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小学生のころ西武球場でブライアントのホームランボールが直撃して医務室に運ばれたのほ忘れません。バックネット裏にあって普段入れない場所に入れたから嬉しかったなあ!笑
ボール⚾もらえましたか😂
貴重な体験してるなあ😆
一体どこに直撃⁉️箇所によっては大事故モン。
自分はファールボールが股間に当たる寸前でしたw
私もテリーのエンタイトルツーベースがおでこに当たり、医務室に運ばれました😂
平成元年のブライアントはほんと神がかってました。敬遠してもリベラ、鈴木、金村、村上・・・まさに最強のいてまえ打線だったと思います。しかも大石・新井の1・2番・・・ほんと懐かしいです
あの89年のダブルヘッダー!4連発。あの日学校を早退し小遣いで外野席買い駆けつけた。ライト後方立ち見。永年野球見てきましたが心に刻まれる試合だった。89年西武V逸さなければ結果10連覇だった。結果論ですが黄金時代西武の野球そつのないバランスのとれた勝つ野球素晴らしかったがその年の近鉄ヘッドの中西太さんを筆頭に野球て楽しいんだなあと教えられました。勝つ野球も素晴らしいが野球て楽しい89年近鉄ありがとう。
バースブライアントは別格
伊東氏「あの時のブライアントには後光がさしていた」俺は信じるよw
超サイヤ人懸かっていた。
中日から来たブライアントを中西太さんの徹底的に指導していましたからね。あの日のブライアントは郭投手、渡辺久投手に対して振り負けていたからバットを短く持って対応していたと本人が話をしていました。懐かしい気持ちになりました。伊東勤さんありがとうございます。
10.12の渡辺GMからブライアントが打ったシーンはテレビで見ていました。伊東さんがアウトハイに構えていたのが中に動かした瞬間「やられた」と思いました。リーグ5連覇と日本シリーズ4連覇への道が消えたと思った瞬間でした。あれ以上に悔しさは今でもないです。しかし、その直前のダイエー戦で8点差を逆転されたことが本当に痛かったです。
あのときのブライアントは神がかりというか神ってましたね 4本目のホームランを打つたときには鳥肌がたちました
ブライアント4連発のうち、久信さんから打ったやつは打たれた本人が記憶に残る1球だと語った逸話があるくらいですからねぇ。そして落合さんは前々回のイチロー、ブーマー両氏にも匹敵するスゴイ人だってのを再認識しましたよ。
当時のパリーグは打倒西武で凄く面白かった。近鉄がブライアントの爆発で優勝したんですよね。翌年の高校受験の面接で尊敬する人は?と聞かれてブライアントです。って答えたら落ちました。
その面接官。センスがないな。
せっかく正直に答えたのになw
1989年10月12日は仕事終え急いで帰ってテレビつけると5対5でブライアントが3本目打つ少し前でした。今でもナベQが放心してたの覚えてる。
落合は3塁にランナーがいる時に内野ゴロでも点が取れるように、内野ゴロを打つ練習をしてたらしい
今でもうなだれるくらいブライアントはすごいバッターだったんですね。
ブライアントから逃げなかった 西武のピッチャー だったから 後々 黄金時代が作れたと思ってた
ブライアントが3連発を打って近鉄が優勝した試合は後世に語り継がれる試合でしたね生中継で見ていただけにめちゃくちゃ興奮していたのを覚えています
冷静沈着、シラケの伊藤がこんなに前のめりに話すことに驚いた😂🎉
ブライアントって大振りのイメージあるけど今見るとコンパクトなスイングですよね。フォローは大きいけど基本に忠実なスイング
王さんみたいですよね。前(投手側)に投げだす振り方 打者から見たらUの字になるという。週刊文春のインタビュー動画にもある。
89年のパリーグペナントレースは、本当に最高に面白かった‼️今は、CSがあるから、あの興奮を味わう事が出来ない…。(泣)この年は、伊東さんが怪我で出遅れたのが痛かったですね…。
拾う打ち方をさせなかった当時のコーチは凄いと思う。
黄金期唯一ライオンズが優勝を逃した平成元年。その要因はキャンプで伊東さんが怪我をされて、シーズン出遅れたことだったと記憶しています。それだけライオンズにとって伊東さんの存在は大きかった!
史上最高の西武VS近鉄の天王山ダブルヘッダーでしたね‼️ブライアンがこの日実は空振りが一回もなかったんですよ👌
近鉄ファンだったので、渡辺久信投手からブライアントが打ったホームランはよく覚えている。ほとんど打ててない渡辺投手のインハイのストレートを打ったのだから、やはりその日のブライアントは神がかっていたのだろう。ちなみに第2試合で4本目のホームランを打たれたあと伊東捕手が交代させられたのは知らなかったです。
西武球場のライトスタンドでブライアントのホームラン四連発を見ました。特に2本目、あまりのど迫力の弾道に西武球場がシーンと静まり返っていたのを覚えています。第二試合の最初のホームラン、ファーストの清原選手の背中がどんどん小さくなり「もうだめだ、こんな化け物には勝てない」と言ってるように見えました。
ダブルヘッダー合計で近鉄は西武から20点取ったけど、当時の西武のピッチャーのすごさを考えると、20点てのは常識で考えればありえない話だった。5点ですら難しかったからね。ブレーキの壊れたダンプカーだよあの近鉄は。
ブライアントの4発目で西武の心が完全に折れたって感じだったけど、伊東さんが代えられたからというのもあるな。
伊東さん、1989年のダブルヘッダーの話・・・第2試合の1打席目は敬遠、2打席目にホームラン打たれてます。
投手は、後に名投手コーチになる高山郁夫。
あの戦いが今のパリーグを支えている気がします。
うんうん、あれ以降、パ・リーグのイメージが劇的に変わっていった気はします!
後攻の後輩の前田智徳さんは現役時代、落合さんにアドバイスを求めていろいろ教えてもらっていたようなので、前田さん経由で教えてもらうといいかもしれません。
西武vs近鉄ダブルヘッダー。かつて伊東さんが他番組で1試合目の第一打席でブライアントをレフトフライに打ち取った場面を「普段なら空振りが取れるコースの球を当てられた。今日のブライアントはいつもと違うと感じた」と回顧していたのが忘れられません。打ち取った時に嫌な予感を感じる洞察力。やはり黄金期を支えた名捕手ですね。4打席連続の陰に隠れた伏線、名シーンをここでも解説してほしかった。
やっぱり伊東さんと落合さんで思い出すのは 、お互い監督時代の、日本シリーズでの、長時間抗議だな😅
落合のいたドラゴンズ、強力打線の近鉄が大好きだった。関東人だけど近鉄の帽子が好きでガキの頃よく被ってた。
当時はパ・リーグはほとんどTvではやってなかった。でもブライアントだけは知っていた、あのスゥイングの速さは今見ても凄いと思う
落合博満さんとコラボされてみては⁇
この動画作成者の方へ。この動画のサムネですでに衝撃的すぎて忘れられない打者の答えを出していますが、私はそれでいいと思います。もしサムネで答えを出さずにいたらこの動画を見た人は飛ばして答えだけ見て動画を終了してしまう人多数だと思います。むしろ答えを知っても中身を見たいという人が動画をじっくり見てくれると思います。これからも気持ちの良い編集を続けてください。そして何より伊東さん、貴重なお話ありがとうございました。
あの時はブライアント「ボールがソフトボールよりも大きく見えた」とか言われてましたね。ゾーンに入ってたんでしょう(;・∀・)オリ推しですが89年はオリックスが2位になりました。門田さんがブーマーで脱臼しなければ分からなかったですw
ブライアントに撃たれた映像見ると逆玉とかボールが甘く入ってた感じがしました。やはり、吸い込まれるオーラがあったんですかね…
あの球はブライアント氏に対する勝負球です。それまであそこに投げて、かすりもさせなかった。それがホームランですからあなたの言う通りオーラがあったんでしょうね。😅 😅
いや、テレビで見てた私でもあの日のブライアントは神がかったオーラありましたよ。テレビなのでプレイしてた伊東さんほどはオーラ感じませんでしたが。とにかく不思議でしたね。あの満塁での初球あの郭さんが真ん中高めにすーっと投げるというかそのコースに吸い込まれるというかそれで満塁ホームランになり次の打席渡辺さんの内角高めの豪速球をライトスタンド中段までもっていったんだから凄い。ブライアントいわくフォーク待ってたらしいがそれであのホームラン は凄い。次の打席の高山さんが投げた球は低めでホームランできるボールではないのに伊東さんが交代させられるなんて森さんのやつあたりですよね。
当時最強の郭、渡辺の2枚看板を打ち崩した、ブライアントのためのダブルヘッダーでしたね。
あの試合で 近鉄ファンにとって 神様仏様ブライアント様 になった日だった。
ブライアントはゲームで使ってた。最高だった。
ブライアントの4連発があった試合で、ハーマン・リベラが、死球に怒って、あわや、乱闘になりそうな場面がありました。
伊東さんの穏やかな語りに感動してます。常勝軍団にいた頃は凄みを感じてました。日本人も日本も上昇していた時のダブルヘッダー見てました❗
ブライアントって今みたいな科学的ウエイトトレーニングとかでなくナチュラルっぽい身体してたけど、パワーだけなら今の大谷より上の可能性もあるよね?
嫌な思い出かも知れませんが。。。92年日本シリーズヤクルト戦での杉浦亨選手の代打逆転劇満塁サヨナラホームランを打たれてしまいましたが、その時の心境・杉浦亨選手への攻略法とか覚えてらっしゃいますか?ユーチューブでその場面のがあるのですが、打たれる前に杉浦亨選手をチラっと見てるのですよね。どんな思いで見てらっしゃったのかお聞きしたいです。
え? ブライアントの 第2試合の第1打席は四球ですよ。だから4打席連続ではなく、4打数連続になってるはずです。
あの年郭泰源さんは対近鉄戦防御率1点ないくらいで理論的に近鉄は絶対に勝てない試合だったはずです。あの年新井さん以外の人が郭泰源からまともにヒット打った記憶ありません。満塁でブライアントを敬遠しなかった森監督の采配ミスです。
伊東さん、自分が中学生でライオンズのキャンプで春野に行った時、めっちゃ、睨まれて怖いイメージが抜けないけど、今は解説者で1番好きです。
清原氏も西武で一番怖かったのは伊東氏だったと話されてましたね。😅
10・19あの試合凄かったな、有藤監督が大人気なく😅
フォークを待って、渡辺久信投手の真っ直ぐを打った3本目。全てが規格外だった選手。
節目節目で、一軍のプロの投手が投げる球を打ち損じなくHRにするって技術もとんでもないのは結果があらわしてるけど、ブライアントの話もですが、研ぎ澄まされた集中力なのか、王さん落合さん大谷見れて良かった🎉
藤井寺球場でブライアントの場外ホームラン見た。150mは飛んでる。
あの時のブライアントを抑えられる投手はいなかったと思います。
1989年10.12のダブルヘッダー、リアルタイムで観てました。そして50年近く観たプロ野球の中でもそれは屈指のもの。第一試合4-0からソロで1点返し、5-1から満塁ホームランで同点に、そして渡辺久信氏から勝ち越しのソロで全6打点!特にナベQさんからのソロはフォークを予想していながら、インハイの快速球をライトスタンド上段に叩き込むんだから、まさに「アンビリーバブル」! あの神懸かかった打棒がなかったら、近鉄の優勝はなかった…。事実上たった一人で常勝西武を粉砕した「伝説」の活躍だったと思います。
ドラゴンズのヘッドコーチ時代、監督や球団に対して途中で呆れたものの途中で3年間ヘッドコーチをした理由を教えてほしいです。監督を支えるヘッドコーチならば野球観が合わない監督へもっと何かするべきだったのではと外野から見ていて思いますが、伊東さんのその時の考えを教えてほしいです。
キャッチャーで一番大事なのは配球や肩の強さなど言われるがノムさん曰く感じる力がないといけないと聞いた伊東勤や古田は感性があったその感覚が鋭い伊東勤がブライアントの責を負わされて途中交代とは…結果はどうであれ信頼して最後まで使って欲しかった使わないのならスターティングメンバーに入れなければいい事だったのに…やはり監督に感性が無かったのかとおもわさせる出来事…まあ、この天王山だけかも知れないけど…
と言うことは 結局 フォークを投げても打たれた可能性が高いんですかね!
いい話😅
0:59近鉄目線だと、第1試合で勝って
落合は技術が高かったのもあるが、打撃へのアプローチが並みの打者とは違い、ひとつの球種を待ち続ける胆力があった。多少コースが違っても技術があるから狙い球が来たら打ち返せる。
意図的にファール打って最終的に仕留める感じありましたね。
黒田捕手、大石捕手、伊東捕手、森コーチ西武がまだ上昇軍団でないとき
落合さん引退後の著作で、伊東さんの裏付けになるようなことを書かれてましたよ。試合前の調整練習では、グラウンドを左中右で3分割して、狙いながら打ってたとか。
ブライアントの本塁打はナゴヤ球場のバックスクリーンを超えていた😊ウエスタンリーグの試合だったけどね😂😂😂
いい話やね ⚾
中日の監督してくれ
0:49 じゅってんいちきゅうとか言い方するから永田裕志に見えてきたわ
昔はその読み方で統一されてたまであったんや
落合さんと対談して欲しいな
(ひょっとしたらもうすでに話していることを聞いてしまうかもしれませんが、その時はごめんなさい)あの日は郭泰源では押さえられず渡辺久信が出てきた。今ユーチューブがあるから何度でもあのシーンを見ることができるけど、伊東さんはアウトコースの低めでボールを要求していたと思う。けど、なべきゅうが真っすぐを投げて中に入りホームランを打たれた。あれはただの失投だったのでしょうか?
渡辺氏が投じた球は今までブライアント氏がバットにかすりもしなかったコースです。いわばブライアントを仕留める為の勝負球。(この前の試合の対決でも同じ球種で三振を取ってます。)バッテリーはこの球を確認しながら投げています。なので失投というものとは違います。因みにこのことは渡辺氏の著書「寛容力」にも記載されています。渡辺氏のどうこうではなく、伊東氏も動画で話されていましたが、この日は単純にブライアントが凄かった、ということですね。
伊東さん外されたんだよな
夜中に裸で素振りしていたと。
せっかくの落合の話なのに、伊東じゃなくても喋れる内容で草
マジメにチャンス大城かと😅
伊藤さんが替えられた。信じられん!
近鉄って金村のせいでメチャクチャなイメージあるけど、強かったよな。
何で、松本ヤギアナ?
マンガやん!
ブーマーも!
小学生のころ西武球場でブライアントのホームランボールが直撃して医務室に運ばれたのほ忘れません。バックネット裏にあって普段入れない場所に入れたから嬉しかったなあ!笑
ボール⚾もらえましたか😂
貴重な体験してるなあ😆
一体どこに直撃⁉️箇所によっては大事故モン。
自分はファールボールが股間に当たる寸前でしたw
私もテリーのエンタイトルツーベースがおでこに当たり、医務室に運ばれました😂
平成元年のブライアントはほんと神がかってました。
敬遠してもリベラ、鈴木、金村、村上・・・
まさに最強のいてまえ打線だったと思います。
しかも大石・新井の1・2番・・・ほんと懐かしいです
あの89年のダブルヘッダー!4連発。あの日学校を早退し小遣いで外野席買い駆けつけた。ライト後方立ち見。永年野球見てきましたが心に刻まれる試合だった。89年西武V逸さなければ結果10連覇だった。結果論ですが黄金時代西武の野球そつのないバランスのとれた勝つ野球素晴らしかったがその年の近鉄ヘッドの中西太さんを筆頭に野球て楽しいんだなあと教えられました。勝つ野球も素晴らしいが野球て楽しい89年近鉄ありがとう。
バースブライアントは別格
伊東氏「あの時のブライアントには後光がさしていた」
俺は信じるよw
超サイヤ人懸かっていた。
中日から来たブライアントを中西太さんの徹底的に指導していましたからね。あの日のブライアントは郭投手、渡辺久投手に対して振り負けていたからバットを短く持って対応していたと本人が話をしていました。懐かしい気持ちになりました。伊東勤さんありがとうございます。
10.12の渡辺GMからブライアントが打ったシーンはテレビで見ていました。伊東さんがアウトハイに構えていたのが中に動かした瞬間「やられた」と思いました。リーグ5連覇と日本シリーズ4連覇への道が消えたと思った瞬間でした。
あれ以上に悔しさは今でもないです。
しかし、その直前のダイエー戦で8点差を逆転されたことが本当に痛かったです。
あのときのブライアントは神がかりというか神ってましたね 4本目のホームランを打つたときには鳥肌がたちました
ブライアント4連発のうち、久信さんから打ったやつは打たれた本人が記憶に残る1球だと語った逸話があるくらいですからねぇ。
そして落合さんは前々回のイチロー、ブーマー両氏にも匹敵するスゴイ人だってのを再認識しましたよ。
当時のパリーグは打倒西武で凄く面白かった。近鉄がブライアントの爆発で優勝したんですよね。翌年の高校受験の面接で尊敬する人は?と聞かれてブライアントです。って答えたら落ちました。
その面接官。センスがないな。
せっかく正直に答えたのになw
1989年10月12日は仕事終え急いで帰ってテレビつけると5対5でブライアントが3本目打つ少し前でした。今でもナベQが放心してたの覚えてる。
落合は3塁にランナーがいる時に内野ゴロでも点が取れるように、内野ゴロを打つ練習をしてたらしい
今でもうなだれるくらいブライアントはすごいバッターだったんですね。
ブライアントから逃げなかった 西武のピッチャー だったから 後々 黄金時代が作れたと思ってた
ブライアントが3連発を打って近鉄が優勝した試合は
後世に語り継がれる試合でしたね
生中継で見ていただけに
めちゃくちゃ興奮していたのを覚えています
冷静沈着、シラケの伊藤がこんなに前のめりに話すことに驚いた😂🎉
ブライアントって大振りのイメージあるけど今見るとコンパクトなスイングですよね。フォローは大きいけど
基本に忠実なスイング
王さんみたいですよね。前(投手側)に投げだす振り方 打者から見たらUの字になるという。週刊文春のインタビュー動画にもある。
89年のパリーグペナントレースは、本当に最高に面白かった‼️
今は、CSがあるから、あの興奮を味わう事が出来ない…。(泣)
この年は、伊東さんが怪我で出遅れたのが痛かったですね…。
拾う打ち方をさせなかった当時のコーチは凄いと思う。
黄金期唯一ライオンズが優勝を逃した平成元年。その要因はキャンプで伊東さんが怪我をされて、シーズン出遅れたことだったと記憶しています。
それだけライオンズにとって伊東さんの存在は大きかった!
史上最高の西武VS近鉄の天王山ダブルヘッダーでしたね‼️ブライアンがこの日実は空振りが一回もなかったんですよ👌
近鉄ファンだったので、渡辺久信投手からブライアントが打ったホームランはよく覚えている。ほとんど打ててない渡辺投手のインハイのストレートを打ったのだから、やはりその日のブライアントは神がかっていたのだろう。
ちなみに第2試合で4本目のホームランを打たれたあと伊東捕手が交代させられたのは知らなかったです。
西武球場のライトスタンドでブライアントのホームラン四連発を見ました。特に2本目、あまりのど迫力の弾道に西武球場がシーンと静まり返っていたのを覚えています。
第二試合の最初のホームラン、ファーストの清原選手の背中がどんどん小さくなり「もうだめだ、こんな化け物には勝てない」と言ってるように見えました。
ダブルヘッダー合計で近鉄は西武から20点取ったけど、当時の西武のピッチャーのすごさを考えると、20点てのは常識で考えればありえない話だった。5点ですら難しかったからね。ブレーキの壊れたダンプカーだよあの近鉄は。
ブライアントの4発目で西武の心が完全に折れたって感じだったけど、伊東さんが代えられたからというのもあるな。
伊東さん、1989年のダブルヘッダーの話・・・第2試合の1打席目は敬遠、2打席目にホームラン打たれてます。
投手は、後に名投手コーチになる高山郁夫。
あの戦いが今のパリーグを支えている気がします。
うんうん、あれ以降、パ・リーグのイメージが劇的に変わっていった気はします!
後攻の後輩の前田智徳さんは現役時代、落合さんにアドバイスを求めていろいろ教えてもらっていたようなので、前田さん経由で教えてもらうといいかもしれません。
西武vs近鉄ダブルヘッダー。
かつて伊東さんが他番組で1試合目の第一打席でブライアントをレフトフライに打ち取った場面を「普段なら空振りが取れるコースの球を当てられた。今日のブライアントはいつもと違うと感じた」と回顧していたのが忘れられません。打ち取った時に嫌な予感を感じる洞察力。やはり黄金期を支えた名捕手ですね。4打席連続の陰に隠れた伏線、名シーンをここでも解説してほしかった。
やっぱり伊東さんと落合さんで思い出すのは 、お互い監督時代の、日本シリーズでの、長時間抗議だな😅
落合のいたドラゴンズ、強力打線の近鉄が大好きだった。関東人だけど近鉄の帽子が好きでガキの頃よく被ってた。
当時はパ・リーグはほとんどTvではやってなかった。でもブライアントだけは知っていた、あのスゥイングの速さは今見ても凄いと思う
落合博満さんとコラボされてみては⁇
この動画作成者の方へ。
この動画のサムネですでに衝撃的すぎて忘れられない打者の答えを出していますが、私はそれでいいと思います。もしサムネで答えを出さずにいたらこの動画を見た人は飛ばして答えだけ見て動画を終了してしまう人多数だと思います。むしろ答えを知っても中身を見たいという人が動画をじっくり見てくれると思います。
これからも気持ちの良い編集を続けてください。そして何より伊東さん、貴重なお話ありがとうございました。
あの時は
ブライアント「ボールがソフトボールよりも大きく見えた」とか
言われてましたね。
ゾーンに入ってたんでしょう(;・∀・)
オリ推しですが
89年はオリックスが2位になりました。
門田さんがブーマーで脱臼しなければ
分からなかったですw
ブライアントに撃たれた映像見ると逆玉とかボールが甘く入ってた感じがしました。
やはり、吸い込まれるオーラがあったんですかね…
あの球はブライアント氏に対する勝負球です。それまであそこに投げて、かすりもさせなかった。それがホームランですからあなたの言う通りオーラがあったんでしょうね。😅 😅
いや、テレビで見てた私でもあの日のブライアントは神がかったオーラありましたよ。テレビなのでプレイしてた伊東さんほどはオーラ感じませんでしたが。とにかく不思議でしたね。あの満塁での初球あの郭さんが真ん中高めにすーっと投げるというかそのコースに吸い込まれるというかそれで満塁ホームランになり次の打席渡辺さんの内角高めの豪速球をライトスタンド中段までもっていったんだから凄い。ブライアントいわくフォーク待ってたらしいがそれであのホームラン は凄い。次の打席の高山さんが投げた球は低めでホームランできるボールではないのに伊東さんが交代させられるなんて森さんのやつあたりですよね。
当時最強の郭、渡辺の2枚看板を打ち崩した、ブライアントのためのダブルヘッダーでしたね。
あの試合で 近鉄ファンにとって 神様仏様ブライアント様 になった日だった。
ブライアントはゲームで使ってた。最高だった。
ブライアントの4連発があった試合で、ハーマン・リベラが、死球に怒って、あわや、乱闘になりそうな場面がありました。
伊東さんの穏やかな語りに感動してます。常勝軍団にいた頃は凄みを感じてました。日本人も日本も上昇していた時のダブルヘッダー見てました❗
ブライアントって今みたいな科学的ウエイトトレーニングとかでなくナチュラルっぽい身体してたけど、パワーだけなら今の大谷より上の可能性もあるよね?
嫌な思い出かも知れませんが。。。
92年日本シリーズヤクルト戦での杉浦亨選手の代打逆転劇満塁サヨナラホームランを打たれてしまいましたが、
その時の心境・杉浦亨選手への攻略法とか覚えてらっしゃいますか?
ユーチューブでその場面のがあるのですが、打たれる前に杉浦亨選手をチラっと見てるのですよね。
どんな思いで見てらっしゃったのかお聞きしたいです。
え? ブライアントの 第2試合の第1打席は四球ですよ。だから4打席連続ではなく、4打数連続になってるはずです。
あの年郭泰源さんは対近鉄戦防御率1点ないくらいで理論的に近鉄は絶対に勝てない試合だったはずです。あの年新井さん以外の人が郭泰源からまともにヒット打った記憶ありません。満塁でブライアントを敬遠しなかった森監督の采配ミスです。
伊東さん、自分が中学生でライオンズのキャンプで春野に行った時、めっちゃ、睨まれて怖いイメージが抜けないけど、今は解説者で1番好きです。
清原氏も西武で一番怖かったのは伊東氏だったと話されてましたね。😅
10・19あの試合凄かったな、有藤監督が大人気なく😅
フォークを待って、渡辺久信投手の真っ直ぐを打った3本目。全てが規格外だった選手。
節目節目で、一軍のプロの投手が投げる球を
打ち損じなくHRにするって
技術もとんでもないのは結果があらわしてるけど、
ブライアントの話もですが、研ぎ澄まされた集中力なのか、
王さん
落合さん
大谷
見れて良かった🎉
藤井寺球場でブライアントの場外ホームラン見た。
150mは飛んでる。
あの時のブライアントを抑えられる投手はいなかったと思います。
1989年10.12のダブルヘッダー、リアルタイムで観てました。そして50年近く観たプロ野球の中でもそれは屈指のもの。第一試合4-0からソロで1点返し、5-1から満塁ホームランで同点に、そして渡辺久信氏から勝ち越しのソロで全6打点!特にナベQさんからのソロはフォークを予想していながら、インハイの快速球をライトスタンド上段に叩き込むんだから、まさに「アンビリーバブル」! あの神懸かかった打棒がなかったら、近鉄の優勝はなかった…。事実上たった一人で常勝西武を粉砕した「伝説」の活躍だったと思います。
ドラゴンズのヘッドコーチ時代、監督や球団に対して途中で呆れたものの途中で3年間ヘッドコーチをした理由を教えてほしいです。
監督を支えるヘッドコーチならば野球観が合わない監督へもっと何かするべきだったのではと外野から見ていて思いますが、
伊東さんのその時の考えを教えてほしいです。
キャッチャーで一番大事なのは配球や肩の強さなど言われるがノムさん曰く感じる力がないといけないと聞いた
伊東勤や古田は感性があった
その感覚が鋭い伊東勤が
ブライアントの責を負わされて途中交代とは…
結果はどうであれ信頼して最後まで使って欲しかった
使わないのならスターティングメンバーに入れなければいい事だったのに…
やはり監督に感性が無かったのかとおもわさせる出来事…
まあ、この天王山だけかも知れないけど…
と言うことは 結局 フォークを投げても打たれた可能性が高いんですかね!
いい話😅
0:59
近鉄目線だと、第1試合で勝って
落合は技術が高かったのもあるが、打撃へのアプローチが並みの打者とは違い、ひとつの球種を待ち続ける胆力があった。
多少コースが違っても技術があるから狙い球が来たら打ち返せる。
意図的にファール打って最終的に仕留める感じありましたね。
黒田捕手、大石捕手、伊東捕手、森コーチ
西武がまだ上昇軍団でないとき
落合さん
引退後の著作で、伊東さんの裏付けになるようなことを書かれてましたよ。
試合前の調整練習では、グラウンドを左中右で3分割して、狙いながら打ってたとか。
ブライアントの本塁打はナゴヤ球場のバックスクリーンを超えていた😊ウエスタンリーグの試合だったけどね😂😂😂
いい話やね ⚾
中日の監督してくれ
0:49 じゅってんいちきゅうとか言い方するから永田裕志に見えてきたわ
昔はその読み方で統一されてたまであったんや
落合さんと対談して欲しいな
(ひょっとしたらもうすでに話していることを聞いてしまうかもしれませんが、その時はごめんなさい)あの日は郭泰源では押さえられず渡辺久信が出てきた。今ユーチューブがあるから何度でもあのシーンを見ることができるけど、伊東さんはアウトコースの低めでボールを要求していたと思う。けど、なべきゅうが真っすぐを投げて中に入りホームランを打たれた。あれはただの失投だったのでしょうか?
渡辺氏が投じた球は今までブライアント氏がバットにかすりもしなかったコースです。いわばブライアントを仕留める為の勝負球。(この前の試合の対決でも同じ球種で三振を取ってます。)バッテリーはこの球を確認しながら投げています。なので失投というものとは違います。因みにこのことは渡辺氏の著書「寛容力」にも記載されています。渡辺氏のどうこうではなく、伊東氏も動画で話されていましたが、この日は単純にブライアントが凄かった、ということですね。
伊東さん外されたんだよな
夜中に裸で素振りしていたと。
せっかくの落合の話なのに、伊東じゃなくても喋れる内容で草
マジメにチャンス大城かと😅
伊藤さんが替えられた。信じられん!
近鉄って金村のせいでメチャクチャなイメージあるけど、強かったよな。
何で、松本ヤギアナ?
マンガやん!
ブーマーも!