シベリア抑留 歌声に救われた戦友たち1
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- Опубліковано 7 вер 2024
- シベリア強制抑留者の証言「歌声に救われた戦友たち」~ある国民的歌手の軌跡を訪ねて~
戦後に行われたソ連による日本人シベリア強制抑留。
シベリア抑留経験者である三波春夫氏が、
かつて自分が抑留された地を再び訪れたときの貴重映像。
このシベリア抑留では、厳寒の環境下で満足な食事や休養も与えられず、
過酷な強制労働に従事させられたことにより数多くの抑留者の命が失われた。
(日本人の他、ドイツ軍捕虜、枢軸国であったハンガリー、ルーマニア、ブル ガリア、フィンランド、イタリア、少数ながらスペイン、バルト三国)
このソ連の行いは「武装解除した日本兵の家庭への復帰」を保証したポツダム宣言に背いた違法行為であった。
当時、ソ連と親しい関係にあった社会党国会議員視察団による収容所の視察が行われているが、視察は当然ソ連側が準備したもので「ソ連は抑留者を人道的に扱っている」という共産主義国家の正当性を宣伝するためのプロパガンダに利用された。
社会党視察団は、過酷な状況で労働を強いられている日本人抑留者が必死の思いで託した手紙を握りつぶし、帰国後「とても良い環境で労働しており、食料も行き渡っている」と国会で嘘の説明を行っている。
1993年に来日したロシアのエリツィン大統領は、「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と謝意を表明した。
私の祖父はシベリア抑留者です
幸いにも今も元気に生活しています、祖父は18歳で志願し飛行機の整備をしていました
捕虜収容所から帰国された抑留者の方は2割にも満たない程のごく少数の方だったと聞いています
下にコメントされている方と同様に私の祖父も凍傷で指が一本ありません、子供の頃に収容所生活の色んな話を聞き涙した思い出がありますが、今も思い返すとよく生きて帰ってこれたなと不思議なくらいです
そんな抑留者の方も高齢になり日に日に人数は少なくなってます、祖父は絵画や挿絵を職業としてましたので経験を絵に残して欲しいと言った事があるのですが、言葉で伝えるのは良いがその当時の記憶を画面にする事はできないと言ってました
本当に極限の経験をしたのだと思い、それいらい祖父にシベリアの話は聞けませんでした
この番組を見て録画した覚えが有ります。
日本に帰れなかった方々の無念を思うと切なすぎる。
三波春夫さんの映像も貴重ですね。
私の親戚にもシベリアに3年間抑留されていた人がいます。
父から聞いた話では、「一兵卒だったために戦犯になることなく帰って来られたが、沢山の戦友を亡くした。」とよく言っていたそうです。
後半に紹介されているイラストの作者の斎藤邦雄さんの著作『陸軍歩兵よもやま物語』を読んだことがあります。その本のあとがきで、『生きて帰って文句があるか!帰れなかった人のことを考えてみろ』と、軍隊生活の不平不満について自戒する記述があります。
この事が、当時の体験をした人の倫理観なのだと推察します。
『声を大にして言った者勝ち』というのは大多数の日本人の受け入れられない価値観だと思います。が、『太平洋戦争中の日本軍人を相手にした売笑婦問題』なんぞは相手にする方がおかしい。
『国家として行った行為』については国家が責任を取るべきでありますが、そうでないならばスルーが賢明。
旧ソ連相手の交渉はタフだと思いますが、国会議員のセンセイに頑張って欲しいものですね。
政府は何故損害賠償をロシア政府に起こさないのか?
パッとサイベリアーパッとサイベリアー
だいすきなまちだ~から~はなれられ~ない