を作りすぎたことで代役が効かなくなった、代役が効かないから平手を強行出演させざるを得なかったという負のループに嵌っていったのも事実であると思う。
欅坂46は、秋元系アイドルのシステムの限界を示したのではないだろうか。すなわち、代役を立てられないまでに作り込みすぎたが故に、永続しないグループとなってしまったといえる。
若者を扱うビジネスであるが故に、メンバーを駒としか考えられなくなっていたと見られても仕方がない。仮想と現実のモザイクの中で、メンバー達(平手だけではない)を壊していった事実を認め、方向性をもったグループとしての再生を願う。
自分も、パフォーマンスに圧倒されるだけで、好きなだけだった、こんなに苦しい状態の彼女たちに寄り添えていなかったと思います。
彼女たちはつぶれそうな状態でずっと走ってきたんんだなと映画を観て感じました。いい環境になるといいなというのと、みんな幸せになる道があればいいのに、と思いますが、無力です。
もしも一つだけ監督に質問できるのなら、「大人の責任とは何か?」という質問をTAKAHIRO先生以外にもインタビューしたのかどうか聞いてみたい。
欅坂の運営が平手を頂点とする序列を作っておきながら、いざ平手ができないとなったら、その代わりをいきなりメンバーたちに求めたりして、本当に気持ちの悪い大人にしか思えなかった。東京ドームのアンコールでもあんな状態なのにステージに立たせるとか、正直この大人たちは狂っている。秋元グループの選抜は運営が選んだ容姿選抜なので、全く不公平だし、顔は変えられないのだから、自分はセンターになれないと早々に諦めるのも理解できます。
不協和音みんな大好きだよね、私はイマイチ好きじゃなかったんだけど…。
好きじゃない理由がパクさんのコメント見て、自分の中でも納得できました。
平手さんのバックダンサーとしてパフォーマンスをするのも、平手さんからセンターを奪うくらいの気力でパフォーマンスをするのもそれぞれのメンバーの精一杯、一所懸命なのだなと感じました。
小林さんは平手さんからセンターを奪い彼女をセンターの重圧から解放しようとしてて、それが叶うことは無かったから皆とは意見が違うと表していたのではないかと思いました。
いわゆる「信者」でない立場だからいえるというか、とても共感しました。ただ、辞めたメンバー、運営、プロデューサー、ファンの誰もが「どうして良いかわからない。どうしたいのかもわからない(口に出して良いかわからない)」という雰囲気を作ってしまったのかなと、改めて思いました。
ファンもそれなりに戦っていたと思われます。というかそう思いたいです。紅白が不協和音だと発表されたとき、ファンからは喜びの声もあれば戸惑いの声や心配の声も見られました。欅坂のファンは面白いくらいに皆が色んな意見を言っているファン層だと思っています。欅坂の違和感について考察するファンや、自分が応援することで欅坂46の皆が苦しむことに葛藤しているファンもかなりいます。たくさんの価値観を見られる場です。でもやはり、結局欅坂46がとても好きでハマっているので、お金を払って求めてしまうし、パフォーマンスを見ると高揚してしまうんですよね…。ファンとメンバーの距離感は感じているところです。ファン側に「見させてもらえるだけありがたい」という気持ちはあるかもしれないです。
欅も平手も好きやけどメンバーとかファンとかが平手や不協和音を神格化してるのがめちゃくちゃ嫌いやったわ。
私も先日欅の映画を観てきました。
映画を観ていて苦しくなった自分の幻聴だったのか分かりませんが、途中の不協和音のライブ映像でメンバーの悲鳴が聞こえてすごく怖かったのが印象的でした。
普段のライブ映像では聞こえない声なども聞こえて生々しいな、とも思いました。
平手さんが舞台から落下し、その後のセゾンのソロで誰も踊ろうとしない中、小池さんがメンバーにマイクを押し付け、前に出てソロを踊ったシーンはこの映画を観た中で1番心に残りました。
平手さんが急遽ライブに出なくなった時、メンバーは同様し、それでは自分達が踊る、歌う意味が無いと言い続け、欅坂とは平手ソロのものだったのか??と思っていた矢先、次の不在で小池さんただ1人、前に進み出たメンバーがいてとてもかっこよく見えました。あの時の表情からして小池さんはとても辛く、悔しかったけれどもやらない以外の選択肢はなかったのかもしれないと思いました。
平手さんが務めるセゾンのソロも好きですが、小池さんの務めるセゾンのソロはとても強くてかっこよく、平手さんとは違う美しさがあってとても好きになりました。
平手さんがいる、いないでメンバー内が割れていた中、行動に出た彼女は1歩確実に誰よりも平手さんに近づいていたのではないかと感じました。
平手友梨奈を絶対的エースにしたのは私達にも責任があったと思います。だから尚更、次の櫻坂ではメンバーそれぞれが個性をめいいっぱい表に引き出せるそんなグループになって欲しいと思いました。
最後に、途中の守屋さんのコメントで「私は〜の意見側だったんですけどね。」という、自分はマジョリティ側だったの。っていう意思表示は見ていて心が苦しくなりました。
長々と失礼しました。
こんばんは、本日見てきましたのでこちらの動画、視聴させて頂きました。
欅坂はガラスを割れからのファンです。
私自身もういい年なのですが、仕事に対して【こんなに苦しんでまでする必要があるのか?】と思う時があります。家族との時間、健康や色々。
そんな重圧を、こんなに若い子たちがそれぞれ背負いながら成り立つものを、エンターテイメントとして認めていいものか、と映画を見ながら悩んでしまいました。とても客観的かつ、冷静に解説されている動画で、素直に共感できましたし、観てきてほやほやの頭が整理されていくようでした。
よく、【誰かが抜けたら成り立たない仕事は、組織体制自体に問題がある】と弊社でも言われることなのですが、まさにそれだったのかなと。しかもその中心の友梨奈さんが、責任感も強く、意識も強くあった。しかしもちろん年齢は若く、未熟な部分もあって、耐えきれないことも多くあったでしょう。
もっとそれぞれのメンバーの特性をマネジメント側が理解し、ヒアリングをしつつしっかりビジネスとしてサポートしてあげていればと思ってなりません。
映画を見て、尚一層、これからも欅坂を応援し続けたいなと思いました。
改名後は、もっと前述した点が改善され、皆がやりたいことを仕事として、楽しんで表現していけたらいいなと願っています。
良い動画、ありがとうございました!
私も同様の感想を持ちました。欅坂の問題はメンバーではなく、運営のマネジメントが失敗したことであると思います。新グループでは改善されることを願っています。
なんか見世物小屋みたいで心苦しかった
平手贔屓したらメンバーが腐る』てのは不協和音のときから結構言ってる人居た。
ずーみんが病んで休んでた頃には男作ってるメンバーちらほら居て内部崩壊してたんだろうな。
1番違和感を覚えたのは、平手友梨奈さんが倒れてライブに出れないとなった時に、今までひたすら平手友梨奈さんしか前面に出して来なかった運営さんが「居ないからダメだって言われて悔しいと思わないの?」と他のメンバーに問い掛けていたところです。
あとこのUA-cam動画の広告多すぎて少し見る気が途中で失せました…()
佐藤パパイヤ
僕はその言葉が薄っぺらく感じました。
「平手がいないとダメ」という環境を作り出したのは紛れもなく運営でメンバーはそれを受け入れて平手を引き立たせることに全力を尽くしたのに、いざとなると
「平手が居ないとダメなの?」という問いかけを運営がメンバーに投げるのは明らかに責任転嫁じゃないかって話だと思います。
ほんとに同感です。
平手を中心としたグループを作ってきた運営が、平手がいなくなった瞬間
「平手が居なきゃ何も出来ないって言われたら、俺は悔しい。」と。
起こったことはしょうがない。
でも俺らには何も出来ないから、お前たちでどうにかしてくれよ。
そんな風に感じ取れました。
運営は無責任です。
欅に感じてた気持ち悪さの要因を的確に指摘してくれてスッキリ、特に音楽的クオリティの部分はヘッドバンギングでうなずきたくなった
欅坂は、他にもいい子を育ってるのに世間体のイメージとして平手友梨奈のワンマンチームに思える。スタッフもメンバーも平手友梨奈に依存し過ぎた点が今の欅であると思う。もちろんそれに逆らっていたメンバーいたが、9割ほど依存状態であるかなと思ってしまった。
秋元康の最高傑作は平手友梨奈であるが。秋元康の最大の失敗作は欅坂46である。それを増強させたのがスタッフであり、マネージャーであると思う。メンバーは変わらないと生き残れないはわかってると思うが、スタッフやマネージャーがこのままじゃ行けないと思わなきゃ、改名しても同じだろうなと思ってしまった。世間的にここに平手友梨奈がいたらもっと良くなるなって思わせないほど、乃木坂、日向坂、48グループを超えるグループを作ってほしいと願うばかりです
メンバーの休演について、Happinessが2012年に杉枝真結さんの病気休業でツアー全公演中止になったことを思い出して確かに…と思いました。
メンバーの誰が悪いとかではなくて、それをコントロールするべき大人が欅をアイドルの枠から突き抜けさせることはさせなかった。と感じました。あくまでビジネスであり、アーティスト性を求めてたわけではなかった。当たり前と言えば当たり前のことなんだけど。アイドルの枠を飛び越え、最強のアーティストとなるという可能性、希望を見せてくれた、その姿をオンタイムで肌で感じられたことに感謝です。
結論として、エンタメはあくまでエンタメである。ということかな。欲を言えばもっとロックにやって欲しかった。
てち自身になぜあの時来れなかったのか、これなかった時の心境などインタビューが聞きたかった。
てちがますます分からなくなった。
黒い羊のMV撮影の最後に平手にみんなが寄り添う場面鈴本だけが立ち尽くしていた、またそうやって寄り添って、許してしまうの?ずっとその繰り返しでいいの?って思ってるのかな?って思いました
@@user-be5ox6tk3b ライブを当日休んだり、MVを撮り終わっても倒れたまま、9枚目の撮影にこない(黒い羊の後ですが)ことに、多くのメンバーは平手だからしょうがない、平手は大変だから、とか思ってた中で鈴本は平手がすごく大変なのはわかるけど、私たちグループだよ?みんなでライブや曲を完成させていいものを作ろうライブなどに平手がいなかったらまた同じことの繰り返しになると思ったんじゃないかな?という自分の考察です!
@@user-be5ox6tk3b 誰も悪くないし、誰のせいでこうなったのかとかではなく
強そうに見えて繊細な子たちだったんだなぁとかんじました!長々とすいません!
喜怒哀楽の感情が入り混じって、色々な視点で見れる良い映画でした。
自分は主体性を持てない側の人間なので、平手以外のメンバーに共感しながら見てました。
平手頼りで前に出ようとしない「サイレントマジョリティー」だった子たちが、
「二人セゾン」の様に自己表現できるようになって
いつまでも来ない平手の代わりに「避雷針」になってやると決意して、
最後に行き着いたのが「誰がその鐘を鳴らすのか」
欅の曲は平手が「僕」だと思ってましたが、他のメンバーが「僕」で、平手が「君」という視線でも見れる事を思い知らされました。
欅坂あんまり知らない中で映画見た感想としては、可哀想って思ってしまった。
私はアイドルなんて興味なかったのに、欅坂だけはすごく夢中になりました。いろんなバッシングもあったけどわたしには忘れられないグループ!
これまで欅坂に抱いていた違和感と、映画見た後のモヤモヤ感。全てスッキリさせてくれてありがとうございます!!!全く同感でした。
運営ってなんなんですかね?
ほんとに櫻坂のタイミングで運営変えて欲しいです。
この映画における真実とは舞台上での彼女達の姿ではないでしょうか?
序盤に出てくる「ガラスを割れ」がそれを象徴しています。あの曲の後半、平手だけがアドリブ的に花道を走り出しセンターステージで一人で踊る、他のメンバーはそれを見ながらメインステージで戸惑い、踊っている。これは平手と他のメンバーとの「才能」「人気」「期待」等の差であったり、平手が抱えている「孤独」というのを比喩的に表わしているのだと思います。
曲が終わるとステージから落ちるのは平手が欅坂46から居なくなる事のメタファーとなっております。
映画の中でメンバーがインタビューに答えていますが、これはあくまでも個人の主観であり必ずしも真実ではないと思います。ステージ上での彼女達=真実と考えました。
欅坂は平手だけのイメージが強いけど、自分的には環境とか他のメンバーの雰囲気の方が断トツで欅坂感を作ってる気がする。
もっと運営側の声を聞きたかった。欅坂といえば運営の対応に疑問をもつファンは多かったので、今回の映画ではその点にも触れてくれると思っていたが、そこは守りに入ってしまったのか。
この動画からもう2年半かー
志田は「周囲にそんなことないって言われても楽曲に引っ張られて自分は孤独だって気分になった」とUA-camで告白した
平手はTAKAHIROに「平手が孤独になって苦しい想いを表現したことで救われた人がいた」と言われて涙した
ぱくゆうさんは「精神を錯乱するまでしてやるほどのことじゃない」という冷静な意見だったけど、欅坂46が自分たちの身を削って生んでくれた感動は確かにあったと自分だけでも思っていたい
責任は大人が負うべきは本当にそう。今も続く平手や一部メンバーへのバッシングには心が痛む
そもそも出番前に嫌々言ってる高校生の少女を無理やりステージにあげること自体が受け入れられなかった。彼女はパフォーマーではあるけど大人が強要してはいけないよ。歌詞と真逆で唖然とするし、平手依存体制を作ったのはファンではなく大人。
東京ドーム公演でアンコールするファンを嫌う、恐怖に感じるのは1ファンとして誤解していると言いたいです。
まず、坂道グループのライブではアンコールは当たり前。運営もメンバーもアンコールの曲をセットリストに入れた上で構成、時間を考えるし、リハも全て入れてやっています。ああいう映画の見せ方だから、まるでファンが予定にもないアンコールを強制しているように見えているだけです。むしろメンバーはリハまでやってる訳だからアンコールまでしっかり完走するのが役目じゃないですか?それができないなら初めから合間にMCの時間を入れて休ませるとか、そもそもアンコールの曲を激しめな曲にしないとか、どうにでもできるわけです。いくら不協和音がファンから求められているからと言ってもう一年以上やっていない曲ですし、やらなくても何ら不自然に思いません。まぁ結果的にやってくれたからファンは大喜びでしたけど。
つまり自分が言いたいのは、あの場面でファンを責めるのは間違いだということです。
むしろアンコールしない方が失礼にあたる世界ですからね…。仮に欅坂疲れてるからアンコール辞めとこうみたいな雰囲気になってしまったら結果的に欅坂を傷つけるだけです。
不協和音のアンコールまではよかったと思います。ファンは久しぶりの不協和音が見れただけで満足して帰ったでしょう。しかし平手があんな状況なのに、角を曲がるまでやらせる必要があったのかは大いに疑問です。責められるべきは状況を把握していながら続けさせた運営の大人たちであると思います。
@@藤咲純-v3j でも確か東京ドームのメイキングの映像に一瞬「角を曲がる」の振り付けを指導されてるてちの姿が映ってるんですよ…しかもそのときは映画の初めの円陣の前の辛そうな姿じゃないんですよね...最後苦しそうだったてちをステージに立たせたのはあくまで予定であり、プロとしてやりきれってことだったのかもと考えてしまいます...。
まあそうすると大人のエゴを押し付けてしまっているので責任は大人にあるのかなーと。けがもしてるんだし不協和音後の様子を見てライブを終了させる臨機応変さもあればよかったのではと。 長文すみません
ファンと噛み合ってないのかな
というのは感じてました。同意見です。
欅坂の見せてるものと、ファンの教育されたステレオタイプの盛り上がり方と合ってない気がしました。
特に欅坂のファン層の思春期真っ只中でモロ影響受ける世代が、本気にしすぎるみたいな話は鋭いなと思いました。
個人的には欅坂の悲愴的な青春表現は、その景色を傍観もしくは省みた際に初めてアートを感じるものであり、
自身のこととして本気で悲愴に同調するのはお門違いなんですけど、若い子にはそれは意外と難しかったということだと感じてます。
アートは作品全体から自分なりに解釈して心に何かを残すものだと思っています。
例えば「醜いアヒルの子」でいうならば、
物語から、周りの自分に対する評価、本当の自分を大切にすること、自分を受け入れてくれる人がいること、自分と環境を照らし合わせる感覚のヒントにするのはアリだと思いますが、
自分こそは醜いアヒルの子で、今まさにアヒルの群れの中にある。そしていつの日か白鳥に!というのはナシな気がします。
なぜなら現実はそれほど単純ではありませんし、周りのアヒルさんについて、切り捨てる前にもっと考えた方がいいことの方が実際は多いからです。
1つの作品や物語に没入しすぎるのは実はまあまあ危険なのですが、若いとわからないかもしれません。私自身少し前までそうだった気もします。
欅坂ちゃんの出してきた作品の需要先の性質について、考察が足りなかったのかも知れませんね…
言い方は凄く抽象的になってしまうのですが、大人のコントロール下から完全に外れて暴走した玉転がしのように見えました。導かなければいけないのは最初に玉を押し出した大人なのに…。
ひらがなの合流失敗や独立、本来1年に3枚ペースを計画していたはずのシングルの遅れ、流産した9thシングルなど大人の都合の予定外にあちこち行ってしまったのは事実ですよね
むしろ最後は平手友梨奈が大人の都合を完全に拒否して大人もそれに従わざるを得なくなってしまった…
それほど全てが平手友梨奈に依存する体制のグループだったということはやはり異常に感じます寝
欅ファンで3回映画館で見るぐらい好きで、当時この動画の存在は知ってたけどサムネ見て悪口言ってる動画なのかと思って(笑)長らく再生してこなかったんだけど
平手ちゃんのかけがえのない世界の出来になんだか納得できなくて、何で納得できないのか知りたくてUA-camを漁ってたらぱくゆうさんの動画が出てきて、分析が納得&面白すぎて、ぱくゆうさんの欅関連の過去動画を掘ってる最中です。
この動画の分析も悪口なんかじゃなくてすごく細かく分析されていて、なんだ早く見ればよかった〜って思いました
小林由依ちゃんが平手ちゃんに勝とうとしてた、今泉佑唯ちゃんは勝てないと悟った、っていうのほんとそうだと思います
舞台裏でてちがあんなに苦しそうにしてるのにステージに出し続けてた大人達がすごく怖かった
そのシーンが映るたびに苦しくて辛かった
周りの大人たちがもっとまともだったらメンバー達もファン達ももっと幸せだっただろうなと思いました
黒い羊の鈴本さんは何を思ってたんだろう
年齢を言わなかっただけまだ良かったよね…でも はっきりしなかった部分がもやもやする
でも映画はみないよりかは見た方が圧倒的いい 欅坂がもっと好きになったし 飛び飛びだったけど一つ一つが凄くて食らいつくように見入れるから終わった時の時間見てびっくりした
非常に面白い大人のコメントだと感じました。
楽曲分析、いつも視聴させていただいてました。
今回のアップロード、
率直に、鋭く、かつ暖かく愛情のこもった語り口で、また非常にエンタメとしても面白かったです。
欅の存在理由というのは、やっぱり、最初から最後まで、センターの平手さんを中心として体現していた、”危なっかしさ”、”純粋さ”であって、どうなっちゃうんだろう?大丈夫かな?という
現在進行型の、多層的な、劇中劇的な、エンターテインメントを提供していたのだ、と思う。
AKBや乃木坂との対比でも明確なように、欅をウォッチしていた人は意識的にも無意識的にも、『この指向性って生き残れていけるの?』『何といわれようと、この形態は新しいし、危ういよ』、という受け止め方していたんだと思う。そして、平手さんが、”それ”を、文字通り身体を張って、心身共に没入して、素晴らしく体現してしまうほどの稀有な表現者だっただからこそ、存在理由があった。
欅坂46が熱狂的に老若男女に受け入れられたワケは、まさしく、ぱくゆうさんの分析の通りだと思います。
で、結論も全く同感で、”エンタメ”、”興業”とは言え、
「エゲつねえよなぁ〜」という言葉に尽きると思います。
諸々同感。青春の不安定さを一番の売りどころにする難しさ。
この映画の分析・考察、まさにそのとおりだと思う内容でした。
私は、ライブには行く比較的「ライト」なファンですが、欅坂46をアイドルの枠組みに押し込める価値観には違和感をもっておりました。これはまさに①大人の責任②ファンの責任にも通じるもので、③秋元さんの限界ともいえるかもしれません。
ただ、TAKAHIROさんと「大人の責任」のくだりについては、少し見解が異なります。
TAKAHIROさんへの「大人の責任」にたいする返答が「仮定」であったこと、つまり「メンバーを子供としてみるならば、大人は見守り続けるしかない」という趣旨であったように思います。この発言から、いわゆる「大人側」である人たちでも、欅坂46のメンバーに対するスタンスの違いをみました。TAKAHIROさんはそのような大人側の人間として「采配」しようとする発想はなかったのではないか。「先生」であることは間違いないが、あくまで「同志」として導くというスタンスを保ち続けている人だと感じています。
インタビューの最後、監督さんに「あなたはどう思われますか?」という問いかけにも表れていると思います。
一方で、ファンがいうところの「運営」の発言はありませんでした。
「運営」は当然のことながら「大人側」として「采配」していたわけですが、これまで欅坂46の「采配」についていったいどのような「戦略性」を持っていたのか全く伝わってきませんでした。動画のなかでもご指摘があったように、それっぽく見せる以上の「志」がなかったという点については、まさにそのとおりだと思います。
この映画のテーマに①②③が含まれているならば(そういう構成になってますね)、欅坂46は「大人側」による「采配ミス」であったと言わざるを得ません。つまり「運営」が「アイドル兼アーティスト路線」というベクトルの全く異なる価値観を内包としていると考えていたのにもかかわらず、根本的な新機軸の提示を怠ったと感じています。特に②に関連する内容で、AKB以来の「アイドルオタク」を抱えている限り、「志」のない采配ではいずれ「アイドル兼アーティスト路線」は破綻すると私は感じておりました。
そのような観点でこれまでを振り返り、改名後のグループ像の輪郭を明確化するには、③秋元さんのプロデュースも終了する。ということに帰結させるべきではないかと思っています。
あんなにてちが苦しそうだったのに、欅坂っていうエンタメを楽しんでた俺達ファンはもはやサイコパスだよ…
ご視聴ありがとうございます!
こんな見方、考え方もあるんだなと思っていただければ。
皆さんの感想、意見もぜひ聞かせてください(^^)
ぱくゆうさんの言葉選びが素晴らしすぎて、!
メンバーの変化を感じていてもファンや周りに指差され批難されてでも大人(運営スタッフ)はあくまでもプロフェッショナルであり、あえてレールを敷かず手探りで彼女達と同じ歩幅で新しい道を進み続けたのはどんな手を使っても彼女達を売るという信念の現れだったのではないかと私は感じました。
AKBの時代の前田敦子さんの時のように平手友梨奈さんをセンターとして固定し酷使して潰したという意見も多々見られますが、前田敦子さんの時とはまた違った可能性や未来を本気で大人は見たかったのではないかと感じました。
まぁ大人達のエゴと言われればそれまでですが…その未来の完成形が彼女達の望む未来や夢に近い、もしくは同じ場所だった気がします
ただ、大人が全ての矢面に立たなければならないと言うのは同意見です。
ですがギリギリの部分までさらけ出して人の極限の中で見える感動を見せる手法は王道でありながらもタイミング、環境、いるべき人や個性が重ならなければ訪れないものだとも思います。
同じ目線で同じ人間としてビジネスの前に人としてリスペクトを持って彼女達と作品を作り続けて来たからこそ心動かす作品がいくつも出来たのではないかと。
勿論手探りすぎてもっといい方法はあったのかも知れないですし、正解はわかりませんがビジネスモデルとしてではなく、記録より記憶に残るようなグループを目指していたのでは無いかと感じました。
それとよくもっとこう出来ただろとかあの時こうしていればと言うファンの方々を目にしますがその言葉が今の彼女達を傷つけている可能性もあると思います。じゃあ今この世界線で必死にもがいている彼女達は誤った道を進んでいるのでしょうか?今の彼女達を否定していませんか?方法やもっと楽な道はあったかもしれませんがそれでも最後には彼女達自身が決めて今があると思います。なので、ファンの方々は今の彼女達を(卒業したメンバー含め)等身大で受け入れて応援していってほしいです
欅がなぜ中高年のファンを獲得したかお分かりでは無いようですね。私の若いころは東から西へ、北から南へ行こうと行動しただけでいとも簡単に殺されたり、レストランやバスで座る位置さえ制限された人々が存在し、平等を訴えていたはずの運動が暴力と殺戮行動へ変化してしまったといったことが日常茶飯事のごとく有った時代でした。秋元さんはその時代の一端をご存じでしょうが欅のメンバーは全く理解できていないので秋元さんの傀儡ちゃん達です。周庭さんがファンだということは、あそこはそんな社会だからです。その辺を少し理解していただきたいな。申し訳ないが、大げさな表現と思うのはあなたに理解が足りないということです。意見を聞きたいと書いてあったので投稿しました。嫌味ではないです。でも、映画、躊躇していましたが行こうかと思わせていただけました。TKS (古いなぁ)
「不協和音」の話、しっくりきました。
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