人生相談もいつも聞いています。加藤諦三先生のお話しはもっともっと聞きたいです。人生を自分らしく生きるためのお守りのように大事に心に留めています。
私が変わろうとしていた時、加藤諦三先生の本が生きる指針でした。
加藤諦三先生、本当にありがとうございました
冒頭、「家族の中でみんなのマイナスの感情の掃き溜め役になっている....」。腑に落ちました。
加藤諦三先生の本を読んできましたが、こちらでこのように先生本人にお目にかかれ声、言葉を聴けたこと嬉しく感動しています。ありがとうございます
加藤諦三先生に救われた月日が懐かしいです。今なおお元気でご活躍で嬉しいです。
加藤諦三先生のお話とっても嬉しい!!もっともっと聴きたいです。
お願いします!!
加藤先生の回は凄く嬉しいです。ありがとうございます!
東音時代、先生の授業ほんとに、魅かれました。先生の親子関係私の子供のころ、そのものでした。目から鱗でした。
・苦悩への対処能力
・不況(ピンチ)を興奮とチャレンジ精神で乗り越える
・家族からマイナス感情の掃き溜め先になった「不幸な良い子」…本当に被害に遭った人は誰か?
↑
ごもっともですが、
もう壊れた自分には、この言葉たちすらストレスになるくらい手遅れです(涙)
確かに理解はできたが、では具体的に今からどうすればいいのか?という方法は言われていない。
答えと思えるようなこと を言わないところが私は好きです。
多分ダイエットと同じで、できることってシンプルなんだと思う
その日で痩せることなんてできないように、自分の治したい心の癖をまずは言語化して自己認識し、そのあとはもう毎日修正するよう心がけ暮らすしかない
理論を知った上で、
自分の中でとりあえず何か行動を起こしてみようと考えて、行動する
もしくは提示されないとできないか
この二つの違いが、大きく成長に関与すると思いました。
自分でやってみたいと思うことをとりあえずやる
ということも成長において大切な自己決定だと思います。
辛い経験をしたのも事実だけど、その道を歩むのもまた自分ですから、自分の人生の主導権は自分で握って 大切にしたほうがいい
と改めてかんじました。
どうすればいいかわからない、って人がいるけど人に聞いて自分の悩みが解消することはないことに気がついてないだけだと思う。結局、自分次第じゃないのかな。
私は自分は神経質で気が小さい 心がせまいと
自分を責めて いましたが ある日を境に それで
良いかもと 受け入れたとき すごく人生が変わりました 欠点を認めて生きる そこから新しい
発見があるものです
嫌な事でも
チャレンジだと思うってそれができるバックボーンが必要なんじゃないかな。こう思えばいいってそれは精神論。
よくお金が無い時、ゲーム感覚で挑戦すると良いと言いますね!
再生リストのタイトル一覧をパッと見で、どの前後編が対応しているのかわかりづらいです。(気にせずとも素晴らしい内容ですが)
次々見ていくのが若干やりづらかったのでタイトルを工夫されるとよいかと思います。
途中でいちいち音楽が入るけど不要!続けて拝聴したいですね
諦三さんは苦しんでいる人が悪いという暗示が含まれている。
ではどうするのかというものも少ない。
悩みが解決するのがすごい苦しいという暗示も含まれている。
もっとポップな非二元の考え方の方がよっぽど苦しみから抜け出せると思う。
経験からして。
権威、常識にだまされないように。
苦しんでる人が悪いというよりも、そういう状態に置かれていた自分がいたと事実認識をしっかりとするという事がまず必要になってくるんだと思います。
あの苦しみは自分が原因と言われ苦しんできたけれども、周りの人の間違った対応や認識があって、その中で生きるしかなかった自分がいた。
その過去の状況や苦しみを無かった事には出来ないけど、そこからずっと自分を苦しめ続ける苦悩の状態から抜け出そうと自分の為に望ましい行動を起こしてやれる人もまた自分しかいないと自覚する。
その自覚が先にあって、その後に人生の意味も徐々に生まれてくる。
人一倍苦労が多く自分ばかりが何故と感じながらも、そんな状態に置かれていてもなお今健気に生きている自分を発見し、自分で価値を見出していく。
言葉はその場だけの印象で判断されがちですが、何度も繰り返し自分でもがき続け、考え、行動し続ける事によって耳に入る言葉の奥に存在する真意がやっと理解出来るようになると思います。
それは自分の身にならない内は不公平で理不尽でしかないけれど。
誰かから教えて貰ったり足りないものを与えられないと不公平過ぎる、そういう境地を苦労の末に超え、自分が自分の人生の主体者となれて初めてこういう意味だったかと深い理解に至るものだと思います。
自分が悪いのではないけれど、理不尽にもそういう状態にあった自分をきちんと理解し、自分の人生を自分でしっかり守っていけるようになる事で自分への疑いが晴れていくと思います。
他人が与えなかったことに不満を持つのもいい(素直で当たり前に起こる感情だから)、だけどその先に進んでみようとすること。他人とは自分と同じように不完全な存在であるという正しい認識を持つ。
他人や自分に対して過剰な期待を捨て、その上で自分の人生を満たせるのは自分しかいないんだと認識するという事だと思います。
自分の人生を受け入れ、より良い人生の為に行動を起こす。一筋縄ではいかない人生を愛し一番の応援者に自分がなるという事で人生がひらけてくる。
自分の辿ってきた人生を自分が積極的に理解してやろうと努め、少しずつでいいから自分で自分を補う事が出来るよう行動していくことで、人生の意味が満たされていく。長い時間がかかるけど、その分の深みと意味も自ずと出来てくる。
他人の期待に応えようとすると自分の期待に応えられないという現象が起こります
うーん、仰ってる通りかもしれないけど、結局今日から具体的に何をしていいのかさっぱり分からん
なにもせずとも、理論が分かれば物事の感じかたが変わります。例えば『自分は今までこの様に感じてたけれど、この感じかたは自分の狭い視野で見た間違った景色であり、実際には違うのだ』という感じ。理論を学ぶこと、そして起きた現実を否認せず受け入れること。なにも行動せずとも、この二つで完結します。難しいけれども。
例えば不況を自分へのチャレンジと受け取った人が不況でも成功したと言ってる。結局今日から具体的に何をしたらよいかわからん?答えはネガティブに見える出来事が起きた時に、どれだけチャレンジと受け止めていけるか、そのようにシフトさせる、他者でなく自分に期待できる状態へ心底変えるって事。
なんで、救われる必要がある。若化してきた?
強化出来るのか?
自分を他人と比べてはならない。意味がない。ひとの幸せは個人の中の
刹那にある。
100年の形態を保つべきや?考えるな。今だけを生き、そして原子に帰れ。
加藤さんの本たくさん読みました。その結果うつがひどくなりました。読んで見れば解ります。言っていることはごもっともです、
お気持ちなんとなく解ります。鬱病は長年のストレス等で受けた脳の萎縮や炎症による機能低下障害で、“気の持ちよう“で治る簡単なものではないですよね。そして強い口調の正論や叱咤激励は逆効果だと聞きました。
どちらかというと加藤先生のアドバイスは、健常なかた向けの予防策 だと感じました。
@@nasukatori 加藤先生の本は、30代半ば以前とそれ以降で、論調が別人のように違います。35歳頃の加藤先生の論調は非常に尖っており、社会批判で満ち満ちており正論なんですけど、読んでいて疲れてしまいます。当時の加藤先生は心が病んでおり、自殺未遂をされたとどこかで読みました。40歳頃の加藤先生の本『青春をどう生きるか』は、悟りを開いたように心暖まる内容になっており、この本が私の人生を80%を決定づけたと思っています。
ありそうなことです。先生ご自身が人のお節介を焼くことで辛うじて自分の心の
バランスを保っている人でそれで他人が救われるかは第二義的な事なのでは?
だって、いいお歳なのに何か必死なんだもの。まあまあ該博な知識を混ぜ込むので
芸というか生業というか、、、としても成立するんでしょう。
加藤先生は、私の心の中のお父さんでした。