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🔰作曲・平吉毅州さんによる演奏上の注意点🔰①テンポの設定について👉テンポの設定がどうにも不自然だった学校が意外にも多いのに驚き。メトロノームで指定されていようと、多少ずれるのはむしろ自然だが、伴奏音型が要求しているテンポというものの幅には、おのずと限度がある。👉この課題曲の場合、あまりに遅く重いテンポだと、音楽が死んでしまうし、中間部のテンポ設定がどうにもならなくなってしまう。身体がどんどん前へ運ばれていくようなテンポ感で歌って欲しかった。②ピアノ伴奏について👉前奏の部分、二小節目の三拍目でフレーズが途切れているケースが多かったが、前奏の六小節を一つのフレーズとして捉えるべき。これは一例だが、フレーズの確認は今後とも大切にして欲しい。
それな > 身体がどんどん前へ運ばれていくようなテンポ感で
最初の数秒からあまりに柔らかいタッチのピアノに引き込まれました。NHKの漢字間違いみたいですが、「菊池大成さん」で調べたらプロのピアニストになられ、ご活躍中でした。全て揃った演奏で、何度も聴いてしまいます。
私は昭和50〜52年の計3回NHK全国学校音楽コンクール高校の部に、あ愛知県の所属の高校の合唱部(音楽部)から出ました。緒戦で敗退でしたが、しかしその当時のことは40数年経過した今もはっきり記憶に残っております。全国大会に出る団体さんの演奏をカセットテープに吹き込んで何十回と毎日のように聴いてました。あの当時エヌコンに出た皆様、いまもあの熱い合唱への情熱をお持ちですか?
愛知ならば岡崎か名古屋市立北高でしたか
当時高校生でNHKを見ておりました。この曲と「見えない樹」「ひとつの朝」がNコン課題曲のベストスリーと思っています。
名古屋の中学生だった僕はテレビで八潮のこの演奏を観て感動して高校でも合唱続けようと思いました。
後世に伝えていきたい名演だと思います。
@@agurichannel 爽やかな五月にとともに最高の演奏でしたね😌💓カセットテープも擦りきれて、本当にずっと聴きたかったので、アップありがとうございました🌸
自由曲もあの名演があってこそ、その後に流行歌になったという感じがしますね。
この時、私も高校1年生で、朝日新聞社主催の合唱コンクールに出ました。東京都で八潮高校と言えば、全国代表の常連で憧れでした。懐かしい映像をありがとうございます。
コメント通り。すごい。高校生とは思えない。鳥肌です。
ピアノの菊地大成さんは、私の高校から転校して八潮高校へ編入した方です。短い期間でしたが一緒に音楽部で活動した思い出があるので、この映像はずっと見てみたかったものです。貴重な映像をありがとうございます。
そうだったのですか。伴奏がすばらしくて驚いてます。
彼は、ピアノのレッスンを受けるために、毎週日曜日に片道3時間以上の時間をかけて東京へ通っていました。当時、講評でも伴奏が素晴らしかったと褒められていたように思います。
大変、懐かしいものをアップしてくださり有難うございます。難病治療の副作用から高音域を失い、男声のような音しか出せませんが、ともに歌ってしまいました。S.56年度当時、私は西東京地区高校1年生で音楽部に所属して合唱三昧の青春の日々でした。この曲は大好きな曲の一つです。今でも当時の楽譜を大切に持っています。八潮高には、ファンだった薬師丸ひろ子さんが在籍していたことも相まって、とても印象に残っている学校です。福島の安積女子さん、香川の坂出さんも強豪校でしたね。
この演奏の二年後、指揮の平松先生を中心に、プロの合唱団が作られますが、第一回演奏会は、素晴らしい会でした。合唱ももちろんですが、伴奏をされた、菊池大成さんの伴奏の素晴らしかったことは、今でも記憶にあります。
あの平松混成の結成記念演奏会、僕も聴きに行きましたよ。たしかメインステージは尾形敏幸の組曲「風に寄せて」(委嘱初演)でしたっけ。本当に素晴らしかったのを覚えています。また前半のステージでは、同じ作曲者/作詞者の「虹の環」も歌われ、こちらも超絶的な名演でしたね。
はじめまして、コメントされてる合唱団はもしかして、平松混声合唱団でしょうか?
八潮高校様は昭和52年に自由曲で大中恩作曲の『島よ』第三曲を歌われましたね!同じ世代でこんなにも情感込めた演奏を可能にされたんだと!昭和52年当時衝撃でした。
この前後の年度生まれです。中学校三年生の時、校内合唱コンクールで歌いましたが、中学生には難しい曲でした。でもいい思い出です。
八潮高校と言えば、自由曲で「冬の風」を歌った名演奏が大好き
いいですね!素晴らしいです。私もこの時高校1年生、わずか半年、地方の高校合唱部に所属していた時にこの歌を歌ったことを思い出します。これが輝かしい本物の高校生の合唱ですよね。これ、おそらく今の尺度で審査すれば、ピッチがどうのこうの、そろい方がどうのこうの、で、減点されてしまうのでしょう。でも私にはこの時代の合唱のほうが数十倍魅力的に聴こえます。コンクールは学生の合唱から、何を奪っていってしまったのでしょう?ちなみにうろ覚えですが、わが里程標って、唯一、Nコンで2度課題曲になった曲だったような気がします。
詩や曲の本質が求めている表現やダイナミックさを高校生にしか出せない魅力で歌い上げた名演だと思います。技術が向上し拮抗すると、テクニックで評価の差をつけるしかないのかもしれませんが、昨今の学生合唱の傾向は寂しいものも感じます。後年に課題曲になった件ですが、昭和59年〜平成元年に既存曲を選択制で歌える時代がありました。「わが里程標」以外にも「ひとつの朝」「冬・風蓮湖」「ともしびを高くかかげて」等も選ばれています。www.nhk.or.jp/ncon/archives/theme.html
@@agurichannel 早速の返信、ありがとうございました。なるほど、わが里程標だけではなかったのですね、失礼しました。芸術的に高くなったと言われる昨今の学生合唱ですが、私は(もちろん芸術性は大事ですが)こういう輝く合唱を聴いて、歌が好きになったのだと思っています。今聴いても心が震えます。
懐かしい❤
ピアニストの菊池さんって今何されてるんですか?
赤穂のが課題曲うまいと思います。
首を斜めにして歌うんだろうなぁ~🤔。
🔰作曲・平吉毅州さんによる演奏上の注意点🔰
①テンポの設定について
👉テンポの設定がどうにも不自然だった学校が意外にも多いのに驚き。メトロノームで指定されていようと、多少ずれるのはむしろ自然だが、伴奏音型が要求しているテンポというものの幅には、おのずと限度がある。
👉この課題曲の場合、あまりに遅く重いテンポだと、音楽が死んでしまうし、中間部のテンポ設定がどうにもならなくなってしまう。身体がどんどん前へ運ばれていくようなテンポ感で歌って欲しかった。
②ピアノ伴奏について
👉前奏の部分、二小節目の三拍目でフレーズが途切れているケースが多かったが、前奏の六小節を一つのフレーズとして捉えるべき。これは一例だが、フレーズの確認は今後とも大切にして欲しい。
それな > 身体がどんどん前へ運ばれていくようなテンポ感で
最初の数秒からあまりに柔らかいタッチのピアノに引き込まれました。
NHKの漢字間違いみたいですが、「菊池大成さん」で調べたらプロのピアニストになられ、ご活躍中でした。
全て揃った演奏で、何度も聴いてしまいます。
私は昭和50〜52年の計3回NHK全国学校音楽コンクール高校の部に、あ愛知県の所属の高校の合唱部(音楽部)から出ました。緒戦で敗退でしたが、しかしその当時のことは40数年経過した今もはっきり記憶に残っております。全国大会に出る団体さんの演奏をカセットテープに吹き込んで何十回と毎日のように聴いてました。あの当時エヌコンに出た皆様、いまもあの熱い合唱への情熱をお持ちですか?
愛知ならば岡崎か名古屋市立北高でしたか
当時高校生でNHKを見ておりました。この曲と「見えない樹」「ひとつの朝」がNコン課題曲のベストスリーと思っています。
名古屋の中学生だった僕はテレビで八潮のこの演奏を観て感動して高校でも合唱続けようと思いました。
後世に伝えていきたい名演だと思います。
@@agurichannel 爽やかな五月にとともに最高の演奏でしたね😌💓
カセットテープも擦りきれて、本当にずっと聴きたかったので、アップありがとうございました🌸
自由曲もあの名演があってこそ、その後に流行歌になったという感じがしますね。
この時、私も高校1年生で、朝日新聞社主催の合唱コンクールに出ました。東京都で八潮高校と言えば、全国代表の常連で憧れでした。懐かしい映像をありがとうございます。
コメント通り。すごい。高校生とは思えない。鳥肌です。
ピアノの菊地大成さんは、私の高校から転校して八潮高校へ編入した方です。短い期間でしたが一緒に音楽部で活動した思い出があるので、この映像はずっと見てみたかったものです。貴重な映像をありがとうございます。
そうだったのですか。伴奏がすばらしくて驚いてます。
彼は、ピアノのレッスンを受けるために、毎週日曜日に片道3時間以上の時間をかけて東京へ通っていました。当時、講評でも伴奏が素晴らしかったと褒められていたように思います。
大変、懐かしいものをアップしてくださり有難うございます。難病治療の副作用から高音域を失い、男声のような音しか出せませんが、ともに歌ってしまいました。
S.56年度当時、私は西東京地区高校1年生で音楽部に所属して合唱三昧の青春の日々でした。この曲は大好きな曲の一つです。今でも当時の楽譜を大切に持っています。八潮高には、ファンだった薬師丸ひろ子さんが在籍していたことも相まって、とても印象に残っている学校です。福島の安積女子さん、香川の坂出さんも強豪校でしたね。
この演奏の二年後、指揮の平松先生を中心に、プロの合唱団が作られますが、第一回演奏会は、素晴らしい会でした。合唱ももちろんですが、伴奏をされた、菊池大成さんの伴奏の素晴らしかったことは、今でも記憶にあります。
あの平松混成の結成記念演奏会、僕も聴きに行きましたよ。たしかメインステージは尾形敏幸の組曲「風に寄せて」(委嘱初演)でしたっけ。本当に素晴らしかったのを覚えています。また前半のステージでは、同じ作曲者/作詞者の「虹の環」も歌われ、こちらも超絶的な名演でしたね。
はじめまして、コメントされてる合唱団はもしかして、平松混声合唱団でしょうか?
八潮高校様は昭和52年に自由曲で大中恩作曲の『島よ』第三曲を歌われましたね!同じ世代でこんなにも情感込めた演奏を可能にされたんだと!昭和52年当時衝撃でした。
この前後の年度生まれです。
中学校三年生の時、校内合唱コンクールで歌いましたが、中学生には難しい曲でした。でもいい思い出です。
八潮高校と言えば、自由曲で「冬の風」を歌った名演奏が大好き
いいですね!素晴らしいです。私もこの時高校1年生、わずか半年、地方の高校合唱部に所属していた時にこの歌を歌ったことを思い出します。これが輝かしい本物の高校生の合唱ですよね。これ、おそらく今の尺度で審査すれば、ピッチがどうのこうの、そろい方がどうのこうの、で、減点されてしまうのでしょう。でも私にはこの時代の合唱のほうが数十倍魅力的に聴こえます。コンクールは学生の合唱から、何を奪っていってしまったのでしょう?
ちなみにうろ覚えですが、わが里程標って、唯一、Nコンで2度課題曲になった曲だったような気がします。
詩や曲の本質が求めている表現やダイナミックさを高校生にしか出せない魅力で歌い上げた名演だと思います。技術が向上し拮抗すると、テクニックで評価の差をつけるしかないのかもしれませんが、昨今の学生合唱の傾向は寂しいものも感じます。
後年に課題曲になった件ですが、昭和59年〜平成元年に既存曲を選択制で歌える時代がありました。「わが里程標」以外にも「ひとつの朝」「冬・風蓮湖」「ともしびを高くかかげて」等も選ばれています。
www.nhk.or.jp/ncon/archives/theme.html
@@agurichannel 早速の返信、ありがとうございました。なるほど、わが里程標だけではなかったのですね、失礼しました。
芸術的に高くなったと言われる昨今の学生合唱ですが、私は(もちろん芸術性は大事ですが)こういう輝く合唱を聴いて、歌が好きになったのだと思っています。今聴いても心が震えます。
懐かしい❤
ピアニストの菊池さんって今何されてるんですか?
赤穂のが課題曲うまいと思います。
首を斜めにして歌うんだろうなぁ~🤔。