オフコースの解散理由がヤバい!小田和正とメンバーの確執...鈴木康博の脱退の真相...メンバーの現在に驚愕!【OFF COURSE】

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  • Опубліковано 7 вер 2024
  • 【音ON街】をご視聴いただきありがとうございます♪
    日本の音楽界の裏側を紹介します!
    今回は、オフコースについて♪
    ================
    1967年から1989年2月26日まで活動した日本のバンド。1970年デビュー。
    「さよなら」や「Yes-No」などのヒットソングで知られ、
    1982年には日本武道館において連続10日間のコンサートを成功させた。
    小田和正(おだ かずまさ、1947年9月20日(76歳) - ) ボーカル・キーボード・ギター
    リーダーで結成から解散まで唯一在籍。神奈川県横浜市金沢区出身。
    東北大学工学部卒業。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。
    清水仁(しみず ひとし、1950年11月25日(72歳) - ) ベース・コーラス・ペダルシンセサイザー
    1979年8月1日加入。大阪府大阪市西成区出身。
    尊敬する人は自分というマイペースな人柄。
    ライブでもコーラスをこなす。
    「ザ・バッド・ボーイズ」を経て、1976年10月よりオフコースに参加。
    鈴木と並ぶ長身が特徴。
    大間ジロー(おおま じろー、1954年5月14日(69歳) - ) ドラムス
    1979年8月1日加入。本名:大間仁世(おおま ひとせ)。
    秋田県鹿角郡小坂町出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。
    高校時代に松尾と出会い音楽活動を共にする。
    松尾一彦と共に活動していた4人組ロックバンド「ザ・ジャネット」を経て、
    1976年5月よりオフコースに参加。
    松尾一彦(まつお かずひこ、1954年8月7日(69歳) - ) ・ギター・ハーモニカ・コーラス・キーボード
    1979年8月1日加入。秋田県山本郡八森町(現:八峰町)出身。
    秋田県立能代高等学校卒業。
    幼い頃から音楽に目覚め、5歳で作曲したという。
    オフコース在籍時から他のアーティストに曲を提供している。
    「ザ・ジャネット」を経て、1976年10月よりオフコースに参加。
    地主道夫(じぬし みちお) ギター
    聖光学院、東北大学工学部、早稲田大学理工学部卒業。
    1971年2月頃脱退後、竹中工務店に入社。
    『日刊ゲンダイ』(平成6年6月16日号)で「超売れっ子設計家」として
    取り上げられた。後に設計事務所を営む。
    須藤尊史(すどう たかふみ) ドラムス
    結成時のメンバー。1965年脱退。
    高校3年時の聖光祭に小田・鈴木・地主とともにステージに立つ。
    卒業後横浜市立大学に進学。
    昭和シェル石油勤めのかたわらヨットマンとしても有名になる。
    小林和行(こばやし かずゆき)ベース
    1970年10月頃加入、1972年5月19日脱退。
    小田・鈴木の聖光学院時代の後輩。
    加入当時、早稲田大学学生でその後、小田らの勧めで学業に戻る。
    吉田浩二(よしだ こうじ) コーラス
    1972年5月13日加入、同年5月19日脱退。
    当時のオフコースのマネージャーで、第1回東京音楽祭出演のため助っ人として加入。
    鈴木康博(すずき やすひろ、1948年2月18日(75歳) - ) ボーカル・ギター
    結成時のメンバー。
    1983年8月31日脱退。静岡県田方郡修善寺町(現:伊豆市)出身。
    東京工業大学工学部卒業。
    小田とは対照的な男らしい詞を書く。
    編曲にも大きな力を発揮してきた職人的存在。

КОМЕНТАРІ • 28

  • @rz1257
    @rz1257 9 місяців тому +22

    出身校は聖光学院ですよ!
    もうめちゃくちゃの動画💦

  • @user-qc1fw7gd2c
    @user-qc1fw7gd2c 9 місяців тому +29

    鈴木康弘じゃなくて、鈴木康博ですよ!

    • @user-el6gn4sf5g
      @user-el6gn4sf5g 8 місяців тому +4

      どこぞのネット記事じゃねんだからヤスさんの康博くらいはちゃんと確認してほしいものだ!これだけでも薄っぺらいモンだというのがわかるな。還暦間近のオッサンはとりあず!色々あるけど小田さんやっさんとのセッションは一度だけでいいからやってほしいな・・。ってのが切な「私の願い」であります。

    • @user-sf6bz3in4j
      @user-sf6bz3in4j 4 дні тому

      よくある、間違いです。
      多分、ファンじゃ無いのでしょう。

  • @user-qo7mn9hx9y
    @user-qo7mn9hx9y 9 місяців тому +19

    町の和彦?ってだれ?
    名前の間違えが多すぎです。
    オフコースのメンバーに対して失礼すぎます!

  • @user-ej3js7gh5f
    @user-ej3js7gh5f 6 місяців тому +7

    鈴木さん、小田さん、これからも 〃仲良し復活!!✨〃 いい関係であってください🙏🙇☝️🎈

  • @user-sy1tb7zj5j
    @user-sy1tb7zj5j 7 місяців тому +7

    先に書いたけど長くなってきたので改めて。
    小田さんてどっか訝しい感じが付きまとう人なんですよね。4人になったオフコースが結局しかし解散になる。そのときにかなり感情的な摩擦があったって小田さん自身が喋ってる。なんでそういうことばっかり起こるのか彼の周りでは。で、結局は4人のオフコースは分解。
    以前「クリスマスの約束」にくるりというバンドが来て何気にステージで喋ってるシーンがあった。「小田さんてイメージと違う。得体が知れない顔があると分かって」云々。どういうことが言いたいのかすぐには分からない。しかし小田さんのオフコース時代からの歴史や話ぶりや辿って、なんとなく言いたいことが分かるのもたしかなんですね。
    みょうにシビアでさ彼は。長い間オフコース時代に売れそうで売れなくてCMソングで生計立てたり。苦労人で、そういう業界人特有なシビアさがあるような気がする。それは音楽で夢を追うってこととどっか背反するときもあるんじゃないか。オフコース時代に事務所が提案した「小田中心オフコース」の話がきたとき、撥ねつけずに受け入れる。で悪く言えば自分の天下になるんで。そうなったとき、それまで対等にやってきた鈴木はどうなるのか。考えないことは有り得ない。分かって受け入れた。そうでしょう。なんでそんなことができるのか。亀裂が起こるのは分かり切ってる。なのに、ね。
    そういう穿った見方をされるのは嫌か知らないけど原因を作ったのはご自分なんです。実は。

    • @user-wi8xx1qn5s
      @user-wi8xx1qn5s 7 місяців тому +2

      私ももう一言、聞いて下さい。
      主さんの言われる事は、4人として活動して正式に解散になる過程で噴出したのかな?仁さん辺りが言葉にできないわけがない なんて妄想しました。
      また、楽曲制作の過程で4人になって
      『俺たち3人で鈴木さんの代わりを務められなかったから』解散になったと松尾さんは述べてますが、4人で制作していく過程で編曲力の力のなさをそう表現したんだと思います。(小田さん含めて)
      5人から1人抜けてもやれると、82年?彼らは思っていたんですね。音楽的にはそれが鈴木さんの脱退につながったとこれも妄想しています。
      相棒 互いに今も学生の頃はそう思っていたであろうに それはこちらの感傷です
       820630 のコンサートで100%以上の力出してんじゃないかという映像があるからよしとしなければ

    • @user-sy1tb7zj5j
      @user-sy1tb7zj5j 7 місяців тому +1

      @@user-wi8xx1qn5s そうですね。私がここに書いたことというのは出典があるんです。それを参考し書いています。古今東西のバンドの終焉・解散・分解を事典のように網羅した本で『バンド臨終絵巻』(河出書房新社 2010年初版)という本があります。インタビュー記事等を参照しながら複数の執筆者が書いてます。そのなかのオフコースの項(71頁)にこういう節があります。そのまま抜粋するとこうです。↓
       84年から4人体制でのオフコースが始動するが、小田はこの第2期の活動を「ビジネスライク」と表現している。86年にはアメリカでのアーティスト契約を目指して7か月も単身渡米するなど小田の単独行動が目立つようになり、徐々に他のメンバーとの関係は悪化。88年の春頃には解散という結論に至り、11月7日、ファンクラブへのダイレクトメールという形で解散が発表された(「週刊明星」88年12月1日号)。
       解散の理由について、小田は「音楽的な理由よりも人間的な摩擦で」とキッパリ語っている。また、「殴り合ってお互いに傷つくようなこともなく、とりあえず解散という大人の形で終われた」(「VIEWS」96年2月号)とまで語っているのだから、よほど軋轢が酷かったのだろう。
       解散コンサートは89年2月26日の東京ドームで行われたが、なぜか彼らの代表曲「さよなら」は歌われえなかった(「FRAIDAY」89年3月17日号)。
      ようするに第二期オフコースは第一期の鈴木とのものとは違って、仕事の意識が強かった。すでにその途中で自分でソロの売り込みに渡米までして他のメンバーとの関係は悪化した。それはそうでしょう。まだバンドは続いてるのに勝手に渡米してソロの売り込み。これで他のメンバーとの関係が悪化。どういう関係だったか推して知るべし。バンドを続ける気があるならそんなことは普通はしませんよ。他のメンバーのモチベーションが下がるのだから。いかに他のメンバーとのコミュニケーションが希薄だったのかですよね。鈴木ほどの絆も元々ないのだから、それはそうなるしかありません。ですからそれこそ事務所の要望でオフコースを4人で続けていた。が見えるんですよね。
      彼は苦労人だけあってすごく自分についての根回しが上手い。逆に一個のバンドメンバーとしてはうまく行かない人だと思います。シビア過ぎて付いて行けないのではないかと。

    • @user-wi8xx1qn5s
      @user-wi8xx1qn5s 5 місяців тому +2

      Nhkの小田さんの特集でマイホームタウンを歌う前にヤスさんとの思い出話がラスト辺りにありました。
      感動しました。
      しかし、なんかなあ。
      この曲を紹介する最高のセリフなのは間違いないのです。
      なのに、なんかモヤモヤ
      鈴木さん感動するの?彼からのボールを投げかえしがないからなおさら。
      私はへそ曲がりです。
      そして主様、私の妄想等にご丁寧な説明をありがとうございます。感謝します。

  • @comicomi77
    @comicomi77 3 місяці тому +4

    真相は、メンバーや
    関係者しか分からない。
    憶測ならだれにも出来る事です。
    自分の中のオフコースを大切に思えばいい事。

  • @axxx300
    @axxx300 4 місяці тому +2

    当時、ヤスさんがだんだんついていけなくなっていることが、中学生の自分にもなんとなく見えた。小田さんが作曲などでサポートしているのもわかってた。そして限界が来てヤスさんが脱退するのも仕方ないと納得してた。

  • @user-by8hv1bw4w
    @user-by8hv1bw4w 4 місяці тому +2

    お元気でいつまでもご活躍していただいて、いつかハーモニーをご拝聴したいですね。

  • @user-qo7mn9hx9y
    @user-qo7mn9hx9y 9 місяців тому +16

    地主みちよってだれ?
    地主道夫ならオリジナルメンバーだけど……

  • @user-rh6so3up2i
    @user-rh6so3up2i 8 місяців тому +13

    ずいぶん雑だな。名前も知らない人がこういうデリケートな話題を扱うなと言いたい。

  • @user-qo7mn9hx9y
    @user-qo7mn9hx9y 9 місяців тому +11

    たびたび間違い指摘です
    首藤貴文ってだれ?
    須藤尊史ならいたけど…
    こんなに間違いが多いのによくUA-camにのせれるね、恥ずかしくないですか🤔

  • @user-qg9jk7vx5m
    @user-qg9jk7vx5m 5 місяців тому +2

    バンドには多かれ少なかれ人間関係に問題が起こるもの
    曲がヒットしてもしなくても解散の危機が訪れる

    • @user-dc5tl3iv6t
      @user-dc5tl3iv6t 4 дні тому

      そうですね。ビートルズも「Let It Be」を最後に解散

  • @user-sy1tb7zj5j
    @user-sy1tb7zj5j 7 місяців тому +8

    自分が把握した背景とは微妙に違ってますね。脱退当初の事情があったにせよ、その後40年もたてば感情も変化する。そのためにどうも分かりにくくなってる。ようにも聴こえる。動画では2020年BSで放送した番組で鈴木さんが喋ってると。小田さんを中心にしたバンドには不満はなかった、ってそこは違うでしょう。何年だか知らないけどやっぱりBSに鈴木さんが出て喋ってる番組があって。杉田二郎さんや小室等さんもいた。そこで彼が言ってたのは、やっぱり時流の及ぼす変化に付いて行けなかったということ。要するに何が売れ線なのかになってきて、付いていけなかった。それってまさしく「さよなら」ヒットで生まれた「小田中心オフコース」。その当時の鈴木さんの異和感はどうだったかを考えなきゃ。後から入った3人が加入。5人体制発足の5人の意志確認があったと私は思うんで。そこで事務所側の思惑が入ってきて、5人の結束に亀裂が入った。と思いましたけどね。
    『over』レコーディングのさなかにNHK『若い広場』が取材に来る。レコーディングの初めから海外でのミキシングまで全工程を取材。しかしあとからこれを視聴すると、もう亀裂がなにげに視えるんですよね。なんだか鈴木さんを除く4人が結束してる。小田さんの周りに新人3人が集まってるのが分かる。で何故か鈴木さんがやや孤立してるのが伝わる。この謎の関係がもう画面から出てる。自分はそれが何なのか分からなかった。
    しかし、後から鈴木さんが自著で書いてるところでは、マネージャーからある日言われたことが書かれてると。「これからのオフコースは小田を中心にして盛り上げていかなきゃならない。協力してくれるよな」この辺からバンドの脱退を考えるようになった。これは新人3人にもその話はされて3人は承諾したわけでしょう。あの「小田さん慕い」はその表れだ。だからあの番組で、小田さん中心の派閥が出来上がってる。鈴木さんだけがどっか馴染んでない。その空気が視えてしまった。これが結論ですよね。
    この動画は分かり易い話を分かりにくくしてるような・・・。鈴木さんの脱退したい意図が伝わって無かったから小田さんに激怒とか。あったかもしれないけど派生的な話じゃないのかな。もっと単純な話だと思いますよ。要するに、オフコースという5人バンドの方向性について当初の夢が崩れたわけでしょう。
    今から思えば、小田さんのほうにもそういう「小田中心にしたい」マネージャーや事務所の意図は来てたんだろうから、そこで小田さんが仮に「何言ってる。バンドはバンドだろう。その手のことをやると結束に亀裂が入る。メンバー5人は平等だって5人で確認したばかりだ。変なことしないでくれないか。いずれ5人の曲が平等に配分されるようになる。バンドの方向はもう見えてる。あなた方はそれをフォローしてくれればいいんだよ」とでも事務所に言ってれば、鈴木さんの脱退は無かった。しかし、小田さんは事務所のいう方向性を呑んでしまった。それが後から思えば問題の一つだった。結局小田さんは鈴木さんがいなくなって大変な空虚を感じてしまったわけだから。あそこで小田さんが、頑張って、むしろ事務所と真反対な方向に「5人が平等なバンド」に、主張したら、鈴木さんは納得し、脱退にはならなかったはず。なので事務所の方針を呑んでしまった小田さんにも一因がある。そのことは小田さんも後に後悔したんじゃないですか。しかも自覚もしてるんじゃないですか。
    なのでオフコースが仮に再結成するのなら、小田さんから「俺がバンドのことをもっと考えてれば、ヤスの脱退もなかったよね」と伝えればいいだけだと思いますけどね。それでわだかまりは消えるんじゃないですか。今更もう遅いと思うならそれもありだし。小田さん次第でしょう。

    • @user-wi8xx1qn5s
      @user-wi8xx1qn5s 7 місяців тому +6

      私も再結成がないのはそこだと思ってました。
      さよなら等当時ヒットした小田曲と言われたものを小田さんが脱退したいと言った鈴木さんに『君と僕の曲だ』と引き止めるのに言ったとか?
      あれ?
      それは言う相手違うと。
      それ言われたら、私なら凄く引きます。
      ずっと感じていた違和感をコメントして頂いてありがとうございます。
      本当、同感です

  • @SINGINTHERAIN1960
    @SINGINTHERAIN1960 7 місяців тому +2

    楽しく、懐かしく聴きました。小田和正のドキュメンタリー本が出ましたので、それを踏まえて続きをやっていただければと思います。

  • @user-jm6pz3xu1w
    @user-jm6pz3xu1w 3 місяці тому +1

    活動期間は、1969年から1989年まで、ですよ

  • @yb4wyt7k1y
    @yb4wyt7k1y Місяць тому

    「さよなら」のヒット以降のオフコース側とレコード会社側の方針の違いでもめた、ときいてます。また「さよなら」以前から5人体制になってからサウンドは変化はしていってます。

  • @user-yn2li5su1m
    @user-yn2li5su1m 2 місяці тому +1

    5人のオフコースが一番好きでした。
    ヤスさんが抜け、ハモリもギターも
    物足りなくなったと思うのは、私だけだろうか?もっと良い曲できたやろなぁー😢

  • @nontannobby1581
    @nontannobby1581 Місяць тому

    チョイチョイ、テロップ間違いが多いのが気になりますねぇ。修正した方がよろしいかと。

  • @user-lk9st6yj7y
    @user-lk9st6yj7y 6 місяців тому +1

    誰かが言ってたけど、金で解散をしたバンドは決して元には戻らない。音楽性で解散したバンドは元に戻る。

  • @user-jm6pz3xu1w
    @user-jm6pz3xu1w 3 місяці тому

    地主みちよ、じゃなくて、地主道夫