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三重どころじゃないかもだぜ他にも色々混ざってるとおもう
仰る通りネアンデルタール人やデニソワ人との交流が示唆されていますね!
稲作が大陸から伝わったというのは違うでしょ。
稲は南方の植物だからね。
日本は土壌が酸性なので、埋もれた骨が溶けてしまうと聞いたことがあります。ここまで綺麗に残ってれば、かなりの情報が得られそうで期待大ですね。
今後の研究に期待したいですね!
二重とか三重とかで分けられないんじゃないでしょうかねぇ。縄文も14000年ほど続いていたといわれてますから、少しずつ色々と混ざりあっていたんじゃないでしょうかね。
旧石器時代から、縄文時代に移行した頃までは、日本列島に渡ってきた人々ばかりだったと考えられる。ところが、縄文時代中期以降に、日本列島にから出ていった集団があったと思われる事象も起きている。縄文時代から、半島や大陸との交流によって、大陸へ移住した縄文人もいたとも考えられるのです。縄文時代から古墳時代にかけて、日本列島に渡ってきた集団がたくさんあったと考えられるのです。ただ、その集団が現在の中韓にいる集団と違う集団が日本に存在しているのです。
争いが得意なグループと苦手なグループがいて苦手なグループが隅に追いやられ、それが日本、中国の山奥の少数民族、チベット、キルギスなどへ散り散りに移動したとか可能性はないですかね。まぁないか
九州は南と北で違いがあるんでないかな。古墳人が北で縄文人が南。古墳人の影響が強い北部九州人は3世紀末に関西を征服した。弥生時代の関西には銅鐸が出土していたが、征服された後は出土しなくなりました。当然の事ながら日本書紀や古事記には銅鐸の記述はありません。
大変興味深いご意見です!実際に九州北部と南部では縄文の祖先比率に違いがあるようで、そこから古墳人の流入や広がりがより詳細にわかってきているようですね。
面白かったです!
ありがとうございます!
弥生人が稲作を持って来たって言ってる時点で、この動画が胡散臭いってのが察せられる。あ~残念。勿体無い(´;ω;`)
遺伝子を調べた日本人は、本当に日本人なのかが怪しい。名前を日本人ぽくしてる朝鮮系の人とかたくさんいそうだが、その点はきっちり調べてから遺伝子の調査対象にしてるのかってこと。
研究で使用されている全ゲノムシーケンス(WGS)は、医療機関にてご協力いただける患者様から生体試料を採取するという方法でバイオバンク・ジャパンにより作成されています。研究者に個人情報や氏名が公開されるわけではないのですが、採取をする前に医療機関に提供された情報から精査を行っているのではないかと考えております!
古墳人ってマナの壺を携えたユダヤ人だったのかな?
数万年前の打製石器を使っていた、言わば日本の原種についての研究も知りたいです。
鋭意調査中ですので今しばらくお待ちください!
古墳時代に日本人のDNAの配合バランスを大きく変えるだけの大陸人の渡来があったということですが、古墳時代といっても400年ぐらいありますし、果たしてどのタイミングだったんでしょうね。文献的には百済滅亡時に数千人の亡命者があったようですが、時期的にちょっと遅い感じですし、人数的にも少数です。応神天皇(4世紀後半〜5世紀初頭か?)の御代にも弓月君が百二十県(万を超える人数とか)の民を率いて渡来したとありますが、これとて人口比を変えるほどとは思えません。このあたりはホンマ謎ですね。
三重構造の出自をシンボライズしたものが「三種の神器」であって玉石と青銅、剣。三つが等しく宝とされている。十種の神宝はさらに詳細に民族の連合を表現したものと思われる。古代からの日本の統治機構は侮れない。
古墳人と分類される系統は、ぶっちゃけ渡来人で、古墳時代以降に、日本統治に大きな影響を与えた種族になるはず。つまり皇族とその派生(源氏などが源流にある武家や、藤原氏など貴族)は、他の一般的日本人より、古墳人のDNAを色濃く残してるかもしれませんね。でも奈良時代以降1000年以上の年月で、日本にもともと定住してた縄文人由来の各地の豪族とも混ざり合って、まったく差異がなくなっているのかもしれませんが
確かに渡来人(弥生人)と古墳人の差異は「どこから来たか」より「いつ日本に入ってきたか」という点にあるように思います。そのあたりの比率の変遷がわかれば、より一層日本と周辺国との交流の実態や日本への流入時期と規模が明確になりそうですね!今後も注目していきたい研究分野です。
私は、愛と調和で生きてきたのですね。海洋民族、ラピュタかぁ。そうして、生きてきたのですね。世界平和の鍵を若者が今生きてる和多志たちです。世界平和の鍵。みんな生きているだけで素晴らしい。ここに日本の技術力を。素晴らしい未来を期待します。素晴らしい内容でしたので登録といいね👍しました
大陸の戦乱を逃れやってきた弥生人それを追う様にやって来たのが古墳人かな
無理だけど、一番最初に知能を持った人間が、いつ何人だったのか知りた~い😄
どこを持って知能を持つとするか定義しないとね
ムー大陸と アトランティス大陸。約1万2千年前。それぞれのアダムとイブから増えて、ムー大陸からは5色人発生。その内の黄色人が縄文人の祖先。知恵があり、500人ほどの集落(山内丸山遺跡)。因みにネアンデルタール人とホモサピエンスは交配しても、子が産まれない別種。
古墳人とは亡命百済人のことだろう、何故古墳人なんて意味のぼやけた言葉を使う?
あまり全てを明らかにしない方がいいな、つまんなくなるから😅
まだまだわからないことだらけですので古代史は面白いですよ^^
三重どころじゃないかもだぜ
他にも色々混ざってるとおもう
仰る通りネアンデルタール人やデニソワ人との交流が示唆されていますね!
稲作が大陸から伝わったというのは違うでしょ。
稲は南方の植物だからね。
日本は土壌が酸性なので、埋もれた骨が溶けてしまうと聞いたことがあります。
ここまで綺麗に残ってれば、かなりの情報が得られそうで期待大ですね。
今後の研究に期待したいですね!
二重とか三重とかで分けられないんじゃないでしょうかねぇ。縄文も14000年ほど続いていたといわれてますから、少しずつ色々と混ざりあっていたんじゃないでしょうかね。
旧石器時代から、縄文時代に移行した頃までは、日本列島に渡ってきた人々ばかりだったと考えられる。ところが、縄文時代中期以降に、日本列島にから出ていった集団があったと思われる事象も起きている。縄文時代から、半島や大陸との交流によって、大陸へ移住した縄文人もいたとも考えられるのです。縄文時代から古墳時代にかけて、日本列島に渡ってきた集団がたくさんあったと考えられるのです。ただ、その集団が現在の中韓にいる集団と違う集団が日本に存在しているのです。
争いが得意なグループと苦手なグループがいて苦手なグループが隅に追いやられ、それが日本、中国の山奥の少数民族、チベット、キルギスなどへ散り散りに移動したとか可能性はないですかね。まぁないか
九州は南と北で違いがあるんでないかな。古墳人が北で縄文人が南。古墳人の影響が強い北部九州人は3世紀末に関西を征服した。
弥生時代の関西には銅鐸が出土していたが、征服された後は出土しなくなりました。当然の事ながら日本書紀や古事記には銅鐸の記述はありません。
大変興味深いご意見です!実際に九州北部と南部では縄文の祖先比率に違いがあるようで、そこから古墳人の流入や広がりがより詳細にわかってきているようですね。
面白かったです!
ありがとうございます!
弥生人が稲作を持って来たって言ってる時点で、この動画が胡散臭いってのが察せられる。あ~残念。勿体無い(´;ω;`)
遺伝子を調べた日本人は、本当に日本人なのかが怪しい。名前を日本人ぽくしてる朝鮮系の人とかたくさんいそうだが、その点はきっちり調べてから遺伝子の調査対象にしてるのかってこと。
研究で使用されている全ゲノムシーケンス(WGS)は、医療機関にてご協力いただける患者様から生体試料を採取するという方法でバイオバンク・ジャパンにより作成されています。研究者に個人情報や氏名が公開されるわけではないのですが、採取をする前に医療機関に提供された情報から精査を行っているのではないかと考えております!
古墳人ってマナの壺を携えたユダヤ人だったのかな?
数万年前の打製石器を使っていた、言わば日本の原種についての研究も知りたいです。
鋭意調査中ですので今しばらくお待ちください!
古墳時代に日本人のDNAの配合バランスを大きく変えるだけの大陸人の渡来があったということですが、古墳時代といっても400年ぐらいありますし、果たしてどのタイミングだったんでしょうね。文献的には百済滅亡時に数千人の亡命者があったようですが、時期的にちょっと遅い感じですし、人数的にも少数です。応神天皇(4世紀後半〜5世紀初頭か?)の御代にも弓月君が百二十県(万を超える人数とか)の民を率いて渡来したとありますが、これとて人口比を変えるほどとは思えません。このあたりはホンマ謎ですね。
三重構造の出自をシンボライズしたものが「三種の神器」であって玉石と青銅、剣。三つが等しく宝とされている。
十種の神宝はさらに詳細に民族の連合を表現したものと思われる。
古代からの日本の統治機構は侮れない。
古墳人と分類される系統は、ぶっちゃけ渡来人で、古墳時代以降に、日本統治に大きな影響を与えた種族になるはず。つまり皇族とその派生(源氏などが源流にある武家や、藤原氏など貴族)は、他の一般的日本人より、古墳人のDNAを色濃く残してるかもしれませんね。でも奈良時代以降1000年以上の年月で、日本にもともと定住してた縄文人由来の各地の豪族とも混ざり合って、まったく差異がなくなっているのかもしれませんが
確かに渡来人(弥生人)と古墳人の差異は「どこから来たか」より「いつ日本に入ってきたか」という点にあるように思います。そのあたりの比率の変遷がわかれば、より一層日本と周辺国との交流の実態や日本への流入時期と規模が明確になりそうですね!今後も注目していきたい研究分野です。
私は、愛と調和で生きてきたのですね。海洋民族、ラピュタかぁ。そうして、生きてきたのですね。世界平和の鍵を若者が今生きてる和多志たちです。世界平和の鍵。みんな生きているだけで素晴らしい。ここに日本の技術力を。素晴らしい未来を期待します。素晴らしい内容でしたので登録といいね👍しました
大陸の戦乱を逃れやってきた弥生人
それを追う様にやって来たのが古墳人かな
無理だけど、
一番最初に知能を持った人間が、
いつ何人だったのか知りた~い😄
どこを持って知能を持つとするか定義しないとね
ムー大陸と アトランティス大陸。
約1万2千年前。
それぞれのアダムとイブから増えて、ムー大陸からは5色人発生。
その内の黄色人が縄文人の祖先。
知恵があり、500人ほどの集落(山内丸山遺跡)。
因みにネアンデルタール人とホモサピエンスは交配しても、子が産まれない別種。
古墳人とは亡命百済人のことだろう、何故古墳人なんて意味のぼやけた言葉を使う?
あまり全てを明らかにしない方がいいな、つまんなくなるから😅
まだまだわからないことだらけですので古代史は面白いですよ^^