シーシュポスの神話で語るカミユの不条理と反抗|神なしで死に向かい合う反抗の絶望

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 22 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 15

  • @samachan_
    @samachan_ Рік тому

    めちゃくちゃおもしろいです。ずっと聞いてられます!

  • @コスタリカフクロウ
    @コスタリカフクロウ 3 місяці тому +1

    ダンサー イン ザ ダーク
    という映画を観た時
    主人公は 一生懸命に生きているのに
    どうして このような 運命に
    みまわれるのだろう、、、
    と これは 理不尽のほうでしょうか?

    • @literarymasterpiece-in-japan
      @literarymasterpiece-in-japan  3 місяці тому +1

      うーん、一生懸命の質量によりますが・・・・
      そしてよくない運命の内容にもよりますが・・・・
      不条理だと思います

    • @コスタリカフクロウ
      @コスタリカフクロウ 3 місяці тому

      @@literarymasterpiece-in-japan 映画観たら 多分
      わかります😅

  • @コスタリカフクロウ
    @コスタリカフクロウ 3 місяці тому +1

    このOSというのは
    神による設定なのでしょうかね?😅

    • @literarymasterpiece-in-japan
      @literarymasterpiece-in-japan  3 місяці тому +1

      ありがとうございます。
      設定はスピノザ的な神がおこなったというか OSが神かも!

  • @赤肩
    @赤肩 7 місяців тому +1

    なぜ自殺をしてはいけないのか?を過去の哲学者の誰もが解決していないもんで重大な哲学の問題にしたんじゃないでしょうか?レコード蛍光灯焼けしません?僕は一切飾らないで段ボール保管のみです😅

    • @literarymasterpiece-in-japan
      @literarymasterpiece-in-japan  7 місяців тому +1

      そうですね 自殺って忌むべきもの と捉えられ考察してもいけない感じがあったかもですね
      レコードはビニールに入ってるのとLED照明なので照明焼けしないですね

  • @user-writer1918
    @user-writer1918 Рік тому +1

    現在はネットがあるからこれで済んでいるわけで、時代が五十年遡ると、古荘さんのするお話しは大学の講堂でないと聴けないお話しだと思います。もっともアタシの経験からすれば、このようなレベルの講義をしてくれる教授は、正直、ほとんどわずかでした。まあ、それだから、人は自習しないといけないないわけですね。

    • @literarymasterpiece-in-japan
      @literarymasterpiece-in-japan  Рік тому +2

      ありがとうございます
      精緻に読み込んで喋るわけではないので講義にはなりえませんが(笑)
      気楽な個人の考えです

  • @almostbluechet9686
    @almostbluechet9686 Рік тому

    とても興味深く拝見しました。私も実は「シーシュポスの神話」を読めて
    いないです(苦笑)。
    大学まで行ったのですが、いろいろあって、今は底辺労働者として働いて
    おりまして、人生は不条理だなぁと思うことが多いのです。
    私はこの本を読んでいませんが、シーシュポスのエピソードは読んでいます。
    最後のシーシュポスが神の逆鱗に触れて、岩を頂上まで転がして、運び終え
    ると、麓まで岩が落ちてしまい、それをまた頂上まで運ぶ、それを延々と繰
    り返す。
    私は単調労働に従事していますので(そんな人間が文学や哲学に興味がある
    のは珍しいとして・・・)、このシーシュポスと私のやっていることに違い
    はないではないか、と思ってしまうのです。仕事をしている最中に、です
    (困ったものです)。
    古荘さんの動画で言われた、「理不尽」と「不条理」が私には厳密に理解
    できていないです。私はあまり頭脳が鋭くないので・・・ ただ、やっぱり
    人生、不条理だなぁと思うことは多々あります。なので、ドストエフスキーや
    トルストイ、今はフローベールの「ボヴァリー夫人」を再読していますが、
    カミュやカフカは今後必ず、再読に再読を重ねて挑戦しなければならない、
    避けては通れないと思っております。
    古荘さんの今回の動画の最後の方で、死すべき存在である人間は最初から
    死ぬことは決まっているのに、生きている間は真剣に生きようとする、その
    状態が不条理なのだ、というくだりに非常に感銘を受けました。
    「死すべき存在である人間は最初から死ぬことが決まっている」という箇所が
    「不条理」で、「生きている間は真剣に生きようとする」というところが
    「反抗」なのだなと私は理解しました。ここで、「なぜ反抗しなければなら
    ないか」は問うてはいけない気がしました。または論証不可能だと思い
    ました。または「反抗」する理由が知りたければ、カミュやカフカやそれ以外
    の文学、哲学を読み込んで、勉強するしかないですね(苦笑)。
    ただ一生懸命、良書を選んで読んでいるのに、どうして一読していろんな
    ことが分かってしまう頭の良い人がいるのに、私は頭が鈍いから何度も何度も
    読んでも、理解したり、自分の言葉で解釈したり、消化したり、自分の考えを
    発展したりできないのか、これは不条理ではないか(笑)と思ってしまう
    さすがに長すぎるので、おしまいにします。
    刺激的な動画、身に沁みました。ありがとうございました。
    いつも楽しみにしております。

    • @literarymasterpiece-in-japan
      @literarymasterpiece-in-japan  Рік тому

      ありがとうございます。
      結局古今東西のすべての哲学と宗教は、死と生の痛みの意味を考え癒し受け入れる道を開く試みだったかもしれません。
      20世紀の不条理についていえば、産業革命以来、自分と社会のかかわりが完全に認識できなくなって、まるで天候や災害のようにいつのまにか生活の土台みたいなものが変わってしまっていることが増えたことへの思索ではないか?と思います。人口1000人ほどの村落共同体に住んでいれば不条理はないと思います

  • @user-writer1918
    @user-writer1918 Рік тому

    名著は再読を強いる、ってどこで聞いた話だったか...。昨日に引き続き、今日、再度聴いてしまいました。