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あ~あ 今回も面白かった 義経様と畠山様のうんちくがいっぱい見れてよかったです
「専門家ではないから好きなように!」って、大賛成です!!楽しく好きなようにの方が勉強が続いて色々な知識を積み重ねられるかもですね!!
以前、NHKの番組、「歴史探偵」にて、馬で坂を降る実験をしてました。前傾姿勢で降りるのではなく、重心を後ろにかけて、後ろ足をすべらすように降りてました。きりゅう先生と同じ方向性の番組でした。「坂の上の雲」の有名なシーンに、陸軍大学校で教える、秋山好古は、窓ガラスを素手で叩き割り、「騎兵とはこれだ!」ガラスは粉々になるが、自らの拳も傷つく。攻撃力はあるが防御力はない。この逸話は司馬遼太郎さんの空想かもしれませんが、うまく騎兵をあらわしてますね。
一ノ谷の逆落としの鵯越!楽しい解説ありがとうございました。
8:33 現代の地図と重ねるとシュールで面白い✨
江戸時代に、雷電か梶之助か忘れたけど、お殿様の行列が通るから馬か牛を背負って田んぼに退いた逸話があったような無かったような🤔
今日も動画アップありがとうございます😊きりゅうさんの動画がないと、次週の大河の放送までもたないです!今週もこれで、5/1までなんとか頑張れそうです。
NHKも歴史探偵UA-camやってますね!なんてったって、現世に転生した、ひき殿がやってるので?!きりゅう先生のお話の通り玉葉の裏取り多田説をしてました!義経よりお兄ちゃんのカバ殿のが凄かった説もきりゅう先生と一緒でした。 後白河法皇が義経に吹き込まれて、平家に手紙を出して、休戦?!というドラマの下りも、このチャンネルの裏づけがあると、又、三谷脚本の凄さが感じられ面白いです。👍
ポニー背負う。面白かったですw チャレンジ動画期待してます。
きりゅうさんポニー背負える説😂😂 動物園とかで馬を見たらしばらく思い出すかもしれませんwww
この説、つぼにはいった。都市伝説にいれたい。
今日も楽しく拝見致しました!うちの父は85歳で須磨出身なのですが小学校の時、須磨の山奥の多井畑というところに住んでいた家業が猟師の『鷲尾くん』という友達がいたそうです。道案内した猟師・鷲尾三郎の一族の末裔かもしれません。あと騎馬の奇襲の話ですが、『坂の上の雲』の中で秋山好古が留学した先のフランスで、騎兵の使い方を熱く語る老将軍に一ノ谷の戦いと桶狭間の戦いを説明して日本にも騎兵が使いこなせる将兵がいたと納得させる話がありましたね。
初コメです、富士の川の合戦からチャンネル登録しました!一ノ谷の合戦では最近まで義経が逆さ落としをしたと思っていましたが、最近のNHKで鵯越の逆さ落としは多田行綱で有りようは3つ方向からの奇襲により勝ったとされている!ここまで説明ありがとうございました!これからも応援していきます!
コメントありがとうございます。
いつも分かりやすくて大河ドラマと先生の解説で歴史を楽しんでます😆失礼ながら先生の解説がバスガイドさんの語り口にきこえてます😆
歴史トラベルガイドwww
@@kashimashi_rekishi_ch いいですね~😆ユーチューブ歴史ツアーにいってるんですね😄
@@kashimashi_rekishi_ch 右手の動き、最近、私も、仕事でお客様のへのご説明時で出てしまうようになりました。
今のラットさんの銀色の御髪、綺麗ですね😃
大河も1番急な鉢伏山を義経&畠山、鵯越を義時&梶原が降りたかのように2方面紀州が描かれていましたね。畠山重忠も馬を背負ってでも降りますというセリフに反映されてましたね笑範頼の活躍もしっかりと描かれてましたね。
当時の馬について。和種の代表とも言える木曽馬は一時期洋種と交雑させていたため、現代では400kg前後の個体もいますが、洋種馬が輸入される以前は最大で300kg台と推定されています。アンドレ・ザ・ジャイアントをボディースラムで抱えあげて投げるプロレスラーなら、充分背負うことは可能です(苦笑)
日当で動員した兵が崖を下るのをためらっていたので、手間賃を上のせして納得させた。「よってこの戦を日傭取り(ひようとり)越えと呼ぶ」(落語「源平盛衰記」)ンなアホな…😮
ポニーを背負ったきりゅうさんええのぅw
きりゅうさんの基準はイケメン? イケメン イズ ジャスティスw
イケメンは好きです。ジャスティスじゃなくてもダークでもwww
今日もありがとうございます、いつもある意味講談のように楽しんでます!鎌倉殿の13人では義経は鵯越の逆落としはしてなかったですよね。鉢伏山から一の谷の背後を攻めました。さすが三谷さんというところですね。佐々木高綱と梶原景季の先陣争いもさらっと戦術としてあえてやらせたということにするあたり、思わずうなってしまいました。ついでに重忠の伝説もうまく処理(笑)梶原景時は義経との圧倒的な能力差によって嫉妬するということになるんですね。
三谷さんの脚本、ほんとうに上手いです。
そいえば、日露戦争のときに、日本の馬は欧州の馬よりずっと小さいから不利だったって話がありましたね。
「自分が信じたい方を信じればいいんじゃないか」、かっこよくてジーンとしました🥲可能性の高低は色々あるかもしれませんが、完璧な証拠が無いならロマンのある方を信じてみたいですもんね!
乗馬と笠懸が得意で、一ノ谷を調査したこともある師匠の意見。「あの崖は馬じゃ降りれない。鵯越の逆落としは無理」。日本の馬はかなり小さかったですしね。
きりゅうさん、生まれる時代が違えば巴御前の様になってたかもしれないw
スポーツ音痴なんで、無理ですwww
鎌倉時代、戦国時代の馬は木曽馬がその特徴がよく出ているのではないかと言われています。仰る様にポニーより一回り大きい馬の可能性はありますね。
ポニーという言葉自体が体高だけを基準にした分類で、特定品種を指したものではないですからね。肩までの高さが147cm以下の馬はすべてポニーとされますので、木曽馬(130㎝強)や蒙古馬(120~140㎝)あたりも含まれてしまいます。おそらく、多くの日本人がポニーと聞いて真っ先に頭に浮かべるのはシェットランドポニー(100㎝前後)辺りだと思われますが、この品種と比べたら木曽馬並の体格だったとしても大きな体格差があると言えます。
@@大鳥居めとん なんとー、そーだったんですね。ウキペディアにも「肩までの高さが147cm以下の馬の総称。特定の品種を指すわけではなく」とありますので、特定品種とばかり思っていました。そーでしたか。
@@bure8552 稀に147cmを越えても品種がポニーだったらポニーになりますね…以前働いてた乗馬クラブのハフリンガーって品種のお馬ちゃんでそういう子が居たので😊
先程いつものように楽しく拝見いたしました。ありがとうございました。突然思い出したのですが、司馬遼太郎著『坂の上の雲』に、秋山好古がフランス騎兵学校で教官から、騎兵運用の天才として、チンギス・ハンとナポレオンと源義経を挙げつつ騎兵の本質を語るのを聴講した、とのくだりがありました。司馬氏の小説のことですから事実かどうかわかりませんが、もしも事実ならば、鵯越逆落としは、19世紀末の欧州軍事学上有名な話だったのかなと思いを馳せた次第です。
ドラマで描かれた兵庫県鉢伏山、別名須磨浦山上遊園w子供の頃に遊びに行ったことがあります。現代の鵯越とされる地域は一の谷の北東に位置し、なだらかな斜面で崖のイメージではなく、しかも頂上から古戦場伝承地とは距離があるので軍勢が降りていたら気づかれるでしょう。一方鉢伏山は急斜面で、山麓は一の谷のすぐ西に位置し、駆け下りればすぐに平家軍の背後を突ける場所。ただ、神戸鉄道もJRも山陽電鉄も地下鉄も無い時代、京都、大阪から鉢伏山まで休憩なしで移動したいとは思いませんねぇ(^^;山頂もロープウェイで往復するのが当たり前なのです・・・
”信じていたいと思います”、はい、そう思います♪。きょうも楽しい解説ありがとうございました。ポニー~♪
多田行綱、名前からしてウチの地元の武士ですわ(兵庫県川西市に源氏発祥地・多田神社があります)w行綱の一ノ谷の戦いの戦功が吾妻鏡に記述されてない理由のひとつとして、頼朝も行綱がいた祖先の地・多田荘が欲しかったからなんて説もあるようです。
頼朝、ほとんど強奪してますよねww
鎌倉殿の13人の勝者は決定しているけどね。。それはこのチャンネルと先生のお話だね🎉🎉🎉
ありがとう~💖
日本馬はポニー程度の大きさ時点で想定は違う
鵯越から一ノ谷まで場所が離れてますよね。
逆落としは義経らしい戦術だと思いますねー。大河でやってた様に、騎乗したまま崖を降りたのでは無く、下馬して崖を滑り落ちて行ったのではないでしょうかね。鎧兜を身に付けていたから身体へのダメージは少なかったのかな。でも馬の方が可哀そうですよね。
今日もワロタ🤣
平家の本陣が福原辺りにあったら鵯越はほぼ真北ですからね 山から来るとは思わないでしょうね
宗盛、知盛、重衡もビックリしてショックを受けたみたいですね…まぁあともう少しという所でおじゃんニなったら…重盛がご存命でも源氏連合軍に勝つのは難しかったのでしょうか…
おまけの桶狭間も最近は藤本正行先生が唱えていらっしゃる正面突撃説が広まってますね。迂回奇襲説は江戸時代の天才小説家・小瀬甫庵先生の創作だとか。史実じゃないけど面白いからこそ広まったのは義経伝説も重忠伝説も信長伝説も同じかもしれませんね。
頼朝の代官としての総大将は源範頼ですね。義経は別働隊ですね
大手生田の森がのりより
まぁ、実写は無理なんだろうね~🤔鵯越の逆落しが殆ど(というか全て)台詞だけで終わってしまってなんかなぁ~😤私も馬を背負う畠山重忠観たかった😓(私は馬に優しい重忠と解釈したんだけど、馬を背負うくらいちからがある男だったという解釈も)義経はきりゅうさんの無邪気な子供説に同意していたけど、戦場で活き活きするなんてやはりサイコパスだー✊
1コメ佐原義連は宝治合戦で当主の三浦泰村が滅びた後三浦家当主は義連の子孫が継いでいますね!
頼朝の側近ですからね~。
私はたまに馬に乗りに行くんですが調教の方のお話だと普通の馬よりポニーの方が気が荒く扱いにくいそうです。。ポニーなら背負える説はどうでしょうね。。🐴✨👀
あくまで重さの話ですwww
@@kashimashi_rekishi_ch 冗談ですよwww馬を背負うなんて先生にお似合いにならない。巴御前にお任せしましょうね🙏✨
地元の人間として言いますと、鵯越から降りて来ても一の谷には行かないんです。ドラマに出ていた鉢伏山なら真下が一の谷だから、三谷幸喜は採用したと思います。平敦盛にも触れてほしかったです。
鉄拐山説もあるみたいですね。
@@kashimashi_rekishi_ch そうですね。敦盛塚のある現在の須磨浦公園から安徳宮のある横を通る山道が今も残っていますからね。ただ義経の陣跡と言われる須磨寺からは山一つ西になるので、どうかと言われています。
確か、多田行綱って、鹿ケ谷の陰謀を清盛にチクった人ですよね。
そうで~す。
いや、一谷に鵯越なる坂は無い。平家の本体の真上辺りにあって義経とは違い人が奇襲をかけたとNHKでやってたよ。
多田行綱ですか?
お疲れ様です。センセ、この後に法皇が頼朝に恩賞の打診をしたというのは本当なんでしょうか?頼朝が「お任せ」と返事をして、義経や御家人の出方を試した、という事になるんでしょうか?来週の放送では、この部分は省略するでしょうから、来週の解説に挟んで欲しいな、と。本当なら、頼朝も相当な天狗になるんですけど。
え〰️〰️〰️〰️ひ、鵯越の逆落としが〰️〰️〰️〰️創作 !!!嘘つくにも程があるぢゃろ〰️〰️〰️〰️それはそれとして、当時の馬はポニーより少し大きいくらいだったようですね。今の使役馬(競走馬以外)は明治以降に入ってきた馬種の系統・血統のようですね。
あらら、おまけが本当に蛇足になっちゃいましたね。桶狭間の合戦は、現在は「おけはざま山」に居た今川義元に対して、信長が正面攻撃を仕掛けて勝利したという説が主流になっていますよ。おけはざま山という山の上に居た義元に、麓に居た信長軍が攻撃を仕掛けたと言う事です。
そう言えば馬を背負った人間は未だ見たことありません😆危なくていけません😵畠山重忠様の銅像は現実を彷彿とさせる思いきった素晴らしい作品だと思いました!まる👍️🐴
同じ畠山でも、畠山鈴香とはえらい違い
今の私たちの知る馬よりも小さかったとしても、当時の日本人のサイズには、ちょうど良かったのかもしれませんね(笑)
木曽馬や道産子、宮古馬や与那国馬やトカラ馬を見た事ありますが、サラブレッド程ではありませんが小柄な成人〜平均的な成人なら余裕で乗れる位に大きいです。
あ~あ 今回も面白かった 義経様と畠山様のうんちくがいっぱい見れてよかったです
「専門家ではないから好きなように!」って、大賛成です!!
楽しく好きなようにの方が勉強が続いて色々な知識を積み重ねられるかもですね!!
以前、NHKの番組、「歴史探偵」にて、馬で坂を降る実験をしてました。前傾姿勢で降りるのではなく、重心を後ろにかけて、後ろ足をすべらすように降りてました。
きりゅう先生と同じ方向性の番組でした。
「坂の上の雲」の有名なシーンに、陸軍大学校で教える、秋山好古は、窓ガラスを素手で叩き割り、「騎兵とはこれだ!」ガラスは粉々になるが、自らの拳も傷つく。攻撃力はあるが防御力はない。この逸話は司馬遼太郎さんの空想かもしれませんが、うまく騎兵をあらわしてますね。
一ノ谷の逆落としの鵯越!楽しい解説ありがとうございました。
8:33 現代の地図と重ねるとシュールで面白い✨
江戸時代に、雷電か梶之助か忘れたけど、お殿様の行列が通るから馬か牛を背負って田んぼに退いた逸話があったような無かったような🤔
今日も動画アップありがとうございます😊
きりゅうさんの動画がないと、次週の大河の放送までもたないです!
今週もこれで、5/1までなんとか頑張れそうです。
NHKも歴史探偵UA-camやってますね!なんてったって、現世に転生した、ひき殿がやってるので?!きりゅう先生のお話の通り玉葉の裏取り多田説をしてました!義経よりお兄ちゃんのカバ殿のが凄かった説もきりゅう先生と一緒でした。
後白河法皇が義経に吹き込まれて、平家に手紙を出して、休戦?!というドラマの下りも、このチャンネルの裏づけがあると、又、三谷脚本の凄さが感じられ面白いです。👍
ポニー背負う。面白かったですw チャレンジ動画期待してます。
きりゅうさんポニー背負える説😂😂 動物園とかで馬を見たらしばらく思い出すかもしれませんwww
この説、つぼにはいった。都市伝説にいれたい。
今日も楽しく拝見致しました!うちの父は85歳で須磨出身なのですが小学校の時、須磨の山奥の多井畑というところに住んでいた家業が猟師の『鷲尾くん』という友達がいたそうです。道案内した猟師・鷲尾三郎の一族の末裔かもしれません。あと騎馬の奇襲の話ですが、『坂の上の雲』の中で秋山好古が留学した先のフランスで、騎兵の使い方を熱く語る老将軍に一ノ谷の戦いと桶狭間の戦いを説明して日本にも騎兵が使いこなせる将兵がいたと納得させる話がありましたね。
初コメです、富士の川の合戦からチャンネル登録しました!一ノ谷の合戦では最近まで義経が逆さ落としをしたと思っていましたが、最近のNHKで鵯越の逆さ落としは多田行綱で有りようは3つ方向からの奇襲により勝ったとされている!ここまで説明ありがとうございました!これからも応援していきます!
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いつも分かりやすくて大河ドラマと先生の解説で歴史を楽しんでます😆失礼ながら先生の解説がバスガイドさんの語り口にきこえてます😆
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@@kashimashi_rekishi_ch いいですね~😆ユーチューブ歴史ツアーにいってるんですね😄
@@kashimashi_rekishi_ch 右手の動き、最近、私も、仕事でお客様のへのご説明時で出てしまうようになりました。
今のラットさんの銀色の御髪、綺麗ですね😃
大河も1番急な鉢伏山を義経&畠山、鵯越を義時&梶原が降りたかのように2方面紀州が描かれていましたね。畠山重忠も馬を背負ってでも降りますというセリフに反映されてましたね笑
範頼の活躍もしっかりと描かれてましたね。
当時の馬について。和種の代表とも言える木曽馬は一時期洋種と交雑させていたため、現代では400kg前後の個体もいますが、洋種馬が輸入される以前は最大で300kg台と推定されています。アンドレ・ザ・ジャイアントをボディースラムで抱えあげて投げるプロレスラーなら、充分背負うことは可能です(苦笑)
日当で動員した兵が崖を下るのをためらっていたので、手間賃を上のせして納得させた。
「よってこの戦を日傭取り(ひようとり)越えと呼ぶ」(落語「源平盛衰記」)
ンなアホな…😮
ポニーを背負ったきりゅうさん
ええのぅw
きりゅうさんの基準はイケメン? イケメン イズ ジャスティスw
イケメンは好きです。ジャスティスじゃなくてもダークでもwww
今日もありがとうございます、いつもある意味講談のように楽しんでます!鎌倉殿の13人では義経は鵯越の逆落としはしてなかったですよね。鉢伏山から一の谷の背後を攻めました。さすが三谷さんというところですね。佐々木高綱と梶原景季の先陣争いもさらっと戦術としてあえてやらせたということにするあたり、思わずうなってしまいました。ついでに重忠の伝説もうまく処理(笑)
梶原景時は義経との圧倒的な能力差によって嫉妬するということになるんですね。
三谷さんの脚本、ほんとうに上手いです。
そいえば、日露戦争のときに、日本の馬は欧州の馬よりずっと小さいから不利だったって話がありましたね。
「自分が信じたい方を信じればいいんじゃないか」、かっこよくてジーンとしました🥲
可能性の高低は色々あるかもしれませんが、完璧な証拠が無いならロマンのある方を信じてみたいですもんね!
乗馬と笠懸が得意で、一ノ谷を調査したこともある師匠の意見。「あの崖は馬じゃ降りれない。鵯越の逆落としは無理」。
日本の馬はかなり小さかったですしね。
きりゅうさん、生まれる時代が違えば巴御前の様になってたかもしれないw
スポーツ音痴なんで、無理ですwww
鎌倉時代、戦国時代の馬は木曽馬がその特徴がよく出ているのではないかと言われています。仰る様にポニーより一回り大きい馬の可能性はありますね。
ポニーという言葉自体が体高だけを基準にした分類で、特定品種を指したものではないですからね。
肩までの高さが147cm以下の馬はすべてポニーとされますので、木曽馬(130㎝強)や蒙古馬(120~140㎝)あたりも含まれてしまいます。
おそらく、多くの日本人がポニーと聞いて真っ先に頭に浮かべるのはシェットランドポニー(100㎝前後)辺りだと思われますが、この品種と比べたら木曽馬並の体格だったとしても大きな体格差があると言えます。
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@@bure8552 稀に147cmを越えても品種がポニーだったらポニーになりますね…以前働いてた乗馬クラブのハフリンガーって品種のお馬ちゃんでそういう子が居たので😊
先程いつものように楽しく拝見いたしました。ありがとうございました。
突然思い出したのですが、司馬遼太郎著『坂の上の雲』に、秋山好古がフランス騎兵学校で教官から、騎兵運用の天才として、チンギス・ハンとナポレオンと源義経を挙げつつ騎兵の本質を語るのを聴講した、とのくだりがありました。
司馬氏の小説のことですから事実かどうかわかりませんが、もしも事実ならば、鵯越逆落としは、19世紀末の欧州軍事学上有名な話だったのかなと思いを馳せた次第です。
ドラマで描かれた兵庫県鉢伏山、別名須磨浦山上遊園w子供の頃に遊びに行ったことがあります。現代の鵯越とされる地域は一の谷の北東に位置し、なだらかな斜面で崖のイメージではなく、しかも頂上から古戦場伝承地とは距離があるので軍勢が降りていたら気づかれるでしょう。
一方鉢伏山は急斜面で、山麓は一の谷のすぐ西に位置し、駆け下りればすぐに平家軍の背後を突ける場所。ただ、神戸鉄道もJRも山陽電鉄も地下鉄も無い時代、京都、大阪から鉢伏山まで休憩なしで移動したいとは思いませんねぇ(^^;山頂もロープウェイで往復するのが当たり前なのです・・・
”信じていたいと思います”、はい、そう思います♪。きょうも楽しい解説ありがとうございました。ポニー~♪
多田行綱、名前からしてウチの地元の武士ですわ(兵庫県川西市に源氏発祥地・多田神社があります)w
行綱の一ノ谷の戦いの戦功が吾妻鏡に記述されてない理由のひとつとして、頼朝も行綱がいた祖先の地・多田荘が欲しかったからなんて説もあるようです。
頼朝、ほとんど強奪してますよねww
鎌倉殿の13人の勝者は決定しているけどね。。
それはこのチャンネルと先生のお話だね🎉🎉🎉
ありがとう~💖
日本馬はポニー程度の大きさ時点で想定は違う
鵯越から一ノ谷まで場所が離れてますよね。
逆落としは義経らしい戦術だと思いますねー。大河でやってた様に、騎乗したまま崖を降りたのでは無く、下馬して崖を滑り落ちて行ったのではないでしょうかね。鎧兜を身に付けていたから身体へのダメージは少なかったのかな。でも馬の方が可哀そうですよね。
今日もワロタ🤣
平家の本陣が福原辺りにあったら鵯越はほぼ真北ですからね
山から来るとは思わないでしょうね
宗盛、知盛、重衡もビックリしてショックを受けたみたいですね…まぁあともう少しという所でおじゃんニなったら…重盛がご存命でも源氏連合軍に勝つのは難しかったのでしょうか…
おまけの桶狭間も最近は藤本正行先生が唱えていらっしゃる正面突撃説が広まってますね。迂回奇襲説は江戸時代の天才小説家・小瀬甫庵先生の創作だとか。史実じゃないけど面白いからこそ広まったのは義経伝説も重忠伝説も信長伝説も同じかもしれませんね。
頼朝の代官としての総大将は源範頼ですね。義経は別働隊ですね
大手生田の森がのりより
まぁ、実写は無理なんだろうね~🤔
鵯越の逆落しが殆ど(というか全て)台詞だけで終わってしまってなんかなぁ~😤
私も馬を背負う畠山重忠観たかった😓(私は馬に優しい重忠と解釈したんだけど、馬を背負うくらいちからがある男だったという解釈も)
義経はきりゅうさんの無邪気な子供説に同意していたけど、戦場で活き活きするなんてやはりサイコパスだー✊
1コメ
佐原義連は宝治合戦で当主の三浦泰村が滅びた後三浦家当主は義連の子孫が継いでいますね!
頼朝の側近ですからね~。
私はたまに馬に乗りに行くんですが調教の方のお話だと普通の馬よりポニーの方が気が荒く扱いにくいそうです。。
ポニーなら背負える説はどうでしょうね。。🐴✨👀
あくまで重さの話ですwww
@@kashimashi_rekishi_ch 冗談ですよwww馬を背負うなんて先生にお似合いにならない。巴御前にお任せしましょうね🙏✨
地元の人間として言いますと、鵯越から降りて来ても一の谷には行かないんです。ドラマに出ていた鉢伏山なら真下が一の谷だから、三谷幸喜は採用したと思います。
平敦盛にも触れてほしかったです。
鉄拐山説もあるみたいですね。
@@kashimashi_rekishi_ch
そうですね。敦盛塚のある現在の須磨浦公園から安徳宮のある横を通る山道が今も残っていますからね。ただ義経の陣跡と言われる須磨寺からは山一つ西になるので、どうかと言われています。
確か、多田行綱って、鹿ケ谷の陰謀を清盛にチクった人ですよね。
そうで~す。
いや、一谷に鵯越なる坂は無い。平家の本体の真上辺りにあって義経とは違い人が奇襲をかけたとNHKでやってたよ。
多田行綱ですか?
お疲れ様です。センセ、この後に法皇が頼朝に恩賞の打診をしたというのは本当なんでしょうか?
頼朝が「お任せ」と返事をして、義経や御家人の出方を試した、という事になるんでしょうか?
来週の放送では、この部分は省略するでしょうから、来週の解説に挟んで欲しいな、と。
本当なら、頼朝も相当な天狗になるんですけど。
え〰️〰️〰️〰️
ひ、鵯越の逆落としが〰️〰️〰️〰️創作 !!!
嘘つくにも程があるぢゃろ〰️〰️〰️〰️
それはそれとして、当時の馬はポニーより少し大きいくらいだったようですね。今の使役馬(競走馬以外)は明治以降に入ってきた馬種の系統・血統のようですね。
あらら、おまけが本当に蛇足になっちゃいましたね。
桶狭間の合戦は、現在は「おけはざま山」に居た今川義元に対して、信長が正面攻撃を仕掛けて勝利したという説が主流になっていますよ。
おけはざま山という山の上に居た義元に、麓に居た信長軍が攻撃を仕掛けたと言う事です。
そう言えば馬を背負った人間は未だ見たことありません😆危なくていけません😵畠山重忠様の銅像は現実を彷彿とさせる思いきった素晴らしい作品だと思いました!まる👍️🐴
同じ畠山でも、畠山鈴香とはえらい違い
今の私たちの知る馬よりも小さかったとしても、当時の日本人のサイズには、ちょうど良かったのかもしれませんね(笑)
木曽馬や道産子、宮古馬や与那国馬やトカラ馬を見た事ありますが、サラブレッド程ではありませんが小柄な成人〜平均的な成人なら余裕で乗れる位に大きいです。