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軍から破棄するよう命令されていたのにカルテを残してくれた医師達ありがとう!
あっはいっ!大事な資料ですから!(そんな…指示、あったかなぁ〜…。?)
@ブラウンマシュマロ???
医師は患者の記録をたとえ命令されたからといってそんなに簡単に破棄するなんてできないですよ。
私の祖父も大陸に出兵し、シベリア抑留を経験しました。穏やかで優しい人でしたが、子供心に戦争のことを聞くとポツリと「生きた心地がしなかったよ」とつぶやきました。祖父はなんとか精神を壊さずに済みましたが、心の傷は絶対に消えなかったのだと思います。
シベリア抑留から生還した人は、大変信念の強靭な方です。立派な方だと推察致します。祖父さんを大事に祀ってあげて下さい。この方達のお陰で現代人は、自由に暮らせて居るのです!祖父さんに感謝の念しか有りません。
@@赤松英世さん「シベリア抑留された方」は、決してこの方の祖父の方のように強靭な方達ばかりじゃないです。私の父方の祖父も「シベリア抑留」され、「性格が変わり酒浸りになり、父や妻である父方の祖母に暴力を振るい、酒浸りの生活がたたり48歳の若さで亡くなりました。「シベリア抑留によるメンタルを壊された」父に虐待された女性が虐待された話が、同じく「シベリア抑留された祖父」から暴力を振るわれた父と重なり辛いです。「シベリア抑留された方は強靭な方」と一部の話だけを見て決めつけている赤松さんの言葉が引っ掛かり、書いてしまいました。不愉快な思いをしたら謝ります。申し訳ありませんでした。
本当に戦争は不幸にしかしないな
仰る通りですね。私も幼い頃に戦争に行った父から殴る蹴るの暴行を受けましたから。戦争は人を不幸にするだけの死神。
命があって帰ってこれたならよかったってわけじゃないんだなって、よく考えたらかるけど改めて気付かされました
日本兵のptsd てやっと語られるようになったな
日本兵は病むことなんてあり得ない
@@前名-c8q病むとかじゃないよ。脳の病気なの。ストレスは架空のものじゃなく、脳の物質の問題だから。鬱も脳の炎症。盲腸になるなって言われてもなるやん。
@@前名-c8q何言ってるんだ
実の父に痛めつけられたり怯えながら過ごした子供も可愛そうだし、死ぬまで戦争の恐怖の記憶に苛まれながらついには自ら命を絶ってしまった父親も本当に可哀相だ…毎日毎日本当につらかったことだろう。戦争を起こしてはいけない。今を「戦前」にしたくない。国家・地域・あるいは民足間の不当な武力行使を許さない、世界規模の国際法をきちんと整備してほしい。
今の時代、こういう精神疾患を含めた事実を知らせる事の方が戦争が及ぼす影響や悲惨さを伝える事に貢献しやすいと思う終わっても終わらない苦しみがある事実は重い
兵士にPTSDがあることすら長い間認識されていませんでしたね。軍医がカルテを保管していなければ消された事実。
兵士だけでは無い。父親の従兄弟頭が満洲国で妻子を無くし帰国して詳細は語らず宗教団体に救いを求めた。
お父さん、悲しい目をされてる。戦争なんて何の得もない。
私の父も同じでした。父は徴兵され南洋へ行った戦闘要員の防衛隊でした。当時小学生の子供だった私たち(兄弟)や母に殴る蹴るの暴力の日々で、アル中、無気力のような鬱状態もありました。母に聞くと昔はやさしく、あんな人でなかったと言いっていました。もうガンで他界して何年も経つのですが、当時中学生になった私は、この人が4んでホントに良かったと思っていました。恐らく戦争で、上官からの暴力、戦地での恐怖などが人格を変えてPTSDにしてしまったのかもしれません。人格すらも狂わす戦争を絶対にやってはいけないと思います。
やらなければやられる!そんな状況で生還された方々は、立派な方達です。帰還後の蛮行は許されたし…大事に祀ってあげて下さい。
戦争は100害あって一理無し。アタマおかしくなるに決まってる。死体をみたり、仲間が死ぬ様を見るとそうなるよ。
@@赤松英世 やらなければやられる!そんな状況で生還された方々は、立派な方達です。←わかる帰還後の蛮行は許されたし… ←わからないその方がおこなったことは蛮行と理解しながら「許されたし」とはあまりに身勝手な発言と感じた。許すか許さないかは、その蛮行を働かれてしまったご本人が決めること。許せないなら無理に許す必要はない。一番大事にすべきは英霊でも家族の誇りでもなく、ご自身の心なので。
@@赤松英世それを許すか許さないか、どう受け止めるかは直接関わった家族以外が言及したり判断したりするのは傲慢というもの
私の祖父も同じでした。
私の亡くなった母が、シベリア抑留から戻った父親から受けた厳しい扱いに最期まで苦しんでいました。孫の私自身、家庭・家族と言うものに諦めの思いが強く、結婚はするまいと独身を通し、家の苦しみは、私の代で終わりにしようと生きて来ました。この番組を見て、戦争の後の世代の悲しみが、私だけでなかったことを知り背中を擦って貰った様な気持ちになりました。
藤岡さんのお母さん偉い。全力で子供達を守った。だけど、お父さんのPTSDも相当根深いものだったんだ…傷ついて傷ついて…戦争は本当に不幸しか生まない。
youtube上にあるアメリカの復員兵のPTSDの映像をいくつか見たことがある。本当に悲惨。そうか、日本の復員兵はPTSDの存在も知られていなかったのか。。
精神論跋扈してる日本軍だと軟弱だって言われたり、隠されたりして終わりやからね。でも復員して来た人の話を聞いた事もあるけど、あんなの精神おかしくなるのは当たり前の環境や、という事。
祖父母も戦争経験してて、普段は優しいけどやっぱり戦争の話をすると人格変わるというか、感情的になる感じだった。
私のひいおじいさんは、息子が3人とも戦争で死んでしまい、戦争中は「国のために戦ってくれたんだ」と気丈に振る舞っていたようですが、終戦後にその糸が切れてしまって、酒浸りになり、まだ10代だった私の祖母や祖母の姉たちに激しい暴力をふるっていたと聞きました。(殴る蹴るは毎日、鎌を投げつけられたり、熱湯をかけられたりしたそうです…)みなさん言わないだけで、他にも精神を壊した人は戦争へ行かれた人も、その家族も大勢いたと思います。
私の曾祖父も同じです。フィリピンから帰ってきて、精神崩壊して、毎日酒を飲んで子供達に暴力をふるい、棒で叩いたり、勝手に子供を養子に出したりしたそうです。最後、曾祖父が亡くなる時、私の祖母が見に行ったらしいんですが曾祖父が顔を合わせられないと言って面会できずに息をひきとられたみたいです。
最低のヒイお爺さんだったんですね。
@@nanacomarumaru77曽祖父をそこまで追い込んだ戦争と時代が最低でしたね。心に刻んで反戦を引き継いで行きたいです。
なぜ実の子に暴力を振るうのか、、理解できないです。戦争って恐ろしい
戦争して良い事など何一つとして存在しない。こんな事が二度とあってはいけない
元日本兵の戦後のPTSDが近年取り上げられるようになってきた。国から認めないと言われ保障もなく、精神科医は資料を残すなと言われていた。元日本兵も家族も過酷な経験をされたと思う
国民を捨て駒にしようとした癖に酷すぎる
他にも切り捨てばかりですよ。話聞いてると
@@Eeeessss11結局そうですよね今もそんな風潮がありますよね
@@sho-tanakazawa7229しかもまだ満州辺りで止めておけばいいものを、やらなくてもいい対米開戦をなし崩し的にやらかしてる。最悪の場合でも攻めるのはまだソ連の方。南洋のニューギニアで補給もなく軍隊、軍属を放置する上層部の無責任さ。今の政治の無責任さに通ずるところがある
@@ヤス-l4b 本当にそうですね💦本土空襲を阻止すべく各島々の守備隊の方達には本当に頭が下がる思いですが補給路も確保してないような遠隔地の作戦(インパール作戦など)は聞く限り上層部の愚の骨頂としか😡
アメリカ軍のPTSDの人がパニックになる動画を見たことあります。どっかの店の駐車場で、血走った目で銃を構える姿勢をとってました。そして気絶してました。本当に壮絶な体験をして、頭が混乱したまま戻ってこられない本当に可哀想です。
復員兵遺族の受けた壮絶な虐待は、戦争が如何に残酷なものかを物語っていると思います。「戦争はまだ終わっていない」本当にその通りだと思います。
敗戦後、すべての資料の焼却を命じたというのが、日本政府の大きな罪だと思います。軍医のおかげで大切な真実が語られました。
国のため、大切な誰かを守るために一生懸命戦ってくれた証ですからね。それを処分してしまうとその大切な記録がないものとなってしまう。この軍医さん達はそれを守ってくれた。ありがとうございますと言いたいです。
@@ちょこぼ-e6h真実を隠すと言うことは命懸けで戦った現場の兵士たちを最もバカにしてると思います。軽く扱ってる
軍に背いてまでも残しておくべきと思われたその行為はやはり医師としての正義だと思う。
戦争は人を変えるという言葉とおりに私の祖父もびっくりするくらい変わったそうです。一滴も飲めなかった酒が復員後は常時酒浸り。そして、戦地のことについて質問するとほとんど語らずでした。唯一毎回話題で出てくるのは背中から撃たれる心配がない人は良い上官。
戻ってきても一切戦争を語らなかった曽祖父は、認知症入ってから戦時中の記憶がバグったのか、暴れたり怯えたりするようになってしまって、施設へ預けざるを得なくなりました。戦場経験世代で認知症入ると割とこういうパターンはあったそうです…
今思うとうちのおじいちゃんもこれだったのかも…いつも無気力で酒飲んで何もしなかった。うちの父親や祖母からは怠惰と叱られ可哀想だった😢
そういう被害が出ていた方の動画も見ました。その方の息子さんが気づいてあげられなかったと泣いていたのが印象的でした。
私の叔父はシベリアで病死しました。死んだ方々も生き残った方々も、死ぬより辛い思いをなさったのでしょう。どうか、天国では心穏やかに過ごせますようお祈りいたします。
私の祖父も特攻隊でしたが帰還しました。優しい祖父でしたが、言葉で弱音を吐かない代わりに、アル中になり◯殺しました。近所のおじいさんも戦後何十年経っても道端で敬礼していました。人間の尊厳を壊されたようでしたよ。
上司にパワハラされたりするだけでも精神的に参るのに、殺すか殺されるかで、殺人を強要されたり、日々人が死んでいくような戦地は当然トラウマになるような残酷な状況だよね。。考えられないような経験があったんだろうな。
生きてる間に理解してあげられなかった事が残された家族をまた苦しめるんだろうな🥲
昭和生まれで共感する人は多いんじゃないでしょうか。出征を経験した親を持つ我々もまた戦争を知る最後の証人だと思う。何があっても日本を戦争に向かわせてはいけないと教えられるのも我々しか居ないと思う。
何故戦争をしなければならなかったか?歴史を熟知して発言しているのか?それとも、共産主義の受け売り発言か?
悩まれている家族のケアをお願いしたいです。またその記録や研究もしっかり行って、平和(の継続)につなげてほしいです。
人間を壊されちゃったんだね…。狂気な場所で、心が壊れるような経験をして。発症したのは正常な反応だと思う。魂が救われますように。
狂気な国の狂気な抑留。シベリアは特に…
うちの爺ちゃんも、浴衣着て縁側で昼間っから日本酒飲んでる人でした。ボケてしまい満州での戦争のトラウマがでてました。そんな爺ちゃんだけど、貧乏だったけど大好きでした。
貴重な記録だ。。。
国民は使い捨てで尊厳を与えられていないんだということをしみじみ考えさせられる
なんというか、言葉がない。みんなみんな辛かったなぁ。。。
フィリピンから復員した祖父は寡黙で必要なこと以外何も喋らなかった。爆撃で耳がやられていて片耳が不自由だった。何も喋らず朝から晩まで酒を飲んでいた。祖母から聞いたが帰ってきた時は骨と皮だけで骸骨だと思ったと言っていた。亡くなる何年か前に少し話しを聞かせてくれた。「たくさん○した。たくさん○んだ。食えるものは何でも食った。食わないやつは○んだ」と言った。人を食ったんだと察した。私は祖父を責められない。
なんとも言えない気持ちになりました。お祖父さん、生きておられたおかげで出来た家族の思い出や安らかに休まれていますように。もうつらいことなどひとつもありませんように
同じフィリピンから帰った方の息子さんがいます。南洋だったので昆虫、蛇やカエル、果物、セツコ、何とか食べれたらしいです🙏誰も責めれ無い話です
閉鎖の精神科病棟で勤務していた際に、認知症の90近いお爺さんが、拘束しているにも関わらずもの凄い勢いで暴れていた。暴れる時は、大日本国だとかパラオだとか、大体戦争のワードが出ていた。力がもの凄くて何度も蹴られて本当に怖かった記憶…今度は私がPTSDになっている😭
孫には優しかった祖父。工場から帰って来てすぐ自転車の荷台に乗せ、かき氷を食べに行った記憶が朧げに残っている。祖母は憎しみを込め、酒と博打に使いよると嘆き、自分も工場で朝から晩まで勤めていた。1970年代、PTSDの存在がうたわれていたら、父方の家庭環境が変わっていたと残念に思う。
苦しいお話をして下さり、ありがとうございます🙏私の母方の伯父も特攻隊で明日飛ぶと言う日に終戦を迎えたらしく…帰って来ないから亡くなつたと思われていたところ、しばらくして体中シラミだらけで、気が変になって帰宅したと聞いています😢🙏辛い体験ですね二度とこの様なことが繰り返されないことを祈るばかりです🙏
過酷でいつ死ぬかわからない状況でいつでも危機感を纏いながら、人と殺しあいしないといけない。我が身の意志ではなく、他言無用!強制下の中で過ごされたら、精神も破壊されるであろうと考える。私の伯父も海軍を務め戦死しました。どれぼど過酷であっただろう。私を含め戦後の人間には到底理解出来ない。お花畑で来た現代人には理解に及ばないものがあると思います。
戦後5年生まれですが、中学生頃まで親戚の叔父さんや近所の日清.日露を経験したお爺さん達から、武勇伝や悲惨さを聴いて育ちました。昭和40年以降のボンクラ共には理解出来ないでしょう。やらなければやられる!或る日突然武装した狂気の者に、抵抗もせずに服従する事は、人間の尊厳を捨て去る事です。歴史を知らない能天気人間達の戯言は聞くに耐えない!命乞いしても無駄だと分かった瞬間は『死の直前』‼️
私も高齢者の仲間入りをする年齢になったが、幼い頃当時すでに高齢の医師たちから地元でそれとなく話を聞く機会はあった。元軍医ではなかったが、戦前のことを知っている人たちで、戦争で精神がおかしくなった人たちのことは時にポツリポツリと話していた。そういう病院があったとも。医師たちもよほど心残りだったのだろう。カルテが残ったのもある意味当然という気がする。焼くに焼けなかったのだろう。
人の心を壊すのが 戦争
最初から壊れた精神の奴が戦争を起こした❗️主旨が逆です。何もせずに死を受け入れるなら、話しは別ですが…
あんな恐ろしい戦争で、おかしくならない方が、おかしいくらいだ。ボロボロにやられて、余裕がなかっんだろうが、少し経済的に、余裕がでた時点で、他所の国ばかりに税金を使わず、戦争の被害者達にもっと心を寄せるべきだった。
中学生の時「祖父の兄」の存在をお葬式で初めて知りました。戦争から帰りずっと精神病院で生き、足も悪かったようです。初めて会った安らかに見えるお顔に ごめんねというような気持ちでいっぱいになったのを覚えています
アメリカにいた時、知り合いの海兵隊員から戦争のPTSDで家庭が大変な家の子供達をパーティに招くのでパンを焼いて欲しいと頼まれてボランティアしたことがあった。兵士でないと対峙できない程みんな荒んでいると言われて、普通の家庭からパンを焼いて持って行くことの意味を考えさせられたことがある。
祖父も海軍で戦争行って生きて帰ってきましたが、よくお酒を呑んで暴れていたと祖母や父が言ってました。この映像観てきっとPTSDだったのかもです。人の性格も人生も変えてしまうほど酷い出来事だったんだと凄く思いました。
祖父さんは立派な方だと推察致します。帰還後の蛮行は許されたし…大事に祀ってあげて下さい。
@@赤松英世本当ですね。生きて日本に戻って来ても米軍基地でボイラーとして定年まで働いてました。私の知っている祖父はとても口数少なく物静かでした。
たくさんの人の不幸のうえに私の幸せが成り立っていることを痛感しました。私も鬱で20年間苦労しましたが、今は通院しなくてもよくなり幸せです。ありがとうございます。もう53歳ですが、平和をくださったかたのためにも前を向きたいと思います。
私の祖父も中国に従軍後帰国。DVやアルコール中毒で家族は大変な思いをしたと祖母や母から聞きました。従軍経験に心を壊されたのだと思います。貧困やDVなどの日常の困難故に家族は祖父の精神的なケアまでは難しかったでしょう。祖父も辛かっただろうと思います。
これは予想してなかった……確かにそんなことになる家庭はあるよね声上げてくれて嬉しいです 少しでも記憶が良いものになればな……
うちのおじいちゃんもここまででは無かったけど昼から日本酒飲んでる印象でした。母親に聞くとシベリアで抑留されていた頃の話は一切したがらなかったと言うことです。細かくて口うるさい印象だったけど当時は子供だったし、今思うともっと戦争の事を聞いておけばよかったと思います。きっと人に言えないつらい経験が沢山あったのだろうと・・
ある程度適応できる人間もいるが、戦争は普通の人間の精神が耐えれるような体験ではないのだろう特に物資が滞り、飢えや病気の脅威にも晒された中で周辺に敵だらけときたら精神に異常をきたさない方が珍しいだろう
小野田少尉‼️任を全うした。
@@赤松英世さん、あなたの体験をお聞きしたいですね。ここで話されてる方は身内の苦しみを話されています。それにあなたが何かを言えるとしたら、あなたの体験を話すことが必要だと思います。
@@鈴木基之-x6b ここで言ってもフェイクと見分けつかないから顔出して言うべき
海軍出の亡き祖父は本当に怖くて幼少期の記憶残ってるけど!少しの口答えも容赦無しで納戸に閉じ込められたりホースで水ぶっかけられたり優しくされた記憶が一切無い。それでも高齢になって亡くなった時は何故か涙が出た。嫌いな爺様だったのに…周りの高齢者に話し聞くと「あんたの爺さんは後輩にも理不尽なぐらいに暴君で恐ろしかった!」よって孫の私にも本当容赦無しだったのは祖父も戦争で散々悲惨な光景見て戦ってきたからなのか?それでも今で言う虐待三昧な祖父だった。亡き両親も生前祖父には罵詈雑言で2人ともストレス溜めてて父は仕事終わって帰って来ると酒に逃げ母は文句一つ言わず働きながら家の事私達の事一人で切り盛りしてた。戦後20年後に産まれた身の自分は…祖父も両親も怖い存在でしかなく裕福でもなく、少しでも我儘言うと直ぐ父親からの説教。常に食べるもんなんか無いから始まって!戦後産まれで金さえ出せば何でも買える贅沢で幸せな世代だ!金は必要な時使える様に蓄えろ!国は何もしてくれないぞ!金は何よりも大事!何でも金だぞ!現金に勝るもの無し!って昭和10年生まれの父親が戦時下に味わった少年時代に見聞きした国の対応への不満が大人になっても消えてなかった。確かに今の時代も国は何もしてくれない。自助国家の日本だわ。
祖父さんは気骨のある人。お父さんの忠告は正しい。自分の身は自分で守る!神仏や国に頼る人間は、心の弱い人間!成人になれば、すべて自己責任…私は25年生まれ。君のお父さんの言葉は痛いほど理解出来る。真っ直ぐに歩んで下さい。
つつういり
…だから戦争はしちゃダメなんだよ。本来は気の良い優しい父ちゃんや兄ちゃんを悪鬼に変える。戦争が終わっても、本人や家族を苦しめる。こんな残酷な話があるか。
人を殺すと人間の脳は、壊れると脳科学者の方が言われていました。悲惨な精神障害を負われた沢山の方々。繰り返してはならないと私は思います。日本の、世界の平和を祈念します。
私の祖父も同じでした。同居していた私達家族は怖くて祖母と近所の空き家で寝泊まりしたこともありましたね。
他の人が何と言おうと、戦争を経験した人にしか分からないこと、まだまだわからない真実は沢山沢山あるんだと思う。想像を絶する恐怖、悲しみ。昔の人がそんな、辛く悲しい時代身を削って生き抜いて来たからこそ今の幸せな生活が出来ている人がいる。戦争を忘れてはいけない。昔の人の勇姿を忘れてはいけない。それと同時に戦争なんか、この世から無くさなければいけない。
全うな高説だが、最後の意見は我々日本人に言う事では無い‼️中東やロシアに行き、君の自論を展開させてくれ。行く勇気があれば…
@@赤松英世 戦争をこの世から無くそうと意識しない限り人間は弱いから簡単にドンパチ始めるだろが、タコナス。
戦争体験談ありがとうございます。79年経つと「昔のことだよ」で目の前のことに没頭している。特に世界のリーダー国は平和と人権の大切さの原点を大切にして欲しいです。
一つ私でも分かることは、お父さんは根がとても真面目。きっと信じていたんだね。
いつも思うが、戦争に出た兵士たちは他国を侵略していようが、自国を守っていようが、やっていることは人を、少なくとも相手国の兵士たちとその家族の人生を不幸にしている他ならない。平和の中でだけこういった戦争に出るような人たちも、普通の職に就いて、働くことで他の人の人生を少しだけ幸せにすることもできたんであろう。一人の人間を助けるために、病院で働く医師たちが時には十数時間の手術をして、懸命に頑張っていて、医薬品を開発する研究者たちも懸命に研究を取り組んでいるのに、戦争では何も病気や怪我が無い人も一瞬で冷たい死体にできる。さっきまで生き生きと笑ったりしていた青年が、飛んでくる砲弾の下で肉片になっているのを見ていると、この人の命とそれに伴う知人や家族の幸せとこれからこの人が創造できるだろう価値が全て葬られたと思う。
今の私達では、もう考えられない事ですが、国を集団で訴えたら良かったのに😢😢
資料を残して下さった国府台病院の医師や、看護にあたられた方達は、臨床で、いかに兵士が現地で葛藤し苦しんで来たか追体験され、愕然とされながら治療にあたられたでしょう地元の大寺に、従軍看護婦をされていた後、帰国者し、この病院で看護婦をされていた方が、生き残っても苦しんでいた方、現地で亡くなった方の為、高齢になっても階段の多い足場の場所へ、月参りをされていたと言う話を聞いた事があります。貴重な番組をありがとうございます
私の祖父も戦争から帰ってきて性格が変わり口調も変わったと聞きました。詳しくは分かりませんが上に立って厳しく指導する立場だったと聞いた事があります。私が産まれる前に亡くなっており、遺影の写真でしか顔を見ることはできなかったので、小さい時どんなおじいちゃんだったのか祖母に何度か尋ねた事がありました。祖母は毎回あまり話したがらず、(当時の私は分かっておらず)じゃあどうして亡くなったのかしつこく聞きやっとバイク事故で亡くなったのだと教えてくれました。今はPTSDの症状だったんだなと理解することは容易ですが、当時は鬱病などといった精神的な病にどれほど理解があったのか相談するところもなく大変だったと思います。数年前に祖母が亡くなり、親戚から聞いて知ったのですが、当時の祖母はいつも厳しく当たられ、かわいそうだったと聞きました。頭を叩かれるのは当たり前で手が上がるたびに反射的にビクッとしていたと。また祖父はバイク事故ではなく自◯だったということも後々知りました。戦争に行った人も周りの人もどれだけ苦しめられ続けるのか。戦争は負の連鎖しか生まないと思います。
これ、うちの母方のじいちゃんもシベリア抑留を経て同じだったと聞いてる。酒飲むと幻覚見えてばあちゃんを敵と勘違いして包丁持って追いかけまわしてたらしい。母親が8歳の頃には家を焼いたってよ。そんで最後は酒飲み運転交通事故で私の生まれる一年前に死んでしまった。今は勇ましいこと言ってる人も本当に最前線で戦ったら、うちのじいちゃんみたいに気が狂っちまう人が沢山出ると思うよ。
シベリア抑留が終わった時、生きて帰れた人はさぞかし良かったぁと思っただろうと勝手に想像していたけど、酒で現実から逃げなければいけなかった、仕事に就けなかった、若くして自死してたとはただただ絶句する。戦後に生まれたはずの帰還兵の家族も生きた心地がしなかったという現実を、もっと広める必要があると思う。終戦の日から百年経っても悲劇が続くと、日本に限らず国のトップは知っていないといけない。患者のカルテを隠蔽しろなどと考える人間が絶対政治をしてはいけない。毎日国府台の前を通っている身としては、人ごととは思えない。
母方のおじさんは暴力ではなく今で言うと生きる力自体を失ってしまったと聞いたことがある病気になっても医者に見せたがらない自分のせいで仲間は亡くなり、お国は負けたと亡くなる寸前まで言ってたと話していたあと母方の商売仲間だった人で戦争で右腕飛ばされて帰国してからはヒロポン中毒になってヒロポン禁止されてからは、お酒ともつかないような変な酒飲んで体壊していた人も居たと聞いたことがある戦争に行って目の前でどんなものを見てきたか考えたら心がこうなってしまうと思う……なかにし礼さんの兄弟って本にもあるけども
【兄貴、死んでくれてありがとう】忘れられない。北野武さんが演じてましたよね。 2024.8.23.
抜け殻のようになってよく結婚して子供まで産めたなって思いましたが戦争前は違ってて、戦争は人の人格を悪く変えてしまうんですな。あとちびまるの祖父もかなり荒れてたそうで、それも戦争のせいなんですな。悲しいですな
父方の祖父が丁度このお祖父さんのように腑抜け状態で目を合わせたことすらなかった。母方の祖父は普段は普通だが晩酌時などに変なスイッチが入ると大声で軍歌?を歌ったり、天皇陛下がどうだのと喚き散らす事があった。中国大陸で当たった爆弾の破片でお腹に大きな傷跡があったが生前は一切戦争の話をしなかった。
誰にも向けられない「強く激しい怒り‼️」その人しかわからない痛み。治療法がない!「複雑性PTSD」にしろPTSDは本人も周りもキツイ😭
負の連鎖は代々続く可能性があるのかも知れない。私の祖父もお酒ばかり飲んで、いつもお酒の臭いがしていた印象。その娘である私の母も虐待を受けていたとよく聞いた。母も何かある度お酒で、自殺未遂も数回あった。最終的にアルコール依存となり父でも手をつけられない状態になった。あれは良くない。母はアルコール依存症から回復する事なく急死した。私も母から受けた恐怖と痛みを未だ忘れられずにいる。遺影を見てもこれは誰だろうかと頭がパニックになる。あの世があるならば、母はどうしているだろうか。せめて穏やかな心でいてほしい。私が今できることは、自分の子には悲しい思いをさせない事、負の連鎖を断ち切る事。この動画やコメント欄みて、戦争が関係していないとは言いきれないと思った。親の後始末で余裕がなく自分のことでいっぱいいっぱいだけど、ただ心の中で平和を祈る事も忘れない。
私の死んだおじいちゃんも戦争に行っていましたが、孫でも関係なく怒鳴り散らし、暴力もあり、私の母親は性的な事をさせられかけ逃げていました。そんな時でもおばあちゃんやお父さんはそれで育ってて慣れてるのか知りませんが助けてくれず、結局離婚してました。ほんとに似たような人が沢山居たのだなとこれを見て思いました。
PTSDに苦しんだ方も少なからずいたと思います。が、そうまでして日本を守ってくださった先人に感謝すると共に、その先人の苦労を無視して、日本国土を外国人に売る今の政治家に猛省を足します。
その通りですね。
日本が敗戦からのし上がれて高度経済成長期に至ったのは復員した人達のガッツがあったからという言説が存在するが、戦争から心が戻れなかった人のPTSDやそれに巻き込まれた人の証言を聞けば、それを礼賛することはできない。この方の体験はあまりにも壮絶すぎる。父親もかなり苦しんだんだろうが子供にこんな思いをさせるなんて。
君は駄目だな…
戦争経験をして、死と背中合わせの日々の中にいて、トラウマにならない訳がないんだなぁと。。。今迄、考えにもおよびませんでした。
その年代に育てられた子どもたちは、よく親から暴力を振るわれた人が多いと思う。そして、その親から生まれた子どもも…私はそういう年代。祖父も親も、すぐ手が出る。家庭環境や刷り込みて怖いよ。戦争は人格も変えるし良いことなんか一つもない。きまって戦争を始めるのも男。いまの時代もトップの男次第で世の中がかわるんだよ。勝ち負けにこだわり、家族をも忘れてる。考えていたら戦争なんて起こそうと思わないだろう。
それはあると思う。戦中生まれの父は親や教師に殴られて片耳鼓膜が破れ聴力が低い。自分も子供時代は散々虐待としか思えない体罰を受けた。
俺の父方の祖父は衛生兵として満州へ出兵し、極寒の満州で凍傷になり指を落としたりとかあったが無事帰国。俺と父が知る限り、祖父は口数が少なくほとんど話さない人だった・・・これを見ると、祖父がほとんどしゃべらなかったのは、戦が原因だったのかもしれないな、と思った・・・
真面目で実直な方達だったからこそ、過酷で理不尽な状況下で、心をすり減らしながら狂気的な体験に心を壊しながら闘い抜いて抜け殻のようになってしまって。戦争さえなければ幸せな人生だったはずなのに。。。
私(昭和47年)の祖父(大正12年 )海軍でしたが戦後しばらく市川の国府台病院に入院していたのを、祖父が他界した後聞きました。戦後祖父が戦争の話をした事もなく、祖父が他界した後…戦争関連の写真は全て破棄してしまいました。何か言えない事情があったのだと思いますが、私としては海軍時代の写真を残して欲しかったと思いました。
ベトナム帰還兵のPTSDの講演会を見た方が第二次大戦の復員兵だった父の無気力な姿と重なったってNHKで見たな
戦争でptsdを患った人からしたら今の時代の人たちをどう思うんでしょうね。子供のいじめ以外の不登校もどんどん増えてきているし心配。現代人もどうなっていくのか…
自分が戦地で手を汚す必要の無い人たちが"勇ましく" 決めた戦争でしょう。その方たちも最後は結局これまた”勇ましく"勝手に命を絶たれたケースが多いようですが、あとにこれだけ犠牲者を出して、自分たちのした事がどれだけ波紋大きく次の世代に迷惑かけたかわかっているのでしょうか
戦争の傷は今も残り続けてる
私の祖母には、8人の子供がいて 長男、次男が特攻隊で戦死してます戦後、残りの子供達の家をたらい回しにされ『戦死した息子達が一番親孝行だ』と言ってた 国から遺族金みたいな小遣いが出たからね 最初の頃は少額だったが100歳まで生きたので かなりの額だったようで 孫、曾孫にも よく小遣いくれました
生前、父が父方の祖父(父の父)のことを話してくれたのと同じです。父「父さんは、シベリア抑留され、帰ってきたら俺や母さん(父方の祖母)に酒浸りになり暴力を振るった。産婆をしていた母さんから近所の人達から褒められるのも気に入らなかったようだ」と話してました。酒浸りの生活で病気になり、48歳の若さで亡くなった祖父も「戦争PTSD」だったと思います。ウクライナやロシアの兵士達にも戦争PTSDがあるでしょう。戦争は兵士に体だけでなく、心を傷つけ、その家族にも負の連鎖するということを知ることができました。「戦争を知らない」若い人達に見て欲しいです。
真実を、真実を焼却せずにこっそり保管してくださった先生方有難う、思い切って公表くださった藤岡さん有難う。
お父様は本当に苦しかったのでしょう戦争で見たくない物も見るし恐怖もあると思います本当にお辛かったのでしょう戦争を体験した方にしか分からないと思います!自死をされてしまったんですね!もっとご家族が理解をし支える事も大切です私は医療従事者ですが色々な患者様もいます!でも、まず理解をしてあげる事だと思っております!ご家族もお辛いかと思いますが本人が一番お辛いのです!
戦後、復員後に何もしないでいる人が、何処にもいたというのを、ネットで読んだことがあり、戦争で心が病んでしまったのだろうなと、思いました。やはり…
現在の児童虐待問題に繋がっているケースもあるのでは・・
絶対関連あると思いますよね…
亡くなった兵士の妻が夫の兄や弟に嫁がされ。嫌々世帯を持っても夫婦仲は冷え込み良い結果にはならなかったと聴きました。亡くなった兵士の恩給を姑が嫁から取りあげ、嫁と幼い孫を家から叩き出したとも⋅⋅⋅高齢者の方はやるせない思いを抱えているのですね
同じこと考えてましたもちろんもっと昔からあることでしょうがここから爆発的に増え連鎖しているのだと思います
虐待は世代を超えて連鎖する
私の祖父も終戦して帰ってきてからも飛行機が通ったり、どぶろくの「パン」という音がすると「敵襲!敵襲!」と隠れて震えていたそう。小さい頃は「ふーん?」と聞いていましたが大人になった今、この動画をみて、祖父の身に大変な事が起きていたんだな、と理解できました。
66才ですが私も存命なら106才の父親から虐待されて育ちました。
戦争後遺症の調査は、日本には欠けていませんか。特に特攻隊の生存者、激戦区からの生還者に発症者が多かったと思う。兵士のみならず民間人にも多かったはずです。戦前は、精神科医も少なく、今でも需要に比べると少ない、患者調査も稚拙でした。統合失調症の妄想患者は、現状認識も弱く、恐怖感がない、銃撃戦に最前列に置き、前進させたと聞いています。入院させ治療するより、戦死させるほうが手間がいらないと考えられたようです。ひどい時代だったと思いますね。戦争病の患者の子供たちには、虐待の連鎖に入り込む人も多かったはずです。戦争の勝敗にかかわらず、兵士には殺人の、戦争下では合法だが、苦悶からPTSDを発症し、治療は困難、日常生活に支障をきたしたはずです。
私は96歳で終戦時は帝国陸軍少佐でした。当時のことを思い出します。ですが、いいこともたくさんありました。
よい思い出が会ってよかったですね。大切にされて下さい。
ありがとうございます。いずれかは少将になる器とも言われましたが、早くに終戦を迎えました。あのまま帝国陸軍が続いていたらと未だに夢で思います。(終戦後、軍属は相当不利で未だに続く為)私はかつての東條中将と3たびほど昼食をしました。良い思い出です。
相当、敵も倒しましたし、残虐でした。けど、帝国陸軍はいいものでした。権力に言わせてなんでもできました。
@@user-ye6kd5oy8qさん、あなたなにもの?今96歳、終戦当時16歳?
元帝国陸軍主計少佐 鈴木宗元です。
こう言うの見ると、平和ボケって攻められても戦わない!と言う人たちではなく、国のために戦う!とか、家族を守るために戦う!とか息巻いて言う人のことを平和ボケというのだと思った
価値観にもよりますが前者も平和ボケには変わりないのではないでしょうか。最初取材を受けた方の父は終戦した後とはいえ抵抗せず投降した結果シベリア抑留をされてPTSDを患ってしまわれたので。
人は命よりも大切なものがあると主張して戦争を始め、命よりも大事なものはないと主張し戦争をやめるって言葉があったな
俺は戦うつもりだけど。一応
死んだおじいちゃんは、戦争の話はしなかったな。😢
私の父方の祖父は満州に行き帰ってきましたが母方の祖父は足に不自由があり徴兵されませんでした。また義理の祖父も病気で徴兵されませんでした。しかし戦地に行っていない2人の祖父でも家族に暴力をふるって家族はとても苦しみました。義理の母は高齢になった今もトラウマに苦しんでいます。戦時中、徴兵が当たり前で街には働き盛りの男性はいなかったそうです。そんな軍国化する社会の中、居づらさがあっってストレスが溜まっていたのかもしれません。私自身も親に暴力を奮われて育ちました。復員兵の親に暴力を振るわれた子供は自分の子供に暴力を奮う。より力の弱い人が被害にあってしまう。80年経った今も戦争が起因の負の連鎖が続いているのではと大人になってから考えるようになりました。この番組を見て共感する部分が多々ありました。復員兵の抱えたPTSDとその後の影響について、より社会に知られるようになると良いと思います。番組を有難うございます。
何でも力づくで抑え込んで事を済ませる時代だったし、またそれが戦争そのものなのでしょうね。
私も幼少期、中国に戦争に行った親父に殴る蹴るの虐待を受けてた。私も語り部になろうかな😅
どうかお願いします。お辛い事かもしれませんが、これは語り継がなければならい事実ですね。
@@三記-w6u いや、ポジティブだから大して辛かったとは思ってないのよ😂だけど今は戦争を知らない人達が多くなってるから又、同じ過ちを繰り返してほしくないので語りたいわ。
うちのじいちゃんから聞いた話だけど フィリピンでジャングルで迷って日本軍の逃亡兵狩りに捕まって現地軍法会議にかけられたとの事 同じ軍法会議に軍医がかけられてその場で処刑されたと言ってたな。軍医さん自身がPTSDに
兵士のPTSDによって子供にまで危害が加わるなんて最悪。戦争は奪うだけで何もうまない。
😢戦争の犠牲者達だね。
今程心の病を言える時代ではなく 病院で治療などと考えが及びませんでした。仕事はして家族に乱暴はしませんでしたが 酒好きで飲むと大声でわめき母親が苦労しました。戦争が人生に影を落としているように見えました。
戦争がもたらす不幸は、戦争が終わっても残る。こころの底から戦争なんてしてはいけない!と思う。
私の亡くなった祖父はシベリアで何年も抑留無事帰国出来たけど 今でいうTPSTになっていつもボ~っと暮らしてました亡くなるまで戦争の話は一切しなかったけど誰にも語れないほど過酷な体験だったんだろうね
軍から破棄するよう命令されていたのにカルテを残してくれた医師達ありがとう!
あっはいっ!大事な資料ですから!
(そんな…指示、あったかなぁ〜…。?)
@ブラウンマシュマロ
???
医師は患者の記録をたとえ命令されたからといってそんなに簡単に破棄するなんてできないですよ。
私の祖父も大陸に出兵し、シベリア抑留を経験しました。
穏やかで優しい人でしたが、子供心に戦争のことを聞くとポツリと「生きた心地がしなかったよ」とつぶやきました。
祖父はなんとか精神を壊さずに済みましたが、心の傷は絶対に消えなかったのだと思います。
シベリア抑留から生還した人は、大変信念の強靭な方です。
立派な方だと推察致します。
祖父さんを大事に祀ってあげて下さい。
この方達のお陰で現代人は、自由に暮らせて居るのです!
祖父さんに感謝の念しか有りません。
@@赤松英世さん
「シベリア抑留された方」は、決して
この方の祖父の方のように強靭な方達ばかりじゃないです。
私の父方の祖父も「シベリア抑留」され、「性格が変わり酒浸りになり、父や妻である父方の祖母に暴力を振るい、酒浸りの生活がたたり48歳の若さで亡くなりました。
「シベリア抑留によるメンタルを壊された」父に虐待された女性が虐待された話が、同じく「シベリア抑留された祖父」から暴力を振るわれた父と重なり辛いです。
「シベリア抑留された方は強靭な方」と一部の話だけを見て決めつけている赤松さんの言葉が引っ掛かり、書いてしまいました。不愉快な思いをしたら謝ります。申し訳ありませんでした。
本当に戦争は不幸にしかしないな
仰る通りですね。
私も幼い頃に戦争に行った父から殴る蹴るの暴行を受けましたから。
戦争は人を不幸にするだけの死神。
命があって帰ってこれたならよかったってわけじゃないんだなって、よく考えたらかるけど改めて気付かされました
日本兵のptsd てやっと語られるようになったな
日本兵は病むことなんてあり得ない
@@前名-c8q病むとかじゃないよ。
脳の病気なの。ストレスは架空のものじゃなく、脳の物質の問題だから。鬱も脳の炎症。盲腸になるなって言われてもなるやん。
@@前名-c8q何言ってるんだ
実の父に痛めつけられたり怯えながら過ごした子供も可愛そうだし、死ぬまで戦争の恐怖の記憶に苛まれながらついには自ら命を絶ってしまった父親も本当に可哀相だ…毎日毎日本当につらかったことだろう。戦争を起こしてはいけない。今を「戦前」にしたくない。国家・地域・あるいは民足間の不当な武力行使を許さない、世界規模の国際法をきちんと整備してほしい。
今の時代、こういう精神疾患を含めた事実を知らせる事の方が戦争が及ぼす影響や悲惨さを伝える事に貢献しやすいと思う
終わっても終わらない苦しみがある事実は重い
兵士にPTSDがあることすら
長い間認識されていませんでしたね。
軍医がカルテを保管していなければ消された事実。
兵士だけでは無い。父親の従兄弟頭が満洲国で妻子を無くし帰国して詳細は語らず宗教団体に救いを求めた。
お父さん、悲しい目をされてる。戦争なんて何の得もない。
私の父も同じでした。父は徴兵され南洋へ行った戦闘要員の防衛隊でした。
当時小学生の子供だった私たち(兄弟)や母に殴る蹴るの暴力の日々で、アル中、無気力のような鬱状態もありました。
母に聞くと昔はやさしく、あんな人でなかったと言いっていました。もうガンで他界して何年も経つのですが、当時中学生になった私は、この人が4んでホントに良かったと思っていました。
恐らく戦争で、上官からの暴力、戦地での恐怖などが人格を変えてPTSDにしてしまったのかもしれません。
人格すらも狂わす戦争を絶対にやってはいけないと思います。
やらなければやられる!
そんな状況で生還された方々は、立派な方達です。
帰還後の蛮行は許されたし…
大事に祀ってあげて下さい。
戦争は100害あって一理無し。
アタマおかしくなるに決まってる。死体をみたり、仲間が死ぬ様を見るとそうなるよ。
@@赤松英世 やらなければやられる!
そんな状況で生還された方々は、立派な方達です。←わかる
帰還後の蛮行は許されたし… ←わからない
その方がおこなったことは蛮行と理解しながら「許されたし」とはあまりに身勝手な発言と感じた。許すか許さないかは、その蛮行を働かれてしまったご本人が決めること。許せないなら無理に許す必要はない。一番大事にすべきは英霊でも家族の誇りでもなく、ご自身の心なので。
@@赤松英世
それを許すか許さないか、どう受け止めるかは直接関わった家族以外が言及したり判断したりするのは傲慢というもの
私の祖父も同じでした。
私の亡くなった母が、シベリア抑留から戻った父親から受けた厳しい扱いに最期まで苦しんでいました。孫の私自身、家庭・家族と言うものに諦めの思いが強く、結婚はするまいと独身を通し、家の苦しみは、私の代で終わりにしようと生きて来ました。この番組を見て、戦争の後の世代の悲しみが、私だけでなかったことを知り背中を擦って貰った様な気持ちになりました。
藤岡さんのお母さん偉い。全力で子供達を守った。だけど、お父さんのPTSDも相当根深いものだったんだ…傷ついて傷ついて…戦争は本当に不幸しか生まない。
youtube上にあるアメリカの復員兵のPTSDの映像をいくつか見たことがある。本当に悲惨。そうか、日本の復員兵はPTSDの存在も知られていなかったのか。。
精神論跋扈してる日本軍だと軟弱だって言われたり、隠されたりして終わりやからね。
でも復員して来た人の話を聞いた事もあるけど、あんなの精神おかしくなるのは当たり前の環境や、という事。
祖父母も戦争経験してて、普段は優しいけどやっぱり戦争の話をすると人格変わるというか、感情的になる感じだった。
私のひいおじいさんは、息子が3人とも戦争で死んでしまい、戦争中は「国のために戦ってくれたんだ」と気丈に振る舞っていたようですが、終戦後にその糸が切れてしまって、酒浸りになり、まだ10代だった私の祖母や祖母の姉たちに激しい暴力をふるっていたと聞きました。
(殴る蹴るは毎日、鎌を投げつけられたり、熱湯をかけられたりしたそうです…)
みなさん言わないだけで、他にも精神を壊した人は戦争へ行かれた人も、その家族も大勢いたと思います。
私の曾祖父も同じです。フィリピンから帰ってきて、精神崩壊して、毎日酒を飲んで子供達に暴力をふるい、棒で叩いたり、勝手に子供を養子に出したりしたそうです。最後、曾祖父が亡くなる時、私の祖母が見に行ったらしいんですが曾祖父が顔を合わせられないと言って面会できずに息をひきとられたみたいです。
最低のヒイお爺さんだったんですね。
@@nanacomarumaru77
曽祖父をそこまで追い込んだ戦争と時代が最低でしたね。
心に刻んで反戦を引き継いで行きたいです。
なぜ実の子に暴力を振るうのか、、理解できないです。戦争って恐ろしい
戦争して良い事など何一つとして存在しない。
こんな事が二度とあってはいけない
元日本兵の戦後のPTSDが近年取り上げられるようになってきた。国から認めないと言われ保障もなく、精神科医は資料を残すなと言われていた。元日本兵も家族も過酷な経験をされたと思う
国民を捨て駒にしようとした癖に酷すぎる
他にも切り捨てばかりですよ。話聞いてると
@@Eeeessss11
結局そうですよね
今もそんな風潮がありますよね
@@sho-tanakazawa7229
しかもまだ満州辺りで止めておけばいいものを、やらなくてもいい対米開戦をなし崩し的にやらかしてる。
最悪の場合でも攻めるのはまだソ連の方。南洋のニューギニアで補給もなく軍隊、軍属を放置する上層部の無責任さ。今の政治の無責任さに通ずるところがある
@@ヤス-l4b
本当にそうですね💦
本土空襲を阻止すべく各島々の守備隊の方達には本当に頭が下がる思いですが
補給路も確保してないような遠隔地の作戦(インパール作戦など)は聞く限り上層部の愚の骨頂としか😡
アメリカ軍のPTSDの人がパニックになる動画を見たことあります。
どっかの店の駐車場で、血走った目で銃を構える姿勢をとってました。そして気絶してました。
本当に壮絶な体験をして、頭が混乱したまま戻ってこられない本当に可哀想です。
復員兵遺族の受けた壮絶な虐待は、戦争が如何に残酷なものかを物語っていると思います。「戦争はまだ終わっていない」本当にその通りだと思います。
敗戦後、すべての資料の焼却を命じたというのが、日本政府の大きな罪だと思います。軍医のおかげで大切な真実が語られました。
国のため、大切な誰かを守るために一生懸命戦ってくれた証ですからね。それを処分してしまうとその大切な記録がないものとなってしまう。
この軍医さん達はそれを守ってくれた。ありがとうございますと言いたいです。
@@ちょこぼ-e6h
真実を隠すと言うことは命懸けで戦った現場の兵士たちを最もバカにしてると思います。軽く扱ってる
軍に背いてまでも残しておくべきと思われたその行為はやはり医師としての正義だと思う。
戦争は人を変えるという言葉とおりに私の祖父もびっくりするくらい変わったそうです。一滴も飲めなかった酒が復員後は常時酒浸り。そして、戦地のことについて質問するとほとんど語らずでした。唯一毎回話題で出てくるのは背中から撃たれる心配がない人は良い上官。
戻ってきても一切戦争を語らなかった曽祖父は、認知症入ってから戦時中の記憶がバグったのか、暴れたり怯えたりするようになってしまって、施設へ預けざるを得なくなりました。
戦場経験世代で認知症入ると割とこういうパターンはあったそうです…
今思うとうちのおじいちゃんもこれだったのかも…いつも無気力で酒飲んで何もしなかった。うちの父親や祖母からは怠惰と叱られ可哀想だった😢
そういう被害が出ていた方の動画も見ました。その方の息子さんが気づいてあげられなかったと泣いていたのが印象的でした。
私の叔父はシベリアで病死しました。死んだ方々も生き残った方々も、死ぬより辛い思いをなさったのでしょう。
どうか、天国では心穏やかに過ごせますようお祈りいたします。
私の祖父も特攻隊でしたが帰還しました。優しい祖父でしたが、言葉で弱音を吐かない代わりに、アル中になり◯殺しました。
近所のおじいさんも戦後何十年経っても道端で敬礼していました。人間の尊厳を壊されたようでしたよ。
上司にパワハラされたりするだけでも精神的に参るのに、殺すか殺されるかで、殺人を強要されたり、日々人が死んでいくような戦地は当然トラウマになるような残酷な状況だよね。。考えられないような経験があったんだろうな。
生きてる間に理解してあげられなかった事が
残された家族をまた苦しめるんだろうな🥲
昭和生まれで共感する人は多いんじゃないでしょうか。出征を経験した親を持つ我々もまた戦争を知る最後の証人だと思う。何があっても日本を戦争に向かわせてはいけないと教えられるのも我々しか居ないと思う。
何故戦争をしなければならなかったか?
歴史を熟知して発言しているのか?
それとも、共産主義の受け売り発言か?
悩まれている家族のケアをお願いしたいです。またその記録や研究もしっかり行って、平和(の継続)につなげてほしいです。
人間を壊されちゃったんだね…。狂気な場所で、心が壊れるような経験をして。発症したのは正常な反応だと思う。魂が救われますように。
狂気な国の狂気な抑留。
シベリアは特に…
うちの爺ちゃんも、浴衣着て縁側で昼間っから日本酒飲んでる人でした。ボケてしまい満州での戦争のトラウマがでてました。そんな爺ちゃんだけど、貧乏だったけど大好きでした。
貴重な記録だ。。。
国民は使い捨てで尊厳を与えられていないんだということをしみじみ考えさせられる
なんというか、言葉がない。
みんなみんな辛かったなぁ。。。
フィリピンから復員した祖父は寡黙で必要なこと以外何も喋らなかった。爆撃で耳がやられていて片耳が不自由だった。何も喋らず朝から晩まで酒を飲んでいた。
祖母から聞いたが帰ってきた時は骨と皮だけで骸骨だと思ったと言っていた。亡くなる何年か前に少し話しを聞かせてくれた。「たくさん○した。たくさん○んだ。食えるものは何でも食った。食わないやつは○んだ」と言った。人を食ったんだと察した。私は祖父を責められない。
なんとも言えない気持ちになりました。お祖父さん、生きておられたおかげで出来た家族の思い出や安らかに休まれていますように。もうつらいことなどひとつもありませんように
同じフィリピンから帰った方の息子さんがいます。南洋だったので昆虫、蛇やカエル、果物、セツコ、何とか食べれたらしいです🙏誰も責めれ無い話です
閉鎖の精神科病棟で勤務していた際に、認知症の90近いお爺さんが、拘束しているにも関わらずもの凄い勢いで暴れていた。暴れる時は、大日本国だとかパラオだとか、大体戦争のワードが出ていた。力がもの凄くて何度も蹴られて本当に怖かった記憶…今度は私がPTSDになっている😭
孫には優しかった祖父。工場から帰って来てすぐ自転車の荷台に乗せ、かき氷を食べに行った記憶が朧げに残っている。
祖母は憎しみを込め、酒と博打に使いよると嘆き、自分も工場で朝から晩まで勤めていた。
1970年代、PTSDの存在がうたわれていたら、父方の家庭環境が変わっていたと残念に思う。
苦しいお話をして下さり、ありがとうございます🙏
私の母方の伯父も特攻隊で明日飛ぶと言う日に終戦を迎え
たらしく…帰って来ないから亡くなつたと思われていたところ、しばらくして体中シラミだらけで、気が変になって帰宅したと聞いています😢🙏辛い体験ですね
二度とこの様なことが繰り返されないことを祈るばかりです🙏
過酷でいつ死ぬかわからない状況でいつでも危機感を纏いながら、人と殺しあいしないといけない。我が身の意志ではなく、他言無用!強制下の中で過ごされたら、精神も破壊されるであろうと考える。私の伯父も海軍を務め戦死しました。どれぼど過酷であっただろう。私を含め戦後の人間には到底理解出来ない。お花畑で来た現代人には理解に及ばないものがあると思います。
戦後5年生まれですが、中学生頃まで親戚の叔父さんや近所の日清.日露を経験したお爺さん達から、武勇伝や悲惨さを聴いて育ちました。
昭和40年以降のボンクラ共には理解出来ないでしょう。
やらなければやられる!
或る日突然武装した狂気の者に、抵抗もせずに服従する事は、人間の尊厳を捨て去る事です。
歴史を知らない能天気人間達の戯言は聞くに耐えない!
命乞いしても無駄だと分かった瞬間は『死の直前』‼️
私も高齢者の仲間入りをする年齢になったが、幼い頃当時すでに高齢の医師たちから地元でそれとなく話を聞く機会はあった。
元軍医ではなかったが、戦前のことを知っている人たちで、戦争で精神がおかしくなった人たちのことは時にポツリポツリと話していた。そういう病院があったとも。医師たちもよほど心残りだったのだろう。
カルテが残ったのもある意味当然という気がする。焼くに焼けなかったのだろう。
人の心を壊すのが 戦争
最初から壊れた精神の奴が戦争を起こした❗️
主旨が逆です。
何もせずに死を受け入れるなら、話しは別ですが…
あんな恐ろしい戦争で、おかしくならない方が、おかしいくらいだ。ボロボロにやられて、余裕がなかっんだろうが、少し経済的に、余裕がでた時点で、他所の国ばかりに税金を使わず、戦争の被害者達にもっと心を寄せるべきだった。
中学生の時「祖父の兄」の存在をお葬式で初めて知りました。戦争から帰りずっと精神病院で生き、足も悪かったようです。初めて会った安らかに見えるお顔に ごめんねというような気持ちでいっぱいになったのを覚えています
アメリカにいた時、知り合いの海兵隊員から戦争のPTSDで家庭が大変な家の子供達をパーティに招くのでパンを焼いて欲しいと頼まれてボランティアしたことがあった。
兵士でないと対峙できない程みんな荒んでいると言われて、普通の家庭からパンを焼いて持って行くことの意味を考えさせられたことがある。
祖父も海軍で戦争行って生きて帰ってきましたが、よくお酒を呑んで暴れていたと祖母や父が言ってました。この映像観てきっとPTSDだったのかもです。人の性格も人生も変えてしまうほど酷い出来事だったんだと凄く思いました。
祖父さんは立派な方だと推察致します。
帰還後の蛮行は許されたし…
大事に祀ってあげて下さい。
@@赤松英世本当ですね。生きて日本に戻って来ても米軍基地でボイラーとして定年まで働いてました。私の知っている祖父はとても口数少なく物静かでした。
たくさんの人の不幸のうえに私の幸せが成り立っていることを痛感しました。私も鬱で20年間苦労しましたが、今は通院しなくてもよくなり幸せです。ありがとうございます。もう53歳ですが、平和をくださったかたのためにも前を向きたいと思います。
私の祖父も中国に従軍後帰国。
DVやアルコール中毒で
家族は大変な思いをしたと
祖母や母から聞きました。
従軍経験に心を壊されたのだと
思います。
貧困やDVなどの日常の困難故に
家族は祖父の精神的なケアまでは
難しかったでしょう。
祖父も辛かっただろうと
思います。
これは予想してなかった……
確かにそんなことになる家庭はあるよね
声上げてくれて嬉しいです 少しでも
記憶が良いものになればな……
うちのおじいちゃんもここまででは無かったけど昼から日本酒飲んでる印象でした。母親に聞くとシベリアで抑留されていた頃の話は一切したがらなかったと言うことです。細かくて口うるさい印象だったけど当時は子供だったし、今思うともっと戦争の事を聞いておけばよかったと思います。きっと人に言えないつらい経験が沢山あったのだろうと・・
ある程度適応できる人間もいるが、戦争は普通の人間の精神が耐えれるような体験ではないのだろう
特に物資が滞り、飢えや病気の脅威にも晒された中で周辺に敵だらけときたら精神に異常をきたさない方が珍しいだろう
小野田少尉‼️
任を全うした。
@@赤松英世さん、
あなたの体験をお聞きしたいですね。ここで話されてる方は身内の苦しみを話されています。それにあなたが何かを言えるとしたら、あなたの体験を話すことが必要だと思います。
@@鈴木基之-x6b ここで言ってもフェイクと見分けつかないから
顔出して言うべき
海軍出の亡き祖父は本当に怖くて
幼少期の記憶残ってるけど!少しの口答えも容赦無しで納戸に閉じ込められたりホースで水ぶっかけられたり優しくされた記憶が一切無い。
それでも高齢になって亡くなった時は何故か涙が出た。嫌いな爺様だったのに…
周りの高齢者に話し聞くと
「あんたの爺さんは後輩にも理不尽なぐらいに暴君で恐ろしかった!」よって孫の私にも本当容赦無しだったのは祖父も戦争で散々悲惨な光景見て戦ってきたからなのか?
それでも今で言う虐待三昧な祖父だった。亡き両親も生前祖父には罵詈雑言で2人ともストレス溜めてて父は仕事終わって帰って来ると酒に逃げ母は文句一つ言わず働きながら家の事私達の事一人で切り盛りしてた。
戦後20年後に産まれた身の自分は…
祖父も両親も怖い存在でしかなく
裕福でもなく、少しでも我儘言うと
直ぐ父親からの説教。
常に食べるもんなんか無いから始まって!戦後産まれで金さえ出せば何でも買える贅沢で幸せな世代だ!金は必要な時使える様に蓄えろ!国は何もしてくれないぞ!金は何よりも大事!何でも金だぞ!現金に勝るもの無し!って
昭和10年生まれの父親が戦時下に味わった少年時代に見聞きした国の対応への不満が大人になっても消えてなかった。確かに今の時代も国は何もしてくれない。自助国家の日本だわ。
祖父さんは気骨のある人。
お父さんの忠告は正しい。
自分の身は自分で守る!
神仏や国に頼る人間は、心の弱い人間!
成人になれば、すべて自己責任…
私は25年生まれ。
君のお父さんの言葉は痛いほど理解出来る。
真っ直ぐに歩んで下さい。
つつういり
…だから戦争はしちゃダメなんだよ。本来は気の良い優しい父ちゃんや兄ちゃんを悪鬼に変える。戦争が終わっても、本人や家族を苦しめる。こんな残酷な話があるか。
人を殺すと人間の脳は、壊れると脳科学者の方が言われていました。
悲惨な精神障害を負われた沢山の方々。
繰り返してはならないと私は思います。
日本の、世界の平和を祈念します。
私の祖父も同じでした。
同居していた私達家族は
怖くて祖母と近所の空き家で寝泊まりしたこともありましたね。
他の人が何と言おうと、戦争を
経験した人にしか分からないこと、
まだまだわからない真実は沢山
沢山あるんだと思う。
想像を絶する恐怖、悲しみ。
昔の人がそんな、辛く悲しい時代
身を削って生き抜いて来たからこそ
今の幸せな生活が出来ている人が
いる。戦争を忘れてはいけない。
昔の人の勇姿を忘れてはいけない。
それと同時に戦争なんか、
この世から無くさなければいけない。
全うな高説だが、最後の意見は我々日本人に言う事では無い‼️
中東やロシアに行き、君の自論を展開させてくれ。
行く勇気があれば…
@@赤松英世 戦争をこの世から無くそうと意識しない限り人間は弱いから簡単にドンパチ始めるだろが、タコナス。
戦争体験談ありがとうございます。79年経つと「昔のことだよ」で目の前のことに没頭している。特に世界のリーダー国は平和と人権の大切さの原点を大切にして欲しいです。
一つ私でも分かることは、お父さんは根がとても真面目。きっと信じていたんだね。
いつも思うが、戦争に出た兵士たちは他国を侵略していようが、自国を守っていようが、やっていることは人を、少なくとも相手国の兵士たちとその家族の人生を不幸にしている他ならない。
平和の中でだけこういった戦争に出るような人たちも、普通の職に就いて、働くことで他の人の人生を少しだけ幸せにすることもできたんであろう。
一人の人間を助けるために、病院で働く医師たちが時には十数時間の手術をして、懸命に頑張っていて、医薬品を開発する研究者たちも懸命に研究を取り組んでいるのに、戦争では何も病気や怪我が無い人も一瞬で冷たい死体にできる。さっきまで生き生きと笑ったりしていた青年が、飛んでくる砲弾の下で肉片になっているのを見ていると、この人の命とそれに伴う知人や家族の幸せとこれからこの人が創造できるだろう価値が全て葬られたと思う。
今の私達では、もう考えられない事ですが、
国を集団で訴えたら良かったのに😢😢
資料を残して下さった国府台病院の医師や、看護にあたられた方達は、臨床で、いかに兵士が現地で葛藤し苦しんで来たか追体験され、愕然とされながら治療にあたられたでしょう
地元の大寺に、従軍看護婦をされていた後、帰国者し、この病院で看護婦をされていた方が、生き残っても苦しんでいた方、現地で亡くなった方の為、高齢になっても階段の多い足場の場所へ、月参りをされていたと言う話を聞いた事があります。
貴重な番組をありがとうございます
私の祖父も戦争から帰ってきて性格が変わり口調も変わったと聞きました。詳しくは分かりませんが上に立って厳しく指導する立場だったと聞いた事があります。
私が産まれる前に亡くなっており、遺影の写真でしか顔を見ることはできなかったので、小さい時どんなおじいちゃんだったのか祖母に何度か尋ねた事がありました。祖母は毎回あまり話したがらず、(当時の私は分かっておらず)じゃあどうして亡くなったのかしつこく聞きやっとバイク事故で亡くなったのだと教えてくれました。
今はPTSDの症状だったんだなと理解することは容易ですが、当時は鬱病などといった精神的な病にどれほど理解があったのか相談するところもなく大変だったと思います。
数年前に祖母が亡くなり、親戚から聞いて知ったのですが、当時の祖母はいつも厳しく当たられ、かわいそうだったと聞きました。頭を叩かれるのは当たり前で手が上がるたびに反射的にビクッとしていたと。
また祖父はバイク事故ではなく自◯だったということも後々知りました。
戦争に行った人も周りの人もどれだけ苦しめられ続けるのか。戦争は負の連鎖しか生まないと思います。
これ、うちの母方のじいちゃんもシベリア抑留を経て同じだったと聞いてる。酒飲むと幻覚見えてばあちゃんを敵と勘違いして包丁持って追いかけまわしてたらしい。母親が8歳の頃には家を焼いたってよ。そんで最後は酒飲み運転交通事故で私の生まれる一年前に死んでしまった。今は勇ましいこと言ってる人も本当に最前線で戦ったら、うちのじいちゃんみたいに気が狂っちまう人が沢山出ると思うよ。
シベリア抑留が終わった時、生きて帰れた人はさぞかし良かったぁと思っただろうと勝手に想像していたけど、酒で現実から逃げなければいけなかった、仕事に就けなかった、若くして自死してたとはただただ絶句する。戦後に生まれたはずの帰還兵の家族も生きた心地がしなかったという現実を、もっと広める必要があると思う。終戦の日から百年経っても悲劇が続くと、日本に限らず国のトップは知っていないといけない。患者のカルテを隠蔽しろなどと考える人間が絶対政治をしてはいけない。毎日国府台の前を通っている身としては、人ごととは思えない。
母方のおじさんは暴力ではなく今で言うと生きる力自体を失ってしまったと聞いたことがある
病気になっても医者に見せたがらない
自分のせいで仲間は亡くなり、お国は負けたと亡くなる寸前まで言ってたと話していた
あと母方の商売仲間だった人で戦争で右腕飛ばされて帰国してからはヒロポン中毒になってヒロポン禁止されてからは、お酒ともつかないような変な酒飲んで体壊していた人も居たと聞いたことがある
戦争に行って目の前でどんなものを見てきたか考えたら心がこうなってしまうと思う……
なかにし礼さんの兄弟って本にもあるけども
【兄貴、死んでくれてありがとう】忘れられない。
北野武さんが演じてましたよね。 2024.8.23.
抜け殻のようになってよく結婚して子供まで産めたなって思いましたが戦争前は違ってて、戦争は人の人格を悪く変えてしまうんですな。あとちびまるの祖父もかなり荒れてたそうで、それも戦争のせいなんですな。悲しいですな
父方の祖父が丁度このお祖父さんのように腑抜け状態で目を合わせたことすらなかった。母方の祖父は普段は普通だが晩酌時などに変なスイッチが入ると大声で軍歌?を歌ったり、天皇陛下がどうだのと喚き散らす事があった。中国大陸で当たった爆弾の破片でお腹に大きな傷跡があったが生前は一切戦争の話をしなかった。
誰にも向けられない「強く激しい怒り‼️」その人しかわからない痛み。治療法がない!「複雑性PTSD」にしろPTSDは本人も周りもキツイ😭
負の連鎖は代々続く可能性があるのかも知れない。
私の祖父もお酒ばかり飲んで、いつもお酒の臭いがしていた印象。
その娘である私の母も虐待を受けていたとよく聞いた。
母も何かある度お酒で、自殺未遂も数回あった。
最終的にアルコール依存となり父でも手をつけられない状態になった。
あれは良くない。
母はアルコール依存症から回復する事なく急死した。
私も母から受けた恐怖と痛みを未だ忘れられずにいる。遺影を見てもこれは誰だろうかと頭がパニックになる。
あの世があるならば、母はどうしているだろうか。せめて穏やかな心でいてほしい。
私が今できることは、自分の子には悲しい思いをさせない事、負の連鎖を断ち切る事。
この動画やコメント欄みて、戦争が関係していないとは言いきれないと思った。
親の後始末で余裕がなく自分のことでいっぱいいっぱいだけど、ただ心の中で平和を祈る事も忘れない。
私の死んだおじいちゃんも戦争に行っていましたが、孫でも関係なく怒鳴り散らし、暴力もあり、私の母親は性的な事をさせられかけ逃げていました。そんな時でもおばあちゃんやお父さんはそれで育ってて慣れてるのか知りませんが助けてくれず、結局離婚してました。ほんとに似たような人が沢山居たのだなとこれを見て思いました。
PTSDに苦しんだ方も少なからずいたと思います。が、そうまでして日本を守ってくださった先人に感謝すると共に、その先人の苦労を無視して、日本国土を外国人に売る今の政治家に猛省を足します。
その通りですね。
日本が敗戦からのし上がれて高度経済成長期に至ったのは復員した人達のガッツがあったからという言説が存在するが、戦争から心が戻れなかった人のPTSDやそれに巻き込まれた人の証言を聞けば、それを礼賛することはできない。
この方の体験はあまりにも壮絶すぎる。
父親もかなり苦しんだんだろうが子供にこんな思いをさせるなんて。
君は駄目だな…
戦争経験をして、死と背中合わせの日々の中にいて、トラウマにならない訳がないんだなぁと。。。今迄、考えにもおよびませんでした。
その年代に育てられた子どもたちは、よく親から暴力を振るわれた人が多いと思う。そして、その親から生まれた子どもも…
私はそういう年代。祖父も親も、すぐ手が出る。家庭環境や刷り込みて怖いよ。
戦争は人格も変えるし良いことなんか一つもない。きまって戦争を始めるのも男。いまの時代もトップの男次第で世の中がかわるんだよ。勝ち負けにこだわり、家族をも忘れてる。考えていたら戦争なんて起こそうと思わないだろう。
それはあると思う。戦中生まれの父は親や教師に殴られて片耳鼓膜が破れ聴力が低い。自分も子供時代は散々虐待としか思えない体罰を受けた。
俺の父方の祖父は衛生兵として満州へ出兵し、極寒の満州で凍傷になり指を落としたりとかあったが無事帰国。俺と父が知る限り、祖父は口数が少なくほとんど話さない人だった・・・
これを見ると、祖父がほとんどしゃべらなかったのは、戦が原因だったのかもしれないな、と思った・・・
真面目で実直な方達だったからこそ、過酷で理不尽な状況下で、心をすり減らしながら狂気的な体験に心を壊しながら闘い抜いて抜け殻のようになってしまって。戦争さえなければ幸せな人生だったはずなのに。。。
私(昭和47年)の祖父(大正12年 )海軍でしたが戦後しばらく市川の国府台病院に入院していたのを、祖父が他界した後聞きました。戦後祖父が戦争の話をした事もなく、祖父が他界した後…戦争関連の写真は全て破棄してしまいました。何か言えない事情があったのだと思いますが、私としては海軍時代の写真を残して欲しかったと思いました。
ベトナム帰還兵のPTSDの講演会を見た方が第二次大戦の復員兵だった父の無気力な姿と重なったってNHKで見たな
戦争でptsdを患った人からしたら今の時代の人たちをどう思うんでしょうね。子供のいじめ以外の不登校もどんどん増えてきているし心配。現代人もどうなっていくのか…
自分が戦地で手を汚す必要の無い人たちが"勇ましく" 決めた戦争でしょう。その方たちも最後は結局これまた”勇ましく"勝手に命を絶たれたケースが多いようですが、あとにこれだけ犠牲者を出して、自分たちのした事がどれだけ波紋大きく次の世代に迷惑かけたかわかっているのでしょうか
戦争の傷は今も残り続けてる
私の祖母には、8人の子供がいて 長男、次男が特攻隊で戦死してます
戦後、残りの子供達の家をたらい回しにされ『戦死した息子達が一番親孝行だ』と言ってた 国から遺族金みたいな小遣いが出たからね 最初の頃は少額だったが100歳まで生きたので かなりの額だったようで 孫、曾孫にも よく小遣いくれました
生前、父が父方の祖父(父の父)のことを話してくれたのと同じです。
父「父さんは、シベリア抑留され、帰ってきたら俺や母さん(父方の祖母)に酒浸りになり暴力を振るった。産婆をしていた母さんから近所の人達から褒められるのも気に入らなかったようだ」と話してました。
酒浸りの生活で病気になり、48歳の若さで亡くなった祖父も「戦争PTSD」だったと思います。
ウクライナやロシアの兵士達にも戦争PTSDがあるでしょう。戦争は兵士に体だけでなく、心を傷つけ、その家族にも負の連鎖するということを知ることができました。
「戦争を知らない」若い人達に見て欲しいです。
真実を、真実を焼却せずにこっそり保管してくださった先生方有難う、思い切って公表くださった藤岡さん有難う。
お父様は本当に苦しかったのでしょう
戦争で見たくない物も見るし
恐怖もあると思います
本当にお辛かったのでしょう
戦争を体験した方にしか分からないと思います!
自死をされてしまったんですね!
もっとご家族が理解をし支える事も大切です
私は医療従事者ですが色々な患者様もいます!
でも、まず理解をしてあげる事だと思っております!
ご家族もお辛いかと思いますが
本人が一番お辛いのです!
戦後、復員後に何もしないでいる人が、何処にもいたというのを、ネットで読んだことがあり、戦争で心が病んでしまったのだろうなと、思いました。
やはり…
現在の児童虐待問題に繋がっているケースもあるのでは・・
絶対関連あると思いますよね…
亡くなった兵士の妻が夫の兄や弟に嫁がされ。嫌々世帯を持っても夫婦仲は冷え込み良い結果にはならなかったと聴きました。亡くなった兵士の恩給を姑が嫁から取りあげ、嫁と幼い孫を家から叩き出したとも⋅⋅⋅高齢者の方はやるせない思いを抱えているのですね
同じこと考えてました
もちろんもっと昔からあることでしょうがここから爆発的に増え連鎖しているのだと思います
虐待は世代を超えて連鎖する
私の祖父も終戦して帰ってきてからも飛行機が通ったり、どぶろくの「パン」という音がすると「敵襲!敵襲!」と隠れて震えていたそう。
小さい頃は「ふーん?」と聞いていましたが大人になった今、この動画をみて、祖父の身に大変な事が起きていたんだな、と理解できました。
66才ですが私も存命なら
106才の父親から虐待されて育ちました。
戦争後遺症の調査は、日本には欠けていませんか。特に特攻隊の生存者、激戦区からの生還者に発症者が多かったと思う。兵士のみならず民間人にも多かったはずです。戦前は、精神科医も少なく、今でも需要に比べると少ない、患者調査も稚拙でした。統合失調症の妄想患者は、現状認識も弱く、恐怖感がない、銃撃戦に最前列に置き、前進させたと聞いています。入院させ治療するより、戦死させるほうが手間がいらないと考えられたようです。ひどい時代だったと思いますね。戦争病の患者の子供たちには、虐待の連鎖に入り込む人も多かったはずです。戦争の勝敗にかかわらず、兵士には殺人の、戦争下では合法だが、苦悶からPTSDを発症し、治療は困難、日常生活に支障をきたしたはずです。
私は96歳で終戦時は帝国陸軍少佐でした。
当時のことを思い出します。
ですが、いいこともたくさんありました。
よい思い出が会ってよかったですね。大切にされて下さい。
ありがとうございます。
いずれかは少将になる器とも言われましたが、早くに終戦を迎えました。
あのまま帝国陸軍が続いていたらと未だに夢で思います。(終戦後、軍属は相当不利で未だに続く為)
私はかつての東條中将と3たびほど昼食をしました。
良い思い出です。
相当、敵も倒しましたし、残虐でした。
けど、帝国陸軍はいいものでした。
権力に言わせてなんでもできました。
@@user-ye6kd5oy8qさん、
あなたなにもの?
今96歳、終戦当時16歳?
元帝国陸軍主計少佐 鈴木宗元です。
こう言うの見ると、平和ボケって攻められても戦わない!と言う人たちではなく、国のために戦う!とか、家族を守るために戦う!とか息巻いて言う人のことを平和ボケというのだと思った
価値観にもよりますが前者も平和ボケには変わりないのではないでしょうか。最初取材を受けた方の父は終戦した後とはいえ抵抗せず投降した結果シベリア抑留をされてPTSDを患ってしまわれたので。
人は命よりも大切なものがあると主張して戦争を始め、命よりも大事なものはないと主張し戦争をやめるって言葉があったな
俺は戦うつもりだけど。一応
死んだおじいちゃんは、戦争の話はしなかったな。😢
私の父方の祖父は満州に行き帰ってきましたが母方の祖父は足に不自由があり徴兵されませんでした。また義理の祖父も病気で徴兵されませんでした。しかし戦地に行っていない2人の祖父でも家族に暴力をふるって家族はとても苦しみました。義理の母は高齢になった今もトラウマに苦しんでいます。戦時中、徴兵が当たり前で街には働き盛りの男性はいなかったそうです。そんな軍国化する社会の中、居づらさがあっってストレスが溜まっていたのかもしれません。私自身も親に暴力を奮われて育ちました。復員兵の親に暴力を振るわれた子供は自分の子供に暴力を奮う。より力の弱い人が被害にあってしまう。80年経った今も戦争が起因の負の連鎖が続いているのではと大人になってから考えるようになりました。この番組を見て共感する部分が多々ありました。復員兵の抱えたPTSDとその後の影響について、より社会に知られるようになると良いと思います。番組を有難うございます。
何でも力づくで抑え込んで事を済ませる時代だったし、またそれが戦争そのものなのでしょうね。
私も幼少期、中国に戦争に行った親父に
殴る蹴るの虐待を受けてた。
私も語り部になろうかな😅
どうかお願いします。
お辛い事かもしれませんが、これは語り継がなければならい事実ですね。
@@三記-w6u
いや、ポジティブだから大して辛かったとは思ってないのよ😂
だけど今は戦争を知らない人達が多くなってるから
又、同じ過ちを繰り返してほしくないので語りたいわ。
うちのじいちゃんから聞いた話だけど フィリピンでジャングルで迷って日本軍の逃亡兵狩りに捕まって現地軍法会議にかけられたとの事 同じ軍法会議に軍医がかけられてその場で処刑されたと言ってたな。軍医さん自身がPTSDに
兵士のPTSDによって子供にまで危害が加わるなんて最悪。戦争は奪うだけで何もうまない。
😢戦争の犠牲者達だね。
今程心の病を言える時代ではなく 病院で治療などと考えが及びませんでした。仕事はして家族に乱暴はしませんでしたが 酒好きで飲むと大声でわめき母親が苦労しました。戦争が人生に影を落としているように見えました。
戦争がもたらす不幸は、戦争が終わっても残る。こころの底から戦争なんてしてはいけない!と思う。
私の亡くなった祖父は
シベリアで何年も抑留
無事帰国出来たけど 今でいうTPSTになって
いつもボ~っと暮らしてました
亡くなるまで戦争の話は一切しなかったけど
誰にも語れないほど過酷な体験だったんだろうね