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この寝台特急ゆうづる5号はゴウマルサンダイヤ改正では3号で583系でありながらゴウイチトウダイヤ改正までは全車指定席での運行でした。理由は様々ですが、労働組合の悪化や、同じ時間帯の寝台特急はくつるの寝台券が取りにくかったことも影響していました。何しろはくつるは寝台特急では最も入手困難な寝台券でした。この列車の函館から連絡する列車は釧路・網走・稚内すべて一本の列車で乗り換えなしだったからです。よく1M特急はつかり5号がでてきますが、この列車だと睡眠時間が中途半端でキツかったです。
そうだ昔上野駅には18番線があった。なつかしい。
つくばの科学万博が開催された年に家族旅行で583系の寝台特急はくつる(常磐線経由)に青森から乗車しました。発車後の鉄道唱歌のチャイムは今でも覚えています。幅の広い下段寝台2つを母と私、姉と兄で使用しました。上野で出張中だった父と合流し、万博会場に向かいました。その後東京へ戻りディズニーランドを堪能して秋葉原で一泊、翌日上野動物園や東京タワー、サンシャイン60等を見物して東北新幹線、はつかり(485系)で青森に帰ってきました。あの頃は良かったなぁと思いました。ちなみに583系はこの2年前の家族旅行でも青森への帰路に同じはくつる(この時は幅の狭い上段)で乗車、高校の修学旅行の団体列車(青森〜盛岡)でもお世話になりました。8:18からの東青森駅界隈の映像も懐かしく拝見させていただきました。
上野発19時過ぎで青森着が5時過ぎ、函館を経由し網走着は21:40頃!
私が、ゆうづる乗った事があります。91年7月30日で北海道に行く時に乗りました。アルバイトで稼いだお金で新鮮味がありました。
高校時代の修学旅行に青森から上野まで乗車しました。就寝中トイレにこまりました。
上野発の在来線優等列車が花盛りだった頃の貴重な音源ですね。ゆうづるだけでも7本が青森まで結んでいましたね。
中学2年生(1984年)の時に青森駅から上野駅まで583系に乗車しました。ほとんど寝ないで遊んでました。(二段ベットの上でしたが小窓があって楽しかった)(^o^)
子供の頃(昭和50年頃)は 上野から ゆうづるに乗って青森駅→青函連絡船で函館へ。青森に到着する時間が いつも妙な時間帯だった。それにしても 懐かしいです。
連絡船からの乗り換えで乗るのはいつも「はくつる」で、「ゆうづる」には縁がありませんでしたが、同じ583系の音、同じ鉄道唱歌でとても懐かしいです。夜行寝台列車の終焉は、乗客の減少が理由というのは半分本当、半分嘘で、民営化した鉄道会社が夜間移動の利便性や旅情という商品価値よりも、深夜帯の駅員配置や保線など事業効率を優先した結果でした。最後の定期夜行寝台サンライズはいつまで走り続けられるでしょうか。「過去の思い出」としてこのチャンネルに上がらないことを願います。
貴重な音源をありがとうございます。
雰囲気がいいですねぇ。寝台電車は、乗れませんでした。サンライズ含めてです。サンライズは会社の中でまだごく一部出入り口の器具付けで応援で入っただけでした。
鉄道唱歌のオルゴールメロディと、25m線路のリズムがなんとも旅情を誘います😂それが寝台特急ゆうづると言うのがたまりません…😂
かつて国鉄時代の寝台特急ゆうづる号は上野駅から青森駅まで運転していました。まだ青函トンネル開業前は青函連絡船が運航して本州から北海道への交通機関として役割を繋いでいました。寝台特急ゆうづる号は、とにかく私にとって思い出の列車でもあります高校生の時、京都へ学旅行の際初めて寝台列車に乗車のはゆうづる号なのです。行きは青森駅から上野駅までの上りは客車24系で帰りは上野駅から青森駅の下りは583系のプルマン式の電車三段式寝台列車で利用した寝台は、すべて上段でした。
昔は周遊券での旅が主でしたから、夜行列車は自由席の「八甲田」「津軽」「十和田」「おが」「鳥海」「能登」「越前」などによく乗りましたね。ホテルも今のように手軽に泊まれるような環境ではありませんでしたから、駅ネや上記夜行列車で深夜の上下乗り換えなどで夜を明かしたものです。座席の下にスチール缶を挟んで傾斜を作り通路側ひじ掛けを枕にして寝るのが一番快適でした(そのままだとひじ掛けが高すぎて首が痛くなる)。
柏在住だったんで、良く見ました。一回だけ、客車のゆうづる家族で乗りました‼️ 豪快に柏通過した思い出が🤣 当時の常磐線って揺れましたねー(笑) オヤジがこぼしてました🤣 それでも、「結構眠った」とか、急停車等ないなら、夜行列車は開放感があって、寝やすい‼️
停車案内で仙台呼ばれず二度聞き。仙台通過するんだ。すげーー。という語彙力低下
でも、運転停車で実は止まってるんだよ😁
平から盛岡、八戸、野辺地しか停車しない。ほぼ青森、北海道へ向けた方々に対して設定されたダイヤですね。
「ゆうづる」中心に多くの夜行列車が次々と発着していましたね。同じような時間帯の列車の場合、音鉄からすると車内放送の上手な車掌さんに当たるか否かで大きく評価が変わります。発車前のアナウンスを聞いて、ハズレかな?と思っても全車指定席ですから、時すでに遅し。向かいに停車中の続行便に変更という訳にはいかず残念な思い出も・・・
やっぱ車掌さんはなまってた方がいいよね!旅してるって感じします
しんだいとっきゅう→すんだいとっきゅう な感じ結構痺れます🥰。
なまりを“クレーム”するヴァカがいる嫌な現代()
ベテラン車掌長の名調子(車内放送)が旅情を掻き立てますね。(JRになってからは、幹部候補生が『車掌業務の一環』で業務にあたる事もあるので事務的で味気ない事もありますが)。
青森車掌区が持ってました
常磐線の、列車の四天王、特急みちのく~特急ひたち~寝台客車特急ゆうずる~寝台急行十和田~ですよ。
いわきの次は盛岡まで停まらなかったのですね。
山陰リスナー 仙台止まらないのは驚いた
@@kokesi5201 実際には仙台駅で運転士の交替があり、客扱い無しの『運転停車』はしておりました。
停車駅が極端に少ないですね
3:48 鉄道唱歌
青函航路接続がメインのダイヤ設定のためか、「ゆうづる」は、青森到着5時というのがあった。これは、函館で「おおとり」に接続するダイヤ。三沢通過のダイヤ設定ということは、「はくつる1号」が、前後に設定されているのかな?「出羽」のアナウンスが21時40分という事は、新幹線大宮暫定開業の時期。国鉄最後の「出羽」は、上野駅23時03分発車のダイヤだけは覚えている。
グリーン車6号車は編成替え後ですね
はつかり13両編成のグリ-ン車に乗った時2号車でした。人生初のグリ-ン車。全車指定席で停車駅は上野、宇都宮、福島、仙台、盛岡、青森以外全て通過。
@@急行らいでん-x9x それは5310前でいうところのはつかり5号ですね青森駅24時過ぎ着、連絡船接続を意識したダイヤだったと思います自分はその直前に青森駅に着くみちのく号に縁があり複数回利用しました編成替えは1979年の改正だそうです
凄いですね。編成と停車駅で割り出しましたね。昭和53年7月の上野16時発青森行きの下り特急はつかり5号です。当時中学生で北海道一人旅でした。都区内フリ-や日光、新潟、広島と徐々に足を伸ばし、ついに初の本格旅でした特急はつかり5号~連絡船~急行ニセコ~急行狩勝でまず釧路に行き、その後4年かけて道内全路線走破しました特急みちのくは青森駅で発車5分前まで座席に座っていたのですが、後続の臨時急行八甲田が好きな14系だったので、結局乗り換えました。当時は本当に選択肢が多く色々な列車を楽しむことが出来ました。特急はつかり、ゆうづる、いなほ、急行もりおか+しもきた、津軽、八甲田、十和田、天の川+千秋、しらゆき+佐渡、すべて上野~青森間で実際に乗車した列車です。一部複数回乗車。
@@急行らいでん-x9x 恐縮です ブルトレブーム時代小学生の自分は、当然出かける時間も金もなく(笑)近所の友達と時刻表を眺めては、気に入った列車の停車駅など調べて遊んでいました 両親が東北でそっち方面の列車には乗る機会があり興味もあったので、たまたま最速達のはつかり5号の停車駅を知っていたということで 何度か乗ったみちのくの日立、湯本、原ノ町、小牛田、一戸などという地名もそれで覚えたわけです 中学生の一人旅、すごい勇気で 乗られた列車もバラエティに富んでいてうらやましいです 自分の583グリーン車初体験は就職後、しかも急遽祖母の葬儀に参列するためゆうづるの寝台が取れず確保した座席(すでに6号車) ただ、20系十和田の寝台と旧客八甲田、昼行特急鳥海に乗れたのは貴重な思い出
いわきのこと昔は平って呼んでたんですね!
加トちゃんが喋っているようにしか聞こえないw
寝台列車や訛りのある車掌のアナウンスはまさに旅って感じがする。今の新幹線はただの移動になってしまったからこのような旅はもう出来ないのは悲しい。
柏に停車してれば、柏から拾えたのに
ウン10年前の小学生だった頃の思い出が蘇ってきました。嬉しすぎてよく眠れなかった・・・
やっぱり早いだけじゃないのよね懐かしい旅情を感じる…知らない人とも平気で話せてこの頃が1番好きだなぁ…
ゆうづるもはくつるも仙台通過だったね。いまだに許しがたい。
正確には運転停車ですね、運転手交代の為
東北本線、常磐線の特急街道の時代。懐かしいですね。
序盤のいかにも583という重厚なジョイント音が泣けます
この車内チャイム、めちゃ懐かしい〜! 聞いてるだけでワクワクします。小学生の頃、夏休みや冬休みは青森の親戚の家に行くのに、ゆうづる、はくつる、はつかりに乗っていました。
3:48懐かしいミュージックとその後続く車掌さんのアナウンスこの車掌さんは関西出身ではないでしょうか?「盛岡」の発音がそれっぽく聞こえました。
ゆうづる、はくつる、急行八甲田、何回乗ったことやら、寝台特急なのに、外を窓からみてて、結局青森まで起きてたな、、わら懐かしい貴重な動画ですね
583系の最上段は、窮屈でしたね。昼間モードの座席は垂直でした。しかし、この新幹線の0系を思わせる車両の色はよかった。
583系の座席モードの背もたれってかなり傾斜ついていたような気がするんですが……逆に485系の方がリクライニングも無くて長時間乗車が辛かった
三沢停まらない。
いつも動画、楽しませて頂いております。ありがとうございます。583系寝台、自分は「はくつる」にて乗車しました。上野→青森、先頭車の1番前の上段でした。冷房装置近くでしたが、暑がりの自分には最適のポジションでした。よく狭い狭いと書かれていますが、個人的にはあまり感じず、終着迄熟睡でした。修学旅行最終日、疲れピークもあったかもしれません。
乗りましたね❗めちゃくちゃ乗りました。懐かしいです‼️
583系がフル稼働の時代でしたね。はくつる・ゆうづる・はつかり・みちのくと、一体1日何往復してるんだろうと思うくらいでした。ゆうづる自体が7往復、はつかりが11往復、ひばりに至っては14往復なんてすんごい時代でした。新幹線ができて、イッキに冷え込んだような感じでしたかね。この半年後に房総急行が全廃となったり、大きな変革の年でした。
どの列車に乗るか迷うくらい様々な特急、急行がありましたね。夜行急行も「八甲田」「十和田」「津軽」「もりおか」「出羽」「おが」「まつしま、ばんだい」「天の川」「鳥海」「佐渡」など
これ全部乗ってます。この他に特急やまびこ、つばさ、急行あづま、千秋、しらゆき、月山、いわき、いわて、しもきた、いなわしろ、あがの、むろね(車掌さんが車内販売もやっていた)昔の優等列車は末端ロ-カル以外は供食サ-ビスが基本でしたから。北上、からくわ、むつ、なつどまり、くりこま、深浦、羽越、最上はハッキリ覚えていない。余談ですが、昭和55年前後まつしま等古河駅停車の急行に国鉄の許可無くアイスクリ-ム販売の業者が乗り込む為『ご乗車のお客様はお買い求めなさらぬ様お願い致します』の注意喚起がありました。実際見ました。
0:41~2:31勝手な思い込みですが、このゆうづる号の車掌氏のイントネーションが、JR四国の有名車掌氏と似ている気がしました。
ひたちも聞いてみたいです。485系の。
「ひたち」車内放送も多数公開しています。「特急ひたち車内放送」で検索してみて下さい。↓「ひたち3号」上野発車後車内放送 ua-cam.com/video/A2okegxxn1k/v-deo.html
583系懐かしいですね😆当時としては珍しい電車寝台で人気もあったけど😀今では食パンみたいに魔改造されてしまい原型を全く留めてなくて寂しい限りですね😞
昼行用にリクライニングシートに改造の方がよかった
天井が高い!
映像はきたぐにですね笑
新幹線、いらない…
この寝台特急ゆうづる5号はゴウマルサンダイヤ改正では3号で583系でありながらゴウイチトウダイヤ改正までは全車指定席での運行でした。理由は様々ですが、労働組合の悪化や、同じ時間帯の寝台特急はくつるの寝台券が取りにくかったことも影響していました。何しろはくつるは寝台特急では最も入手困難な寝台券でした。この列車の函館から連絡する列車は釧路・網走・稚内すべて一本の列車で乗り換えなしだったからです。よく1M特急はつかり5号がでてきますが、この列車だと睡眠時間が中途半端でキツかったです。
そうだ昔上野駅には18番線があった。なつかしい。
つくばの科学万博が開催された年に家族旅行で583系の寝台特急はくつる(常磐線経由)に青森から乗車しました。
発車後の鉄道唱歌のチャイムは今でも覚えています。
幅の広い下段寝台2つを母と私、姉と兄で使用しました。
上野で出張中だった父と合流し、万博会場に向かいました。
その後東京へ戻りディズニーランドを堪能して秋葉原で一泊、翌日上野動物園や東京タワー、サンシャイン60等を見物して東北新幹線、はつかり(485系)で青森に帰ってきました。
あの頃は良かったなぁと思いました。
ちなみに583系はこの2年前の家族旅行でも青森への帰路に同じはくつる(この時は幅の狭い上段)で乗車、高校の修学旅行の団体列車(青森〜盛岡)でもお世話になりました。
8:18からの東青森駅界隈の映像も懐かしく拝見させていただきました。
上野発19時過ぎで青森着が5時過ぎ、函館を経由し網走着は21:40頃!
私が、ゆうづる乗った事があります。91年7月30日で北海道に行く時に乗りました。
アルバイトで稼いだお金で新鮮味がありました。
高校時代の修学旅行に青森から上野まで乗車しました。就寝中トイレにこまりました。
上野発の在来線優等列車が花盛りだった頃の貴重な音源ですね。ゆうづるだけでも7本が青森まで結んでいましたね。
中学2年生(1984年)の時に青森駅から上野駅まで583系に乗車しました。ほとんど寝ないで遊んでました。(二段ベットの上でしたが小窓があって楽しかった)(^o^)
子供の頃(昭和50年頃)は 上野から ゆうづるに乗って青森駅→青函連絡船で函館へ。青森に到着する時間が いつも妙な時間帯だった。
それにしても 懐かしいです。
連絡船からの乗り換えで乗るのはいつも「はくつる」で、「ゆうづる」には縁がありませんでしたが、同じ583系の音、同じ鉄道唱歌でとても懐かしいです。
夜行寝台列車の終焉は、乗客の減少が理由というのは半分本当、半分嘘で、民営化した鉄道会社が夜間移動の利便性や旅情という商品価値よりも、深夜帯の駅員配置や保線など事業効率を優先した結果でした。最後の定期夜行寝台サンライズはいつまで走り続けられるでしょうか。「過去の思い出」としてこのチャンネルに上がらないことを願います。
貴重な音源をありがとうございます。
雰囲気がいいですねぇ。寝台電車は、乗れませんでした。サンライズ含めてです。サンライズは会社の中でまだごく一部出入り口の器具付けで応援で入っただけでした。
鉄道唱歌のオルゴールメロディと、25m線路のリズムがなんとも旅情を誘います😂
それが寝台特急ゆうづると言うのがたまりません…😂
かつて国鉄時代の寝台特急ゆうづる号は上野駅から青森駅まで運転していました。まだ青函トンネル開業前は青函連絡船が運航して本州から北海道への交通機関として役割を繋いでいました。寝台特急ゆうづる号は、とにかく私にとって思い出の列車でもあります高校生の時、京都へ学旅行の際初めて寝台列車に乗車のはゆうづる号なのです。行きは青森駅から上野駅までの上りは客車24系で帰りは上野駅から青森駅の下りは583系のプルマン式の電車三段式寝台列車で利用した寝台は、すべて上段でした。
昔は周遊券での旅が主でしたから、夜行列車は自由席の「八甲田」「津軽」「十和田」「おが」「鳥海」「能登」「越前」などによく乗りましたね。ホテルも今のように手軽に泊まれるような環境ではありませんでしたから、駅ネや上記夜行列車で深夜の上下乗り換えなどで夜を明かしたものです。座席の下にスチール缶を挟んで傾斜を作り通路側ひじ掛けを枕にして寝るのが一番快適でした(そのままだとひじ掛けが高すぎて首が痛くなる)。
柏在住だったんで、良く見ました。一回だけ、客車のゆうづる家族で乗りました‼️ 豪快に柏通過した思い出が🤣 当時の常磐線って揺れましたねー(笑) オヤジがこぼしてました🤣 それでも、「結構眠った」とか、急停車等ないなら、夜行列車は開放感があって、寝やすい‼️
停車案内で仙台呼ばれず二度聞き。仙台通過するんだ。すげーー。という語彙力低下
でも、運転停車で実は止まってるんだよ😁
平から盛岡、八戸、野辺地しか停車しない。ほぼ青森、北海道へ向けた方々に対して設定されたダイヤですね。
「ゆうづる」中心に多くの夜行列車が次々と発着していましたね。
同じような時間帯の列車の場合、音鉄からすると車内放送の上手な車掌さんに当たるか否かで大きく評価が変わります。発車前のアナウンスを聞いて、ハズレかな?と思っても全車指定席ですから、時すでに遅し。向かいに停車中の続行便に変更という訳にはいかず残念な思い出も・・・
やっぱ車掌さんはなまってた方がいいよね!旅してるって感じします
しんだいとっきゅう→すんだいとっきゅう な感じ結構痺れます🥰。
なまりを“クレーム”するヴァカがいる嫌な現代()
ベテラン車掌長の名調子(車内放送)が旅情を掻き立てますね。(JRになってからは、幹部候補生が『車掌業務の一環』で
業務にあたる事もあるので事務的で味気ない事もありますが)。
青森車掌区が持ってました
常磐線の、列車の四天王、特急みちのく~特急ひたち~寝台客車特急ゆうずる~寝台急行十和田~ですよ。
いわきの次は盛岡まで停まらなかったのですね。
山陰リスナー 仙台止まらないのは驚いた
@@kokesi5201 実際には仙台駅で運転士の
交替があり、客扱い無しの『運転停車』は
しておりました。
停車駅が極端に少ないですね
3:48 鉄道唱歌
青函航路接続がメインのダイヤ設定のためか、「ゆうづる」は、青森到着5時というのがあった。これは、函館で「おおとり」に接続するダイヤ。三沢通過のダイヤ設定ということは、「はくつる1号」が、前後に設定されているのかな?「出羽」のアナウンスが21時40分という事は、新幹線大宮暫定開業の時期。国鉄最後の「出羽」は、上野駅23時03分発車のダイヤだけは覚えている。
グリーン車6号車は編成替え後ですね
はつかり13両編成のグリ-ン車に乗った時2号車でした。
人生初のグリ-ン車。全車指定席で停車駅は上野、宇都宮、福島、仙台、盛岡、青森以外全て通過。
@@急行らいでん-x9x それは5310前でいうところのはつかり5号ですね
青森駅24時過ぎ着、連絡船接続を意識したダイヤだったと思います
自分はその直前に青森駅に着くみちのく号に縁があり複数回利用しました
編成替えは1979年の改正だそうです
凄いですね。編成と停車駅で割り出しましたね。昭和53年7月の上野16時発青森行きの下り特急はつかり5号です。
当時中学生で北海道一人旅でした。都区内フリ-や日光、新潟、広島と徐々に足を伸ばし、ついに初の本格旅でした
特急はつかり5号~連絡船~急行ニセコ~急行狩勝でまず釧路に行き、その後4年かけて道内全路線走破しました
特急みちのくは青森駅で発車5分前まで座席に座っていたのですが、後続の臨時急行八甲田が好きな14系だったので、結局乗り換えました。当時は本当に選択肢が多く色々な列車を楽しむことが出来ました。
特急はつかり、ゆうづる、いなほ、急行もりおか+しもきた、津軽、八甲田、十和田、天の川+千秋、しらゆき+佐渡、
すべて上野~青森間で実際に乗車した列車です。一部複数回乗車。
@@急行らいでん-x9x 恐縮です
ブルトレブーム時代小学生の自分は、当然出かける時間も金もなく(笑)近所の友達と時刻表を眺めては、気に入った列車の停車駅など調べて遊んでいました
両親が東北でそっち方面の列車には乗る機会があり興味もあったので、たまたま最速達のはつかり5号の停車駅を知っていたということで
何度か乗ったみちのくの日立、湯本、原ノ町、小牛田、一戸などという地名もそれで覚えたわけです
中学生の一人旅、すごい勇気で
乗られた列車もバラエティに富んでいてうらやましいです
自分の583グリーン車初体験は就職後、しかも急遽祖母の葬儀に参列するためゆうづるの寝台が取れず確保した座席(すでに6号車)
ただ、20系十和田の寝台と旧客八甲田、昼行特急鳥海に乗れたのは貴重な思い出
いわきのこと昔は平って呼んでたんですね!
加トちゃんが喋っているようにしか聞こえないw
寝台列車や訛りのある車掌のアナウンスはまさに旅って感じがする。今の新幹線はただの移動になってしまったからこのような旅はもう出来ないのは悲しい。
柏に停車してれば、柏から拾えたのに
ウン10年前の小学生だった頃の思い出が蘇ってきました。
嬉しすぎてよく眠れなかった・・・
やっぱり早いだけじゃないのよね
懐かしい旅情を感じる…
知らない人とも平気で話せてこの頃が1番好きだなぁ…
ゆうづるもはくつるも仙台通過だったね。いまだに許しがたい。
正確には運転停車ですね、運転手交代の為
東北本線、常磐線の特急街道の時代。懐かしいですね。
序盤のいかにも583という重厚なジョイント音が泣けます
この車内チャイム、めちゃ懐かしい〜! 聞いてるだけでワクワクします。小学生の頃、夏休みや冬休みは青森の親戚の家に行くのに、ゆうづる、はくつる、はつかりに乗っていました。
3:48懐かしいミュージックとその後続く車掌さんのアナウンス
この車掌さんは関西出身ではないでしょうか?
「盛岡」の発音がそれっぽく聞こえました。
ゆうづる、はくつる、急行八甲田、何回乗ったことやら、寝台特急なのに、外を窓からみてて、結局青森まで起きてたな、、わら懐かしい貴重な動画ですね
583系の最上段は、窮屈でしたね。昼間モードの座席は垂直でした。しかし、この新幹線の0系を思わせる車両の色はよかった。
583系の座席モードの背もたれってかなり傾斜ついていたような気がするんですが……
逆に485系の方がリクライニングも無くて長時間乗車が辛かった
三沢停まらない。
いつも動画、楽しませて頂いております。ありがとうございます。
583系寝台、自分は「はくつる」にて乗車しました。
上野→青森、先頭車の1番前の上段でした。
冷房装置近くでしたが、暑がりの自分には最適のポジションでした。
よく狭い狭いと書かれていますが、個人的にはあまり感じず、終着迄熟睡でした。
修学旅行最終日、疲れピークもあったかもしれません。
乗りましたね❗めちゃくちゃ乗りました。懐かしいです‼️
583系がフル稼働の時代でしたね。はくつる・ゆうづる・はつかり・みちのくと、一体1日何往復してるんだろうと思うくらいでした。
ゆうづる自体が7往復、はつかりが11往復、ひばりに至っては14往復なんてすんごい時代でした。
新幹線ができて、イッキに冷え込んだような感じでしたかね。
この半年後に房総急行が全廃となったり、大きな変革の年でした。
どの列車に乗るか迷うくらい様々な特急、急行がありましたね。夜行急行も「八甲田」「十和田」「津軽」「もりおか」「出羽」「おが」「まつしま、ばんだい」「天の川」「鳥海」「佐渡」など
これ全部乗ってます。この他に特急やまびこ、つばさ、急行あづま、千秋、しらゆき、月山、いわき、いわて、しもきた、
いなわしろ、あがの、むろね(車掌さんが車内販売もやっていた)昔の優等列車は末端ロ-カル以外は供食サ-ビスが基本でしたから。北上、からくわ、むつ、なつどまり、くりこま、深浦、羽越、最上はハッキリ覚えていない。
余談ですが、昭和55年前後まつしま等古河駅停車の急行に国鉄の許可無くアイスクリ-ム販売の業者が乗り込む為
『ご乗車のお客様はお買い求めなさらぬ様お願い致します』の注意喚起がありました。実際見ました。
0:41~2:31
勝手な思い込みですが、このゆうづる号の車掌氏のイントネーションが、JR四国の有名車掌氏と似ている気がしました。
ひたちも聞いてみたいです。485系の。
「ひたち」車内放送も多数公開しています。
「特急ひたち車内放送」で検索してみて下さい。
↓「ひたち3号」上野発車後車内放送
ua-cam.com/video/A2okegxxn1k/v-deo.html
583系懐かしいですね😆当時としては珍しい電車寝台で人気もあったけど😀今では食パンみたいに魔改造されてしまい原型を全く留めてなくて寂しい限りですね😞
昼行用にリクライニングシートに改造の方がよかった
天井が高い!
映像はきたぐにですね笑
新幹線、いらない…