【高瀬毅のずばり!真相】「二・二六事件」と青年将校 ~“反乱軍”の素顔に迫る~
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- Опубліковано 28 лис 2024
- 1936年(昭和11)に起きた昭和の大事件、「二・二六事件」からこの2月26日で88年を迎えます。
天皇側近の首相以下重要閣僚を殺害し、首都を制圧する計画だった前代未聞のクーデータ(未遂)の首謀者は、青年将校たちでした。その一人安藤輝三大尉を通して、「二・二六」とは何だったのか。安藤が残した遺品や手紙などを紹介しながら、反乱軍の素顔に迫ります。
ゲストに、安藤大尉の研究を続けている歴史研究家・佐川仁一さんと防衛ジャーナリストの半田滋さんをお迎えしました。お二人は安藤大尉と同じ学校(栃木県立宇都宮高校・旧制宇都宮中学校)の卒業生です。
内容の濃い番組となりました。
★番組内スライド訂正★
→38分49秒のところで、スライドの表記斎藤実内相を、
斎藤実(さいとう・まこと)内務大臣と表現していますが、
正しい読みは、斎藤実内(ない)大臣です。
※内大臣とは、天皇への助言など「常侍輔弼」を任とした大臣。
司会:
高瀬 毅 (ノンフィクション作家)
2024年2月18日 収録
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二・二六事件の素晴らしい掘り下げでした。番組の構成もしっかりしていて解り易かった。NHKの海軍資料に基づく番組の問題点も良く分かり勉強になりました。
ほかで聞けないこういう話を聞かせていただけるのは大変ありがたい。動画配信に感謝。
個人的に、非常に関心のあるテーマで、関連する書籍も多数読んでおりますが、これ程掘り下げた対談は初めてです。
ありがとうございます。
とても面白く勉強になりました。いのちがけで政治をおこなっていた公僕の範をみた思いがしました。善悪を超えて、規範をしっかりとわきまえた人間の振る舞いの眩しさに感動を覚えました。教育の真髄をみた気がします。
とても勉強になりました。埋もれた歴史に焦点合わせて知らせて下さりありがとうございました。
佐川さんと半田さんのお話をお聞きするまで、事件の概要くらいしか存じ上げていませんでした。
88年前の出来事ですが、世界の不安定化や国内の閉そく感など似ている背景もあり、同じ歴史を辿らぬように見直してみたいです。
最後のNHKの放送問題も含め、歴史的事実を謙虚にそして多角的に見ていかないといけないと思いました。
ありがとうございました。
長いけど中身の濃い優れた動画でした。難しいところもあり2度見しました。3回目は地図を片手に見てみたいです。ありがとうございました。
二-二六事件
深い考察
ありがとう御座いました。
大変、興味深く拝見させて頂きました。
時代が変わる!!
変わって欲しいですね。
とても感動しました。幼少の頃、映画「動乱」を観て以来今日まで、関連書籍や映像を手当たり次第に視聴してきましたが、佐川仁一氏の研究は白眉と言っても決して過言ではないと感じました。二・二六事件は日本という国家が存続する限りは時代を超えて何度でも繰り返しあらゆる角度から検証され深掘りされ続けなければならないものであり、今を生きる日本人にとっては良くも悪くも決して避けては通れない歴史であり原点なのだろうと思います。
二・二六事件が起きた1936年とその前と後の15年間、「昭和の失われた30年」の歴史的考察から目をそらさずに、勇気を出して誠実に向き合うことが、今ほど求められている時はないと感じます。
これ程の素晴らしい深く歴史考察は見た事が有りません。感動致しました。有難うございます。
凄い方がいらっしゃるものだと、本当に感心しました。一人の歴史研究家の方が、ふとした疑問から真相に迫っていく、膨大な資料と取り組み、壁にぶつかりながら、謎を解いていく。諦めかけた時、意外なところにヒントが見つかる。佐川さんにお叱りを受けるかも知れませんが、下手なミステリー読むよりよほど面白いですね。深く敬意を表したいと思います。それにしても、当初クーデターに反対していた安藤大尉、確かに西郷隆盛とどこか重なりますね。鈴木貫太郎襲撃の場面、安藤大尉の心中を測ると胸に迫るものがあります🥀
日本史の資料ビデオとして中身の濃いものですね。永久保存してほしいです。
実に面白かった❗
高瀬毅さんの流れるような司会の下、佐川仁一さんのとても分かりやすい解説と半田滋さんの雄弁さに「二・二六事件」の話に聴き入ってしまいました。2時間33分間もあっという間でした。まるで、NHKの「その時歴史が動いた」のような番組でした。永久保存版です。
【お願い】
ぜひ、今後も、近現代史の出来事を元に、解説者を交え、歴史の真相を語る番組をシリーズ化して欲しいです。もちろん、2~3時間の時間でじっくりと語って欲しいです。
こちらの「高瀬毅のずばり!真相」でも良いですが、「高瀬毅の歴史の真相(仮)」と言うタイトルでも結構ですので、シリーズ化をお願い致します😊
安藤輝三大尉の人間性に迫るお話し、本当にありがとうございました。私は、50代半ばですが、高校の時、226事件の書籍や写真に接し、それ以来、数々の文献にあたりました。今回の番組は、そのいずれとも視点が異なる珠玉の内容と言えます。佐川仁一先生の安藤大尉に対する尊敬や愛情が読みとれるもので、聞いていて泣きました。
NHK番組に対する違和感もご説明を頂き、なるほど納得いくものでした。これまでの佐川先生の研究は、きっと後世の安藤輝三大尉像を変えるものだと思います。過去にこの迷宮に挑んだ松本清張先生や澤地久枝先生など、いずれも大変な謎の紐解きをし、核心に迫って頂きました。しかし、そのどなたとも違うアプローチ、人間安藤輝三を掘り下げる事で226事件の本質を教示頂いた。安藤輝三とは、本当の武士道を実践した男と信じる私としては、佐川先生の研究で救われた思いがしました。安藤輝三大尉の名誉回復への取り組み、本当にありがとうございました。私は、川島義之陸相、眞崎甚三郎大将、山下奉文大将、香椎浩平中将(戒厳司令官)はいずれも、青年将校と通じていたとみています。
安藤輝三の決起への翻意は少なからず、栗原安秀中尉、磯部浅一一等主計から上層部の意図を土曜の会合で確認したからに他ならない、と考えています。安藤輝三大尉は、拘束後、一人最後まで軍法会議を拠り所とした、理由もそこにあります。そうであれば、安藤輝三の逆賊の汚名は返上される事になります。本当の指揮官は別にいた事になります。
言葉たらずでお詫びします。山下奉公大将の当時の階級は少将です。私はこの事件の後ろ盾の実行ラインには、眞崎大将、香椎中将、山下少将が存在してしたと見ています。
また、謀略のサポートラインとして、川島陸相、荒木大将がおり、青年将校が逆賊と言うより、陸軍上層部の軍事クーデターの側面が強いと思います。青年将校が前線を指揮したのは、事実でしょうが、反逆の誹りはむしろ軍上層部に向けられるべきものと思っています。
大変、興味深い内容でした。2.26事件にはまだまだ分かっていない部分が多いですが、暗い昭和を代表する事件ですので、今後の研究にも期待しております。
全編衝撃の思いで拝聴しました。処刑の朝の「苦モナク 思ヒナク 朝ノカラス 鳴声モ爽カ」のくだりでは涙がでました。
輝三の純粋で真摯な姿勢、人柄は彼に関わった人々の行動からも分かります。惜しい人です。口では「愛国者」を名乗りながら私腹を肥やす今の腐りきった裏金政治家は、輝三の生涯を学ぶべきだと思いました。
高瀬さん、待ってました🎉ありがとうございます😊
佐川からのお知らせです。
「諸子の行動は天聴に達せられあり」と申し上げましたが、実際の『陸軍大臣告示』の文言は、
「決起の趣旨については天聴に達せられあり
諸子の行動は国体顕現の至情に基づくものと之を認む」というものでした。
うっかり二つをまとめたような表現になってしまいました。このコメント欄で訂正させていただきます。
すごい話し!素晴らしい。
非常に勉強になりました!
昭和30年生で高卒で働きに出ました、職場には復員した大人が居て話をきいていました。実際に話しを聞いた最後のせだいかと思います。退職後に政治に、経済、社会、歴史、宗教を勉強すると何やら世の中の仕組みが分かってきました。それでも分からないところがあります。北方領土返還のためと称しプーチンと27回も会談した挙げ句に何も進展しなかった。わかっていた事なのにだ。また何故に明治に戻ろうとするのか、歴史を修正してまで戦前の正当性を語ろうとするのか、分からない。
この2,26事件も分からないところは多い。今回の動画は敬服致しました。
北方領土と言う表現はありません。全千島列島は全て日本の領土です。それを基本に交渉すべきです。そもそも、ソ連の領土拡大は間違いです!
「二・二六事件」と青年将校 ~“反乱軍”の素顔に迫る~、その2を是非!ついでに、「NHKの二・二六事件に対する態度」についても。
匂坂検事のことも知りたいです。
UA-camでこのような良質な映像が提供されていることに驚きました。
人間が起こした事件だったと改めて思いました。配信ありがとうございます。
大塚久雄が社会科学の方法として「主体の意味理解」ということを述べていましたが、そういう考察を鼎談の過程で深めていけた番組でした。🎉
宇都宮在住デス!ありがとうございます!兄の子ども達がー陽東中に~🌠誇りに思います❗安藤さんは初めて知りましたが憂国の故に✨時代の申し子?でわ~💧父が宇都宮の部隊でしたが宇都宮空襲後間もなく終戦に😮😅私たちに父は全く色んなこと語らなかった!
すばらしい番組でした。ありがとうございます。しかし、NHKの責任も重いですね。事実ではないことを事実だとして番組を作ってしまったのであるなら、きちんと反省して訂正すべきだと思います。
仙台二高は東京の一高に次ぐということで、当時仙台では優秀な人が行く特別な学校という扱いでした。わたしの母の実家が仙台にあり、親類縁者の人々の二高に対する特別な感情を今も覚えています。
佐川さんの研究者としてバランスのとれた事実に着目するスタンスに共感します。綿密で地に足の着いた調査。安藤輝三が鹿児島で少年時代を過ごしたことは、後を考えればとても興味深いです。
昭和天皇も保身の人です。天皇も充分に悪かったよ。
アドバルーンは教科書に載っていましたね。なぜかよく覚えています。
安藤の決起に際しての言葉は西郷隆盛の言葉に似ています。しょうがないなー、付き合って死ぬかって?
いずれにしても計画は初めから杜撰でした。
3発の発砲が4つの傷を作る。ケネディ暗殺の「奇跡の弾痕」に似てますね。
安藤輝三について分かったというよりもっともっと知りたくなりました。知ることは歓びです。
二・二六事件に関わった将校の中でも、安藤大尉は特に素晴らしい人物だと思っています。急進的な将校に踊らされることなく、熟慮を重ねて決起に加わった。熟慮したからこそ、旗色が悪くなっても他の将校の如く日和ったりせず最後まで自身の信念を曲げなかった。五社英雄監督の映画226でも、三浦友和さんによってその心情がハッキリと描かれています。部下や同僚、上官からも慕われた安藤大尉。本来であれば陸軍のもっと上の立場に居るべき将校だと私は思っています。
佐川からのお知らせです。以下、用語の訂正です。
★軍令部総長 → 総長は1933年からの呼称で、貫太郎の時は「軍令部長」が正確です。
★予審報告終了書 → 「予審終了報告書」
昨日の深夜から朝方にかけて、六本木7丁目にも、数時間、雪が降っていました、政策研究大学院大学の低い柵ごしに、旧歩兵第3連隊が駐屯した建物のアーチ形状の正面玄関が見えるのです。深夜には玄関先まで入れませんが、家を出て柵の近くまでいき、佐川先生のお話しをヘッドホンで聴きながら、『後輩の佐川先生が、しっかりと伝えてくださいましたよ。』と呟いたら、不思議と雪のせいか当時の帝都の状況が頭に浮かぶような気がして、旧歩兵第1連隊のあった檜町公園まで歩き、手を合わせてきました。先生ありがとうございました。
深夜の歩三から歩一にかけての風景が浮かんでくるようです。ありがとうございました。(佐川)
神回です。
2・26についての知識は教科書とNHKの番組くらいでした。事件の陰でこのような濃厚な「人生」があったとはついぞ知りませんでした。226に対する見方が大きく変わりました。
佐川氏は安藤輝三の本を書いていらっしゃるのでしょうか?あれば是非とも読んでみたいです。安藤大尉は自分自身を楠木正成に例えてほしいようでしたが、お話を伺って感じたのは、むしろ西南戦争で殉じた西郷隆盛です。
ここまで安藤輝三の人間性に迫ることが出来たのは、佐川氏の人徳によるところが多そうです。話し方の感じからして強引に多くの人を引っ張って行くという感じではないのに組織のリーダー的立場を多く経験してこられたようですね。それは周囲からの佐川氏への信頼が厚く、強い推薦を受けてきたからではないでしょうか。
最後の安倍元首相銃撃事件の山上被告への言及においても、佐川氏が持つ深い人間愛を感じました。
書籍化がまだでしたら、ぜひお願いします。
台湾在留で。3月2日に動画プラットフォームに露出したコンテンツを視聴です。
2.26事件は、半世紀前に数点の書籍で、それまでの教科書的認識を多少なり踏み込んだ内容を知り、興味を持つキーワーードです。
2.26事件で青年将校が、悲劇的とも言える、結果になったのは、大筋は諸説を共有するものですが、ただ一点、事件のほぼ4年前の
5.15事件での海軍青年将校団が事件後、首謀者の3名には、死刑求刑があったものの、判決では13年、~15年の禁固刑になった経緯
があって、今流の中国的な、「愛国無罪」的な楽観があったとするのが、持論です。
5.15.事件の海軍青年将校の一人は、戦後自衛隊クーデター計画として事件化した「三無事件」でも逮捕された経緯があります。
2.26事件では、部隊を動員したという私兵運用的側面もあっての判決、5.15事件は海軍青年将校団の違いがあっても、決起将校団に、
5.15事件の判決、判例を意識していた可能性は排除できないと思っております。
判決を楽観視していたというのはおっしゃるとおりだと思います。
これと関連して、以下の点を指摘しておきます。
青年将校は29日に陸相官邸に出頭し、自決をすすめられますがこれを拒否し、軍法会議の公判廷を次の闘争の場とすることを宣言しますが、戒厳令下の軍法会議は非公開、弁護人なし、一審即決でしたから、とても法廷闘争などできる状態ではありませんでした。彼らは戒厳令そのものについても、これを昭和維新への進展としてとらえ、自分たちの討伐のために出されたものとは思わなかったようです。戒厳令下の軍法会議のありようについてもむ事前の知識が欠けていたと思わざるを得ず、こうした点にも彼らの甘さや準備不足が露呈しているように思います。(佐川より)
【重要な誤り】
事件の概要の箇所で、襲撃をを受けた斎藤實の職位が「内相」(=内務大臣)となっていますが、正しくは「内大臣」です。
「内大臣」とは令外官の一種で、天皇に近侍して常時輔弼を行う(侍従とは異なる意味合いで秘書のような、相談役としておかれた要職です。
(宮内省の長官である「宮内大臣」とも違う役職です)
ご指摘ありがとうございます。概要欄にて正しい表記を掲載いたしました。
大学生の時に研究していましたが、改めて勉強になりました。個人的にテロは断固として反対ですが、青年将校たちが決起した理由も理解できなくはありません。
今、まさに二・二六事件が起こった時代と同じような状況で、タモリさんが「新しい戦前になる」とおっしゃっていたのが感慨深いです。
二.二六事件。自分の当時小学六年生の社会科で知りました。授業は簡単にしか知らないところ、戦争へ向いていく辛い歴史に入るのがとても嫌だった歴史の授業の思い出でした。
辛い歴史の場所を忘れ去られる形は、嫌なことを忘れて行くのではない。
繰り返しを起こさない学びは大切。
犠牲を作った、作られてしまった結果は、当時の環境、思考視野は1つ。人の人生なるべき運命決められないのだ!と、気付かされます。修正の出会いかあったら悲しい結果免れたいものです。
都合で歴史を変えては、自分の国に生きる私たちの、生きる自信をつけることに繋がらないかな。と思いました。
良い社会になることをいつも思う。
見応えある動画でしたし、佐川氏の丁寧な解説で安藤輝三が高潔な人物だったということはわかりましたが、だからといって2・26事件は起きてはならない軍部の暴走だったという事件への評価を覆すような新事実は見つけられませんでした。
彼ら参加した軍人の処刑も無念だったとは思いますが、いわば陸軍内の粛正だったと思いました。
2・26事件から学ぶべき教訓はむしろ、いまだに政府が言う
「文民統制」など虚妄であり、軍部が反乱を企図したら政府には抑えられないということ。あるいは
「日本では、文民統制はいつでも軍隊によって破壊されうるという歴史的実例」ではないでしょうか。
やはり自衛官にも高潔な人物はおられるとは思いますが、組織としての自衛隊にはしっかりと法的な歯止めをかけ続ける必要があると思いました。
法的な歯止めなんかピストルの前には無力、ってのが教訓なのでは?
戦前だって殺人罪はありましたよ😅
機能しなくなった政治集団は
民衆が変革しなければ、
武力を持った集団に頼らなければならなくなる
次は、殺害された斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監、重傷を負った鈴木貫太郎侍従長側からの226事件を解説してください。
Thanks.
配信ありがとうございました とても勉強になりました
赤青の色鉛筆は一本で半分赤半分青ってのがありました。両方から削れば1本で赤青書けます。
赤と青の色鉛筆、子どもの頃に有りましたね…2.26の頃には、なかったのかな?と思いながら、聞いていました…小さな事なのですが😅壮絶な時間だったのでしょう、心が痛いですね😢
私も陽東中学校です。しかも、剣道部に在籍しておりました。びっくり致しました。😳😳先輩方より少し下の学年になるかと思います。
これからじっくり視聴させて頂きます。🙂
ゲストの佐川さんから貴重なお話が聞けて感謝しています。ただひとつだけ残念に思ったことがあります。歴史上の出来事を元号を使って説明されても、子どもの頃から西暦しか使っていない者にはチンプンカンプンなんです。昭和ぐらいであれば頭の中で瞬時に西暦に変換できますが、平成になると全くダメなんです。若い世代であれば昭和がダメでも平成ならなんとかなるのかもしれないけれど、そんなふうに日本人がいつまでも元号に左右されていること自体が問題のように思うのです。高校生の頃に使っていた山川出版の「詳説日本史」だって「1867(慶応3)年」というように西暦を優先させていたように記憶しています。そうでなければ日本史を学ぶ意欲が萎えていたかもしれません。絶対に元号しか使用しない日本会議系の知識人であればこんな注文はしないんですけど(彼らから何か有益なことを学べるようには思えないですからね)、佐川さんは非常に希少価値のある研究をされているようですから、若い人たちにもそのお働きが受け継がれていくことを願って、僭越ながらこのように不躾なコメントを書いてしまいました。
ご指摘ありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。私も昭和の西暦変換は容易ですが、平成はまるでダメです。たしかに令和以降の生まれの方は「昭和〇△年」と言われても、実感できないかもしれませんね。
書いたものでは西暦と元号を併記するようにしているのですが、話すときはつい元号になってしまいます。
山川出版の「詳説日本史図録」は私も身近に置いて、明治~大正の西暦を確認するのによく使っています。(佐川)
歴史好きですが、2.26事件に関する映像作品は感情的なものが多く、加えて民族派の方々とも付き合いがある為非常にセンシティヴと感じ今までスルーしてきた事もあり、永年の詳細な調査、史実と資料による冷静な読み解きに因る本コンテンツは非常に興味深く見応えがありました。
NHKの番組は視聴していましたがその様な演出がされていた事については、19:00のニュース終わりで何の恥じらいも見せずに日常的に内容の訂正を行うだけで、一向にそれ自体が改善されない極めて低劣な現状を見ると「さもありなん」と感じました。
二・二六事件の本質は
「日本軍は強い、戦争によって領土を広げれば日本は豊かになれる」という強い思い込みである。
そして敗戦によって何が何やらわからなくなった。
それは失われた30年という現代でも同じである。
中隊長で大尉、大隊長で少佐、小隊長で中尉、分隊長で軍曹。
少尉候補者試験組(二等兵〜昇進して曹長、准尉で受験資格)だと最高昇進して少佐迄上がれる。
陸軍士官学校組でも、幼年学校組と中等学校組とでは
出世に差が付いてた。
卒業後に兵科、騎兵科、砲兵科、輜重科と別れるが
輜重科に行かされるのは中等学校組とされてた。
中等学校組でも成績優秀者は、陸軍大学校行けて参謀にもなれるが、殆どはエリート中のエリートである、参謀本部作戦課には配属されなかった。
精々船舶、後方、情報、通信、作戦補佐、参謀しかなれなかった。
陸軍大学校に行けなかった組は、最高で少将、殆どは、中佐か大佐(連隊長)で退役。
歴史は人間が作るものだと再認識しました。あと、自分のやってきたことがあとから評価されるということの怖さ。
天皇に逆らったということで悪とされてしまったが、彼は本当は面倒見が良く人情味のある人だったのでは。
歴史は勝者が綴るものだとどこかで聞いたけど、書かれなかったことにも思いを馳せたい。
ありがとうございました。
2:30:24
軍に理解を示す政友会が負け、
「当時の国民は、軍と距離を置きたい民政党を選んでいた。」😮
とても大事な部分と思います。
凄く勉強になりましたm(__)m
佐川仁一さんが最後のところで語った今の社会、ここ短かった。もっとお話しされていたのではないか?。いま番組を生かし世に問うには最も大切であったのに。
秩父宮と決起部隊との関わりを知りたいです。
秩父宮が寝返ったという説がありますね。
陸軍士官学校の安藤輝三の一年先輩にいた秩父宮殿下が安藤照三に一緒に決起するようにと働きかけたと言う話もあります。秩父宮は自分が天皇になったら天皇制は廃止すると言って安藤たちを口説いたらしいです。事件当時は秩父宮は青森連隊に勤務していて部隊を率いて東京に行くと安藤には伝えていたみたいです。ところが、いざ出発の時になって昭和天皇から直接電話が入って秩父宮に崇仁よ今は動くなと言ったらしく秩父宮は大元帥陛下の命令には逆らえないと動かなかったという事らしいです。秩父宮は交換条件を兄宮に出して青年将校は自決した人以外は処刑はなかったと言われています。処刑された軍人は身代わりだと思います。やはり秩父宮としては自分が決起を促した以上、自分に従ってくれた青年将校たちを処刑されれて見殺しする訳にはできないと考え、昭和天皇に慈悲を求めたと思います。秩父宮は昭和28年に病気で亡くなっていますが、私としましては17年後に2.26事件の真の首謀者として秩父宮は粛清されたと思います。弟の高松宮もいくらか手伝ったみたいですが粛清まではなかった見たいです。1917年のロシア革命によって日本でも各階層に共産主義者が結構生まれたみたいですが天皇に一番近い近衛文麿や山本五十六などで近衛は自分の長男を勉強させようとスターリンのもとに送りましたがスターリンはすぐに長男を処刑したみたいです。そのショックで近衛は自決したようです。
226事件の映画を昔見ました。安藤大尉の自殺の場面は安藤大尉役の三浦友和さんをかっこよく見せるための演出だと思ってました。2月の末の雪が降ってて寒い中手が悴んで、歌を歌い、歩きながら拳銃自殺なんて無理でしょ。本当なんですね。驚きました。青年将校の皆さんが純粋培養され過ぎて気の毒になります。
映画では中隊が行進して帰った後に自決していますが、実際はまだ兵たちがいたときでした。また、29日の日中は曇りで雪は降っていませんでしたが、映画もNHKスペシャルも雪を降らせています。赤穂浪士の討ち入り、桜田門外の変。日本人は雪が好きなんですね。
軍というのは20代から30代の男ばかりの世界。どこまで信念を貫けるか、その本気度が人間を計る尺度になっていたようなところがありました。また、青年将校が受けた幼年学校~士官学校の教育では社会科学的な教養が十分ではなかったということも大きかったと思います。(佐川)
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返信して頂きありがとうございます。映画のパンフレットのインタビューで将校役やそれ以外の俳優さん達があの時代に生きていたら青年将校と同じ行動をとっていたとか、影響を受けたとかのご意見が多かったのを覚えています。私は50代の主婦です。あの時代の事に興味があり、小説を読んだり、番組を見ています。精神論が行き過ぎた、悲しい時代じゃないかと感じます。あの戦争でボロボロに負けなければ今の日本は無いかと思うと複雑ですね。
歴史を深く知る。その大切さを噛みしめます。日本史学習では、二二六事件を素通りさせる権力の大きな力を感じてきました。
勉強なりました。
昭和天皇は、何故にあれほどに決起に怒られ、断固討伐を目指し、自ら指揮してまでも弾圧仕切る、とされたのでしょうか⁉️
この事により、昭和天皇への反発と批判が潜行した隠微な形で日本に残りました。
しかし、私には思い当たる事があります。
皇室の方々の思いや感情は、決して外に出ないので、この昭和天皇の当時の感情も解らないのでは?
幕末の孝明天皇暗殺の不明な事案が直接の理由と考えています。この事案について昭和天皇は詳しく知っておられたのではないか? 何しろ当事者の御子孫ですから。この事案に限らず、日本人の歴史は、この2000年近く、権力を好都合に進める為に天皇に退位、追放、抹殺を繰り返しました。
昭和維新においては、天皇の権威による断行を目指し、天皇が動かなければ、すげ替える事も考えていました。これは、明治維新の焼直しです。安藤大尉が西郷隆盛と吉田松陰を尊敬したのは象徴的です。残念ですが。
天皇に即位されれば、権力のお神輿の感情からは離脱し、天皇そのものの御気分になられるので、天皇を脅かす者を許されなくなります。恐らく、孝明天皇の排除事案の詳しい情報を昭和天皇や皇室はお持ちだったのではないかな。⁉️
2・26事件については、決起軍に理解的好意的な立場からの評論が多数でしょう。当然ではありましょうが、この明治維新から始まった日本近代政治体制の根本矛盾が尖鋭に露呈した事件の評価は、大変に難しいでしょうが、この根本矛盾は解き明かして解消を目指さなければなりません。天皇の権威を利用するなんて無茶なんですが、日本語は明治近代を離脱してはいませんね。‼️
緻密に調べられていて非常に興味を持ちました。気になるのは青年将校らが国民生活の窮乏と政治の腐敗を正す為に天皇親政の「昭和維新」として訴えたのに対して天皇が即座に反乱と断定したこと。
大きな戦争は軍産エスタブのシナリオがあり第二次大戦も当然20年くらいかけて計画実行された。
例えば1939年
8/30山本五十六が連合艦隊司令長官
9/1ヒトラーがポーランド侵攻
即座にチャーチルが宣戦布告のシナリオでWW2が始まる。
当然日本の最上層部 天皇と吉田茂、牧野伸顕らは関わっていて戦争に前のめりだった。
テロリズム。226事件をみるのに、やはり大事な論点として、佐川さんが挙げられましたね。当時「変革の努力」をしていた勢力がなかったというのはそうかもしれない。大政翼賛会に国会も収れんされていこうとする情勢で、いっぽう国民生活は困窮。だからクーデターという226ですが、議会制民主主義が成熟していない当時の軍部としては血気盛んな軍人が決起しようとする気持ちもわからないではありません。でも情勢のせいで性急な行動になり目標も明確ではなかったとはいえ、あまりに無謀なクーデターではあったと思います。万一成功していても天皇を頂点とする軍部の専制政治になったのではないでしょうか?貧困問題はある程度解消したかもしれませんが軍事費に湯水のごとく国家予算を注ぎ込めばおのずと限界があります。それが限界だったでしょう。いままた政治の腐敗がきわまり、裏金問題もあり、自民党政治がもうダメだというところまで来ていますが、佐川さんはいまも「変革の努力」をしているところがみあたらないと言いましたがそれは違いますよ。またテロリズムは歴史でずっと起きてきた、願望で批判してはいけないとも言いました。しかしテロリズム、戦争のない社会が人類の悲願ならテロリズムや戦争の温床を真摯にみつめなくす努力が続けられ、憲法9条に結実したようにそれは確実に進んでいるとは思います。いまは議会制民主主義を通じて「変革の努力」がなされる時代になっています。その歴史の進歩発展を次により高いステージに引き上げ、金権腐敗政治や大軍拡など人民を苦しめる政治をくいとめるたたかいが必要ですね。
人民を苦しめる政治をくいとめるたたかいを戦後一貫して標榜し続けて早80年鳴かず飛ばずですので、いい加減に受け皿となる勢力をきっちり育てる辛抱強さを身に着けてほしいものです
クーデターというよりも
当時の皇道派に決起を止める力がなかった。
それも決起というよりも維新に憧れた一揆。
変革には、陸軍の一勢力だけではなく
民衆を、小作農や非正規雇用を巻き込むうねりが必要
226事件の青年将校は昭和天皇への反逆罪であって、
国民生活を壊そうとした国家転覆ではなく、
一歩間違えれば赤報隊、土佐勤王党のような英雄扱いをされたのかもしれない。
テロ恐怖を植え付けたのは、後に政府中枢を牛耳り、軍の暴走に怯える統制派と
日本軍部政治の印象を強くしたい戦後の連合国側の思惑も。
実質国家運営は軍部に協力している官僚政治
226,515は絶対に発掘すべき研究テーマだと思いますがそれを言論を封殺あるいはテロ、軍部独走のステレオで片付けようとする、またはレッテル貼りしようとする意図を感じます。
また、今回ご出演の研究者様には本当に素晴らしいご人格を感じました。
ありがとうございました♪
安藤輝三大尉とたか夫人の対応が少しでも違っていたら昭和20年は全く違う年になっていたはず。
恐らくドイツや朝鮮半島の様に、分割統治されていた可能性がかなり高いと思います。
さすがNHK.いい加減さ満載
母方の祖母の両親は、朝鮮に住んでいた際に、朝鮮総督として赴任して来た斎藤実夫妻に、同じ同郷との事で、ご高配を賜りました。
未亡人となり、太平洋戦争末期に水沢に疎開した春子夫人とは、戦後、夫人が亡くなるまで交流が続いたのを、知ったのは、今から48年前の中1の時でしたが、それから、二・二六事件のテレビ番組を見て、書籍を欠かさず読んで来ましたが、必ず殺害された重臣や警官、その遺族に対しての思いやりが皆無!
まるで、殺害されても当然的な扱い!
今回の番組を見た若い人は、反乱軍は、国民の困窮を思い、事件を起こし、安藤輝三が鈴木貫太郎のとどめを刺さなかったので、太平洋戦争終結が上手く行われた如き、感想を持つ人が多数ではないでしょうか?
あの忠臣蔵の浅野内匠頭家臣等でさえ、仇討ちで功名を挙げたので、他家への召し抱えを期待していたとの話も!
反乱軍の将校が自決しなかったのも、懲役程度で済むと思っての投降では。
何年か前に、週刊文春に、殺害された重臣達の殺害直後に憲兵隊辺りが撮影した写真が掲載されました。
高橋是清は、軍刀で切り刻まれ、斎藤実は、蜂の巣!
記事には、この写真を当時の政治家に見せれば、軍に逆らう事など出来なかっただろうと!
反乱軍は、陸軍や海軍にも上手く利用された事は、明白ですが、その前に、事件を起こさなければ、違った日本に成っていたのでは?
おっしゃるとおりです。雪の日の義挙として、あるいは忌むべきテロとして語られる場合でも、青年将校への同情は大きい一方で、殺害された高官と警察官へのリスペクトは、歳月の経過とともに薄れていきます。被害者の遺族にとっての二・二六は永遠に「別の話」なのでしょう。
今回の動画ではそこまでの言及はできませんでしたが、私としては、襲われた側も襲った側も、どちらも「時代の殉難者」であったと感じています。(佐川)
同感ですね。遺族側のご心情への無配慮ぶりはもちろんのこと実利の面でも
経済政策に実績のあった是清が存命だったらと考えると損失の大きさは計り知れません。
東北の窮状を憂いての決起には同情しますが、一方で国内の食糧不足の解消を新天地(満州)に求めて外地への投資に回さざるを得なくなった政府の思惑も見当違いだったかとそうでもない。
青年将校らは辛抱強さも足りなければ情報不足による見通しの甘さで行動移すあたりどうかと思うというのが正直なところです。
斎藤実については水沢の墓が当家の区画に隣接してるため幼少期から馴染みがあります。東北の人なのにね。
安藤輝三の話はあちこちにあって彼の苦悩は有名だ。226の決起の本来の意味と違っている。
この時点でシビリアンコントロール効かない状態、無謀な真珠湾へ向かう
宇都宮高校の大正時代の退職者の履歴書がたまたま見つかるなんてものすごいですね。
あのときは栄次郎や輝三が助けてくれたのではないかと、運命的なものを感じました。資料に出てくる県の中には、父の栄次郎が行ってもいない埼玉県や熊本県が挙げられていて、無駄な照会を繰り返して空振りに終わっていた時期でした。活字になっているからといって信用できないということが骨身に沁みた調査でした。(佐川)
敬意を捧げます。
任侠、高倉健が最後に闘いに挑む姿に似ているなぁ
若殿に兜取られて負け戦さ...
北の洒脱な諦念のようなものが感じられますね。まあ、俺の人生はこんなものでよしとするか……。(佐川)
正義感が行き過ぎてしまった形で生涯は悲しい😢
2:24:15
めちゃめちゃ重要な事を仰ってる
歴史修正主義の様な、とんでもない言説が蔓延る昨今、我々は何故歴史を検証し、その事実と向き合う必要があるのか、今一度立ち止まって考えるべきだと感じる
そうなんですね。
私たち新日本婦人の会も県大会の会場に県立高校の体育館をお借りしていましたが、高校側に何百枚というFAXや電話が届きお借りする事が出来なくなりその後は各交流センターなどをお借りして行っています。コロナもあり今はリモートで行っていますが地元となり参加者が増えています。
あとは若返りすると良いですね。
佐川さんのお話は今の日本社会の向かう先についても示唆に富むもので、大変興味深かった。ただ、いつもは素晴らしい聴き手である高瀬さんが佐川さんの話をそこそこにすぐ半田さんに話を振るのが残念でした。言葉遣いにも、佐川さんの研究に対する敬意が今ひとつ感じられませんでした。
安藤輝三の人間関係を、ここで聴くと不思議に感じる。永田鉄山と秩父宮の関係。磯部と真崎甚三郎の関係。皮肉にも、鈴木の暗黙の助命、そして奥様からの連絡で、若き昭和の陛下が事件を知り、鎮圧になる。鎮圧に対して、阿南と親しい、満州の立役者の石原莞爾、マレーの虎の山下奉文と共に苦渋の決断。そして昭和の陛下の下にいた鈴木貫太郎と阿南惟幾が、終戦で対応する。
安藤輝三です(生まれ変り)
2.26決起を風化させたくないです。青年将校が求めた財閥解体、農地開放をGHQが簡単にやってしまいました。憂国烈士の称号が貰えると願います
天皇を美化することがいかにアホらしいかということですね。権力に侍ることで126代繋いでこられたのだと思います。
126代というのは神話です😡
美化したというより自身らを正当化する理由に最高権威を使った、が近い
この事件については図書館が1つできるくらい有名ですね
私は、安藤輝三の血を引く従甥です。今の状況を見ると裏金。賄賂。そして、一般国民の事を一切省みない、社稷また、非常に苦しい世帯が有るのに殆どサポートをしない行政。正にこの当時の状況と変わりません。この状況は、第二次世界大戦で亡くなられた、特攻隊の青年が望んだことなのでしょうか?私は、この血を引いているため、どうしてもrevolutionに動いてしまうのです・・・。じゃあどうすれば令和の226を起こせるのかというと・・・
力ではなく、選挙で自民党を壊滅させる。
これしか無いのかなと思います。
又、安藤輝三氏の事に関して詳しく掘り下げて下さったこと本当に嬉しく思います。
安藤輝三 従甥 安藤友隆(旧姓)
(佐川より) 安藤壽枝さんとはこれまでに何度もお会いしています。長兄の栄一さんか次兄徳一さんのお孫さんではないかと拝察いたします。徳一さんの方かな?
毎年2/26と7/12に麻布賢崇寺で午後1:00から法要があります。そこでお会いできれば嬉しい限りです。
@@仁-c5c 安藤壽枝さんは、私の父の、妹です。
長兄の安藤栄一(故)の孫に当たります。
朝日会計社の社長を務められた方です。
並び、神奈川大学の経済学教授でありました。
今年ですが、麻布の賢崇寺にて、仏心会※226事件関係者の集い※に参加してきました。安藤徳彰氏(安藤輝三大尉の甥)とは、lineで良くつながって居ります。私といたしましては、是非佐川氏にお会いしたく存じます。不思議な縁で、猶の事この様な深く掘り下げられ、且つ【安藤輝三】氏を、fanになって頂いたこと心から厚く御礼を申し上げ、キーボードの指を休ませたく存じます。
安藤輝三従甥 安藤友隆(旧姓)
新姓山岡友隆
@@仁-c5c 佐川様
壽枝さんは、私も何度か電話したり、その娘と、小さい頃よく遊んだりしてました。
安藤輝三大尉の血を一部でも、持つ身として、今の政治と226が起きた時代は、ほとんど変わって無いと推察します。
社稷を想う心無しと、昭和維新の歌にあるように、私は、安藤輝三大尉の血を一部引く身として、
何かを、起こさなければならないと考えてます。
力で抑えるのでもなく、首相官邸に内乱するのでもなく、選挙で
腐り切った、政党を叩き切る。
これしか無いと思います。
安藤輝三大尉の従甥
安藤友隆 旧姓
山岡友隆 新姓
(佐川) 壽枝さんにお問い合わせいただけば私の連絡先は分かると思います。
2月の法要終了後に、安藤家の関係者と私の4名で食事をしました。
次回はご一緒できそうですね。
@@仁-c5c 佐川様。私はお爺ちゃんの栄一の三男の冨士郎の息子です。
だからこそ、安藤輝三大尉に対して、思いが有るのです。然しながら、今の政治は腐りきってますし、昭和維新の歌に有る様に、【財閥富を誇れども、社稷を思う心無しー】と同じことが続いているのです。大企業の一部のモノだけが、利益を独り占めし、民を思う心なぞ全くない訳です。私といたしまして、令和の226を起こしたいと思います。かと言って力で起こすのではなく、【選挙で腐りきった政党を撃破し、国民が豊かになれる様戦う所存です。】
今の自衛隊には出来ないよな。
三島由紀夫が決起を呼び掛けたけど及び腰だったのと同じだよなぁ。
たかが右翼作家に煽られて決起するようでは国は守れない。三島があんなことしたのは作家として書けなくなっていたからで、巻き込まれなくて当たり前です。
結局、この事件により、日本の軍部ファッショ化の本格的なスタートでもあった。
という事ですけど、コメント見てると、なんか変で違和感があります。
バーデンバーデンはフランクフルトの郊外にある温泉地ですよ。
そうですね。バーデン=バーデンはヨーロッパ有数の温泉地で有名で、ローマ時代の浴場跡も残っています。
日本では1921年、永田鉄山、岡村寧次、小畑敬四郎、のバーデン=バーデンの密約で知られています。
都立小金井公園の高橋是清邸宅、2.26殺害現場、いまはカフェにもなって穏やかな時間が流れてます。
当時の陸軍は
どうすれば、良かったのだろうか
今、この腐った政治家がいる中でこういった青年将校がいないのが残念です。
何故226を起こしたのか?それを考えて行かないといけない!
2:26:22 このロジックが成り立つならどんなしょーもない理由でもテロの動機になります
ほんとうにそれ、皇道派も山上も言論によって政治を変えなければならない。無駄死にとまでは言わないが勿体無いことをしているだけ
2.26の実像 ありがとうございます。安藤大尉 昭和の楠正成です。
処刑は当然の結果
最近も自衛隊員が靖国に集団参拝しました。日米の軍事一体が進んでいます!近い将来同じことが起こるのではと危惧しています😡
ご視聴いただきありがとうございました。
★青年将校は厳しい競争倍率の試験を突破して幼年学校、士官学校に入った優秀な人たちでした。天皇への忠誠を刷り込まれて育ち、国難に際しては国のために命を捧げることを覚悟していました。だからこそ日本を何とかしたい、このままではダメだと考えたのでしょう。社会科学的な知識の欠如という当時の教育による欠陥はありましたが、世の中を良くしたいという思いには強いものがありました。
★でも今の自衛隊は同じでしょうか。防大を出ても任官拒否者が相当数出ますし、昨今報じられる海自の不祥事は、現在の自衛官には軍人(?)としての矜持が欠如していることを如実に示しています。国家を何とかしたいと真剣に考えること自体期待できないでしょう。
★また、幹部の質も兵の質も格段に違います。終戦時に陸士や幼年学校に在校していた人たちは、その後一般の学校にすすみましたが、大学教授、政治家、弁護士、医師、実業家などが多く出ています。今の防大生とはレベルが違いすぎます。兵にしても、二・二六の昭和11年ごろまでは、徴兵検査をうけて甲種合格となった者の中から抽籤で当たった者だけが入営するしくみでしたから、実際に軍務に服したのは徴兵検査受験者の20%でした。つまり同年代の中で健康で優秀な者しか入れず、ですから兵も軍務に就くことに誇りがもてたのです。現在は人集めに苦労しており、定員にはるかに及びません。いろいろな資格が取れると釣って、能力的には平均以下の若者を集めているのが実情だと思います。
★旧軍や青年将校を賛美しているのではありません。
一部の幹部が気取って靖国神社参拝をしてみたところで、そんなものはただのパフォーマンスに過ぎないと考えています。
★それよりも深刻に考えなければならないのは、防衛費の極端な増額や沖縄・南西諸島の基地化の強化、それにあなたのおっしゃった米軍との合同指揮といった政府の有事への過度の傾斜です。
しかもこれらは国会で十分な議論を尽くすことなく、閣議決定によって一方的に行われているケースが多いことに怒りを覚えます。アメリカに追随した日本の外交・防衛政策こそ真剣に考えるべき問題だろうと思います。
戦争の準備をするのではなく、戦争をしないで済む国際強調の道を外交で探っていくことこそ日本という国の歩むべき王道であろうと思います。
※長くなり失礼しました。(佐川)
あの時代の市民意識は、まだ民主化には程遠く、政治改革も天皇中心から離れることができなかったのは仕方がないのでしょう。・・・この後輩は、ゲストの意見を遮ってまでも傾聴する様な話ではなかったのが残念。
リリカルなのはストライカーズ
石破茂が言っていた。
実力ということでは自衛隊は日本で一番の実力を持つと言える。警察や機動隊も力ずくで自衛隊を抑えることは出来ない。
では、文民統制とはどのようにして成り立つのか?
それは為政者も自衛隊もお互いに法やルールを守っている、そして為政者も自衛隊も国民や国を守っているという信頼関係の上に成り立つ。
しかし為政者が自ら法を犯し、司法権も国税などの行政権もグルになってこれを正さないようなとき、権力が国民を食い物にしてると判断したとき、もし国民や自衛隊が「どうして我々だけ厳しい規律や法を守らねばならないのか?権力側が国民との社会契約を破るのだからこちらも言いなりになる必要はない」といって反乱を起こしたとき、「誰がそれを止めることが出来るんだ?」というようなことを言ってた。
「軍」というものがある限り、その問題はついて回りますね。といって「諸国民の信義と公正に信頼して」無防備になりきることもできない。反乱の問題は、要は構成員の意識にかかってくるという気がします。民主主義への信頼を学校教育の段階でしっかりと刷り込むよりないでしょう。
いまほど「信頼に足る政治」を取り戻す努力が必要とされている時代はないように思います。「為政者が自ら法を犯し……権力が国民を食い物にしてる」というような状態を国民自身の力で是正することが肝要。やはり次の国政選挙が重要ですね。ここで選択を誤れば日本は滅んでもおかしくないという気がします。
鈴木侍従長のくだりは安藤輝三を課題評価していると思う。曹長は下士官にすぎないので大尉である輝三の命令には絶対服従をしたはず。ベテランとはいえこの時代の下士官が勢い余って暴走したかの如き解釈はちがうかな。
え、二・二六事件の慰霊碑。渋谷にあるのですか。知りませんでした。ぜひ手を合わせに伺います。エリート将校たちが貧民のために立ち上がったのに、利用され、歴史が歪曲されてしまったように感じます。
日比谷高校100年会館に当時の高校生が登校時に遭遇した2.26事件の作文、日記が少し残っています。
2/26朝はほぼ全生徒が登校し、翌日からは教員だけが出勤したようですね。
電話の傍受記録が残っていて、学校に兵隊が来たことを知らせると外部との交信、酒とコップ6個とするめと塩豆を酒屋に注文したことなどが記録されています。作文と日記、一度拝見したいものです。(佐川)
自分は勉強が出来ません。
コメントが、その時代に生きている、当事者目線ではない、空虚な論ですね。226事件は、軍の政治屋の闇の産物。それを、解明するには、もっと、政治勢力の対立の視点からが、必要です。
愛子さま 赤十字就職。
また、公務員のアホな話が聞けた。
この時代に正義のために戦った人達
青年将校を悲劇扱いするのは止めろ。彼らがやったことは残虐なテロであり、これにより戦争が始まり多くの国民が亡くなった。
今の日本に
必要な
精神が
226や515の青年将校の精神だ