КОМЕНТАРІ •

  • @user-yumemirutenshi
    @user-yumemirutenshi 7 днів тому

    好き💓

  • @maya-si3fy
    @maya-si3fy 28 днів тому +1

    新六文銭。アルバム残して欲しかったですねー
    モノステレオ良きですねー

    • @saikousikikan
      @saikousikikan 22 дні тому

      セパレート技術には驚かされてしまいます。なにを糸口として楽器の音をいったん分解、そして再構成できるんでしょうか。ビーのリボルバーを完全分解して再構成する話をラジオで聞いたけど、さっぱり理解できなかった。そもそもこれはエントロピーの逆行と言っていいほどの難解かつ難施工技術だと思います。

  • @user-pm7sc2yz7i
    @user-pm7sc2yz7i 27 днів тому +1

    わぁー 「話してはいけない」😮 吉田拓郎は知ってるけど 六文銭もやってたの!?
    知らなかったな😅
    どうも有難う です🙏

    • @saikousikikan
      @saikousikikan 22 дні тому

      シン六文銭といいます。1971年ごろ、拓郎のお友達の加藤和彦さんがサディスティックミカバンドを始めたので、大いに啓発されたんだと思います。儲けてエレキ大音量とか言われて、ボブディランやドノバンがそうだったように、四畳半しみじみアコギ派の音楽文学評論家の富沢一誠先生がずいぶんと悪口を言ってました。新しいところでは、2007にYUIさんが、コマソンのチェリーがバカ売れして、真っ赤なフェンダーのエレキギターをハードロックバンドと一緒に弾いたら、インディーズ時代のしみじみアコギターのファンが減ったとか聞きました。
       1970に一斉に活動を停止したグループサウンズらの、とりわけ凄腕のかたがたが、サポートミュージシャンとして、拓郎や陽水、かぐや姫さんなどに定着が進んだ時期でもあります。シン六文銭の実質上のバンドマスターの柳田ヒロさんは、この一つ前の仕事は柳ジョージさん・陳伸輝さん・加部正義さんらと超弩ハードロックを演奏してました。
       このバンドは拓郎よりも小室社長を中心に、レコードも出さずに道楽的に1976年ごろまで続いてましたが、メンバー間の求心力とは成り得ずに76年ごろに自然に消えてしまいました。わたくしはその時分、エレキギター小僧で、いろんなコンサートをダフ屋100円チケットとかで見てましたが、このバンドの消滅などちっとも惜しいとも思いませんでした。