京都市の南部に巨大な湖があった?「巨椋池」とはなぜ生まれ、なぜ消えたのか。各地の遺構を巡りながら、その歴史を日本一わかりやすく徹底解説!【教養vlog】
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- Опубліковано 2 лип 2024
- 京都市の南部、伏見区の南側には、かつて巨大な湖がありました。
昭和の時代までは存在した巨椋池の歴史を学び、文明と自然の共存について考えてみましょう。
↓この動画を作成した感想&裏話の動画もぜひ見てください↓
• Video
00:00 オープニング
01:16 第一章 巨椋池の形成
04:56 第二章 巨椋池の変遷
10:40 第三章 巨椋池の消滅
18:03 エンディング(まとめ)
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当動画の番外編動画も見てください!
巨椋池の干拓は、巨椋池で漁業を営んでいた漁師自らが進めたという話(感想動画)
ua-cam.com/video/YUixEPka0gw/v-deo.html
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②京都市の財政破綻を防ぐためには「巨椋池」の開発がマストだという話
ua-cam.com/video/dx4gdjPG34w/v-deo.html
ウチのオカンが大正産まれで向島出身なんで巨椋池の話は良く聞いてます。
大正・昭和の初めでも蓮が咲いて水質は悪く無かったと言っていたので、それ以前の明治以前には、どんだけ綺麗な池やったか?と思うと感慨深いですね。😊
ちなみに、洪水の心配があって昭和50年頃までは向島の民家の軒下には小舟が吊るしてあって、地元の人達は水害への対策はされてましたね。
あと、淀の競馬場の池の周りはその母親の実家が持っていた土地で、競馬場が出来るので立ち退いてくださいと言う事で売却したと聞いています。
すごい興味深いお話です…🤔 資料にないようなお話をありがとうございます!
地元の者です。あまりよくわかってなかった巨椋池のことを初めて理解できました。ありがとうございます🎉
こちらこそありがとうございます😊
巨椋池のことを、相当に調査されたことが伝わりました。
水質汚染により干拓されたのは、悲しいけど、
広大な面積の農地からの農産物の恵みも知りました。
宇治市民も知らないことを教えていただいたことは
偉業です!
恐縮です。ありがとうございます😊
地元民ですが、小学生の時に巨椋池があったと教わったきりで、こんなに詳しく解説してもらい大変興味深かったです。そして競馬場の池は完全に人工のものだと思っていましたが、巨椋池と関係があったとは!
競馬場の池、びっくりですよね!
向島出身です。
巨椋池の事や向島の成り立ちなどは小学校で習いましたが、大人になって改めて見てみると面白いです。
分かりやすい動画ありがとうございます。
2013年9月の特別警報が出た大雨でも、向島は付近の宇治川は氾濫寸前で耐えました。治水対策の賜物だという事が良く分かりました。
長年の対策の賜物ですねぇ。
怖いのは、きたる南海の巨大地震時に液状化現象が起きないかです。
なにせ埋め立てたとはいえ、地下には琵琶湖の伏流水が いまだとうとうと流れていますゆえ。
地元民ですが
中々巨椋池の歴史って
たまにKBS京都とかで少し流れるだけでこんなに詳しく紹介してくれませんでした。
有難う御座います。
こちらこそありがとうございました😊
ですか → ですが
全国通訳案内士としての研鑽として小椋池関連を含めて様々な動画を見てきましたが、この動画ほど解りやすく完成度の高いものは見たことがありませんでした。地図や写真が解説ととてもマッチしており、更に歴史を歴史として語るだけでなく、しっかりと現代に繋げてまとめ上げているところも素晴らしいと思います。今後の動画に期待せずにはいられません!
恐縮です🙇♂️ 改善ポイントが山積しているので更にパワーアップできるように精進いたします。
郷土史的な話で言うと、干拓完了が1943年なことが郷土に大きな影響を与えた。
1945年戦争終了後、満州等の海外日本人移民は舞鶴港から日本に帰国した。
京都は戦災に遭わなかったし、巨椋池干拓のおかげで広大な農地が出来たので沢山の移民を受け入れる余地があった。
その名残りが京都で花咲いた中華、ラーメン文化に現れています。餃子の王将の創業者は元九州人の満州引揚げ民ですからね。
あと、満州には大列巴と言われるパン食文化がありました。これはロシアに近接した満州独特のもので、黒パンのようなモチモチした田舎パンです。
その名残りが京都の名店パン屋の多さとして残っています。
京都は10万人あたり食パン消費量が日本一と言われています。
戦争と干拓も大きく関係しているようですね。
亡くなった祖父が徴用工として巨椋池に関わっておりまして、1943年まで農地造成後の水路建設等に携わっておりました。
工事が終わった頃に私の父(次男)が生まれたと言っていました。
祖母と駆け落ち同然で京都に来て従事し、5人の子をもうけ、東寺近辺に家を建てたのですから。給金のいい仕事だったんだと思います。
近年、巨椋池用水河川の護岸工事に携わりましたが、推定80年前の護岸補強用の5m以上ある松杭が出てきました。数mおきに打ち込んでありましたね。非常に臭かったですが腐敗はしておらず、松皮もくっついたままでした。
その棲み分けにも拒絶された者は
東九条〜伊勢田に流れたって話…
@@kana3571. 東九条、伊勢田、亀岡〇町に人が移ってきたのは1953年以降ですよ。
巨大台風で鴨川の堤防が崩壊したんです、ちょうど大石橋あたりがね。洪水は東寺にまで迫ったほどでした。
それまで東九条なんて豚小屋と畑ぐらいしかなかった、とは親父や近所の三国商会社長の弁。
洪水のせいで東九条に土地持ってた人らは今の火打形公園あたりに移ったんですよ、そして代わりに今の住人が移り住んできた。伊勢田にも亀岡〇町にもね。
バブル崩壊前には火打形公園は無くて、周りは豚小屋・豚加工工場と田畑しかなかった。バブル崩壊と共に田畑や豚小屋は造成されて工場街になりました。それは自分の目で見てます。
@@Yubayasun
表向きはね〜そうだよね〜
落ちた話は人の数だけ有る。
自分1人が把握できる情報は
爪の垢くらいなもんだよ〜
宇治市で育てば誰でも巨椋池の名は知ってますが、詳しい歴史までは知りませんでした。解説大変ありがとうございます。
ありがとうございます😊 他にもたくさん動画出していきますね!
❤
お茶がうめえ!
@@user-dt9du3ny5yそんな飲むことないんやけどね
子供の頃台風で巨椋池だったたんぼが浸水して近鉄が湖の中を走っている不思議な光景を覚えている
あのアニメを見た時にも思い出した
近鉄が堤防の上を走っていたとは知らなかった
不思議な光景ですね😊
はじめまして。まさか地元のコアな話を取り上げて頂けるとはww どうもありがとうございます^^
私はまさにこの巨椋池漁民の子孫で、現在は米作りをしている者です^^
で、ちょっとお節介ではありますが、このお話に少しだけ(じゃないか?www)補足を・・・
巨椋池は湖ではなく、日本最大の『池』だった、という事ですね。これは池と湖の定義によるものです。
この池がお公家様の避暑地として存在していた事についてはまさにその通りで、観月橋や向島のお話に加え、
大納言や鵜飼田などの地名が現在も存在している事からも窺い知れます。
因みに登場した一口(いもあらい) とは、一口サイズの芋、『慈姑/くわい』の産地であった事に由来するそうです(諸説ありww)
また、伏見城がこの池を愛でる位置に創建された事も、その立地から見えてきます。
あと、池が消えてしまった理由ですが、水質悪化も大きいのですが、当時の時代背景から、食糧生産を増やす、というのも大きな理由で、
これは巨椋池干拓事務所に干拓の歴史として当時からの資料が一般公開されております。
そしてこの干拓が日本で最初の干拓事業であり、埋め立てではなくご説明にあった通り、水を抜いて行った事業だという事ですね。
(当時の自民党の一丁目一番地の大事業であったそうで、今でも干拓田は国の管轄ですww)
この池が宇治川の調整池であったのは自然の摂理の中で出来たものであり、瀬田の洗堰ができるまで宇治川と切り離されなかったのは、
自然と共に生きてこられた、まさにの証だったのだと思います。
で、S28年に水害で池が復活してしまった事は、その証明で、宇治川が決壊しなかったら、間違いなく淀川下流域で決壊し、
大洪水となっていた事でしょう。これも干拓史の中で記録され、寝屋川の水防団が災害対策に動いている中、雨が降り続く中で水位が下がるのを見て、
『あ、これは(上流で)切れたな』と言われたのだと・・・ この時、堤防の土は水で緩み、もう決壊寸前だったそうです。
この宇治川決壊については、よく『わざとここを決壊させた』とか、『堤防を爆破した』とか言われますが、そうではなくて、
あの場所は葦が生い茂り、整備があまりされていなかった場所が一番弱くて切れてしまった、という事だったのが当時調査資料から判明しております。
まぁ、結果的にこの堤防崩壊が京都市街や大阪市街を救い、皮肉にも市街が最小限におさまった、という結果をもたらした事で、
加えて各周辺自治体からも支援が集まった事から『巨椋池地区が人身御供となった』という都市伝説を広めてしまったようですね。
そして皮肉にも国の管轄として存在するおかげで、今でも各自治体の都市開発計画から逃れ、今でも都市部において、これだけの田園が存在しています。
それも今後、特例措置の元、開発が進んでいくようで・・・ 耕作地は減少の一途を辿るようです。
長々と大変失礼致しました。今後もコアな歴史解説、期待しております(#^^#) ありがとうございましたm(__)m
東一口の由来、そんな理由なんですね😆笑笑
とんでも無いです。勉強になります。引き続き宜しくお願いします。
@mozmoz7y.685さん 興味深くコメントを読ませて頂きました
私は「地元」ではないのですが、子供が京都・伏見に住んでいた事、奈良正倉院展に行くときに京滋バイパス巨椋ICを利用した事があり、気に留めていましたが、この動画、そして貴方のコメントを読み、よくわかりました、また東一口の地名の由来・・・有難う御座いました
greeting from TOYAMA city by old man
「東一口」の由来、いろんな説があるようで初めて聞いた説で面白いなと思いました。
自分が聞いた説は、当時その地区へ入るルートが一つしかなくしかもそんなに道幅もないところで、人々が行き交うのに一か所(一口)に集中してしまい
人が多すぎて「まるで芋を洗うような」と揶揄されたことから「一口=いもあらい」と言われるようになったと聞いたことがあります。
まぁ、それすら本当かどうかわかりませんけどね。
貴重なお話ありがとうございます僕は三川合流に住んでいる者ですが、周辺地域がこんな歴史とは知らなかったです。まさかの三川合流辺りが人工でつくられたのは驚きです!
@@kingyk9084 アイコンがドラえもん good
あんな巨大な池が京都の目と鼻の先にあったこと、それが今ではすっかり消滅してしまったということを知識としては知っていてもこれまでずっと「腑に落ちない」感覚を抱いてきましたが、この動画でそれがすっと解消しました。
それにしても、関東の人間からすると近畿地方の歴史のスケール感は憧れすら抱かせるものがありますね。
本当に関西の歴史はロマンありますよね。
京都競馬場の池が天然の池だとは驚きでした。
とても勉強になりました。
びっくりですよね!
地元で代々農業をしております。
撮影に資料作成、大変だったでしょう。ありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
巨椋池の名前は歴史を学んだ人間なら誰でも聞いたことがあるけど、無くなったのが大戦期の1941年とか、理由が川の付け替えによる環境の悪化だとかは、全国的には全く知られてませんね。
大変勉強になりました!🙏
いつもご視聴頂きありがとうございます。
これからも皆さんの知識の一助になれるよう精一杯発信していきますので、今後ともよろしくお願いいたします🤭
なんて楽しい授業なんでしょう。
社会が苦手だった私でも高得点が出そうなくらい理解が出来ました。
ありがとうございます。
ありがとうございます😊
何気なく開いたページでしたが、最後まで興味深く見ました。丹念に資料と現地を調べあげた解説で、このまま地歴教材に利用できるのではと思いました😊
恐縮です。ありがとうございます😊
中書島とか向島とかこんな平坦な土地でなんで島がつくのか不思議でした。
平家物語などにも出て来る通園とか巨椋池とか歴史あるなあと感じています。
本当に歴史のある地域ですよね。
宇治市民で、太閤堤の一部がそのまま道になった道沿いに住んでますが
子供の頃は、なぜここだけ、他より高くなってるのか不思議でしたね。
10数年前に太閤堤がテレビで紹介されて初めて知りびっくりしたのを覚えてます。
普通に生活してたら疑問を持つこともありませんよね。
その道が太閤堤の一部と知った時は
本当に驚きましたね。
地元を紹介してくださり、ありがとうございました。10年くらい前ですが、大雨で液状化して大変やったこともあったんですが、それも紹介して貰えたら面白い動画になったかもです。京滋バイパスが通行止めになり、西大路五条から京都東インターまで5時間かかる程の大惨事でした。
すごい被害ですね、、、まだ地盤に名残を残しているのですね。
フィールドワークしていただいているお陰で凄く土地の高低差や地形が解りやすくて面白かったです
ありがとうございます😊
有益な情報量が非常に多いと思いました。
とても解りやすい解説をありがとうございます。伏見の酒蔵町なかにある産院で生まれ、宇治でパートをしてたり、動画中の道を車で走り回って生活しております。水産学科にて学んでいたので、琵琶湖淀川水系がフィールドの一つでした。とても有意義な視点からの論が素敵です。本当にありがとうございます。巨椋池が干拓化されたことが、ミナミトミヨというトゲウオが絶滅した要因の一つとのことです。
こちらこそありがとうございます😊
東一口の山田さんとは職場の仲間だったことがあって、息子さんの大学進学のために「田圃をちょっと売る」と言ってられたことを思い出しましたが、あんな大きな家だったとは知りませんでした。ただ、本人も若い頃に「射撃の選手」としてオリンピックを目指してたとか日ハムから阪神で活躍したPL学園の片岡選手は甥にあたるとか話してられたことを懐かしく思い出しました。
すごいエピソードですね…😳
麻生くんのお友達かもね⁉️
(゚⊇゚)
超大規模な氾濫湿原地だったのですね。今では考えられないくらいの生物多様性が保たれアユモドキやイタセンパラといった絶滅危惧種が豊富に生息していたと思います。タイムマシンがあれば見に行きたいと思いつつ小規模でもかつての巨椋池の機能を治水とバランスを取りつつ復元できないかなと思います。
ロマンありますよねぇ。
良く第二京阪を通り京都や滋賀に行きます。
何故ここまで大きな田畑が残っているのか不思議に思っていました。
池の歴史や近くの風景にこの様な歴史があった事もしらなかったので、面白かったです。
ありがとうございます😊
知るとびっくりですよね!ありがとうございます😊
小倉、木幡に住み、小学校では巨椋池の歴史を習いました。伏見や向島でもよく遊びました
太閤堤、瀬田川洗堰、天ヶ瀬ダム、干拓地の時系列がわかりやすくまとまっていて俯瞰して繋げて整理できました
非常にわかりやすい動画解説ありがとうございました
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
各所の遺構に足を運んで撮った映像、記録写真、地図などの資料とともに、パートを分けて丁寧な解説。曖昧にしか知らなかった巨椋池の歴史を非常に理解できました。素晴らしい👏 CH登録しました。今後のご活躍にも期待します👍
嬉しいお言葉、ありがとうございます😊
1960年代後半に、まだ農地化されきっていない、茫漠たる元湿地を車窓から眺めた記憶があります。京都、大阪という大都市の間にこのような土地が広がるのが子供心にも非常に印象的でした。
たしかに異空間ですよねえ😌
1990年くらいでも、今の京阪淀駅のある辺りは元湿地の雰囲気を残していましたよ。「なんか沼っぽい」といつも眺めていました。
ちょうど京阪の線路と京都競馬場のあいだのまさに線路脇に、堀だか川だかわからないような水路のようなものがあり、そこには葦がひょろひょろと生えていました。
幅的にも長さ的にも、ちょうど今の淀駅の位置です。昔の淀駅は、淀城のすぐ横にありましたが現在地に移転しました。
大阪在住です。源氏物語や鉄道が好きで宇治川を見に行ったり、近鉄線に乗ったりして巨椋池を干拓したことは知っていましたが、この動画は素晴らしい!観月橋は宇治川がらみかと思っていましたが中書島や向島の成り立ちになるほど!と思いました。ありがとうございます!
こちらこそありがとうございます😊
凄いですね。情報量とまとめ方がとても分かり易く見やすいです。
大変勉強になります。今後も期待しています。
ありがとうございます😊
次も関西なので楽しみにしていてください!
私も地元民です。木幡池はとても汚くて、汚いと不法投棄もあってパソコンや周辺機器がよく捨てられています。ですが、カモの仲間やサギの仲間、カワセミ、カワウなど多くの水鳥が観察できます。巨椋池の名残だったのかぁ…中書島や向島が本当に島だったのは初めて知りました!おもしろかったです!
鳥が飛来すると癒されますよねぇ😌
ありがとうございます!
鴨が飛来する季節になると、早朝からカメラを携えた方がおいでになります。
巨椋池も消滅するまでの歴史は興味深いですね。一度見てみたかったですが当時の生き証人である三栖閘門などを訪れると感慨深いものがあります。
本当に考えさせられる歴史ですよね。
巨椋池と云えば、高校の古文の教科書の後ろの方の京都の地図でしか見た覚えがなかったのですが、今回、これを見ながら、何度も「なるほど!そうだったのか!」と納得し感心しました。ありがとうございました。
ありがとうございます😊これからもよろしくお願いします!
京都住みですが、巨椋池がこんなに大きかったなんて知りませんでした。😮
中書島や向島の地名の謎も解けてスッキリしました😊
聞きやすい話し口に資料や映像も豊富でとても完成度の高い動画をありがとうございました!
ありがとうございます😊
京都を訪れる時にいつも巨椋池と言う地名は気になっていました、大変わかりやすく巨椋池の歴史を知る事が出来ました。今度現地に実際に行ってみたいと思います。
ありがとうございます!行ってみてください😎
子供の頃に、京都の南側の空を飛んで巨大な湖を上から眺める夢を見て、
「内陸の京都に湖ってw」とか思ってたら、10年後に巨椋池を知ってびっくりした思い出w
前世は鷹だったのかもしれませんな。
それはすごい話ですね😂笑
草
・・・という夢だったとか・・・
住んでいるところが近くですが、小学生の時に巨椋池の歴史は習いました。
その当時、小屋を見てみると曽祖父が使ってたであろう大きな網などが置いてあり、巨椋池で漁をしていたのかと思った事が懐かしいです。
東一口の巨椋池排水機場も小学生の時に見学に行きましたので、懐かしかったです。
巨椋池がなくなってからも洪水の被害は多かったようで、家が少し高めのところに建ててある(旧家は)
網があったんですね!名残ですね😊
地元には「島」が付く地名が多く、田んぼに蓮尾が咲いたり、今でも巨椋池の名残りを感じることができます
そんなとこにも名残があるんですね😊
向島小学校の卒業生です。楽しく見させてもらいました。ありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
わたしも同じ学校の卒業生です😮 😊
地元民として、子供の頃(1980代後半)に、ご当地教科書?の「わたしたちの宇治」でさらっと学んだていどですが、オススメにあがってきて、見入ってしまいました。
インターネットが世に出てから自分で調べようとしたこともあるのですが、このように分かりやすく動画にしていただいてありがとうございます。
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
60年位前に近鉄小倉駅付近へ仕事で何度も行ったことがありました。駅の西側堀池に粗悪な建て売り住宅がたち始めいました。向島駅東に建て売り住宅が開発されましたが湿気が凄く雨や曇りの日など下水溝に集中配管のプロパンガスの臭いが漂っており気持ちが悪かった。まだまだ巨椋池の名残で湿地だったのですね。
なるほど。名残がありますねぇ。
幕末など巨椋池周辺は湿地帯が多く、
鳥羽伏見の戦いもグジョグジョのぬかるみの中で戦っていたそうですね
なるほど、、それは面白いですね🤔存じ上げませんでした!
ゲーム「信長の野望」をやっていると伏見のあたりに巨大な池があるので「戦国時代の頃はこんなのがあったのか」と気になっていました
まさか昭和まで存在してその後人の手で消滅していたとは・・・勉強になりました
ありがとうございます😊
大昔の学生時代に伏見に住んでおり、巨椋池の名はたびたび耳にしましたが、過去の巨大な池の存在など実感できませんでしたが、この動画で良く理解できました。ありがとうございました。
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
巨椋池のお話、非常に興味深く拝見しました。
実は私の祖父はじめおじの何人かは、旧建設省の役人で、しかもダム族です。
お話に有った天ヶ瀬ダムの建設は祖父が関わっていましたし、南郷洗堰のあと建設された瀬田洗堰の管理事務所の副所長をおじがやっていたりで、特に祖父は巨椋池の事にも関わりが有っただろうと思っています。
役人にあてがわれる住居、官舎が淀に有り住んでいました。
今回の動画で非常に興味深かったので、生前の祖父に話を聞いておけば良かったとの思いと、祖父の足跡を辿った様な気持ちになりました。
恐縮です。ご視聴ありがとうございます😊
役人にあてがわれる…今の公務員さんはそんなところに長く住む方もおらず伏見の官舎や淀の官舎も、廃墟化してますね?
@@jqnet48 さん。
昔は現地の近くに居住しないと仕事が出来なかった。公共の交通が今ほど発達してなかったので。
祖父が奈良県十津川の十津川ダムに関わった頃は五條市の官舎に住み現場で有る十津川に1日がかりで移動、週末に1日掛けて帰るなんて生活だった様です。
@@user-rl2fv9ol9j ご返信ありがとうございます。
今は便利になったのと、直接役人さんが現場に行くなど昔より少なくなっているように感じます。
業者委託とかに切り替えたりしていて。官民問わず、昔の【仕事】ってほんとに皆、マジでしたよね。何だか今は、どこか他人事見たいに思うのは私だけでしょうか?責任が希薄と云うか。
官舎は、今は若い独身の人でも住みたいとおもえないような佇まいで(お住まいの方おられましたら失礼)国有地?が無駄に放置されてる感じです。
話は変わって東一口の桜は大好きな桜スポットで毎年見に行きます。綺麗なところですね。
@@jqnet48 さん。
官舎と言う言葉さえ死語となりつつ有る印象ですね。
出身地近くには警察官待機宿舎が有り、木造から当時流行りの団地スタイルに建替えされました。友人も何人か住んでおられましたが、改装や増築などを行っても居住者は激減したようですね。
実際に中も見ていますが2LDKの間取りでLDKかKか怪しいサイズ。畳も団地サイズで狭い。
官舎等も今風のマンションに建て替えれば良いのでしょうが今度は世間の目が厳しい。
東一口の桜ですか。
一度見てみたいですね。三川合流部の桜。早朝に朝霧がかかる中見た事が有りますが、もお幻想的で、あれをもう一度と思うのですが、あの条件に当てはまるのは奇跡で、未だ再会できません。
JR奈良線が巨椋池を取り囲むように東に迂回している。
永年の疑問が解消した😃
あそこだけ明らかに遠回りしてますもんね!
以前、夏に京都府立植物園を訪ねた際、「巨椋〇〇」という蓮の花が多数咲いていました。
調べていく中で、かつて京都南部に存在していた「巨椋池」に由来することを知りましたが、
今になって「巨椋池」を解説する動画に出会えて驚いています。
かつては風光明媚な場所だったからこそ、蓮の名前に「巨椋」を冠したものが多数生まれ、現在も府立植物園に展示されているのですね。
そして、水害に悩まされたエリアでもあり、治水の結果なくなってしまったことも…
とても勉強になりました。蓮の季節になったら、汗をかきながら巨椋池に思いを馳せようと思います。ありがとうございました。
こちらこそ素敵なコメントありがとうございます😊
伏見港の水門は中書島駅から西側にあります。
子供の頃はその中間にあるプールへ行ってました。
十石舟の経路途中に出会い橋という3本の橋が合流する橋があり、
その西側に宇治川や堀川の水路の変化を時系列に展示されています。
更にそこから東側には寺田屋があり北には坂本龍馬が逃げ込んだ木材屋跡地の石碑もあります。
勉強になります。コメントありがとうございます😊
京阪本線の淀と中書島の駅間が極端に長いのも、
今思えば巨椋池の存在が関係してそうですね。
おっしゃる通りですね🤔
その間は巨椋池が干拓されて今もほぼほぼ農地。
都市計画法では市街化調整区域なので家が建たないからね。
駅を作っても利用者がいないもんね。
線路の南側が宇治川、北側が清掃工場などで民家がほとんどないのが理由ですね。
巨椋池が由来だったんですね、中書島駅に何故か伏見港公園があるのは不思議に。どこに海があるんだよと思った。駅名は小倉なんですね。
一昨年の冬、仕事の帰り夜中4時ごろ雨の中を久御山の某所から巨椋池の田んぼ地帯を縦断して向島駅まで歩きました、夜中の雨の農道は怖かった。
確かここって近所にあの有名なウトロ地区のある近所ですよね
ウトロも近いですね!
81系統のバスの終着が伏見港って名称なのがあるけど、あれってもしかして巨椋池の港だったのかしら
動画でも紹介した伏見港公園ですね☺️
天ヶ瀬ダムの場所にはかつて京阪電鉄が運営するトロッコ電車が走ってたんですけど、ダム建設によって廃止になってしまったんですよね~。
京阪宇治駅→平等院→バス→トロッコ電車→バス→石山寺→京阪石山寺駅のルートは当時大人気の観光コースだったらしいです。
大峯ダムですね!
近代になって干拓して農地にしたいから段階的な手段を使って巨椋池を干拓したんだろう。しかし、干拓後農地としては成功したかもしれないが遊水池として縮小してでも河川と繋げて残した方が良かったろうにとは思いますね。
難しいところですよね。
豊かな自然がある一方で、マラリアの発生源でもあったそうですしね。
この動画でもあったけど、干拓後も水害があったんよ。
ワシのオカンが向島出身なんで、親戚の家に遊びに行った事あるけど昭和50年頃まで家の軒下には小舟が吊るしてあったからね。
結局は上流の天ヶ瀬ダムの完成で干拓事業は完成。
電力需要などを考えるとこの状態がベストと思いますよ。
将来に水害の種を残さない為にもね。
知ってるようで知らないこと山程ありますね❗️小学校の遠足で出来立ての名神高速を通り天ケ瀬ダム行きました天王山の山崎の合戦と多目的ダムの話ぐらいしか興味がなかったけど歴史好きで山崎の合戦調べたら大きな巨椋池の説明がありました太閤さんが干拓に手をつけたことや淀君の淀城とか現在迄一気に教えて頂きました‼️西国街道の昆陽池ももっともっと大きかったそうで教えて欲しいです❗️
名前を初めて聞いた巨椋池の存在ですが、実に興味深く閲覧させて頂きました。多岐に渡る丁寧な解説は素晴らしいですね、TVを観るよりよっぽど有意義な時間でした。
ありがとうございます😊
ぜひ他の動画もご覧ください!
秀吉が伏見にいた頃、名だたる大名は身近に置いていたが、徳川だけは豊後橋を隔てた向島に水を囲んだ状態で配置、監視していたのも書を読んで思い出しました。最後まで見て良い勉強になりました^ - ^
こちらこそ新しい知識をありがとうございます😊勉強になります!
興味深い内容で更に語り方も穏やかで和みます
ありがとうございます😊 さらに質を高めていきます!
今は昔
太閤堤も
坂の下
当時の治水工事は今以上に大変で、効果が現れるのが何年も後になる事から評価を受けにくいものだったはず。それでもこの広大な地域のためにやってのけた凄さよ。
水が豊富な国のイメージがある日本ですが、夏に水不足からの節水を求められることも増えてきた気がします。そういう意味でも、改めて、周囲の水辺に注目してみたいと思いますね。
秀吉は土木の天才でもありましたね。
現地の映像まできちんと取材されていて関心しました。
ありがとうございます😊これからも頑張ります!
六地蔵の駅近くにも池が有ったけど平成で埋立られた時は残念だった。
久御山の小学校に通ってた時は洪水警報が出る時は休校で嬉しかった思い出。
用水路が洪水しても田んぼで食い止めて住宅にはあまり被害が出なかった様な?
木津川の流れ橋を始めよく対策された地区だったとわ
昔からの知恵ですね。
すごく分かりやすく、痒いところまで手が届いた動画でした。ありがとうございます。
こちらこそ有難うございます😊
実に勉強になるいい動画
災害、生活の利益を考えると自然保護は実に難しいものですね
本当に考えさせられますよね。コメントありがとうございます😊
かなり前ですが京都に10年くらい住んでいました。地図で巨椋池の地名があり、ときどき近くを通ったこともあったのですが、なぜ池なのかわかりませんでした。歴史でときたま宇治港の話が出てきますが、宇治に港??と思っていました。この動画で長年の疑問が晴れました!ありがとうございます!
こちらこそコメントありがとうございます😊
周辺の地域出身の者で巨椋池の干拓のことは昔、小学校の社会の授業でやった記憶があるのですが30年以上前のことなので改めて動画で説明して頂き楽しく拝見できました。ありがとうございました。
こちらこそご視聴ありがとうございました😊
巨椋池の話は地理や歴史に興味ある人にとってはミステリアスで知的好奇心をそそりますね。
昭和28年の大水害で、なくなったはずの巨椋池が忽然と一時的に姿を現した話題に触れていたらパーフェクトでした
動画で触れられていたみたいですね。失礼しました
いえいえ、ご視聴ありがとうございました!
数年前まで単身赴任でよく背割堤から観月橋あたりの土手を走ってました。春先は背割堤の桜をみて東一口排水機場付近の土手に咲いている菜の花を眺めるのが好きでした。懐かしい景色をありがとうございました。
こちらこそ素敵なコメントをありがとうございます😊
凄く面白かったです。行ってみたくなりました。平安時代からのお店が今もあったり、漁業が盛んだった池が農地になってるなんて😮
調べるのも大変だったでしょうに、ありがとうございます😊
こちらこそありがとうございます😊
むかしは巨椋池がありました
今は天ヶ瀬ダムは巨椋池の代わりになって降水を防いでいますからね~
おっしゃる通りですね!
巨椋池と観月橋 その関連性が知れて勉強になった 面白かったです
ありがとうございます😊
巨椋池がかつて存在したことは知ってましたがそれがこんな身近(伏見桃山駅付近に息子が下宿してました)で何度も訪れていた場所だったとは…確かに巨椋池ICは何度となく目にしてますが…
興味深い知識が得られました。ありがとうございます。
そして淀の競馬場の池がまさかまさかの巨椋池の名残とは!
主さんと同じく人工池だとずっと思ってました。それこそ競馬を見始めた小学生の頃からすると40年以上😅
今では新しくなってしまいましたが昔は淀城のすぐ近くから歩いて行ってたのでたまに淀城でゆっくりと過ごしてから競馬場へ向かっていました。
京都って改めてええとこですよね。
やっぱり人工池に見えますよね!
元、久御山町民です。一口の百姓屋さんからよく野菜を頂いてました。今は亡くなったのですが昔は漁師で親父と漁に出てた と言ってました。
シャコも取れてた。スッポンはええ値で売れた。天然の鰻はパサパサで全然美味ない、浜松の養殖の方が脂のって旨い。と貴重な話をしてくれました
京都競馬場は仕事で2回行ったのですが池ある事も知りませんでした。宇治市小倉町に ’巨椋神社、あります。
それは貴重なお話ですね😎
大変わかり易かったです。数年前まで会社の伏見営業所で働いていたので、知っている場所、知っている地名でも知らないことばかりで懐かしくも勉強になりました。ありがとうございました
いえいえ、こちらこそありがとうございました😊
他にも京都の動画があるのでご覧ください♪
小倉に小さい頃住んでました。まだ向島駅が無かった頃です😆
巨椋という字は、今ではインターがあったりして身近ですね。
もう他界してしまった親父に見せてあげたかった動画です。
向島駅前がなかった頃…想像もできません。😲
恐縮です。コメントありがとうございます😊
この辺りは車で走っていたので良く知っていますが、知らない情報もありました。
永久保存版級の素晴らしい動画です。
恐縮です。ありがとうございます😊
これからもっとパワーアップします!
昭和までは残ってたんですね。もっと前に埋め立てられたと思ってました。話はそれますが、今の淀川河口部の広さが人工的なものだったと知った時は仰天しました。人間の力は凄いですよね。
本当に文明の進歩はすごいですね!
面白かったです!紹介してもらえて、巨椋池も喜んでると思います😊
嬉しいコメントありがとうございます😊
巨椋池は風水思想で洛南側の防御の役割があったので江戸時代までは干拓されなかったのでしょうね
それもあったと思います。
歴史と変遷が分かりやすくて面白かったです!
ありがとうございます😊
小学校から大学卒業まで近鉄電車で通学してました。
池であった事は学校でも教えられましたが、詳しい解説をしていただき楽しく視聴する事が出来ました!
ありがとうございました😊
こちらこそありがとうございます!
淀に住んでますが河の付け替えに興味があり少し調べた事がありますが詳しく分からずそのままになってましたが分かりやすい解説で楽しかったです お疲れ様でした。
ありがとうございます😊
巨椋池が昔あって、水質の悪化が問題になって干拓されたということを知ってはいましたが、三つの河川との地理的関係が分かっていませんでした。
大変勉強になりました。
ありがとうございます。
こちらこそありがとうございました😊
久御山町の住人だったので、とても興味深く見ました。何度も映っていた、白黒の写真、山田家でありましたね。蓮の花が種類も豊富でそれは美しかったとか…。舟を漕ぎ出して、ご婦人方が蓮の花の観賞に行くのが一種のステイタスだったとか…。
池が失くなり、蓮の花が観られないのが残念です。何処かで復活できたらなあ…と長年思っています。
昔の姿が偲ばれますねぇ。
この歳になるまで巨椋池について全く知りませんでした。
いい勉強になりました。
チャンネル登録させていただきました。
18:14 からの「まとめ」からがわかりやすく、良くまとめてあり敬服いたしました。
ありがとうございます😊これからもよろしくお願いします!
【お詫びと訂正】①十円玉に描かれている平等院鳳凰堂は、裏面ではなく表面に描かれています。失礼致しました。
ナレーション技術もさらに改善いたします。
我々が普段表面だと思っている、硬貨の数字が大書きされた面は実は裏面なのですよね。
とても分かりやすい、かつ面白くてチャンネル登録させていただきました!
次の動画も楽しみにしています!
ありがとうございます😊
ダムを作った時点で元に戻すだけで良かった気がするんだよね。
盆地なので熱源を減らす川や湖は非常に貴重なんだよね。
遊水池は下流の水害を防止する昔からの知恵なので
大きな川がある地域はあるんだよな。
たしかに巨椋池があれば少しは涼しかったかもしれないですね。🤔
ありがとうございました。良くわかりました。まさか、そんなに大きな池と思っていませんでした。
びっくりですよね!
小学生の時この池について習いました。懐かしいです
ご視聴ありがとうございました😊
中書島駅は巨椋池を避けるように街のど真ん中に造ったため非常に窮屈。建設の時かなり難航したに違いない。槇島、向島も巨椋池の島だったとは。
確かに中書島駅は狭いですね。
学生時代、巨椋池の跡地の見学に行ったことがあります。
鉄道の線形からの考察は、すばらしいてと思います。
大変勉強になりました。
嬉しいコメントありがとうございます😊
古典の教科書の付録の地図に「巨椋池干拓地」と書いてあり、文章の横にある地図には巨椋池がしっかり当時の形で書かれており、河川の形も現在と違うので気になっていたんですよね
動画ありがとうございます
ありがとうございます😊
昔京都に住んでいた時に気になっていた池なので、詳しい解説ありがたいです😊
ありがとうございます😊これからもよろしくお願いします!
「消滅した幻の湖・巨椋池」について以前から関心がありましたので、興味深く動画を視聴させていただきました。
わかりやすい内容で、湖の成り立ちから消滅までよくわかりました。
かつての漁師町の街並みがそのまま残っているというのも興味深く思いました。
高評価ボタン・チャンネル登録させていただきました。
漁師町面白いですよね。とても風情のある街並みでした!ありがとうございます😊
巨椋池何回か通ったことも有り気になってたのでこの動画にたどり着けてよかったです
今はとても池があったとは思えない土地ですよね
ありがとうございます😊
本当に面影はないですよねぇ
三川+淀川の河川敷を走るのが、コロナ明けのマイブームなのですが、
知らなかった歴史を知ることで、見慣れた風景を新鮮な目で見直すことが出来そうです。
この動画に出会えて良かったと心から思います。ありがとうございました。
そこまで言っていただき恐縮です。ありがとうございます😊
大変ためになる動画🎉 古地図を見て気になってたが、読み方すら知らなかった🤔 何故なくなったか よく解った👍
ありがとうございます😊
地元出身やけど小学生のとき社会の授業で巨椋池のことを習ったなぁ。
地元の方には有名な存在ですよね。
向島に住んでましたけど、そんなに大きな池だったんですね~
校歌に巨椋池ってフレーズありました
校歌に残ってるの、歴史が感じられていいですね😊
すごい…もう40年近くも巨椋池について調べているが、相当マニアックですね…ひょっとして地元にゆかりのある方なのですか?
住んだことはありませんが、各種文献や史料をまとめて作成しております!
@@nipponsousei_tv やはりそうでしたか。誠にお見事!感嘆です!
@@user-ds5jt8qc8e 恐縮です。もっとパワーアップできるように頑張ります💪