【井本隆 近鉄】広島との1979年日本シリーズ第1戦エース鈴木啓示を差し置いて先発。シーズンはチーム勝ち頭の15勝。荒らしいピッチングフォームから強気のピッチングでシリーズ2勝をあげ日本シリーズ敢闘賞
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- Опубліковано 4 лют 2025
- 井本隆投手は、伊野商高から、社会人野球の鐘淵化学を経てドラフト3位で近鉄入団。2年目に初勝利も先発しても最後まで投げさせてもらえないなど伸び悩む。エース鈴木啓示にアドバイスを求めるも「オレを見ていれば分かる」と一言。
そこから観察してきっかけをつかんだ井本は1979年7年目に開花!15勝はチーム勝ち頭となりプレーオフ、日本シリーズともエース鈴木を差し置いて第1戦に先発。
日本シリーズでは2試合完投勝利で2勝をあげ日本シリーズ敢闘賞に輝く。80年も15勝と2年連続でチーム勝ち頭となり近鉄連覇に貢献。その後は82年に3回目の二桁11勝を挙げるも女性問題で心機一転ヤクルトに移籍。
ヤクルトでも二桁を期待されるも大きく裏切る6勝14敗の成績に終わり翌84年はわずか1勝で引退。
通算成績・表彰
320試合 81勝75敗8S 防御率4.08
日本シリーズ敢闘賞
*井本隆* 投手は79年80年の *近鉄* 優勝時の活躍が記憶に残っている。荒々しいピッチングフォームが特徴的でチームの勝ち頭にまでなった。エースス *鈴木啓示* を差し置いて *日本シリーズ* 第1戦に先発した時は驚いた。個人的には第1戦はエースが行くべきものだと思っていたんで。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。
この頃、初めて『いごっそう』という言葉を聞きました。
梨田捕手とともに「ハンサムなバッテリーだな」という印象がありました。実際、1塁にランナーを背負ってセットポジションで投げる姿は格好良かったですね。
井本投手、近鉄の全盛期の象徴、ベテランの鈴木投手と好対称、カッコよかったなあ。猫😺若旦那です。
西京極で近鉄勝利後にグランド乱入したら、勝って引き上げる井本のグラブの中にボールあったから頂きましたw
高知市の商業高校
市立 高知商業
県立 伊野商業
当時、映画「ワニ分署」観て横山エミーさんのファンになり、井本投手と付き合っているとの報道見たときは「うらやましいなぁ」と思ったものです。
ヤクルトの2年目、離婚した横山さんと並んでの記者会見。
たしか横山さんの著書の宣伝を井本さんがして
それを見た土橋監督が「あいつの顔も見たくない。」と
激怒したのが解雇の要因だったと聞いた。
マウンドの姿はふてぶてしくも頼もしく見えました
確かヤクルトに行ってからシュートがセリーグの打者には通用しなかった。
不調の原因が不倫の末再婚した奥さんの夜の勤めがハード過ぎて身体がもたなかったと言ったのが笑えた
病で短命だったのが残念ですね。
基本的にレンズ歓迎のファームアップは新しいカメラが発売された時によく行われますね
特にキヤノンの場合は
キヤノンはVRレンズが特定のカメラでのみしか使えないのとF11の単焦点レンズがあり、カメラによって測距点の範囲が違うので、結局レンズと言うより、カメラのファームアップには結局なりますけどね
イモト投手といえば南海戦でドカベン香川にルーキー第一号の場外ホームランを打たれたのも記憶に残っております。スキャンダルの頃は下半身に力が入らずボールを投げられなかったそうです。
引退した昭和59年だったと思うのですが神宮の阪神戦で完封勝利をしました。僕は阪神ファンでしたがラジオを聴きながらとても悔しかった。当時の阪神は山内新一や野村、稲葉などロートルばかり掻き集めていたので阪神に来て欲しかったです。横山エミーとの関係でヤクルトに行ったけど、変な記者会見やったり晩年は散々で残念でした
井本の他に柳田や村田とか個性的なピッチャーがいたなぁ…
幼少の頃、祖父から近鉄からいい投手がくるから良かったねといわれて
その後がっかりした思い出が、それでも一試合だけすごい投球しましたね
魔性の女性に体力を吸いとられてしまった。残念。
日本シリーズのエース
79~80年 日本シリーズ第1戦先発
79年日本シリーズ敢闘賞
通算100勝していなかったのが意外でした
全盛期が短すぎました
日本シリーズとはいえ中二日で完投勝利というのは時代ですね。
数年前に亡くなられましたね。千葉県松戸市に住んでいたみたいです。
当時の表現で言えばかなりのハンサム、男前だったな
それが災いして?
スキャンダラスな事件にも巻き込まれた。
球速もかなりあった
早死したのが残念
鈴木投手は「入れ込みすぎてムキになるため?」プレーオフ、日本シリーズ第一戦は、勝負度胸のある井本投手を起用して、鈴木投手の負けん気を奮い立たせる意図もあったと聞いたことがあります。。。
近鉄の好きなピッチャーだった。日本シリーズでもいいピッチングしていたし。
当時何で近鉄は、出したんだろうなと思った?女性問題だったのかな?
ヤクルトに行って活躍すると思っていたのに。全然だめだった。夜の生活が原因だったんだ。サゲマンの女性だったね。
79年、80年は、当時のプレーオフでも第1戦の先発で起用されていましたね。
特に79年は対阪急戦で、当時の西本監督が大エースの山田さんにぶつけて勝ったのですよね。
80年は対ロッテ戦で、その年にブレークした仁科さんにぶつけましたね。
いずれの年もそのまま3タテでプレーオフを制したのが印象的でした。
横山某さんと、一緒にならなきゃ、と思う人多し。早くにおなくなりになりました。
野球界でも芸能界でもよくある話し。下積み時代を支えた妻を捨て、若い女性に乗り換える星の数ほどの選手、アーティストたち。結局ろくな人生じゃなかったと思うのは私だけだろうか。
まああの当時の本人にしてみれば、一時の快樂を得ただけでも悔いはなかったのかもしれないけどね。
井本隆投手は、シュートをマスターすることで、スライダーまたはカープで生きて、ローテーションの一角を勝ち取ったいい投手だったと思います。ちなみに、巨人の西本投手と同じように、シュートに活路を見出したところが似ているのではないでしょうか?
しかし、故人の悪口は言いたくはないが、井本隆さんは、Sex依存症で奥さん以外の女性を妊娠させて離婚をし、ヤクルトにトレードされて頑張ってピッチングをするが、試合の後半にビックイニングを作って大量失点が多く見られた。そんな時に、横山エミさんが妊娠中にもかかわらず、別の女性と浮気をしたことが、ヤクルトの球団社長の耳に入って、社長さんが、「弊社はフレッシュが売り物の飲料水メーカーで、商品の売れ行きに影響するので、シーズン途中で申し訳ないが、井本君には辞めてもらいます。」と言われたのが印象的だった。そして、何年もの月日が流れて、例の関口宏のサンデーモーニングのスポーツコーナーで、井本隆さんの訃報を知った。その翌日、会社のスポーツ新聞を読むと、歌舞伎町だったかな、風俗店の中番頭になって生活していた様だが、癌に侵されて、享年66歳だったか、元妻や子供に看取られることなく他界した。はっきり言って、人生の後半は、女に溺れて裏社会に生きた人生だったと思いますね。
カネやんがヤクルト時代成績は悪かったけど「えげつないシュートやなあ すごいピッチャーやわ」といってたね
79年のシリーズは大阪球場に1戦2戦と行きました^ ^井本大活躍ですよ 次のシーズンもシリーズで活躍してセリーグならやれる自信もあってヤクルトに来たんですよね😂なかなか上手くいかないもんです^ ^横山エミーとの肉欲生活もピッチングに影響したと思います😭
草魂を抜いて日本シリーズの開幕投手でおまけに草魂よりもナイスピッチングだったのは見ていて立派だなと思いました。
なぜか、3つ下の梨田捕手に井本と、呼び捨てで呼ばれていた
その昔故郷の少年野球教室に来て子供達に指導してたのを思い出します。。
でも凄く態度が悪く感じが悪かったです。。
野球漫談師、金村さんによれば、そこらじゅうに女がいて、日生の試合の上がりに大阪から北陸線白鷺にのって石川県の女に会いにいった。ちなみに顔がわしの中3の担任にそっくり
鈴木康二郎とのトレードは納得いかなかった。早速、成績でも裏切ったし。子供心にも、汚れた大人という印象でした。
梨田大野の島根出身対決
山口県出身の有田も映っててニンマリ
日本シリーズ1979年は鈴木1勝・井本2勝。1980年は鈴木2勝・井本1勝。「結局、勝てたのはWエースだけやった」西本幸雄談。
鈴木が急速衰えたから、79 80年は実質
エースでしょう。鈴木は大舞台に弱いから
第二戦先発に起用されたそうです。
前年の阪急との直接対決、藤井寺決戦で
阪急山田投手とのエース対決でも緊張して
本来のピッチングが出来ませんでしたから。
この方もう亡くなられてるんですよね。
確かがんだった。
あの当時ではもてる顔してるよね
今のイケメンにはちょっと疑問がある
まだガキでしたが、日本シリーズでの活躍は記憶に残ってます。横○エ○ーとずぶずぶにならなければ、もっと活躍してたかもと思うと残念です。まあ男冥利に尽きるので、それはそれで幸せだったのかもですが😅
女優と結婚かお付き合いしてたらしい
エミー騒動のあと日音の役員まで上り詰めていたことはあまり知られていない
つまり、過去の栄光、落ちぶれ、として語られるべきではない
江夏さんがTVで喋ったけど古葉さんから何も労いの言葉はなかったねえ、って。広島時代はあまりいい印象はなかった、って。