Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
僕の父は高等商船出身でこの時の航海長でした。
雪風、時雨に負けない幸運艦だったなぁ。
スキャンランド艦長、紳士だなぁそれに応えた春日艦長もまた紳士
実は神風には日本海軍最新の電波装置(ソナー)等が設置してあったのだよ、それは実験的な意味もあって優秀な機材と人材も含めて艦橋の隣のに電探室が置かれ逐一、艦長の元へ情報が伝達されていた従って、単に運や操舵技術が優れていたのもあったろうけど、実際はソナー探知による回避運動や攻撃が可能だった点が大きい🇯🇵🇯🇵🇯🇵👍👍👍
春日艦長が潜水艦が襲ってくるならここだと確信していたのはプロテンゴール沖ですね。陸地近くでも水深があるので潜水艦の待ち伏せには絶好の場所でした。春日艦長はそれを逆手にとって敵潜水艦が神風を攻撃するように航海していたと言われます。実際に自分に攻撃を向けさせないと潜水艦がやる気満々で待ち構えているのが確実なプロテンゴール沖を鈍足の輸送船が通過するのは不可能に近かったでしょう。対潜の経験豊富で練度も極めて高い春日艦長と神風乗組員の力がなければ切り抜けられなかった試練ですね。対戦したスキャンランド艦長のホークビルも相当な手練ですが、わずかの差で神風に軍配が上がりました。
素晴らしいお話しでした。胸が熱くなりました。船もいいなと、最近思います。
この話しはとても感動する話しですね🤗戦争中とは言えその後の無事を安堵しその後武勲を讃え合い共に平和を願う気持ちが感動しました❗️惜しいのは二人が会う事が出来なかった事だけですね🥺‼️
この実話は映画眼下の敵のモデルになった。魚雷5本をもまともに受けた足柄は逆の意味の神業。
私の叔父(父の兄)は神風に乗艦しておりました。二人の子供が戦争にいってしまい、祖母はその時生きた心地がしなかったと思いますが、幸運にも二人とも無事に帰ることができました。後年、父は叔父と会うと海軍時代の思い出話しに花を咲かせていたそうです。二人とも、もういませんが、この平和の世を築いてくださった先人の方々へ深い感謝と哀悼の意を表したいと思います。
歴史の陰に隠れ埋もれてしまった「水師営の会見」は幾つもあったのでしょう。古今東西、一番戦争をしたくない、と思っているのは現場の将兵。このような逸話をありがとうございます。
武士道と騎士道の戦いが終わり、後年友人として接する事が出来たんですね
一般に駆逐艦は潜水艦攻撃も重要な役割、しかし日本の駆逐艦は米潜にWWIIでは26隻が撃沈されております。米海軍の輸送船団攻撃はまず護衛艦を撃沈して輸送船をねらってました。
神風の話をここで始めて知る名前にふさわしい駆逐艦でした、面白かったです。
もし戦争が無ければ、このような出会いは無かった事を思うと、何とも皮肉な話ですネ~。死線を超えた者同士にしか解らない事なんでしょうね。
敵を敬し愛すのが武士道である。これは忘れてはいけないよな
12:15の写真は静岡県御前崎(旧浜岡町)で座礁した時のもので 私の父はこの時衛生兵として乗艦しておりました。「引き潮時には地元の方達が 軍医に患者さんを診てもらいたいと連れて来て御礼に野菜を持ってきてくれた」と言っておりました。復員事業として乗組員一丸となって勤務していた頃 の様です。艦は残念ながら使命を全うしましたが 戦後”神風会”という名称の元 艦長以下旧乗組員同士で友好を温めていたようで、その時の酒会の折 春日艦長がスキャンランド艦長よりいただいたお手紙を持参していて拝見させていただいた と言っておりました。
まさか、神風とホークビルの艦長同士が戦後文通していたとは。。。。。。。。😢まるでインディアナポリスと伊58号型潜水艦の艦長同士の話の様で泣けてくる。°(°`ω´ °)°。こちらは悲しい結末でしたが。。。。。。(´˙꒳˙ `)
潜水艦と駆逐艦の映画、The Enemy BelowとRun Silent, Run Deepの元になった話ですな。
潜水艦側の艦長流石にイケメンすぎないか
敗戦国だから難しいかもしれえないけど、座礁した神風をそのまま、保管できればなあ
艦これの話で恐縮ですが、神風が来た時にどんな艦だろうと調べて、このホークビルとの戦い、その後の艦長達の話を知りマジで涙が出ました。おかげでうちでは対潜水艦で出てもらう定番メンバーの一人です。
終戦に近づくにつれ、艦艇は装備を強化されていった。生き残りを期待される艦艇には特に優先して配備された。雪風などは、乗員が死なないので練度が落ちず。装備まで異様に良いのが配備されていた。ガンダムのMGコーティング以上だったんじゃないかな。
確か 3度舵を切って魚雷交わしたんだよね👍
春日館長・スキャンランド艦長お二人とも素晴らしい
誠にええ話でした。戦闘状態の時はやるかやられるかそれぞれの立場で熾烈な戦いを強いられた状況でしたが、恐らく、そこに互いを憎しみ合う負の感情はなかったと思われます。ただただ、その時にやるべき任務を遂行したのみ。敵でありながらその時点での感性は共感できるものがあったのでしょう。
戦艦三笠みたいに残して欲しかった
神風!いい名ですね!。
勝ち負けではなく生きようとし守るべきを意気込むことで人として尊重しあえるのだろう・
あぁ、手紙にも感動しました。❤
ロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンス。
ENEMY BELOWですね。ロバートワイズ監督クラークゲーブル主演の「深く静かに潜航せよ」では魚雷をかわしながら米潜水艦に突進する帝国駆逐艦の戦闘シーンがありますぞ。ご覧あれ。
潜水艦を狩るのが任務の駆逐艦が潜水艦に沈められていくのは……
おはようございます。神風、正に、神憑り?
素晴らしい。
親父も一年早く、海軍電測学校に入校していたら?昭和ニ十年入隊する最後の海軍特別年少兵で、終戦むかえてます海軍電測学校でニ十年九月まで居たそうです、厚生労働省からの軍歴証明書に記載されてました😅
真に相手が憎くて殺し合いをするわけでは無いのだから やっぱり戦争は嫌だ……
昔々「眼科の敵」と言う映画見たんだけど…まさにこの2人の艦長みたいだった
眼下の敵?
しんぷう じゃないんだね。 特攻は神風だけど。
神風ェ…素晴らしい…。
僕の父は高等商船出身でこの時の航海長でした。
雪風、時雨に負けない幸運艦だったなぁ。
スキャンランド艦長、紳士だなぁ
それに応えた春日艦長もまた紳士
実は神風には日本海軍最新の電波装置(ソナー)等が設置してあったのだよ、
それは実験的な意味もあって優秀な機材と人材も含めて艦橋の隣のに電探室が置かれ逐一、艦長の元へ情報が伝達されていた
従って、単に運や操舵技術が優れていたのもあったろうけど、実際はソナー探知による回避運動や攻撃が可能だった点が大きい🇯🇵🇯🇵🇯🇵👍👍👍
春日艦長が潜水艦が襲ってくるならここだと確信していたのはプロテンゴール沖ですね。陸地近くでも水深があるので潜水艦の待ち伏せには絶好の場所でした。春日艦長はそれを逆手にとって敵潜水艦が神風を攻撃するように航海していたと言われます。
実際に自分に攻撃を向けさせないと潜水艦がやる気満々で待ち構えているのが確実なプロテンゴール沖を鈍足の輸送船が通過するのは不可能に近かったでしょう。対潜の経験豊富で練度も極めて高い春日艦長と神風乗組員の力がなければ切り抜けられなかった試練ですね。対戦したスキャンランド艦長のホークビルも相当な手練ですが、わずかの差で神風に軍配が上がりました。
素晴らしいお話しでした。胸が熱くなりました。船もいいなと、最近思います。
この話しはとても感動する話しですね🤗戦争中とは言えその後の無事を安堵しその後武勲を讃え合い共に平和を願う気持ちが感動しました❗️惜しいのは二人が会う事が出来なかった事だけですね🥺‼️
この実話は映画眼下の敵のモデルになった。
魚雷5本をもまともに受けた足柄は逆の意味の神業。
私の叔父(父の兄)は神風に乗艦しておりました。
二人の子供が戦争にいってしまい、祖母はその時生きた心地がしなかったと思いますが、
幸運にも二人とも無事に帰ることができました。後年、父は叔父と会うと海軍時代の思い出話しに
花を咲かせていたそうです。二人とも、もういませんが、この平和の世を築いてくださった
先人の方々へ深い感謝と哀悼の意を表したいと思います。
歴史の陰に隠れ埋もれてしまった「水師営の会見」は幾つもあったのでしょう。古今東西、一番戦争をしたくない、と思っているのは現場の将兵。このような逸話をありがとうございます。
武士道と騎士道の戦いが終わり、後年友人として接する事が出来たんですね
一般に駆逐艦は潜水艦攻撃も重要な役割、しかし日本の駆逐艦は米潜にWWIIでは26隻が撃沈されております。米海軍の輸送船団攻撃はまず護衛艦を撃沈して輸送船をねらってました。
神風の話をここで始めて知る
名前にふさわしい駆逐艦でした、面白かったです。
もし戦争が無ければ、このような出会いは無かった事を思うと、何とも皮肉な話ですネ~。死線を超えた者同士にしか解らない事なんでしょうね。
敵を敬し愛すのが武士道である。
これは忘れてはいけないよな
12:15の写真は静岡県御前崎(旧浜岡町)で座礁した時のもので 私の父はこの時衛生兵として乗艦しておりました。
「引き潮時には地元の方達が 軍医に患者さんを診てもらいたいと連れて来て御礼に野菜を持ってきてくれた」と言っておりました。復員事業として乗組員一丸となって勤務していた頃 の様です。艦は残念ながら使命を全うしましたが 戦後”神風会”という名称の元 艦長以下旧乗組員同士で友好を温めていたようで、その時の酒会の折 春日艦長がスキャンランド艦長よりいただいたお手紙を持参していて拝見させていただいた と言っておりました。
まさか、神風とホークビルの艦長同士が戦後文通していたとは。。。。。。。。😢
まるでインディアナポリスと伊58号型潜水艦の艦長同士の話の様で泣けてくる。°(°`ω´ °)°。
こちらは悲しい結末でしたが。。。。。。(´˙꒳˙ `)
潜水艦と駆逐艦の映画、The Enemy BelowとRun Silent, Run Deepの元になった話ですな。
潜水艦側の艦長流石にイケメンすぎないか
敗戦国だから難しいかもしれえないけど、座礁した神風をそのまま、保管できればなあ
艦これの話で恐縮ですが、神風が来た時にどんな艦だろうと調べて、このホークビルとの戦い、その後の艦長達の話を知りマジで涙が出ました。
おかげでうちでは対潜水艦で出てもらう定番メンバーの一人です。
終戦に近づくにつれ、艦艇は装備を強化されていった。生き残りを期待される艦艇には特に優先して配備された。雪風などは、乗員が死なないので練度が落ちず。装備まで異様に良いのが配備されていた。ガンダムのMGコーティング以上だったんじゃないかな。
確か 3度舵を切って魚雷交わしたんだよね👍
春日館長・スキャンランド艦長お二人とも素晴らしい
誠にええ話でした。戦闘状態の時はやるかやられるかそれぞれの立場で熾烈な戦いを強いられた状況でしたが、恐らく、そこに互いを憎しみ合う負の感情はなかったと思われます。ただただ、その時にやるべき任務を遂行したのみ。敵でありながらその時点での感性は共感できるものがあったのでしょう。
戦艦三笠みたいに残して欲しかった
神風!いい名ですね!。
勝ち負けではなく生きようとし守るべきを意気込むことで人として尊重しあえるのだろう・
あぁ、手紙にも感動しました。❤
ロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンス。
ENEMY BELOWですね。ロバートワイズ監督クラークゲーブル主演の「深く静かに潜航せよ」では魚雷をかわしながら米潜水艦に突進する帝国駆逐艦の戦闘シーンがありますぞ。ご覧あれ。
潜水艦を狩るのが任務の駆逐艦が潜水艦に沈められていくのは……
おはようございます。神風、正に、神憑り?
素晴らしい。
親父も一年早く、海軍電測学校に入校していたら?昭和ニ十年入隊する最後の
海軍特別年少兵で、終戦むかえてます
海軍電測学校でニ十年九月まで居たそうです、厚生労働省からの軍歴証明書に記載されてました😅
真に相手が憎くて殺し合いをするわけでは無いのだから やっぱり戦争は嫌だ……
昔々「眼科の敵」と言う映画見たんだけど…まさにこの2人の艦長みたいだった
眼下の敵?
しんぷう じゃないんだね。 特攻は神風だけど。
神風ェ…素晴らしい…。