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激しく同意する内容で楽しませていただきました。自分はゲーム業界で絵の仕事してるんですが、欧米や中国の方の仕事は古典絵画のような描き方が多いです。彼らのスキルにはアカデミック教育がベースにあると知り、キャリアを積むためには必須な技術だと思っていろんな絵画教室を転々としたのですが、なかなか体系的な授業がなくて同じような問題に直面しました。ロシアデッサンの教室を見つけて行ったら目から鱗で、個性などどうでもよく、目で形を正確に取ること・タッチを正確に使うこと・リアルに見せる手法を体系的かつ機械的に教えてくれました。その上でより難しい生身の人を描いたり、画風を学ぶんです。しばしばこの行為が個性を無くすと言われますが、それではヘタな絵が偶然個性的になるの待つようで、教育とは呼べないと思います。あと仕事では基礎があったうえで個性が発揮されると信じています。また3DCGも使うのですが、興味深いことに考え方が古典絵画の油彩の描き方に共通する部分があります。メディアアートではアカデミズムの考え方が広く応用されているので、学べる場が国内に増えてくれるとうれしいです。
ロシアですか。それって、バレエにおけるワガノワ式の教育理論と似ていますね。基礎を段階的にたたき込むノウハウががっちりとあるんですよね。
>また3DCGも使うのですが、古典絵画の油彩の描き方に共通する部分がありますもし良ければ詳しくお聞かせください!
「ものを見る」ってことの勉強には最適化とマルスの鼻筋の角度とか習いはじめの頃とかはほとんどが思い込みで描いちゃうんですよね反射光に対する意識とかも白黒のみだから気づきやすい描くことはすなわちモノを見ること大事
レーピン美術学院で描かれるデッサンに近いのですか?
グリザイユ画法とかかな。
数年前にファウンデーションだけですが海外の美大に通いました。デッサンは初日にさらっと、明るい面と暗い面の捉え方の差をおさらいする感じでやっただけで、それ以降はひたすら各分野のアートの技術を使って自分の作品を作り上げる講義が続きました。先生が「あなたは何をしたいの?」と聞き続けるので、ものすごく「自分と自分が作りたいもの」に関する解像度が上がり、今でもそれが大きな自信になっています。残念ながらコロナ禍の影響で帰国して日本の学校を受け直そうかと思った時、受験要項や学生の感想などを見て、なぜ日本ではこんなわけのわからない古臭い美術基準でアーティストを選別しようとしているのだろうという感想を抱きました。当時は疑問だけでしたが、その後このチャンネルで色々と西洋美術の歴史解釈や現代アートとはなんぞやという話を聞いて、どうしてこのような状況になっているのかなんとなく合点がいきました。日本の美術アプローチが悪いわけではないのでしょうが、今後生成AIも広まる中で、「誰が何を作るのか」という点に重点を置いた美術教育の見直しが必要なのかもしれないと思いました。今回の動画もとても面白かったです。ありがとうございました。
子が藝大受験しましたが、結論として、「採点者の個性に対する評価基準」を研究し尽くした予備校に入って「個性を勉強」した人が合格するところ、と思いました。ほとんどの合格者が都内の有名予備校出身。地方で対策ができない人は難しい。上手い、下手じゃないんです。
成る程。上手い、下手じゃないんですね。大変ですね。
そこにローカライズできるかどうかが努力の見せ所ですね
@ポテナゲ-d4f 藝大受験者へのアドバイスですか?私に返信くださっても、大して意味はありません。
自分はあるヨーロッパの美大出身です。そこで知り合った人が日本に滞在して美大の卒業展を見に行ったというので感想を聞くと、「美術作品が一つもなかった」と言っていました。彼女は日本に行きたくて行っていますし、なにも悪気があってそう言っているわけではなく、素朴にそう思っての感想だったと思います。僕もヨーロッパで美術を勉強しているので、彼女がそう言っている意味は分かります。日本の美大生の作品がそうなってる理由の根幹に、日本の美大受験があるとは思っていたのですが、その問題点を分解して分かりやすく解説してもらえて目から鱗でした。とても面白かったです。
@@Balibai3 大半無能な人間が対策迎合して入試をすり抜けるのが日本の美大です。ポートフォリオや創作物、実績と面説試験で入試すべきだと思います。卒展一度も見た事ありませんし、むしろ避けます。
受験当時は「個性」と「技術」の間でもうむちゃくちゃ葛藤しましたね、「合格するための『個性』ってなんだよ」って。あれは真面目な子ほど悩んじゃうと思います。とはいえ日本のアートを省みた場合、美大予備校における研鑽の日々というのは「ものを作る」ということに関して、間違いなく一定の担保になっているかと思います。みんな8時間9時間平気で描くもんね。
高校時代、美術の先生が変わると、成績がピンキリに変わり、自分には才能があるのかないのか?と悩みましたw
10年早いと翻訳に書いてくださる先生と生徒がいる学校が何ともステキですね
韓国人視聴者です。韓国では「メジチ像」を「줄리앙(ジュリアン)」と呼んでいます。
美術には縁なく生きてきましたが(なんなら理系です)、五郎先生の話はずーーっと聞いていられる楽しさ!!
受験生の苦悩を取り上げてくださりありがとうございます!!ブルーピリオドはトラウマどストライクで読めません&タイトルを聞くだけでもビクッとします(笑)
わかりみがすごい
五郎さんの疑問への言語化能力が素晴らしい。思っていた事を明確に表現されています。アートと技術、教育の矛盾は他の分野でもあります。もどかしい…
私はヨーロッパの美大を複数受験しましたが、どこもポートフォリオと面接がメインでデッサンがあったのは一校だけでしたね。もちろん石膏デッサンはありませんでした。みんなお菓子食べながらとかイヤホンで音楽聴きながら受験してて日本育ちの私はカルチャーショック受けました(^O^)山田さん、お身体お大事にしてください。
イギリスの美大は試験がなく、ポートフォリオと面接で入れました。その代わり?進級と卒業は大変でした😅石膏デッサンはなかったですが、人物デッサンはしました。
本来それでいいんだよね。日本は美大受験道になってしまってるよ。
@@cattlefish4533 私もロンドンのポートフォリオとインタビューだけの美大受験して落ちています。😂卒業までされたなんて凄いと思います!(^O^)/
@@かみひこうき-g2g 日本の技術偏重主義は今思えば、妥当な部分はあると思っています。欧州は技術軽視でとにかくコンセプト勝負でこれもよろしくないと思います。でもやっぱり今の日本の画壇を見ているとホキ美術館系の画力はあるけど素朴すぎる画家の絵はとても見てられないです。
@@cattlefish4533 進級、卒業のポイントはなんですか?どういう点をクリアーにする必要があるのかな?とくにアートは、点数がつけにくいと思うが。
50年前に流行った黒田清輝の『湖畔』の絵のカレンダーは父が勤務していた製紙会社が作っておりました!中学の美術教師に石膏彫刻をデッサンしてた時に、巧く描けばいいもんじゃない!生きているように描けと言われましたけど、無理でした!😅
今回も充実大満足の回でした👏👏👏👏 予告で黒田清輝の名前が出た時点で「うわぁ…」となりましたが100年続けば文化というのも真理なのかもしれませんね。それにしても有名な作品は美大生が皆描けちゃうからマイナーな作品になるって、だったら彫刻の先生に新作つくってもらって出したりしないんですかね。すればいいのにw
コメントから美大芸大を出た方が日本にある程度の量的存在としてたくさんいることがわかって興味深い回でした。
五郎さんから石膏ボーイズのタイトルが出るとは思わなかったです。好きだったので大変興味がでました
前回今回はホントに神回です。
100年経ったら文化と言うのはそれで面白いですね。その道を目指した日本人ならば誰もが知っていると言う。
面白かったです二宮金次郎像の回もそうですが、ルーツを探るのは良質の推理小説を読んでるかのようですね
日本はいったん制定したものが時代を経るにつけ、それが世の中にそぐわないものとなっていて、多くの人が「ちょっとおかしいんじゃない?」と思っていても、それをなかなか改正出来ないという残念な性癖をもってますよね。
日本だけじゃないと思います^ ^
我が子も美術予備校に通い詰め、関西の某公立芸大を目指しましたが、受験したその年に合格基準がガラッと変わって、不合格者続出。予備校の先生方も呆然自失…という顛末となりました。我が子も落ちましたが、第二志望の芸大との相性が良かったので、結果オーライと。他の芸大の試験では、大きなヤカンに映した自画像を描け、なんてのもあったようです。
デザイン系で社会人になり仕事先で度々「美大予備校が一緒♪」と同じ美大出身者よりも、同じ予備校出身者で仲良くなっている不思議な場面をよく見ましたなんだろう? 予備校行かないと仲間外れっぽい風潮で少し気持ち悪かったな美大生卒の中で予備校重視なのはそのせいか
私は、石膏デッサンは立体把握の練習として大事だと思います円柱とか円錐とかの次の、でも表現の前のステップとしてやっぱり、頭と首と胸の角度とか難しいから個性を重んじるアート点も大切だろうけど、それは石膏じゃなくても良いですよね
山田五郎様五郎さんの本を拝読していて、五郎さんの文章から画家の方達に対する愛情がすごく伝わってきます。それに心優しいお人柄だと感じました。五郎さんのお言葉は、他の人を傷付けないもので、安心して聴いたり読んだりすることが出来ます。以前阿刀田高さんの本を拝読していて、解説の方(どなたかは忘れてしまいました)が、「難しいことを難しく説明するのは教養じゃない。その点、阿刀田高さんの文章は難しいことをやさしく書いている」との内容(文章は少し違うのですが)を仰っていて、その事を思い出しました。五郎さんの動画はかなり以前すべて拝見しましたが、ご本を拝読していて、このチャンネルの動画色々とを思い出しました。五郎さん、改めてありがとう存じます🙏
20年前に韓国で美大受験のために描いたデッサンにこんな歴史があったのは初めて知りました😮いろんな事教えてもらって嬉しいです。ありがとうございます😊
ある程度のレベル以上は試験官の好みになってくるってのは傍から見てても明らかだったことがある
美大入る前のデッサン勉強は朝から晩まで本当に大変でした。石膏デッサンにはこんな歴史があったのですね。何回も描いた石膏に愛着が湧き、私も石膏像のガチャガチャ何個か持ってます!笑
メジチ(笑)部分すぎて分からない😆もはや日本の学校独自の文化。当たり前を掘ると面白いですねー
お疲れさまです!今回も大変興味深く拝見しました。石膏像のガシャポン、欲しくなりました。w
ホワイトウオッシングって元々石像の話なのか~
そうですね。ハリウッドの話だとばかり思っていました。
「ギリシャ彫刻は白なの!」と言う学者の論を守るために、全部、金たわしで削ぎ落としたんだよね。。。
美大ですが、石膏のデッサンやりました。陰影の練習、人の顔の練習と思ってひたすら描きましたが、いつも「日本人の顔と違うよな~こんな凹凸のある人は日本にはいないんだけど」と思いながら描いていました。
3次元の石膏を2次元に落とし込む練習は技術として有意義とは思いますが、大学まで行ってデッサン続けてもね〜。便利なモチーフって言葉に激しく同意です。
美大を受験した友人が、美大の教授に好まれる画風で描かないといけないと言ってました👍
哲学もそういう傾向ありますよ
油の対策とか合格作品を大学ごとに見てると、印象っぽいというか比較的奇抜な描き方が多くなった境目みたいな年があるなと思った。ファイン系ほんと大変そうです。
私が昔行った予備校では、目指す大学によってそれぞれの大学に好まれるデッサンの技術の指導を受けてました。芸大浪人生のデッサンはもはやプロ級でした。
高校の美術授業でも同じで講師の好む表現じゃないと評価点数が低かった。賞を取ったらその時点数がバク上がりした。ざまーみろと思ったです。
〇〇会とかの出品作品も審査員やお偉方の目に止まって会員への道が開れるからなあ。
ブルーピリオドの映画見て号泣して、20年経っても泣くほど受験キツかったんだなと思ったんですが、なぜキツかったのか理解できました。好きで絵を描いてるはずなのに、他人の顔色を伺うことを何年も強制されていたらそりゃすり減りますね…😢
昔習った元東京芸大出身の先生は藝大受験で一浪したらしいんですが、落ちた理由は「うまくて嫌味だから落ちた」って言われたって言ってたなあ。
面白く勉強になるとても良い動画でした
一般的に美術評論なども、アーティスト本人がするものでもないし、音楽に従事する人で演奏の技術はある程度上手くても、音感が優れているとは限らないなど、美術や藝術については評価基準の可視化が難しいというのは、その通りですね。
石膏デッサンはすごく苦手でしたね。私は生まれつき左目が見えないのですが、先生から右目で石膏像を見ながら左目では画面を見て比べながら描くとプロポーションを正確に捉えやすいと教えられたのですが、私それ不可能なんだよなぁと思いながら人一倍時間をかけて描いてました…。幸い受験した美大の入試は石膏デッサンではなく自画像の油彩画だったので合格はできたのですが入学後も苦労しました。因みに入学祝いで先生から貰ったメディチの石膏像が今でも自宅に飾ってあります。
ちらっとおっしゃいましたが、フィギュアスケートは元々オリンピックでアメリカとソ連(!)の政治的対立のもとで恣意的な採点がされてきました。あまりに圧倒的な選手がいると不利になるよう採点ルールを変更する、技術点と芸術点でジャッジが望む順位になるよう調整する、などが横行しています。ブルーピリオドは原作の漫画もとても面白いし登場人物たちの絵も本当に画家さんが描いた絵なので見応えがあります。
そうだよなぁ…と思いながら、観ました。なんていうか…色んな角度から学んで、自分の作品として自分は何をやりたいのか、どうしょうかするか…遠い昔の学生時代、初めてヨーロッパへ行った時、描いた彫刻が街に溢れていて、彫刻の意味が違っていて、圧倒され感銘を受けて。楽しくやっているだけではなく、自分は美術を通して何をやりたいのだろうか…って、当時の記憶が朧げに浮かびました。
美大受験をした側です。学校や教授に合わせた好みの画風があると聞かされ、受験用にウケがいい絵を5〜6時間のうちに描き切る事を覚えさせられた感じでした。なのにいざ受かると『受験用の画風』は捨てろ、お前の個性で絵を描けと言われるんですから。頑張って身につけた『受験用の画風』って何だったの?って思いました。ここから何を描けばいいか分からないと困惑する美大生は凄く多いと思います。おまけに地方の高校だと東京の予備校に行かないと美大受験は難しいという流れがあって、金銭的な問題で予備校に通えない子は選択肢すらないという状況ももどかしかったです。美術専門の学科のある高校での話です。画力のみを重視する受験にしてくれたらもっと受験対策もしやすいだろうに、といまだに思ってます。
全員同じ問題に、気が付くようで、あるあるな話題に共感です。
背景や建築物はやたらリアルだけど人物はデフォルメされているマンガは、まさに主観と客観の共存ですね。
鉛筆・木炭(モノクロ)でデッサンの訓練してると、色彩の使い方や抽象形態の構成が上手くなっていくという「謎の現象」があるので、一概に否定できないんですよねー。ミロの抽象絵画が子供の落書きみたいだからといって、訓練を受けてない素人に描けるかというと描けない理由もそこら辺にあるのかなと…
黒田清輝を擁護するわけじゃないけど、客観的に、正確に形・空間をとらえても 3 次元を 2 次元に落とし込んだ時点で必ず「ウソ」があるんですよ。50ミリレンズで撮った写真と人間が認知する「リアル」も微妙に違うし…。「対象を見たときの感じを大事に」というのは、そういう「リアル」と「リアリティー」の違いに気付けという意味かも知れないと思ったり…
デッサンの話で私もジョアン・ミロを思い出したところでした。彼はデッサンが苦手だったんです。で、美術学校の先生が、目隠しして題材を手で触って捉えてみる練習をさせた。ミロにはこれが役立ったんですが、これは主観か客観かどうなんだろ~って思ったところでした。(ちなみに目隠ししたんだったっけな?と確認のためにググったら若き頃のミロを描いたマンガがあるらしい。シブいです)
過去の話ですが、私の通った美大予備校でも、「デッサンや油絵がうまくても、説明になっちゃダメなんだぞ~!」って、先生が、いつも受験生たちに言ってました。それと、「学科だぞ!」「学科でいい点取れば、ヘタでも受かるぞ!」と、、、なんか、そっちに闇を感じて、石膏デッサンに対しての矛盾は感じなかったんですが、まあ、とりあえず受かったし、卒業できてよかったです。
1970年代、どこの家庭にも湖畔の絵のカレンダーがかけられていた。
待ってましたー
代々木ゼミ⚫︎ールの美大予備校に大石膏室というのがあって、何度か行きました。ありとあらゆる石膏像があり、サモトラケのニケ(おそらく実物大)は圧巻でした。石膏デッサン、懐かしいです。鉛筆だけでなく、木炭+食パンでもやらされました😂
ジョルジョも全身あるよね。竹中直人の静物デッサンも参考作品であったな。
「石膏デッサンの100年」、買いました。楽しんで読んでます。
後編待ってました!めちゃくちゃ面白かったです。本当に、これ、学生の時に知りたかった……!(石膏像めちゃくちゃモチーフとしか見てなかった人😅)もともと色がついてたのかもなんて思うこともせず、動画内でおっしゃられていたように陰影分かりやすいから白いんだな〜と思っていました。
昔、大学受験で泊まった旅館で、私以外は全員美大受験者で、私が英語の参考書を見ていると、他の人たちは真ん中に湯飲みおいて、黙々とデッサンしてた…多摩美とか武蔵美受験するって言ってたと思う。今日の新聞に、「ハニワと土偶の近代」展の一面広告があって、みうらじゅんさんが「踊る人」のポーズて写真載ってました。東博と両方見ましたよ。
昔、石膏デッサンの巨匠っていましたね。石膏デッサンだけはうまいのにいつまでも美大に入れない人
中学生の時に何故か美術の先生に気に入られて、友達と同じノリでテキトーに作った七宝焼の評価が大きく違って「なんでこんなに点数違うのぉ〜💢」って友達が怒ってた。美術の作品は評価が難しい・・・
予備校時代、最高に上手い正確無比のデッサン名人が落ちて、アルカイックスマイルのパジャントや、うっすらゲイ感のマルスが合格してました。なるほどですね。
大変上手に説明なさっていらっしゃいますね。
本題ではありませんが、黒田清輝の作品についての感じ方って自分だけじゃなかったことが分かって、なるほどって感じです。石膏像の模写に関心がもてないでいたのですが、美大受験について知れて何かと面白かったです。
中学校の美術教育は「技術を教えないが自由な客観表現をしろ」と教わりました。たとえば水彩塗料の使い方や透視図法も教わらず、いきなり水彩画をやらされました。わたしはBSでみた油絵の番組を見て、その技法で無理やり水彩画を制作。当然、美大出身の教員からはひどい点数をもらいました。高い評価を受けたのは「センスだけで作品を作れる」生徒だけでした。美術教育っていみあるんだろうか、と思いました。
上手くて綺麗で好きで何故悪い。私が日本の現代アートがあんまりな理由が詰め込まれてる。黒田清輝の蒔いた種は美大生を苦しめているけど、聞いてる分には面白いネタでした😂ブルピは技巧と表現と商業で混乱してる様が苦しくてなかなか読み進められないです。
美術室といえば石膏像。理科室といえばアルコール漬け生物標本と剥製。小中学校時代の2大怪奇スポットでしたね😊あの白くて無機質な謎の胸像群にこんな面白いお話が、しかも明治日本文化圏限定で……面白すぎる😆著者の先生と講師の五郎さんにありがとうございます、です😀❤
美大の浪人生には石膏デッサン名人がいましたね。実物を見なくてもサラサラと描ける
こんな名言があります。●芸術家の欠点は、自分に出来ることは世界中で自分一人にしか出来ないと勘違いしていることだ。●技術屋の欠点は、自分が出来ることは世界中の誰にでも出来ると勘違いしていることだ。
真面目さとマニアックさが混ざる日本人って感じです。
受験でいうと、30年前くらいの話ですが京都市立芸術大学を中心とする関西圏はほとんど石膏像やりません(美術高校にはあります)。当時、京芸は彫刻家の野村 仁さんがソーラーカーの走行を作品にするなどコンセプチュアルアートが看板だったのですが、同じ時代の多摩美のパンフレットには日展ぽい彫刻みたいな作品が載っていて「はっ??今?今こういうのやるの?!現代の東京で??おっさん作家でなく??(日展作家さんすみません)」と衝撃を受けたのを覚えています。関東はめっちゃ西洋アカデミック教育なイメージありますね。当時の関西圏は石膏ではなく、卓上モチーフといわれる複数の植物、器物を自分で配置してデッサンしてました。この場合、素材の描き分け、構図も自主性があり、写実性プラス感性を求められてもわりと納得できてましたね。画塾からも一定の技術レベルをクリアするのは当然ですが、うまいではなく魅力のある絵を描くことを明確に求められてました。まあ基本的に芸大美大に行きたいなどという人は、表現に苦労しても技術一辺倒よりもそっちのほうが向いてるような気がします。どうせ色彩構成や立体構成はセンス良い方がいいわけだし、デッサンも別に変わらないと思ってました。受験デッサンもバイトで少し教えてましたが、石膏も卓上もモチーフの大きさが同じくらいであれば技術的な基本はあまり変わらないかなと思います。
まさか、ここで「石膏ボーイズ」の話が出るとは。この前みた「はにわ展」ではにわも元々は色が塗られていたというのを知ったばかりだったので、ギリシア彫刻もそうだったんだと聞いて、なるほどと思いました。
まさか美術教育がガラパゴス状態になっていたとは。素人からすると予想外。ところでリクエストですが、円空仏を取り上げて貰えないでしょうか?現代美術にも全く引けを取らない、江戸期の作品なのに斬新としか言いようのない表現を五郎さんの解説で聞きたいです。
ブルーピリオドを読んだ後なので、とても興味深かったです。ラファエル・コランという、古典から印象派に転換するフランス帰りの黒田清輝が日本の洋画の起点になった事によって起こる日本美術界の大混乱、、、。生真面目な日本人らしいですよね。そして、メジチの正体がジュリアーノだったとは!!あのロレンツォの弟の絶世の美少年ですよね!びっくりです〜😂
美青年、かと思ってました違うの?
山本鈴美香の未完の 「愛の黄金率」に美大生の主人公がメディチ像をデッサンする場面があるのを思い出しました。
客観と主観、技術と個性、デッサンそのものが作品として成立する考え方、石膏デッサンも個性があって、観ていて純粋に作品として成立していると思うのですが、受験となると、難しいですね。あれこれ考えながら、前編と後編を拝見致しました。とても楽しい時間を、ありがとうございます。
美大出としてはたまらない回でした❤❤❤
メジチの元ネタをご存知でなかったのは意外でした。自分は受験時代結構好んで描いたせいか見ると懐かしい気持ちになります。
メジチの元ネタ、未だに意味不明ですけど。
アマゾンっていう謎の石膏像があり、石膏像では一番ハンサムといわれてました。美術部の女子から人気がありました。
音楽選択だったので、石膏像デッサンとは縁のない学生時代でしたが、そんな文化が存在していたとは。黒田さんも日本が西洋並みに追いつくために必死だったんでしょうが、歪みも続けば文化になっていくという過程が皮肉で面白い。美術室に石膏像があるのは、教会や西洋美術館がそこいらにない日本にとっては、やっぱり何らかの意義を為したように見えます。だって、音楽なんか、コンサートホールなくてもNHK FMつけたら毎日名曲が流れてきたけど、美術番組なんか週に一度じゃないですか。でもって、たとえ石膏だとしても、日本の職人さんの技術は馬鹿にできないと思うわけですよ。模造品だったかもしれないけど、やっぱりウツクシイな、素敵だなと思うんですよ。
懐かしい〜石膏デッサン😂やりました〜
美大在学中に、教授から「君の石膏デッサンは下手だが、柔らかさがあって面白い、それを個性として伸ばしなさい」と指導されましたが、してみると教授の好みに合っていたから合格したんですね。ちなみにスコットランドのグラスゴー美術学校に見学に行った時は、日本人の留学生も何人かいたので話を聞きましたが、入学して一年間は石膏デッサンだけ学ぶという話を聞きました。イギリスの美大の中でもグラスゴー美大は特別だそうです。
現役生ですが、入学してから受験美術って必要か?とよく友達と話します
こんなに早く見れたの初めて😂
日本が植民地支配してた、韓国じゃない方の美大大学院に留学中の者です。外国人受験は作品集+研究計画書だったので、日本で画塾行ったことない私でも何とか潜り込めました。結局はデッサン力の無さで課題を仕上げる手も遅く、絶賛留年中です…入る前に何浪するか、入ってから何留するかの違いかもです(泣)大学部の下級生に入試方法を聞いたところ、静物中心のデッサンの他に、作品集&面接が必須と言ってました。まあこの国にも画塾や美術専門高校は多く、いわゆる「お受験対策」は盛んです。でも面接力を見られる大学入試形式(美術系だけでなく、一般の理系文系でも全国共通テスト+面接だそうです)は、高校生にとってはかなりコミュ力問われるなと思いました。この国の美大卒業生がより深く学びたいという時に、日本の美大大学院は憧れの留学先の一つとして見られています。9割以上が大学進学する学歴社会なので、その先でライバルと差をつけるには、日本留学は箔が付くという理由も大きそうです(博士課程を取得後、大学教授になる道ができるから?)。しかしそれだけでなく、こちらの大学はまだまだ技術重視で、日本の美大の授業の方が発想力に富んでるし、日本のアーティストの方が作品が面白いと見られてるみたいですよ。アートフェアでも若手日本人アーティスト作品はよく人気出てます。あと私が個人的にいいな〜と思ってる点は、この国では「兼業アーティスト」「副業アーティスト」が普通で、みんな堂々としてますよ。日本はプロで食べれない人が一段下に見られるとか聞きますけど、この国は「創作活動を長く続けていけて初めて、画廊はアーティストの将来性に投資してくれ、作品価格が上がっていくので、途中で創作をやめてはいけない。だから創作活動を何十年単位で続けていけるなら、食べていく方法は何でもいい」という共通認識です。
ほんの2〜3年程の留学で多くのライバルと切磋琢磨されて半世紀を超えても美大?留学中でがんばるあなた。創作活動の大変さが説明されており、主婦の兼業や副業をオブラートに包んだユーモラスな面がなかなか個性的で面白かったです。
自分はデッサンは素早い方ですので、私のあなたへのアドバイスは、がんばれぐらいで結局のところ特にないです。
ブルーピリオド読んでないのでよくわからないですが多少フィクションも入ってんじゃないの?とか思っちゃいました。私の美大予備校時代を振り返るとデッサンはあくまで習作でした。デッサンは平面上にいかに実在感を持たせて描くかが命題で、そこが試験でも問われたはずです。たぶん。それがいったん美大に入っちゃうと基礎的なデッサンなんかはもうやらなくなって「表現が〜」の世界になっていくのは五郎さんが以前からおっしゃっている通り。結果、最もアカデミックな美術教育を学べたのは美大予備校なのでした。これも日本独特の不思議な慣習かもしれないです。
え〜、え〜💦‼︎(青春を費やした)石膏デッサンの裏側を…ありがとうございます。ちなみに受験にはモリエール…何故メジャーどころが出ないのか⁈ぐぬぬ…と思っていた若き日を思い出しました😅
受験生の頃、石膏像「ジョルジョ」はいつも困り顔してんなぁと。その苦悩感が胸元のケープの結び含めて表現のポイントだろうと盛りつつデッサン描いてました。大学入ってからオリジナルがドナテッロ「聖ゲオルギウス像」と知り、まぁその何とも勇壮な姿に驚きました。
安井曾太郎の人体デッサンが憧れでした。石膏や人体のデッサンで素材(石膏や人体)だけでなく、それを包む空間を捉え表現する。その訓練でした。
10年早い…流石や。頭角を表す方は、若き日にええかんじにやらかしているのね。良い子の優等生では、今の五郎さんの仕上がりにはならないでしょうね!面白かったでーす!
最後の『ミケランジェロ』のオチには笑いました。切り取られちゃうと専門家でも『何だろう?』になっちゃうんですね。
石膏ボーイズありましたねぇ!懐かしい〜
ピカソもスーラもルーベンスも色彩を駆使したタブローが素晴らしいがそれと同時に素晴らしい石膏orオリジナルからのデッサンがあります。 しかし悲しいのは一般に石膏デッサンが上手くても画家として素晴らしいとは限らないこと。 なんとも難しい話です(個人的には石膏像の並んだ北窓の部屋の静謐さを愛すのですが)
日本韓国以外の国では石こうデッサンとかあまりやってないとしたら、どんな試験や教育してるのかが気になりますね
世間では時々何でも他人と違うのを「個性」と云ってますが昔、確か小林秀雄が言うには個性とは普通に生きて行くのに障りとなる困難なものをその人が乗り越えた部分だけが初めて個性と云えるものに成るんだと。障りになる物を努力もしないで乗り越える事もなく、他人との違いを直ちに個性だと云うのは個性とは違うという話でした。もともと持った良い所と云うよりも、困難を努力して乗り越えた所こそが個性だ…とした所が彼の素晴らしい所と思えた所でこれを伝えるには乗り越える前と後を知らないと個性の評価、それもそれは他人の評価というものではなくどちらかというとその人自身の中の生き方自身の部分かも知れませんよねぇ。これを美術のしかも試験に取り入れようとするときに、さて採点員が乗り越えた跡をどれだけ読み取れるか?認識せずして評価をするに至る…なんて事が無ければよいのですが…と。笑
いや、おもしろすぎるな今回のお話は
武蔵美卒ですが、メジチ像は学生の頃からミケランジェロでは?と勝手に気付いてました。ダビデによく似ていたので、何故メジチと呼ばれているのか謎でしたが、大変留飲がさがるお話でありがとうございました。石膏デッサンなんてクソと思っていたので全然やらなくて、ドヘタクソと言われながら大学受験しましたが現役合格できたので何とかなることもあると思います。そして武蔵美は大変楽しかったです。
某芸大出身者です。美大予備校に通い浪人もしました。おっしゃっていることは全て事実です芸大受験はハッキリ言ってギャンブルです。でもそういういいかげんな試験だからこそ私のような未熟者が1年で合格できたとも言えるわけでその功罪はなかなか難しいところではあります。だってギャンブルってクセになりますからw
ふと思ったが、日本の学校で教わる「美術史」の授業に、デザイナーがほとんど紹介されないのも、動画で取り上げられていた“デッサン重視の教育”にあるのかもしれない。一般的にデザイン分野では、デッサンよりも発想を重視する傾向があるので、技巧重視の日本の美術界では軽視されやすいのだろう。私の好きな美術家は、「イヴ・サンローラン」のロゴを手がけた版画家だが、その人もデザイナーの要素が強いせいか、海外の美術ではよく登場するのに日本の美術界ではあんまり話題にのぼらない気がするな。
横山大観ら日本画の人たちの写生に対する心得が変な方向に行っちゃったみたいな話になっちゃってますね、黒田清輝の言ってること。
10:15 自分もこの点は長らく懐疑的でした。確かに、技術体系(ツリー)として成立している類の物は絶対にその通りですが、それ以外もあるだろう、と。そうじゃなきゃ、アンリ・ルソーが評価される世界は絶対におかしいじゃないか
石膏デッサンで個性がどうとかいうレベルは相当にハイレベルな領域です。殆どの人が形や色が狂ってるのを正確なものになるように鍛錬するものです。芸大受験レベルの人は技術はその時点で充分と思います。そんなハイレベルな集団が受験してくる訳ですから、入学者の枠が決まってる場合何処で差を付けるのが妥当なのか、どうしたらいいんでしょうね。
技術を学ぶところに主観。メジャーな石膏はみんな同じように描ける。だからマイナーな石膏が入って来る。メジチ。面白かったです。
ブルーピリオドは読んでて、あの藝大受験の裏にも黒田清輝が潜んでたわけですね
石膏像をカプセルガチャにしようという発想がすごいですよね。世界中にそんな発想をするのは日本だけ。美術教育は歪んでいるのかもしれませんが、それはそれで役に立っているのかも☺
横尾さんは日展で外れたけど、ビエンナーレで入賞したもんね。
石膏ボーイズ懐かしい!面白い試みでしたが、商業的にはあまり振るわなかった記憶があります・・・!
興味深かったです石膏ボーイズなんとなくみてましたがそんな背景があったとは美大出身の方が周りにいないので推察にはなりますがフィギュアのクオリティなんかももしかしたらそういった事を学んだ方々の努力の結晶だったりするのかもとも思い歴史の数奇なつながりを感じることができました
美大予備校時代にデッサン描き尽くして何にも見ずに描けるようになったり、結局美大行けなかったので大人になってブルーピリオド読んで具合悪くなったりしたことを思い出しました😂ふぁっく個性
高校の美術部で石膏デッサン沢山しました!懐かしいです。その頃は何も疑問を持たずにひたすら描いていました。でも形の捉え方とか陰影の捉え方とか勉強になったと思います。これはこれで良かったと思います。(石膏像愛が強いかも知れませんね)海外の美術大学の受験課題はどんなものがあるんでしょうか?
海外の事はわからないですが、私が学んだ芸大では(20年程前)ドローイングの授業に力を入れておられました。勿論人体や石膏デッサンもありましたが。ドローイングの授業は、一例ではダンスをしてるモデルを描くとか、動いたりスマホの操作をしたりしてるモデルの動きを描くとかでした。動きに沿って何本も手があったりしても、どれかを消すことはしません。生きた線、生き生きした縁を描く事が重視される授業でした。カルチャーショックでしたが、慣れるとおもしろさがわかって来ました。お蔭で、例えばコスモス畑で風に揺れるコスモスの群れを、一気描きでスケッチする楽しさを味わえました🩷
激しく同意する内容で楽しませていただきました。
自分はゲーム業界で絵の仕事してるんですが、欧米や中国の方の仕事は古典絵画のような描き方が多いです。
彼らのスキルにはアカデミック教育がベースにあると知り、キャリアを積むためには必須な技術だと思っていろんな絵画教室を転々としたのですが、
なかなか体系的な授業がなくて同じような問題に直面しました。
ロシアデッサンの教室を見つけて行ったら目から鱗で、個性などどうでもよく、目で形を正確に取ること・タッチを正確に使うこと・リアルに見せる手法を体系的かつ機械的に教えてくれました。
その上でより難しい生身の人を描いたり、画風を学ぶんです。
しばしばこの行為が個性を無くすと言われますが、それではヘタな絵が偶然個性的になるの待つようで、教育とは呼べないと思います。
あと仕事では基礎があったうえで個性が発揮されると信じています。
また3DCGも使うのですが、興味深いことに考え方が古典絵画の油彩の描き方に共通する部分があります。
メディアアートではアカデミズムの考え方が広く応用されているので、学べる場が国内に増えてくれるとうれしいです。
ロシアですか。それって、バレエにおけるワガノワ式の教育理論と似ていますね。基礎を段階的にたたき込むノウハウががっちりとあるんですよね。
>また3DCGも使うのですが、古典絵画の油彩の描き方に共通する部分があります
もし良ければ詳しくお聞かせください!
「ものを見る」ってことの勉強には最適化と
マルスの鼻筋の角度とか習いはじめの頃とかはほとんどが思い込みで描いちゃうんですよね
反射光に対する意識とかも白黒のみだから気づきやすい
描くことはすなわちモノを見ること
大事
レーピン美術学院で描かれるデッサンに近いのですか?
グリザイユ画法とかかな。
数年前にファウンデーションだけですが海外の美大に通いました。デッサンは初日にさらっと、明るい面と暗い面の捉え方の差をおさらいする感じでやっただけで、それ以降はひたすら各分野のアートの技術を使って自分の作品を作り上げる講義が続きました。先生が「あなたは何をしたいの?」と聞き続けるので、ものすごく「自分と自分が作りたいもの」に関する解像度が上がり、今でもそれが大きな自信になっています。
残念ながらコロナ禍の影響で帰国して日本の学校を受け直そうかと思った時、受験要項や学生の感想などを見て、なぜ日本ではこんなわけのわからない古臭い美術基準でアーティストを選別しようとしているのだろうという感想を抱きました。当時は疑問だけでしたが、その後このチャンネルで色々と西洋美術の歴史解釈や現代アートとはなんぞやという話を聞いて、どうしてこのような状況になっているのかなんとなく合点がいきました。日本の美術アプローチが悪いわけではないのでしょうが、今後生成AIも広まる中で、「誰が何を作るのか」という点に重点を置いた美術教育の見直しが必要なのかもしれないと思いました。
今回の動画もとても面白かったです。ありがとうございました。
子が藝大受験しましたが、結論として、「採点者の個性に対する評価基準」を研究し尽くした予備校に入って「個性を勉強」した人が合格するところ、と思いました。ほとんどの合格者が都内の有名予備校出身。地方で対策ができない人は難しい。上手い、下手じゃないんです。
成る程。上手い、下手じゃないんですね。大変ですね。
そこにローカライズできるかどうかが努力の見せ所ですね
@ポテナゲ-d4f 藝大受験者へのアドバイスですか?私に返信くださっても、大して意味はありません。
自分はあるヨーロッパの美大出身です。そこで知り合った人が日本に滞在して美大の卒業展を見に行ったというので感想を聞くと、「美術作品が一つもなかった」と言っていました。
彼女は日本に行きたくて行っていますし、なにも悪気があってそう言っているわけではなく、素朴にそう思っての感想だったと思います。
僕もヨーロッパで美術を勉強しているので、彼女がそう言っている意味は分かります。日本の美大生の作品がそうなってる理由の根幹に、日本の美大受験があるとは思っていたのですが、その問題点を分解して分かりやすく解説してもらえて目から鱗でした。とても面白かったです。
@@Balibai3 大半無能な人間が対策迎合して入試をすり抜けるのが日本の美大です。ポートフォリオや創作物、実績と面説試験で入試すべきだと思います。卒展一度も見た事ありませんし、むしろ避けます。
受験当時は「個性」と「技術」の間でもうむちゃくちゃ葛藤しましたね、
「合格するための『個性』ってなんだよ」って。
あれは真面目な子ほど悩んじゃうと思います。
とはいえ日本のアートを省みた場合、美大予備校における研鑽の日々というのは
「ものを作る」ということに関して、間違いなく一定の担保になっているかと思います。
みんな8時間9時間平気で描くもんね。
高校時代、美術の先生が変わると、成績がピンキリに変わり、自分には才能があるのかないのか?と悩みましたw
10年早いと翻訳に書いてくださる先生と生徒がいる学校が何ともステキですね
韓国人視聴者です。韓国では「メジチ像」を「줄리앙(ジュリアン)」と呼んでいます。
美術には縁なく生きてきましたが(なんなら理系です)、五郎先生の話はずーーっと聞いていられる楽しさ!!
受験生の苦悩を取り上げてくださりありがとうございます!!ブルーピリオドはトラウマどストライクで読めません&タイトルを聞くだけでもビクッとします(笑)
わかりみがすごい
五郎さんの疑問への言語化能力が素晴らしい。
思っていた事を明確に表現されています。
アートと技術、教育の矛盾は他の分野でもあります。
もどかしい…
私はヨーロッパの美大を複数受験しましたが、どこもポートフォリオと面接がメインでデッサンがあったのは一校だけでしたね。もちろん石膏デッサンはありませんでした。みんなお菓子食べながらとかイヤホンで音楽聴きながら受験してて日本育ちの私はカルチャーショック受けました(^O^)
山田さん、お身体お大事にしてください。
イギリスの美大は試験がなく、ポートフォリオと面接で入れました。
その代わり?進級と卒業は大変でした😅
石膏デッサンはなかったですが、人物デッサンはしました。
本来それでいいんだよね。日本は美大受験道になってしまってるよ。
@@cattlefish4533 私もロンドンのポートフォリオとインタビューだけの美大受験して落ちています。😂卒業までされたなんて凄いと思います!(^O^)/
@@かみひこうき-g2g 日本の技術偏重主義は今思えば、妥当な部分はあると思っています。欧州は技術軽視でとにかくコンセプト勝負でこれもよろしくないと思います。でもやっぱり今の日本の画壇を見ているとホキ美術館系の画力はあるけど素朴すぎる画家の絵はとても見てられないです。
@@cattlefish4533 進級、卒業のポイントはなんですか?どういう点をクリアーにする必要があるのかな?とくにアートは、点数がつけにくいと思うが。
50年前に流行った
黒田清輝の『湖畔』の絵のカレンダーは父が勤務していた製紙会社が作っておりました!
中学の美術教師に石膏彫刻をデッサンしてた時に、
巧く描けばいいもんじゃない!
生きているように描けと言われましたけど、無理でした!😅
今回も充実大満足の回でした👏👏👏👏 予告で黒田清輝の名前が出た時点で「うわぁ…」となりましたが100年続けば文化というのも真理なのかもしれませんね。それにしても有名な作品は美大生が皆描けちゃうからマイナーな作品になるって、だったら彫刻の先生に新作つくってもらって出したりしないんですかね。すればいいのにw
コメントから美大芸大を出た方が日本にある程度の量的存在としてたくさんいることがわかって興味深い回でした。
五郎さんから石膏ボーイズのタイトルが出るとは思わなかったです。好きだったので大変興味がでました
前回今回はホントに神回です。
100年経ったら文化と言うのはそれで面白いですね。
その道を目指した日本人ならば誰もが知っていると言う。
面白かったです
二宮金次郎像の回もそうですが、ルーツを探るのは良質の推理小説を読んでるかのようですね
日本はいったん制定したものが時代を経るにつけ、それが世の中にそぐわないものとなっていて、多くの人が「ちょっとおかしいんじゃない?」と思っていても、それをなかなか改正出来ないという残念な性癖をもってますよね。
日本だけじゃないと思います^ ^
我が子も美術予備校に通い詰め、関西の某公立芸大を目指しましたが、受験したその年に合格基準がガラッと変わって、不合格者続出。予備校の先生方も呆然自失…という顛末となりました。我が子も落ちましたが、第二志望の芸大との相性が良かったので、結果オーライと。他の芸大の試験では、大きなヤカンに映した自画像を描け、なんてのもあったようです。
デザイン系で社会人になり仕事先で度々
「美大予備校が一緒♪」と
同じ美大出身者よりも、同じ予備校出身者で
仲良くなっている不思議な場面をよく見ました
なんだろう? 予備校行かないと仲間外れっぽい風潮で少し気持ち悪かったな
美大生卒の中で予備校重視なのはそのせいか
私は、石膏デッサンは立体把握の練習として大事だと思います
円柱とか円錐とかの次の、でも表現の前のステップとして
やっぱり、頭と首と胸の角度とか難しいから
個性を重んじるアート点も大切だろうけど、それは石膏じゃなくても良いですよね
山田五郎様
五郎さんの本を拝読していて、五郎さんの文章から画家の方達に対する愛情がすごく伝わってきます。それに心優しいお人柄だと感じました。
五郎さんのお言葉は、他の人を傷付けないもので、安心して聴いたり読んだりすることが出来ます。
以前阿刀田高さんの本を拝読していて、解説の方(どなたかは忘れてしまいました)が、「難しいことを難しく説明するのは教養じゃない。その点、阿刀田高さんの文章は難しいことをやさしく書いている」との内容(文章は少し違うのですが)を仰っていて、その事を思い出しました。
五郎さんの動画はかなり以前すべて拝見しましたが、ご本を拝読していて、このチャンネルの動画色々とを思い出しました。
五郎さん、改めてありがとう存じます🙏
20年前に韓国で美大受験のために描いたデッサンにこんな歴史があったのは初めて知りました😮いろんな事教えてもらって嬉しいです。ありがとうございます😊
ある程度のレベル以上は試験官の好みになってくるってのは傍から見てても明らかだったことがある
美大入る前のデッサン勉強は朝から晩まで本当に大変でした。石膏デッサンにはこんな歴史があったのですね。何回も描いた石膏に愛着が湧き、私も石膏像のガチャガチャ何個か持ってます!笑
メジチ(笑)部分すぎて分からない😆
もはや日本の学校独自の文化。当たり前を掘ると面白いですねー
お疲れさまです!
今回も大変興味深く拝見しました。
石膏像のガシャポン、欲しくなりました。w
ホワイトウオッシングって
元々石像の話なのか~
そうですね。
ハリウッドの話だとばかり思っていました。
「ギリシャ彫刻は白なの!」と言う学者の論を守るために、全部、金たわしで削ぎ落としたんだよね。。。
美大ですが、石膏のデッサンやりました。陰影の練習、人の顔の練習と思ってひたすら描きましたが、いつも「日本人の顔と違うよな~こんな凹凸のある人は日本にはいないんだけど」と思いながら描いていました。
3次元の石膏を2次元に落とし込む練習は技術として有意義とは思いますが、大学まで行ってデッサン続けてもね〜。
便利なモチーフって言葉に激しく同意です。
美大を受験した友人が、美大の教授に好まれる画風で描かないといけないと言ってました👍
哲学もそういう傾向ありますよ
油の対策とか合格作品を大学ごとに見てると、印象っぽいというか比較的奇抜な描き方が多くなった境目みたいな年があるなと思った。ファイン系ほんと大変そうです。
私が昔行った予備校では、目指す大学によってそれぞれの大学に好まれるデッサンの技術の指導を受けてました。
芸大浪人生のデッサンはもはやプロ級でした。
高校の美術授業でも同じで講師の好む表現じゃないと評価点数が低かった。賞を取ったらその時点数がバク上がりした。ざまーみろと思ったです。
〇〇会とかの出品作品も審査員やお偉方の目に止まって会員への道が開れるからなあ。
ブルーピリオドの映画見て号泣して、20年経っても泣くほど受験キツかったんだなと思ったんですが、なぜキツかったのか理解できました。
好きで絵を描いてるはずなのに、他人の顔色を伺うことを何年も強制されていたらそりゃすり減りますね…😢
昔習った元東京芸大出身の先生は藝大受験で一浪したらしいんですが、落ちた理由は「うまくて嫌味だから落ちた」って言われたって言ってたなあ。
面白く勉強になる
とても良い動画でした
一般的に美術評論なども、アーティスト本人がするものでもないし、音楽に従事する人で演奏の技術はある程度上手くても、音感が優れているとは限らないなど、美術や藝術については評価基準の可視化が難しいというのは、その通りですね。
石膏デッサンはすごく苦手でしたね。私は生まれつき左目が見えないのですが、先生から右目で石膏像を見ながら左目では画面を見て比べながら描くとプロポーションを正確に捉えやすいと教えられたのですが、私それ不可能なんだよなぁと思いながら人一倍時間をかけて描いてました…。幸い受験した美大の入試は石膏デッサンではなく自画像の油彩画だったので合格はできたのですが入学後も苦労しました。因みに入学祝いで先生から貰ったメディチの石膏像が今でも自宅に飾ってあります。
ちらっとおっしゃいましたが、フィギュアスケートは元々オリンピックでアメリカとソ連(!)の政治的対立のもとで恣意的な採点がされてきました。あまりに圧倒的な選手がいると不利になるよう採点ルールを変更する、技術点と芸術点でジャッジが望む順位になるよう調整する、などが横行しています。
ブルーピリオドは原作の漫画もとても面白いし登場人物たちの絵も本当に画家さんが描いた絵なので見応えがあります。
そうだよなぁ…と思いながら、観ました。なんていうか…色んな角度から学んで、自分の作品として自分は何をやりたいのか、どうしょうかするか…遠い昔の学生時代、初めてヨーロッパへ行った時、描いた彫刻が街に溢れていて、彫刻の意味が違っていて、圧倒され感銘を受けて。楽しくやっているだけではなく、自分は美術を通して何をやりたいのだろうか…って、当時の記憶が朧げに浮かびました。
美大受験をした側です。学校や教授に合わせた好みの画風があると聞かされ、受験用にウケがいい絵を5〜6時間のうちに描き切る事を覚えさせられた感じでした。なのにいざ受かると『受験用の画風』は捨てろ、お前の個性で絵を描けと言われるんですから。頑張って身につけた『受験用の画風』って何だったの?って思いました。ここから何を描けばいいか分からないと困惑する美大生は凄く多いと思います。
おまけに地方の高校だと東京の予備校に行かないと美大受験は難しいという流れがあって、金銭的な問題で予備校に通えない子は選択肢すらないという状況ももどかしかったです。美術専門の学科のある高校での話です。
画力のみを重視する受験にしてくれたらもっと受験対策もしやすいだろうに、といまだに思ってます。
全員同じ問題に、気が付くようで、あるあるな話題に共感です。
背景や建築物はやたらリアルだけど人物はデフォルメされているマンガは、まさに主観と客観の共存ですね。
鉛筆・木炭(モノクロ)でデッサンの訓練してると、色彩の使い方や抽象形態の構成が上手くなっていくという「謎の現象」があるので、一概に否定できないんですよねー。ミロの抽象絵画が子供の落書きみたいだからといって、訓練を受けてない素人に描けるかというと描けない理由もそこら辺にあるのかなと…
黒田清輝を擁護するわけじゃないけど、客観的に、正確に形・空間をとらえても 3 次元を 2 次元に落とし込んだ時点で必ず「ウソ」があるんですよ。50ミリレンズで撮った写真と人間が認知する「リアル」も微妙に違うし…。「対象を見たときの感じを大事に」というのは、そういう「リアル」と「リアリティー」の違いに気付けという意味かも知れないと思ったり…
デッサンの話で私もジョアン・ミロを思い出したところでした。彼はデッサンが苦手だったんです。で、美術学校の先生が、目隠しして題材を手で触って捉えてみる練習をさせた。ミロにはこれが役立ったんですが、これは主観か客観かどうなんだろ~って思ったところでした。
(ちなみに目隠ししたんだったっけな?と確認のためにググったら若き頃のミロを描いたマンガがあるらしい。シブいです)
過去の話ですが、私の通った美大予備校でも、「デッサンや油絵がうまくても、説明になっちゃダメなんだぞ~!」って、先生が、いつも受験生たちに言ってました。
それと、「学科だぞ!」「学科でいい点取れば、ヘタでも受かるぞ!」と、、、
なんか、そっちに闇を感じて、石膏デッサンに対しての矛盾は感じなかったんですが、まあ、とりあえず受かったし、卒業できてよかったです。
1970年代、どこの家庭にも湖畔の絵のカレンダーがかけられていた。
待ってましたー
代々木ゼミ⚫︎ールの美大予備校に大石膏室というのがあって、何度か行きました。ありとあらゆる石膏像があり、サモトラケのニケ(おそらく実物大)は圧巻でした。石膏デッサン、懐かしいです。鉛筆だけでなく、木炭+食パンでもやらされました😂
ジョルジョも全身あるよね。
竹中直人の静物デッサンも参考作品であったな。
「石膏デッサンの100年」、買いました。
楽しんで読んでます。
後編待ってました!めちゃくちゃ面白かったです。
本当に、これ、学生の時に知りたかった……!(石膏像めちゃくちゃモチーフとしか見てなかった人😅)
もともと色がついてたのかもなんて思うこともせず、動画内でおっしゃられていたように陰影分かりやすいから白いんだな〜と思っていました。
昔、大学受験で泊まった旅館で、私以外は全員美大受験者で、私が英語の参考書を見ていると、他の人たちは真ん中に湯飲みおいて、黙々とデッサンしてた…多摩美とか武蔵美受験するって言ってたと思う。
今日の新聞に、「ハニワと土偶の近代」展の一面広告があって、みうらじゅんさんが「踊る人」のポーズて写真載ってました。東博と両方見ましたよ。
昔、石膏デッサンの巨匠っていましたね。石膏デッサンだけはうまいのにいつまでも美大に入れない人
中学生の時に何故か美術の先生に気に入られて、友達と同じノリでテキトーに作った七宝焼の評価が大きく違って「なんでこんなに点数違うのぉ〜💢」って友達が怒ってた。美術の作品は評価が難しい・・・
予備校時代、最高に上手い正確無比のデッサン名人が落ちて、アルカイックスマイルのパジャントや、うっすらゲイ感のマルスが合格してました。
なるほどですね。
大変上手に説明なさっていらっしゃいますね。
本題ではありませんが、黒田清輝の作品についての感じ方って自分だけじゃなかったことが分かって、なるほどって感じです。石膏像の模写に関心がもてないでいたのですが、美大受験について知れて何かと面白かったです。
中学校の美術教育は「技術を教えないが自由な客観表現をしろ」と教わりました。たとえば水彩塗料の使い方や透視図法も教わらず、いきなり水彩画をやらされました。わたしはBSでみた油絵の番組を見て、その技法で無理やり水彩画を制作。当然、美大出身の教員からはひどい点数をもらいました。高い評価を受けたのは「センスだけで作品を作れる」生徒だけでした。美術教育っていみあるんだろうか、と思いました。
上手くて綺麗で好きで何故悪い。
私が日本の現代アートがあんまりな理由が詰め込まれてる。
黒田清輝の蒔いた種は美大生を苦しめているけど、聞いてる分には面白いネタでした😂
ブルピは技巧と表現と商業で混乱してる様が苦しくてなかなか読み進められないです。
美術室といえば石膏像。理科室といえばアルコール漬け生物標本と剥製。小中学校時代の2大怪奇スポットでしたね😊
あの白くて無機質な謎の胸像群にこんな面白いお話が、しかも明治日本文化圏限定で……面白すぎる😆著者の先生と講師の五郎さんにありがとうございます、です😀❤
美大の浪人生には石膏デッサン名人がいましたね。実物を見なくてもサラサラと描ける
こんな名言があります。
●芸術家の欠点は、自分に出来ることは世界中で自分一人にしか出来ないと勘違いしていることだ。
●技術屋の欠点は、自分が出来ることは世界中の誰にでも出来ると勘違いしていることだ。
真面目さとマニアックさが混ざる日本人って感じです。
受験でいうと、30年前くらいの話ですが京都市立芸術大学を中心とする関西圏はほとんど石膏像やりません(美術高校にはあります)。
当時、京芸は彫刻家の野村 仁さんがソーラーカーの走行を作品にするなどコンセプチュアルアートが看板だったのですが、同じ時代の多摩美のパンフレットには日展ぽい彫刻みたいな作品が載っていて「はっ??今?今こういうのやるの?!現代の東京で??おっさん作家でなく??(日展作家さんすみません)」と衝撃を受けたのを覚えています。関東はめっちゃ西洋アカデミック教育なイメージありますね。
当時の関西圏は石膏ではなく、卓上モチーフといわれる複数の植物、器物を自分で配置してデッサンしてました。この場合、素材の描き分け、構図も自主性があり、写実性プラス感性を求められてもわりと納得できてましたね。
画塾からも一定の技術レベルをクリアするのは当然ですが、うまいではなく魅力のある絵を描くことを明確に求められてました。まあ基本的に芸大美大に行きたいなどという人は、表現に苦労しても技術一辺倒よりもそっちのほうが向いてるような気がします。どうせ色彩構成や立体構成はセンス良い方がいいわけだし、デッサンも別に変わらないと思ってました。
受験デッサンもバイトで少し教えてましたが、石膏も卓上もモチーフの大きさが同じくらいであれば技術的な基本はあまり変わらないかなと思います。
まさか、ここで「石膏ボーイズ」の話が出るとは。この前みた「はにわ展」ではにわも元々は色が塗られていたというのを知ったばかりだったので、ギリシア彫刻もそうだったんだと聞いて、なるほどと思いました。
まさか美術教育がガラパゴス状態になっていたとは。
素人からすると予想外。
ところでリクエストですが、円空仏を取り上げて貰えないでしょうか?
現代美術にも全く引けを取らない、江戸期の作品なのに斬新としか言いようのない表現を五郎さんの解説で聞きたいです。
ブルーピリオドを読んだ後なので、とても興味深かったです。
ラファエル・コランという、古典から印象派に転換するフランス帰りの黒田清輝が日本の洋画の起点になった事によって起こる日本美術界の大混乱、、、。生真面目な日本人らしいですよね。
そして、メジチの正体がジュリアーノだったとは!!
あのロレンツォの弟の絶世の美少年ですよね!びっくりです〜😂
美青年、かと思ってました
違うの?
山本鈴美香の未完の 「愛の黄金率」に美大生の主人公がメディチ像をデッサンする場面があるのを思い出しました。
客観と主観、技術と個性、デッサンそのものが作品として成立する考え方、石膏デッサンも個性があって、観ていて純粋に作品として成立していると思うのですが、受験となると、難しいですね。あれこれ考えながら、前編と後編を拝見致しました。とても楽しい時間を、ありがとうございます。
美大出としてはたまらない回でした❤❤❤
メジチの元ネタをご存知でなかったのは意外でした。
自分は受験時代結構好んで描いたせいか見ると懐かしい気持ちになります。
メジチの元ネタ、未だに意味不明ですけど。
アマゾンっていう謎の石膏像があり、石膏像では一番ハンサムといわれてました。
美術部の女子から人気がありました。
音楽選択だったので、石膏像デッサンとは縁のない学生時代でしたが、そんな文化が存在していたとは。黒田さんも日本が西洋並みに追いつくために必死だったんでしょうが、歪みも続けば文化になっていくという過程が皮肉で面白い。
美術室に石膏像があるのは、教会や西洋美術館がそこいらにない日本にとっては、やっぱり何らかの意義を為したように見えます。だって、音楽なんか、コンサートホールなくてもNHK FMつけたら毎日名曲が流れてきたけど、美術番組なんか週に一度じゃないですか。でもって、たとえ石膏だとしても、日本の職人さんの技術は馬鹿にできないと思うわけですよ。模造品だったかもしれないけど、やっぱりウツクシイな、素敵だなと思うんですよ。
懐かしい〜石膏デッサン😂やりました〜
美大在学中に、教授から「君の石膏デッサンは下手だが、柔らかさがあって面白い、それを個性として伸ばしなさい」と指導されましたが、してみると教授の好みに合っていたから合格したんですね。
ちなみにスコットランドのグラスゴー美術学校に見学に行った時は、日本人の留学生も何人かいたので話を聞きましたが、入学して一年間は石膏デッサンだけ学ぶという話を聞きました。
イギリスの美大の中でもグラスゴー美大は特別だそうです。
現役生ですが、入学してから受験美術って必要か?とよく友達と話します
こんなに早く見れたの初めて😂
日本が植民地支配してた、韓国じゃない方の美大大学院に留学中の者です。外国人受験は作品集+研究計画書だったので、日本で画塾行ったことない私でも何とか潜り込めました。結局はデッサン力の無さで課題を仕上げる手も遅く、絶賛留年中です…入る前に何浪するか、入ってから何留するかの違いかもです(泣)
大学部の下級生に入試方法を聞いたところ、静物中心のデッサンの他に、作品集&面接が必須と言ってました。まあこの国にも画塾や美術専門高校は多く、いわゆる「お受験対策」は盛んです。でも面接力を見られる大学入試形式(美術系だけでなく、一般の理系文系でも全国共通テスト+面接だそうです)は、高校生にとってはかなりコミュ力問われるなと思いました。
この国の美大卒業生がより深く学びたいという時に、日本の美大大学院は憧れの留学先の一つとして見られています。9割以上が大学進学する学歴社会なので、その先でライバルと差をつけるには、日本留学は箔が付くという理由も大きそうです(博士課程を取得後、大学教授になる道ができるから?)。しかしそれだけでなく、こちらの大学はまだまだ技術重視で、日本の美大の授業の方が発想力に富んでるし、日本のアーティストの方が作品が面白いと見られてるみたいですよ。アートフェアでも若手日本人アーティスト作品はよく人気出てます。
あと私が個人的にいいな〜と思ってる点は、この国では「兼業アーティスト」「副業アーティスト」が普通で、みんな堂々としてますよ。日本はプロで食べれない人が一段下に見られるとか聞きますけど、この国は「創作活動を長く続けていけて初めて、画廊はアーティストの将来性に投資してくれ、作品価格が上がっていくので、途中で創作をやめてはいけない。だから創作活動を何十年単位で続けていけるなら、食べていく方法は何でもいい」という共通認識です。
ほんの2〜3年程の留学で多くのライバルと切磋琢磨されて半世紀を超えても美大?留学中でがんばるあなた。創作活動の大変さが説明されており、主婦の兼業や副業をオブラートに包んだユーモラスな面がなかなか個性的で面白かったです。
自分はデッサンは素早い方ですので、私のあなたへのアドバイスは、がんばれぐらいで結局のところ特にないです。
ブルーピリオド読んでないのでよくわからないですが多少フィクションも入ってんじゃないの?とか思っちゃいました。
私の美大予備校時代を振り返るとデッサンはあくまで習作でした。デッサンは平面上にいかに実在感を持たせて描くかが命題で、そこが試験でも問われたはずです。たぶん。
それがいったん美大に入っちゃうと基礎的なデッサンなんかはもうやらなくなって「表現が〜」の世界になっていくのは五郎さんが以前からおっしゃっている通り。
結果、最もアカデミックな美術教育を学べたのは美大予備校なのでした。これも日本独特の不思議な慣習かもしれないです。
え〜、え〜💦‼︎(青春を費やした)石膏デッサンの裏側を…ありがとうございます。ちなみに受験にはモリエール…何故メジャーどころが出ないのか⁈ぐぬぬ…と思っていた若き日を思い出しました😅
受験生の頃、石膏像「ジョルジョ」はいつも困り顔してんなぁと。
その苦悩感が胸元のケープの結び含めて表現のポイントだろうと盛りつつデッサン描いてました。
大学入ってからオリジナルがドナテッロ「聖ゲオルギウス像」と知り、まぁその何とも勇壮な姿に驚きました。
安井曾太郎の人体デッサンが憧れでした。
石膏や人体のデッサンで素材(石膏や人体)だけでなく、それを包む空間を捉え表現する。その訓練でした。
10年早い…流石や。頭角を表す方は、若き日にええかんじにやらかしているのね。
良い子の優等生では、今の五郎さんの仕上がりにはならないでしょうね!
面白かったでーす!
最後の『ミケランジェロ』のオチには笑いました。切り取られちゃうと専門家でも『何だろう?』になっちゃうんですね。
石膏ボーイズありましたねぇ!懐かしい〜
ピカソもスーラもルーベンスも色彩を駆使したタブローが素晴らしいがそれと同時に素晴らしい石膏orオリジナルからのデッサンがあります。
しかし悲しいのは一般に石膏デッサンが上手くても画家として素晴らしいとは限らないこと。
なんとも難しい話です(個人的には石膏像の並んだ北窓の部屋の静謐さを愛すのですが)
日本韓国以外の国では石こうデッサンとかあまりやってないとしたら、どんな試験や教育してるのかが気になりますね
世間では時々何でも他人と違うのを「個性」と云ってますが
昔、確か小林秀雄が言うには個性とは
普通に生きて行くのに障りとなる困難なものをその人が乗り越えた部分だけが初めて個性と云えるものに成るんだと。
障りになる物を努力もしないで乗り越える事もなく、他人との違いを直ちに個性だと云うのは個性とは違うという話でした。
もともと持った良い所と云うよりも、困難を努力して乗り越えた所こそが個性だ…とした所が彼の素晴らしい所と思えた所で
これを伝えるには乗り越える前と後を知らないと個性の評価、それもそれは他人の評価というものではなく
どちらかというとその人自身の中の生き方自身の部分かも知れませんよねぇ。
これを美術のしかも試験に取り入れようとするときに、さて採点員が乗り越えた跡をどれだけ読み取れるか?
認識せずして評価をするに至る…なんて事が無ければよいのですが…と。笑
いや、おもしろすぎるな今回のお話は
武蔵美卒ですが、メジチ像は学生の頃からミケランジェロでは?と勝手に気付いてました。ダビデによく似ていたので、何故メジチと呼ばれているのか謎でしたが、大変留飲がさがるお話でありがとうございました。
石膏デッサンなんてクソと思っていたので全然やらなくて、ドヘタクソと言われながら大学受験しましたが現役合格できたので何とかなることもあると思います。そして武蔵美は大変楽しかったです。
某芸大出身者です。
美大予備校に通い浪人もしました。
おっしゃっていることは全て事実です
芸大受験はハッキリ言ってギャンブルです。
でもそういういいかげんな試験だからこそ
私のような未熟者が1年で合格できたとも言えるわけで
その功罪はなかなか難しいところではあります。
だってギャンブルってクセになりますからw
ふと思ったが、日本の学校で教わる「美術史」の授業に、デザイナーがほとんど紹介されないのも、動画で取り上げられていた“デッサン重視の教育”にあるのかもしれない。一般的にデザイン分野では、デッサンよりも発想を重視する傾向があるので、技巧重視の日本の美術界では軽視されやすいのだろう。私の好きな美術家は、「イヴ・サンローラン」のロゴを手がけた版画家だが、その人もデザイナーの要素が強いせいか、海外の美術ではよく登場するのに日本の美術界ではあんまり話題にのぼらない気がするな。
横山大観ら日本画の人たちの写生に対する心得が変な方向に行っちゃったみたいな話になっちゃってますね、黒田清輝の言ってること。
10:15 自分もこの点は長らく懐疑的でした。確かに、技術体系(ツリー)として成立している類の物は絶対にその通りですが、それ以外もあるだろう、と。
そうじゃなきゃ、アンリ・ルソーが評価される世界は絶対におかしいじゃないか
石膏デッサンで個性がどうとかいうレベルは相当にハイレベルな領域です。
殆どの人が形や色が狂ってるのを正確なものになるように鍛錬するものです。
芸大受験レベルの人は技術はその時点で充分と思います。そんなハイレベルな集団が受験してくる訳ですから、入学者の枠が決まってる場合何処で差を付けるのが妥当なのか、どうしたらいいんでしょうね。
技術を学ぶところに主観。メジャーな石膏はみんな同じように描ける。だからマイナーな石膏が入って来る。メジチ。面白かったです。
ブルーピリオドは読んでて、あの藝大受験の裏にも黒田清輝が潜んでたわけですね
石膏像をカプセルガチャにしようという発想がすごいですよね。世界中にそんな発想をするのは日本だけ。美術教育は歪んでいるのかもしれませんが、それはそれで役に立っているのかも☺
横尾さんは日展で外れたけど、ビエンナーレで入賞したもんね。
石膏ボーイズ懐かしい!面白い試みでしたが、商業的にはあまり振るわなかった記憶があります・・・!
興味深かったです
石膏ボーイズなんとなくみてましたがそんな背景があったとは
美大出身の方が周りにいないので推察にはなりますが
フィギュアのクオリティなんかももしかしたらそういった事を学んだ方々の努力の結晶だったりするのかもとも思い歴史の数奇なつながりを感じることができました
美大予備校時代にデッサン描き尽くして何にも見ずに描けるようになったり、結局美大行けなかったので大人になってブルーピリオド読んで具合悪くなったりしたことを思い出しました😂
ふぁっく個性
高校の美術部で石膏デッサン沢山しました!
懐かしいです。
その頃は何も疑問を持たずにひたすら描いていました。
でも形の捉え方とか陰影の捉え方とか勉強になったと思います。
これはこれで良かったと思います。(石膏像愛が強いかも知れませんね)
海外の美術大学の受験課題はどんなものがあるんでしょうか?
海外の事はわからないですが、私が学んだ芸大では(20年程前)ドローイングの授業に力を入れておられました。勿論人体や石膏デッサンもありましたが。
ドローイングの授業は、一例ではダンスをしてるモデルを描くとか、動いたりスマホの操作をしたりしてるモデルの動きを描くとかでした。
動きに沿って何本も手があったりしても、どれかを消すことはしません。生きた線、生き生きした縁を描く事が重視される授業でした。カルチャーショックでしたが、慣れるとおもしろさがわかって来ました。
お蔭で、例えばコスモス畑で風に揺れるコスモスの群れを、一気描きでスケッチする楽しさを味わえました🩷