聖書が教えるサタン(悪魔)と悪霊/三綿 直人【なるほどTheBibleシリーズ57】

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  • Опубліковано 14 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 18

  • @kaijoken8
    @kaijoken8 Рік тому +3

    いい結びでした。
    私は、毎日毎日、寝る時には、先生のUA-camをラジオがわりにかけながら眠りについています。だから、破染のところは何度も聞いていますが、最後のところは寝てしまって聞いてません😅
    今度は、昼間しっかり聞こうと思います😊

  • @市原教孝
    @市原教孝 Рік тому +3

    敵対する者にも自由意思。イエスキリストの十字架と復活で示した神の愛と権威。黙示録に書いてある神の勝利。
    希望が持てました。(途中、不安でしたけど。)福音、ありがとうございます。

  • @カトリーナ-v8v
    @カトリーナ-v8v 9 місяців тому +2

    クリスチャンですけど、私もこの疑念を持っていました。丁寧に答えていただいてありがとうございました。そして、自分のご意見からじゃなくて、聖書自体から説明していただいて感謝します💕。なぜ悪が存在するのかという結局的な答えは分からなくても、神様に信頼できますよね。イザヤ55:8-9はこう言っています。「私の思いは、あなたがたの思いよりと異なり、あなたがたの道は、私の道と異なるからだ。―主の言葉―天が地よりも高いように、私の道はあなたがたの道よりも高く、私の思いはあなたがたの思いよりも高い。」
    「何で、神様?」とモヤモヤする時に、この言葉がいつも私に安心を与えてくださいます。
    このビデオをシェアしてくださってありがとうございました!役に立ちます!❤止めないでくださいね!🙂

    • @gfpofficial
      @gfpofficial  9 місяців тому +3

      励ましのコメント、ありがとうございます。聖書から逸脱しないようにメッセージをお届けしたいと願っていますので、応援、よろしくお願いします!

  • @まる-e3h1p
    @まる-e3h1p Рік тому +5

    天使(サタン)が反逆して人間を誘惑→人間の選択(選択による愛)→神を選ばなかった人間ですが神が人間を救う選択という事を知り
    私達に自由意志を与えてくださり私がまだ暗闇にいる時にも何を選ぼうが主は変わらず私達をお選びになり愛されておれれる事に想像出来ない深い愛を感じました。
    滅ぼされて当然の私達にひとり子をお与えになる神の愛は完全ですアーメン。
    いつも素晴らしいメッセージを教えてくださり感謝します。また質問してくださった方にも感謝します。

  • @菊地ピリポ
    @菊地ピリポ Рік тому +2

    「知る」「知りたい」と思う事は、良い事だとずっと思ってきました…。それは向上心…である…と。
    でも…
    それって…もしかしたら、とても危険な事なのかなぁ…と感じたりします…。
    人は…神さま、イエスさまの事、その人智を遥かに超えた愛……を「知る」ので、精一杯なんじゃないだろうか……って……。

  • @まるさくら-b3d
    @まるさくら-b3d Рік тому +5

    聖書に書いてないので解らない。正直に答えて下さりありがとう御座います。当に信仰であり、ローマ8章28節ですね。既に勝利されている事をもっと深く喜びたいと思いました。

    • @ミツバチ-v8r
      @ミツバチ-v8r 6 місяців тому

      (終わりの日における神の裁きの働きを受け入れないことの結果と結末)
      終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。人はこの真理を通していのちを得ることができ、この真理を通してのみ、神を知り、神に良しと認められる。
       終わりの日のキリストが与えるいのちの道を求めないなら、あなたは決してイエスに良しと認められず、天国の門をくぐる資格も得られない。なぜなら、あなたは歴史の操り人形であり、歴史に囚われた人だからである。
       規則や文字に支配され、歴史に束縛される者は、決していのちを得ることができず、永遠のいのちの道も得られない。と言うのも、彼らがもっているのはどれも、玉座から流れるいのちの水ではなく、何千年も執着してきた汚水だからである。いのちの水を施されない者は永遠に死体であり、サタンの玩具であり、地獄の子である。そのような者がどうして神を目にできようか。
       ひたすら過去にしがみつき、足踏みしながら現状を維持しようとし、現状を変えて歴史を棄てようとしないなら、あなたは絶えず神に反することになるのではないか。神の働きの歩みは、押し寄せる波や轟く雷鳴のごとく広大で力強い。それでも、あなたは自分の愚かさに固執して何もしないまま、座して滅びを待っている。
       このままで、あなたは小羊の足跡に従う者だと見なされようか。あなたが神として固執するものが、常にあたらしく古びない神だと正当化できようか。あなたの黄ばんだ本の言葉があなたを新しい時代に運んでくれることがあろうか。神の働きの歩みをたどれるよう導いてくれようか。そして、それらがあなたを天国に引き上げられるだろうか。
       あなたがその手でつかんでいる物は、つかの間の慰めを与えられる文字でしかなく、いのちを与えられる真理ではない。あなたが読む聖句は、あなたの舌を肥やせるだけで、あなたが人生を知るうえで助けとなる知恵の言葉ではなく、ましてやあなたを完全にするよう導く道などではない。この食い違いを見て、あなたはよく考えてみようとは思わないのか。
       そこに含まれる奥義をあなたに理解させることはないのか。あなたは、自分で自分を天に引き上げ、神に会わせることができるのか。神が来なくても、あなたは自らを天に引き上げ、神と共に家族の幸福を楽しむことができるのか。あなたはいまだに夢を見ているのか。それなら、わたしは勧める。夢を見るのを止めよ。
       今働いているのが誰かを見よ。今、終わりの日に人を救う働きをしているのが誰かを見よ。そうしなければ、あなたが真理を得ることは決してなく、いのちを得ることも決してない。
      『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」
      主イエスが人類を贖ったにもかかわらず、神が終わりの日に裁きの働きを依然行う必要があるのはなぜか
      参考聖書箇所:
      「すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない」(ヘブル人への手紙 12:14)
      「よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる」(ヨハネによる福音書 8:34-35)
      「キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである」(ヘブル人への手紙 9:28)
      「たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう」(ヨハネによる福音書 12:47-48)
      (全能神の終わりの日のキリストの御言葉)
      あなたは終わりの日にイエスが降臨することだけは知っているが、正確にはどのように降臨するのだろうか。あなたがたのように贖われたばかりで、まだ変えられておらず、神に完全にされてもいない罪人が、神の心に適うだろうか。
      古い自我を持ったままのあなたは、イエスによって救われたのは事実であり、神の救いのおかげで罪人とは見なされなくなったが、これは、あなたには罪や汚れがないという証拠ではない。変えられないままであれば、あなたはどうして聖いものとなれるのか。
      内側では、あなたは汚れに満ち、自分勝手で卑劣であるにもかかわらず、イエスと共に降臨することを望む――あなたはそこまで幸運ではない。あなたは神を信じる上での段階を一つ見落としている――あなたは単に罪から贖われただけで、変えられてはいないのである。
      あなたが神の心に適うためには、神が自らあなたを変えて清める働きをしなければならない。もしあなたが罪から贖われただけなら、聖さを得ることはできない。このように、あなたは、神が人を経営する働きの一段階、つまり変えられて完全にされるという重要な段階を逸したために、神の良き祝福を共有する資格はないであろう。
      よって、贖われたばかりの罪人であるあなたは、直接神の嗣業を受け継ぐことはできないのである。
      『言葉は肉において現れる』の「呼び名と身分について」より引用

  • @kalamansi2k6
    @kalamansi2k6 Рік тому +5

    今回のテーマ 「サタン」とても重く難しくなります。
    何故なら、直人兄もおっしゃってましたが、サタンに
    ついての記述があまり無いということです。
    私に分かるヒントがあるとしら、第二コリント12:7
    一般に使徒パウロには目の病があった?などと類推
    させられている割りと有名な聖句です。
    そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つ
    のとげが与えられた。それは、高慢にならないように、
    わたしを打つサタンの使なのである。
    この聖句から見えてくるものは、悪魔=高慢 であり
    人類がその高慢を完全に駆逐できた時にサタンや悪霊
    はアビスもしくはタータラスに投げ落とされること
    になると考えられます。
    ヨブさんに近づいたことも、ヨブ記29章に垣間見られる
    ヨブさんの高慢な気質をサタンが先に見抜いていて
    そのウィークポイントが責められたと言ったら言い過ぎ
    でしょうか?
    まだまだ人類は自己中や高慢さに苦しむ事とは思いますが
    一日も早く私も含めて神と和解できますようにと祈ります。
    In Christ Alone 良い賛美に感謝です。

  • @白川光一-c3s
    @白川光一-c3s Рік тому +2

    神は天使にも人にも同じく自由意識を与えていて、罪を犯せば、同じく罰するので、これこそ愛だと私は思います。天使は人より力があり、直接神と接する機会があるにもかかわらず、神に叛く故、地獄行きの片道しか無いと信じています。我々人間は元々天使より後に作られて、神と接する機会もあったけれど、誘惑により罪を犯したので、天使長だったサタンと違うのはそこだと思います。なので、人間には神の用意したイエスという救い方が残されていたと考えます。けど、サタンはあの手この手で、地獄に引きずり下ろしたかっています。神様は愛があり、正義を執行するお方ですので、イエスの前は預言者、イエスの後は使徒、聖書、我々信者を用意しているのであって、神は誰一人人に地獄に落ちて欲しく無いが為、審判の時まで待っていると思います。しかし、その代わり、サタンにとって、言い訳にならないように、犯せる罪を犯させ、審判の時になれば裁こうしているのでは無いかと思います。確かに聖書に答えは書いてなかったが、神様の性質から考えるとこういう憶測でもいいのでは無いでしょうか。

  • @kaijoken8
    @kaijoken8 Рік тому +3

    こんにちは。いつも、ありがとうございます😊
    質問お願いします。
    旧約には預言者が何人かいます。でも、みな、人に殺されていますよね。神様の仕事をして殺されていたのでは、割に合わないと思うのです。
    それならばなぜ、神様は直接、王とか、民に言わなかったのでしょう?その方が、良く聞くのではないでしょうか?殺される預言者がかわいそうで仕方ありますん。
    新約のパプテスマのヨハネもそうですよね。
    んーー😐
    わからん。。

  • @hkmr6137
    @hkmr6137 4 місяці тому

    神は一息で悪魔サタンを殺すことができますが、まだ救いを得ていない人、神の良い知らせ、福音を信じた者に永遠の命を与えたいと忍耐をもって待ち望んでおられるのかも😅

  • @キリン-r9q
    @キリン-r9q Рік тому

    神が存在するならルールを守っているだけだと思います。つまり悪魔も神が定めたルールの中で活動しているということです。
    神がなんでも自由にできるなら、人間として生まれてきて十字架で死ぬなんてことをわざわざする必要はないと思います。
    助けを求める人間に対して神が物理的に介入して助けないのもルールを守っているからでしょう。
    もし物理的に助けてもいいならこの世界に難病で苦しむクリスチャンはいなくなります。
    しかしそうなれば医学の進歩もなくなります。そして人間はなんの努力もしなくなるでしょう。

  • @iwao4141
    @iwao4141 Рік тому +2

    初めからリンゴを置くなよ。

    • @とりこ-t5v
      @とりこ-t5v 9 місяців тому +2

      それは、たとえの表現で、果物のリンゴじゃないですよ