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浮世絵は考えてたより奥が深い手先の器用さ 精神の清らかさを感じる。
素晴らしい番組でした。テクノロジーも、伝統技法も、絵画としての浮世絵の魅力も。
大衆娯楽であった浮世絵にこれほど繊細な技巧が施されていたことに感銘をうけた。それを再現した3Dデジタル技術もその浮世絵の技巧があったからこそ生み出されたものであろうことを考えると長い時間軸の上に日本の文化や伝統が築かれてきていることを実感する。良い番組でした。
素晴らしいデジタル・コピー技術ですね。版木の木の木目、印刷の和紙の紙質までもが再現できてしまうのですね。江戸時代の絵師、彫師、摺師によって実現できていた微細で立体的な表現がそのまま再現されて記録されるのですね。目で触るかのような美術鑑賞が可能となったのですね。素晴らしいです。
浮世絵が作られた当時は、浮世絵は絵画と言う芸術とは違い、庶民に向けての大衆ポスター作品であったと思います。そこでプロデューサーとしての版元が絵師、彫り師、摺師と連携して出来るだけの量産化を図った。そしてこの様な文化は世界の何処にも無い物であったところが、ヨーロッパで発見され高く評価されて芸術の地位を得てしまった。日本人は昔から本当に独創的な民族だったと思います。
当時の大プロデューサーがツタヤさんでした。
大衆文化ですね、特権階級のモノではなかった豊かさが見て取れます。
浮世絵に、凹凸があるとは、思いも寄らなかった。凄すぎる。浮世絵は、ローソクの光具合を前提に描かれているとか。此等も日本の大事な宝ですよね。
陰影の文化…理解してやっていたのかな?どちらにしても驚きです。
カラ刷りという技法は色を乗せずに版の型だけを刷りこむ技術です。カラ刷りはデリケートな作品に多用されて、ご贔屓への引き出物などに使われました。当時は当然触ることも出来たので、あるかなしかの凹凸も本当に手触りで楽しむことができました。庶民のデリカシーを感じます。
浮世絵は、よく日常(うきよ)を描いたと言われるが、本来は「浮いて見える絵」。ロウソクや、行灯の灯りの下で、屋内で観るためのもので、日の光や、蛍光灯の下で見ても面白味が半減どころか皆無になってしまう。ロウソク、行灯、ぼんぼり等の「揺れる光源」で観れば、背景のエンボス加工が陰影を産み出し、綺羅摺りが、文字通りキラキラする。何より大事なのが、線。薄暗い屋内で、揺れる光源の下で観るからこそ、線で囲まれた箇所が浮いて観える。明治以前の大和絵・日本画が線の藝術と言われた所以。没骨法、朦朧体なんかでは、決して味合うことは出来ない。線の藝術を念頭に置くと、金屏風の意味も分かってくる。金地に黒の墨の線。本当に飛び出て観えるから、不思議!
職人の方たちが好意的に受け入れているのが、いかにこの技術が奥深く凄いのかを容易に想像させてくれる。実際に見たいな。
本物を見た方がいいです。当たり前ですが。
浮世絵って、物凄いですね。デジタル化でまねをしても、出来ないらしいことが、あるなんて、奥深い感情です。僕が見ても、ただの風景画しか見えない。コンピューターがない時代に、どうやって書いたのか、また1つ謎が増えましたね。
浮世絵の彫り師、摺師の凄まじき技術や根気。この細かさはまさに日本文化だ。フランスのロダンが語った日本の精緻さは特殊という意味はこの浮世絵を言ったものかもしれない。
子どもの頃、ちょっとあこがれてやってみたいと思ったけど、手順がたくさんあって、技術もすごいので、たちまちあきらめた記憶があります。いいものを作るって、大変だ。
実物を美術館で見てもケース越しなので、ここまでの細部を感じるのは難しいから、こういうドキュメント動画は面白いし有難い。
写真や印刷がなかった時代に版画はものすごい技術でしたね。庶民に夢と希望を与えていた。さすが日本人だ。
面白いなぁと思うのは、当時の西洋の画家と日本の画家の風景の捉え方がこんなにも違うのかっていう。考えてみると、西洋の絵画は一点物だけど日本の浮世絵とかは大量生産を前提にしてるのかな?もしかすると、そういう違いが今いろんなマンガを楽しめる文化に繋がってるのかなとか思うと胸熱!
浮世絵がこんなにも繊細な技術の積み重ねだったとは、知らなんだ、、、。すごい! マジで凄い! 感心するわ、、、。こんなにも洗練された芸術品である浮世絵は、当時、幾らくらいで売買されていたんだろう?
原画は芸術品ですが、版画は大衆向けの広告やブロマイドみたいな扱い。ですから醤油を入れた陶器などの緩衝材としてクシャクシャにして詰められてフランスなどへ輸出。向こうの画家はそれを見てビックリ!!場所や時代そして見る人によって価値は大きく様変わりするようですね。
ほぼ二束三文のレベルでした。
草鞋一足蕎麦一杯☝一昔前の文庫本買う感覚かな♪
焼き物の包み紙だったのに外国人がビックリして評価されたら急に凄いとなったのが日本人らしい
江戸時代の日本人はその価値を充分に知っていて、安く手に入る浮世絵をとても楽しんでいました。江戸以前と明治以後で日本人はかなり違うようです。小泉八雲や夏目漱石はそれを大変嘆いています。
これはすごい。まさか、浮世絵→フランス印象派絵画→?ネタバレ?に繋がるとは思いませんでした。現在進行中の日本発信の作品の中に浮世絵の核心的特徴が脈々と生きているという論考に感動しました。
あらゆる美術作品はそれまでの先輩たちの技術と感性を抜きにしては出来ません。
勉強させていただきました。
今の時代って本当に凄いよね。絵画がVR表示出来るアプリがあったりグーテンベルグ聖書の慶応本がネットでじっくり観られたり。。ありがとう技術者さん達。。ゴッホの顔、テオになってない。。?似た兄弟だけどその肖像画はテオだったような。。
25:46 セザンヌの蔵書には北斎の解説書があります
表現のしのぎあいがあったんだろうな。どうやったか分からない技術を見せつけてどうだこれできるか?って言われてる見たい。そして一般人は技術はさておき、感じて楽しんでる。分かる奴には分かるが日本人は本当、昔から好きだな。
「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」って言うけどさ「浮世絵の下絵描く人、板に彫る人に、それを和紙に刷る人もいて、毛彫りの出来る彫刻刀を作る人、刷毛作る人、刷りのバレンを作る人、和紙を漉く人」も居て、何層にも傑出した技が重なってるんだな。
長年摩耗により、保永堂版五十三次「丸子」のとろろ汁屋の屋根に止まっている鳥の「正体」が不明だったのを、戦前、浮世絵研究家・内田実が苦労の末、校合刷という特殊手法でようやく、向こう向きとこちら向きの烏だったことを明らかにした。今のこのデジタル技術ならあっという間だろう。
~³³³³r=³あéあ³³3え÷ええ÷ええ÷えええええええええ÷÷³÷え÷÷÷÷ええ=÷え
新しい感覚ですね…すごい!でもだからこそ、手をかけて作ったものの凄まじい価値を再認識できる✨
黒だけで刷り上がったものも。水墨画みたいでいいな
日本人の癖だな。今も昔もオタク気質で凝り性。お互いに「ドヤッ!」って競い合って瞬く間に超絶変態技術化していき、一旦途切れると再現不能だったり再現にとても苦労する。そんなふうに珍しくもなくなったものが外国にて「なんじゃこりゃ?」って勝手に注目されて勝手に評価されてしまう。外国から言われて初めて「これってすごいんだ?」(°_°)?ってなる。
江戸の人々が浮世絵を生み出しました。「外国から言われて」の前に日本で作ってました。江戸の人々も当然日本人でした。
浮世絵全くわからないが、あの凹凸の技法はすげぇって思った。経年劣化で凹凸って無くならないのか?紙が湿気たらふやけて消えそう。
水に浸かったりしなければほとんどなくなりません。男性が体重を掛けて刷りますから、50kg以上が掛っています。
20億画素は凄いと思いました
永谷園のお茶づけ海苔で貰ったセットが1つだけ手放せません いくつかは友だちにあげたり 本の栞にしたり、、、素晴らしい動画 ありがとうございます。
ありがとう😺
3次元データ化すると技法の研究ができるんですね。
レンブラントの特集もやって欲しいです
浮世絵の影響を受けたとするヨーロッパで版画としての浮世絵が全く出て来なかったと言うのが不思議ですね。
なるほど確かに!興味持って浮世絵を真似してやってたとしたら欧州にも版画の大名作があってもおかしくないですね。もしかすると、当時一般的にそもそも”版画”みたいな大量生産用の”絵を見て楽しむ”文化が無かったのかな?
浮世絵がどのように作られるのかにはあまり関心が向かなかったようです。兎に角線が凄い!消失点がない!でびっくりしたようです。ヨーロッパにはヨーロッパの版画はありましたが。
@@reikoamano102 あのボカシを見て版画だとは気が付かなかったとか?ヨーロッパの版画に多色刷りは有るんでしょうかね。エッチングは線だけですが。消失点は歌舞伎の舞台を題材にした物には有ります。正確では無いんですが正面からの絵では左右の席を平行には流石に描けなかった様ですね。
やはり北斎より広重なんだよねぇ・・広重というと東海道のイメージが強いが、甲州街道も旅をしていて、克明な旅日記みたいなものをつけているのを読んだことがあります。それに倣って裏高尾(小仏峠)を登っていくと追体験できますので超オススメです。😊
22:52ディティール ×ディテール ○
この浮世絵のデジタル復元データって、パソコンじゃあ、見れないんでしょうかね?
浮世絵ってある種スポーツなんだね。繊細な感覚によって産み出される感動を視るんだ!
❤デジタルデータは何処かで閲覧出来ますか?
版画のワンノブゼムだけで足りるの?
目で触れる とは
開発会社の社名がラテン語である時点で、ただ者でないことが伺える。
二次元で表現する質感は面白い発想です。3Dプリンターへアプローチしたら面白いかもしれません。
5年経つと更に緻密なリマスターが出るんでしょうね。映像のリマスターなんて何度アップグレードして、ハードとソフト買い直したことか( ノД`)…😁
イタチごっこですね。
ゴッホ大好き((•ө•)
2:01 モニタ越しで見ている以上、どちらも原画から取り込んだ画像でしかないのに、どちらが原画か分からないは草
木版画好きから言えば、これは鑑賞のためではなく研究、研鑚のためだと思います。玄人も素人も本物を見るに限ります。それ以上のものはないのですから。
@@reikoamano102 いや、研究として意味があるのは分かっているけど、テレビの演出として、どちらもスキャンした絵でしかないのに片方は原画、片方はリマスターの絵ってテロップを付けるのが変って思っただけよ
固く考えすぎ😂きも
知らなかった
版画の元板はなくなってしまったのですか?
地球も銀河系の一員になったので、間もなく共存でしょうか?とっても楽しみです。宇宙人に会いたいです。
24:33 普通に考えれば、雪の粒を彫って色を乗せずに摺ったの一択じゃない?
浮世絵の未来なんか考えたこともなかった。そうなんだ? そう見えるんだ? うーん、すごいことだね。
細かいことを言えば、油絵、水彩画にも画面の凹凸はあります。よね。
幼稚園児の絵には影がない。
ローマは一日にして成らず。漫画やアニメにしてもそれは然り。現在進行形で世界の文化を侵略していると言っても過言ではない日本の漫画やアニメだが、手塚治虫などの巨匠の影響は元より、更に過去をたどれば長期の平和による恩恵で花咲いた江戸の浮世絵文化や、世界最古の小説源氏物語から千年以上も連綿と続く日本文学などもその根柢の一つにあるのだろう。一世代程度で簡単に真似できるような代物ならば、すでに世界の何処かの国でお株を奪われているだろうが、実際にはそんなには簡単にはいかないこと自体が国の文化の熟成が必要なことを物語っている。
興味ないくるな
せっかくの番組なのになぜ名称が呼び捨てになるんですか? ニュースの時の犯罪者と違って素晴らしい方々を取り上げて紹介してるんでしょ??だったら敬意を示すのが普通のことと思うのですが? 呼び捨てができるほどの番組なんですか? さんをつけても問題ないでしょう?
歴史上の人物など、さんだの氏だのつけないことは多々あります。聖徳太子さん?
@@reikoamano102 彫師朝香元晴とかの事。第一人者ならさん付けでもいいのでは?と思っただけ。歴史上の人物の話ではないです。
造り手は見たくない
絵具を塗り重ねて絵が完成するのだから立体的になるのはあたりまえなんだよね。そもそも、そこまでコピーしてなんになるのか?。
残念、油絵と違って色の塗り重ねはしませんよ。広重の浮世絵の元になったと思われる作品を知ってますか。司馬江漢の五十三次、江戸時代の油絵作家です。参考までに平成7年に祥伝社から発刊された広重東海道五十三次の秘密という本ですが、異端扱いで表に出て来ません。残念。
@@村松茂伸-p8y それって贋作じゃないんですか
浮世絵に元絵があるのは多いですね。常識と言うと語弊ありますが、広重は下級武士で定火消でした。以前の定説では、京都に馬を献上する行列に参加して、その時にスケッチして、それを元に書いたと言われてましたが、下級武士は無いです。またこの行幸は夏です。冬の蒲原は書けません広重が五十三次を書いた時江戸を離れていない為、元絵がないと書けません。江漢の作品が真筆か、誰かの贋作かと言うことです。北斎の神奈川沖波裏も、千葉県行元寺の欄間にソックリな構図の物があります。広重の作品は素晴らしいです。興味深い物が出て来ると調べてみたくなりますねテレ東で以前特集してた。
この動画をみて何もわからなかったあんたは、時間を無駄遣いしたってわけだな。
@@村松茂伸-p8y 全くの門外漢なのであてずっぽうを言わせていただきます。ちょっとくぐってみてこの「1995年発見」の絵はやはり後年(きわめて現代)に書かれたものではないかと。司馬江漢という江戸前半において近代画法を知悉した才能にしては疑問に感じるなど広重の原画を剽窃して反転させた(広重の想像力の部分を後づけの事実確認をして加筆改変した)ものではないかと。広重が東海道を実際に見なかったと仮定したらやはりなんらかの下絵のようなものは部分的にあったのかもしれない。しかし基本的には当時得られた多くの情報から総合して視覚化したオリジナルなイメージでなのではないのでしょうか。「1995年発見」の絵が「誰かに売っていま誰も現認できない」状態であるのは非常に胡散臭く、近々30年足らずの時間で行方不明になるというのは実証的価値はないのではないかと。めざましい進歩を遂げる今の技術で原画を見ればいつ頃描かれたものか、どんな材料で描かれているかは分かるはずですから。
浮世絵は考えてたより奥が深い
手先の器用さ 精神の清らかさを感じる。
素晴らしい番組でした。テクノロジーも、伝統技法も、絵画としての浮世絵の魅力も。
大衆娯楽であった浮世絵にこれほど繊細な技巧が施されていたことに感銘をうけた。それを再現した3Dデジタル技術もその浮世絵の技巧があったからこそ生み出されたものであろうことを考えると長い時間軸の上に日本の文化や伝統が築かれてきていることを実感する。良い番組でした。
素晴らしいデジタル・コピー技術ですね。
版木の木の木目、印刷の和紙の紙質までもが再現できてしまうのですね。
江戸時代の絵師、彫師、摺師によって実現できていた微細で立体的な表現がそのまま再現されて記録されるのですね。
目で触るかのような美術鑑賞が可能となったのですね。
素晴らしいです。
浮世絵が作られた当時は、浮世絵は絵画と言う芸術とは違い、庶民に向けての大衆ポスター作品であったと思います。そこでプロデューサーとしての版元が絵師、彫り師、摺師と連携して出来るだけの量産化を図った。そしてこの様な文化は世界の何処にも無い物であったところが、ヨーロッパで発見され高く評価されて芸術の地位を得てしまった。日本人は昔から本当に独創的な民族だったと思います。
当時の大プロデューサーがツタヤさんでした。
大衆文化ですね、
特権階級のモノではなかった豊かさが見て取れます。
浮世絵に、凹凸があるとは、思いも寄らなかった。凄すぎる。浮世絵は、ローソクの光具合を前提に描かれているとか。此等も日本の大事な宝ですよね。
陰影の文化…理解してやっていたのかな?
どちらにしても驚きです。
カラ刷りという技法は色を乗せずに版の型だけを刷りこむ技術です。カラ刷りはデリケートな作品に多用されて、ご贔屓への引き出物などに使われました。当時は当然触ることも出来たので、あるかなしかの凹凸も本当に手触りで楽しむことができました。庶民のデリカシーを感じます。
浮世絵は、よく日常(うきよ)を描いたと言われるが、本来は「浮いて見える絵」。
ロウソクや、行灯の灯りの下で、屋内で観るためのもので、日の光や、蛍光灯の下で見ても面白味が半減どころか皆無になってしまう。
ロウソク、行灯、ぼんぼり等の「揺れる光源」で観れば、背景のエンボス加工が陰影を産み出し、綺羅摺りが、文字通りキラキラする。
何より大事なのが、線。
薄暗い屋内で、揺れる光源の下で観るからこそ、線で囲まれた箇所が浮いて観える。
明治以前の大和絵・日本画が線の藝術と言われた所以。
没骨法、朦朧体なんかでは、決して味合うことは出来ない。
線の藝術を念頭に置くと、金屏風の意味も分かってくる。
金地に黒の墨の線。本当に飛び出て観えるから、不思議!
職人の方たちが好意的に受け入れているのが、いかにこの技術が奥深く凄いのかを容易に想像させてくれる。
実際に見たいな。
本物を見た方がいいです。当たり前ですが。
浮世絵って、物凄いですね。
デジタル化でまねをしても、
出来ないらしいことが、
あるなんて、奥深い感情です。
僕が見ても、ただの風景画しか
見えない。
コンピューターがない時代に、
どうやって書いたのか、また1つ
謎が増えましたね。
浮世絵の彫り師、摺師の凄まじき技術や根気。この細かさはまさに日本文化だ。
フランスのロダンが語った日本の精緻さは特殊という意味はこの浮世絵を言ったものかもしれない。
子どもの頃、ちょっとあこがれてやってみたいと思ったけど、手順がたくさんあって、技術もすごいので、たちまちあきらめた記憶があります。いいものを作るって、大変だ。
実物を美術館で見てもケース越しなので、ここまでの細部を感じるのは難しいから、こういうドキュメント動画は面白いし有難い。
写真や印刷がなかった時代に版画はものすごい技術でしたね。庶民に夢と希望を与えていた。さすが日本人だ。
面白いなぁと思うのは、当時の西洋の画家と日本の画家の風景の捉え方がこんなにも違うのかっていう。
考えてみると、西洋の絵画は一点物だけど日本の浮世絵とかは大量生産を前提にしてるのかな?
もしかすると、そういう違いが今いろんなマンガを楽しめる文化に繋がってるのかなとか思うと胸熱!
浮世絵がこんなにも繊細な技術の積み重ねだったとは、知らなんだ、、、。
すごい! マジで凄い! 感心するわ、、、。
こんなにも洗練された芸術品である浮世絵は、当時、幾らくらいで売買されていたんだろう?
原画は芸術品ですが、版画は大衆向けの広告やブロマイドみたいな扱い。
ですから醤油を入れた陶器などの緩衝材としてクシャクシャにして詰められてフランスなどへ輸出。
向こうの画家はそれを見てビックリ!!
場所や時代そして見る人によって価値は大きく様変わりするようですね。
ほぼ二束三文のレベルでした。
草鞋一足蕎麦一杯☝
一昔前の文庫本買う感覚かな♪
焼き物の包み紙だったのに外国人がビックリして
評価されたら急に凄いとなったのが日本人らしい
江戸時代の日本人はその価値を充分に知っていて、安く手に入る浮世絵をとても楽しんでいました。江戸以前と明治以後で日本人はかなり違うようです。小泉八雲や夏目漱石はそれを大変嘆いています。
これはすごい。まさか、浮世絵→フランス印象派絵画→?ネタバレ?に繋がるとは思いませんでした。現在進行中の日本発信の作品の中に浮世絵の核心的特徴が脈々と生きているという論考に感動しました。
あらゆる美術作品はそれまでの先輩たちの技術と感性を抜きにしては出来ません。
勉強させていただきました。
今の時代って本当に凄いよね。絵画がVR表示出来るアプリがあったりグーテンベルグ聖書の慶応本がネットでじっくり観られたり。。ありがとう技術者さん達。。
ゴッホの顔、テオになってない。。?似た兄弟だけどその肖像画はテオだったような。。
25:46 セザンヌの蔵書には北斎の解説書があります
表現のしのぎあいがあったんだろうな。
どうやったか分からない技術を見せつけてどうだこれできるか?って言われてる見たい。
そして一般人は技術はさておき、感じて楽しんでる。
分かる奴には分かるが日本人は本当、昔から好きだな。
「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」って言うけどさ「浮世絵の下絵描く人、板に彫る人に、それを和紙に刷る人もいて、毛彫りの出来る彫刻刀を作る人、刷毛作る人、刷りのバレンを作る人、和紙を漉く人」も居て、何層にも傑出した技が重なってるんだな。
長年摩耗により、保永堂版五十三次「丸子」のとろろ汁屋の屋根に止まっている鳥の「正体」が不明だったのを、戦前、浮世絵研究家・内田実が苦労の末、校合刷という特殊手法でようやく、向こう向きとこちら向きの烏だったことを明らかにした。今のこのデジタル技術ならあっという間だろう。
~³³³³r=³あéあ³³3え÷ええ÷ええ÷えええええええええ÷÷³÷え÷÷÷÷ええ=÷え
新しい感覚ですね…すごい!
でもだからこそ、手をかけて作ったものの凄まじい価値を再認識できる✨
黒だけで刷り上がったものも。水墨画みたいでいいな
日本人の癖だな。今も昔もオタク気質で凝り性。お互いに「ドヤッ!」って競い合って瞬く間に超絶変態技術化していき、一旦途切れると再現不能だったり再現にとても苦労する。そんなふうに珍しくもなくなったものが外国にて「なんじゃこりゃ?」って勝手に注目されて勝手に評価されてしまう。
外国から言われて初めて「これってすごいんだ?」(°_°)?ってなる。
江戸の人々が浮世絵を生み出しました。「外国から言われて」の前に日本で作ってました。江戸の人々も当然日本人でした。
浮世絵全くわからないが、あの凹凸の技法はすげぇって思った。
経年劣化で凹凸って無くならないのか?
紙が湿気たらふやけて消えそう。
水に浸かったりしなければほとんどなくなりません。男性が体重を掛けて刷りますから、50kg以上が掛っています。
20億画素は凄いと思いました
永谷園のお茶づけ海苔で貰ったセットが1つだけ手放せません いくつかは友だちにあげたり 本の栞にしたり、、、
素晴らしい動画 ありがとうございます。
ありがとう😺
3次元データ化すると技法の研究ができるんですね。
レンブラントの特集もやって欲しいです
浮世絵の影響を受けたとするヨーロッパで版画としての浮世絵が全く出て来なかったと言うのが不思議ですね。
なるほど確かに!
興味持って浮世絵を真似してやってたとしたら欧州にも版画の大名作があってもおかしくないですね。
もしかすると、当時一般的にそもそも”版画”みたいな大量生産用の”絵を見て楽しむ”文化が無かったのかな?
浮世絵がどのように作られるのかにはあまり関心が向かなかったようです。兎に角線が凄い!消失点がない!でびっくりしたようです。
ヨーロッパにはヨーロッパの版画はありましたが。
@@reikoamano102
あのボカシを見て版画だとは気が付かなかったとか?ヨーロッパの版画に多色刷りは有るんでしょうかね。エッチングは線だけですが。
消失点は歌舞伎の舞台を題材にした物には有ります。正確では無いんですが正面からの絵では左右の席を平行には流石に描けなかった様ですね。
やはり北斎より広重なんだよねぇ・・
広重というと東海道のイメージが強いが、甲州街道も旅をしていて、克明な旅日記みたいなものをつけているのを読んだことがあります。それに倣って裏高尾(小仏峠)を登っていくと追体験できますので超オススメです。😊
22:52
ディティール ×
ディテール ○
この浮世絵のデジタル復元データって、パソコンじゃあ、見れないんでしょうかね?
浮世絵ってある種スポーツなんだね。繊細な感覚によって産み出される感動を視るんだ!
❤デジタルデータは何処かで閲覧出来ますか?
版画のワンノブゼムだけで足りるの?
目で触れる とは
開発会社の社名がラテン語である時点で、ただ者でないことが伺える。
二次元で表現する質感は面白い発想です。3Dプリンターへアプローチしたら面白いかもしれません。
5年経つと更に緻密なリマスターが出るんでしょうね。
映像のリマスターなんて何度アップグレードして、ハードとソフト買い直したことか( ノД`)…😁
イタチごっこですね。
ゴッホ大好き((•ө•)
2:01 モニタ越しで見ている以上、どちらも原画から取り込んだ画像でしかないのに、どちらが原画か分からないは草
木版画好きから言えば、これは鑑賞のためではなく研究、研鑚のためだと思います。玄人も素人も本物を見るに限ります。それ以上のものはないのですから。
@@reikoamano102 いや、研究として意味があるのは分かっているけど、
テレビの演出として、どちらもスキャンした絵でしかないのに片方は原画、片方はリマスターの絵ってテロップを付けるのが変って思っただけよ
固く考えすぎ😂
きも
知らなかった
版画の元板はなくなってしまったのですか?
地球も銀河系の一員になったので、間もなく共存でしょうか?とっても楽しみです。宇宙人に会いたいです。
24:33 普通に考えれば、雪の粒を彫って色を乗せずに摺ったの一択じゃない?
浮世絵の未来なんか考えたこともなかった。
そうなんだ? そう見えるんだ? うーん、すごいことだね。
細かいことを言えば、油絵、水彩画にも画面の凹凸はあります。よね。
幼稚園児の絵には影がない。
ローマは一日にして成らず。
漫画やアニメにしてもそれは然り。
現在進行形で世界の文化を侵略していると言っても過言ではない日本の漫画やアニメだが、手塚治虫などの巨匠の影響は元より、更に過去をたどれば長期の平和による恩恵で花咲いた江戸の浮世絵文化や、世界最古の小説源氏物語から千年以上も連綿と続く日本文学などもその根柢の一つにあるのだろう。
一世代程度で簡単に真似できるような代物ならば、すでに世界の何処かの国でお株を奪われているだろうが、実際にはそんなには簡単にはいかないこと自体が国の文化の熟成が必要なことを物語っている。
興味ないくるな
せっかくの番組なのになぜ名称が呼び捨てになるんですか? ニュースの時の犯罪者と違って素晴らしい方々を取り上げて紹介してるんでしょ??だったら敬意を示すのが普通のことと思うのですが? 呼び捨てができるほどの番組なんですか? さんをつけても問題ないでしょう?
歴史上の人物など、さんだの氏だのつけないことは多々あります。聖徳太子さん?
@@reikoamano102 彫師朝香元晴とかの事。第一人者ならさん付けでもいいのでは?と思っただけ。歴史上の人物の話ではないです。
造り手は見たくない
絵具を塗り重ねて絵が完成するのだから立体的になるのはあたりまえなんだよね。そもそも、そこまでコピーしてなんになるのか?。
残念、油絵と違って色の塗り重ねはしませんよ。広重の浮世絵の元になったと思われる作品を知ってますか。司馬江漢の五十三次、江戸時代の油絵作家です。参考までに平成7年に祥伝社から発刊された広重東海道五十三次の秘密という本ですが、異端扱いで表に出て来ません。残念。
@@村松茂伸-p8y それって贋作じゃないんですか
浮世絵に元絵があるのは多いですね。常識と言うと語弊ありますが、広重は下級武士で定火消でした。以前の定説では、京都に馬を献上する行列に参加して、その時にスケッチして、それを元に書いたと言われてましたが、下級武士は無いです。またこの行幸は夏です。冬の蒲原は書けません広重が五十三次を書いた時江戸を離れていない為、元絵がないと書けません。江漢の作品が真筆か、誰かの贋作かと言うことです。北斎の神奈川沖波裏も、千葉県行元寺の欄間にソックリな構図の物があります。広重の作品は素晴らしいです。興味深い物が出て来ると調べてみたくなりますねテレ東で以前特集してた。
この動画をみて何もわからなかったあんたは、時間を無駄遣いしたってわけだな。
@@村松茂伸-p8y 全くの門外漢なのであてずっぽうを言わせていただきます。ちょっとくぐってみてこの「1995年発見」の絵はやはり後年(きわめて現代)に書かれたものではないかと。司馬江漢という江戸前半において近代画法を知悉した才能にしては疑問に感じるなど広重の原画を剽窃して反転させた(広重の想像力の部分を後づけの事実確認をして加筆改変した)ものではないかと。広重が東海道を実際に見なかったと仮定したらやはりなんらかの下絵のようなものは部分的にあったのかもしれない。しかし基本的には当時得られた多くの情報から総合して視覚化したオリジナルなイメージでなのではないのでしょうか。
「1995年発見」の絵が「誰かに売っていま誰も現認できない」状態であるのは非常に胡散臭く、近々30年足らずの時間で行方不明になるというのは実証的価値はないのではないかと。
めざましい進歩を遂げる今の技術で原画を見ればいつ頃描かれたものか、どんな材料で描かれているかは分かるはずですから。