【ゆっくり解説】戦国最強の男!黒田官兵衛の意外な晩年!

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  • Опубліковано 12 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 51

  • @user-ponkotsukakumei
    @user-ponkotsukakumei Рік тому +8

    特に官兵衛だけという訳でもなく、
    蜂須賀氏も竹中氏も含めて
    創業の功臣と言っていい家は
    弟の秀長以外は誰も大領を
    与えられていない。

  • @yukizokin
    @yukizokin Рік тому +16

    これ、司馬遼太郎の播磨灘物語そのままですよね。小説紹介になってる。

  • @dewa1242
    @dewa1242 Рік тому +20

    優秀過ぎる家臣は主君から疎まれるのは今も昔も変わらないかもね

    • @おじ社畜
      @おじ社畜 Рік тому +5

      うむ。
      なので能ある鷹は爪を隠すものだ。

  • @いわこしかずひこ
    @いわこしかずひこ Рік тому +2

    軍師官兵衛にはまってDVD借りて全部見たわ面白かった

  • @正典高井
    @正典高井 7 місяців тому +1

    信長は恐れていなかったでしょうね。

  • @鶏肉のレモン和え
    @鶏肉のレモン和え Рік тому +9

    なぜ、左手で家康を刺さなかったのか?の台詞😱

  • @susa2439
    @susa2439 Рік тому +4

    吉川広家に宛てた手紙が面白い

  • @ch-ee5qg
    @ch-ee5qg Рік тому +3

    キリシタンでもあったんですよね。

  • @もぶえじ
    @もぶえじ Рік тому +7

    策略家である軍師は何時か自分を裏切らないかと心配になるが、一度裏切って帰参した前科者がいたな…徳川家に本多正信というw

  • @ほえほえ-w3x
    @ほえほえ-w3x Рік тому +7

    創作は官兵衛の黒い部分を抜き取っているので、結局、何をやったのかわからない人になっている。
    秀吉は明智光秀を倒して天下を取ったのではなく、織田家を乗っ取って天下をとったのであるが、本能寺の変後から織田信孝切腹、織田信雄との和睦に至る過程の官兵衛と秀吉は謀略の神としか言いようがない。

    • @gwdapwd16766
      @gwdapwd16766 Рік тому

      調略家ってイメージ悪いけどすごい人ですよね。
      松永久秀とか宇喜多直家もそうだけど

  • @youtuber-lz7kr
    @youtuber-lz7kr Місяць тому

    有能だと同僚はもちろん上司からすら疎まれるのはサラリーマンも同じ。
    人間関係にだけ長けた者が出世するのはいつの世も同じ。

  • @いさむ-c8t
    @いさむ-c8t Рік тому +2

    秀吉のことだから取り乱しているのも演技で官兵衛からの一言を待っていたのにその一言が
    「御運が開かれる機会が参りましたな」で秀吉も頭を抱えたかも。
    信長が生きていてこのことが信長の耳に入ろうものなら切腹ものですよ
    「直ちに京に帰還し大殿をお救いもうさん」だったら京に帰還する大義名分もできるし
    信長が生きていたしても言い訳もたちますし。
    秀吉からしたら頭のいいバカと思っていたのかな?
    近くに置いていると肝心な時に余計なことを言われたら困るということで遠ざけたのかな
    とも思います。

  • @名無しさん-x6r
    @名無しさん-x6r Рік тому +2

    日本の韓信が黒田如水だからねぇ。
    秀吉が警戒しても仕方ないよ。才覚溢れてたし・・・本人も秀吉存命中は全く動かなかったけどいなくなったら自分以上はいないと思って動き出したし。

  • @622c.lauper5
    @622c.lauper5 Рік тому

    天下人は 天が決める😄
    どんな状況になっても 黒田が天下人にはなってなかったでしょうね😅
    戦国時代は 黒田を含めて 凄い武将は 沢山いた。その中で 三英傑が 天下人として名を残せたか😄
    黒田官兵衛は 好きな武将の1人です✨

  • @正典高井
    @正典高井 7 місяців тому

    戦国最強と称せられる男は、寝返った荒木村重の元へ単身ノコノコでかけて行って捕らえられるようなヘマはしないもの
    挙げ句の果てに、罪も無い息子を処刑される羽目になる。
    それを全て(信長をも)救ったのが
    竹中半兵衛重治
    ゆえに彼が真の
    戦国最強武将。

  • @phoenixgold3593
    @phoenixgold3593 Рік тому

    天才的な発想と頭の回転の速さは認めます。中国大返しは今あるものを最大限利用しただろうが事前の準備やプランニングがそれなりに必要では?「秀吉様、運が開けてまいりましたな。天下をおとりなされ」ここまで瞬時に言えるものなのか。戦国なので常にいろんなケースを考えてはいただろうがね。個人的には、朝廷から打診があって「信長殺し」はかなり可能性が高いと踏み準備はしていたのではと思います。「信長討たれる」を知った瞬間「やるか」と即座に決断したでしょうな。朝廷が秀吉を後釜にするのもそこそこ知っていたはずですよ。さて、どうでしょうか?

  • @舞妓-u2d
    @舞妓-u2d Рік тому +1

    秀吉はある時、気づいちゃった。本能寺の変、つまり明智光秀が動くよう裏で操っていたのが黒田官兵衛であると。『 殿、ご運が開ましたな 』官兵衛のあの言葉、そういうロジックであったか… 秀吉の頭の中でジグソーパズルのピースが完全に埋まり、こう思った筈だ。官兵衛に俺もいつかブッ◯されると

  • @金澤華
    @金澤華 Рік тому +15

    司馬史観でヨイショされ過ぎた

    • @gwdapwd16766
      @gwdapwd16766 Рік тому +1

      司馬遼太郎ってあれだけ近現代史で合理主義貫いてるのに戦国時代はコテコテ大阪人の感情論で豊臣大名推してるの草

  • @アフロレイ-e3m
    @アフロレイ-e3m Рік тому +7

    戦国で官兵衛が1番好きな武将だけど、豊前で排除されたのって直接のご先祖じゃないけど同族なんだよな〜😂

  • @松村和幸-n2c
    @松村和幸-n2c Рік тому +4

    1コメ
    今回の大河ドラマで 官兵衛役を誰がやるか、楽しみですね。
    岡田君が 信長役 だし。

    • @金澤華
      @金澤華 Рік тому +2

      無視するかナントカ官兵衛というナレーションで済ませるのでは
      本能寺で腹切った直後に転生してムロ秀吉の前に「運が開けましたゾー」したらコメディーとしては面白い

  • @祭りおバカ
    @祭りおバカ Рік тому +2

    姫路者からにしたら秀吉…
    いらん事しやがって!ですね豊前に国替えしやがって
    職隆さんの墓は姫路妻鹿にあるのに
    ほんと官兵衛が謀反してれば確実に天下を取ってたのに

  • @やまだたろう-u9p
    @やまだたろう-u9p Рік тому +5

    家康が天下人になるのがほぼ決まってから、それに取って代わろうとしたのは官兵衛と伊達政宗ぐらいだね 
    その二人が合体してれば家康に取って代われたかも

  • @お気楽ご酒楽
    @お気楽ご酒楽 9 місяців тому

    官兵衛は評価が難しい………本当に難しい……後年坂本龍馬みたく実はさほど影響力ありませんでした…になる可能性はある。それでも95点が85点になる感じだけど……幸村と同じで美化された形跡があるからなぁ

  • @matukawatositane
    @matukawatositane Рік тому +3

    家康は西国大名とほとんど縁が無かったけど、黒田とは小田原開城の時に縁が出来たんやっけ?

    • @SMK皇帝ファントム陛下Japan
      @SMK皇帝ファントム陛下Japan Рік тому +1

      いや恐らく
      小牧長久手の講和の時に書状とか送ってるので
      多分その辺りから親交を深め
      会うこととかもしてそう

    • @もぶえじ
      @もぶえじ Рік тому +1

      本多正信が徳川家に帰参した時期が本能寺の変の頃だとしたら同じ策略家(軍師)として黒田官兵衛に一目置いていたと考えても無理はない。当時は優秀な武将には敬意を払う風習があり、例えば本多忠勝は小田原征伐の頃から島津義弘や立花宗茂を評価しているし。

    • @matukawatositane
      @matukawatositane Рік тому +1

      @@SMK皇帝ファントム陛下Japan となると家康の豊臣政権に対する臣従後には親交があったか

    • @matukawatositane
      @matukawatositane Рік тому

      @@もぶえじ 貴方はロマンチストですな

  • @こうそくしんこう
    @こうそくしんこう Рік тому +2

    息子の長政に最終勝利作戦のことを関ケ原参戦前に伝えておいて
    「本気で戦うな(実際は本気で戦って大活躍)、パワーバランスは守れ(守っていない)、小早川様(小早川秀秋)らは中立で戦わないでもらいなさい(積極的に小早川秀秋を誘って寝返りを誘発している)」とだけ伝えておけば
    「長期戦になって家康側が辛勝した直後に息子長政を含む豊臣恩顧の福島殿(福島正則)らを誘って家康を叩いて最終勝利だ」と具体的に伝えておけば、如水が援軍に来て最終勝利作戦を実行して終わりかな
    プレステ2の決戦買ってプレイして播磨決戦があるけど、関ケ原(山中?)で家康滅亡の第2戦があっただけなんじゃないかな

  • @超速モンキー
    @超速モンキー Рік тому

    福岡県と言う県名が現在でもあるのはこの人が居たから!

  • @SMK皇帝ファントム陛下Japan

    官兵衛が明智家に仕えていたら
    光秀はあんな死に方しなかった
    官兵衛さえいればなく😢

  • @フレアトマス
    @フレアトマス Рік тому

    信長は恐れてなかったろうな、家臣の与力程度だから。秀吉は恐れたろうが立場的にマウント取れるから家康程じゃなかったろう。家康からすれば関ヶ原の際に官兵衛は九州に居たし、ほぼ天下取った状況だったし息子の首根っこ捕まえてるから問題無いし、恐れる理由無し

  • @asuna795
    @asuna795 Рік тому +1

    昔は忠臣の権化みたいな扱いだったのに、地元福岡の大学が島津の「家康が遅れた男!」みたいなキャッチフレーズを欲しがった結果、いっつも反逆しようとしてるのにしない変なおっさんにされた黒田さん…。

  • @DOGCAT1000BUSHO
    @DOGCAT1000BUSHO Рік тому +8

    秀吉が普通に官兵衛を評価し、疑いなく接していれば豊臣秀頼の時代があった気も…

    • @matukawatositane
      @matukawatositane Рік тому +1

      結局、慶長争乱時におけるくわんぴょうえ殿の九州での活躍は実質の豊臣公儀である家康に許可を取る形だからなぁ…

  • @KazunariKawashima
    @KazunariKawashima Рік тому +2

    柴田の「北陸大返し」の方が時速が速く、長距離、到着日時も早い と記録ががある!
    それでも、秀吉は「中国大返し」が凄いのは、かく乱・調略をし、即準備の速攻、、、この同時並行は当時の通信時術を考えると神業レベルをやっているよな!

    • @yoshihironishida2540
      @yoshihironishida2540 Рік тому +1

      丁度真ん中にある姫路は官兵衛の出生地だからね。
      元々、準備はしてあったのでは?と思うよ。
      また、堺の武器商人とは昔からの付き合いあるし、人だけ動かして、、、いや、もしかしたら早馬で上だけ動いて、姫路から待機してた兵出したのでは?とも思うけど。
      武器は堺から戦場直前で受け取って。
      あの距離、重装備で走らせたら兵は使い物にならないかと。

  • @SMK皇帝ファントム陛下Japan

    官兵衛本当好きだわ〜
    官兵衛と半兵衛と秀長あっての秀吉特に官兵衛のおかげで天下人になれた

  • @paulieys8282
    @paulieys8282 Рік тому

    山崎の戦いは一応総大将信孝でしょ
    実質的な総大将で指揮を取っていたのは秀吉だったけど形上は間違いなく信孝が総大将

  • @信博平林
    @信博平林 Рік тому

    黒田官兵衛地味だろ

  • @なる-k4j
    @なる-k4j Рік тому +7

    創作物ではなく史実の紹介してほしい

    • @ほえほえ-w3x
      @ほえほえ-w3x Рік тому

      史実の官兵衛は闇過ぎて紹介できんだろ。足利義昭の側室を拉致したことに始まって(以下略)・・・・

  • @munetika2
    @munetika2 Рік тому +1

    親子で凄いわ

  • @コスコス-t2g
    @コスコス-t2g Рік тому

    真田昌幸、幸村も同じように三英傑にちゅうもくされてましたね。どうする家康ではだれが官兵衛を演じるだろう

  • @インターライフ-l4d
    @インターライフ-l4d Рік тому +3

    私は真田信繁だと思います。
    何故なら上野の国の小国大名でありながら名だたる戦国大名を苦しめ、
    大阪冬の陣まで生き延びた名将と言って間違いないかと思います。