Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
クハ103-188と聞いて何故か関西にいそうな番号という印象がありましたが、経緯を知って納得しました。識別の白線がまるで模型のインレタ貼りに失敗したような感じになり、しかも結局意味がなくなってしまったのも悲しいですね。
インレタ貼り失敗……うっ、頭が……wその後結局、意味無くなってしまったのは本当になんと言うか……迷車極めてるなぁと思いますね。
クハ103-188は、あのDDM試験車モハ103-502と編成を組んだことがあるモハ103-502はDDM改造前
今回は、マト区103の話だったので、ラシ&ケヨ時代の話は割愛させて貰いましたが、この車両、その後もとんでも無い経歴残しまくりなんですよねw補足コメントありがとうございます!
ついにキター
お待たせしましたー!
もともと唯一無二だったものが、その時の事情によってとは言え、迷列車化してしまうとは…貫通扉無いのに地下鉄の行き先表示できるのはなかなかに迷列車ですね~😂まだまだネタが尽きないとは、スゴイですね😅次の動画も楽しみにしています☺️
この車両が生まれた地点で、こうなる運命は決まっていたのか、はたまたどこかで狂ったのか……。どちらにせよ、珍車がどんどんと迷車へと突き進んで行くその歴史を辿ってみると「どうしてこの車両が……」と言う所が沢山あるものですw
日本最大の車両数ですから1両くらい変なやつがいても不思議ではありませんが、変なやつが多過ぎですよこの形式。今のように有料撮影会があったら、珍幕目当てで相当な人気者だったでしょうね。
仰る通り、変な奴ばっかりいるのがこの形式の面白いところですw1両1両にドラマがあって、奥が深い形式だなぁ、と感じます。大体は「どうしてそうなった」と驚かされることばかりですけどねw
クハ103-188は有名ですから名前と異端な存在であることは知っていましたが、どんな経緯でこうなったか知らなかったので非常に勉強になりました!
結構有名な車両ですが、意外と細かい所は知られていなかったり、洋光台の事故の直接代替車と勘違いされていたり……紹介出来て良かったです!
待ってました!しかし中間閉じ込めの後、連結改造とは、これまた、たまげた迷走してますなぁー
本当にマトから転属してラシ→ケヨと渡り歩いた際にも、伝説作りまくってるんで……ホンマにオンリーワンの珍車ですw
面白かったです。時間も頑張って下さい。
次回も頑張ります!時間もなるべく早めに出せるように頑張ります!ww
常磐線103系の中で1番好きかもな編成なんですよ!待ってました!(o^^o)
ありがとうございます!エメグリの103、色々ネタには事欠かないというか、なんと言うか……。どうしてここまで滅茶苦茶になってしまうのかw
尚 105系化改造を関西で行なった1000番台編成は クハに可搬式ATS-S車上子を取り付けて(ATCとATS-Bしか装備していなかった。)東海道本線を西へと下りました。回送電車に乗務した運転士さんは きっとその加速を楽しんだかも。
なんと、自走で8M2Tのまま、東海道を下って行ったのですね……国鉄時代ならではのエピソードでしょうか。確かに、加速感にはびっくりされたかもしれませんね(*^^*)
14:13 不意の「違う、そうじゃない」にワロタww
鈴木雅之、いい曲ですよねぇw昔の曲も趣あって好きです、私はw
深緑に白のフリーハンド線ってまるで黒板に白いチョークで線を引いたみたいな感じだ。
編集してイメージ画を作ってる時、マジでそんな気分でしたww
クハ103-188、誕生経緯が経緯なだけに、根岸線事故がなければ関西に配属された一般クハになっていたと思いますが、1両だけ首都圏配属になった上、京浜東北線への補充ではなく常磐線配置となったのも、103系ならではのエピソードですね。1000番台混結用白線が手書き感満載だったのは、国鉄の情勢(民営化が迫る頃)を表していたのでしょうか(笑)。JR化後に常磐線15両化が始まると、10両と5両でMT比が異なる編成が出ましたが、8M2T+4M1T編成では12M3Tというとんでも編成が爆誕してしまうため、追って6M4Tと4M1Tが基本になりました(付属2M3Tは平坦な常磐快速線と成田線だったから運用出来たようなものです)。これで1000番台オンリーの編成が消滅……かと思いきやまさかの地で◯◯運用復活……更にまさかのトレードで✖︎✖︎番台が松戸にやって来た……coming soon……(笑)
クハ103系188は大阪万博用発注分から拝借したんですね😮
流石、よくご存知ですね……。次作でやりたいことが全て伏字で記されているww12M6ユニットは、もうユニット表示灯が足りませんねww
@伏字にした内容こそ、今回来ると思っていましたが、そのクッションになった今回の内容も、掘り下げたらまた濃いネタでしたね(改めて103系というか国鉄標準車は面白くて沼深いのですね)。これに関連してまさかの△△番台の◯◯運用爆誕(◯◯は前コメントと同じです)もありましたから、本当に103系は愉快です(笑)。
中学生時分の1980年代初頭に電車の番台や製造ロットまで詳しいムック本がありました。コロタン文庫かケイブンシャかは忘れましたが。その後この188号と思しき実車を見掛けたので、てっきり関西圏からの広域転属かと思ってましたが新製配置だったのですね。ただこの年式が1次改良って合ってるのかな?非ユニット窓車でもステンレスドア化や、シート座面が高いまま暖房蹴込み板だけ斜めになってるクルマを京浜線で稀に見ましたね。下回りについては500番台と共にディスクブレーキかと思います。
仰る通り、台車形式はTR212(ディスクブレーキ仕様)です。手元の国鉄公式資料(車歴表)にもその様に記してありますので、間違いないかと思います。一応、1972年2月以降製造のクハ103-180以降は、豚鼻シールドビーム・ユニット窓の一次改良車の区分けになりますので、188も漏れなくその仲間に入る、という認識です。
その本は詳しく書かれていたのだろうか、昭和時代のポケット百科の類いって何の解説もなく、珍車迷車がしれっと写っていたりした。今から思うと編集者の遊びがあったのかも。南正時さんは神様だったね。
@@にーに-v9fさん今思い返しても子供向けとは言えないほどの資料価値は高かったと思えます。系列のコンセプトなどの概説が先ずあって、次のページから個々の形式や番台区分に入るパターンでした。101系などは「〇〇番〜は完全付随車化されDT21T→TR64に変更」や、165系では「〇〇番〜は新造冷房車」などとほぼ写真と共に説明書きがありました。上のクハ103-500番台でいえば618番以降がディスクブレーキ車とかね。旧型国電の章でも例えば「写真のクハ79246は元モハ63のトップナンバーである」といった説明もあったくらいです。「へぇ!」と驚いたから記憶してるんですよ、これが。近郊形のシート改善型は載ってましたが、185系や201系量産車はまただったと思います。だから出版されたのは1981年の早いうちだったのかな。
昔の鉄道本は、たとえ子供向きでも媚びない文体だった。
15:39 何 回 や ら か す ん だ 国 鉄 は
何 度 も や ら か す の が 国 鉄 で す w
動画にでるだけでだいたい珍列車
確かにそれはありますww
常磐線の103系は色々とあったのですね 103系にあまり詳しくないのでこの動画を見て参考にしています
103系、細部を突き詰めると面白いですよ!常磐線は特に沼が深いです、どの路線もそうですが……w
千代田線自体も、今でもそうなのかな、『真冬でも冷房大活躍』なのよね。平日朝ラッシュ時の西日暮里駅では駅停車中に後続列車が来るのが突風?で分かる程なので😅
西日暮里付近は、都道の幅が片側1車線なのでトンネルの幅が狭いですもんね😅風圧がすごい、と言うのも想像にかたくないですw
国鉄はそこまでして103系を優遇したいのか、って思ったけど1970年代ならまだまだ新しかったのか
そうですね、70年代だと103系はまだまだ製造真っ盛りと言ったところですから。どんどん勢力をましている頃ですね。
関西の103系は90年代後半~2000年代に40N体質改善で当時の新車に近いくらいまで近代化された者いたし103系優遇は2000年代まで続いたと言える…2000年代の国鉄西日本(?)「103系は関東だと山手線、常磐線などに投入されてるE231系などの新型投入で少数派になってきたのか…でもこっちはもっと体質改善させて主流の電車としてずっと使ってやるwwいっそのこと50Nに変えるのはどうかな?ww」山手線E231系500番台「関西の103系、俺からすれば父親に感じるくらい歳寄りな電車の癖に更新して使い続けるってマジかよ…」数年後「流石に103系の老朽化がヤバい。廃車させよ…」
103系は本当に有能なんだなぁ
結構どこでも走れる万能車、流石国鉄型汎用通勤電車と言うべきでしょうか。意外と細部は差があったりしますがね💦
でも、常磐快速線や東海道・山陽緩行線では明らかにアンダースペック😵
生まれた時代が高度経済成長の時代。高性能ではないが兎に角数を揃えなくてはならなかった。今では考えられない殺人ラッシュを支えたって一点だけで名車と言えると思う。それが細々とながら、まだ生き残ってるってのも…。
@@にーに-v9f 103系って、空いてるときにはコイルサスが固くって乗り心地が悪いんですが、300%とかの激込み状態になると、サスの反応もソフトな感じで乗り心地が良くなり、本領を発揮するんですよね。加えてそんな状況でも、屋根上に大量に装備されたグロベンのお陰で換気が良くて息苦しくならず、さすが地獄の通勤ラッシュだった酷電時代にデビューした、通勤型車両だけのことはありますね。
0:17 床が焦げ付いただけで爆発したのは草
オーバー表現ですんませんw
こんなネタどっから持って来たのか、そっちが気になって気になって夜も眠れず昼寝しちゃいそう😮
色々と小さい頃から「何でだろう?」と思ったことを突き詰めてたら、こうなりましたw昔の車両ネタは、他の車両の情報を書籍やネットで仕入れている時に、副産物的に見つけることが多いですねw
フリーハンドの白線ってwまさに現場さえわかればそれでヨシ!だったんですねこの動画見るまでこの車両は関西からの転属だと思ってたので、新製配置だったとは衝撃
結局、1000番台側が0番台に合わせる形になったので、最初から期間限定、識別出来れば良い、と言うつもりだったのでしょうかね……w
14:33 なんだ?いいことではないか(レア幕好き)
幕回しが楽しみになりますねw
フリーハンドで番号と言えば、その昔は工場の職人が一両一両番号を手書きしていたそうです。電車のアルバム1 という本に出てきます。
15:05 ??「この、幕詐欺編成!!」
ちょちょちょちょっと待って落ち着いて!
西武9000系も 6000系仕様の幕が入っていたので 絶対行かない『辰巳』や『新木場』表示を折り返し駅の幕回しで見ることが出来ました。
12101F「オイラも新木場行ってみたいなぁ😢」
昔京急800に西馬込のコマが入ってたような
クハ103-188「孤独を貫いたつもりだったが、意外とナカーマがいるものだな」
動画投稿お疲れ様です。車両の特徴を表す識別マークは同じ関東だと489系や189系(●)のイメージがありますが、103系にも1000番代併結車に簡易マークがあったとは知りませんでした。個人的には、JR東日本直後の山手線おもしろ電車についても見てみたいです。
中央線狭小トンネル対策マークもありましたね
@@yutata012424さん、◆マークですね。中央線系統じゃない車両にも付いてますね。例えば常磐線のE231系0番代。
@@koheirailway001 長野まで自走で更新しに行ってましたね
@@koheirailway001 色々と車番に記号をつけて、識別する……という例は多かったですね。(おもしろ電車、エメグリは確か1000番台だったはずなんですよね、よくこんなゲテモノを選んだなぁ……とw)今のJR東の新車は、殆ど狭小トンネル対応になっていますね。◆マークも至る所で見れるようになりました。
「えぇぇぇぇぇぇぇ!!!」「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」このネタすっげースキです😂
ありがとうございます!(´▽`)
🤖「1000番台クハに貫通幌つけてドア開けて貫通可能にして10号車と11号車の連結部で連結すれば通り抜けできるのに」
広島の105系みたいな感じですねw
常磐快速線の駅間距離なら15両貫通編成なら8M7Tでも十分な感じで行けそうですね。当時の東海道線が8M7Tでかつ、少し高速ギア寄りなので、ブレーキ強化すれば、110キロ運転で現実よりも少し速く走れたかもですね。まぁ、当時の国鉄本社の考えでは、一般列車で110キロ運転は認めない考えだったかもしれませんが。クハを出来立てほやほやのまま、中間車に封じ込め・・・・もったいない使い方でしたね。
7:40 ~クハ105形500番台になってますね
緩行線から快速線に転属した103系1000番台は104両でその内クハが18両ということはモハは86両。併結改造したクハ2組も交えて10連を組むとなるとモハユニットが1つ足りない気がするんですがそれはどうしたんですかね?
中間にサハ組み込んで6M4Tになりました。説明不足ですみません!ちなみに後々、6M4Tと8M2Tの性能差から、組み換えが激化しとんでもないことになりますw
@@tourin_205この編成組み換えにより、片方のクハが0番台なのにもう片方のクハが1000番台の編成まで現れてますw
本当にあの頃は、電車編成表を見ても理解できませんw 本当にぐっちゃぐちゃで、何がどこに行ったか追うのが大変ですよ……w
確かブレーキ緩解音も1000・1200番台とその他とは違ったはずで、どうしたら併結出来たのかも気になった
0番台「フコ〜〜。」1000・1200番台「ピシュゥ〜〜。またはチ〜〜。」音は違えど同じ電磁直通ブレーキ同士故 併結は特に問題はなかったようです。(同じ常磐線の 401系と415系も ブレーキのエア音が違いましたが 普通に併結していました。)因みに 地下直車はドアが閉まる時も 0番台のように「シッ!」(俗称「おじさんのくしゃみ」)という 応荷重装置のアームを引っ込めるエア音がせず「ゴロゴロゴロ」と ドアの閉まる音のみがしました。
特に資料を漁っても、ブレーキに関しての記述はありませんでした。加えて、その後ブザー回路の改修だけで1000番台と0番台を、松戸区内でごちゃ混ぜにして組成している(6M4T化)あたり、その辺は互換性があったようですね。
成田運転区の習熟運転で貸し出された時は6連に短縮されてましたね。
茨城県の何処かに103系常磐線を保存してある場所があるみたいなんだよね
クハ103-188、ほんと豚でもない(とんでもない)。関東で唯一新製時から豚鼻(ブタ鼻)をつけてた1次改良車だけにねw
上手い!山田くん、座布団3枚持ってきて!
戸袋窓ありの1000番代が常磐快速にいた時代が懐かしい。子供心に「あ、レアだ!」ってなってた。
103-188……… 「とてもすごいと、とてつもなく不遇が合わさったとんでもない車両」としか言いようがなくてふつうに笑いましたwwwそして営団はどんだけ103系を追い払いたいんだ(?)
103系はとことん営団と相性が悪いようで……w
クハ103-188、総武中央線各駅停車時代に乗ったことがあります。ユニットサッシでクーラーが後付け感丸出しのAU712だったのでくせ者感すごかったです。
ラシ時代はH5.7〜H7.2までの2年に満たない活躍だったので、結構貴重な姿になりますね。確か、東中野事故の生き残りクハとペアを組んで運用に入っていたはずです……珍車すぎるw
無駄に引き延ばしているわけじゃないのに、これだけ分割してまだ終わらないネタの宝庫
余りにも紹介するネタが多すぎて、いつまで経っても「国鉄型地下直車の歴史編」が終わりませんw
武蔵野線「やらないか?」
1000番台の転用で快速線の103が余ったのですが、豊田に残る武蔵野線用101-1000の置き換え用に、マトの余った103を「くれないか」ということで武蔵野に転属していきました、とさ……w
後年京葉線に転属してユニット窓なのにAU712搭載の異端車として走ってたのを覚えてる!洋光台の事故さえなければ同番は関西に配置され、関東ではブタ鼻のクハ103を見ることはなかったと思うと、人も車輌も神様のいたずらでどう転ぶかわからない。それにしても車輌履歴簿の画像、上げてくるとは主さん、かなり内部に精通してる方だと御拝察します。
低運ブタ鼻で、新製時からAU72装備のクハ103は、山手線と中央快速線に存在してましたよ。山手線のグループは、ATC改造準備車の高運クハと差し替えで、早い段階で関西に転属しましたが。
常磐線快速ヘビーユーザーの私当時から山手線や京浜東北線の103系と比べると寄せ集め感が強いな〜と思っていたのですが、やっぱり寄せ集め博覧会状態だったんですね😂
仰る通り、色んな路線から掻き集めた車両に、1000番台が混ざってエライ事になってますw
あの頃は 1000番台以外では関西の淀川・日根野・宮原からも転入して来て 中にはエメグリに オレンジユニット(元 大ヨト)・スカイブルーサハ(元 天ヒネ)・カナリアイエローユニット(元 大ミハ)を挟んだ4色編成もあり(『マト5編成』絶対松戸区職員が茶目っ気で 意図的に組成したと思いました。)乗っていたら日暮里→上野で並走する京浜東北線電車の乗客が こっちを見て目を丸くして驚いていたのを思い出します。宮原から来たユニットは 常磐快速線で唯一の2000番台で 車内戸袋窓に『車内禁煙🚭️』のステッカーが貼られ それまで客車でタバコ吸い放題だった福知山線乗客への警告だったのだと思いました。当時ドラマ『太陽にほえろ!』でも 常磐快速線の電車が混色編成になった事に腹を立てた鉄オタが 転入して来た電車が元々走っていた沿線で◯人事件を起こすという話も作られました。(第625話『四色の電車』劇中では カナリアイエローは総武線・オレンジは中央快速線・スカイブルーは東海道山陽緩行線という設定でした。)
@@toriri-service 淀川からの転属車は本来ないはずだったのが、何故か宮原から受け入れた分の玉突きだったな。
@@けん-o4y さまはい。福知山線の編成から抜かれた6ユニットのうち 1ユニットが池袋へ あとの5ユニットが松戸へ転属の予定でしたが 松戸へは1ユニット(モハ103-778+モハ102-2035)のみが転属。あとの4ユニットは淀川へ転属して 同数の低年式ユニットが玉突きで松戸へ行きましたね。高年式の2000番台ユニットを関東へ渡したくなかった 大鉄局の思惑だったとも言われていました。因みに 淀川から松戸へ行ったうちの2ユニットは 60年3月改正でオレンジのまま蒲田へ転属しました。
低運転台、高運転台、扉付がすべて揃った路線はここだけだしね。
我孫子支線でも運用されてましたよね
良く8M2Tで入って変電所キラーにならなかったよなぁ、とも思いますねww
どこかで海外の迷列車の解説をして欲しいです 海外は日本よりいろいろやばそう・・・特に旧ソ連とか
海外ですね……私がかなり知識不足で、頑張って勉強したい所です……🙇♂️
お待ちしていました。なるほど、確かに1970年代の関東では、低運車の103系の大半がライトが原型だったものが多かったようですが、関西では豚鼻仕様が多かったということは、関西の方が近代化が進んでいるようにも見えますね。そんな中、クハ103-188だけ豚鼻ライトになったのは、急遽クハ103-548の代わりとして穴埋めするために造られたというのが伺えますね。番号が偶数でも『奇数扱い』になっているのは、まさしく他のクハとは違う特徴を持っていたのもなかなか興味深いですね。確かにこの車番だけでは奇数扱いなのか偶数扱いなのか、見た目だけでは流石に分からないと思いますwもっとも当時の人から見たら殆ど分からなかったのではないでしょうか。しかも、中間車扱いな上に白幕って(しかも後付の方向幕も営団向けの仕様)wまるで広島の115系みたいな扱いにwそして、JR後の総武緩行線と京葉線では東中野事故の該当編成に組み込むというのも、まさに最後の最後まで珍車だったようですね。で、次回はまたしても1000番代の暴走がw
オンリーワン、ただでは転ばぬが、最期はあのゲテモノ姉妹のいた東京メガループの一員となってその花道をゆく…クハ103-188はいつの時代が最も輝いたかは何となく察してしまう…
どうなんでしょう、ラシで東中野事故の生き残りと組んだり、ケヨで後にVVVF化される魔物(改造前)と組んだり……ネタには事欠かない車両でしたね。いつが輝いていたかと言われると……いつもネタだらけで選べないかもです笑
個人的には迷が一番集まる京葉区ではないか…1両だけまたは1ユニット、1編成だけの異彩…それはまるでニートレインの運用の爆誕、果には引退が囁かれているケヨ34と、その異彩な血脈が今も受け継がれているが、ケヨ34で終わることになってしまうのか…
「関西に行くはずやったのに俺だけ関東で生まれたばかりやのに中間先頭車で10年経ち先頭車に出たと思えば203系のお古の幕…こんな扱い188ー!」って聞こえる
もう、毎回ホンマに天才ですかww色々と歴史をたどって行くと、なんでこの車両が選ばれたんやろ……と疑問に思うことも多々ありまして、まさに運命のイタズラ、としか説明できないような出来事も沢山ありました。珍車は、いつまでも、どこへ行ってもオンリーワンであり続ける運命なのでしょうか……。(そんなの188!と言ってそうですね、彼はw)
@tourin_205 さんありがとうございます😂番号で魂の叫び(ポケベルかよ📟️)
@@ムー連邦の兵士.エル wwww、ぼんやり読んだだけでも爆笑しちゃいましたよ🤣🤣
@@柴田孝輝 さんありがとうございますw
常磐快速線の103系は7+3で組成されていた記憶がある。まあ、常磐快速線の103系は唯一、15両編成で走りましたからね。(お約束の爆音でしたが。)
当時は1列車60箇所もあるドアから、一斉に排出される乗客は圧巻だったと思います。
上野← Tc M'M T T M'Mc+Tc M'Mc →取手・成田 の7連でした。
このクㇵ103‐188もそうだけど、同じ日に落成されたモハ102‐445は相棒のモハ103が事故で保留になってたモハ103‐105というのも忘れてはならないですね。一次改良型と初期型のユニットで、後にAU75 で冷房改造されて晩年は武蔵野線で生涯を閉じたモハ102ですよ。ちなみに、クㇵ103‐188の相棒は105系化改造されたクㇵ103‐25でしたから、常磐無線非搭載とのペアだったこともあり、長年方向幕無しだったのかと思います。
103-1200番台「東西線でよかったぁぁ」301系「ホントだよ。アルミ地むき出しやめて塗装して正解だったよ。」
103系全体で唯一無二の存在であるサハ103-2501も取り上げて欲しい
このクハ、常磐線で分散冷房化されて爆走した後は京葉線で爆走したんだっけ
そうです!ちなみにマト→ラシ→ケヨの順に転属し、ラシでは東中野事故の生き残り車と組んだりもしてましたね。
バーニア式超多段制御機CS30の試験車両モハ102モハ103910番台の存在も忘れないで。彼らの存在無くして103系1000番台はなかったと思うのですが。
1967年に3ユニットのみ新製された超多段制御試作車103系910番台比較的晩年まで山手線で活躍してましたね
事故と同族の1000番台にとことん振り回されてる通常番台のクハって肩書きの火力強過ぎない?
新製ブタ鼻103系低運転台は、関東では殆ど見られなかったな。更にこの顔はJRになって中間車先頭改造で増殖したりしてる。新しいんだか古いんだか微妙な顔つきだった。毎回毎回、ニッチな内容、楽しかったです。
14:13 ???「そうじゃな~い」
(???)君を逃がせない〜!
車番下の白線フリーハンドって模型だと逆に再現しにくそう…()
ビミョーに曲げた感じを出すのって、難しいですよね。意識すればするほどとんでもないことになりそうw
103 やらかし大杉!
それが103系の醍醐味、とも言えるのですがねw
10-300R形みたいな組成
先頭クハだけ異色の存在、確かに10-000Rとよく似ていますねw
13:55 西武9000系かな?w
有名な「新木場」幕ですねw
そうです、あと辰巳や新線池袋もありました(今は多摩湖線にいるため)
クハ103-188の存在を知ったのは90年代に法政大学鉄道研究会の機関紙のキャリアに常磐線が特集でクハ103-188の事を書いて有りました
K409編成みたいにクハ1両だけ新造となると、やはりゲテモノになっちゃいますね…。その件のクハE531-17もほぼ中間封じ込め車みたいなもんですし、新津・川重・J-TREC横浜の3種混合編成だから赤電K451編成(東急製)と組もうものならゲテモノ4種混合編成と化s…😢
6m4t化後の編成も解説してください
今回動画に関わってないモハ102~105が表記されてるって事は迷な続きがあるんですかね〜
…泥沼103系の闇は深い…(笑)
深すぎて、1度ハマったら絶対抜けられませんw
動画の内容は、わかりやすい丁寧な解説がなされている上に、初めて知ったことが多く、たいへん興味深いものだった。これからも楽しみにしている。ただ、このシリーズを見ていて、動画の話数を示す大字(だいじ)はわかりづらいので、主のほかのシリーズのように、ふつうの数字を使ったほうがいいのではと思った。
ごめん。こないだコミュニティでネタバレ同然の書き込みをしてしまいました。謹んでお詫び申し上げます🙇💦尚 方向幕は昭和48年に『霞が関』表示を出しているところを取手駅で見たので その頃には既に入っていたはずです。
大丈夫です!もう前回の動画の中で、次のネタバレは思いっきりしてたので!48年には、幕が入ってたと言うのは初耳です。1回目の要検が49年3月のようなので、それよりも前に幕は入っていたと言うことになりますね。その頃には、勿論103-1000の離脱車など居ませんから、予備品を入れたのでしょうか……?
@tourin_205 さまいやぁ~年甲斐もなくお恥ずかしい😅そう仰っていただけて 有り難いです🙇💦おそらく予備品を入れたのでしょうね。尚 動画そのものは 188の写真が1枚しかないのにもかかわらず 面白く 上手く纏められたのはお見事です。流石ですね☺️
188の画像、コモンズに1枚しかなく、他の素材サイトも全て回ったのですが購入素材にも無く……無理やり略図を書いたり、手元の車歴表をフル活用して何とか纏めました💦気づいてもらえて、嬉しいです😭
(国鉄)逆に考えるんだ、怒らせちゃっていいさと…
そんな考えしてたら、直通お断りになりそうw(そんなことは無いw)
1:40 曲名教えてください
概要欄リンクの、ニコニコモンズの音源をお借りしています!
@@tourin_205曲名 わからないんですか?
各駅停車だと勘違いして柏に連行されたことがある人もいるらしいw
やっぱりそうなりますよねwエメグリベタ塗りで地下鉄に突っ込んだり、逆に地下鉄塗装で快速線走ったり、常磐線ユーザーは大混乱w
フリーハンドって...マスキングすれば直線出せたハズだよね(笑
そこまで切羽詰まった工期じゃなかったんですけどね……。普通に余裕ありましたし、何なら1000番台併結改造後も、数ヶ月は0番台に組み込まれたままだったようです……。
103系以上に他社を怒らせた車両ってあるんですかね?
営団を3回も激怒させてますからね、この車両……。301との併結事件も含めれば4回?他は……思いつかないですね……w
『怒らせた』とは ニュアンスが違いますが京急新1000形1800番台(オールM 4連✕2)が 2016年に浅草線・京成線乗り入れ運用に入った時 京成の変電所がパンクしそうになり「やめてくれ。」と言われたという噂がありました。実際 一度乗り入れたきり その後は京急線内運用限定となっているようです。(単に『直通用の編成が足りているから』という説もあり。)
@@toriri-service なるほど、そのニュアンスで行けば、EF200とかはガチで怒られた部類に入るかもですね……w
千代田線直通電車なのかな? って勘違いして乗る人がいそうですね(笑)
実際、クハのみエメグリ×モハは地下鉄塗装の全車1000番台の編成が、地下鉄に無理やり直通して営団にブチ切れられてますんで……wそれと近いようなもんですよね、これもw
んな事言ったら当時 クハも含めてぜ〜んぶ1000番台の編成に『常磐快速線』のステッカーを貼って走ってたのもありましたよ。
@@toriri-service なるほど~
@@tourin_205エメラルドグリーンの103系も地下鉄入った歴史があるんですね。🤔
@@京成3050 前回の動画の最後で紹介してるので、ぜひ是非ご覧いただければ!
とある"メカ"シンカを遂げた103系が勢いで紹介されたりしないかなー
このクハ103-188と編成を組んでいたこともある、あの車両の事ですかね?
国鐵はやらかししかしないのか(呆れ)
まぁ、おおらかな時代だったんで……ということにしておきましょうw
唯一と言った方が感じが良い‼️
両端ともクハ103って...クハ102は存在しなかったのか...
クハ102は存在しませんでしたが、実質クハ103形500番台が、クハ102のような仕様になっていますね。
クハ103-188かわいそうだな…
何かと不遇な車両でしたね……
国鉄型の地下鉄対応車ってどれもこれも珍車や迷車ばかり.....
そうなんです!301系から103-1500まで、一挙にこのチャンネルで解説しますので、お楽しみに!
そういえば福岡の103も順次地下鉄出禁になってましたね…
@@のろまる-l2g そうなんですよね、あれはあれで運転手泣かせの車両だったり……します。
福岡の103系ってトイレ逆流事故で運休し市交が名指しで言われてなかったかな?
現在のE233系2000番台も同じく迷車扱いされるだろうか…?
この車両の最後が気になる
ラシ→ケヨと転属し、京葉区で生涯を終えました。ちなみに、ラシでもケヨでも「いわく付きの車両」と組んでた経歴があるんですよ、これがw
@@tourin_205ケヨ時代ってVVVFの試験車ですか?
あれ?14両しか余らなかった中間車に対して4両のクハを持ってきて10両2編成って計算が合わないな🤔あとの2両の中間車は何処から…。
転属後期になって、余剰サハを持ってきて6M4Tにして編成にしました!説明不足ですみません!
@@tourin_205 なるほど…。つまりは1000番台クハが前後にいる編成で中間に0番台サハが挟まっているという編成が居たわけですね🤔
@@MORIO1000-1 その通りです!1クハ2両、モハユニット3組とも1000番台で、サハのみ0番台と言う編成が存在してました。(1986年地点の編成表で確認してます)ちなみにその時、188クハの編成も組み換えされており、8M2Tながらモハユニットが1組だけ0番台のものに差し替えられてたりしますww
@@tourin_205 まさかのモハまでもが混用されていたのですかw確か、この当時って101系も103系に紛れて挟まっていた編成があった様な…。緑電…沼が深すぎる…。
3:44中間車達子供かよw10:19お前の台車タイヤなの?12:48どっちが新車なのか分かんねぇw13:57古いもの再利用15:40赤くなってるww(これを見たJR北海道)君ら、こんな黒歴史あったんだねぇ(昔の俺は長距離で楽しかった思い出あったなぁ)(JR東日本と東京メトロ旧国鉄東日本と営団地下鉄)うぅ、恥ずかしい。(他社達見ないでぇぇぇぇ!!!)
サムネ混色編成ぶっとんどるやんw😂
気づいてしまいましたね……ww
奇数クハくん「え」
そういえば103系は8M2Tではなく6M4Tじゃなかった
103系1000番台はどんだけネタになるんだよ床が焦げるわ電気を食いまくる地上なら大丈夫だと思っていたら地上でも問題を起こすなんてなんという迷車なんなんだよ
いくらなんでもフリーハンドはちょっとぉいくらなんでも定規とかでやらんの ....
単なる鉄のかたまりに一人ぼっちとはいわない 古いだけのポンコツじゃん
動画が短い
10:23モハ102-105→モハ103-105
すみません、思いっきりミスってます💦(走れませんね、これじゃw)
@@tourin_205モハ103-105は新たな相方を得て後に武蔵野線に転属(非ユニット窓+ユニット窓の組み合わせでその界隈では知られていたかと)
クハ103-188と聞いて何故か関西にいそうな番号という印象がありましたが、経緯を知って納得しました。
識別の白線がまるで模型のインレタ貼りに失敗したような感じになり、しかも結局意味がなくなってしまったのも悲しいですね。
インレタ貼り失敗……うっ、頭が……w
その後結局、意味無くなってしまったのは本当になんと言うか……迷車極めてるなぁと思いますね。
クハ103-188は、あのDDM試験車モハ103-502と編成を組んだことがある
モハ103-502はDDM改造前
今回は、マト区103の話だったので、ラシ&ケヨ時代の話は割愛させて貰いましたが、この車両、その後もとんでも無い経歴残しまくりなんですよねw
補足コメントありがとうございます!
ついにキター
お待たせしましたー!
もともと唯一無二だったものが、その時の事情によってとは言え、迷列車化してしまうとは…
貫通扉無いのに地下鉄の行き先表示できるのはなかなかに迷列車ですね~😂
まだまだネタが尽きないとは、スゴイですね😅
次の動画も楽しみにしています☺️
この車両が生まれた地点で、こうなる運命は決まっていたのか、はたまたどこかで狂ったのか……。どちらにせよ、珍車がどんどんと迷車へと突き進んで行くその歴史を辿ってみると「どうしてこの車両が……」と言う所が沢山あるものですw
日本最大の車両数ですから1両くらい変なやつがいても不思議ではありませんが、変なやつが多過ぎですよこの形式。
今のように有料撮影会があったら、珍幕目当てで相当な人気者だったでしょうね。
仰る通り、変な奴ばっかりいるのがこの形式の面白いところですw
1両1両にドラマがあって、奥が深い形式だなぁ、と感じます。大体は「どうしてそうなった」と驚かされることばかりですけどねw
クハ103-188は有名ですから名前と異端な存在であることは知っていましたが、どんな経緯でこうなったか知らなかったので非常に勉強になりました!
結構有名な車両ですが、意外と細かい所は知られていなかったり、洋光台の事故の直接代替車と勘違いされていたり……紹介出来て良かったです!
待ってました!
しかし中間閉じ込めの後、連結改造とは、これまた、たまげた迷走してますなぁー
本当にマトから転属してラシ→ケヨと渡り歩いた際にも、伝説作りまくってるんで……ホンマにオンリーワンの珍車ですw
面白かったです。時間も頑張って下さい。
次回も頑張ります!時間もなるべく早めに出せるように頑張ります!ww
常磐線103系の中で1番好きかもな編成なんですよ!待ってました!(o^^o)
ありがとうございます!エメグリの103、色々ネタには事欠かないというか、なんと言うか……。どうしてここまで滅茶苦茶になってしまうのかw
尚 105系化改造を関西で行なった1000番台編成は クハに可搬式ATS-S車上子を取り付けて(ATCとATS-Bしか装備していなかった。)東海道本線を西へと下りました。
回送電車に乗務した運転士さんは きっとその加速を楽しんだかも。
なんと、自走で8M2Tのまま、東海道を下って行ったのですね……国鉄時代ならではのエピソードでしょうか。
確かに、加速感にはびっくりされたかもしれませんね(*^^*)
14:13 不意の「違う、そうじゃない」にワロタww
鈴木雅之、いい曲ですよねぇw
昔の曲も趣あって好きです、私はw
深緑に白のフリーハンド線ってまるで黒板に白いチョークで線を引いたみたいな感じだ。
編集してイメージ画を作ってる時、マジでそんな気分でしたww
クハ103-188、誕生経緯が経緯なだけに、根岸線事故がなければ関西に配属された一般クハになっていたと思いますが、1両だけ首都圏配属になった上、京浜東北線への補充ではなく常磐線配置となったのも、103系ならではのエピソードですね。
1000番台混結用白線が手書き感満載だったのは、国鉄の情勢(民営化が迫る頃)を表していたのでしょうか(笑)。
JR化後に常磐線15両化が始まると、10両と5両でMT比が異なる編成が出ましたが、8M2T+4M1T編成では12M3Tというとんでも編成が爆誕してしまうため、追って6M4Tと4M1Tが基本になりました(付属2M3Tは平坦な常磐快速線と成田線だったから運用出来たようなものです)。
これで1000番台オンリーの編成が消滅……かと思いきやまさかの地で◯◯運用復活……更にまさかのトレードで✖︎✖︎番台が松戸にやって来た……coming soon……(笑)
クハ103系188は大阪万博用発注分から拝借したんですね😮
流石、よくご存知ですね……。次作でやりたいことが全て伏字で記されているww
12M6ユニットは、もうユニット表示灯が足りませんねww
@
伏字にした内容こそ、今回来ると思っていましたが、そのクッションになった今回の内容も、掘り下げたらまた濃いネタでしたね(改めて103系というか国鉄標準車は面白くて沼深いのですね)。
これに関連してまさかの△△番台の◯◯運用爆誕(◯◯は前コメントと同じです)もありましたから、本当に103系は愉快です(笑)。
中学生時分の1980年代初頭に電車の番台や製造ロットまで詳しいムック本がありました。
コロタン文庫かケイブンシャかは忘れましたが。
その後この188号と思しき実車を見掛けたので、てっきり関西圏からの広域転属かと思ってましたが新製配置だったのですね。
ただこの年式が1次改良って合ってるのかな?
非ユニット窓車でもステンレスドア化や、シート座面が高いまま暖房蹴込み板だけ斜めになってるクルマを京浜線で稀に見ましたね。
下回りについては500番台と共にディスクブレーキかと思います。
仰る通り、台車形式はTR212(ディスクブレーキ仕様)です。手元の国鉄公式資料(車歴表)にもその様に記してありますので、間違いないかと思います。
一応、1972年2月以降製造のクハ103-180以降は、豚鼻シールドビーム・ユニット窓の一次改良車の区分けになりますので、188も漏れなくその仲間に入る、という認識です。
その本は詳しく書かれていたのだろうか、昭和時代のポケット百科の類いって何の解説もなく、珍車迷車がしれっと写っていたりした。今から思うと編集者の遊びがあったのかも。
南正時さんは神様だったね。
@@にーに-v9fさん
今思い返しても子供向けとは言えないほどの資料価値は高かったと思えます。
系列のコンセプトなどの概説が先ずあって、次のページから個々の形式や番台区分に入るパターンでした。
101系などは「〇〇番〜は完全付随車化されDT21T→TR64に変更」や、165系では「〇〇番〜は新造冷房車」などとほぼ写真と共に説明書きがありました。
上のクハ103-500番台でいえば618番以降がディスクブレーキ車とかね。
旧型国電の章でも例えば「写真のクハ79246は元モハ63のトップナンバーである」といった説明もあったくらいです。
「へぇ!」と驚いたから記憶してるんですよ、これが。
近郊形のシート改善型は載ってましたが、185系や201系量産車はまただったと思います。
だから出版されたのは1981年の早いうちだったのかな。
昔の鉄道本は、たとえ子供向きでも媚びない文体だった。
15:39 何 回 や ら か す ん だ 国 鉄 は
何 度 も や ら か す の が 国 鉄 で す w
動画にでるだけでだいたい珍列車
確かにそれはありますww
常磐線の103系は色々とあったのですね 103系にあまり詳しくないのでこの動画を見て参考にしています
103系、細部を突き詰めると面白いですよ!常磐線は特に沼が深いです、どの路線もそうですが……w
千代田線自体も、今でもそうなのかな、『真冬でも冷房大活躍』なのよね。平日朝ラッシュ時の西日暮里駅では駅停車中に後続列車が来るのが突風?で分かる程なので😅
西日暮里付近は、都道の幅が片側1車線なのでトンネルの幅が狭いですもんね😅
風圧がすごい、と言うのも想像にかたくないですw
国鉄はそこまでして103系を優遇したいのか、
って思ったけど1970年代ならまだまだ新しかったのか
そうですね、70年代だと103系はまだまだ製造真っ盛りと言ったところですから。どんどん勢力をましている頃ですね。
関西の103系は90年代後半~2000年代に40N体質改善で当時の新車に近いくらいまで近代化された者いたし103系優遇は2000年代まで続いたと言える…
2000年代の国鉄西日本(?)「103系は関東だと山手線、常磐線などに投入されてるE231系などの新型投入で少数派になってきたのか…でもこっちはもっと体質改善させて主流の電車としてずっと使ってやるwwいっそのこと50Nに変えるのはどうかな?ww」
山手線E231系500番台「関西の103系、俺からすれば父親に感じるくらい歳寄りな電車の癖に更新して使い続けるってマジかよ…」
数年後「流石に103系の老朽化がヤバい。廃車させよ…」
103系は本当に有能なんだなぁ
結構どこでも走れる万能車、流石国鉄型汎用通勤電車と言うべきでしょうか。意外と細部は差があったりしますがね💦
でも、常磐快速線や東海道・山陽緩行線では明らかにアンダースペック😵
生まれた時代が高度経済成長の時代。高性能ではないが兎に角数を揃えなくてはならなかった。今では考えられない殺人ラッシュを支えたって一点だけで名車と言えると思う。それが細々とながら、まだ生き残ってるってのも…。
@@にーに-v9f
103系って、空いてるときにはコイルサスが固くって乗り心地が悪いんですが、300%とかの激込み状態になると、サスの反応もソフトな感じで乗り心地が良くなり、本領を発揮するんですよね。加えてそんな状況でも、屋根上に大量に装備されたグロベンのお陰で換気が良くて息苦しくならず、さすが地獄の通勤ラッシュだった酷電時代にデビューした、通勤型車両だけのことはありますね。
0:17 床が焦げ付いただけで爆発したのは草
オーバー表現ですんませんw
こんなネタどっから持って来たのか、そっちが気になって気になって夜も眠れず昼寝しちゃいそう😮
色々と小さい頃から「何でだろう?」と思ったことを突き詰めてたら、こうなりましたw
昔の車両ネタは、他の車両の情報を書籍やネットで仕入れている時に、副産物的に見つけることが多いですねw
フリーハンドの白線ってwまさに現場さえわかればそれでヨシ!だったんですね
この動画見るまでこの車両は関西からの転属だと思ってたので、新製配置だったとは衝撃
結局、1000番台側が0番台に合わせる形になったので、最初から期間限定、識別出来れば良い、と言うつもりだったのでしょうかね……w
14:33
なんだ?いいことではないか(レア幕好き)
幕回しが楽しみになりますねw
フリーハンドで番号と言えば、その昔は工場の職人が一両一両番号を手書きしていたそうです。電車のアルバム1 という本に出てきます。
15:05 ??「この、幕詐欺編成!!」
ちょちょちょちょっと待って落ち着いて!
西武9000系も 6000系仕様の幕が入っていたので 絶対行かない『辰巳』や『新木場』表示を折り返し駅の幕回しで見ることが出来ました。
12101F「オイラも新木場行ってみたいなぁ😢」
昔京急800に西馬込のコマが入ってたような
クハ103-188「孤独を貫いたつもりだったが、
意外とナカーマがいるものだな」
動画投稿お疲れ様です。車両の特徴を表す識別マークは同じ関東だと489系や189系(●)のイメージがありますが、103系にも1000番代併結車に簡易マークがあったとは知りませんでした。
個人的には、JR東日本直後の山手線おもしろ電車についても見てみたいです。
中央線狭小トンネル対策マークもありましたね
@@yutata012424さん、◆マークですね。中央線系統じゃない車両にも付いてますね。例えば常磐線のE231系0番代。
@@koheirailway001 長野まで自走で更新しに行ってましたね
@@koheirailway001 色々と車番に記号をつけて、識別する……という例は多かったですね。(おもしろ電車、エメグリは確か1000番台だったはずなんですよね、よくこんなゲテモノを選んだなぁ……とw)
今のJR東の新車は、殆ど狭小トンネル対応になっていますね。◆マークも至る所で見れるようになりました。
「えぇぇぇぇぇぇぇ!!!」「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」このネタすっげースキです😂
ありがとうございます!(´▽`)
🤖「1000番台クハに貫通幌つけてドア開けて貫通可能にして10号車と11号車の連結部で連結すれば通り抜けできるのに」
広島の105系みたいな感じですねw
常磐快速線の駅間距離なら15両貫通編成なら8M7Tでも十分な感じで行けそうですね。
当時の東海道線が8M7Tでかつ、少し高速ギア寄りなので、ブレーキ強化すれば、110キロ運転で
現実よりも少し速く走れたかもですね。
まぁ、当時の国鉄本社の考えでは、一般列車で110キロ運転は認めない考えだったかもしれませんが。
クハを出来立てほやほやのまま、中間車に封じ込め・・・・
もったいない使い方でしたね。
7:40 ~
クハ105形500番台になってますね
緩行線から快速線に転属した103系1000番台は104両でその内クハが18両ということはモハは86両。併結改造したクハ2組も交えて10連を組むとなるとモハユニットが1つ足りない気がするんですがそれはどうしたんですかね?
中間にサハ組み込んで6M4Tになりました。説明不足ですみません!
ちなみに後々、6M4Tと8M2Tの性能差から、組み換えが激化しとんでもないことになりますw
@@tourin_205この編成組み換えにより、片方のクハが0番台なのにもう片方のクハが1000番台の編成まで現れてますw
本当にあの頃は、電車編成表を見ても理解できませんw 本当にぐっちゃぐちゃで、何がどこに行ったか追うのが大変ですよ……w
確かブレーキ緩解音も1000・1200番台とその他とは違ったはずで、どうしたら併結出来たのかも気になった
0番台「フコ〜〜。」
1000・1200番台「ピシュゥ〜〜。またはチ〜〜。」
音は違えど同じ電磁直通ブレーキ同士故 併結は特に問題はなかったようです。(同じ常磐線の 401系と415系も ブレーキのエア音が違いましたが 普通に併結していました。)
因みに 地下直車はドアが閉まる時も 0番台のように「シッ!」(俗称「おじさんのくしゃみ」)という 応荷重装置のアームを引っ込めるエア音がせず「ゴロゴロゴロ」と ドアの閉まる音のみがしました。
特に資料を漁っても、ブレーキに関しての記述はありませんでした。加えて、その後ブザー回路の改修だけで1000番台と0番台を、松戸区内でごちゃ混ぜにして組成している(6M4T化)あたり、その辺は互換性があったようですね。
成田運転区の習熟運転で貸し出された時は6連に短縮されてましたね。
茨城県の何処かに103系常磐線を保存してある場所があるみたいなんだよね
クハ103-188、ほんと豚でもない(とんでもない)。関東で唯一新製時から豚鼻(ブタ鼻)をつけてた1次改良車だけにねw
上手い!山田くん、座布団3枚持ってきて!
戸袋窓ありの1000番代が常磐快速にいた時代が懐かしい。子供心に「あ、レアだ!」ってなってた。
103-188……… 「とてもすごいと、とてつもなく不遇が合わさったとんでもない車両」としか言いようがなくてふつうに笑いましたwww
そして営団はどんだけ103系を追い払いたいんだ(?)
103系はとことん営団と相性が悪いようで……w
クハ103-188、総武中央線各駅停車時代に乗ったことがあります。ユニットサッシでクーラーが後付け感丸出しのAU712だったのでくせ者感すごかったです。
ラシ時代はH5.7〜H7.2までの2年に満たない活躍だったので、結構貴重な姿になりますね。確か、東中野事故の生き残りクハとペアを組んで運用に入っていたはずです……珍車すぎるw
無駄に引き延ばしているわけじゃないのに、これだけ分割してまだ終わらないネタの宝庫
余りにも紹介するネタが多すぎて、いつまで経っても「国鉄型地下直車の歴史編」が終わりませんw
武蔵野線「やらないか?」
1000番台の転用で快速線の103が余ったのですが、豊田に残る武蔵野線用101-1000の置き換え用に、マトの余った103を「くれないか」ということで武蔵野に転属していきました、とさ……w
後年京葉線に転属してユニット窓なのにAU712搭載の異端車として走ってたのを覚えてる!洋光台の事故さえなければ同番は関西に配置され、関東ではブタ鼻のクハ103を見ることはなかったと思うと、人も車輌も神様のいたずらでどう転ぶかわからない。
それにしても車輌履歴簿の画像、上げてくるとは主さん、かなり内部に精通してる方だと御拝察します。
低運ブタ鼻で、新製時からAU72装備のクハ103は、山手線と中央快速線に存在してましたよ。山手線のグループは、ATC改造準備車の高運クハと差し替えで、早い段階で関西に転属しましたが。
常磐線快速ヘビーユーザーの私当時から山手線や京浜東北線の103系と比べると寄せ集め感が強いな〜と思っていたのですが、やっぱり寄せ集め博覧会状態だったんですね😂
仰る通り、色んな路線から掻き集めた車両に、1000番台が混ざってエライ事になってますw
あの頃は 1000番台以外では関西の淀川・日根野・宮原からも転入して来て 中にはエメグリに オレンジユニット(元 大ヨト)・スカイブルーサハ(元 天ヒネ)・カナリアイエローユニット(元 大ミハ)を挟んだ4色編成もあり(『マト5編成』絶対松戸区職員が茶目っ気で 意図的に組成したと思いました。)乗っていたら日暮里→上野で並走する京浜東北線電車の乗客が こっちを見て目を丸くして驚いていたのを思い出します。
宮原から来たユニットは 常磐快速線で唯一の2000番台で 車内戸袋窓に『車内禁煙🚭️』のステッカーが貼られ それまで客車でタバコ吸い放題だった福知山線乗客への警告だったのだと思いました。
当時ドラマ『太陽にほえろ!』でも 常磐快速線の電車が混色編成になった事に腹を立てた鉄オタが 転入して来た電車が元々走っていた沿線で◯人事件を起こすという話も作られました。(第625話『四色の電車』劇中では カナリアイエローは総武線・オレンジは中央快速線・スカイブルーは東海道山陽緩行線という設定でした。)
@@toriri-service 淀川からの転属車は本来ないはずだったのが、何故か宮原から受け入れた分の玉突きだったな。
@@けん-o4y さま
はい。福知山線の編成から抜かれた6ユニットのうち 1ユニットが池袋へ あとの5ユニットが松戸へ転属の予定でしたが 松戸へは1ユニット(モハ103-778+モハ102-2035)のみが転属。
あとの4ユニットは淀川へ転属して 同数の低年式ユニットが玉突きで松戸へ行きましたね。
高年式の2000番台ユニットを関東へ渡したくなかった 大鉄局の思惑だったとも言われていました。
因みに 淀川から松戸へ行ったうちの2ユニットは 60年3月改正でオレンジのまま蒲田へ転属しました。
低運転台、高運転台、扉付がすべて揃った路線はここだけだしね。
我孫子支線でも運用されてましたよね
良く8M2Tで入って変電所キラーにならなかったよなぁ、とも思いますねww
どこかで海外の迷列車の解説をして欲しいです
海外は日本よりいろいろやばそう・・・特に旧ソ連とか
海外ですね……私がかなり知識不足で、頑張って勉強したい所です……🙇♂️
お待ちしていました。
なるほど、確かに1970年代の関東では、低運車の103系の大半がライトが原型だったものが多かったようですが、関西では豚鼻仕様が多かったということは、関西の方が近代化が進んでいるようにも見えますね。
そんな中、クハ103-188だけ豚鼻ライトになったのは、急遽クハ103-548の代わりとして穴埋めするために造られたというのが伺えますね。
番号が偶数でも『奇数扱い』になっているのは、まさしく他のクハとは違う特徴を持っていたのもなかなか興味深いですね。
確かにこの車番だけでは奇数扱いなのか偶数扱いなのか、見た目だけでは流石に分からないと思いますw
もっとも当時の人から見たら殆ど分からなかったのではないでしょうか。しかも、中間車扱いな上に白幕って(しかも後付の方向幕も営団向けの仕様)w
まるで広島の115系みたいな扱いにw
そして、JR後の総武緩行線と京葉線では東中野事故の該当編成に組み込むというのも、まさに最後の最後まで珍車だったようですね。
で、次回はまたしても1000番代の暴走がw
オンリーワン、ただでは転ばぬが、最期はあのゲテモノ姉妹のいた東京メガループの一員となってその花道をゆく…クハ103-188はいつの時代が最も輝いたかは何となく察してしまう…
どうなんでしょう、ラシで東中野事故の生き残りと組んだり、ケヨで後にVVVF化される魔物(改造前)と組んだり……ネタには事欠かない車両でしたね。いつが輝いていたかと言われると……いつもネタだらけで選べないかもです笑
個人的には迷が一番集まる京葉区ではないか…1両だけまたは1ユニット、1編成だけの異彩…それはまるでニートレインの運用の爆誕、果には引退が囁かれているケヨ34と、その異彩な血脈が今も受け継がれているが、ケヨ34で終わることになってしまうのか…
「関西に行くはずやったのに俺だけ関東で生まれたばかりやのに中間先頭車で10年経ち先頭車に出たと思えば203系のお古の幕…こんな扱い188ー!」って聞こえる
もう、毎回ホンマに天才ですかww
色々と歴史をたどって行くと、なんでこの車両が選ばれたんやろ……と疑問に思うことも多々ありまして、まさに運命のイタズラ、としか説明できないような出来事も沢山ありました。珍車は、いつまでも、どこへ行ってもオンリーワンであり続ける運命なのでしょうか……。(そんなの188!と言ってそうですね、彼はw)
@tourin_205 さんありがとうございます😂
番号で魂の叫び(ポケベルかよ📟️)
@@ムー連邦の兵士.エル wwww、ぼんやり読んだだけでも爆笑しちゃいましたよ🤣🤣
@@柴田孝輝 さん
ありがとうございますw
常磐快速線の103系は7+3で組成されていた記憶がある。
まあ、常磐快速線の103系は唯一、15両編成で走りましたからね。
(お約束の爆音でしたが。)
当時は1列車60箇所もあるドアから、一斉に排出される乗客は圧巻だったと思います。
上野← Tc M'M T T M'Mc+Tc M'Mc →取手・成田 の7連でした。
このクㇵ103‐188もそうだけど、同じ日に落成されたモハ102‐445は相棒のモハ103が事故で保留になってたモハ103‐105というのも忘れてはならないですね。
一次改良型と初期型のユニットで、後にAU75 で冷房改造されて晩年は武蔵野線で生涯を閉じたモハ102ですよ。
ちなみに、クㇵ103‐188の相棒は105系化改造されたクㇵ103‐25でしたから、常磐無線非搭載とのペアだったこともあり、長年方向幕無しだったのかと思います。
103-1200番台「東西線でよかったぁぁ」
301系「ホントだよ。アルミ地むき出しやめて塗装して正解だったよ。」
103系全体で唯一無二の存在であるサハ103-2501も取り上げて欲しい
このクハ、常磐線で分散冷房化されて爆走した後は京葉線で爆走したんだっけ
そうです!ちなみにマト→ラシ→ケヨの順に転属し、ラシでは東中野事故の生き残り車と組んだりもしてましたね。
バーニア式超多段制御機CS30の試験車両モハ102モハ103910番台の存在も忘れないで。彼らの存在無くして103系1000番台はなかったと思うのですが。
1967年に3ユニットのみ新製された超多段制御試作車103系910番台
比較的晩年まで山手線で活躍してましたね
事故と同族の1000番台にとことん
振り回されてる通常番台のクハって
肩書きの火力強過ぎない?
新製ブタ鼻103系低運転台は、関東では殆ど見られなかったな。
更にこの顔はJRになって中間車先頭改造で増殖したりしてる。新しいんだか古いんだか微妙な顔つきだった。
毎回毎回、ニッチな内容、楽しかったです。
14:13 ???「そうじゃな~い」
(???)君を逃がせない〜!
車番下の白線フリーハンドって模型だと逆に再現しにくそう…()
ビミョーに曲げた感じを出すのって、難しいですよね。意識すればするほどとんでもないことになりそうw
103 やらかし大杉!
それが103系の醍醐味、とも言えるのですがねw
10-300R形みたいな組成
先頭クハだけ異色の存在、確かに10-000Rとよく似ていますねw
13:55 西武9000系かな?w
有名な「新木場」幕ですねw
そうです、あと辰巳や新線池袋もありました(今は多摩湖線にいるため)
クハ103-188の存在を知ったのは
90年代に法政大学鉄道研究会の機関紙のキャリアに常磐線が特集で
クハ103-188の事を書いて有りました
K409編成みたいにクハ1両だけ新造となると、やはりゲテモノになっちゃいますね…。その件のクハE531-17もほぼ中間封じ込め車みたいなもんですし、新津・川重・J-TREC横浜の3種混合編成だから赤電K451編成(東急製)と組もうものならゲテモノ4種混合編成と化s…😢
6m4t化後の編成も解説してください
今回動画に関わってないモハ102~105が表記されてるって事は迷な続きがあるんですかね〜
…泥沼103系の闇は深い…(笑)
深すぎて、1度ハマったら絶対抜けられませんw
動画の内容は、わかりやすい丁寧な解説がなされている上に、
初めて知ったことが多く、たいへん興味深いものだった。これからも楽しみにしている。
ただ、このシリーズを見ていて、動画の話数を示す大字(だいじ)はわかりづらいので、
主のほかのシリーズのように、ふつうの数字を使ったほうがいいのではと思った。
ごめん。こないだコミュニティでネタバレ同然の書き込みをしてしまいました。
謹んでお詫び申し上げます🙇💦
尚 方向幕は昭和48年に『霞が関』表示を出しているところを取手駅で見たので その頃には既に入っていたはずです。
大丈夫です!もう前回の動画の中で、次のネタバレは思いっきりしてたので!
48年には、幕が入ってたと言うのは初耳です。1回目の要検が49年3月のようなので、それよりも前に幕は入っていたと言うことになりますね。
その頃には、勿論103-1000の離脱車など居ませんから、予備品を入れたのでしょうか……?
@tourin_205 さま
いやぁ~年甲斐もなくお恥ずかしい😅
そう仰っていただけて 有り難いです🙇💦
おそらく予備品を入れたのでしょうね。
尚 動画そのものは 188の写真が1枚しかないのにもかかわらず 面白く 上手く纏められたのはお見事です。
流石ですね☺️
188の画像、コモンズに1枚しかなく、他の素材サイトも全て回ったのですが購入素材にも無く……無理やり略図を書いたり、手元の車歴表をフル活用して何とか纏めました💦
気づいてもらえて、嬉しいです😭
(国鉄)逆に考えるんだ、怒らせちゃっていいさと…
そんな考えしてたら、直通お断りになりそうw(そんなことは無いw)
1:40 曲名教えてください
概要欄リンクの、ニコニコモンズの音源をお借りしています!
@@tourin_205曲名 わからないんですか?
各駅停車だと勘違いして柏に連行されたことがある人もいるらしいw
やっぱりそうなりますよねw
エメグリベタ塗りで地下鉄に突っ込んだり、逆に地下鉄塗装で快速線走ったり、常磐線ユーザーは大混乱w
フリーハンドって...マスキングすれば直線出せたハズだよね(笑
そこまで切羽詰まった工期じゃなかったんですけどね……。
普通に余裕ありましたし、何なら1000番台併結改造後も、数ヶ月は0番台に組み込まれたままだったようです……。
103系以上に他社を怒らせた車両ってあるんですかね?
営団を3回も激怒させてますからね、この車両……。301との併結事件も含めれば4回?
他は……思いつかないですね……w
『怒らせた』とは ニュアンスが違いますが
京急新1000形1800番台(オールM 4連✕2)が 2016年に浅草線・京成線乗り入れ運用に入った時 京成の変電所がパンクしそうになり「やめてくれ。」と言われたという噂がありました。
実際 一度乗り入れたきり その後は京急線内運用限定となっているようです。(単に『直通用の編成が足りているから』という説もあり。)
@@toriri-service なるほど、そのニュアンスで行けば、EF200とかはガチで怒られた部類に入るかもですね……w
千代田線直通電車なのかな? って勘違いして乗る人がいそうですね(笑)
実際、クハのみエメグリ×モハは地下鉄塗装の全車1000番台の編成が、地下鉄に無理やり直通して営団にブチ切れられてますんで……w
それと近いようなもんですよね、これもw
んな事言ったら当時 クハも含めてぜ〜んぶ1000番台の編成に『常磐快速線』のステッカーを貼って走ってたのもありましたよ。
@@toriri-service なるほど~
@@tourin_205エメラルドグリーンの103系も地下鉄入った歴史があるんですね。🤔
@@京成3050 前回の動画の最後で紹介してるので、ぜひ是非ご覧いただければ!
とある"メカ"シンカを遂げた103系が勢いで紹介されたりしないかなー
このクハ103-188と編成を組んでいたこともある、あの車両の事ですかね?
国鐵はやらかししかしないのか(呆れ)
まぁ、おおらかな時代だったんで……ということにしておきましょうw
唯一と言った方が感じが良い‼️
両端ともクハ103って...クハ102は存在しなかったのか...
クハ102は存在しませんでしたが、実質クハ103形500番台が、クハ102のような仕様になっていますね。
クハ103-188かわいそうだな…
何かと不遇な車両でしたね……
国鉄型の地下鉄対応車ってどれもこれも珍車や迷車ばかり.....
そうなんです!301系から103-1500まで、一挙にこのチャンネルで解説しますので、お楽しみに!
そういえば福岡の103も順次地下鉄出禁になってましたね…
@@のろまる-l2g そうなんですよね、あれはあれで運転手泣かせの車両だったり……します。
福岡の103系ってトイレ逆流事故で運休し市交が名指しで言われてなかったかな?
現在のE233系2000番台も同じく迷車扱いされるだろうか…?
この車両の最後が気になる
ラシ→ケヨと転属し、京葉区で生涯を終えました。ちなみに、ラシでもケヨでも「いわく付きの車両」と組んでた経歴があるんですよ、これがw
@@tourin_205ケヨ時代ってVVVFの試験車ですか?
あれ?14両しか余らなかった中間車に対して4両のクハを持ってきて10両2編成って計算が合わないな🤔
あとの2両の中間車は何処から…。
転属後期になって、余剰サハを持ってきて6M4Tにして編成にしました!説明不足ですみません!
@@tourin_205 なるほど…。
つまりは1000番台クハが前後にいる編成で中間に0番台サハが挟まっているという編成が居たわけですね🤔
@@MORIO1000-1 その通りです!1クハ2両、モハユニット3組とも1000番台で、サハのみ0番台と言う編成が存在してました。(1986年地点の編成表で確認してます)
ちなみにその時、188クハの編成も組み換えされており、8M2Tながらモハユニットが1組だけ0番台のものに差し替えられてたりしますww
@@tourin_205 まさかのモハまでもが混用されていたのですかw
確か、この当時って101系も103系に紛れて挟まっていた編成があった様な…。
緑電…沼が深すぎる…。
3:44中間車達子供かよw
10:19お前の台車タイヤなの?
12:48どっちが新車なのか分かんねぇw
13:57古いもの再利用
15:40赤くなってるww
(これを見たJR北海道)君ら、こんな黒歴史あったんだねぇ(昔の俺は長距離で楽しかった思い出あったなぁ)
(JR東日本と東京メトロ旧国鉄東日本と営団地下鉄)うぅ、恥ずかしい。(他社達見ないでぇぇぇぇ!!!)
サムネ混色編成ぶっとんどるやんw😂
気づいてしまいましたね……ww
奇数クハくん「え」
そういえば103系は8M2Tではなく6M4Tじゃなかった
103系1000番台は
どんだけネタになるんだよ
床が焦げるわ
電気を食いまくる
地上なら大丈夫だと
思っていたら
地上でも問題を起こすなんて
なんという迷車なんなんだよ
いくらなんでもフリーハンドはちょっとぉいくらなんでも定規とかでやらんの ....
単なる鉄のかたまりに一人ぼっちとはいわない 古いだけのポンコツじゃん
動画が短い
10:23
モハ102-105→モハ103-105
すみません、思いっきりミスってます💦(走れませんね、これじゃw)
@@tourin_205
モハ103-105は新たな相方を
得て後に武蔵野線に転属
(非ユニット窓+ユニット窓の
組み合わせでその界隈では
知られていたかと)