In case you don't understand Japanese (if you do, please forgive my rudeness), here is brief explanation of this video in English. Fuzjko was born in Berlin from a Japanese mother and a Swedish father. She was taught how to play the piano by her mother and was a child prodigy. She didn't have Japanese nationality and lost Swedish nationality when she was 18, so she had to leave Japan as a refugee when she went to Germany at the age of 30 to study. There she was found by Bernstein and started performing as a soloist. Then she got a bad cold and lost hearing for two years. All the schedules were cancelled and she was forgotten. Only 40% of her hearing in one ear has recovered. She moved to Sweden to retrieve her nationality. She found pleasure in drawing pictures. After that for about 30 years she performed in Europe. But the glory like in the past did not return to her. This video was filmed 4 years after she returned to Japan. She is teaching how to play the piano.
Lo siento, Sara, but my Spanish is not good enough, so let me explain briefly this story in English. Fuzjko was born in Berlin from a Japanese mother and a Swedish father. She was taught how to play the piano by her mother and was a child prodigy. She didn't have Japanese nationality and lost Swedish nationality when she was 18, so she had to leave Japan as a refugee when she went to Germany at the age of 30 to study. There she was found by Bernstein and started performing as a soloist. Then she got a bad cold and lost hearing for two years. All the schedules were cancelled and she was forgotten. Only 40% of her hearing in one ear has recovered. She moved to Sweden to retrieve her nationality. She found pleasure in drawing pictures. After that for about 30 years she performed in Europe. But the glory like in the past did not return to her. This video was filmed 4 years after she returned to Japan. She is teaching how to play the piano.
フジコさんの人生そのものがピアノの音色に表れています。すべてを受け入れて花を咲かせた生涯が私達に感動を与えてくれます。ありがとうございます。
こんなに感銘を受ける人に巡り会えた幸せ、音にフジコさんの色や深みがある、本物に触れると涙が出る
2年も…。
耳が聞こえないなんて。
音楽家として本当に想像を絶する苦しみだったと思う。
理屈じゃなくて、心が音を聴いただけで震える。涙が出る。
一瞬で、陶酔させる音色。
この人の存在そのものが芸術になっていると感じてしまう。一切の取引や妥協のない生活、決して華美を求めない貧窮すれすれの日常。
ふじこさん。ピアノもさることながら、言葉に何枚の絵画のような人生を感じます!夢をみてたら!夢は苦しみを味の中でしか見られないもの、
フジコ様の経験は想像を絶するものでしたね。 神様の試練とは言えどれ程のものだったか? でも人生最高のチャンスを逃がした時を想像します時、、、。 今の成功は神様の素晴らしい贈り物だと存じます。 フジコ様の演奏に国を問わず、猫、犬、お部屋の蜚蠊までもが聞き入る何て❗️ 私も演奏からどれ程の幸せ感を頂き感謝で一杯でございます。 何時までも感動を聞く方々に❣️
いくつもの困難を乗り越えてきたからこそ、演奏ににじみでるものがあるのだと感じました。すばらしいです。生き方、演奏ともに。ファイトをいただきました。フジ子・ヘミングさんの演奏には人間味あふれる魅力を感じます。
ピアノを弾くことで大切な人と再会し、様々な風景やできごとを想起しているかのよう。
ずっと自分のアイデンティティを探す旅をしていたようにもみえました。
一度だけでしたが、リサイタルに行けて、一つ貫くことの尊さを感じました。
感謝です
何年か前に聞いた時は、とくに感動しなかった
あの頃はまだまだ恵まれていて人生には希望しかなかったし、何も知らなかった。
今はどん底みたいな人生
偶然この人のピアノを聞いて
ずっと張り詰めてた緊張が解けて涙が出た。
この動画でフジ子・ヘミングの生き様やら言葉を聞いて、フジ子・ヘミングが好きになった。
フジコさんの愛の夢、ラ、カンパネラ最高です❤引き込まれます🎵
フジコさん よく言っておりました 幸福と不幸は半分、ずつ 努力を すれば報われる🎵素敵な衣装で お似合いでした。もう会えなんて残念です😭
フジコさんの愛の夢今日何回聞いたかしら🎵聞いても聞いてもやめられないです美しすぎます、涙でます😭
フジコさんの生き方大好きです。若い頃の苦しみがあったからこその、強さと優しさ。自分軸をしっかり持って生きる姿に憧れます。自分もそうありたい。
フジコさんの音✨フジコさんにしか出せない音✨フジコさんの音だから聴きたくなる😊✨
25年ほど前だったでしょうか?NHKの番組で小さな子供に教える 忘れられたピアニストみたいな でもその音色は心に響くもので とても感動しました。
彼女そのものが芸術だと 亡くなられて もうそんなお年だったのか?と残念に思います。
素晴らしい
本当の芸術家!音楽のわかる人解らない人の心に、深い悲しみと優しい勇気を与えてくださる。さあ!生きなくちゃ!!
滂沱の涙がまた流れてきます。
神様はいつも私のそばにいて、貴方のそばにもいます。
そう気づかせてくれるのがフジコさんのピアノ。
神様の姿はわたしの目には見えず、しかし神様はいらっしゃるのだからこんな形で知れるほかないのです。
With my 80 years, I always admired good pianists. Like you. And like my good old friend François Glorieux, 90 next august.
In case you don't understand Japanese (if you do, please forgive my rudeness), here is brief explanation of this video in English. Fuzjko was born in Berlin from a Japanese mother and a Swedish father. She was taught how to play the piano by her mother and was a child prodigy. She didn't have Japanese nationality and lost Swedish nationality when she was 18, so she had to leave Japan as a refugee when she went to Germany at the age of 30 to study. There she was found by Bernstein and started performing as a soloist. Then she got a bad cold and lost hearing for two years. All the schedules were cancelled and she was forgotten. Only 40% of her hearing in one ear has recovered. She moved to Sweden to retrieve her nationality. She found pleasure in drawing pictures. After that for about 30 years she performed in Europe. But the glory like in the past did not return to her. This video was filmed 4 years after she returned to Japan. She is teaching how to play the piano.
Very interesting. Thanks for the translation
@@arlettehellemans2117 There was a mistake I corrected now. She was born in Berlin, not in Japan. Sorry.
フジコさんには、神が宿っていると、思いました。😊😮😢🎉
またコンサートに行きたかったです。もうあの感動の演奏が聴けないと思うと、とても辛いです😢
謹んでご冥福をお祈りいたします。
天国でお母様に会っている頃でしょうか?ご冥福を祈ります。ありがとうございました。
これからも聴き続けます。❤
偶然私の宝のフジ子さんのディスクの1996年のこの映像を見たところです、颯爽と商店を歩かれる彼女にいつもお目にかかれます😢
いろんな困難を乗り越えてなお一筋にピアノに向かうフジコさんの姿は今花開いた‼️明るく自然に貫く生き方に感動。\(^_^)/
自分の生活以外にお金を送ると言うのは中々大変です、年老いたお母さんがどんな気持ちでふじこさんに仕送りしていたかと思うと胸が苦しくなります、涙が出ます。
お母さんの優しさを思いやってほしいですね❤
お弟子さんが沢山いた先生です。第二次世界大戦前に女性で単身ドイツ留学し、ドイツでグランドピアノを購入し、そのピアノを日本に持ち帰った方です。全て戦前のことです。戦中もピアノを守ったそう。スーパーお嬢様です。年老いた母がなけなしのお金を送っていたというより、お年を召されもお弟子のコンサートを開き、フジコさんに会いにヨーロッパにも行っていたアクティブな先生です。
光りの感じが
やさしい
フジコさんの、ラカンパネラ、最高です、大好き❤️です
お母さんが生きている内に日本に帰ったらどれだけ喜んだでしょうか、ふじこさんに仕送りをずーっとしていたと言う事は子供が可愛くて心配でいたのだと思いますね、
子供の時にお母さんに褒められる事がなかったからトラウマになってしまって帰ろうとはどうしても思え無いですものね、気持ちは、分かります、悲しいですね。
その世界に魅せられて…✨✨💓✨✨
フジコさんのコンサートに行けなかったのが、凄く残念です、もう一度、フジコさんのラカンパネラを聞きたかったです
very nice!
同じく私の母もベートーベンの月光を好きでした。母が昔に買ったと思われるケンプさんのレコードを私が子供の時から一緒に聴いて育ちました。そして母は亡くなりました。
自分と照らし合わせ、お亡くなりになられても、何処かの共通点で、今後の人生を豊かに過ごして行きたいです。
フジコさんもお母様のピアノがお好きだったと知り、とても心痛みます。
どんな方であったのか、少しずつ、いろいろ知っておきたく思いました。
天国でどうか安らかにお眠り下さい…
フジコさんが大好きということを大前提で、、
YAMAHAのグラピ持っていらしたんですね!?
フジコさんがYAMAHAを弾いているところはあまり見たことがなかったです🤭
フジコさんが弾くラカンパネラを、もう生で、見ることが出来ないのは、残念です、生で見たかったです
この番組を当時リアルタイムで観てた。
クラシックはズブの素人だけどこの人が奏でるラ カンパネラを聴いて魂が抉り取られた。なぜだろう?涙が止まらなくなった。死のうと思うその前にこの曲を聴くと不思議ともう少し生きてみよう、と50年生きている。これからも聴きつづけるだろう、きっと。
お母さんのピアノがすてきだったのか、、、🎉
フジコ先生 ありがとうございました。🙇
何回も見すぎてセリフ覚えてしまつた(笑)暇なときはずっとテレビで流してます😊
しかし日本人のお母さんから生まれたのは分かっているのですから日本人として国籍を貰えるといいですね🌸🌺🌼
耳が聞こえなくなったのは、神⚡の愛情!🍒🌸
ふじ子さん元気かな(._.)
幸せは、不幸の顔をしてやって来る。
依存なりました
生前語っていたが、向こうの世界に行きたいと。父母をはじめ、バーンスタイン、先人のリストやショパンにも逢いたいと言ってました。こういう現世に未練なくカッコよく死ねる生き様が、やはり他の人とは違う個性なんだなと思ったよ。
Sería muy bueno que tuviera subtítulos en español... Soy de México... Es una pena no entender lo que dice el vídeo... 😔
Lo siento, Sara, but my Spanish is not good enough, so let me explain briefly this story in English. Fuzjko was born in Berlin from a Japanese mother and a Swedish father. She was taught how to play the piano by her mother and was a child prodigy. She didn't have Japanese nationality and lost Swedish nationality when she was 18, so she had to leave Japan as a refugee when she went to Germany at the age of 30 to study. There she was found by Bernstein and started performing as a soloist. Then she got a bad cold and lost hearing for two years. All the schedules were cancelled and she was forgotten. Only 40% of her hearing in one ear has recovered. She moved to Sweden to retrieve her nationality. She found pleasure in drawing pictures. After that for about 30 years she performed in Europe. But the glory like in the past did not return to her. This video was filmed 4 years after she returned to Japan. She is teaching how to play the piano.
神は、愛するものに、苦しみを与える。アブラハムの子イサクの供御の例を思え。仏の苦行を思え。
天国に帰えられる前に生で演奏を聞いてみたかった。クラシックで初めて 会いたい生で聴いてみたいと思えた人
70才の菅野美穂ちゃん(*_*)
天国で今頃、賛美してるでしょう