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生前の植村さんに出会ったことあります。。植村さんが縁故入社された新日本運輸もバブル崩壊の時期に倒産して今は存在しませんね。昭和はいろんな事がありました。。冒険家植村さんは日本人の永遠の誇りです。
以前勤めていた、代々木カメラってカメラ屋さんの社長さんが植村さんのパスポートの証明写真は自分が撮影したんだって4眼カメラのうち2枚を分けて貰ったってお店に飾って居ました。そこの社長さんも山登りが大好きで良く残業の時に山登り話してくれました。今頃天国で植村さんと楽しく山登り話しをして居ると思います。コチラの動画見なが社長の事思い出して居ました。ありがとうございます。
ささ
本当かよ。
泣く
お兄ちゃんが良い人すぎる
小学生のころ植村直己の本をみて心がワクワクした。 あれから何十年、この動画を見て心が躍ると同時に涙が出てきた、一度でいいから会って見たかったな
『青春を山に賭けて』は何度も読みました。影響されて自転車で千葉県から兵庫県の植村直己冒険館に行こうとしましたが山中湖で疲れきってしまい、ホテルに泊まってゆっくり観光しながら帰りました。
植村直己さんの著作は、若い頃に全て読みました。ホントこれほどすごい日本人が居られたことは、誇りですし、未だに私の励みです。
確か開高健だったと思うが、植村氏が消息を絶って死亡認定された後に「人が冒険する気力を失くしたらこの世は闇だ」「我々は個人の力が世界に通用する数少ない日本人の、その筆頭の人物を失った」と悼んだのが忘れられない。誰が言ったか、人を悼む最大の行為は「忘れない事」。至言だと思う。
今まで見た植村直己動画で一番良かった!素晴らしい動画を作ってくださりありがとうございます!
本当に偶然なのですが、今日2/12植村さんのお誕生日にこの動画を見られたことは僥倖でした。ありがとうございます
素晴らしい動画でした。中学生の時にファンになり、その一年後に遭難。彼に憧れて、植村さんがエベレストではめていた時計を今も着けています。
植村直己さんの映画を観ているような充実した内容をありがとうございました🙇リクエスト叶えて頂いたことも感謝します。😊日本が誇る植村直己さんは人に対しても、どこの地域の人にも、更には動物に対しても優しい人なのだなぁと思いました。優しいから幸運がくる、更には人々が力になってくれて世界中の冒険が成功した。このような人々を惹き付けるオーラは植村さん自身の素敵なところですね💕後、災難に見舞われても土壇場で助かる強運の持ち主✨✨シロクマに襲われなくて良かった😉今頃、大学時代の親友だった小林さんと「ここの景色は素晴らしかった」とか天国で語っているのかなぁ。😊
小学2年生の時に読書感想文にって読んだ「植村直己・地球冒険62万キロ」を読んで幼心にガツンと来ました。もう読書感想文そっちのけで読みふけり(笑)その本は今でも事あるごとに何度も読み返したりで本棚に置いてます。だいぶ後になって「青春を山に賭けて」や「極北に駆ける」も読みました。自分でも(自分に出来る範囲の)冒険に挑んだり、常にここではないどこかへ行く事を求めたり、間違いなく自分の人生観を変え…道標を見せてくれた人です!植村さんって、その現地の人に完全になっちゃうんですよね。土地土地の伝統を否定して最先端の技術でゴリ押ししない、現地の伝統的な技術・知恵を知り自分も現地の人になり、いいものをどんどん取り入れて、ミックスするスタイル。・エスキモーになった日本人・笑顔の探検家漫画「岳」の三歩のモデルになったのは植村直己さんじゃないかなぁって思ってます。
植村直己さんの長編ありがとうございます✨本当に素晴らしい方ですね✨
まわりの人に恵まれる…それも才能ですね。まず、お兄さんがいい人すぎる。まわりの人を惹き付ける魅力に溢れていたのでしょう。遭難のニュース、新聞の1面に大きく載っていたのを覚えています。登山や南極大陸の冒険を詳しく知らない子供でしたが、まさか遭難するなんて、と驚きました。
植村直己の動画は何本か見ましたがこれが一番良かった。結構な長編でしたが一気に見入ってしまいました。ありがと〜彼の名言は心に刻みました。
植村直己賞が出来るのも納得です。こんな凄い方が居たとは…
中学の国語の教科書に植村氏の北極点単独到達の物語が取り上げられていて授業そっちのけで読んでいた記憶が蘇ります。最後のマッキンリー登頂の報告を無線で受けていた方の「おめでとうございますおめでとうございます」の速調子の連呼が未だに耳に残ってますね。
長い動画でしたが、少しも飽きずに最後まで一気に鑑賞させていただきました。とても面白いさかったです!植村さんは全てから自由になって、今もどこかを冒険してるのかも😮
北極点単独行は当時TBSの深夜ラジオで毎日放送(さすがに生放送ではない)していて、布団に潜り込んでわくわくしながら聴いていました。(歳がバレる)マッキンリーで行方不明だというニュースを聞いても「植村さんなら必ず戻ってくる」と信じていました。当時子供だった私には知るよしもありませんでしたが、最期の数年はなにかと辛い期間だったのですね。偉大な冒険家に合掌。
上村直己さんの北極点は本で読みました。マッキンリーの件も当時は無事でいてくれと願っていました。偉大な冒険家です。 取り上げてもらいありがとうございます。
待ってました!植村直己冒険館にもよく行きます!
動画見る前までは「夢半ばで亡くなった凄い冒険家」程度の認識だったけれど、信条や性格まで優れた人格者と知れて良かった。
😭😭😭胸いっぱいです。感動の動画をありがとうございます‼︎
最高でした素晴らしい動画をありがとうございます
冒険家 直巳 永遠に…
大長編ありがとうございます。素晴らしい動画でした。植村氏を知ったのは北極点単独犬橇冒険の時でした。当時小学4年生。マッキンリー行方不明時は高校1年生、リアルタイムで経験した世代です。日高の記念館設立前、植村氏の実家に記念館が設立された際に植村氏のお父様とお話できた思い出があります。死ぬまでにはマッキンリーを見たいと思う50代半ばのオッサンでした。
直己さんに伝えたい「兄は親ではありません」「親同様に愛してくれる兄弟がいるのはうらやましい限りです」素晴らしい業績に励まされます。
「やろうと思えば、何でもやれるんだ」という植村氏そのものを語る言葉は至言ですわ。色んな可能性を人は秘めていても、やらないし、やれないと思う人の方が多い中、植村氏が一番若者に教えたかった人生哲学ではないだろうか。
この動画に出会えて良かった。植村直己氏が何を成し遂げたかは知っていたが、どんな人だったかということは知らなかったので、久々に心うたれた動画に出逢えて非常に楽しく観させて頂きました🗻もっと日本人、特に若い世代に知ってもらいたい人物ですね✨坂本龍馬、加藤清正、ダイナマイト・キッド、メジロマックイーン(馬だけど💦)、偉大な人って生没同日のイメージある。
本当に素晴らしい長編を楽しませていただきました身一つで忽然と世界から消えてしまったのも悲しいですが彼らしいのかもしれませんねきっと彼はまだ挑み続けている途中なのでしょう
名前と国民栄誉賞受賞は知っていたけど、実績とかまるで知らずに興味本位で軽い気持ちで見始めたのが運の尽き。こんな「大馬鹿野郎」が日本に実在していたとは・・・見終わって初めて長尺であったことを知るほど、惹きこまれてしまいました。
日常の生活とは全く違う過酷苛烈な世界がこの地球の上にはあって、そんな中を全能力を尽くして突破する男はちゃんといて、しかもそれが誇るべき日本人なのだ。昭和の子供としてそんな風に感じていました。当時も今も冒険とは縁のない人生ですが、植村氏の遭難死は本当に衝撃でした。
明治OBです。夢を抱き続けて生きた先輩を誇りに思い、自分もまた夢を持ち続けようと思いました。
最後まで見て、泣けた。
無謀に見えることを思い立っても、そのために綿密な計画と調査、トレーニングをし、周囲への敬意を持ち続ける姿が凄い
神回中の神回!永久保存版・Up主様に感謝です!!!
昭和の多くの少年が植村直己に憧れていました。令和でも受け継がれているのは嬉しいですね😊
震えた。語り口がまた素晴らしい。
植村直己さん存じていたのでこういう動画有り難いです!まさにレジェンド冒険家、素敵な人だったんでしょうね。山で鬼籍に入るとは、無念です…合掌。
登山冒険家達を取り上げて頂いて非常に楽しく拝見しております。これからも楽しみにしています。
長編動画なのに楽しすぎて体感30分でした。自分も旅が好きですがLVが違いすぎて笑ってしまします。話は変わりますが埼玉県飯能市という所に山遊人(さんゆうじん)さんという登山店がありました(残念ながらH30.12閉店)。植村さんの姪の方がやられてて某山登りアニメとか登山道具等でとてもとてもお世話になりました。まだお店が営業されてたら…と思いに耽てしてました。冒険はまず行く、やってみる事が大事と改めて感じられました。そしてかならず帰る事、なによりも大事。素晴らしい動画で元気をもらしました、ありがとうございます!
今回は長い動画だなぁと思って見始めましたが、大変興味深くあっという間に見てしまいました。素晴らしい動画をありがとうございます!
自分で選んだ事とはいえこんなに過酷な冒険に幾度も挑む姿に涙が流れてなりません。なんと素晴らしい偉人なのでしょうか。尊敬できる大好きな方です。弱音ばかりはいている自分が情けないです。強く優しい植村さんの様に肝を据えて生きて行こうと思います。最高の動画を有難うございました。
植村直己冒険館行ったなぁ…大きくなった今もう一回行きたくなった。今度帰省した時に行こう
素晴らしい動画ありがとうございます。観ていて勇気付けれられました。
すごい感動して勉強になりました!本当にありがとうございます😊
長編編集お疲れ様でした!植村さんといえばお茶目💕奥様の話では、家では寒がり(!)&ゴキがダメだったとか… シロクマ撃てて、ウジ湧いた鮭食べれてもGが無理な冒険家…
奥さんもすごい人。みんなが「悲劇のヒロインになっていいんですよ」という空気を出しまくっていた記者会見で気丈に振舞った。あれは忘れられない。
いつも楽しく拝見しています、植村直己さんのことは知っていてもどんなことをしていたのかまでは知らなかったです。1時間半の中にギッシリと詰め込まれていてとても楽しく、亡くなられたことはとても悲しいですが、最後は感動しました。もしかしたらどこかの山の中でまだ冒険しているような気がします。動画素晴らしかったです
大変面白い動画ありがとうございました。植村直巳は真のレジェンドですね。✨
めちゃくちゃ面白かったです!いつかきちんと学びたかった人物ではありましたが、こんなに楽しめるとは思わなかった。永久保存決定です。
「輝きを失ったヒーロー」「落ちた偶像」「オグリは終わった」1990年12月23日有馬記念 ファン投票は1位でも馬券は4番人気オグリキャップの単勝を購入した公子夫人に気晴らしに競馬に誘った友人が尋ねた「なぜオグリキャップの馬券を購入したんですか?」公子夫人「オグリキャップは戻って来てくれます」確か競馬専門誌のコラムの片隅でこんな記事を読んだ記憶がある
素晴らしい動画をありがとうございます。体が丈夫なだけでなく、行く先々で人に愛されるコミュニケーション能力の高い人だったんですね。最後泣けてきました。
序盤の“霊夢ちょっと行ってこい”の茶番が好きすぎるw
こんな見どころしか無い壮大ストーリーで一番印象に残るのがなんでキビヤック紛失事件なんだ私のバカーーー💦
亡くなったときのニュースはよく覚えてます。偉大な冒険家でも駄目なときは駄目なんだなあ、と驚いた記憶があります。
いや~時間を忘れさすぐらい最高の出来の動画をありがとう。
「そんな装備で大丈夫か」「問題ない」がリアルの超人
1番いいのをたのむ
愛情深くて、シャイな頑張り屋さん。不器用だが優しく、癒しを与える愛されないわけがない温かみのあるお人柄。それと併せた世界初の偉業の数々。この方が、今なお変わらず愛され続けているのが分かります。素敵ですね。僕も、女性だったら植村さんみたいな人が好きになったかもしれない。
縁故就職はきっとかなり絶望的だったと思いますが、結果関西大学よりは進んだ山岳部がある明治へ入ることができて、やっぱり運命だったんですね。人生何も無駄は無いというのは真実ですね。
大長編きたーーー!割とさらっと流されたアマゾン川6000キロ下りもとんでもない偉業で草。日本2周しとる
感動するとは思って見始めたがホントにラストで涙が出るとは。私も頑張るよ。だってやろうと思えばなんでもできるんだもんね。
子供のころ学校で植村直己物語見せられたのを思い出す。ラストが衝撃的で凄く印象に残ってます。
私が尊敬する冒険家
小学生の時、体育館に集められて記録映画を観た記憶があります。シロクマに襲われた時にカメラが回ってたので映像が残ってました。
最高だ。泣いた。
小学校低学年の時に映画、植村直己物語を見たけどその時は良くわからなかった。連れていってくれた祖父は感動してたみたいだけど。改めて動画を見させてもらってスゴい人だったんだなぁと思いました。ありがとうございます。
植村直己さん、公子さんとは、何度も。(犬の)アンナ。小西正継さん。ともお会いした事あります。電通と関わってからは、浮かない表情が多かったです。でも、イギリスの賞を授与された帰国された際は、本当に嬉しさが満ち。久々に楽しそうな直巳さんにお会いした。って記憶があります。さて、マッキンリー登頂へ経たれる前にお会いした際には、「南極をもう一度行う 資金集めでになるので、。」って聞いてもいましたが、、、。マッキンリー ベースキャンプから祖父宛に「(スポンサー提供の)靴が合わない。」と、手紙に泣き言を綴られ、文面の詳細までは記憶しておりませんが「こんな登山は辞めたい。」って”心の叫び”を感じられる内容だったことを記憶してます。純粋で自らの目標、目的に全振りする方で「冒険」以外のことは、相当な重荷、負担だったのかも。
南極という夢の為に嫌でも、やらなければいけない事だったのでしょうか。ストレスやプレッシャーもあったのかもしれませんね。貴重な話を、ありがとうございます。
素晴らしい動画をありがとうございます。
小学生の頃道徳の時間に記録映画を見て子供ながら凄く感動😢した記憶があります。今一度植村さんの軌跡知りたいと思いました。ありがとうございます。
1時間半があっという間に感じられました。
配信有り難う御座います。
めちゃめちゃよい動画でした!
ありがとうございます!
子供の頃植村直己氏の遭難事故で偉業を知りました。私にとって英雄であり偉大な冒険家です
一気見できちゃったよ
夢だらけの人生って素敵なフレーズですね!
小学生の頃から普通にニュースで見てたから、他にも似たような冒険家がいるかと思っていたけど、これだけの人はもう出てこないとは思っても見なかった。いつも元気に帰ってきていたから、まさか帰らない日が来るとは思わなくて、ショックだったのを覚えている。ただの変わり者としか思ってなかったけど、今回視聴できてとんでもない人だと理解できたよ。ありがとう😊
やりたいと強く思い、行動することの大切さを教えて頂きました。いつも分かりやすくて、面白い解説ありがとうございます。
生きるとは何かを考えさせてもらいました。
素晴らしい動画でした。そして素晴らしい方だったのですね
日本人の前に彼は人間なのだろうか??素晴らしい動画しかもこんなに長い動画ありがとうございます😭!ウプ主様様
導入がさっぱりで面白いです詳しい内容も感謝です。動画ご無理なく配信して下さい。ありがとうございます
昔、図書館で読んだ「極北をかける」を思い出しました。
学生の頃に本で植村さんを知って山に興味がわいた人間なので、ゆっくりまうんてんで植村さんを取り上げてもらえて嬉しいです
大作動画ですね!素晴らしい。
小学校の国語の教科書に『極点をめざして』が載ってました。とても感動しましたが、覚えているのは「キミちゃん、俺は死ぬよ」の言葉だけ。何十年も経ってまたこの言葉に出会うことができ、詳しく知ることができました。ありがとうございます。
ウエムラスペシャルは時計だけでなく、カメラもあります。一般販売はされませんでしたが。(過酷すぎる環境に耐えるためにあまりにも高額になる)北極の時に持って言ったウエムラスペシャルはマイナス50度でも作動し、かなりの振動にも耐えられるように作られています。おそらく断念した南極でも耐えられるようなものとしてメーカー(ニコン)も作ったことでしょう。当時はまだ自動でピント合わせする機能も無く、フィルムな上に全部自分で設定して撮さなければならない上、一面銀世界の様子を撮るのはプロのカメラマンですら難易度の高いことでした。これは雪に太陽光が反射して一面ピカピカ光り、普通に撮影すると真っ白になってしまうからです。(極地では外で超時間活動する場合サングラス等目をガードしてないとこの反射光で目がダメになります)ですので、植村氏は極地カメラマンとしても一流だったそうです。現在では植村博物館や品川のニコンミュージアムでウエムラスペシャルやその開発過程、そして植村氏が撮影した写真を見ることができます。マッキンリーには2台のカメラを持っていって、一台は動画の中でもあったように後日回収されています。残りの一台は今でも彼と一緒に眠っているのかもしれません。
心から尊敬できる人ですね…偉人の人生の末端でも教えてくれてありがとう
大学時代の経験が大きかったんだろうと思います!其れを支えてくれたお兄さんや家族は、素晴らしいです
兵庫出身なのですが小学生くらいの時に自然学校というのをやっているんですがさんの影響もありそうかもと思いました
ぐぬぬ!素晴らしい。😃✌️この動画は日本全国の小学校で見せるべきです。UA-cam有り難う😆💕✨
素晴らしい長編、ありがとうございました&お疲れ様でした
人間はみな毎日何らかの登山をしているのと同じなんだな〜と思いました。
ありがとうございました
20:38 急にやまなみリスペクトwww
素晴らしすぎるあっという間の一時間超でした!!
感動しました🥹素晴らしい動画、ありがとうございます😭
最高でした!
「犬ぞりなんて可哀想なことするな」派閥の私ですが、なんだかこの方は本当に家族のようにわんこたちを愛していて、旅の途中クレバスに落ちてしまった子も、不本意に生まれてきた子犬たちも、本当に本当に大事にしていたのだろうなと思った。この方の名前も聞いたことなかったし、当然のように本も読んだことないし、山にも興味のない私ですが、この動画を見ただけで植村さんは凄い人だと感じる。教えてくれてありがとうございました。
クレバスに落ちた犬は、必死で引き上げている途中でハーネスが切れて残念ながら助かりませんでした。出産した犬は、植村さんは売ったエスキモーに怒りながらも母犬と子犬を毛布でくるんでソリに乗せ旅を続けました。
栗城氏を見てからこちらを見てます。全く違った大作ですね。
生前の植村さんに出会ったことあります。。植村さんが縁故入社された新日本運輸もバブル崩壊の時期に倒産して今は存在しませんね。昭和はいろんな事がありました。。冒険家植村さんは日本人の永遠の誇りです。
以前勤めていた、代々木カメラってカメラ屋さんの社長さんが植村さんのパスポートの証明写真は自分が撮影したんだって4眼カメラのうち2枚を分けて貰ったってお店に飾って居ました。そこの社長さんも山登りが大好きで良く残業の時に山登り話してくれました。今頃天国で植村さんと楽しく山登り話しをして居ると思います。コチラの動画見なが社長の事思い出して居ました。ありがとうございます。
ささ
本当かよ。
泣く
お兄ちゃんが良い人すぎる
小学生のころ植村直己の本をみて心がワクワクした。 あれから何十年、この動画を見て心が躍ると同時に涙が出てきた、一度でいいから会って見たかったな
『青春を山に賭けて』は何度も読みました。影響されて自転車で千葉県から兵庫県の植村直己冒険館に行こうとしましたが山中湖で疲れきってしまい、ホテルに泊まってゆっくり観光しながら帰りました。
植村直己さんの著作は、若い頃に全て読みました。ホントこれほどすごい日本人が居られたことは、誇りですし、未だに私の励みです。
確か開高健だったと思うが、植村氏が消息を絶って死亡認定された後に「人が冒険する気力を失くしたらこの世は闇だ」「我々は個人の力が世界に通用する数少ない日本人の、その筆頭の人物を失った」と悼んだのが忘れられない。
誰が言ったか、人を悼む最大の行為は「忘れない事」。至言だと思う。
今まで見た植村直己動画で一番良かった!素晴らしい動画を作ってくださりありがとうございます!
本当に偶然なのですが、今日2/12植村さんのお誕生日にこの動画を見られたことは僥倖でした。ありがとうございます
素晴らしい動画でした。中学生の時にファンになり、その一年後に遭難。
彼に憧れて、植村さんがエベレストではめていた時計を今も着けています。
植村直己さんの映画を観ているような充実した内容をありがとうございました🙇リクエスト叶えて頂いたことも感謝します。😊
日本が誇る植村直己さんは人に対しても、どこの地域の人にも、更には動物に対しても優しい人なのだなぁと思いました。優しいから幸運がくる、更には人々が力になってくれて世界中の冒険が成功した。このような人々を惹き付けるオーラは植村さん自身の素敵なところですね💕
後、災難に見舞われても土壇場で助かる強運の持ち主✨✨シロクマに襲われなくて良かった😉
今頃、大学時代の親友だった小林さんと「ここの景色は素晴らしかった」とか天国で語っているのかなぁ。😊
小学2年生の時に読書感想文にって読んだ「植村直己・地球冒険62万キロ」を読んで幼心にガツンと来ました。もう読書感想文そっちのけで読みふけり(笑)その本は今でも事あるごとに何度も読み返したりで本棚に置いてます。
だいぶ後になって「青春を山に賭けて」や「極北に駆ける」も読みました。
自分でも(自分に出来る範囲の)冒険に挑んだり、常にここではないどこかへ行く事を求めたり、間違いなく自分の人生観を変え…道標を見せてくれた人です!
植村さんって、その現地の人に完全になっちゃうんですよね。土地土地の伝統を否定して最先端の技術でゴリ押ししない、現地の伝統的な技術・知恵を知り自分も現地の人になり、いいものをどんどん取り入れて、ミックスするスタイル。
・エスキモーになった日本人
・笑顔の探検家
漫画「岳」の三歩のモデルになったのは植村直己さんじゃないかなぁって思ってます。
植村直己さんの長編ありがとうございます✨本当に素晴らしい方ですね✨
まわりの人に恵まれる…それも才能ですね。
まず、お兄さんがいい人すぎる。
まわりの人を惹き付ける魅力に溢れていたのでしょう。
遭難のニュース、新聞の1面に大きく載っていたのを覚えています。
登山や南極大陸の冒険を詳しく知らない子供でしたが、まさか遭難するなんて、と驚きました。
植村直己の動画は何本か見ましたがこれが一番良かった。結構な長編でしたが一気に見入ってしまいました。
ありがと〜
彼の名言は心に刻みました。
植村直己賞が出来るのも納得です。
こんな凄い方が居たとは…
中学の国語の教科書に植村氏の北極点単独到達の物語が取り上げられていて授業そっちのけで読んでいた記憶が蘇ります。最後のマッキンリー登頂の報告を無線で受けていた方の「おめでとうございますおめでとうございます」の速調子の連呼が未だに耳に残ってますね。
長い動画でしたが、少しも飽きずに最後まで一気に鑑賞させていただきました。とても面白いさかったです!
植村さんは全てから自由になって、今もどこかを冒険してるのかも😮
北極点単独行は当時TBSの深夜ラジオで毎日放送(さすがに生放送ではない)していて、布団に潜り込んでわくわくしながら聴いていました。(歳がバレる)
マッキンリーで行方不明だというニュースを聞いても「植村さんなら必ず戻ってくる」と信じていました。
当時子供だった私には知るよしもありませんでしたが、最期の数年はなにかと辛い期間だったのですね。
偉大な冒険家に合掌。
上村直己さんの北極点は本で読みました。
マッキンリーの件も当時は無事でいてくれと願っていました。
偉大な冒険家です。 取り上げてもらいありがとうございます。
待ってました!植村直己冒険館にもよく行きます!
動画見る前までは「夢半ばで亡くなった凄い冒険家」程度の認識だったけれど、信条や性格まで優れた人格者と知れて良かった。
😭😭😭胸いっぱいです。感動の動画をありがとうございます‼︎
最高でした
素晴らしい動画をありがとうございます
冒険家 直巳 永遠に…
大長編ありがとうございます。素晴らしい動画でした。
植村氏を知ったのは北極点単独犬橇冒険の時でした。当時小学4年生。
マッキンリー行方不明時は高校1年生、リアルタイムで経験した世代です。
日高の記念館設立前、植村氏の実家に記念館が設立された際に植村氏のお父様とお話できた思い出があります。
死ぬまでにはマッキンリーを見たいと思う50代半ばのオッサンでした。
直己さんに伝えたい「兄は親ではありません」「親同様に愛してくれる兄弟がいるのはうらやましい限りです」素晴らしい業績に励まされます。
「やろうと思えば、何でもやれるんだ」という植村氏そのものを語る言葉は至言ですわ。色んな可能性を人は秘めていても、やらないし、やれないと思う人の方が多い中、植村氏が一番若者に教えたかった人生哲学ではないだろうか。
この動画に出会えて良かった。
植村直己氏が何を成し遂げたかは知っていたが、どんな人だったかということは知らなかったので、久々に心うたれた動画に出逢えて非常に楽しく観させて頂きました🗻
もっと日本人、特に若い世代に知ってもらいたい人物ですね✨
坂本龍馬、加藤清正、ダイナマイト・キッド、メジロマックイーン(馬だけど💦)、偉大な人って生没同日のイメージある。
本当に素晴らしい長編を楽しませていただきました
身一つで忽然と世界から消えてしまったのも悲しいですが彼らしいのかもしれませんね
きっと彼はまだ挑み続けている途中なのでしょう
名前と国民栄誉賞受賞は知っていたけど、実績とかまるで知らずに興味本位で軽い気持ちで見始めたのが運の尽き。
こんな「大馬鹿野郎」が日本に実在していたとは・・・
見終わって初めて長尺であったことを知るほど、惹きこまれてしまいました。
日常の生活とは全く違う過酷苛烈な世界がこの地球の上にはあって、そんな中を全能力を尽くして突破する男はちゃんといて、しかもそれが誇るべき日本人なのだ。
昭和の子供としてそんな風に感じていました。
当時も今も冒険とは縁のない人生ですが、植村氏の遭難死は本当に衝撃でした。
明治OBです。夢を抱き続けて生きた先輩を誇りに思い、自分もまた夢を持ち続けようと思いました。
最後まで見て、泣けた。
無謀に見えることを思い立っても、そのために綿密な計画と調査、トレーニングをし、周囲への敬意を持ち続ける姿が凄い
神回中の神回!永久保存版・
Up主様に感謝です!!!
昭和の多くの少年が植村直己に憧れていました。令和でも受け継がれているのは嬉しいですね😊
震えた。語り口がまた素晴らしい。
植村直己さん存じていたのでこういう動画有り難いです!
まさにレジェンド冒険家、素敵な人だったんでしょうね。山で鬼籍に入るとは、無念です…合掌。
登山冒険家達を取り上げて頂いて非常に楽しく拝見しております。
これからも楽しみにしています。
長編動画なのに楽しすぎて体感30分でした。自分も旅が好きですがLVが違いすぎて笑ってしまします。
話は変わりますが埼玉県飯能市という所に山遊人(さんゆうじん)さんという登山店がありました(残念ながらH30.12閉店)。
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まだお店が営業されてたら…と思いに耽てしてました。
冒険はまず行く、やってみる事が大事と改めて感じられました。
そしてかならず帰る事、なによりも大事。
素晴らしい動画で元気をもらしました、ありがとうございます!
今回は長い動画だなぁと思って見始めましたが、大変興味深くあっという間に見てしまいました。
素晴らしい動画をありがとうございます!
自分で選んだ事とはいえこんなに過酷な冒険に幾度も挑む姿に涙が流れてなりません。なんと素晴らしい偉人なのでしょうか。尊敬できる大好きな方です。弱音ばかりはいている自分が情けないです。強く優しい植村さんの様に肝を据えて生きて行こうと思います。最高の動画を有難うございました。
植村直己冒険館行ったなぁ…
大きくなった今もう一回行きたくなった。
今度帰省した時に行こう
素晴らしい動画ありがとうございます。観ていて勇気付けれられました。
すごい感動して勉強になりました!本当にありがとうございます😊
長編編集お疲れ様でした!
植村さんといえばお茶目💕奥様の話では、家では寒がり(!)&ゴキがダメだったとか… シロクマ撃てて、ウジ湧いた鮭食べれてもGが無理な冒険家…
奥さんもすごい人。みんなが「悲劇のヒロインになっていいんですよ」という空気を出しまくっていた記者会見で
気丈に振舞った。あれは忘れられない。
いつも楽しく拝見しています、植村直己さんのことは知っていてもどんなことをしていたのかまでは知らなかったです。1時間半の中にギッシリと詰め込まれていてとても楽しく、亡くなられたことはとても悲しいですが、最後は感動しました。もしかしたらどこかの山の中でまだ冒険しているような気がします。動画素晴らしかったです
大変面白い動画ありがとうございました。
植村直巳は真のレジェンドですね。✨
めちゃくちゃ面白かったです!
いつかきちんと学びたかった人物ではありましたが、こんなに楽しめるとは思わなかった。
永久保存決定です。
「輝きを失ったヒーロー」「落ちた偶像」「オグリは終わった」
1990年12月23日有馬記念 ファン投票は1位でも馬券は4番人気
オグリキャップの単勝を購入した公子夫人に気晴らしに競馬に誘った友人が尋ねた
「なぜオグリキャップの馬券を購入したんですか?」
公子夫人「オグリキャップは戻って来てくれます」
確か競馬専門誌のコラムの片隅でこんな記事を読んだ記憶がある
素晴らしい動画をありがとうございます。
体が丈夫なだけでなく、行く先々で人に愛されるコミュニケーション能力の高い人だったんですね。
最後泣けてきました。
序盤の“霊夢ちょっと行ってこい”の茶番が好きすぎるw
こんな見どころしか無い壮大ストーリーで一番印象に残るのが
なんでキビヤック紛失事件なんだ私のバカーーー💦
亡くなったときのニュースはよく覚えてます。偉大な冒険家でも駄目なときは駄目なんだなあ、と驚いた記憶があります。
いや~時間を忘れさすぐらい最高の出来の動画をありがとう。
「そんな装備で大丈夫か」
「問題ない」
がリアルの超人
1番いいのをたのむ
愛情深くて、シャイな頑張り屋さん。
不器用だが優しく、癒しを与える愛されないわけがない温かみのあるお人柄。
それと併せた世界初の偉業の数々。
この方が、今なお変わらず愛され続けているのが分かります。
素敵ですね。僕も、女性だったら植村さんみたいな人が好きになったかもしれない。
縁故就職はきっとかなり絶望的だったと思いますが、結果関西大学よりは進んだ山岳部がある明治へ入ることができて、やっぱり運命だったんですね。人生何も無駄は無いというのは真実ですね。
大長編きたーーー!
割とさらっと流されたアマゾン川6000キロ下りもとんでもない偉業で草。日本2周しとる
感動するとは思って見始めたがホントにラストで涙が出るとは。私も頑張るよ。だってやろうと思えばなんでもできるんだもんね。
子供のころ学校で植村直己物語見せられたのを思い出す。ラストが衝撃的で凄く印象に残ってます。
私が尊敬する冒険家
小学生の時、体育館に集められて記録映画を観た記憶があります。シロクマに襲われた時にカメラが回ってたので映像が残ってました。
最高だ。泣いた。
小学校低学年の時に映画、植村直己物語を見たけどその時は良くわからなかった。
連れていってくれた祖父は感動してたみたいだけど。
改めて動画を見させてもらってスゴい人だったんだなぁと思いました。
ありがとうございます。
植村直己さん、公子さんとは、何度も。(犬の)アンナ。小西正継さん。ともお会いした事あります。
電通と関わってからは、浮かない表情が多かったです。
でも、イギリスの賞を授与された帰国された際は、本当に嬉しさが満ち。久々に楽しそうな直巳さんにお会いした。って記憶があります。
さて、マッキンリー登頂へ経たれる前にお会いした際には、「南極をもう一度行う 資金集めでになるので、。」って聞いてもいましたが、、、。
マッキンリー ベースキャンプから祖父宛に「(スポンサー提供の)靴が合わない。」と、手紙に泣き言を綴られ、文面の詳細までは記憶しておりませんが「こんな登山は辞めたい。」って”心の叫び”を感じられる内容だったことを記憶してます。
純粋で自らの目標、目的に全振りする方で「冒険」以外のことは、相当な重荷、負担だったのかも。
南極という夢の為に嫌でも、やらなければいけない事だったのでしょうか。ストレスやプレッシャーもあったのかもしれませんね。貴重な話を、ありがとうございます。
素晴らしい動画をありがとうございます。
小学生の頃道徳の時間に記録映画を見て子供ながら凄く感動😢した記憶があります。今一度植村さんの軌跡知りたいと思いました。ありがとうございます。
1時間半があっという間に感じられました。
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めちゃめちゃよい動画でした!
ありがとうございます!
子供の頃植村直己氏の遭難事故で偉業を知りました。
私にとって英雄であり偉大な冒険家です
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夢だらけの人生って素敵なフレーズですね!
小学生の頃から普通にニュースで見てたから、他にも似たような冒険家がいるかと思っていたけど、これだけの人はもう出てこないとは思っても見なかった。
いつも元気に帰ってきていたから、まさか帰らない日が来るとは思わなくて、ショックだったのを覚えている。
ただの変わり者としか思ってなかったけど、今回視聴できてとんでもない人だと理解できたよ。ありがとう😊
やりたいと強く思い、行動することの大切さを教えて頂きました。いつも分かりやすくて、面白い解説ありがとうございます。
生きるとは何かを考えさせてもらいました。
素晴らしい動画でした。そして素晴らしい方だったのですね
日本人の前に彼は人間なのだろうか??
素晴らしい動画しかもこんなに長い動画ありがとうございます😭!
ウプ主様様
導入がさっぱりで面白いです
詳しい内容も感謝です。
動画ご無理なく配信して下さい。
ありがとうございます
昔、図書館で読んだ「極北をかける」を思い出しました。
学生の頃に本で植村さんを知って山に興味がわいた人間なので、ゆっくりまうんてんで植村さんを取り上げてもらえて嬉しいです
大作動画ですね!素晴らしい。
小学校の国語の教科書に『極点をめざして』が載ってました。とても感動しましたが、覚えているのは「キミちゃん、俺は死ぬよ」の言葉だけ。何十年も経ってまたこの言葉に出会うことができ、詳しく知ることができました。ありがとうございます。
ウエムラスペシャルは時計だけでなく、カメラもあります。一般販売はされませんでしたが。(過酷すぎる環境に耐えるためにあまりにも高額になる)
北極の時に持って言ったウエムラスペシャルはマイナス50度でも作動し、かなりの振動にも耐えられるように作られています。
おそらく断念した南極でも耐えられるようなものとしてメーカー(ニコン)も作ったことでしょう。
当時はまだ自動でピント合わせする機能も無く、フィルムな上に全部自分で設定して撮さなければならない上、一面銀世界の様子を撮るのはプロのカメラマンですら難易度の高いことでした。
これは雪に太陽光が反射して一面ピカピカ光り、普通に撮影すると真っ白になってしまうからです。
(極地では外で超時間活動する場合サングラス等目をガードしてないとこの反射光で目がダメになります)
ですので、植村氏は極地カメラマンとしても一流だったそうです。
現在では植村博物館や品川のニコンミュージアムでウエムラスペシャルやその開発過程、そして植村氏が撮影した写真を見ることができます。
マッキンリーには2台のカメラを持っていって、一台は動画の中でもあったように後日回収されています。
残りの一台は今でも彼と一緒に眠っているのかもしれません。
心から尊敬できる人ですね…
偉人の人生の末端でも教えてくれてありがとう
大学時代の経験が大きかったんだろうと思います!其れを支えてくれたお兄さんや家族は、素晴らしいです
兵庫出身なのですが小学生くらいの時に自然学校というのをやっているんですがさんの影響もありそうかもと思いました
ぐぬぬ!素晴らしい。😃✌️この動画は日本全国の小学校で見せるべきです。UA-cam有り難う😆💕✨
素晴らしい長編、ありがとうございました&お疲れ様でした
人間はみな毎日何らかの登山をしているのと同じなんだな〜と思いました。
ありがとうございました
20:38 急にやまなみリスペクトwww
素晴らしすぎる
あっという間の一時間超でした!!
感動しました🥹
素晴らしい動画、ありがとうございます😭
最高でした!
「犬ぞりなんて可哀想なことするな」派閥の私ですが、なんだかこの方は本当に家族のようにわんこたちを愛していて、旅の途中クレバスに落ちてしまった子も、不本意に生まれてきた子犬たちも、本当に本当に大事にしていたのだろうなと思った。
この方の名前も聞いたことなかったし、当然のように本も読んだことないし、山にも興味のない私ですが、この動画を見ただけで植村さんは凄い人だと感じる。教えてくれてありがとうございました。
クレバスに落ちた犬は、必死で引き上げている途中でハーネスが切れて残念ながら助かりませんでした。
出産した犬は、植村さんは売ったエスキモーに怒りながらも母犬と子犬を毛布でくるんでソリに乗せ旅を続けました。
栗城氏を見てからこちらを見てます。全く違った大作ですね。