Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
拝見致しました🎉😂とても素敵です。私も歴史大好きです。これからも楽しみにしていますね❤🎉😂頑張ってくださいませ❤
今回 白駒さんの、ドラマや当時の社会や文芸に関する解説は、とても心に染み入る素晴らしいものでございました。定子さまの光だけでなく影の部分も知りたいというまひろ自身の意見は、意図せず左大臣道長の影の部分をききょうから引き出させてしまい、一言も言い返せないくらい彼女の心を縛り付けました。この様なセリフ回しを築いた大石さん、恐ろしい程の才能だと思いました。史実の持つ力と、ドラマでの再構築の力、そしてそれを気づかせてくれた白駒さんの解説。大納得の回でした。ありがとうございました。
わぁ💗とっても嬉しいコメント有難うございます✨✨ホント、大石先生の脚本、恐るべしですね❗そして転換点となった今回、次回以降がますます楽しみになりましたね😍
従来の大河ドラマでは、政治闘争に武力というハードパワーを用いた世界を描いていました。文芸というソフトパワーを用いた闘争でも、決して心安らかな世界線が登場する訳ではないなと、今年の大河ドラマを見て感じました。
素敵なコメント有難うございます💞いやいや、文芸作品をめぐる女の闘いは、ものすごいレベルで、その激しさは武力闘争以上かもしれませんね😅
今回も素敵な解説ありがとうございます。もう何回も何回も聞き直しました。まず、「母として」のタイトルがいいですよね。まひろをはじめとして、登場する母たちの悲喜こもごも、思い入れも対比して描かれていました。そして、敦康親王様が中宮彰子様に駆け寄るシーンは、母ではないが彰子様が、まさに母のように接しておられるお姿は、中宮になってからは、一人ぼっちでお寂しかったのだろうなと思いました。
嬉しいコメント、有難うございます✨道長にはさまざまな思惑があって、敦康親王を彰子の手元で養育することを決めたのだと思いますが、彰子の敦康親王に対する情愛は本物だったと思います😍権謀術数が渦巻く平安朝にあって、心が和みますね💗
白駒先生、夏らしい装いですね。素敵です❤なるほど、まひろが皇后の影の部分を知りたいと言ったら、キキョウは道長の影をドーンと返してくれたわけですね。カウンターショックですね。今度は、まひろが、定子帝の影の部分を桐壺の帝更衣として、源氏物語に描いていくわけですね。源氏物語を読んだキキョウの感想を是非聞いてみたいものですが、ドラマでは描かないかなあ。
清少納言の紫式部はお互いの作品に対して「私には、こんな風には書けないわ。」と思ったのではないでしょうか。
そうなんです!定子の光と影を、二人の才女それぞれが描いたと気づいた時、ものすごく腑に落ちて、源氏物語と枕草子の世界観が広がりました✨✨そうした視点や世界観を分かち合うことができて、幸せです🍀
@@einheldenlebenさん、コメント有難うございます✨もしもそのような状況になったら、きっと二人は誰よりもお互いの才能を認め、リスペクトし合う関係になったでしょうね😍😍
まさに、The pen is mightier than the sword.ですね。先生の解説を聞き、帰国したらすぐにこの回の録画を見てみたいと思いました。
わぁ、嬉しいコメント、有難うございます✨✨まさにペンの力ならぬ筆の力を思い知らされた放送回でした❗闘い方って、いろいろあるんですよね😊私も粋に美しく闘っていきます😆😆
文学が政治の道具として使われはじめました。枕草子があまりに素晴らしくそれを伊周が使い始めた。それをならって源氏物語が素晴らしいものになり道長が使うという構図になると思います。文学って面白いものですね。目からうろこが落ちる気持ちがしました。
はい、この時代を理解するのに、そして世界最高峰の古典文学を味わうのに、これほど面白い視点はないと思います❗いよいよ後半戦、楽しみがますますふくらみますね😊
式部(まひろ)と少納言の火花散る会話は紫式部日記で「清少納言こそしたり顔に いみじう侍りける人」と書かせたきっかけとなる場面かなと思いました。回を重ねるごとに益々面白くなるドラマだす。
ホント、あの女の友情からどうやって仲違いさせるのかと思っていたら…⚡️⚡️さすかの脚本、唸りました😍
さよけ。
光の当たる人を前から眺めれば光り輝き後ろに回ればその人の影が暗く長く映って見える,,セリフひとつひとつに人生哲学のようなものがあるなと思う脚本ですね。道長自身も史実では悪人と言われる事が多いと思いますが大石先生は彼本人の側から見た道長と外から見た道長を描こうとしているのかなと感じます。
道長が悪人と思われているのは、枕草子の存在が大きく影響していると思います!中宮定子があれほど素晴らしい女性でなければ、当時の貴族のような見方を私たちもしていたかもしれません。道長は存命中も枕草子の存在に悩まされますが、千年後まで影響を与える文学の力、本当にすごいです✨✨人間に光と影があるように、歴史にも光と影がある。その両面を知った上で、ニュートラルな歴史観を育んでいきたいですね😍
@@白駒妃登美-d7v 私自身も歴史上の人物でも無いのに他人から勝手な評価を受け,言い訳も出来ずただ噂に傷つけられた経験があります。私の生きる姿でしか覆せないと思い淡々と生きていますが,道長に対する世間の評価を目にすると彼自身の心情はどうだったのかと心が痛くなる時があります。正にニュートラルな目を持って人々を見る心を大切にしたいと思います。定子様も何も意図していた訳でも無いのに悲劇の渦に巻き込まれてしまわれた,,。母が白も黒も無く世の中の出来事はグレーな事が大半と言っていましたが正にそうなのかもしれませんね。
@@akikorogers5876さん💞お母様の言葉、深いですね〜💗傷つくような出来事を経験された分、優しさをご自身の中で育まれたことでしょう✨あの出来事があったからこそ……という未来を築いていきたいですね💗
白駒先生、今回も素敵な解説を、ありがとうございます。私は少々、いや、かなり?定子様ロスです😢しかし清少納言が筆一本で定子様を守ろうとしている事に勇気を貰いました。きっと道長や彰子サロンの方々にとっては、枕草子は脅威だった事でしょう。定子様の光が強ければ強いほど、道長サイドの影が濃くなります。あえて完子様の光の部分しか書かなかった清少納言の思惑通りの反響だったのでしょうね。きっと紫式部も必死だったので、自身の日記で清少納言を悪く書く事が、せめてもの反撃だったのでは?と感じます。それほど定子様、清少納言、枕草子の影響が宮中では、大きかったのでは?と思いました。これから、また枕草子や清少納言、中の関白家が、どうストーリーに絡んでくるか楽しみに見たいと思いました。
嬉しいコメント、有難うございます✨私もまったく同じ気持ちです😊定子さまロスが激しいですが、こういう方を皇后として歴史に持てたことを誇りにしたいと思いますし、そして清少納言の女の闘い方に、シビれています💗一条帝や私たちの心の中で定子様は生き続け、枕草子が永遠の輝きを放つことを、祈りましょう💞
まひろとききょうの「対比」の部分は本当に見応えがありましたね、まさしく「源氏物語」と「枕草子」の違いだ!と膝を打ちました。ききょうが「定子の光だけを書き遺したい」という思いと、宣孝の北の方が「豪快で快活だった姿だけを覚えておいて欲しい」と言ったのは、根源的には同じものなのかなと感じました。つい最近、友人を亡くしたので特にそう感じるのかも知れません。29回では、彰子様が敦康親王を抱っこして微笑んだ瞬間が素敵でした。彼女もまた「母として」目覚めた瞬間だったのかも知れませんね。
素敵なコメントを有難うございます✨宣孝の北の方の言葉は、なるほど、夫の光を記憶に留めてほしいというメッセージとして受け取れますね😍光と影の多重構造、深い脚本ですね〜✨✨
道長を直接批判することなく、定子中宮の光だけを書いて、それによって道長の影をあぶり出す『枕草子』…絶対権力者になった道長に文学で闘う清少納言!平安時代もこんなに血湧き肉躍るドラマになるんですね!
そうなんですよ❗清少納言の権力との闘い方にシビれます😍こんなストーリーが待っていたなんて、『光る君へ』を見続けて本当に良かった💗
紫式部と清少納言の二人が、直接に会っていたということは、実際には、ほぼ無いと思われますが、ドラマの中で、ああして二人が顔を付き合わせて、議論を交わす様や、それぞれが主張した内容は、各々の記した作品が宮中に、社会にどのように浸透(或いは侵入?、浸食?)していったのかを想像させて呉れて、興味深いです。直接の邂逅は無くとも、二人が、お互いの作品を読み、刺激し合っていたであろうことは、あの二人の性格ならば、ほぼ確実と確信出来ますね。清少納言が中宮定子の闇の部分を描かないのと同様に、脚本の大石さんが道長の闇を描かないのだという指摘には、成る程と思いました。清少納言に、本当に道長を追い詰めようという意図があったかどうかは不明ですが、現実に道長は煙たがったでしょうし、その一方で、『枕草子』に救われもしたのではないでしょうか。中宮定子の御霊(みたま)は、何の鎮魂作用もなければ、怨霊中の大怨霊になっても不思議ではない条件が揃い過ぎています。そして祟られる筆頭は道長。一条天皇が、懐かしの名作ビデオよろしく何度も『枕草子』に目を通して懐かしんだ一方で、道長は聖書かお経にでもすがるように、こっそりと『枕草子』を拝読し、輝かしい定子様に手を合わせていたのかもしれません。伊周への献上の際には「宮にはじめて参りたる頃」(⇒伊周が格好良く登場する場面)の段を、紫式部への贈答の際には「雪のいと高う降りたるを」(⇒漢詩の見識を盛り込んだ場面)の段を、それぞれ巻頭に置いて、贈られる相手にさりげなく合わせてくるのも流石の脚本・演出ですね。賢子にまひろが読んで聴かせている「竹取物語」が、かぐや姫が月を眺めて物思いにふけるシーンというのも、本ドラマの中ではなにやら思わせぶりな気がします。ドラマの中では『源氏物語』はまだ執筆も始まっていませんが、物語のプロットは「隠れ源氏」としてご紹介して頂いている数々の場面で出揃ってきましたね。次回以降、どのように執筆されていくのか、どのように広まり、誰にどのように読まれていくことになるのか、愉しみです。やはり、なんと言っても「ききょう」がどのような感想を持ち、「まひろ」に伝えるのかはドラマの一番愉しみなところですね。
さまざまな考察やの感想の深さに、感動しています🍀そう、伊周とまひろに対する『枕草子』のプレゼンの違いには、シビれますよね😍そして道長が『枕草子』に救われていたという解釈、私も激しく同意します🍀もうこういう歴史や古典を持てたことの幸せを噛みしめています💞こんなに大河に夢中になるのは初めてです😍
力のある芸術って、何か鬱積したパワーから生まれ出るのかなぁ……弓がしなるほど力強く矢が飛ぶように🏹そんなことを考えました。
わぁ✨✨確かに、そういう要素はありますね❗新たな視点を教えていただき、有難うございます💞
賢子が竹取物語に興味を持ったのは、父・宣孝との大切な思い出である月見の記憶があったからだと思います。清少納言と紫式部の作家性の違いは、多くの示唆に富む話題です。個人的には、清少納言が闇を書かない気持ちにとても共感しています。何故なら、定子は既にこの世にいません。故人の闇を書き連ねるのは、蛇足でしかないと思います。一条天皇の胸中にも、枕草子の中の光り輝く皇后・定子がいます。もはや誰も敵わぬ存在になりました。だからこそ、紫式部は枕草子とは異なる視点から一条天皇の心を打つ「なにか」を示さなければなりません。ある意味、作風の違いがあるのは、必然であったと解釈しています。
賢子にとって月が宣孝との想い出であるという視点、ステキですね💗私は漢籍と和歌の違いと捉えたのですが、とても納得のいく、愛溢れる解釈に、感動しています🍀
はじめて投稿します。式部と少納言と出会っていないというのが通説のようですが、紫式部日記で宮仕えの女房の評価で少納言評価のところで「したり顔でいみじゅうはべりける人・・・」と評価していますが、これは本人と会っていないとコメントできない内容のような気がしますが如何でしょうか?式部日記では紫式部が聞いた話の場合はその旨記載している場面もあります。少納言に合っていなければ何かコメントがあっても良いのかな?と個人的に感じています。
こんにちは、あなたの言っている事正しいです、紫式部は、清少納言に偉そうな顔してると言っているわけですよね、会ってなかったら言えないですね、おそらく出会った時に偉そうな態度をとっていたと思われます
二人の宮仕えの時期はズレていますから、実際に会った可能性は、高くないと思います。あの紫式部日記の少納言批判は、枕草子を読んで書いたのかなぁと、私は受け止めています😊
@@ひこちゃん-o3sさん💞さまざまに想像をめぐらすことは楽しいですね❗したり顔ですから、偉そうな態度というのとは、少しニュアンスが違うと思いますが、枕草子の記述を読んでの、式部のやっかみが入っているのかもしれませんね😅
清少納言と和泉式部及び赤染衛門(匡衡衛門)の文を交わした記録があったのですね。藤原彰子の教育係は匡衡衛門・紫式部・和泉式部が有名ですが、清少納言も同一時代に誰かの教育係をしていたのでしょうか?例えば一条天皇と定子の子供(内親王)など。そうなれば紫式部とも交流が・・・・?もしくは別のサロンで・・・・?そういえば、紫式部の家を出ると南北道路に面した西側には土御門殿の豪邸があったようですね。紫式部の家を出ると土御門殿の土塀が南北240メートル程連なっていたことを思うと夢が広がります。為時と源穆子は従妹同士で、倫子と紫式部は、はとこ関係になるようです。為時は官位が低かったものの学者としては高い地位にあったかと思うので、土御門との交流はあったのではと推察します。(光る君へで描かれた倫子サロン???)また、枕草子には清少納言が女房同士で加茂神社方面にホトトギスの鳴き声を聞きに行った帰りに、土御門殿の門に立ち寄り、雨が降っていたのでこの時ばかりは屋根のないことを嘆いていたようです。過去にも、土御門殿には出入りしていてもおかしくないように感じました。冬嗣の代で紫式部と系譜的には別れた末裔より
紫式部とご先祖様が同じなんて、素敵なことですね✨✨定子の死後、清少納言がどのような人生を歩んだのか、よくわかっていないのです💦💦定子の忘れ形見の皇子や皇女を、陰ながら見守っていたのかなぁ💗それにしても、平安中期の女性たちの活躍は素晴らしいですね❗
白駒先生 コメントありがとうございます。それにしても、紫式部日記や枕草子を読み解いてゆくと当時の生活ぶりが紐解けてきそうです。稲穂が赤く染まる:当時はまだ、今で言う「古代米」が植えられていたことや、寛和の変の数日前に法華経の法要が模様されて、颯爽と道隆が正装姿であるが涼しげに振舞っていたこと、その数日後に寛和の変が起こり、法要を仕切っていた義親が花山天皇の後追いをして出家したりなど、兼家ファミリー全員が法要に参加していたのでしょうか? 怖いですね。式部日記では最後の手紙が誰に出されたのだろうと気をもんでしまいます。女性文学仲間に送った手紙のように見えますが、意外と道長宛だったりして?(北の方への配慮)もう書き物はしないという裏には、新品の紙もいらないのでどうぞ送らないで下さいという意味が込められたりして????深読みすぎですかね?
@@北軽井沢観測所さん💞いえいえ、考察がとても深くて、憧れます😍そういうお話、直接お会いして、じっくりしたいですね〜💞
白駒先生深読みの件ですが、大石静先生マジックで、賢子が道長の子供になりましたね。紫式部日記でまた手紙の件になりますが、もらった文などはお雛様の家を作るのに使用したことが書かれています。これって、賢子のお雛様ですよね?文には道長からの手紙もあったのでしょうか?道長さんどういう思いで文を読んだのでしょうか?鳥肌が立ちました。これは深読み過ぎですよね。
@@北軽井沢観測所さん💞私は紫式部日記には詳しくないので、教えていただけることが、とても嬉しいです💗ぜひ今後も、深読みした様々な考察を教えてください🙏
定子様の影は絶対に描きません!清少納言!道長の影は絶対に描きません!大石静!ああ、そうなのかと腑に落ちました。人からはある側面から見れば素晴、また違う側面から見れば悪い人。人は悪と善両方を持つとい言うバリ島の演劇思想を思い出しました。詮子様四十の祝で、史実で道長が席を立ったのは、彰子様を盛り立ていり倫子様を上手く扱えずギクシャクしている倫子様へのはからいだと思います。史実ではリハーサルで田鶴君に帝から褒美があり、本番でも田鶴君が称賛され倫子様が喜ぶと踏んでいたらまさかの巌君が称賛。道長は倫子様を思い青くなったことでしょう。夫って妻が機嫌が悪い時、何とかして「俺はお前の頑張りを認めてるよ」と態度で示そうとして、却って地雷を踏む。今でもよくあることです。私も含めて😅
わぁ✨✨貴重な体験談を有難うございます💞彰子がまだ出産できる年齢ではないため、とにかく娘の権威を高めるしかない道長は、彰子の実弟に褒美を欲しかったんでしょうね…💦彰子が皇子を産むまでは、道長もひやひやだったのかも💦💦
正しく「ターニングポイント」となる回で、倫子や彰子も変わっていく気配を感じた。まひろは「枕草子」の始まりに関わっていたが、今回は、ききょうが「光は書くが影は書かない」と言ったのでまひろが自分が影を書く?という話になる。「源氏物語」にもききょうが関わっているというのが面白い。「枕草子」には定子の死は書かれていない。つまり、ききょうや、それを読む定子の子ども達にとっても定子は生き続けている。人間にとって理想を追い求めるということも重要で、その後の後宮や人々に多大な影響があったことは間違いないだろう。一方、人間は複雑で測りがたいもの。例えば、一条帝も詮子を母としての面からしか見ていない。肉親でも人の多くの面を知ることは極めて困難。当然、現実を下敷きにすべてをフィクションとして想像で書くほかはない。問題は、なぜ「影を書く」のかということ。おそらく、人は身分の違いはあっても同じ人間、という気持ちが根底にあるのではないだろうか。頼通は宇治に平等院を建立するが、当時すでに、仏の前には人間は平等、という観念があったのだと思われる。
とても深い洞察、勉強になります😍源氏物語には反骨精神が読み取れるので、まさにその通りなんですが、人間が仏の前で平等ということを、式部や頼通はどこまで意識していたのでしょうか。あくまで貴族社会という枠があったようにも思いますし、その枠を超えていたと信じたい想いも…💗まだまだ謎が多いからこそ、ロマンを掻き立てられます😍😍
ドリカム吉田美和 ユーミンがナニサ ふん!
おもしろいコメント有難うございます✨式部の心の声は、そんな感じだったのかもしれませんね😆
ユーミン派VSみゆき派。あら還世代の論争みたいですね。
@@るりるり-z7uさん♬そうなんです😆私は還暦ど真ん中ですが、吉田美和とミーシャが好きです😍😍
もしも帝が道長でなく伊周を選んでいたらどうなっていたのでしょうか?
うわぁ、それ、考えたことあります!伊周の実力って、正直よくわからないですもんね😅教養は身についていたのでしょうが、胆力や耐性は無いと思うので、伊周が政を行うのは、やっぱり難しかったと思いますね😓
紫式部集35でなく41番では?
35番は、例の灰の場面に繋がる宣孝の歌でしたね💦私の間違いを見つけてくださり、有難うございます✨
敦康親王は伊周に似て面倒な人柄ですから、扱いを賢い彰子に委ねて良かった良かった!
媄子内親王は幼くして亡くなってしまったので、詳細はわかりませんが、脩子内親王と敦康親王は、ともに聡明で素晴らしかったと、私は聞いています。伊周に似ているという話は初耳です。情報の出処を教えてください!
@@白駒妃登美-d7v生年月日から読み解いています。定子隆家敦康親王は父親の道隆に似ています。脩子内親王は一条天皇に似てますが、よりいっそう優秀で跡取に相応しいが内向的な人なので同じく内向的な酒好き道隆の跡取に相応しいです。敦康親王は脩子内親王から見て心配になる存在だったと思います。
@@橘恵利さん、生年月日から読み解いていらっしゃるんですね!とても興味深いです。宿命って、その人の人生の3割ぐらいを握っていると思うので…😊
こんにちは、UA-camの歴史観光JAPANによると紫式部は、夫を亡くした悲しみにしたった歌はないと言ってますが、どうなんでしょうか?それと、夫を亡くして悲しんでいる暇はないとか、言って、いるようですが、どうですか?
私は悲しみにひたった歌と受け止めていますが、実際のところはどうなのでしょう😊?人それぞれの受け止め方や解釈があっていいと思います😊こういう談義は楽しいですね✨✨
拝見致しました🎉😂
とても素敵です。私も歴史大好きです。これからも楽しみにしていますね❤🎉😂頑張ってくださいませ❤
今回 白駒さんの、ドラマや当時の社会や文芸に関する解説は、とても心に染み入る素晴らしいものでございました。
定子さまの光だけでなく影の部分も知りたいというまひろ自身の意見は、意図せず左大臣道長の影の部分をききょうから引き出させてしまい、一言も言い返せないくらい彼女の心を縛り付けました。
この様なセリフ回しを築いた大石さん、恐ろしい程の才能だと思いました。
史実の持つ力と、ドラマでの再構築の力、そしてそれを気づかせてくれた白駒さんの解説。大納得の回でした。ありがとうございました。
わぁ💗
とっても嬉しいコメント有難うございます✨✨
ホント、大石先生の脚本、恐るべしですね❗
そして転換点となった今回、次回以降がますます楽しみになりましたね😍
従来の大河ドラマでは、政治闘争に武力というハードパワーを用いた世界を描いていました。
文芸というソフトパワーを用いた闘争でも、決して心安らかな世界線が登場する訳ではないなと、今年の大河ドラマを見て感じました。
素敵なコメント有難うございます💞
いやいや、文芸作品をめぐる女の闘いは、ものすごいレベルで、その激しさは武力闘争以上かもしれませんね😅
今回も素敵な解説ありがとうございます。
もう何回も何回も聞き直しました。
まず、「母として」のタイトルがいいですよね。まひろをはじめとして、登場する母たちの悲喜こもごも、思い入れも対比して描かれていました。そして、敦康親王様が中宮彰子様に駆け寄るシーンは、母ではないが彰子様が、まさに母のように接しておられるお姿は、中宮になってからは、一人ぼっちでお寂しかったのだろうなと思いました。
嬉しいコメント、有難うございます✨
道長にはさまざまな思惑があって、敦康親王を彰子の手元で養育することを決めたのだと思いますが、彰子の敦康親王に対する情愛は本物だったと思います😍
権謀術数が渦巻く平安朝にあって、心が和みますね💗
白駒先生、夏らしい装いですね。素敵です❤
なるほど、まひろが皇后の影の部分を知りたいと言ったら、キキョウは道長の影をドーンと返してくれたわけですね。カウンターショックですね。今度は、まひろが、定子帝の影の部分を桐壺の帝更衣として、源氏物語に描いていくわけですね。源氏物語を読んだキキョウの感想を是非聞いてみたいものですが、ドラマでは描かないかなあ。
清少納言の紫式部はお互いの作品に対して「私には、こんな風には書けないわ。」と思ったのではないでしょうか。
そうなんです!
定子の光と影を、二人の才女それぞれが描いたと気づいた時、ものすごく腑に落ちて、源氏物語と枕草子の世界観が広がりました✨✨
そうした視点や世界観を分かち合うことができて、幸せです🍀
@@einheldenlebenさん、コメント有難うございます✨
もしもそのような状況になったら、きっと二人は誰よりもお互いの才能を認め、リスペクトし合う関係になったでしょうね😍😍
まさに、The pen is mightier than the sword.ですね。先生の解説を聞き、帰国したらすぐにこの回の録画を見てみたいと思いました。
わぁ、嬉しいコメント、有難うございます✨✨
まさにペンの力ならぬ筆の力を思い知らされた放送回でした❗
闘い方って、いろいろあるんですよね😊
私も粋に美しく闘っていきます😆😆
文学が政治の道具として使われはじめました。枕草子があまりに素晴らしくそれを伊周が使い始めた。それをならって源氏物語が素晴らしいものになり道長が使うという構図になると思います。文学って面白いものですね。目からうろこが落ちる気持ちがしました。
はい、この時代を理解するのに、そして世界最高峰の古典文学を味わうのに、これほど面白い視点はないと思います❗
いよいよ後半戦、楽しみがますますふくらみますね😊
式部(まひろ)と少納言の火花散る会話は紫式部日記で「清少納言こそしたり顔に いみじう侍りける人」と書かせたきっかけとなる場面かなと思いました。回を重ねるごとに益々面白くなるドラマだす。
ホント、あの女の友情からどうやって仲違いさせるのかと思っていたら…⚡️⚡️
さすかの脚本、唸りました😍
さよけ。
光の当たる人を前から眺めれば光り輝き後ろに回ればその人の影が暗く長く映って見える,,セリフひとつひとつに人生哲学のようなものがあるなと思う脚本ですね。
道長自身も史実では悪人と言われる事が多いと思いますが大石先生は彼本人の側から見た道長と外から見た道長を描こうとしているのかなと感じます。
道長が悪人と思われているのは、枕草子の存在が大きく影響していると思います!
中宮定子があれほど素晴らしい女性でなければ、当時の貴族のような見方を私たちもしていたかもしれません。
道長は存命中も枕草子の存在に悩まされますが、千年後まで影響を与える文学の力、本当にすごいです✨✨
人間に光と影があるように、歴史にも光と影がある。
その両面を知った上で、ニュートラルな歴史観を育んでいきたいですね😍
@@白駒妃登美-d7v 私自身も歴史上の人物でも無いのに他人から勝手な評価を受け,言い訳も出来ずただ噂に傷つけられた経験があります。私の生きる姿でしか覆せないと思い淡々と生きていますが,道長に対する世間の評価を目にすると彼自身の心情はどうだったのかと心が痛くなる時があります。正にニュートラルな目を持って人々を見る心を大切にしたいと思います。
定子様も何も意図していた訳でも無いのに悲劇の渦に巻き込まれてしまわれた,,。
母が白も黒も無く世の中の出来事はグレーな事が大半と言っていましたが正にそうなのかもしれませんね。
@@akikorogers5876さん💞
お母様の言葉、深いですね〜💗
傷つくような出来事を経験された分、優しさをご自身の中で育まれたことでしょう✨
あの出来事があったからこそ……という未来を築いていきたいですね💗
白駒先生、今回も素敵な解説を、ありがとうございます。
私は少々、いや、かなり?定子様ロスです😢
しかし清少納言が筆一本で定子様を守ろうとしている事に勇気を貰いました。
きっと道長や彰子サロンの方々にとっては、枕草子は脅威だった事でしょう。
定子様の光が強ければ強いほど、道長サイドの影が濃くなります。
あえて完子様の光の部分しか書かなかった清少納言の思惑通りの反響だったのでしょうね。
きっと紫式部も必死だったので、自身の日記で清少納言を悪く書く事が、せめてもの反撃だったのでは?と感じます。
それほど定子様、清少納言、枕草子の影響が宮中では、大きかったのでは?と思いました。
これから、また枕草子や清少納言、中の関白家が、どうストーリーに絡んでくるか楽しみに見たいと思いました。
嬉しいコメント、有難うございます✨
私もまったく同じ気持ちです😊
定子さまロスが激しいですが、こういう方を皇后として歴史に持てたことを誇りにしたいと思いますし、そして清少納言の女の闘い方に、シビれています💗
一条帝や私たちの心の中で定子様は生き続け、枕草子が永遠の輝きを放つことを、祈りましょう💞
まひろとききょうの「対比」の部分は本当に見応えがありましたね、まさしく「源氏物語」と「枕草子」の違いだ!と膝を打ちました。
ききょうが「定子の光だけを書き遺したい」という思いと、宣孝の北の方が「豪快で快活だった姿だけを覚えておいて欲しい」と言ったのは、根源的には同じものなのかなと感じました。つい最近、友人を亡くしたので特にそう感じるのかも知れません。
29回では、彰子様が敦康親王を抱っこして微笑んだ瞬間が素敵でした。彼女もまた「母として」目覚めた瞬間だったのかも知れませんね。
素敵なコメントを有難うございます✨
宣孝の北の方の言葉は、なるほど、夫の光を記憶に留めてほしいというメッセージとして受け取れますね😍
光と影の多重構造、深い脚本ですね〜✨✨
道長を直接批判することなく、定子中宮の光だけを書いて、それによって道長の影をあぶり出す『枕草子』…
絶対権力者になった道長に文学で闘う清少納言!平安時代もこんなに血湧き肉躍るドラマになるんですね!
そうなんですよ❗
清少納言の権力との闘い方にシビれます😍
こんなストーリーが待っていたなんて、『光る君へ』を見続けて本当に良かった💗
紫式部と清少納言の二人が、直接に会っていたということは、実際には、ほぼ無いと思われますが、ドラマの中で、ああして二人が顔を付き合わせて、議論を交わす様や、それぞれが主張した内容は、各々の記した作品が宮中に、社会にどのように浸透(或いは侵入?、浸食?)していったのかを想像させて呉れて、興味深いです。直接の邂逅は無くとも、二人が、お互いの作品を読み、刺激し合っていたであろうことは、あの二人の性格ならば、ほぼ確実と確信出来ますね。
清少納言が中宮定子の闇の部分を描かないのと同様に、脚本の大石さんが道長の闇を描かないのだという指摘には、成る程と思いました。清少納言に、本当に道長を追い詰めようという意図があったかどうかは不明ですが、現実に道長は煙たがったでしょうし、その一方で、『枕草子』に救われもしたのではないでしょうか。
中宮定子の御霊(みたま)は、何の鎮魂作用もなければ、怨霊中の大怨霊になっても不思議ではない条件が揃い過ぎています。そして祟られる筆頭は道長。一条天皇が、懐かしの名作ビデオよろしく何度も『枕草子』に目を通して懐かしんだ一方で、道長は聖書かお経にでもすがるように、こっそりと『枕草子』を拝読し、輝かしい定子様に手を合わせていたのかもしれません。
伊周への献上の際には「宮にはじめて参りたる頃」(⇒伊周が格好良く登場する場面)の段を、紫式部への贈答の際には「雪のいと高う降りたるを」(⇒漢詩の見識を盛り込んだ場面)の段を、それぞれ巻頭に置いて、贈られる相手にさりげなく合わせてくるのも流石の脚本・演出ですね。
賢子にまひろが読んで聴かせている「竹取物語」が、かぐや姫が月を眺めて物思いにふけるシーンというのも、本ドラマの中ではなにやら思わせぶりな気がします。
ドラマの中では『源氏物語』はまだ執筆も始まっていませんが、物語のプロットは「隠れ源氏」としてご紹介して頂いている数々の場面で出揃ってきましたね。次回以降、どのように執筆されていくのか、どのように広まり、誰にどのように読まれていくことになるのか、愉しみです。やはり、なんと言っても「ききょう」がどのような感想を持ち、「まひろ」に伝えるのかはドラマの一番愉しみなところですね。
さまざまな考察やの感想の深さに、感動しています🍀
そう、伊周とまひろに対する『枕草子』のプレゼンの違いには、シビれますよね😍
そして道長が『枕草子』に救われていたという解釈、私も激しく同意します🍀
もうこういう歴史や古典を持てたことの幸せを噛みしめています💞
こんなに大河に夢中になるのは初めてです😍
力のある芸術って、何か鬱積
したパワーから生まれ出るのかなぁ……
弓がしなるほど力強く矢が飛ぶように🏹
そんなことを考えました。
わぁ✨✨
確かに、そういう要素はありますね❗
新たな視点を教えていただき、有難うございます💞
賢子が竹取物語に興味を持ったのは、
父・宣孝との大切な思い出である
月見の記憶があったからだと思います。
清少納言と紫式部の作家性の違いは、
多くの示唆に富む話題です。
個人的には、清少納言が闇を書かない
気持ちにとても共感しています。
何故なら、定子は既にこの世にいません。
故人の闇を書き連ねるのは、
蛇足でしかないと思います。
一条天皇の胸中にも、枕草子の中の
光り輝く皇后・定子がいます。
もはや誰も敵わぬ存在になりました。
だからこそ、紫式部は枕草子とは
異なる視点から一条天皇の心を打つ
「なにか」を示さなければなりません。
ある意味、作風の違いがあるのは、
必然であったと解釈しています。
賢子にとって月が宣孝との想い出であるという視点、ステキですね💗
私は漢籍と和歌の違いと捉えたのですが、とても納得のいく、愛溢れる解釈に、感動しています🍀
はじめて投稿します。
式部と少納言と出会っていないというのが通説のようですが、紫式部日記で宮仕えの女房の評価で少納言評価のところで「したり顔でいみじゅうはべりける人・・・」と評価していますが、これは本人と会っていないとコメントできない内容のような気がしますが如何でしょうか?
式部日記では紫式部が聞いた話の場合はその旨記載している場面もあります。
少納言に合っていなければ何かコメントがあっても良いのかな?と個人的に感じています。
こんにちは、あなたの言っている事正しいです、紫式部は、清少納言に偉そうな顔してると言っているわけですよね、会ってなかったら言えないですね、おそらく出会った時に偉そうな態度をとっていたと思われます
二人の宮仕えの時期はズレていますから、実際に会った可能性は、高くないと思います。
あの紫式部日記の少納言批判は、枕草子を読んで書いたのかなぁと、私は受け止めています😊
@@ひこちゃん-o3sさん💞
さまざまに想像をめぐらすことは楽しいですね❗
したり顔ですから、偉そうな態度というのとは、少しニュアンスが違うと思いますが、枕草子の記述を読んでの、式部のやっかみが入っているのかもしれませんね😅
清少納言と和泉式部及び赤染衛門(匡衡衛門)の文を交わした記録があったのですね。
藤原彰子の教育係は匡衡衛門・紫式部・和泉式部が有名ですが、清少納言も同一時代に誰かの教育係をしていたのでしょうか?例えば一条天皇と定子の子供(内親王)など。
そうなれば紫式部とも交流が・・・・?
もしくは別のサロンで・・・・?
そういえば、紫式部の家を出ると南北道路に面した西側には土御門殿の豪邸があったようですね。紫式部の家を出ると土御門殿の土塀が南北240メートル程連なっていたことを思うと夢が広がります。
為時と源穆子は従妹同士で、倫子と紫式部は、はとこ関係になるようです。
為時は官位が低かったものの学者としては高い地位にあったかと思うので、土御門との交流はあったのではと推察します。(光る君へで描かれた倫子サロン???)
また、枕草子には清少納言が女房同士で加茂神社方面にホトトギスの鳴き声を聞きに行った帰りに、土御門殿の門に立ち寄り、雨が降っていたのでこの時ばかりは屋根のないことを嘆いていたようです。
過去にも、土御門殿には出入りしていてもおかしくないように感じました。
冬嗣の代で紫式部と系譜的には別れた末裔より
紫式部とご先祖様が同じなんて、素敵なことですね✨✨
定子の死後、清少納言がどのような人生を歩んだのか、よくわかっていないのです💦💦
定子の忘れ形見の皇子や皇女を、陰ながら見守っていたのかなぁ💗
それにしても、平安中期の女性たちの活躍は素晴らしいですね❗
白駒先生 コメントありがとうございます。
それにしても、紫式部日記や枕草子を読み解いてゆくと当時の生活ぶりが紐解けてきそうです。
稲穂が赤く染まる:当時はまだ、今で言う「古代米」が植えられていたことや、寛和の変の数日前に法華経の法要が模様されて、颯爽と道隆が正装姿であるが涼しげに振舞っていたこと、その数日後に寛和の変が起こり、法要を仕切っていた義親が花山天皇の後追いをして出家したりなど、
兼家ファミリー全員が法要に参加していたのでしょうか? 怖いですね。
式部日記では最後の手紙が誰に出されたのだろうと気をもんでしまいます。
女性文学仲間に送った手紙のように見えますが、意外と道長宛だったりして?(北の方への配慮)
もう書き物はしないという裏には、新品の紙もいらないのでどうぞ送らないで下さいという意味が込められたりして????
深読みすぎですかね?
@@北軽井沢観測所さん💞
いえいえ、考察がとても深くて、憧れます😍
そういうお話、直接お会いして、じっくりしたいですね〜💞
白駒先生
深読みの件ですが、大石静先生マジックで、賢子が道長の子供になりましたね。
紫式部日記でまた手紙の件になりますが、もらった文などはお雛様の家を作るのに使用したことが書かれています。
これって、賢子のお雛様ですよね?
文には道長からの手紙もあったのでしょうか?
道長さんどういう思いで文を読んだのでしょうか?
鳥肌が立ちました。
これは深読み過ぎですよね。
@@北軽井沢観測所さん💞
私は紫式部日記には詳しくないので、教えていただけることが、とても嬉しいです💗
ぜひ今後も、深読みした様々な考察を教えてください🙏
定子様の影は絶対に描きません!清少納言!
道長の影は絶対に描きません!大石静!
ああ、そうなのかと腑に落ちました。
人からはある側面から見れば素晴、また違う側面から見れば悪い人。人は悪と善両方を持つとい言うバリ島の演劇思想を思い出しました。
詮子様四十の祝で、史実で道長が席を立ったのは、彰子様を盛り立ていり倫子様を上手く扱えずギクシャクしている倫子様へのはからいだと思います。史実ではリハーサルで田鶴君に帝から褒美があり、本番でも田鶴君が称賛され倫子様が喜ぶと踏んでいたらまさかの巌君が称賛。道長は倫子様を思い青くなったことでしょう。夫って妻が機嫌が悪い時、何とかして「俺はお前の頑張りを認めてるよ」と態度で示そうとして、却って地雷を踏む。今でもよくあることです。私も含めて😅
わぁ✨✨
貴重な体験談を有難うございます💞
彰子がまだ出産できる年齢ではないため、とにかく娘の権威を高めるしかない道長は、彰子の実弟に褒美を欲しかったんでしょうね…💦
彰子が皇子を産むまでは、道長もひやひやだったのかも💦💦
正しく「ターニングポイント」となる回で、倫子や彰子も変わっていく気配を感じた。
まひろは「枕草子」の始まりに関わっていたが、今回は、ききょうが「光は書くが影は書かない」と言ったのでまひろが自分が影を書く?という話になる。「源氏物語」にもききょうが関わっているというのが面白い。
「枕草子」には定子の死は書かれていない。つまり、ききょうや、それを読む定子の子ども達にとっても定子は生き続けている。人間にとって理想を追い求めるということも重要で、その後の後宮や人々に多大な影響があったことは間違いないだろう。
一方、人間は複雑で測りがたいもの。例えば、一条帝も詮子を母としての面からしか見ていない。肉親でも人の多くの面を知ることは極めて困難。当然、現実を下敷きにすべてをフィクションとして想像で書くほかはない。
問題は、なぜ「影を書く」のかということ。おそらく、人は身分の違いはあっても同じ人間、という気持ちが根底にあるのではないだろうか。頼通は宇治に平等院を建立するが、当時すでに、仏の前には人間は平等、という観念があったのだと思われる。
とても深い洞察、勉強になります😍
源氏物語には反骨精神が読み取れるので、まさにその通りなんですが、人間が仏の前で平等ということを、式部や頼通はどこまで意識していたのでしょうか。
あくまで貴族社会という枠があったようにも思いますし、その枠を超えていたと信じたい想いも…💗
まだまだ謎が多いからこそ、ロマンを掻き立てられます😍😍
ドリカム吉田美和 ユーミンがナニサ ふん!
おもしろいコメント有難うございます✨
式部の心の声は、そんな感じだったのかもしれませんね😆
ユーミン派VSみゆき派。あら還世代の論争みたいですね。
@@るりるり-z7uさん♬
そうなんです😆
私は還暦ど真ん中ですが、吉田美和とミーシャが好きです😍😍
もしも帝が道長でなく伊周を選んでいたらどうなっていたのでしょうか?
うわぁ、それ、考えたことあります!
伊周の実力って、正直よくわからないですもんね😅
教養は身についていたのでしょうが、胆力や耐性は無いと思うので、伊周が政を行うのは、やっぱり難しかったと思いますね😓
紫式部集35でなく41番では?
35番は、例の灰の場面に繋がる宣孝の歌でしたね💦
私の間違いを見つけてくださり、有難うございます✨
敦康親王は伊周に似て面倒な人柄ですから、扱いを賢い彰子に委ねて良かった良かった!
媄子内親王は幼くして亡くなってしまったので、詳細はわかりませんが、脩子内親王と敦康親王は、ともに聡明で素晴らしかったと、私は聞いています。
伊周に似ているという話は初耳です。
情報の出処を教えてください!
@@白駒妃登美-d7v生年月日から読み解いています。定子隆家敦康親王は父親の道隆に似ています。脩子内親王は一条天皇に似てますが、よりいっそう優秀で跡取に相応しいが内向的な人なので同じく内向的な酒好き道隆の跡取に相応しいです。敦康親王は脩子内親王から見て心配になる存在だったと思います。
@@橘恵利さん、生年月日から読み解いていらっしゃるんですね!
とても興味深いです。
宿命って、その人の人生の3割ぐらいを握っていると思うので…😊
こんにちは、UA-camの歴史観光JAPANによると紫式部は、夫を亡くした悲しみにしたった歌はないと言ってますが、どうなんでしょうか?それと、夫を亡くして悲しんでいる暇はないとか、言って、いるようですが、どうですか?
私は悲しみにひたった歌と受け止めていますが、実際のところはどうなのでしょう😊?
人それぞれの受け止め方や解釈があっていいと思います😊
こういう談義は楽しいですね✨✨