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神魂神社の近くに風土記の丘があります。岡田山古墳です。私はそこに家を父と建てました。そこは目の前に国庁跡や古墳が点在して古代出雲の中心地だったと思われます。そして意宇川がそこを流れています。意宇川のかなりの上流ですが熊野大社があります。そして意宇川より数キロ東に黄泉の国の入口があります。風土記の丘を少し東南に行くと直ぐに八雲村になります。須佐之男命が読んだ八雲立つ……の歌の地と実感出来ます。因みに八重垣神社は神魂神社から西に歩いて2キロ弱ぐらいです。
ありがとうございます。また、出雲に伺いたいと思います。素敵な情報ありがとうございます。
鹿島神宮のあるところは、神栖です。秀真伝えでは、鹿島立ちとあり、鹿島から出雲へ繋がっているようにおもわれます。
太平洋側と日本海側離れてるけど、繋がりをかんじます。
ありがとうございます。出雲族の系譜は氷川信仰やスサノオ信仰に残っています。鹿島でも繋がりはあることでしょう。
こんにちは。自分は写真でしか見たことがありませんが、神魂神社の本殿は左右対称ではないのですが、高床式の太い9本柱で支えられ、どこかギリシャ神殿風のどっしりとした風格が国宝にふさわしい風格を感じさせる建物だと思います。出雲東王家に伝わる口伝をまとめた最近の本に、神魂神社の説明書きがありましたので、抜粋してご紹介します。古代の庶民は竪穴住居に住んだが、豪族の住居は高床式で出入に雨水がかからないよう、屋根は妻入りになっている。高床式であったので長いきざはし階段がつけられその上にも屋根が付けられた。階段は中央ではなく右はしに設置された。階段から部屋に入り、左手まで進むと、当主夫妻の寝室があった。左奥は仕切りがされ、夫婦が拝む神座になっていた。この配置は神社のために考えられたものではないので、参拝者は神座を正面から拝むことは出来ない。出雲大社では、神魂神社と逆方向で、階段から部屋に入り、右回りに奥に進むと右奥に神座がある配置となっている。したがって南側の正面とは別に、神座を正面から拝むための西側の遥拝所も設けられている。出雲大社(杵築神社)は奈良時代に建てられた社であるが、神魂神社は出雲王国時代の王宮であったので、この構造の神社としては最も古い建築であり、国宝に指定されている。この構造を大社造りと呼ぶと、どの大社が起源かわからないので、「神魂造り」と呼ぶのがふさわしい。神社の千木は神社の系統を表すもので、上下で横削ぎと縦削ぎで異なるのは、今では男神男千木の縦削ぎと女神女千木の横削ぎの和合を示しているとか言われたりする様ですが、それは誤りの様で、もともとは縦削ぎは出雲式で、横削ぎは九州式であり、神魂神社の千木も、もともとは出雲式の縦削ぎであったようですが、3世紀の第二次物部東征のあと、九州出身の物部氏秋上氏が神魂神社を住居としたため、それ以降は千木の上端は横削ぎに変えられ、千木の下端の縦削ぎはそのまま残されたもののようです。大元出版『出雲王国とヤマト政権』ー伝承の日本史ーより長文ですみません。日本間のお座敷の床間の神座を設ける配置も、この神社の造りの影響を受けているのかも知れません。
ありがとうございます。出雲のお社は色々面白いことがありますね。
出雲の神社シリーズを続けて拝聴しています。連続して視聴すると、とても背後の歴史文化に思いを馳せることができます😌神魂神社も幼い頃、家族と行ったほずですが、記憶にありません。建築を仕事としている私にとって、仰るようにとても均整のとれた素晴らしい社殿と感じられます。一度お詣りしてみたいですね。いつも素晴らしい動画を配信していただき、ありがとうございます!
色々見ていただきありがとうございます。
貴重な神社の情報をいつもありがとうございます。コトダマさんの左手首にはめられている、石の腕輪が気になります。どこかの神社で買われたものでしょうか。
ありがとうございます。水晶は神社のモノですが、もう一つは私が主催したイベントの出展者さんで一目惚れしたモノです。
私は、神魂神社の上にある、しょうなん学園という高校に通っていました。毎朝参拝させていただきました。
ありがとうございます。それは素晴らしいですね!
ここのお宮さんは、社殿の構造は出雲大社と同じだけれど注連縄が右流れ(右端が太く左側に細くなっていく)で大社とは逆だし屋根の千木は伊勢内宮と同じ内剥ぎ(大社は外剥ぎ)なんですね。
ありがとうございます。何か重要な場所だったとの想像は膨らみますね。
🙏🙏🙏
ご縁に感謝します。
@@yamato_kotodama さん、こちらこそ💕有難うございます。
ほんとにここはすごいです。チャンネル登録させて頂きました。
ありがとうございます。素晴らしいお社ですね。ご縁に感謝します。
神社のなまえが神様の魂(たましい)と書きますからね、すごく強い神様がいらっしゃるような感じがしますね。
ありがとうございます。感じるものはありますね。
いつもありがとうございます〜(_ _)
国府跡近くの真名井神社に寄って欲しかったです。神奈備山の茶臼山を背にした神魂神社と対の神社で近くの真名井の滝から水を採っていたといわれています。個人的に神魂神社は元々神産巣日神をお祀りされていて松江の鷹日神社の高皇産霊尊とセットだったのではないかと思ってます。神魂神社近くと真名井神社近くは古墳群があるので古代史好きはワクワクします
ありがとうございます
大和コトダマ伝道師✴️芭弥汰句(ハヤタク)様✡️知ることが出来て💞幸せ~❣️感謝🍀です🤗今回も素晴らしい🎉です✨日本🇯🇵本当に凄い🔯です❤️一つ一つ巡りたいです🎶愛❤️幸せ❤️感謝🍀無限大♾️~✡️ありがとうございます💖
こちらこそ有難うございます。
神魂神社は1364年創建。出雲大社は明治になるまでは杵築大社で716年創建で丹波国の丹波出雲大神宮より歓請されてます。丹波出雲大神宮由緒書には709年阿波国から歓請して創建と記されてます。出雲の元は阿波国です。神様名も後世に変えられてます。出雲大社は須佐の男→大国主。熊野大社は熊野大権現→須佐の男です。
神魂神社に行った時はあまりに圧倒されて写真を撮るのもはばかられて遠慮した思い出があります。よくこんなに遠慮なく動画まで撮れましたね(苦笑)と思ってしまいますね・・・
ありがとうございます。使命ですので。生半可な気持ちではやってません。
はじめまして動画勉強になります和歌山の熊野大社でしょうか?
ありがとうございます。出雲に元の熊野大社があるのです。和歌山は熊野〇〇大社ですよね。
ありがとうございます今度行かせて頂きます
神魂神社の近くに風土記の丘があります。岡田山古墳です。私はそこに家を父と建てました。そこは目の前に国庁跡や古墳が点在して古代出雲の中心地だったと思われます。そして意宇川がそこを流れています。意宇川のかなりの上流ですが熊野大社があります。そして意宇川より数キロ東に黄泉の国の入口があります。風土記の丘を少し東南に行くと直ぐに八雲村になります。須佐之男命が読んだ八雲立つ……の歌の地と実感出来ます。因みに八重垣神社は神魂神社から西に歩いて2キロ弱ぐらいです。
ありがとうございます。また、出雲に伺いたいと思います。素敵な情報ありがとうございます。
鹿島神宮のあるところは、神栖です。
秀真伝えでは、鹿島立ちとあり、鹿島から出雲へ繋がっているようにおもわれます。
太平洋側と日本海側離れてるけど、繋がりをかんじます。
ありがとうございます。出雲族の系譜は氷川信仰やスサノオ信仰に残っています。鹿島でも繋がりはあることでしょう。
こんにちは。
自分は写真でしか見たことがありませんが、神魂神社の本殿は左右対称ではないのですが、高床式の太い9本柱で支えられ、どこかギリシャ神殿風のどっしりとした風格が国宝にふさわしい風格を感じさせる建物だと思います。
出雲東王家に伝わる口伝をまとめた最近の本に、神魂神社の説明書きがありましたので、抜粋してご紹介します。
古代の庶民は竪穴住居に住んだが、豪族の住居は高床式で出入に雨水がかからないよう、屋根は妻入りになっている。
高床式であったので長いきざはし階段がつけられその上にも屋根が付けられた。
階段は中央ではなく右はしに設置された。
階段から部屋に入り、左手まで進むと、当主夫妻の寝室があった。
左奥は仕切りがされ、夫婦が拝む神座になっていた。
この配置は神社のために考えられたものではないので、参拝者は神座を正面から拝むことは出来ない。
出雲大社では、神魂神社と逆方向で、階段から部屋に入り、右回りに奥に進むと右奥に神座がある配置となっている。したがって南側の正面とは別に、神座を正面から拝むための西側の遥拝所も設けられている。
出雲大社(杵築神社)は奈良時代に建てられた社であるが、神魂神社は出雲王国時代の王宮であったので、この構造の神社としては最も古い建築であり、国宝に指定されている。この構造を大社造りと呼ぶと、どの大社が起源かわからないので、「神魂造り」と呼ぶのがふさわしい。
神社の千木は神社の系統を表すもので、上下で横削ぎと縦削ぎで異なるのは、今では男神男千木の縦削ぎと女神女千木の横削ぎの和合を示しているとか言われたりする様ですが、それは誤りの様で、もともとは縦削ぎは出雲式で、横削ぎは九州式であり、神魂神社の千木も、もともとは出雲式の縦削ぎであったようですが、3世紀の第二次物部東征のあと、九州出身の物部氏秋上氏が神魂神社を住居としたため、それ以降は千木の上端は横削ぎに変えられ、千木の下端の縦削ぎはそのまま残されたもののようです。大元出版『出雲王国とヤマト政権』ー伝承の日本史ーより
長文ですみません。
日本間のお座敷の床間の神座を設ける配置も、この神社の造りの影響を受けているのかも知れません。
ありがとうございます。出雲のお社は色々面白いことがありますね。
出雲の神社シリーズを続けて拝聴しています。連続して視聴すると、とても背後の歴史文化に思いを馳せることができます😌
神魂神社も幼い頃、家族と行ったほずですが、記憶にありません。建築を仕事としている私にとって、仰るようにとても均整のとれた素晴らしい社殿と感じられます。
一度お詣りしてみたいですね。
いつも素晴らしい動画を配信していただき、ありがとうございます!
色々見ていただきありがとうございます。
貴重な神社の情報をいつもありがとうございます。
コトダマさんの左手首にはめられている、石の腕輪が気になります。
どこかの神社で買われたものでしょうか。
ありがとうございます。水晶は神社のモノですが、もう一つは私が主催したイベントの出展者さんで一目惚れしたモノです。
私は、神魂神社の上にある、しょうなん学園という高校に通っていました。毎朝参拝させていただきました。
ありがとうございます。それは素晴らしいですね!
ここのお宮さんは、社殿の構造は出雲大社と同じだけれど注連縄が右流れ(右端が太く左側に細くなっていく)で大社とは逆だし
屋根の千木は伊勢内宮と同じ内剥ぎ(大社は外剥ぎ)なんですね。
ありがとうございます。何か重要な場所だったとの想像は膨らみますね。
🙏🙏🙏
ご縁に感謝します。
@@yamato_kotodama さん、
こちらこそ💕有難うございます。
ほんとにここはすごいです。チャンネル登録させて頂きました。
ありがとうございます。素晴らしいお社ですね。ご縁に感謝します。
神社のなまえが神様の魂(たましい)と書きますからね、すごく強い神様がいらっしゃるような感じがしますね。
ありがとうございます。感じるものはありますね。
いつもありがとうございます〜(_ _)
ご縁に感謝します。
国府跡近くの真名井神社に
寄って欲しかったです。
神奈備山の茶臼山を背にした
神魂神社と対の神社で近くの
真名井の滝から水を採っていたと
いわれています。
個人的に神魂神社は元々
神産巣日神をお祀りされていて
松江の鷹日神社の高皇産霊尊と
セットだったのではないかと思ってます。
神魂神社近くと真名井神社近くは
古墳群があるので
古代史好きはワクワクします
ありがとうございます
大和コトダマ伝道師✴️芭弥汰句(ハヤタク)様✡️
知ることが出来て💞幸せ~❣️感謝🍀です🤗
今回も素晴らしい🎉です✨
日本🇯🇵本当に凄い🔯です❤️
一つ一つ巡りたいです🎶
愛❤️幸せ❤️感謝🍀無限大♾️~✡️ありがとうございます💖
こちらこそ有難うございます。
神魂神社は1364年創建。出雲大社は明治になるまでは杵築大社で716年創建で丹波国の丹波出雲大神宮より歓請されてます。丹波出雲大神宮由緒書には709年阿波国から歓請して創建と記されてます。出雲の元は阿波国です。神様名も後世に変えられてます。出雲大社は須佐の男→大国主。熊野大社は熊野大権現→須佐の男です。
神魂神社に行った時はあまりに圧倒されて写真を撮るのもはばかられて遠慮した思い出があります。よくこんなに遠慮なく動画まで撮れましたね(苦笑)と思ってしまいますね・・・
ありがとうございます。使命ですので。生半可な気持ちではやってません。
はじめまして
動画勉強になります
和歌山の熊野大社でしょうか?
ありがとうございます。出雲に元の熊野大社があるのです。和歌山は熊野〇〇大社ですよね。
ありがとうございます
今度行かせて頂きます