Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
これだけややこしい内容を、立て板に水のように説明できる能力、凄過ぎます!!しかも、それがとても分かり易い!!お話を聴きながら、”炎立つ”の各シーンが次々頭に浮かびました。さらに、深く納得できました。ありがとうございます。
とっても分かりやすかったです!奥州藤原氏の成り立ちはややこしくて解説本にも難しく書いてあったので今回の動画でだいぶ理解できました!
ありがとうございます。盛岡前九年に住んでいたので、奥州合戦を取り上げて頂き、大変うれしいです。ただ・・・後三年の役で「かなざわさく」と紹介があった「金沢柵」は「かねざわさく」または「かねざわのき」と読むようですよ。
ご指摘ありがとうございます。
なんかややこしいことは分かりました。いっぺんに全部頭に入れるのは無理ですね…1)前九年の役、後三年の役はかかった年数は全然違う2)清原氏と安倍氏の仲違いに源氏介入でグチャグチャまでは今回覚えました。まぁ、少しずつやっていきます。
百年以上かかった百年戦争みたいたものかw
源義家(佐藤浩市)=衣のたては綻びにけり安倍貞任(村田雄浩)=年をへし糸の乱れの苦しさにドラマ「炎立つ」は、初回でアテルイ(里見浩太朗)にも触れているので、2013年に放送された「北の英雄 アテルイ伝(阿弖流為・あてるい=大沢たかお)と併せて見ると、頼朝の奥州征伐の前史として、奥羽の「蝦夷」や「俘囚」とされていた人たちに共感したり感情移入しやすくなります。ちなみに「アテルイの塚」と伝承されている場所は、私の住んでいる街の隣にあります。
金沢柵の兵糧攻めは日本で本邦初の兵糧攻めだったそうです。
大変わかりやすかったです!
分かりやすい。ありがとう、
きりゅうせんせいのお陰で 前九年後三年の役安倍氏の反乱 清原氏から 奥州藤原氏が成立した流れがよく分かりました😀そら怨念もうまれますわ💦
この度も分かりやすく解説いただきましてありがとうございました。以前に仕事で後三年の役をラジオで説明することになりましたがにわか勉強で全く分からず、聞いていた母から「内容、あんまり知らないで話してたね。」と指摘され凹んだ事を思い出しました。その後、専門の本を買っては見たものの…手をつけられない日々でしたが、先生の動画に出会えてようやく、その本が読めそうです。ありがとうございます😊多くの人は「かなざわ」と言ってしまいがちですね。そっちが有名ですからね。
30年前近く前の大河ドラマ「炎立つ」では義家を佐藤浩市が演じていましたね。奥州鎮圧が私憤だと判断されて、義家自らの財を投げ打って兵に報いたことで東国武士のシンボルになったと習いました。
藤原清衡に謀られて最後に陸奥を追われた義家がさんざん清衡を罵倒しながら、どこか爽やかそうだったのが印象に残っている
ほほう、今回は「炎立つ」の回ですねw 佐藤慶・佐藤浩市VS渡辺謙・村上弘明
陸奥の砂金を扱う上総介に八幡太郎を見出した人多数w
追加コメント失礼します。だから頼朝は奥州と戦いたかったし治めたかったんですね!🎉それにしても頼朝は自分のしたいことを次々叶えますねぇ。さすがです!
私の故郷は秋田なので、後三年の役の話はワクワクしますね。秋田では「納豆は義家が作った」と言う伝承があったり、義家の道案内した人が義家から『草彅』の姓を賜ったり(草彅剛君の両親は秋田の人)、後三年って駅があったり、義家が休憩した所に寺社が出来ちゃったり(笑)地元の人間じゃないけど源義家を英雄視しがちな土地です。因みに草彅の由来は、道案内した人物が、道無き原野を『弓や刀で前を刈って』義家を導いたからだと…小学校の先生に習いました(笑)
元SMAPの草彅剛さんが、NHK大河ドラマで源朝臣義家卿の役をやって頂けたならば?
わかりやすく説明していただきありがとうございました。
長くて面倒なので、前九年の役・後三年の役は、避けていくかも?と思っていたのですが、さすが、わかり易い解説でした。でも、その奥州藤原氏は滅びましたね😭上総介も御舘も義経も消えて、まだまだ続きそうな展開に〜😮💨
複雑な前九年の役と後三年の役の人物相関をスラスラと語れる先生、流石です😀歳がバレますが、風と雲と虹と、草燃えるを小さい頃に見て歴史好きになり、特に中世前期が好きでしたね。今見ると昔の大河は時代考証的には?ですけど(笑)もっとこの時代をやってくれー
炎立つと、平清盛はなかなか史実に沿って詳しく描いていたので、入門編としてはよかったと思います。入門編というのは、あれで興味を持って、前九年、後三年の役、保元・平治の乱について、調べるきっかけになったという意味で。
金沢柵はカネザワサクと読みます、城下の出身なのでしっかりお願い致します
聞いてる方も説明する側も大変な関係性ですねw「炎立つ」では八幡太郎義家を佐藤浩市さんが演じられてて、今回の大河となにか縁を感じました。その「炎立つ」も第三部が小説と同じだったらと思うと……。たしか第三部は小説の方が後になるので無理な注文ですけどね
NHKの大河ドラマの、炎立つで、藤原経清の役を演じておられた、渡辺謙さん、かっこ良ったなあ。
今日のお話で、炎立つと頼朝の時代が繋がりました。
これはもう完全に炎立つの動画
太平記の次点で混沌としているあのOP、好きです!
NHK大河「炎立つ」で、源義家を佐藤浩一さんが演じておられましたね。
奥州サイドからも、言いたいことはたくさんありそう( ;´・ω・`)。
あああああーーーーー!!!!奥州十二年合戦大好物です!炎立つ大好きです!原作本と大河ドラマの完全版DVD持ってます!藤原経清も安倍貞任も大好きです!ありがとうございます!!
「炎立つ」って、奥州合戦の大河ドラマだったのですね。この辺りは学校で習ったり、史実文献は読んだりしていましたが、是非、見てみたいと思います。平和に治まっていた朝廷の支配下において、如何に安倍氏が残酷で卑劣に反乱を起こしたか、興味があります。
@@akikawa2540 リプライありがとうございます。全九年に至るまでの経緯は原作者の脚色が相当入りますが、当時の朝廷も地方をただの税や貴重な物資の財源としか思っていないので、一概に安倍氏だけが悪い、ということも無さそうです。
@@fujieda_w 返信ありがとうございます。坂上田村麻呂以来、当時の東北は未開の地だったので、いかに東北を平安の地にするかに朝廷は腐心し続けてきました。平将門や藤原純友の乱に引続き、奥州十二年合戦ですからね。度重なる反乱に、朝廷も縦横無尽に討伐せざるを得ない状況だったと思います。安倍貞任という毒に対して、源頼義という毒を当てる、まさに毒を以て毒を制すというのも仕方なかったでしょうね。
炎立つ、家衡(豊川悦司)が、清衡に向かって、『、、ぶっ殺す』が印象に残っています!
きりゅうさんの真田丸の解説も聞きたかったです~(´⚲_⚲`)
今回は複雑なお話でした。今回の解説で頼朝が坂東武者中心に応援を頼んだのは、過去にこういう事があって、基盤ができていたんですね。後は、朝廷から見たら反乱と内紛とは違うんですね。源家は、白河という名前には泣かされますね。
うまい!
大河ドラマ「炎立つ」、あれは架空が酷かったですが、好きでしたw
女どもが大体ひどいw風都と陸奥のは信じるな!(爆)
「炎立つ」って、奥州合戦の大河ドラマだったのですね。この辺りは学校で習ったり、史実文献は読んだりしていましたが、是非、見てみたいと思います。架空が酷かったとのことですが、私個人的には、平和に治まっていた朝廷の支配下において如何に安倍氏が残酷で卑劣に反乱を起こしたか、興味があります。
原作者が原作者なだけに、ぶっとんだ架空が絡んでて、逆に娯楽性の高い大河でしたw アテルイを奥州藤原と無理やり絡ませたり、金売吉次が女性だったり、泰衡が逃げる理由が無茶苦茶だったり、その泰衡が実は藤原経清の生まれ変わりだったり、エンディングでは無理やり泣かそうとしたりwあ、それと安倍貞任とかは大変好意的に描かれています。まあ、今の大河ドラマを観てもわかりますよういに、朝廷の支配=東を搾取 という図式でしたから、同情的に描かれて当然かと。
頼朝の奥州討伐は高祖が与えた土地だから元々は家人同然だということを大義名分にして勅許を待たずに行ってますよね。
あとで源氏があっさり討伐されてるかれ因果応報
源頼義の父親は、千葉や上総の先祖である平忠常の乱にも関りがありますね。あと義家と言えば、納豆が有名ですが、福島の大玉村には、義家に関する馬場桜があります。実際に見事な桜でした。うちの近所の神社にも、頼朝が馬を止めたという石がありますが、石はともかく、戦勝祈願で参拝したという話は本当のようです。
6:03清原 武貞 きよはらのさだたけ☓→きよはら の たけさだ◯ ですよ!
あ、また言い間違えたww ご指摘ありがとうございます。
あの八幡太郎こと源義家たしか大河で昔〰️佐藤浩市さんがやってましたね戦が治まって朝廷から恩賞も無く役を改易されたシーン思い出しました😅とても解りやすい解説ありがとうございました😄
そうですね。義家が東北地方に源氏のプレゼンスを拡大しようと私利私欲に走った結果ですね。朝廷としても、私利私欲で勝手に戦を起こされたら溜まったものではないですね。
@@akikawa2540 私利私欲に走った〰️そうでしたね😅思い出しました😄
平泉・奥州藤原家は世界遺産となりました。攻め滅ぼした方の鎌倉はなっていません。それが後の世の人の評価だと思いますね。
奥州12年合戦が壮大な思い込みと当てずっぽうで9と3に分けられていた衝撃説。平泉へは修学旅行で。須弥壇のなかに藤原三代の御遺体と斬首された泰衡さまの首級が安置されているから、とにかく失礼のないように静かに、安らかな眠りの邪魔をしないようと念を押されまくった挙句、怖くて説明が何も頭に入らず気配を消すことに専念していたことを思い出しました。いつも驚くほど歴史がすんなり入ってきて感動です。ありがとうございます。文科省がさほど重要でないと判断して飛ばしていた部分を(基)部分こそをお話してくださるので、逆にスムーズに知識になっているようです。授業は時間制限もあるでしょうけど、きりゅう先生のスピードで詰めて進めたほうが多くの生徒の記憶に残るんじゃないのかな?!
後に奥州で伊達氏が台頭してくるのは、初代伊達朝宗が源為義の娘を母としてるからですかね?
武力だけでなく褒美、跡目争い、長寿が有力武将の秘訣。頼朝や義時は勉強したんだろうなぁ。
楽しく拝見させていただきました。今日の内容はまさしく『炎立つ』ですね。第一部、源頼義の懐柔を突っぱねて鋸引きの刑にされた藤原経清。第二部、親の敵の清原氏を父にして生き残る清衡の苦悩。涙を流して見てました。第二部の最後も好きです。後三年の役を勝った二人。東北の独立を目指す清衡と陸奥守として東北の富を簒奪しようとする義家の対立。清衡は東北の豊かな金の力で朝廷に働きかけ、義家を陸奥守を解任させます。出し抜かれて怒った義家は清衡についてありったけの罵詈雑言を言い放ちますが、最後には笑いながら「清衡、あの男なら仕方が無い」と認めるシーンです。義家役の佐藤浩市さんがここでも好演してます。
後世の天文の乱(洞の乱)しかり、東北では親類縁者が入り乱れての戦乱が多い気がしますね。
家衡は清衡の異母弟ではなく異父弟ではないでしょうか?
そですね
あ、そうでした。ご指摘ありがとうございます。
真衡と家衡が異母兄弟
昔、「炎立つ」って大河ドラマあったけどそれですよね!ちなみに地元!笑
経清役の渡辺謙さんが鋸引きの刑に処せられた場面で、「引けーー」と絶叫したシーンが忘れられません((涙))たしか謙さん二役で泰衡も演じたような気が……あれ!?義経はだれだっけ~?
野村宏伸、現在配信中の仮面ライダーエグゼイドで主人公の恩人をやってますね
@@john_andaman3498 そうでした。ほんとに美少年でした。
納豆の発祥となった戦いだったという逸話を後三年合戦資料館で知りました。稲庭や増田と一緒に観光しました。
毎度楽しく拝聴しています。解説が楽しく分かりやすいですね。奥州征伐は奥州藤原氏と源氏が仲違いという事ですが、奥州藤原氏に付いていた小笠原氏は甲斐源氏の一派ですよね。まあ、辿るれば一族内の権力闘争なんでしょうけどね。
往年の大河で高橋克彦氏の名作「炎立つ」の世界ですね!あの時代は史料となる記録が少なく、高橋氏も物語をかなり想像で補っていかれたようですね。あの時、義家を演じておられた佐藤浩市氏が、今度は義家の子孫である頼朝に殺される役というのも何かの縁なのでしょうか(^^;因みに私は「炎立つ」にレギュラーで出てきた安倍宗任が、都の貴族たちの前で詠んだ一句「わが国の梅の花とは見つれとも 大宮人は如何か言ふらむ」が好きです。宗任は安倍晋三氏のご先祖様ですね。
炎立つの義家は平泉から幕府を作っちゃおうよ!という革新派だったので坂東独立派の上総介とは言ってることが逆なんですよねあと安倍宗任の娘は佐々木秀義に嫁いだので、佐々木道誉には陸奥の血が流れていたと考えます
そうですね。おっしゃっるように佐々木氏に娘を…、というのは読んだことがあります。あと別の娘を奥州藤原氏にも。
源頼義からすると武田や佐竹もその血を受け継いでいる。源頼朝の系譜と共に足利が他の源氏と比べても武家の棟梁として正統性を訴えるために源義家を神格化したのではと思ってる
当時、近畿の人は東北の人を、蝦夷と言って差別してて、後三年の役で清原氏を滅ぼしたとき、源氏は彼らを残虐な殺し方したそうです。具体的には不明
英国にもたような歴史が?イングランドがスコットランドを征服(今では侵略になる)映画「ブレイブハート」でスコットランド独立の英雄ウィリアム・ウォレスが日本の平将門公、藤原経清公と重なります。スコットランド独立の気運は今でも高い。日本も東京一極集中の中央集権から脱却卒業して道州制、連邦制に移行して地方独立するべきだと思う?
@@中村佳己-t4r アイルランドが一番悲惨だったようです。日本も道州制に移行して欲しいですね。
前九年の役の「役」は外国との戦いに宛てられので、当時の朝廷の認識が分かります。
@@ゴールド免許-r1r なるほど。福島に勿来の関ってのがあるんですが、「これより北は大和朝廷の支配下では無いので、命の保証はしない。」という意味で作られたそうです。
@@pontarou01 いわき市にありますね。勿来=なこそ(知ってないと読めない)
始まりが安倍氏の反乱とはいうけど、そもそもは頼義が安倍氏に喧嘩をふっかけたのが発端なんだから、逆恨みもいいとこ。
奥州藤原氏のヒラの字は、清原氏から受け継いでいるのでしょうか? 藤原に戻した後に、例えば、経の字を繋いでいくとかにしなかったのは?と気になりました。
衡の字については同じ大河ドラマの「炎立つ」で触れています。
藤原経清と同じく安倍氏の娘を娶って源頼義に殺されてる、平永衡(源頼義の三代前の鎮守府将軍の平永盛の子弟)の衝の字を継いでいるとかいないとか。
この動画では触れなかったですが真衡は源氏の女(義家の異母妹)と平氏の男を夫婦養子にすることで自身の卑しい血を絶やそうとした、なんて話も大河にありましたね
いつも拝見しています。 源氏についてですが、源義家についてもう少し詳しく説明されると、もっとファンが増えるかと思います。 希望としては、八幡太郎伝説や、後に武士の守り神となった八幡神社の八幡信仰などです。 是非とも、宜しお願いします。
100年経っているのに、前九年の役の前例にならって泰衡は眉間を八寸釘で貫かれて晒された。八幡太郎と協力して清衡は東北を安定させたのだから、そもそも源氏と奥州藤原氏は友好であるはず・・。その末裔が、義経を匿った程度で、なぜ前九年の役の前例に倣わなければいけないんだ?やっぱり頼朝は鬼だと思う。
その後子孫があっさり滅びたから因果応報ですな。
宝治合戦と宝治の乱について教えてください
大河ドラマとは逆の考えですね。大河ドラマでは、終始平身低頭で尽していた安倍氏に対して、戦の口実を作ろうとした源頼義という構図。個人的には、源義経が奥州へ逃れて平泉軍を指揮して、鎌倉軍と戦する歴史展開も見てみたかった。
金沢柵はかねざわのさくと読みます。
よく分かりました。
性と芸がセットの場所が何故なくなったかを聞きたい。
源頼義の面前に引出され、苦痛を長引かせるため錆び刀で鋸挽きによって斬首された藤原経清のこと考えると、源氏と奥州藤原氏の間にある恨みの連鎖は時代を越えて続くことに終止符を打つためには十三人のような時代も必要だったんでしょうね
スコットランド独立の英雄ウィリアム・ウォレスと日本の平将門公、藤原経清公
相変わらず、丁寧な解説でたすかります。ただ、ひいひいひいおじいさんの時の確執を伊豆に流された頼朝さんは、どうして知っているのですか?何か資料とか代々からの言い伝えとかで知っていたのでしょうか?勉強不足ですみません。
去年末、江戸時代後期の先祖が分かり天皇に関わる為、自分の先祖が天皇の直系祖先のサイトで確認出来ます。そのサイトはWikipediaを元に作られてて関心する程良く出来てます。サイトの家系図には清衡の名前は有りませんでしたが、最近、先祖の二代佐竹隆義の母が藤原清衡の娘と分かり驚きました。又、源頼朝と義経は先祖では有りませんが頼朝の同母妹の坊門姫と義経の同母兄の阿野全成が先祖です。源頼義、義家も先祖ですが無知で奥州での戦いの事を初めて知りました。詳しいお話しを有難う御座いました。☺️来年24年1月に近くの上野の国立博物館に中尊寺の仏像が来るので必ず観に行きますが、展覧会が終わったら平泉にお参りしたいです。😊
6:58 だいたいしょうもないことから大ごとになりますよね。平清盛であったお湯貸してくれ事件を思い出しました😂
後三年という駅がある
元は東の平家、西の源氏でしたもんね
源氏宗家にとって奥州藤原氏は平家に次ぐ仇敵だったのか
ちなみに、京都女子大の野口実教授によれば、頼朝の祖父である源為義は八幡太郎義家の四男であり、為義を「康和の変」を起こした義親の息子で義家の孫だとする従来説を否定しています。つまり、野口説に基づけば、河内源氏の嫡流は一代ずれて、義家は頼朝の曾祖父にあたり、頼義は高祖父にあたるわけですね。
安倍氏が起こした反乱で勃発した前九年の役から、義家が首を突っ込んだ後三年の役ですね。安倍氏やそれに与する藤原氏、討伐した源氏も、どちらも好戦的というか、欲深いというか、したたかというか。沸点の低い人間ばかりだと、遺恨も仕方ないと思います。
我が家の近所に安倍館、前九年があります。何を見ても理解できずにいましたが、今回でわかりました。安倍館、前九年を通るたび 歴史に浸りそうです。ありがとうございました。
昔、岩手の人が持ってきたお土産に「前九年」とあったのだが、ここのお土産かな?🤔当時、地名になってるのかー、と驚いた記憶があります。
先生。僭越ながら、清衡と家衡は、「腹違い」ではなく「父違い」ですね。^^腹は一緒でしたね。清原氏はあの時代にあった如く、安倍氏と血縁関係にあり、裏切るとは思っていなかったフシがあります。先に亡くなった頼時(頼良)の継室は清原氏の娘で、助命された宗任はその縁が故に斬首されずに済んだ、と言われています。
ご指摘ありがとうございます。また言い間違ってしまった~(汗)
戦がリアルに思い浮かぶ…こういう日本史の授業が受けたかった😂こんな想像を絶する兄弟喧嘩の歴史があったら、身を守る為にも👵BBAを嫁に貰えと言われてしまうわな…
なるほど!わからん!(笑)
炎立つの世界ですね。
泰衡を討ったのは念願だったわけだね~。一点を見たら悲惨だったけど線で見たら、なっとくするな。泰衡は知らんがなって話だけど。大河ドラマでは。クビを切られるまで頑張れ〜
「かなざわのさく」ではなく「かねざわのさく」です。
地元の方のコメント投稿によると、「金沢柵」は「かねざわさく」または「かねざわのき」だそうですよ。
後三年合戦で恩賞をもらえなかった義家は労働への恩賞を自腹で払ったと言われてましたっけ。痛い出費であったことは間違いがいないけど、それが河内源氏と坂東武者との絆を深めた、と言われていた気がします。あと、頼朝(正確には大葉景義)が奥州十二年合戦の因縁を引っ張り出してきて、反乱した家人を討つという名目が頼朝の奥州合戦になったようですし、このあたりの因縁を知っておくとより今年の大河は楽しいですねえー長文失礼しました。ついつい嬉しくて…
朝廷恩賞貰えるわけない。真の狙いは家衡討って土地を奪うことだったから。うまくいかなかったけど。
←うちの猫が、ハンサム顔で三人に挨拶したいって。気に入らないじゃん?それで一番ブチャイクな顔を晒しました。飼い主の特権ね。お話、ありがとう。よぉく分かりました。「僕も分かったニャン」「ホントか・・・」
ありがとニャン💖
思い出1・猫とは何なのか朝から並ぶ相談の人達に交じって、猫が並んでいる。猫を追いやる人を婆様は怒った。婆「猫はの、町の守り神なんじゃ。遠くから来る疫病や悪さをな、猫はその身に受け止めて人間のために亡くなるんじゃ」「えぇ、可哀そうじゃない?」婆「しかしの、猫は直ぐに生まれ変わる。毛皮を変えて、またこの町を守りに来るんじゃ」「姿を変えるってこと?それじゃ分からないね」婆「声や仕草は変わらん。昔の名前で呼んでみればええ」「ふうん」婆「身体から抜け出るのは、人間と猫だけじゃ。覚えとくがええ」
義家が白河院に嫌われて、藤原から土地を譲ってもらって北関東に拠点を作ったのが足利氏のルーツだとか、清衡の父は秀郷流藤原氏出身だとか、平氏の乱の信頼もここらと繋がりが有るとかも聞きかじってるので、恨んでる相手というのは、ちょっと意外でした。我が地元の杉並・阿佐ヶ谷には大宮八幡宮(頼義)、宝仙寺(現・世尊院、義家)のラインが有りますが、後に中野長者・鈴木九郎が出てくるのと絡んで、この南関東にまで奥州藤原・秀郷流藤原の影響が有ったのではとすら思えて来ています。白河院の関与で、源氏は為義・義朝が主流になりますが、本来の義家の系統は足利氏に継がれてるようにも思うので、何れにしても頼朝にとっては微妙な存在だったのでしょうね。源氏は長らく、中間管理職の悲哀を味合わされて来た人々のイメージです
頼朝が欲した征夷大将軍.この「夷(えびす・てき)」は奥州藤原氏…ただ、1192年にはすでにこの官位を必要としないほど全国権力を掌握していましたね.
オバちゃんは話が上手いわ
🌺🌺🌺🌺🌺
かなざわやなくてかねざわですよ
そうなんですね! ご指摘ありがとうございます。
全般的に古い解説内容です。「役」という言い方は明治に急に言い始めたもので、教科書でも合戦というようになってます。この部分の解説はガッカリです。
まあ、UA-cam動画なので、そこは目くじら立てる必要は無いと思いますが。純粋に楽しみましょうよ。正確なことは、学校や専門書に任せればいいのだし。UA-cam動画の良さは、多くの視聴者の興味を上手く喚起することであり、そこが投稿者の腕の見せ所です。私は良い動画だと思います。
清ひらは漁夫の利の漁夫の利で得した
遊女の間に産まれた子ではありません。歴史を伝えるなら、もう少し調べてから伝えて下さい。多気氏の娘との間に産まれた子になります。遊女の間に産まれたなんて分かりもしないこと伝えてほしくないです。
安倍氏は山口に逃げたのか
炎立つ リメイクしてくんないかな
頼朝は前九年の役リエナクトを徹底的にやろうと思っていたらしい、と読みました。河田次郎を処刑したのは父の最期を思い出したからというのもあるでしょうけど泰衡を先祖のように公開処刑するつもりだったのをぶち壊されたから、という残忍な説。。。/そして、「ため込んだもんだのう」と財宝をみて呆れてました(そして多分しっかり強奪した)が、その割には中尊寺の金色堂には何もしなかったのは不思議と言えば不思議ですね。武士に怨霊なしとは言いますけどどこか信じていたんでしょうか。
これだけややこしい内容を、立て板に水のように説明できる能力、凄過ぎます!!しかも、それがとても分かり易い!!お話を聴きながら、”炎立つ”の各シーンが次々頭に浮かびました。さらに、深く納得できました。ありがとうございます。
とっても分かりやすかったです!
奥州藤原氏の成り立ちはややこしくて解説本にも難しく書いてあったので今回の動画でだいぶ理解できました!
ありがとうございます。盛岡前九年に住んでいたので、奥州合戦を取り上げて頂き、大変うれしいです。
ただ・・・後三年の役で「かなざわさく」と紹介があった「金沢柵」は「かねざわさく」または「かねざわのき」と読むようですよ。
ご指摘ありがとうございます。
なんかややこしいことは分かりました。
いっぺんに全部頭に入れるのは無理ですね…
1)前九年の役、後三年の役はかかった年数は全然違う
2)清原氏と安倍氏の仲違いに源氏介入でグチャグチャ
までは今回覚えました。まぁ、少しずつやっていきます。
百年以上かかった百年戦争みたいたものかw
源義家(佐藤浩市)=衣のたては綻びにけり
安倍貞任(村田雄浩)=年をへし糸の乱れの苦しさに
ドラマ「炎立つ」は、初回でアテルイ(里見浩太朗)にも触れているので、2013年に放送された「北の英雄 アテルイ伝(阿弖流為・あてるい=大沢たかお)と併せて見ると、頼朝の奥州征伐の前史として、奥羽の「蝦夷」や「俘囚」とされていた人たちに共感したり感情移入しやすくなります。ちなみに「アテルイの塚」と伝承されている場所は、私の住んでいる街の隣にあります。
金沢柵の兵糧攻めは日本で本邦初の兵糧攻めだったそうです。
大変わかりやすかったです!
分かりやすい。ありがとう、
きりゅうせんせいのお陰で 前九年後三年の役
安倍氏の反乱 清原氏から 奥州藤原氏が成立した流れがよく分かりました😀そら怨念もうまれますわ💦
この度も分かりやすく解説いただきましてありがとうございました。以前に仕事で後三年の役をラジオで説明することになりましたがにわか勉強で全く分からず、聞いていた母から「内容、あんまり知らないで話してたね。」と指摘され凹んだ事を思い出しました。その後、専門の本を買っては見たものの…手をつけられない日々でしたが、先生の動画に出会えてようやく、その本が読めそうです。ありがとうございます😊
多くの人は「かなざわ」と言ってしまいがちですね。そっちが有名ですからね。
30年前近く前の大河ドラマ「炎立つ」では義家を佐藤浩市が演じていましたね。
奥州鎮圧が私憤だと判断されて、義家自らの財を投げ打って兵に報いたことで
東国武士のシンボルになったと習いました。
藤原清衡に謀られて最後に陸奥を追われた義家がさんざん清衡を罵倒しながら、どこか爽やかそうだったのが印象に残っている
ほほう、今回は「炎立つ」の回ですねw 佐藤慶・佐藤浩市VS渡辺謙・村上弘明
陸奥の砂金を扱う上総介に八幡太郎を見出した人多数w
追加コメント失礼します。だから頼朝は奥州と戦いたかったし治めたかったんですね!🎉それにしても頼朝は自分のしたいことを次々叶えますねぇ。さすがです!
私の故郷は秋田なので、後三年の役の話はワクワクしますね。
秋田では「納豆は義家が作った」と言う伝承があったり、義家の道案内した人が義家から『草彅』の姓を賜ったり(草彅剛君の両親は秋田の人)、後三年って駅があったり、義家が休憩した所に寺社が出来ちゃったり(笑)
地元の人間じゃないけど源義家を英雄視しがちな土地です。
因みに草彅の由来は、道案内した人物が、道無き原野を『弓や刀で前を刈って』義家を導いたからだと…小学校の先生に習いました(笑)
元SMAPの草彅剛さんが、NHK大河ドラマで源朝臣義家卿の役をやって頂けたならば?
わかりやすく説明していただきありがとうございました。
長くて面倒なので、前九年の役・後三年の役は、避けていくかも?と思っていたのですが、さすが、わかり易い解説でした。でも、その奥州藤原氏は滅びましたね😭
上総介も御舘も義経も消えて、まだまだ続きそうな展開に〜😮💨
複雑な前九年の役と後三年の役の人物相関をスラスラと語れる先生、流石です😀
歳がバレますが、風と雲と虹と、草燃えるを小さい頃に見て歴史好きになり、特に中世前期が好きでしたね。今見ると昔の大河は時代考証的には?ですけど(笑)もっとこの時代をやってくれー
炎立つと、平清盛はなかなか史実に沿って詳しく描いていたので、入門編としてはよかったと思います。入門編というのは、あれで興味を持って、前九年、後三年の役、保元・平治の乱について、調べるきっかけになったという意味で。
金沢柵はカネザワサクと読みます、城下の出身なのでしっかりお願い致します
聞いてる方も説明する側も大変な関係性ですねw
「炎立つ」では八幡太郎義家を佐藤浩市さんが演じられてて、今回の大河となにか縁を感じました。
その「炎立つ」も第三部が小説と同じだったらと思うと……。
たしか第三部は小説の方が後になるので無理な注文ですけどね
NHKの大河ドラマの、
炎立つ
で、藤原経清の役を演じておられた、
渡辺謙さん、
かっこ良ったなあ。
今日のお話で、炎立つと頼朝の時代が繋がりました。
これはもう完全に炎立つの動画
太平記の次点で混沌としているあのOP、好きです!
NHK大河「炎立つ」で、源義家を佐藤浩一さんが演じておられましたね。
奥州サイドからも、言いたいことはたくさんありそう( ;´・ω・`)。
あああああーーーーー!!!!
奥州十二年合戦大好物です!
炎立つ大好きです!
原作本と大河ドラマの完全版DVD持ってます!
藤原経清も安倍貞任も大好きです!
ありがとうございます!!
「炎立つ」って、奥州合戦の大河ドラマだったのですね。
この辺りは学校で習ったり、史実文献は読んだりしていましたが、是非、見てみたいと思います。
平和に治まっていた朝廷の支配下において、如何に安倍氏が残酷で卑劣に反乱を起こしたか、興味があります。
@@akikawa2540 リプライありがとうございます。全九年に至るまでの経緯は原作者の脚色が相当入りますが、当時の朝廷も地方をただの税や貴重な物資の財源としか思っていないので、一概に安倍氏だけが悪い、ということも無さそうです。
@@fujieda_w 返信ありがとうございます。坂上田村麻呂以来、当時の東北は未開の地だったので、いかに東北を平安の地にするかに朝廷は腐心し続けてきました。
平将門や藤原純友の乱に引続き、奥州十二年合戦ですからね。度重なる反乱に、朝廷も縦横無尽に討伐せざるを得ない状況だったと思います。安倍貞任という毒に対して、源頼義という毒を当てる、まさに毒を以て毒を制すというのも仕方なかったでしょうね。
炎立つ、家衡(豊川悦司)が、清衡に向かって、『、、ぶっ殺す』が印象に残っています!
きりゅうさんの真田丸の解説も聞きたかったです~(´⚲_⚲`)
今回は複雑なお話でした。
今回の解説で頼朝が
坂東武者中心に応援を頼んだのは、過去にこういう事があって、基盤ができていたんですね。
後は、朝廷から見たら
反乱と内紛とは違うんですね。源家は、白河という名前には泣かされますね。
うまい!
大河ドラマ「炎立つ」、あれは架空が酷かったですが、好きでしたw
女どもが大体ひどいw
風都と陸奥のは信じるな!(爆)
「炎立つ」って、奥州合戦の大河ドラマだったのですね。
この辺りは学校で習ったり、史実文献は読んだりしていましたが、是非、見てみたいと思います。
架空が酷かったとのことですが、私個人的には、平和に治まっていた朝廷の支配下において如何に安倍氏が残酷で卑劣に反乱を起こしたか、興味があります。
原作者が原作者なだけに、ぶっとんだ架空が絡んでて、逆に娯楽性の高い大河でしたw アテルイを奥州藤原と無理やり絡ませたり、金売吉次が女性だったり、泰衡が逃げる理由が無茶苦茶だったり、その泰衡が実は藤原経清の生まれ変わりだったり、エンディングでは無理やり泣かそうとしたりw
あ、それと安倍貞任とかは大変好意的に描かれています。まあ、今の大河ドラマを観てもわかりますよういに、朝廷の支配=東を搾取 という図式でしたから、同情的に描かれて当然かと。
頼朝の奥州討伐は高祖が与えた土地だから元々は家人同然だということを大義名分にして勅許を待たずに行ってますよね。
あとで源氏があっさり討伐されてるかれ因果応報
源頼義の父親は、千葉や上総の先祖である平忠常の乱にも関りがありますね。
あと義家と言えば、納豆が有名ですが、福島の大玉村には、
義家に関する馬場桜があります。実際に見事な桜でした。
うちの近所の神社にも、頼朝が馬を止めたという石がありますが、
石はともかく、戦勝祈願で参拝したという話は本当のようです。
6:03清原 武貞 きよはらのさだたけ☓→きよはら の たけさだ◯ ですよ!
あ、また言い間違えたww ご指摘ありがとうございます。
あの八幡太郎こと源義家たしか大河で昔〰️佐藤浩市さんがやってましたね戦が治まって朝廷から恩賞も無く役を改易されたシーン思い出しました😅とても解りやすい解説ありがとうございました😄
そうですね。義家が東北地方に源氏のプレゼンスを拡大しようと私利私欲に走った結果ですね。
朝廷としても、私利私欲で勝手に戦を起こされたら溜まったものではないですね。
@@akikawa2540 私利私欲に走った〰️そうでしたね😅思い出しました😄
平泉・奥州藤原家は世界遺産となりました。攻め滅ぼした方の鎌倉はなっていません。
それが後の世の人の評価だと思いますね。
奥州12年合戦が壮大な思い込みと当てずっぽうで9と3に分けられていた衝撃説。
平泉へは修学旅行で。須弥壇のなかに藤原三代の御遺体と斬首された泰衡さまの首級が安置されているから、とにかく失礼のないように静かに、安らかな眠りの邪魔をしないようと念を押されまくった挙句、怖くて説明が何も頭に入らず気配を消すことに専念していたことを思い出しました。
いつも驚くほど歴史がすんなり入ってきて感動です。ありがとうございます。
文科省がさほど重要でないと判断して飛ばしていた部分を(基)部分こそをお話してくださるので、逆にスムーズに知識になっているようです。
授業は時間制限もあるでしょうけど、きりゅう先生のスピードで詰めて進めたほうが多くの生徒の記憶に残るんじゃないのかな?!
後に奥州で伊達氏が台頭してくるのは、初代伊達朝宗が源為義の娘を母としてるからですかね?
武力だけでなく褒美、跡目争い、長寿が有力武将の秘訣。頼朝や義時は勉強したんだろうなぁ。
楽しく拝見させていただきました。今日の内容はまさしく『炎立つ』ですね。第一部、源頼義の懐柔を突っぱねて鋸引きの刑にされた藤原経清。第二部、親の敵の清原氏を父にして生き残る清衡の苦悩。涙を流して見てました。第二部の最後も好きです。後三年の役を勝った二人。東北の独立を目指す清衡と陸奥守として東北の富を簒奪しようとする義家の対立。清衡は東北の豊かな金の力で朝廷に働きかけ、義家を陸奥守を解任させます。出し抜かれて怒った義家は清衡についてありったけの罵詈雑言を言い放ちますが、最後には笑いながら「清衡、あの男なら仕方が無い」と認めるシーンです。義家役の佐藤浩市さんがここでも好演してます。
後世の天文の乱(洞の乱)しかり、東北では親類縁者が入り乱れての戦乱が多い気がしますね。
家衡は清衡の異母弟ではなく異父弟ではないでしょうか?
そですね
あ、そうでした。ご指摘ありがとうございます。
真衡と家衡が異母兄弟
昔、「炎立つ」って大河ドラマあったけどそれですよね!
ちなみに地元!笑
経清役の渡辺謙さんが鋸引きの刑に処せられた場面で、「引けーー」と絶叫したシーンが忘れられません((涙))
たしか謙さん二役で泰衡も演じたような気が……
あれ!?義経はだれだっけ~?
野村宏伸、現在配信中の仮面ライダーエグゼイドで主人公の恩人をやってますね
@@john_andaman3498
そうでした。ほんとに美少年でした。
納豆の発祥となった戦いだったという逸話を後三年合戦資料館で知りました。稲庭や増田と一緒に観光しました。
毎度楽しく拝聴しています。
解説が楽しく分かりやすいですね。
奥州征伐は奥州藤原氏と源氏が仲違いという事ですが、奥州藤原氏に付いていた小笠原氏は甲斐源氏の一派ですよね。
まあ、辿るれば一族内の権力闘争なんでしょうけどね。
往年の大河で高橋克彦氏の名作「炎立つ」の世界ですね!
あの時代は史料となる記録が少なく、高橋氏も物語をかなり想像で補っていかれたようですね。
あの時、義家を演じておられた佐藤浩市氏が、今度は義家の子孫である頼朝に殺される役というのも何かの縁なのでしょうか(^^;
因みに私は「炎立つ」にレギュラーで出てきた安倍宗任が、都の貴族たちの前で詠んだ一句
「わが国の梅の花とは見つれとも 大宮人は如何か言ふらむ」が好きです。
宗任は安倍晋三氏のご先祖様ですね。
炎立つの義家は平泉から幕府を作っちゃおうよ!という革新派だったので
坂東独立派の上総介とは言ってることが逆なんですよね
あと安倍宗任の娘は佐々木秀義に嫁いだので、佐々木道誉には陸奥の血が流れていたと考えます
そうですね。おっしゃっるように佐々木氏に娘を…、というのは読んだことがあります。
あと別の娘を奥州藤原氏にも。
源頼義からすると武田や佐竹もその血を受け継いでいる。
源頼朝の系譜と共に足利が他の源氏と比べても武家の棟梁として正統性を訴えるために源義家を神格化したのではと思ってる
当時、近畿の人は東北の人を、蝦夷と言って差別してて、後三年の役で清原氏を滅ぼしたとき、源氏は彼らを残虐な殺し方したそうです。具体的には不明
英国にもたような歴史が?
イングランドがスコットランドを征服(今では侵略になる)
映画「ブレイブハート」でスコットランド独立の英雄ウィリアム・ウォレスが日本の平将門公、藤原経清公と重なります。
スコットランド独立の気運は今でも高い。
日本も東京一極集中の中央集権から脱却卒業して道州制、連邦制に移行して地方独立するべきだと思う?
@@中村佳己-t4r
アイルランドが一番悲惨だったようです。
日本も道州制に移行して欲しいですね。
前九年の役の「役」は外国との戦いに宛てられので、当時の朝廷の認識が分かります。
@@ゴールド免許-r1r
なるほど。
福島に勿来の関ってのがあるんですが、「これより北は大和朝廷の支配下では無いので、命の保証はしない。」という意味で作られたそうです。
@@pontarou01
いわき市にありますね。
勿来=なこそ(知ってないと読めない)
始まりが安倍氏の反乱とはいうけど、
そもそもは頼義が安倍氏に喧嘩をふっかけたのが発端なんだから、
逆恨みもいいとこ。
奥州藤原氏のヒラの字は、清原氏から受け継いでいるのでしょうか? 藤原に戻した後に、例えば、経の字を繋いでいくとかにしなかったのは?と気になりました。
衡の字については同じ大河ドラマの「炎立つ」で触れています。
藤原経清と同じく安倍氏の娘を娶って源頼義に殺されてる、平永衡(源頼義の三代前の鎮守府将軍の平永盛の子弟)の衝の字を継いでいるとかいないとか。
この動画では触れなかったですが
真衡は源氏の女(義家の異母妹)と平氏の男を夫婦養子にすることで
自身の卑しい血を絶やそうとした、なんて話も大河にありましたね
いつも拝見しています。 源氏についてですが、源義家についてもう少し詳しく説明されると、もっとファンが増えるかと思います。 希望としては、八幡太郎伝説や、後に武士の守り神となった八幡神社の八幡信仰などです。 是非とも、宜しお願いします。
100年経っているのに、前九年の役の前例にならって泰衡は眉間を八寸釘で貫かれて晒された。八幡太郎と協力して清衡は東北を安定させたのだから、そもそも源氏と奥州藤原氏は友好であるはず・・。その末裔が、義経を匿った程度で、なぜ前九年の役の前例に倣わなければいけないんだ?やっぱり頼朝は鬼だと思う。
その後子孫があっさり滅びたから因果応報ですな。
宝治合戦と宝治の乱について教えてください
大河ドラマとは逆の考えですね。
大河ドラマでは、
終始平身低頭で尽していた安倍氏に対して、
戦の口実を作ろうとした源頼義という構図。
個人的には、
源義経が奥州へ逃れて平泉軍を指揮して、鎌倉軍と戦する歴史展開も見てみたかった。
金沢柵はかねざわのさくと読みます。
よく分かりました。
性と芸がセットの場所が何故なくなったかを聞きたい。
源頼義の面前に引出され、苦痛を長引かせるため錆び刀で鋸挽きによって斬首された藤原経清のこと考えると、源氏と奥州藤原氏の間にある恨みの連鎖は時代を越えて続くことに終止符を打つためには十三人のような時代も必要だったんでしょうね
スコットランド独立の英雄ウィリアム・ウォレスと日本の平将門公、藤原経清公
相変わらず、丁寧な解説でたすかります。ただ、ひいひいひいおじいさんの時の確執を伊豆に流された頼朝さんは、どうして知っているのですか?何か資料とか代々からの言い伝えとかで知っていたのでしょうか?勉強不足ですみません。
去年末、江戸時代後期の先祖が分かり天皇に関わる為、自分の先祖が天皇の直系祖先のサイトで確認出来ます。
そのサイトはWikipediaを元に作られてて関心する程良く出来てます。サイトの家系図には清衡の名前は有りませんでしたが、最近、先祖の二代佐竹隆義の母が藤原清衡の娘と分かり驚きました。又、源頼朝と義経は先祖では有りませんが頼朝の同母妹の坊門姫と義経の同母兄の阿野全成が先祖です。源頼義、義家も先祖ですが無知で奥州での戦いの事を初めて知りました。詳しいお話しを有難う御座いました。☺️
来年24年1月に近くの上野の国立博物館に中尊寺の仏像が来るので必ず観に行きますが、展覧会が終わったら平泉にお参りしたいです。😊
6:58 だいたいしょうもないことから大ごとになりますよね。平清盛であったお湯貸してくれ事件を思い出しました😂
後三年という駅がある
元は東の平家、西の源氏でしたもんね
源氏宗家にとって奥州藤原氏は平家に次ぐ仇敵だったのか
ちなみに、京都女子大の野口実教授によれば、頼朝の祖父である源為義は八幡太郎義家の四男であり、為義を「康和の変」を起こした義親の息子で義家の孫だとする従来説を否定しています。
つまり、野口説に基づけば、河内源氏の嫡流は一代ずれて、義家は頼朝の曾祖父にあたり、頼義は高祖父にあたるわけですね。
安倍氏が起こした反乱で勃発した前九年の役から、義家が首を突っ込んだ後三年の役ですね。
安倍氏やそれに与する藤原氏、討伐した源氏も、どちらも好戦的というか、欲深いというか、したたかというか。
沸点の低い人間ばかりだと、遺恨も仕方ないと思います。
我が家の近所に安倍館、前九年があります。何を見ても理解できずにいましたが、今回でわかりました。安倍館、前九年を通るたび 歴史に浸りそうです。ありがとうございました。
昔、岩手の人が持ってきたお土産に「前九年」とあったのだが、ここのお土産かな?🤔
当時、地名になってるのかー、と驚いた記憶があります。
先生。
僭越ながら、清衡と家衡は、「腹違い」ではなく「父違い」ですね。^^腹は一緒でしたね。
清原氏はあの時代にあった如く、安倍氏と血縁関係にあり、裏切るとは思っていなかったフシがあります。
先に亡くなった頼時(頼良)の継室は清原氏の娘で、助命された宗任はその縁が故に斬首されずに済んだ、と言われています。
ご指摘ありがとうございます。また言い間違ってしまった~(汗)
戦がリアルに思い浮かぶ…
こういう日本史の授業が受けたかった😂
こんな想像を絶する兄弟喧嘩の歴史があったら、身を守る為にも👵BBAを嫁に貰えと言われてしまうわな…
なるほど!わからん!(笑)
炎立つの世界ですね。
泰衡を討ったのは念願だったわけだね~。一点を見たら悲惨だったけど線で見たら、なっとくするな。泰衡は知らんがなって話だけど。大河ドラマでは。クビを切られるまで頑張れ〜
「かなざわのさく」ではなく「かねざわのさく」です。
地元の方のコメント投稿によると、「金沢柵」は「かねざわさく」または「かねざわのき」だそうですよ。
後三年合戦で恩賞をもらえなかった義家は労働への恩賞を自腹で払ったと言われてましたっけ。痛い出費であったことは間違いがいないけど、それが河内源氏と坂東武者との絆を深めた、と言われていた気がします。
あと、頼朝(正確には大葉景義)が奥州十二年合戦の因縁を引っ張り出してきて、反乱した家人を討つという名目が頼朝の奥州合戦になったようですし、このあたりの因縁を知っておくとより今年の大河は楽しいですねえー
長文失礼しました。ついつい嬉しくて…
朝廷恩賞貰えるわけない。
真の狙いは家衡討って土地を奪うことだったから。うまくいかなかったけど。
←うちの猫が、ハンサム顔で三人に挨拶したいって。
気に入らないじゃん?それで一番ブチャイクな顔を晒しました。
飼い主の特権ね。お話、ありがとう。よぉく分かりました。
「僕も分かったニャン」「ホントか・・・」
ありがとニャン💖
思い出1・猫とは何なのか
朝から並ぶ相談の人達に交じって、猫が並んでいる。
猫を追いやる人を婆様は怒った。
婆「猫はの、町の守り神なんじゃ。遠くから来る疫病や悪さをな、
猫はその身に受け止めて人間のために亡くなるんじゃ」
「えぇ、可哀そうじゃない?」
婆「しかしの、猫は直ぐに生まれ変わる。毛皮を変えて、またこの町を守りに来るんじゃ」
「姿を変えるってこと?それじゃ分からないね」
婆「声や仕草は変わらん。昔の名前で呼んでみればええ」
「ふうん」
婆「身体から抜け出るのは、人間と猫だけじゃ。覚えとくがええ」
義家が白河院に嫌われて、藤原から土地を譲ってもらって北関東に拠点を作ったのが足利氏のルーツだとか、清衡の父は秀郷流藤原氏出身だとか、平氏の乱の信頼もここらと繋がりが有るとかも聞きかじってるので、恨んでる相手というのは、ちょっと意外でした。我が地元の杉並・阿佐ヶ谷には大宮八幡宮(頼義)、宝仙寺(現・世尊院、義家)のラインが有りますが、後に中野長者・鈴木九郎が出てくるのと絡んで、この南関東にまで奥州藤原・秀郷流藤原の影響が有ったのではとすら思えて来ています。白河院の関与で、源氏は為義・義朝が主流になりますが、本来の義家の系統は足利氏に継がれてるようにも思うので、何れにしても頼朝にとっては微妙な存在だったのでしょうね。源氏は長らく、中間管理職の悲哀を味合わされて来た人々のイメージです
頼朝が欲した征夷大将軍.この「夷(えびす・てき)」は奥州藤原氏…ただ、1192年にはすでにこの官位を必要としないほど全国権力を掌握していましたね.
オバちゃんは話が上手いわ
🌺🌺🌺🌺🌺
かなざわやなくてかねざわですよ
そうなんですね! ご指摘ありがとうございます。
全般的に古い解説内容です。「役」という言い方は明治に急に言い始めたもので、教科書でも合戦というようになってます。この部分の解説はガッカリです。
まあ、UA-cam動画なので、そこは目くじら立てる必要は無いと思いますが。純粋に楽しみましょうよ。
正確なことは、学校や専門書に任せればいいのだし。
UA-cam動画の良さは、多くの視聴者の興味を上手く喚起することであり、そこが投稿者の腕の見せ所です。
私は良い動画だと思います。
清ひらは漁夫の利の漁夫の利で得した
遊女の間に産まれた子ではありません。
歴史を伝えるなら、もう少し調べてから伝えて下さい。
多気氏の娘との間に産まれた子になります。
遊女の間に産まれたなんて分かりもしないこと伝えてほしくないです。
安倍氏は山口に逃げたのか
炎立つ リメイクしてくんないかな
頼朝は前九年の役リエナクトを徹底的にやろうと思っていたらしい、と読みました。河田次郎を処刑したのは父の最期を思い出したからというのもあるでしょうけど泰衡を先祖のように公開処刑するつもりだったのをぶち壊されたから、という残忍な説。。。/そして、「ため込んだもんだのう」と財宝をみて呆れてました(そして多分しっかり強奪した)が、その割には中尊寺の金色堂には何もしなかったのは不思議と言えば不思議ですね。武士に怨霊なしとは言いますけどどこか信じていたんでしょうか。