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エイプリルフールに出そうと思ってそのまま出すの忘れてたような空気感面白い
地図を現代物にしたのは「敢えて」かもしれませんね。前に製作者さんが「昔そっくり作ると勘違いする人がいるからどこかの場面で時代交錯させている」と。
@@norimono_channel 「ホンモノの当時もの」と勘違いされんように、あえて1箇所だけに最新式のもんを入れとるのが、フイルムエストさんの特徴でっせ。
このコラボは熱いです!フィルムエストは「どこかに現代の要素を残す」というポリシーがあったはずなので、それが日本地図なのかな。
まさかのフィルムエストとのコラボ!嬉しすぎる!!!
フィルムエストの動画やだろうな・・・え?どうでそうチャンネル!?→フィルムエストじゃねーか!!という一粒で2度おいしい
もしやと思ったけどやっぱりそうだったかw
急行桜島は 26時間乗車なのですが、寝台車が一両も連結されてない 博多号以上の地獄旅だったと思います。ちゃんとボックスシートでの撮影 こだわりを感じます。
急行『桜島』は1975年3月、新幹線の博多開業時に廃止になった当時日本最長距離を走る旅客列車でした。
ボックス席で26時間か…地獄やな。
@@Toshi.Horichi鹿児島線まわりの 「桜島」じゃなくて、その併結相手だった日豊本線まわりの西鹿児島行「高千穂」のほうが時間をかけていたのよ。
@@ぅおっさん 確かに。『はやぶさ』と『富士』然り、同じ西鹿児島へ行くにも日豊本線経由の『富士』の方が所要時間長かったですね。
当時の盆と正月に実家に孫の顔を見せる為に東京↔西鹿児島間往復52時間乗った家族がいたんだろうなぁ。
フィルムエストとコラボとか、美味しいところ取りそろえたみたいな感じで、一言で言って神。
フイルムエストさんと同タイミングで,アップしてる(笑)コラボ実現!!『ツイッターお客様センター』のニュース?をアップしたり。MBSさんとコラボして、MBSの福島暢啓(のぶひろ)アナウンサーを登場させて、夕方のニュース番組風の動画アップしたり。ちなみに。福島暢啓アナウンサーは、『西の安住紳一郎』と呼ばれている、有名局アナさんですよ1960年代のTV番組って、生放送でも、本当に唐突に、生CMを挿し込んでいたんですよね。『あたり前田のクラッカー』や、『オロナイン軟膏』とか。こんな昔の放送VTR、本当に残してる人が結構いるんですよ
「あの缶何?」「サブレだよ」このくだり狂おしいほど好き。
おいサブレ食わねぇか
地図とか「フィルム」「テープ」とかフェイク感を残してるのが逆に好感持てる
やっぱりフィルムエストのコラボだったんだ!!これを待ってた!!
懐かしいなあ。当時リアルタイムで「水曜いかがでしょう」見てました。毎週水曜日はナイター中継の巨人戦を見たいというオヤジとチャンネル争いをしていました。オヤジも一度見たら気に入ったらしく面白いと言っていつの間にかファンになり、番組が始まるとビールを飲みながら大笑いしていました。今は亡き広造さんや、つぶれてしまった三東電器も懐かしいです・今回は貴重なフィルムを見せていただき有り難うございました。
つまんねー
私も生まれる前でしたが「水いか」見てました。「水か(すいか)」って略している人もいましたね。
@@_engawa_ 生まれる前から見てたなんて、筋金入りのファンですね。あの頃は水曜日の水いか、土曜日の全員集合、そのほかにも面白いテレビ番組が沢山ありました。
えっ!三東電器て倒産したの?
@@山田健造-n6b アナログ技術にこだわりすぎて、デジタル家電で出遅れて松立製作所に吸収合併され、事実上三東電器は消滅しました。
そうか、まだ沖縄が返還されていないのか。だから与論島までしか行けない。
壮大なコント。素晴らしい。この動画を見た鈴井さんのコメントも聞いてみたい!
広造さんのうんざり感が当時の大泉にそっくりなんだよなw
普通に番組としてじっくり見てしまった。面白い。
大笑いさせられたり、昭和のテレビを思い返させてもらってノスタルジーに浸ってみたり、テレビ屋さんたちの濃い話を聞けてみたり。なんか、ものすげー物を見せて頂いた。有難う!
いやマジでこのコラボ激アツすぎる
これはホントにすごい!!!初めてフィルムエストさんの映像を拝見しましたが、めちゃめちゃクオリティ高くてマジで騙されました🤣1986年生まれで、2000年初期くらいのテレビが最高に面白かったと思っていますが、やはり藤やんくらいの世代だと、さらにその前の1980年くらいのが面白かったと感じられるんですね💡2000年初期でもかなりやりたい放題やってると思ってましたが、その前の時代はさらにやりたい放題だったわけですもんね。あの頃のことをそのままできる時代ではないですが、今だからこそできる面白さをぜひ追求して欲しいと思います!
20:00羽幌炭鉱鉄道(北海道苫前郡羽幌町)のキハ22形(3号機)ですねぇ。昭和45年の路線廃止まで道内を走ってました(後にひたちなか海浜鉄道に移籍→引退後ほしあい眼科で保存)。ご存知だったかどうか分かりませんが、北海道とゆかりのある車両で撮影とはこれも『どうでしょう』が引き寄せた縁なんでしょうね~。(これはアツい)
虎沢広造さんもその後浪曲師として大成し、日本文化センターの通販CMでカセットテープ販売されてましたね(※もちろん本家は広沢虎造)
すっかり騙されたわwwwww 北海道テレビ開局は1968年だから本気でやったら出来たのかもw
フィルムエストTVすごすぎるwww
いやー…どうでしょうを見てたものとすると、めちゃくちゃ感動しました…フィルムエストさん×水曜どうでしょうさんのコラボ、これからも色んな企画で見てみたいです!ありがとうございました!あと…久しぶりにどうでしょうフォント(縦書きのアレ)見て、やっぱり新作を見たいなと思いました!
なんだこれは(褒め言葉)
字幕と編集だけが昔のままで最高だなぁ
高校生ですが小さい時からこの番組を見てて、学校から帰ってきたあとの1番の楽しみです!これからもずっと応援してます
急行桜島25時間34分ってはかた号以上の生き地獄じゃないですかやだーwwwww
あの頃のテレビの怪しさや勢いが懐かしいなあ、まさか歯医者さんの待合室とはw頭が昭和と令和を行ったり来たりしながら楽しめましたw👏
私の父(福岡県出身)が高校卒業後に集団就職で東京に上京した際、お盆や正月の帰省は寝台列車どころか急行なんかも予約が取れずに臨時普通列車、しかも立席(夜は通路に新聞敷いて雑魚寝)で20時間以上かけて福岡に帰ったという話を聞いたことがあります。この時代だと北海道出身者なんかどうしてたんだろう?と興味がありますので、是非本編の企画で!
少し新しい1975年以降の話になります。上野発の急行八甲田に途中乗車し青森へ、その先も乗り換え。ボックスシートでの10時間以上は苦行でした(ダイヤは21時-9時)。特急だと仙台を通過したら降車が増えるので運が良ければ一関近辺で座れる。乗り換えた連絡船は混雑とまでは行かない(定員)。乗り継ぎの特急も座ってました。函館4時着の連絡船から乗り換える特急が三本待機してた記憶が残ってます(おおぞら-釧路、北海-旭川は1980の時刻表、もう一本は臨時? 北斗は7時)。私の場合上野駅でも札幌駅でも無いのですが、初めの駅から最後の駅で17時間ってとこです(乗り継ぎ、臨時で色々)。急行は一度きり、仕事後に乗れて到着が僅かに早いのを天秤にかけた結果。
「何が出るカナ?」がエモい。
広造さんと佐藤アナのトークが軽快で、ナレーションも秀逸ですね!そしてそれを観ながらの藤村さん嬉野さんの突っ込みも楽しく!全てが最高で、何度も観てしまいます!
フィルムエストさんの配信面白いって前から見ていたのですが何と何と水曜どうでしょうのお目にかかったことで感激しました!!
HTBの本放送開始が1968年11月なのちゃんと調べてるなあ当時マスターテープ高いのによく残ってたなあ
当時は60分2インチテープが100万円し高価だったので、撮っては消しの重ね撮りを繰り返していた。70年代から1インチテープも登場したが、モノクロテープが安くなりカラー対応テープは高価だったが、80年代からテープが安価になり番組を保存するようになり地方局も自社制作ローカル番組を保存するようになった。フイルムは現像すると保存するか廃棄するかになるんで、ベーターカムで撮った映像も放送した映像しか保存されずカットされたら他の取材に重ね撮りされていた。それを再利用したのがNG大賞やハプニング大賞である。珍プレー好プレーもそうですな。デジタル化でHDカムやディスクの映像は放送されなくても保存されるようになった。
@@定明-u9c テープが高価と言う事もあるが当時は著作権法の絡みもありましたから😅😅
虚実織り交ぜながら凄いクオリティを叩き出してくる、さすがのフィルムエストだわ浪曲をひとっ節唸ってるときに、例のフォント付けるとどうしても笑えてきちゃうんだよなあwww
実家が鹿児島なので、「これどこで撮ってんだよ」の言葉がジワルw
三東電器で「フィルムエスト」だってわかりました🎉
『三』菱,『東』芝,松下『電器』の架空メーカーですねわかりますwwwww
てっきり放映当時のままの映像かと思っちゃいました。クオリティがすごい…。
番組のテーマソングが、"明日のレースガイド"のテーマ曲みたいで、それだけでも昔懐かしい感じがよく出ていてステキすぎました。アナウンサーも往年感が出ていて素晴らしい!
見事な再現、恐れ入りました。寝れないので深夜に大爆笑しました
女性の声もフィルムエストのにしいさんというのが驚愕なんだよね😂
浪曲師の方やナレーションの方も含めて「なんか全部すげぇな」って思いました。
小芝居がすぎるw(とても褒めてます
どうでしょうイズムを知ってるからこそこういう作品が作れるんだなぁと
一応HTBは1968年11月3日に開局した道内初のUHF局です
歯切れの悪い藤やんを攻めていくスタイルの嬉しーの図はなんでこんなに面白いんだろうねw
嬉野さんの歳の取り方好き
フィルムエストさんをすでに見ていて好きだという藩士が多くて驚いてますコロナの頃から見始めました
いかがでしょうの続編見たいなぁ😳完成度高い!
フィルムエストさんとどうでしょうコラボ素晴らしかった❗藤やんうれしーが熱く講評してるのがいいですねどうでしょう新作楽しみに待ってますよ
男性アナウンサーと浪曲師、女性ナレーターがうますぎるwwワシが生まれた年で、浪曲師がうちのお母さんと同い年w電車も昔の東海道線とかあんな感じの座席だったよ😂
アナウンサーの泉大助、押坂忍風の口調が秀逸
4:47 「湘南電車で熱海へ」という言い回しが時代を感じます。(東海道線熱海行)また、HTB北海道テレビの初代ステーションロゴも懐かしい!
アナウンサーの早口で丁寧な口調が、リアルな当時感を再現。
お二人、上品におしゃれになっちゃいましたねぇ。
最初信じた。ネタバレされても半信半疑だった。凄いなこれ。
キー局のディレクターはこういう発想ないよ
何となくこの動画を観て、どこか違和感があるなと思ったら…鹿児島の地図を見てやっと気付きました作り込みが上手すぎます(笑)
三東電器であれ?と思ったw阪南澱粉もあれば完璧に気づいたw
リアルナイトかんさいの名物スポンサーでもお馴染みですよね。今じゃ全く聞かないけど、当時は全国各地のローカル番組にお金出せるくらいの大企業だったと…
親がリアルナイトかんさいの番組テレカをもらったのをよく覚えています
何でしょうな、このレトロ調がたまらない
いっそ大泉さんと鈴井さんにこれのまんまやって欲しいw
青空シンクタンク先生みたいになりそうw
藤やんうれしーの相席食堂感めっちゃ好き。
フィルムエストと先生方とのコラボ…嬉しすぎる…
2人の演技うめえなw
やりやがった!!すげえ!!やりやがった!!!
語り口がうますぎて騙されるレベル
浦和美園近くのほしあい眼科さんは、本当にいろんな車両がありますよね。
DVD次回作の特典映像に、ぜひフルサイズで「水曜いかがでしょう」の映像を入れてください!!
なにこの小芝居wフィルムエストさんを初めてしりましたが、まさか自分が毎日通っている眼科さんが使われているとは思いませんでした。丁寧に保存され、先日もペイントをあたらしくしていました。
コラボめっちゃ嬉しい!
ほとんどの放送局は局社建て替えやマスター更新のタイミングで16mm 映写機とシネコ等のテレシネ設備廃棄してるんだよね🎵オイラも2000 年代に報道素材のダビングしてました‼️暴れん坊将軍とか、はぐれ刑事純情派もフィルムで放送してましたよね🎵水曜どうでしょう見ながら翌日分仕込んだ思い出がありますよ🎵
最初はフィルムエストの悪ふざけかと思ってましたが、まさかのコラボとは笑
真山隼人じゃねぇかと思って見てたらホントに真山隼人だったwwwあと、古いテイストで作りたい時にネックになるのはゴシック体のフォントですね。今のゴシック体とは形が違うんですよね。
放送時期が1968年11月というのが国鉄の歴史に残るダイヤ改正ヨンサントオあたりなのがまた良い。
沖縄返還前だから与論島が最南端ってことか
何とフィルムエストとのコラボレーション!!!サムネの「三東電器」を見て「あっ!」と気づいた方はフィルムエストのファンですね。
「三東電気」がスポンサー!?意外でした。超貴重な映像ありがとうございます!
よくよく考えると水曜どうでしょうも開始から30年近い。そんな昔の番組がネット配信等でいまだに人気なのって異常っちゃ異常wほかにこんな番組ないw
当時の西鹿児島駅を再現してて芸が細かい笑笑
むしろこのクォリティと語り方で大泉さんを出してほしい
湯治の旅は玄人チョイスですねぇw「だからあたしテレビって嫌い!」と言われたと説明する大泉さんの所が大好きですwどうでしょう軍団が放つパワーワード、何十年経っても時代を感じさせない言葉選びとセンス、改めて見ると凄いなって感じます。
最高すぎてスパチャしてしまう!せんせい方の小芝居がどうにいっちゃって😂
確か今西鹿児島駅っていう駅は存在しませんからなぁwだから駅名をテロップで出さざるを得ないんでしょうけどこれどうでしょう味が深いw
鹿児島中央駅ですね
西駅ってもう無いのですか?
@@田中達矢 今は駅名が変わって鹿児島中央駅になっています
新幹線開業を機に改名しちゃったからなぁ。玉島→新倉敷もそうですが、味わいが減りますね。ちょっと残念だったのが、使ったのが平成の大合併後の地図だったこと。昭和人間にはひらがな表記の市名はやはり違和感があります。あの頃だと「むつ市」くらいだった気がします。
@@田中達矢 今は鹿児島中央駅という名前になっていますね。20年位前に改名したんだったと思います
浪曲師の人がホントに迷惑そうでリアルですね笑
16:43 スタッフ一覧もどうでしょうのスタッフ陣を捩っているのが芸コマだなあ。(藤村忠寿➝藤木忠久、嬉野雅道➝喜野正道、松澤聡➝木澤諭、四宮康雅➝二宮安正。左野朗太だけ元ネタがわからず…)
ADの佐野良太さんですね
こういう趣旨の映像すきw
当時を知らない方に説明すると、急行「桜島」は不定期列車(臨時)で二等車のみ食堂車も一等車も連結していない列車。当時急行「霧島」「高千穂」(鹿児島本線経由西鹿児島行と日豊本線経由西鹿児島行)が併結で運行していましたが、多客時には混雑極めており、その混雑緩和の為運行していました。元々は東京~西鹿児島の運行も昭和39年10月に東海道新幹線開業時に、流石に東京~大阪は新幹線利用者が多いだろうという事で大阪~西鹿児島の不定期列車になったが、夏休みや年末年始の多客時に東京まで延長運転していました因みに急行「白山」は信越本線経由金沢行の昼間の客車列車で当時としては珍しく長距離運行で食堂車が連結しておらず、横川駅で「峠の釜めし」を買い求める客が殺到していた当時としては有名な列車で、昭和47年のダイヤ改正で電車特急に格上げしました2回目のサイコロで出ている5と6東亜航空と日本国内航空は1971年に合併し「東亜国内航空」後の「日本エアシステム」になって、日本航空と合併しています東亜航空は当時は西日本メインに運行していて、日本国内航空はローカル線中心に全国に細かく運行していました。東亜航空も日本国内航空も鹿児島空港は離島中心に運行し、本土でも東亜航空は福岡・広島、日本国内航空は大分・高松経由の羽田行を運行していたのです
電電公社のマークが懐かしい…
本当ににしいさん喋り上手だよなぁw そしていつもフィルムエストTV見てるのにあのアナウンサーがにしいさんだと一瞬理解できなかったレベルの『らしさ』醸成スキル。いつか大泉さんと鈴井さん交えたのを見たいw
おふたりともイケおじになって……20数年の時を感じる
あーびっくりした😂すっかり騙されて、前のめりで番組に集中しちゃいました。🤣サイコロの振り方🤣
どうでしょうとフィルムエストのコラボとは!いろんな企画やって欲しいー
どうでしょうの企画サイコロ旅の雛型みたいな番組でしたね。まさかの結末にも当時のカメラだし、しょうがないのもわかるw今だったらちゃんと準備しなさいよ!って出演者から言われそう。
浪曲師の広沢虎造先生っぽい名前に「ん??ww」となりましたが、半世紀前にとんでもない番組をお作りになってたとは!と思わされましたwフィルムエストさんすんごい!!
ディレクターと撮影がどこかで見た事ある人だぞwフィルムエストさん 闘痔の旅が好きとかめっちゃマニアでらっしゃる🤣
本当よく出来てるよな
この前初耳学で洋ちゃんと藤村君が出てきてて、からのこれとか胸熱。洋ちゃんを、アムラーの次に流行らせた北海道を熱くさせた男たちの情熱が、今も光るとか泣ける!!
地図だけはあえて当時のものを使ってないのは、映像だけが後に残って本当にこんな番組があったと思われるのを避けるためかな。
普通にめちゃ面白かった
「湘南電車」オレンジと緑のね。もうこれだけで感涙ですよ。地元だけの呼称じゃなかったんだなぁ~
松本清張の「張り込み」の刑事が、当時の東京から小倉まで行く描写がある。また、小説読みたくなった。
「点と線」のビートたけしの刑事も、旧型客車時代のあさかぜに乗ってましたね。
座席車ボックスシートで26Hはさすがに過酷過ぎるwww
1968.11ってHTBの開業年じゃないかw時刻表もヨンサントウだしwネタの仕込みがスゴイ
エイプリルフールに出そうと思ってそのまま出すの忘れてたような空気感面白い
地図を現代物にしたのは「敢えて」かもしれませんね。
前に製作者さんが「昔そっくり作ると勘違いする人がいるからどこかの場面で時代交錯させている」と。
@@norimono_channel 「ホンモノの当時もの」と勘違いされんように、あえて1箇所だけに最新式のもんを入れとるのが、フイルムエストさんの特徴でっせ。
このコラボは熱いです!
フィルムエストは「どこかに現代の要素を残す」というポリシーがあったはずなので、それが日本地図なのかな。
まさかのフィルムエストとのコラボ!嬉しすぎる!!!
フィルムエストの動画やだろうな・・・え?どうでそうチャンネル!?
→フィルムエストじゃねーか!!
という一粒で2度おいしい
もしやと思ったけどやっぱりそうだったかw
急行桜島は 26時間乗車なのですが、寝台車が一両も連結されてない 博多号以上の地獄旅だったと思います。
ちゃんとボックスシートでの撮影 こだわりを感じます。
急行『桜島』は1975年3月、新幹線の博多開業時に廃止になった当時日本最長距離を走る旅客列車でした。
ボックス席で26時間か…
地獄やな。
@@Toshi.Horichi鹿児島線まわりの 「桜島」じゃなくて、その併結相手だった日豊本線まわりの西鹿児島行「高千穂」のほうが時間をかけていたのよ。
@@ぅおっさん 確かに。
『はやぶさ』と『富士』然り、同じ西鹿児島へ行くにも日豊本線経由の『富士』の方が所要時間長かったですね。
当時の盆と正月に実家に孫の顔を見せる為に東京↔西鹿児島間往復52時間乗った家族がいたんだろうなぁ。
フィルムエストとコラボとか、美味しいところ取りそろえたみたいな感じで、一言で言って神。
フイルムエストさんと同タイミングで,アップしてる(笑)
コラボ実現!!
『ツイッターお客様センター』のニュース?をアップしたり。
MBSさんとコラボして、MBSの福島暢啓(のぶひろ)アナウンサーを登場させて、夕方のニュース番組風の動画アップしたり。
ちなみに。福島暢啓アナウンサーは、『西の安住紳一郎』と呼ばれている、有名局アナさんですよ
1960年代のTV番組って、生放送でも、本当に唐突に、生CMを挿し込んでいたんですよね。
『あたり前田のクラッカー』や、『オロナイン軟膏』とか。
こんな昔の放送VTR、本当に残してる人が結構いるんですよ
「あの缶何?」
「サブレだよ」
このくだり狂おしいほど好き。
おいサブレ食わねぇか
地図とか「フィルム」「テープ」とかフェイク感を残してるのが逆に好感持てる
やっぱりフィルムエストのコラボだったんだ!!
これを待ってた!!
懐かしいなあ。
当時リアルタイムで「水曜いかがでしょう」見てました。
毎週水曜日はナイター中継の巨人戦を見たいというオヤジとチャンネル争いをしていました。
オヤジも一度見たら気に入ったらしく面白いと言っていつの間にかファンになり、番組が始まるとビールを飲みながら大笑いしていました。
今は亡き広造さんや、つぶれてしまった三東電器も懐かしいです・
今回は貴重なフィルムを見せていただき有り難うございました。
つまんねー
私も生まれる前でしたが「水いか」見てました。「水か(すいか)」って略している人もいましたね。
@@_engawa_ 生まれる前から見てたなんて、筋金入りのファンですね。
あの頃は水曜日の水いか、土曜日の全員集合、そのほかにも面白いテレビ番組が沢山ありました。
えっ!三東電器て倒産したの?
@@山田健造-n6b アナログ技術にこだわりすぎて、デジタル家電で出遅れて松立製作所に吸収合併され、事実上三東電器は消滅しました。
そうか、まだ沖縄が返還されていないのか。
だから与論島までしか行けない。
壮大なコント。素晴らしい。この動画を見た鈴井さんのコメントも聞いてみたい!
広造さんのうんざり感が当時の大泉にそっくりなんだよなw
普通に番組としてじっくり見てしまった。面白い。
大笑いさせられたり、昭和のテレビを思い返させてもらってノスタルジーに浸ってみたり、テレビ屋さんたちの濃い話を聞けてみたり。なんか、ものすげー物を見せて頂いた。有難う!
いやマジでこのコラボ激アツすぎる
これはホントにすごい!!!
初めてフィルムエストさんの映像を拝見しましたが、めちゃめちゃクオリティ高くてマジで騙されました🤣
1986年生まれで、2000年初期くらいのテレビが最高に面白かったと思っていますが、やはり藤やんくらいの世代だと、さらにその前の1980年くらいのが面白かったと感じられるんですね💡
2000年初期でもかなりやりたい放題やってると思ってましたが、その前の時代はさらにやりたい放題だったわけですもんね。
あの頃のことをそのままできる時代ではないですが、今だからこそできる面白さをぜひ追求して欲しいと思います!
20:00羽幌炭鉱鉄道(北海道苫前郡羽幌町)のキハ22形(3号機)ですねぇ。昭和45年の路線廃止まで道内を走ってました(後にひたちなか海浜鉄道に移籍→引退後ほしあい眼科で保存)。ご存知だったかどうか分かりませんが、北海道とゆかりのある車両で撮影とはこれも『どうでしょう』が引き寄せた縁なんでしょうね~。(これはアツい)
虎沢広造さんもその後浪曲師として大成し、日本文化センターの通販CMでカセットテープ販売されてましたね
(※もちろん本家は広沢虎造)
すっかり騙されたわwwwww 北海道テレビ開局は1968年だから本気でやったら出来たのかもw
フィルムエストTVすごすぎるwww
いやー…どうでしょうを見てたものとすると、めちゃくちゃ感動しました…
フィルムエストさん×水曜どうでしょうさんのコラボ、これからも色んな企画で見てみたいです!
ありがとうございました!
あと…久しぶりにどうでしょうフォント(縦書きのアレ)見て、やっぱり新作を見たいなと思いました!
なんだこれは(褒め言葉)
字幕と編集だけが昔のままで最高だなぁ
高校生ですが小さい時からこの番組を見てて、学校から帰ってきたあとの1番の楽しみです!これからもずっと応援してます
急行桜島25時間34分ってはかた号以上の生き地獄じゃないですかやだーwwwww
あの頃のテレビの怪しさや勢いが懐かしいなあ、まさか歯医者さんの待合室とはw頭が昭和と令和を行ったり来たりしながら楽しめましたw👏
私の父(福岡県出身)が高校卒業後に集団就職で東京に上京した際、お盆や正月の帰省は寝台列車どころか急行なんかも予約が取れずに臨時普通列車、しかも立席(夜は通路に新聞敷いて雑魚寝)で20時間以上かけて福岡に帰ったという話を聞いたことがあります。この時代だと北海道出身者なんかどうしてたんだろう?と興味がありますので、是非本編の企画で!
少し新しい1975年以降の話になります。上野発の急行八甲田に途中乗車し青森へ、その先も乗り換え。ボックスシートでの10時間以上は苦行でした(ダイヤは21時-9時)。特急だと仙台を通過したら降車が増えるので運が良ければ一関近辺で座れる。乗り換えた連絡船は混雑とまでは行かない(定員)。乗り継ぎの特急も座ってました。函館4時着の連絡船から乗り換える特急が三本待機してた記憶が残ってます(おおぞら-釧路、北海-旭川は1980の時刻表、もう一本は臨時? 北斗は7時)。私の場合上野駅でも札幌駅でも無いのですが、初めの駅から最後の駅で17時間ってとこです(乗り継ぎ、臨時で色々)。急行は一度きり、仕事後に乗れて到着が僅かに早いのを天秤にかけた結果。
「何が出るカナ?」がエモい。
広造さんと佐藤アナのトークが軽快で、ナレーションも秀逸ですね!
そしてそれを観ながらの藤村さん嬉野さんの突っ込みも楽しく!
全てが最高で、何度も観てしまいます!
フィルムエストさんの配信面白いって前から見ていたのですが
何と何と水曜どうでしょうのお目にかかったことで感激しました!!
HTBの本放送開始が1968年11月なのちゃんと調べてるなあ
当時マスターテープ高いのによく残ってたなあ
当時は60分2インチテープが100万円し高価だったので、撮っては消しの重ね撮りを繰り返していた。70年代から1インチテープも登場したが、モノクロテープが安くなりカラー対応テープは高価だったが、80年代からテープが安価になり番組を保存するようになり地方局も自社制作ローカル番組を保存するようになった。フイルムは現像すると保存するか廃棄するかになるんで、ベーターカムで撮った映像も放送した映像しか保存されずカットされたら他の取材に重ね撮りされていた。それを再利用したのがNG大賞やハプニング大賞である。珍プレー好プレーもそうですな。デジタル化でHDカムやディスクの映像は放送されなくても保存されるようになった。
@@定明-u9c テープが高価と言う事もあるが当時は著作権法の絡みもありましたから😅😅
虚実織り交ぜながら凄いクオリティを叩き出してくる、さすがのフィルムエストだわ
浪曲をひとっ節唸ってるときに、例のフォント付けるとどうしても笑えてきちゃうんだよなあwww
実家が鹿児島なので、「これどこで撮ってんだよ」の言葉がジワルw
三東電器で「フィルムエスト」だってわかりました🎉
『三』菱,『東』芝,松下『電器』の架空メーカーですねわかりますwwwww
てっきり放映当時のままの映像かと思っちゃいました。クオリティがすごい…。
番組のテーマソングが、"明日のレースガイド"のテーマ曲みたいで、それだけでも昔懐かしい感じがよく出ていてステキすぎました。アナウンサーも往年感が出ていて素晴らしい!
見事な再現、恐れ入りました。
寝れないので深夜に大爆笑しました
女性の声もフィルムエストのにしいさんというのが驚愕なんだよね😂
浪曲師の方やナレーションの方も含めて「なんか全部すげぇな」って思いました。
小芝居がすぎるw(とても褒めてます
どうでしょうイズムを知ってるからこそこういう作品が作れるんだなぁと
一応HTBは1968年11月3日に開局した道内初のUHF局です
歯切れの悪い藤やんを攻めていくスタイルの嬉しーの図はなんでこんなに面白いんだろうねw
嬉野さんの歳の取り方好き
フィルムエストさんをすでに見ていて好きだという藩士が多くて驚いてます
コロナの頃から見始めました
いかがでしょうの続編見たいなぁ😳完成度高い!
フィルムエストさんとどうでしょうコラボ素晴らしかった❗
藤やんうれしーが熱く講評してるのがいいですね
どうでしょう新作楽しみに待ってますよ
男性アナウンサーと浪曲師、女性ナレーターがうますぎるwwワシが生まれた年で、浪曲師がうちのお母さんと同い年w電車も昔の東海道線とかあんな感じの座席だったよ😂
アナウンサーの泉大助、押坂忍風の口調が秀逸
4:47 「湘南電車で熱海へ」という言い回しが時代を感じます。(東海道線熱海行)
また、HTB北海道テレビの初代ステーションロゴも懐かしい!
アナウンサーの早口で丁寧な口調が、リアルな当時感を再現。
お二人、上品におしゃれになっちゃいましたねぇ。
最初信じた。ネタバレされても半信半疑だった。凄いなこれ。
キー局のディレクターはこういう発想ないよ
何となくこの動画を観て、どこか違和感があるなと思ったら…鹿児島の地図を見てやっと気付きました
作り込みが上手すぎます(笑)
三東電器であれ?と思ったw阪南澱粉もあれば完璧に気づいたw
リアルナイトかんさいの名物スポンサーでもお馴染みですよね。
今じゃ全く聞かないけど、当時は全国各地のローカル番組にお金出せるくらいの大企業だったと…
親がリアルナイトかんさいの番組テレカをもらったのをよく覚えています
何でしょうな、このレトロ調がたまらない
いっそ大泉さんと鈴井さんにこれのまんまやって欲しいw
青空シンクタンク先生みたいになりそうw
藤やんうれしーの相席食堂感めっちゃ好き。
フィルムエストと先生方とのコラボ…嬉しすぎる…
2人の演技うめえなw
やりやがった!!すげえ!!やりやがった!!!
語り口がうますぎて騙されるレベル
浦和美園近くのほしあい眼科さんは、本当にいろんな車両がありますよね。
DVD次回作の特典映像に、ぜひフルサイズで「水曜いかがでしょう」の映像を入れてください!!
なにこの小芝居w
フィルムエストさんを初めてしりましたが、まさか自分が毎日通っている眼科さんが使われているとは思いませんでした。
丁寧に保存され、先日もペイントをあたらしくしていました。
コラボめっちゃ嬉しい!
ほとんどの放送局は局社建て替えやマスター更新のタイミングで16mm 映写機とシネコ等のテレシネ設備廃棄してるんだよね🎵
オイラも2000 年代に報道素材のダビングしてました‼️
暴れん坊将軍とか、はぐれ刑事純情派もフィルムで放送してましたよね🎵
水曜どうでしょう見ながら翌日分仕込んだ思い出がありますよ🎵
最初はフィルムエストの悪ふざけかと思ってましたが、まさかのコラボとは笑
真山隼人じゃねぇかと思って見てたらホントに真山隼人だったwww
あと、古いテイストで作りたい時にネックになるのはゴシック体のフォントですね。
今のゴシック体とは形が違うんですよね。
放送時期が1968年11月というのが国鉄の歴史に残るダイヤ改正ヨンサントオあたりなのがまた良い。
沖縄返還前だから与論島が最南端ってことか
何とフィルムエストとのコラボレーション!!!サムネの「三東電器」を見て「あっ!」と気づいた方はフィルムエストのファンですね。
「三東電気」がスポンサー!?
意外でした。
超貴重な映像ありがとうございます!
よくよく考えると水曜どうでしょうも開始から30年近い。
そんな昔の番組がネット配信等でいまだに人気なのって異常っちゃ異常w
ほかにこんな番組ないw
当時の西鹿児島駅を再現してて芸が細かい笑笑
むしろこのクォリティと語り方で大泉さんを出してほしい
湯治の旅は玄人チョイスですねぇw
「だからあたしテレビって嫌い!」と言われたと説明する大泉さんの所が大好きですw
どうでしょう軍団が放つパワーワード、何十年経っても時代を感じさせない言葉選びとセンス、改めて見ると凄いなって感じます。
最高すぎてスパチャしてしまう!せんせい方の小芝居がどうにいっちゃって😂
確か今西鹿児島駅っていう駅は存在しませんからなぁw
だから駅名をテロップで出さざるを得ないんでしょうけどこれどうでしょう味が深いw
鹿児島中央駅ですね
西駅ってもう無いのですか?
@@田中達矢 今は駅名が変わって鹿児島中央駅になっています
新幹線開業を機に改名しちゃったからなぁ。玉島→新倉敷もそうですが、味わいが減りますね。
ちょっと残念だったのが、使ったのが平成の大合併後の地図だったこと。
昭和人間にはひらがな表記の市名はやはり違和感があります。あの頃だと「むつ市」くらいだった気がします。
@@田中達矢
今は鹿児島中央駅という名前になっていますね。20年位前に改名したんだったと思います
浪曲師の人がホントに迷惑そうでリアルですね笑
16:43 スタッフ一覧もどうでしょうのスタッフ陣を捩っているのが芸コマだなあ。(藤村忠寿➝藤木忠久、嬉野雅道➝喜野正道、松澤聡➝木澤諭、四宮康雅➝二宮安正。左野朗太だけ元ネタがわからず…)
ADの佐野良太さんですね
こういう趣旨の映像すきw
当時を知らない方に説明すると、急行「桜島」は不定期列車(臨時)で二等車のみ食堂車も一等車も連結していない列車。当時急行「霧島」「高千穂」(鹿児島本線経由西鹿児島行と日豊本線経由西鹿児島行)が併結で運行していましたが、多客時には混雑極めており、その混雑緩和の為運行していました。元々は東京~西鹿児島の運行も昭和39年10月に東海道新幹線開業時に、流石に東京~大阪は新幹線利用者が多いだろうという事で大阪~西鹿児島の不定期列車になったが、夏休みや年末年始の多客時に東京まで延長運転していました
因みに急行「白山」は信越本線経由金沢行の昼間の客車列車で当時としては珍しく長距離運行で食堂車が連結しておらず、横川駅で「峠の釜めし」を買い求める客が殺到していた当時としては有名な列車で、昭和47年のダイヤ改正で電車特急に格上げしました
2回目のサイコロで出ている5と6東亜航空と日本国内航空は1971年に合併し「東亜国内航空」後の「日本エアシステム」になって、日本航空と合併しています
東亜航空は当時は西日本メインに運行していて、日本国内航空はローカル線中心に全国に細かく運行していました。東亜航空も日本国内航空も鹿児島空港は離島中心に運行し、本土でも東亜航空は福岡・広島、日本国内航空は大分・高松経由の羽田行を運行していたのです
電電公社のマークが懐かしい…
本当ににしいさん喋り上手だよなぁw そしていつもフィルムエストTV見てるのにあのアナウンサーがにしいさんだと一瞬理解できなかったレベルの『らしさ』醸成スキル。いつか大泉さんと鈴井さん交えたのを見たいw
おふたりともイケおじになって……20数年の時を感じる
あーびっくりした😂
すっかり騙されて、前のめりで番組に集中しちゃいました。
🤣サイコロの振り方🤣
どうでしょうとフィルムエストのコラボとは!いろんな企画やって欲しいー
どうでしょうの企画サイコロ旅の雛型みたいな番組でしたね。
まさかの結末にも当時のカメラだし、しょうがないのもわかるw
今だったらちゃんと準備しなさいよ!って出演者から言われそう。
浪曲師の広沢虎造先生っぽい名前に「ん??ww」となりましたが、半世紀前にとんでもない番組をお作りになってたとは!と思わされましたw
フィルムエストさんすんごい!!
ディレクターと撮影がどこかで見た事ある人だぞw
フィルムエストさん 闘痔の旅が好きとかめっちゃマニアでらっしゃる🤣
本当よく出来てるよな
この前初耳学で洋ちゃんと藤村君が出てきてて、からのこれとか胸熱。
洋ちゃんを、アムラーの次に流行らせた北海道を熱くさせた男たちの情熱が、今も光るとか泣ける!!
地図だけはあえて当時のものを使ってないのは、映像だけが後に残って本当にこんな番組があったと思われるのを避けるためかな。
普通にめちゃ面白かった
「湘南電車」オレンジと緑のね。もうこれだけで感涙ですよ。
地元だけの呼称じゃなかったんだなぁ~
松本清張の「張り込み」の刑事が、当時の東京から小倉まで行く描写がある。また、小説読みたくなった。
「点と線」のビートたけしの刑事も、旧型客車時代のあさかぜに乗ってましたね。
座席車ボックスシートで26Hはさすがに過酷過ぎるwww
1968.11ってHTBの開業年じゃないかw
時刻表もヨンサントウだしw
ネタの仕込みがスゴイ