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80年代後半からF1を観始めた私のイメージだとシューマッハ改革後の常勝フェラーリより、この頃のフェラーリがフェラーリらしい
なるほど。確かにチーム内がドタバタしてることが多いのも事実ですね。ミハエル加入後がむしろ奇跡…
@@FormulaIneChannel シューマッハの我儘が無かったらお家騒動を繰り返してたのかな?エンジンが壊れにくくなったのはHONDAV10作ってた後藤さん居たからだと思う。
そう考えるとロス・ブラウンは人間なのか保証出来ない統率力ですね…w
毎度です♪フェラーリ暗黒時代の始まり91年鳴り物入で加入したアレジとプロストのコンビでしたが、開幕前のテストは好調だったのにまさかの未勝利でしたね。ポルトガルでも、ミナルディフェラーリのマルティニにも追われたり、なかなか厳しいシーズンでしたね。個人的にはフランスから投入された643の見た目は嫌いじゃないんですけどねー。今回も楽しかったです♪ありがとうございました😊
しゅうさん、毎度です。そうなんですよね~。643は見た目いいんですよね~。それを言うと個人的にですがF92Aのかっこ良さからの地獄が...F92Aの特集を急がねば!
643は見た目はとってもカッコよかったですよねー。
641は美しく、643はかっこいい✨
643良いマシンかなと思ったんですが、マニクールだけでしたね今にして思えば、あのプロストの快走も地元開催の意地だったのかもアレジは年間通して精細を欠いていましたね。決勝でプロストに勝てないのは致し方ないとして、まさか予選で2-13の惨敗を喫するとは思いもしませんでしたよ
前年(1990年)の活躍があっただけに1991年の低迷は誰しも信じられなかったですね…。フェラーリだけじゃなく、プロストもアレジも「まさか…」だったでしょう。ただ、この頃にはチームとしてバラバラだったんですね…。チームをまとめるリーダーがいなかったことで低迷が続いたのも頷けます。
翌年のF92Aのダブルデッキはアイデア自体は後の時代を見れば間違いではなかったと思うのですが…登場するのが早すぎたマシンでしたね…個人的にはあの戦闘機のような見た目がとてもカッコいいと思います!
私もF92Aは大好きですな。ほぼ同じコンセプトをトロロッソで...これはF92Aの特集でお話しましょうかね。ウフフ
91年フェラーリ特集ありがとうございます。まさに暗黒の入口。91年のフェラーリが良かったのは開幕アメリカGPの予選初日まで。アレジが初日トップで期待大だったのが一瞬で奈落の底へ落ちました。643のデビュー戦フランスはそこそこ良かったですが、結局最後までダメでしたね。しかし、643は最高にかっこいいマシンなんでフェラーリ歴代最高マシンだと思ってます(笑)
643はですね、フランスに登場した時は私には期待を持たせました。しかし、ドイツでプロストがシケインでセナと競り負けてエンストリタイアしてからずるずると落ちていき、あとは3位がやっとになりました。プロストの2位があっただけ。サスペンションに致命的な欠陥がありました。馬力は89年640馬力→90年700馬力→91年710馬力でした。まさに90年の時点で限界でした。
643はかっこよかったですもんねー。なのに…
あの名車 641/2 からの翌年0勝には驚いた。でも個人的には、この年一番の衝撃はウィリアムズFW14の驚速かなと思う。
サンマリノのプロストのフォーメーションラップでのリタイヤがこの年を象徴していたなあ
開幕USA GPの予選,1日目暫定ポールに立ったJ.アレジ.どんだけ,フェラーリが勝ちまくるのか.とワクワクしてました.しかし,2日目セナに逆転され,アレジの最後のアタックもクラッシュ.年末のフジTVの総集編で,城達也さんのナレーション「ココまでであった」が虚しかった.以降,フランスGPの「すかしっぺ」くらいでした.
プロスト曰く「643はフラットなコースではウィリアムズと同じくらいに走れたけど、バンピーなコースではマシンを押さえつけて走るだけで精一杯だった」とのこと
成績こそ芳しくありませんでしたが、643のデザインは好きでした。同年のジョーダンよりも格好いいと思ってました。
643かっこいいですよね!もう少し速くてもね。バチ当たらないと思うんですよね!
前年の活躍を考えると91年のフェラーリの未勝利は衝撃でした。
下馬評ではマクラーレンよりもぶっちぎりに勝てるはずだったなあ。
643は綺麗な形で結構好きなマシンですがお家事情が足を引っ張りましたよね…この年代のフェラーリって最終戦までレギュラードライバーが持たなかった印象が…(^^;
春先は予選のアレジ決勝のプロストと思ってました最後あんなことになるとはね
ありがとうございました!! 1991年のフェラーリ、超内乱でしたね。 アレジさん、フェラーリではなくウィリアムズに移籍かそれともベネトンに移籍していたら、違う結果になっていたのに…。プロストは93年のウィリアムズで一気に盛り返す事になるのだが、それはまた別の話。
ウィリアムズにアレジが入っていたら、92年がどうなっていたのか…マンセル、パトレーゼのコンビはなかなかのバランスでしたからね。どうなっていたのか。気になりますが答えはどこにもないんですよねー
プロストとフィオリオはこの時仲悪かった割にはプロストGPではちゃっかり組んでると言うねロンバルディは元々ランチアのエンジン設計を担当していて89年から同じくランチアラリーチームで組んでいたフィオリオのお誘いでフェラーリに来てたのでエンジンは詳しかったはずです
F1はケンカも早いが、仲直りも早いね。
フェラーリで1・2位を争うくらい好きなマシンだっただけにこの成績は残念でした。
リタイアしたがハンガリーGPのプロストはらしいレースはできていたと思います。エンジントラブルさえなければなあと思って見てました。
お疲れ様です♪「後悔先に立たず」のアレジ、本人は案外冷静に91年のチーム状況を分析してたみたいですね。彼曰くテクニカル、デザイン、エンジン等各部門がそれぞれの失敗をあたかも期待するかのような足の引っ張り合い状態だったみたいですね。「とにかく各部門が本社からの制裁を常に怖れていた」とアレジも証言してました(怖い気持ちは解るw)。クルマ自体も満タン時のアンダーが後半クルマが軽くなってもアンダーのままだったみたいですね(フロントが全くグリッ プしてなかったって事ですかね?)。アレジもプロストから学ぶ余裕なんて全く無かったでしょうし、逆に「フェラーリの新しいエース」としてチームを建て直さなければ!と言う使命感を彼に自覚させたのかも知れませんね。91シーズンは彼のレースキャリアにおける正に「分岐点」でしたね(個人的には彼のフェラーリに対する忠誠心は大好きです)。今回もありがとうございました☆
かなりの恐怖政治が敷かれて、各部門が足の引っ張り合いでは速い車も速くは走りませんな〜
91年のフェラーリといえば、ご本人には悪いけどプロストがイモラのフォーメーションラップでスピンアウトしてしまったのがあまりにも印象的で、混乱の1年の全てを表しているようでしたね💧
確かにあれはあの一年をあらわしていますね!
プロストのスピンなんてそれぐらいしか知らない
@@fuugetsukachou4797 セナ初優勝レースの85年ポルトガルでも、プロストは雨の中ストレートで大スピンしました。
あのレースは衝撃的でした。いくらウェットといえフォーメーションラップでまさかプロストが、、、
同じ場所でベルガーは一旦コースアウトしたものの、エンジンを止める事無くフォーメーションラップに復帰したのとは対照的でしたね。
簡単に言えばシーズンに対する『読みの甘さ』、これは92年のマクラーレンに通ずるものがあり、ライバルの速さに慌て後手に回り挽回出来ぬままシーズン終了。 この時代は新車の度にチーフ・デザイナーが違うのはフェラーリだけ、それに生みの親と育ての親が毎回違うのもフェラーリのみ。 『 F1界の阪神タイガース』とはよく言ったもんだな。
70年代のボクサー初期(ラウダ加入前)も酷かったですね、欠場する事もあったし。
毎度です。91年はフェラーリファンにとってみれば、期待外れもいいとこの年でしたね。サンマリノでのダブルリタイア、フランスで優勝かと思いきや、マンセルに抜かれ2位に。チーム批判をしたプロストは最終戦を待たず解雇、最終戦ではモルビデリがシートに座り、0.5ポイントの初ポイントゲットでしたね。642も643もスタイルは美しいんですがね。
ほんと、1990年の勢いはどこへ行ったの⁉️って疑いたくなりました。
プロストさんがジルさんと同じカーナンバー27で走っていただけでも貴重なシーズンだと思う。しかしマシンはプロストさん曰く赤いトラックまたはトラクターw
日本GP直後の「赤いカミオン発言」が原因でプロストはクビになり、最終戦オーストラリアGPではモルビデリが代打として27番に乗りましたね。
この年のブラジルGPでセナがレース後半6速のみで走りきり優勝した事にフェラーリは衝撃を受け後日フェラーリも6速のみで試してみたがとても走れたものじゃなかったらしい…という話を当時聞いた事があります。やはりホンダRA121、ルノーRS3Cには敵わなかったのですね。91年の当初はホンダもパワー不足でセナとベルガーは文句タラタラでしたが中盤から後半はちゃんとバージョンアップして進化してきましたもんねぇ。
セナの涙の母国初優勝がフェラーリにショックを与えたんでしょうね。
91年のフェラーリの敗因としては…①マシンのコンセプトが旧態依然としてきた→639系のオリジナルの良さがなくなり、他のパクリ的なシャシー。そしてパフォーマンス不足のV12。②マネジメントが全く機能しなかった→内部抗争が始まり、チームはバラバラ。③前年は終盤まで覇権を争ったため、91年型の対応が遅れた。結果的に90年は敗れたため、チームに疲弊感だけが漂っていたのでは?→すべてが後手後手に映っていたし、前年までのストロングポイントが消えていた。④将来を見据えた展望(ビジョン)が描けていなかった→ラテン民族のなせる業か?勝手ながらこんなことを思ってましたね。基本的な体質は、30年経った今でもあまり変わっていません。唯一異なったのはシューマッハ時代。あんなことはフェラーリではほぼあり得ないでしょうね。
毎度です。確かにシューの時代が異例だったのかもしれませんな。あのインパクトが強すぎてあそこを基準に考えてしまいがちな自分がいますな!😩
2番目に好きな時代じゃないですか!たしかに勝利数は段々低下してきた時期ですね....フェラーリ低迷はエンツィオさんが亡くなってから始まった印象💦
ですね〜エンツォが亡くなってからチーム内はバラバラだった感じありますね。
@@FormulaIneChannel ラウダ時代前夜の73年も酷かったですよ、コンコルド以前だったので欠場レースもあったりしました、その1つだったドイツでは急遽マクラーレンに出向?したイクスが3位表彰台という皮肉。
今見ても、かっこいいマシンです。フランスGPはプロストが勝つなぁ~って見ていたらの逆転2位。でもフェラーリ復活したから、これからのシーズンも面白くなるよなぁって思っていたらの暗黒期突入。F92A好きな人多いですけど、個人的には643の方が好きですねぇ
それにしても、いい音ですな✨プロスト、アレジで1勝も出来ないで終わるとは、、、まさか、まさかのシーズンでした。😅
いい音ですよねー!😊
@@FormulaIneChannel さん。今晩は🌙😃❗返信ありがとうございます😉👍✨channel登録させて頂きました。そう言えば、フェラーリがカーNo.27、28でエントリーしたのは1987年、1988年のベルガー、アルボレート以来でしたかね⁉それ以前は、、、悲しい出来事だったから😭😭❗紅い跳ね馬は、No.27、28が一番似合いますな❕😊☺チャンプNo.は続かないからね❕😊
おっチャンネル登録ありがとうございます!やっぱりフェラーリは27, 28が似合いますよね!また遊びにきてくださーい!
エンジンについて伸び代がなかったという話、これシャシーも同じでチーム内で640系を引き継ぐか決別するかで揉めたそうでそれでスカラブローニが離脱していますそれで残った640系後継車が遅かったら話にならないってことでテストでは多分レギュレーションに即していない状態で走ってたんじゃないかな?実際開幕したらドライバー2人ともとても同じマシンとは思えないってコメントしてたし…あと燃料の搭載量によって挙動が変わるのは641/2の頃からあったとプロストが言ってましたね
プロスト大好きな自分ですが。鈴鹿で643に乗ったプロストがかっこ良かったが、最後のフェラーリだった!プロスト、アレジが91年ウィリアムズに乗ってたら、もっと歴史が変わってたんだろなぁー。。91年のフェラーリはそんなにゴタゴタとは知らなかった。93年楽しみにしてます
1991年シーズン前、ティフォシとフランス人モータースポーツファンの期待を背負ったなぁー
なにげに今も冬の時代ですけど、もう当たり前になってて気にならない
643見た目いいんだけどなぁ。F92Aがフェラーリ史上のポンコツだからかな?
いわゆる、無理して?せっかく移籍したアレジとフェラーリの暗黒時代の始まりですねw結果的に、後にシューマッハーが来るまで何度マシンをイチから作り直しても続いたという。(逆に言えば、アレジには速さはあっても、マシン開発力は無いんじゃね?的な事がバレたw)
そうですね。やっぱりあの時のアレジにフェラーリは早すぎたってことなんでしょうね。そう考えるとやっぱりシューは速いだけじゃない偉大なドライバーですな!
アンチフェラーリ ですが、643デビューフランスGPは痺れました。今も昔もプロフェッサーが乗っていた跳ね馬643と641/2が大好きなフェラーリです。なんやかんやゆーても、セナホンダマルボロが大好きですw
そして翌年に闇のマシンがシェイクダウンするんですね(個人的には大好きなF92Aですが)
ですね〜。まさに漆黒の闇ですな!
プラモ化が唯一の救い(?)
やっぱりこの時のフェラーリは勝てるチームではなかったですね。人材を適材適所に置かれていなかったりとか。しかもプロストみたいな人がいればチームの空中分解は起こりやすくなりますね。あと最後のほうに言っていたアレジのフェラーリ移籍は結果的に早かったでしょうね。彼ほどのポテンシャルがあったドライバーが通算成績でチャンピオンになるどころかGP1勝に終わってしまう人ではなかったはずです。もしウィリアムズだったらチャンピオンにならなくてもGPをもっと勝ってたかもしれませんが、その代わりにマンセルのチャンピオンはなかったような…
不調とはいっても1980年よりはマシだったと思う。
そしてまた今(2023年8月現在)もズンドコな事態に陥ってますね。下手すればもうフェラーリの存在自体空気になってしまいかねない有様で…
ゴードン・マーレー曰くスティーブ・ニコルズは無能と切り捨てていたが、この年のフェラーリを見ると頷ける話。バーナードのマシンをいじくり倒して、シーズンを不意にした印象ある。
93年のフェラーリから ここに来たけど最後のコメント、エディジョーダンじゃなく ケンティレルが 言った言葉だと思うけど…。90年総集編でナレーターの人が言ってたのが 記憶に残ります。
たらればだけどスパ、カナダは完走出来ていたら勝っていたかもしれない。しかしなんといってもウイリアムズの信じられない速さが誤算だったと思う。プロストのサンマリノでの大失態が象徴的だった。まあアレジは敵ではなかったけどね。それは認める。マニクールで勝ってたらもしかしたら違ったかな。
アレジは、ウィリアムズに行ってれば、通算1勝ではなかったはずですね!アレジがフェラーリに行ったおかけでマンセルが翌年タイトルですね
もしアレジがフェラーリでなくウィリアムズ行きを選択していたら、ミハエルの存在はあれほど大きくなかっただろうしナンニーニもヘリコプター事故に遭うこともなくフェラーリでムードメーカーになっていただろうし、亜久里さんは日本グランプリで表彰台に立てていたか分からなかったしモレノもあそこまでクローズアップされてなかっただろうしマンセルも本当に引退していたでしょうね。まさに「人間万事塞翁が馬」「禍福は糾える縄の如し」の言葉そのままです。
643は、今でも好き😊かっこよかったけど、勝てなかったすね(´;ω;`)
フェラーリにナニーニが移籍してたらウィリアムズ→アレジ、パトレーゼ、ベネトン→亜久里、ピケ。マンセル引退?なんて世界になっていたんでしょうか?シューマッハはアロウズから予選落ちギリギリを戦っていたかも…。
ナニーニの契約問題もですよね〜。アレもフィオリオさんなんですよね。どれだけ交渉下手なら気が済むんじゃ!
v12で馬力を出せなかったチームがv10に移行しようともろくな馬力をだせなかったでしょう
浅く深堀解説w有難うございます。そして92年はそんな状態のフェラーリにカペリが加入、マシンは過去ダントツにカッコいい(個人の見解です。)F92A登場!結果的にはプロストさんはこの時点でで辞めて正解だったんでは無いでしょうか?
私の個人的に意見ですがプロストさんはもしリジェの買収を含めてチームの運営に興味があったのであればあんな振る舞いはせずに経営の勉強としてチーム内をまとめる方向で尽力するべきだったんじゃないかなと思ってます。最後クビになっちゃってるのでプロストさんに決定権はなかったと思うんですが、悪い経営をしているチームにいるってことはそれだけ学びも多いと思うので、私はやめない方でしっかり割り切ってどうやったら改善できるのかドライバーと経営者側の両方の目線から勉強すきだなって思います。プロストさんをドライバーとしてだけで考えるならそうですねーどっちでも良かったような気がします。でも結果から見れば93年のタイトル取れているので良かったんですかね。
@@FormulaIneChannel 有難う御座います。なるほど、将来的にチーム運営も考えているのであれば確かに勉強するチャンスでしたね。もし、そうなっていた場合、92年のフェラーリはもう少し良い結果がでていたかも知れません。逆にゆうと、プロストさんがいなくなった結果、あの様な結果になってしまったのかも知れませんね。そう考えると、凄く興味深いです。結局プロストさんは93年チャンピオンに。最後に笑ったのはやはりプロフェッサー、プロストさんですね。
こちらこそ、こう言うご意見やご質問は楽しいので大歓迎です!ありがとうございます。確かに93年はチャンピオン取れたので良かったんですがその後チーム経営者としては破産してるんですよね。そこには無限ホンダへの不義理や経営者として信頼を欠く事項もチラホラ。ドライバーとしては一流ですが経営者にはなりきれなかったってことかなーと思ってしまいます。
@@FormulaIneChannel 確かにチーム運営では上手くいったイメージはありませんね。やっぱりが我が強過ぎたんでしょうか。もし機会がありましたらこの辺のお話も浅く深掘り解説でお願い致します。
やりますよ〜。いつになるかわかりませんが…(๑・̑◡・̑๑)
監督代わってグダグダでしたっけ。アレジもいまいちだったし。マシンはカッコよかったからプロストがトップ争いした数戦だけ動画でよく見てる。
91年はまさかの戦績でしたよねぇ、643かっこよくて期待大だったのに、あのプロストさんをもってしてものリタイア率は悲しかったです。アレジは移籍の時期が悪かったですよね、勝てる実力あったのでもったいなかったなぁと。ちなみに私はなぜかティーポ039というエンジン名がやたら記憶にあるのですがそんなエンジンあったのかしら?
ティーポ039って私の記憶では表舞台にはでできてないんじゃないでしょうかね?それか291系の別名ですかね?92年は040からだと思うので91-92年のシーズンオフの間のテストでダメだったものかもしれませんね。
@@FormulaIneChannel 回答ありがとうございます。何かで「ティーポ.039のパワーがない」的な記事を読んだ気がしてたのですがおそらく私が間違って記憶していただけなのでしょうw
なるほどね~。ウィリアムズのリアクティブやホンダV12の中速からのドライバビリティに比べて、前年からの伸び代少なかったのかな?ブラジルGPのセナはテクニックとエンジンで走りきれた。F92ATの動画そろそろかな?
92はもう少し先になりそうですね。準備してありまーす。
流石~期待しております。チャレンジングで斬新なダブルデッカー結構好きなんすよ。構造マニア的に(笑)
643が俺史上1番格好いい!フォルム、音!
アレジがウィリアムズに行った世界線も見てみたかったそしたらセナも亡くなることはなかったのかな、なんて…
そうなる可能性もありましたよね〜。その前にマンセルとアレジがコース上でバチバチになっていた可能性も。いや、マンセルさんのシートにアレジかな?パトレーゼは残留でしたかね?
@@FormulaIneChannel マンセルはそもそも90年イギリスGP終了時引退宣言しててフェラーリの空いたシートの後釜候補にアレジ カペリ セナ 一応マンセル残留の4択でしたがドイツ・ベルギーでマンセルが独断でリタイアしてフィアット本社が激怒してご破算 セナはベルギーGP直前にマクラーレン残留を決めたので実質ベルギーGP終了後フェラーリのシート争いはアレジとナニーニの一騎打ちにナニーニが複数年契約を希望するナニーニ側と単年契約を提示するフェラーリ側で仲違いになりこちらもご破算結局セナにも声をかけてたのが嫌だという理由でウィリアムズを蹴ったアレジがフェラーリへ移籍することがポルトガルGP直前決まるマンセルは結局ウィリアムズの空いたシートを棚ぼたで拾う形でヘレスGP中にウィリアムズ復帰決定
@@FormulaIneChannel 両雄並び立たず、とするとアレジ-パトレーゼの方が上手く行きそうですねwそれはそれで両方ラテン系ですが…w
もしアレジがウィリアムズに行ってたらもうそれこそ勝って勝って勝ちまくって、ミハエルの存在すら霞んでいたかもしれません。
サンマリノGPでのプロスト氏のフォメーションラップスピン、あれでチーム内では信用が失くなったのかな。90年はチームに対して辛辣な発言をしても結果は残した。しかし91年は・・・。後年自身のチームを運営するも、今回のフェラーリの様なゴタゴタばかり、責任の擦り付けあいで終わりましたよね。
確かあまりにも成績悪くてプロストがdisって解雇された時でしたっけ?トータルバランスが悪かったんですかねぇ…このあたりから低迷し始めて翌年あの魔改造的マシンが誕生するんですね(;´∀`)
レギュレーションの変更で重量配分と空力変更が上手く行かなかった。せめて643を開幕戦から投入してればせめて一勝はできたと思います。
91年開幕前テストは速さがあったのに…棚ぼた優勝とは言えベネトンは優勝しましたからね💦アレジは犠牲者になりましたね。643が出てきたときはあまりにも取ってつけた感じのフロントのデザインでしたね。
このマシンはプロスト後半は見切りつけてましたね?当時アレジがノーズをぶつけて象さんの鼻のように曲がってピットに入ってきたシーン夜中の放送で見て印象が一番残っていたのですけどね!不謹慎だけど笑ってしまい!その後色々画像残っているか調べましたが見つからないのですよ…フェーラーリに取っては絶対にカッコ悪い画像は御法度でもみ消したのですかね?🤔
643はデビューのフランスGPの2位がピークでしたね
ホンダの監督だった後藤さんはこのころ未だマクラーレン在籍でしたっけ?なるほどねぇ...レース部門のターミナル機能、指示系統という意味で、後にシューとロス・ブラウンとロリー・バーンをパッケージで持って来る為の欠乏感が沸点に向かいつつある時期と言えるのでしょうかねぇ...
後藤さんは91年の半ばからマクラーレンですね。確かにシューが来るまでの暗黒ですな!
俺たちのフェラーリ時代
カッコいいマシンだったけど走らなかった
確かプロストがこの後に文句言ったのが影響して、プロストグランプリのエンジンをバッジネームで「プロストフェラーリ」にしたいって言って拒否された話がありましたねぇ、、、、w
あはは🤣
@@FormulaIneChannel 天罰喰らいましたね笑
プロストも言い過ぎだったかもしれないけど少なくとも状況を改善に繋がる事も言ってたと思うそれをただの文句と思った上層部も良くない
単純に開幕戦のセナが速すぎなければ、プロストが勝ってたよね!巧みなレース運びでピットインのロスを取り返して2位になったからね。
エンリケ・スカラブローニがダメなんだと思っていました。当時、車の免許を持っていない唯一のデザイナーなんて言われていましたよね。
リアルトム•カサハラやんw
レギュレーションの変更で、ガソリンタンクの位置をずらしたけど、前後バランスが崩れて、642は失敗に
バーナードの設計に依存、なおかつ、空力側に振りすぎた642で失敗。バーナードの設計から脱却しようと前倒しで投入した643だが、これもさほど走らず。。翌年はもっと大変な事になります。
追伸、、アレジのあの11時5分のステアリングの持ち方 オンボード びっくりした。。
期待かけたけどとんだ一杯喰わせ物だったんですね。
ウィリアムズがもったいない?むしろ、フェラーリでうまくいかなかった方がアレジにとってはクスリになったかと思うな。ただ、逆の相乗作用にもなる場合があったかと。フェラーリから声がかかれば、誰だって乗りたいと思うだろう。巨人軍からのスカウトと同じだな。マンセルとアレジか…同門対決がエスカレートして確執か?フランスで643が登場したけど、ノーズに少しRがついて、サイドが少し角張った形になって流麗さが少しなくなったな。643といえばこのような思い出が。テレビでフランスグランプリを観ていて、スタート前にデビューランの643が紹介されている時に、一緒に観ていたうちの父が、「フェラーリって、トヨタか?」と言ったな。最初、?と思ったけどトヨタの一車名かと勘違いしたようだ。中古でセンチュリーまで乗ったクルマ好きな父なのになぜかフェラーリを勘違いしていたとは、F1に興味がないヒトにとってはその程度なんだな~と思った。トヨタのフェラーリ、MR2がなつかしい。あの頃は新型旧型MR2よく見かけました。バブル崩壊前夜。フェラーリが落ち着くのは、モンテゼモーロが就任した翌年の1993年から。市販車も456や512でまともになって、後藤治さんが呼ばれて名車355の開発真っ只中。鈴鹿でガーちゃんが予選で暫定ポールを獲った辺りから、ああ、そろそろかな?と思ったな。実際は簡単にはいかなかったけど、96年シューが来るまでガーちゃんとアレジでぼちぼち盛り上げてくれた。
フェラーリが91年に未勝利となった原因は90年のオフに有るわけだし、そこが引き金になったわけだね。翌年はプロストとアレジのラインナップで決定してたけども、マシンは90年の発展型である642で様子を見て、ライバル勢の動向を睨みつつ643を導入しようと目論んでたのも失敗だったし、シーズンオフやプレシーズンテストで642が好走したのも余計に読みを見誤らせた原因だね。90年は好走したと言ってもマクラーレンに敗れたからこそ、翌年はリスクを伴ってでもニューマシンを投入すべきだったんじゃないかな。更に前年から引きずっていた政治的な出来事や、不調になった時のお家騒動が表面化したことで、チームはゴチャゴチャって感じだったし、プロストが口を酸っぱくしてまで改善してほしい部分を言ったけど、話を聴くにしてもなあなあって感じだったみたいでチームに対する幻滅感が増長しちゃったんだよねぇ。こんなお家騒動を含めた失敗があったからこそ、翌年にモンテゼモーロを社長として招聘したんだし、これが跳ね馬復活への第一歩になったんだしね。
アレジがオーバーレブさせてエンジンブローしたと聞いた事がある
トラクター🚜(゚∀゚ 三 ゚∀゚)キター
アレジの過大評価が露呈した年ですね。その後の実績を見る限り、ウィリアムズに移籍したとしてもマンセルにボコられて終わってたと思いますよ。フェラーリの実力は基本俺たちですので…。
このマシン、見た目がスッキリしてて一見速そうだけど個性が無いよね…
確かにデータ漏れすぎてみんな同じ空力してましたよね!
80年代後半からF1を観始めた私のイメージだとシューマッハ改革後の常勝フェラーリより、この頃のフェラーリがフェラーリらしい
なるほど。確かにチーム内がドタバタしてることが多いのも事実ですね。ミハエル加入後がむしろ奇跡…
@@FormulaIneChannel
シューマッハの我儘が無かったらお家騒動を繰り返してたのかな?
エンジンが壊れにくくなったのはHONDAV10作ってた後藤さん居たからだと思う。
そう考えるとロス・ブラウンは
人間なのか保証出来ない統率力ですね…w
毎度です♪
フェラーリ暗黒時代の始まり91年
鳴り物入で加入したアレジとプロストのコンビでしたが、開幕前のテストは好調だったのにまさかの未勝利でしたね。
ポルトガルでも、ミナルディフェラーリのマルティニにも追われたり、なかなか厳しいシーズンでしたね。個人的にはフランスから投入された643の見た目は嫌いじゃないんですけどねー。今回も楽しかったです♪ありがとうございました😊
しゅうさん、毎度です。そうなんですよね~。643は見た目いいんですよね~。それを言うと個人的にですがF92Aのかっこ良さからの地獄が...F92Aの特集を急がねば!
643は見た目はとってもカッコよかったですよねー。
641は美しく、643はかっこいい✨
643良いマシンかなと思ったんですが、マニクールだけでしたね
今にして思えば、あのプロストの快走も地元開催の意地だったのかも
アレジは年間通して精細を欠いていましたね。決勝でプロストに勝てないのは致し方ないとして、まさか予選で2-13の惨敗を喫するとは思いもしませんでしたよ
前年(1990年)の活躍があっただけに1991年の低迷は誰しも信じられなかったですね…。
フェラーリだけじゃなく、プロストもアレジも「まさか…」だったでしょう。ただ、この頃にはチームとしてバラバラだったんですね…。
チームをまとめるリーダーがいなかったことで低迷が続いたのも頷けます。
翌年のF92Aのダブルデッキはアイデア自体は後の時代を見れば間違いではなかったと思うのですが…登場するのが早すぎたマシンでしたね…個人的にはあの戦闘機のような見た目がとてもカッコいいと思います!
私もF92Aは大好きですな。ほぼ同じコンセプトをトロロッソで...これはF92Aの特集でお話しましょうかね。ウフフ
91年フェラーリ特集ありがとうございます。
まさに暗黒の入口。91年のフェラーリが良かったのは開幕アメリカGPの予選初日まで。
アレジが初日トップで期待大だったのが一瞬で奈落の底へ落ちました。
643のデビュー戦フランスはそこそこ良かったですが、結局最後までダメでしたね。しかし、643は最高にかっこいいマシンなんでフェラーリ歴代最高マシンだと思ってます(笑)
643はですね、フランスに登場した時は私には期待を持たせました。しかし、ドイツでプロストがシケインでセナと競り負けてエンストリタイアしてからずるずると落ちていき、あとは3位がやっとになりました。プロストの2位があっただけ。サスペンションに致命的な欠陥がありました。
馬力は89年640馬力→90年700馬力→91年710馬力でした。まさに90年の時点で限界でした。
643はかっこよかったですもんねー。なのに…
あの名車 641/2 からの翌年0勝には驚いた。
でも個人的には、この年一番の衝撃は
ウィリアムズFW14の驚速かなと思う。
サンマリノのプロストのフォーメーションラップでのリタイヤがこの年を象徴していたなあ
開幕USA GPの予選,1日目暫定ポールに立ったJ.アレジ.どんだけ,フェラーリが勝ちまくるのか.とワクワクしてました.
しかし,2日目セナに逆転され,アレジの最後のアタックもクラッシュ.年末のフジTVの総集編で,城達也さんのナレーション「ココまでであった」が虚しかった.以降,フランスGPの「すかしっぺ」くらいでした.
プロスト曰く「643はフラットなコースではウィリアムズと同じくらいに走れたけど、バンピーなコースではマシンを押さえつけて走るだけで精一杯だった」とのこと
成績こそ芳しくありませんでしたが、643のデザインは好きでした。同年のジョーダンよりも格好いいと思ってました。
643かっこいいですよね!もう少し速くてもね。バチ当たらないと思うんですよね!
前年の活躍を考えると
91年のフェラーリの未勝利は
衝撃でした。
下馬評ではマクラーレンよりもぶっちぎりに勝てるはずだったなあ。
643は綺麗な形で結構好きなマシンですがお家事情が足を引っ張りましたよね…
この年代のフェラーリって最終戦までレギュラードライバーが持たなかった印象が…(^^;
春先は予選のアレジ決勝のプロストと思ってました
最後あんなことになるとはね
ありがとうございました!! 1991年のフェラーリ、超内乱でしたね。 アレジさん、フェラーリではなくウィリアムズに移籍かそれともベネトンに移籍していたら、違う結果になっていたのに…。プロストは93年のウィリアムズで一気に盛り返す事になるのだが、それはまた別の話。
ウィリアムズにアレジが入っていたら、92年がどうなっていたのか…マンセル、パトレーゼのコンビはなかなかのバランスでしたからね。どうなっていたのか。気になりますが答えはどこにもないんですよねー
プロストとフィオリオはこの時仲悪かった割にはプロストGPではちゃっかり組んでると言うね
ロンバルディは元々ランチアのエンジン設計を担当していて89年から同じくランチアラリーチームで組んでいたフィオリオのお誘いでフェラーリに来てたのでエンジンは詳しかったはずです
F1はケンカも早いが、仲直りも早いね。
フェラーリで1・2位を争うくらい好きなマシンだっただけにこの成績は残念でした。
リタイアしたがハンガリーGPのプロストはらしいレースはできていたと思います。エンジントラブルさえなければなあと思って見てました。
お疲れ様です♪「後悔先に立たず」のアレジ、本人は案外冷静に91年のチーム状況を分析してたみたいですね。彼曰くテクニカル、デザイン、エンジン等各部門がそれぞれの失敗をあたかも期待するかのような足の引っ張り合い状態だったみたいですね。「とにかく各部門が本社からの制裁を常に怖れていた」とアレジも証言してました(怖い気持ちは解るw)。クルマ自体も満タン時のアンダーが後半クルマが軽くなってもアンダーのままだったみたいですね(フロントが全くグリッ プしてなかったって事ですかね?)。アレジもプロストから学ぶ余裕なんて全く無かったでしょうし、逆に「フェラーリの新しいエース」としてチームを建て直さなければ!と言う使命感を彼に自覚させたのかも知れませんね。91シーズンは彼のレースキャリアにおける正に「分岐点」でしたね(個人的には彼のフェラーリに対する忠誠心は大好きです)。今回もありがとうございました☆
かなりの恐怖政治が敷かれて、各部門が足の引っ張り合いでは速い車も速くは走りませんな〜
91年のフェラーリといえば、ご本人には悪いけどプロストがイモラのフォーメーションラップでスピンアウトしてしまったのがあまりにも印象的で、混乱の1年の全てを表しているようでしたね💧
確かにあれはあの一年をあらわしていますね!
プロストのスピンなんてそれぐらいしか知らない
@@fuugetsukachou4797 セナ初優勝レースの85年ポルトガルでも、プロストは雨の中ストレートで大スピンしました。
あのレースは衝撃的でした。いくらウェットといえフォーメーションラップでまさかプロストが、、、
同じ場所でベルガーは一旦コースアウトしたものの、エンジンを止める事無くフォーメーションラップに復帰したのとは対照的でしたね。
簡単に言えばシーズンに対する『読みの甘さ』、これは92年のマクラーレンに通ずるものがあり、ライバルの速さに慌て後手に回り挽回出来ぬままシーズン終了。 この時代は新車の度にチーフ・デザイナーが違うのはフェラーリだけ、それに生みの親と育ての親が毎回違うのもフェラーリのみ。
『 F1界の阪神タイガース』とはよく言ったもんだな。
70年代のボクサー初期(ラウダ加入前)も酷かったですね、欠場する事もあったし。
毎度です。91年はフェラーリファンにとってみれば、期待外れもいいとこの年でしたね。サンマリノでのダブルリタイア、フランスで優勝かと思いきや、マンセルに抜かれ2位に。チーム批判をしたプロストは最終戦を待たず解雇、最終戦ではモルビデリがシートに座り、0.5ポイントの初ポイントゲットでしたね。642も643もスタイルは美しいんですがね。
ほんと、1990年の勢いはどこへ行ったの⁉️
って疑いたくなりました。
プロストさんがジルさんと同じカーナンバー27で走っていただけでも貴重なシーズンだと思う。
しかしマシンはプロストさん曰く
赤いトラックまたはトラクターw
日本GP直後の「赤いカミオン発言」が原因でプロストはクビになり、最終戦オーストラリアGPではモルビデリが代打として27番に乗りましたね。
この年のブラジルGPでセナがレース後半6速のみで走りきり優勝した事にフェラーリは衝撃を受け後日フェラーリも6速のみで試してみたがとても走れたものじゃなかったらしい…
という話を当時聞いた事があります。
やはりホンダRA121、ルノーRS3Cには敵わなかったのですね。
91年の当初はホンダもパワー不足でセナとベルガーは文句タラタラでしたが中盤から後半はちゃんとバージョンアップして進化してきましたもんねぇ。
セナの涙の母国初優勝がフェラーリにショックを与えたんでしょうね。
91年のフェラーリの敗因としては…
①マシンのコンセプトが旧態依然としてきた→639系のオリジナルの良さがなくなり、他のパクリ的なシャシー。そしてパフォーマンス不足のV12。
②マネジメントが全く機能しなかった→内部抗争が始まり、チームはバラバラ。
③前年は終盤まで覇権を争ったため、91年型の対応が遅れた。結果的に90年は敗れたため、チームに疲弊感だけが漂っていたのでは?→すべてが後手後手に映っていたし、前年までのストロングポイントが消えていた。
④将来を見据えた展望(ビジョン)が描けていなかった→ラテン民族のなせる業か?
勝手ながらこんなことを思ってましたね。
基本的な体質は、30年経った今でもあまり変わっていません。
唯一異なったのはシューマッハ時代。あんなことはフェラーリではほぼあり得ないでしょうね。
毎度です。確かにシューの時代が異例だったのかもしれませんな。あのインパクトが強すぎてあそこを基準に考えてしまいがちな自分がいますな!😩
2番目に好きな時代じゃないですか!
たしかに勝利数は段々低下してきた時期ですね....
フェラーリ低迷はエンツィオさんが亡くなってから始まった印象💦
ですね〜エンツォが亡くなってからチーム内はバラバラだった感じありますね。
@@FormulaIneChannel
ラウダ時代前夜の73年も酷かったですよ、コンコルド以前だったので欠場レースもあったりしました、その1つだったドイツでは急遽マクラーレンに出向?したイクスが3位表彰台という皮肉。
今見ても、かっこいいマシンです。フランスGPはプロストが勝つなぁ~って見ていたらの逆転2位。
でもフェラーリ復活したから、これからのシーズンも面白くなるよなぁって思っていたらの暗黒期突入。
F92A好きな人多いですけど、個人的には643の方が好きですねぇ
それにしても、いい音ですな✨
プロスト、アレジで1勝も出来ないで終わるとは、、、
まさか、まさかのシーズンでした。😅
いい音ですよねー!😊
@@FormulaIneChannel さん。
今晩は🌙😃❗
返信ありがとうございます😉👍✨
channel登録させて頂きました。
そう言えば、フェラーリが
カーNo.27、28でエントリーしたのは
1987年、1988年のベルガー、アルボレート以来でしたかね⁉
それ以前は、、、
悲しい出来事だったから😭😭❗
紅い跳ね馬は、No.27、28が一番似合いますな❕😊☺
チャンプNo.は続かないからね❕😊
おっチャンネル登録ありがとうございます!やっぱりフェラーリは27, 28が似合いますよね!また遊びにきてくださーい!
エンジンについて伸び代がなかったという話、これシャシーも同じでチーム内で640系を引き継ぐか決別するかで揉めたそうでそれでスカラブローニが離脱しています
それで残った640系後継車が遅かったら話にならないってことでテストでは多分レギュレーションに即していない状態で走ってたんじゃないかな?
実際開幕したらドライバー2人ともとても同じマシンとは思えないってコメントしてたし…
あと燃料の搭載量によって挙動が変わるのは641/2の頃からあったとプロストが言ってましたね
プロスト大好きな自分ですが。
鈴鹿で643に乗ったプロストがかっこ良かったが、最後のフェラーリだった!
プロスト、アレジが91年ウィリアムズに乗ってたら、もっと歴史が変わってたんだろなぁー。。
91年のフェラーリはそんなにゴタゴタとは知らなかった。93年楽しみにしてます
1991年シーズン前、ティフォシとフランス人モータースポーツファンの
期待を背負ったなぁー
なにげに今も冬の時代ですけど、もう当たり前になってて気にならない
643見た目いいんだけどなぁ。F92Aがフェラーリ史上のポンコツだからかな?
いわゆる、無理して?せっかく移籍したアレジとフェラーリの暗黒時代の始まりですねw
結果的に、後にシューマッハーが来るまで何度マシンをイチから作り直しても続いたという。
(逆に言えば、アレジには速さはあっても、マシン開発力は無いんじゃね?的な事がバレたw)
そうですね。やっぱりあの時のアレジにフェラーリは早すぎたってことなんでしょうね。そう考えるとやっぱりシューは速いだけじゃない偉大なドライバーですな!
アンチフェラーリ ですが、643デビューフランスGPは痺れました。今も昔もプロフェッサーが乗っていた跳ね馬643と641/2が大好きなフェラーリです。なんやかんやゆーても、セナホンダマルボロが大好きですw
そして翌年に闇のマシンがシェイクダウンするんですね
(個人的には大好きなF92Aですが)
ですね〜。まさに漆黒の闇ですな!
プラモ化が唯一の救い(?)
やっぱりこの時のフェラーリは勝てるチームではなかったですね。人材を適材適所に置かれていなかったりとか。しかもプロストみたいな人がいればチームの空中分解は起こりやすくなりますね。あと最後のほうに言っていたアレジのフェラーリ移籍は結果的に早かったでしょうね。彼ほどのポテンシャルがあったドライバーが通算成績でチャンピオンになるどころかGP1勝に終わってしまう人ではなかったはずです。もしウィリアムズだったらチャンピオンにならなくてもGPをもっと勝ってたかもしれませんが、その代わりにマンセルのチャンピオンはなかったような…
不調とはいっても1980年よりはマシだったと思う。
そしてまた今(2023年8月現在)もズンドコな事態に陥ってますね。
下手すればもうフェラーリの存在自体空気になってしまいかねない有様で…
ゴードン・マーレー曰くスティーブ・ニコルズは無能と切り捨てていたが、この年のフェラーリを見ると頷ける話。
バーナードのマシンをいじくり倒して、シーズンを不意にした印象ある。
93年のフェラーリから ここに来たけど
最後のコメント、エディジョーダンじゃなく ケンティレルが 言った言葉だと思うけど…。
90年総集編でナレーターの人が言ってたのが 記憶に残ります。
たらればだけどスパ、カナダは完走出来ていたら勝っていたかもしれない。しかしなんといってもウイリアムズの信じられない速さが誤算だったと思う。プロストのサンマリノでの大失態が象徴的だった。まあアレジは敵ではなかったけどね。それは認める。マニクールで勝ってたらもしかしたら違ったかな。
アレジは、ウィリアムズに行ってれば、通算1勝ではなかったはずですね!
アレジがフェラーリに行ったおかけでマンセルが翌年タイトルですね
もしアレジがフェラーリでなくウィリアムズ行きを選択していたら、ミハエルの存在はあれほど大きくなかっただろうしナンニーニもヘリコプター事故に遭うこともなくフェラーリでムードメーカーになっていただろうし、亜久里さんは日本グランプリで表彰台に立てていたか分からなかったしモレノもあそこまでクローズアップされてなかっただろうしマンセルも本当に引退していたでしょうね。
まさに「人間万事塞翁が馬」「禍福は糾える縄の如し」の言葉そのままです。
643は、今でも好き😊
かっこよかったけど、勝てなかったすね(´;ω;`)
フェラーリにナニーニが移籍してたらウィリアムズ→アレジ、パトレーゼ、ベネトン→亜久里、ピケ。マンセル引退?なんて世界になっていたんでしょうか?シューマッハはアロウズから予選落ちギリギリを戦っていたかも…。
ナニーニの契約問題もですよね〜。アレもフィオリオさんなんですよね。どれだけ交渉下手なら気が済むんじゃ!
v12で馬力を出せなかったチームがv10に移行しようともろくな馬力をだせなかったでしょう
浅く深堀解説w有難うございます。そして92年はそんな状態のフェラーリにカペリが加入、マシンは過去ダントツにカッコいい(個人の見解です。)F92A登場!結果的にはプロストさんはこの時点でで辞めて正解だったんでは無いでしょうか?
私の個人的に意見ですがプロストさんは
もしリジェの買収を含めてチームの運営に興味があったのであればあんな振る舞いはせずに経営の勉強としてチーム内をまとめる方向で尽力するべきだったんじゃないかなと思ってます。最後クビになっちゃってるのでプロストさんに決定権はなかったと思うんですが、悪い経営をしているチームにいるってことはそれだけ学びも多いと思うので、私はやめない方でしっかり割り切ってどうやったら改善できるのかドライバーと経営者側の両方の目線から勉強すきだなって思います。プロストさんをドライバーとしてだけで考えるならそうですねーどっちでも良かったような気がします。でも結果から見れば93年のタイトル取れているので良かったんですかね。
@@FormulaIneChannel
有難う御座います。
なるほど、将来的にチーム運営も考えているのであれば確かに勉強するチャンスでしたね。もし、そうなっていた場合、92年のフェラーリはもう少し良い結果がでていたかも知れません。逆にゆうと、プロストさんがいなくなった結果、あの様な結果になってしまったのかも知れませんね。そう考えると、凄く興味深いです。結局プロストさんは93年チャンピオンに。最後に笑ったのはやはりプロフェッサー、プロストさんですね。
こちらこそ、こう言うご意見やご質問は楽しいので大歓迎です!ありがとうございます。確かに93年はチャンピオン取れたので良かったんですがその後チーム経営者としては破産してるんですよね。そこには無限ホンダへの不義理や経営者として信頼を欠く事項もチラホラ。ドライバーとしては一流ですが経営者にはなりきれなかったってことかなーと思ってしまいます。
@@FormulaIneChannel
確かにチーム運営では上手くいったイメージはありませんね。やっぱりが我が強過ぎたんでしょうか。もし機会がありましたらこの辺のお話も浅く深掘り解説でお願い致します。
やりますよ〜。いつになるかわかりませんが…(๑・̑◡・̑๑)
監督代わってグダグダでしたっけ。
アレジもいまいちだったし。
マシンはカッコよかったからプロストがトップ争いした数戦だけ動画でよく見てる。
91年はまさかの戦績でしたよねぇ、643かっこよくて期待大だったのに、あのプロストさんをもってしてものリタイア率は悲しかったです。アレジは移籍の時期が悪かったですよね、勝てる実力あったのでもったいなかったなぁと。ちなみに私はなぜかティーポ039というエンジン名がやたら記憶にあるのですがそんなエンジンあったのかしら?
ティーポ039って私の記憶では表舞台にはでできてないんじゃないでしょうかね?それか291系の別名ですかね?92年は040からだと思うので91-92年のシーズンオフの間のテストでダメだったものかもしれませんね。
@@FormulaIneChannel 回答ありがとうございます。何かで「ティーポ.039のパワーがない」的な記事を読んだ気がしてたのですがおそらく私が間違って記憶していただけなのでしょうw
なるほどね~。
ウィリアムズのリアクティブやホンダV12の中速からのドライバビリティに比べて、前年からの伸び代少なかったのかな?
ブラジルGPのセナはテクニックとエンジンで走りきれた。
F92ATの動画そろそろかな?
92はもう少し先になりそうですね。準備してありまーす。
流石~期待しております。
チャレンジングで斬新なダブルデッカー結構好きなんすよ。
構造マニア的に(笑)
643が俺史上1番格好いい!
フォルム、音!
アレジがウィリアムズに行った世界線も見てみたかった
そしたらセナも亡くなることはなかったのかな、なんて…
そうなる可能性もありましたよね〜。その前にマンセルとアレジがコース上でバチバチになっていた可能性も。いや、マンセルさんのシートにアレジかな?パトレーゼは残留でしたかね?
@@FormulaIneChannel マンセルはそもそも90年イギリスGP終了時引退宣言しててフェラーリの空いたシートの後釜候補にアレジ カペリ セナ 一応マンセル残留の4択でしたがドイツ・ベルギーでマンセルが独断でリタイアしてフィアット本社が激怒してご破算 セナはベルギーGP直前にマクラーレン残留を決めたので実質ベルギーGP終了後フェラーリのシート争いはアレジとナニーニの一騎打ちにナニーニが複数年契約を希望するナニーニ側と単年契約を提示するフェラーリ側で仲違いになりこちらもご破算
結局セナにも声をかけてたのが嫌だという理由でウィリアムズを蹴ったアレジがフェラーリへ移籍することがポルトガルGP直前決まる
マンセルは結局ウィリアムズの空いたシートを棚ぼたで拾う形でヘレスGP中にウィリアムズ復帰決定
@@FormulaIneChannel
両雄並び立たず、とするとアレジ-パトレーゼの方が上手く行きそうですねw
それはそれで両方ラテン系ですが…w
もしアレジがウィリアムズに行ってたらもうそれこそ勝って勝って勝ちまくって、ミハエルの存在すら霞んでいたかもしれません。
サンマリノGPでのプロスト氏のフォメーションラップスピン、あれでチーム内では信用が失くなったのかな。90年はチームに対して辛辣な発言をしても結果は残した。しかし91年は・・・。後年自身のチームを運営するも、今回のフェラーリの様なゴタゴタばかり、責任の擦り付けあいで終わりましたよね。
確かあまりにも成績悪くてプロストがdisって解雇された時でしたっけ?
トータルバランスが悪かったんですかねぇ…
このあたりから低迷し始めて翌年あの魔改造的マシンが誕生するんですね(;´∀`)
レギュレーションの変更で重量配分と空力変更が上手く行かなかった。せめて643を開幕戦から投入してればせめて一勝はできたと思います。
91年開幕前テストは速さがあったのに…
棚ぼた優勝とは言えベネトンは優勝しましたからね💦
アレジは犠牲者になりましたね。
643が出てきたときはあまりにも取ってつけた感じのフロントのデザインでしたね。
このマシンはプロスト後半は見切りつけてましたね?当時アレジがノーズをぶつけて象さんの鼻のように曲がってピットに入ってきたシーン夜中の放送で見て印象が一番残っていたのですけどね!不謹慎だけど笑ってしまい!その後色々画像残っているか調べましたが見つからないのですよ…フェーラーリに取っては絶対にカッコ悪い画像は御法度でもみ消したのですかね?🤔
643はデビューのフランスGPの2位がピークでしたね
ホンダの監督だった後藤さんはこのころ未だマクラーレン在籍でしたっけ?
なるほどねぇ...レース部門のターミナル機能、指示系統という意味で、
後にシューとロス・ブラウンとロリー・バーンをパッケージで持って来る為の欠乏感が沸点に向かいつつある時期
と言えるのでしょうかねぇ...
後藤さんは91年の半ばからマクラーレンですね。確かにシューが来るまでの暗黒ですな!
俺たちのフェラーリ時代
カッコいいマシンだったけど走らなかった
確かプロストがこの後に文句言ったのが影響して、プロストグランプリのエンジンをバッジネームで「プロストフェラーリ」にしたいって言って拒否された話がありましたねぇ、、、、w
あはは🤣
@@FormulaIneChannel 天罰喰らいましたね笑
プロストも言い過ぎだったかもしれないけど少なくとも状況を改善に繋がる事も言ってたと思うそれをただの文句と思った上層部も良くない
単純に開幕戦のセナが速すぎなければ、プロストが勝ってたよね!
巧みなレース運びでピットインのロスを取り返して2位になったからね。
エンリケ・スカラブローニがダメなんだと思っていました。
当時、車の免許を持っていない唯一のデザイナーなんて言われていましたよね。
リアルトム•カサハラやんw
レギュレーションの変更で、ガソリンタンクの位置をずらしたけど、前後バランスが崩れて、642は失敗に
バーナードの設計に依存、なおかつ、空力側に振りすぎた642で失敗。
バーナードの設計から脱却しようと前倒しで投入した643だが、これもさほど走らず。。
翌年はもっと大変な事になります。
追伸、、アレジのあの11時5分のステアリングの持ち方 オンボード びっくりした。。
期待かけたけどとんだ一杯喰わせ物だったんですね。
ウィリアムズがもったいない?
むしろ、フェラーリでうまくいかなかった方がアレジにとってはクスリになったかと思うな。ただ、逆の相乗作用にもなる場合があったかと。
フェラーリから声がかかれば、誰だって乗りたいと思うだろう。巨人軍からのスカウトと同じだな。
マンセルとアレジか…同門対決がエスカレートして確執か?
フランスで643が登場したけど、ノーズに少しRがついて、サイドが少し角張った形になって流麗さが少しなくなったな。
643といえばこのような思い出が。テレビでフランスグランプリを観ていて、スタート前にデビューランの643が紹介されている時に、一緒に観ていたうちの父が、「フェラーリって、トヨタか?」と言ったな。最初、?と思ったけどトヨタの一車名かと勘違いしたようだ。中古でセンチュリーまで乗ったクルマ好きな父なのになぜかフェラーリを勘違いしていたとは、F1に興味がないヒトにとってはその程度なんだな~と思った。トヨタのフェラーリ、MR2がなつかしい。あの頃は新型旧型MR2よく見かけました。バブル崩壊前夜。
フェラーリが落ち着くのは、モンテゼモーロが就任した翌年の1993年から。市販車も456や512でまともになって、後藤治さんが呼ばれて名車355の開発真っ只中。鈴鹿でガーちゃんが予選で暫定ポールを獲った辺りから、ああ、そろそろかな?と思ったな。実際は簡単にはいかなかったけど、96年シューが来るまでガーちゃんとアレジでぼちぼち盛り上げてくれた。
フェラーリが91年に未勝利となった原因は90年のオフに有るわけだし、そこが引き金になったわけだね。
翌年はプロストとアレジのラインナップで決定してたけども、マシンは90年の発展型である642で様子を見て、ライバル勢の動向を睨みつつ643を導入しようと目論んでたのも失敗だったし、シーズンオフやプレシーズンテストで642が好走したのも余計に読みを見誤らせた原因だね。
90年は好走したと言ってもマクラーレンに敗れたからこそ、翌年はリスクを伴ってでもニューマシンを投入すべきだったんじゃないかな。
更に前年から引きずっていた政治的な出来事や、不調になった時のお家騒動が表面化したことで、チームはゴチャゴチャって感じだったし、プロストが口を酸っぱくしてまで改善してほしい部分を言ったけど、話を聴くにしてもなあなあって感じだったみたいでチームに対する幻滅感が増長しちゃったんだよねぇ。
こんなお家騒動を含めた失敗があったからこそ、翌年にモンテゼモーロを社長として招聘したんだし、これが跳ね馬復活への第一歩になったんだしね。
アレジがオーバーレブさせてエンジンブローしたと聞いた事がある
トラクター🚜(゚∀゚ 三 ゚∀゚)キター
アレジの過大評価が露呈した年ですね。
その後の実績を見る限り、ウィリアムズに移籍したとしてもマンセルにボコられて終わってたと思いますよ。
フェラーリの実力は基本俺たちですので…。
このマシン、見た目がスッキリしてて一見速そうだけど個性が無いよね…
確かにデータ漏れすぎてみんな同じ空力してましたよね!