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枕草子、わかりやすい文章でも更に深い意味が隠されているという事で、最近になって知った解釈。「春はあけぼの」から始まる有名な段。「紫だちたる雲の細くたなびきたる」は紫雲=中宮のことを表し定子の素晴らしさを寿いでいる、のだそう。宝探しを1000年経っても続けられるってすごいことですね!
定子は、母高階貴子の文才、漢学の知識(当時は男性の学問だったそうです)を持つ知性と教養溢れる女性で、華やかで明るい彼女の後宮は開放的で人気があったそうです。初め緊張していた清少納言を心に掛け、緊張を解き和ませるような心遣いのできる人でもあったそうです。そういう環境下、清少納言も徐々に、彼女本来の機知に富んだやり取りを定子と行えるように変わっていきます。定子は、清少納言にとっては単なる主ではなく信奉する素晴らしい方であるので、父の若い急死や兄の左遷で不遇になった彼女、そして二人の子供を残し出産で亡くなった彼女を何としても記憶に留め、後の世に広めたいという使命感に清少納言は駆られていたと感じます。定子の都度重なる不幸に屈せず、定子に少しでも明るい気持ちになって欲しいと願った当時の気持ちを忘れないよう書き留めたものが”枕草子”であり、清少納言の強い意志を感じます。平安時代の女性は、政治の駒として利用されるだけの存在と勝手に思い込んでいたので、こういう生涯の中でも精一杯自分らしく自分の個性を活かして生きた人がいたこと、それでも宿命とも言うべき周り合わせのために不幸な最期を迎えてしまった哀しさも同時に感じます。
一条天皇の詠歌は道長が彰子に向けて詠んだと解釈天皇に近しく使えた行成が定子に向けて詠んだとしていますよね聴き取った歌の文字が少し違うことによって解釈してが変わるのですが定子の歌への返歌だぞー道長って思っております
「サダコ」といえば「リング」だったのが、この大河でイメージが変わりそう😅解説ありがとうございます
伊周さん、定子さんとも、才気溢れる割には、行動がエキセントリックというか直情的ですね。言えば周りがなんとかしてくれる 、やっちゃえば後始末は下の者がなんとかしてくれる、そんな感想です。うまく行けば歴史や伝統に大きな貢献をして賞賛を受けるし、拙ければドン引きされて誰も助けてくれなくなる。武士道さんの今回のお話で定子さんの理解が進みました。お礼申し上げるでござる👏
高校の時の古文教材で雪山のエピソードを見た記憶があります。そこでは清少納言が賭けに一人勝ちすることで周りから反感を買うことがないように定子は雪山を崩したという解説があったような…本当のことは本人たちしかわからないですけどね
その発想はなかった…
興味深いです。古典は正直学校で苦手でした。でもこのチャンネルで動画をみていて、感情移入できるようになり、楽しいです❤ ありがとうございます✨
穢れの概念は、喪中の神社への初詣は疎まれるという現代の風習に続く名残なのでしょうね。
他の方も書かれていますが、雪山事件は、清少納言が才女で普段から目立ち過ぎるのでこの辺でちょっと鼻っ柱を折って周りからの反感やヤッカミを和らげようとした中宮の思いやりらしいです。紫式部も清少納言のことを「才能や知識をひらけかす嫌味な女」と悪く言っていましたしね。中宮は道長から位をはく奪されたり住む場所を屈辱的な場所に移動させられたり相当な嫌がらせを受けていました。清少納言はそのようなことは一切記録せず中宮のサロンの楽しかったことだけを見事に描き切っています。それだけ中宮は素晴らしい方だったのだと思います。気が強い、というのは私としては少し違うかな、と思います。
原文だけでは清少納言がひたすら悔しがって終わるので、その思いやりは汲み取れなかったなぁ。
定子との雪の話は香炉峰は御簾を掲げての話でしょうか?学生時代の、古文が懐かしいですw
これだけ愛されてみたいなあと思います。ある意味羨ましい。
大変分かりやすいです😆
ありがとうございます。『枕草子』は積読数十年ですが、読もうと思いました。
雪山事件は定子の優しさを感じます。このような時こんなにあっさり手の内を晒すのは優しさ以外の何者でもありません。 意地悪な人は絶対話してくれません。ニヤニヤさえしません。
これまで色々な動画を見て、一条天皇にとってナンバー1は定子、彰子は頑張ったけどナンバー2、の様な印象を持ってました。しかしながら、定子は一条天皇の愛を繋ぎ止めたけど、下に使える貴族達の心象を物凄く悪くしましたね。そういう考えに至らない所は浅はかだと思わざるを得ません。定子といい伊周といい、道隆一族は、やる事なす事、自分達の栄光にこだわって、周りからどう見られるか?全く考えられない人たちだったと思います。だから道長一族に取って代わられたのだと思います。ですが道長の息子頼通も女子に恵まれず、後が続かなかったことを考えると、摂関政治なんて所詮長続きしない危なっかしい政策だったのだなあとつくづく思います。
漠然とした印象だと平安=藤原摂関政治の時代みたいな感覚を持っていたのですが、実際には兼家以前までは他氏排斥は完了してなくて花山天皇退位の謀略によってかろうじて築き上げた不安定な権力だったのかなと考えるとこの時代を見る視点が覆されますね。道長・頼通を最後に⇨天皇親政+遙任国司中下級貴族層の結びつき⇨院政+近臣たちのようにより強固で安定した政治体制に転換していったのも時代のながれと言いますか、妥当なものに思えます。
道長も彰子が皇子を産まなけれは権力を完全にはものに出来なかったですからねじつは彰子が皇子を産む前に二人の女性(定子の妹の御匣殿と女御藤原元子)が一条天皇の子供を身籠っていてどちらかが皇子を産んだらそちらが東宮になりかねなかった特に元子は父親が大臣で一条天皇も元子を寵愛していたのでかなり危うかったと思います
中関白家は、悲運としかいいようがないですねその真反対が、道長。第11回放送で、道隆ファミリーが登場しましたが、安倍晴明の定子を見つめる目つきが、定子の悲運を暗示してる印象を感じました。切なかったですね
伊周への態度も含めて宴の時のユースケ・サンタマリアさんの存在感!!!その後の悲劇を感じましたね。
えぇっ⁉️ そうですか❓ 晴明がジーっと見つめたのは、悲劇を暗示しているのですか? 三郎をもジーっと見つめていたのだそうですってね。ということは、三郎も定子も 将来 高い位置に就くと霊感が働いたからなのでは❓
安倍晴明の定子を見つめる目つきが暗示…なるほどですね!😁コメ欄の皆さんの意見も参考に視聴してみるわ😄
@@AF-zq6lnいよいよ、高畑充希さんの登場、今後の描かれ方、興味深いです(今回は帝とは、親子のような感じにみえました)
@@owyd2236帝とは3歳差らしいけど どう見ても親子ですよね
文献を読んだ訳ではなく武士道さんの解説を拝聴しただけなので、全く想像のみなのですが、定子は一条天皇よりも歳上ですし、しっかり者の所謂姉さん女房だったのかもしれないと思いました。定子こそ男子だったらまた違っていたのかも。彰子の立后も一族の没落も悔しかったでしょうね。だからこそ土の中から草葉の露となって世の中を見届けたかったのかもと。そう考えると、一条天皇の辞世の歌の「君」はやはり定子かなと思います。一緒に煙になりたかったでしょうに。
定子が「草葉の露をそれとながめよ」と遺詠で詠んでいるのを承知の上で、一条天皇が「露の身の・・・」と自らの崩御に際して詠んだのは明らかに定子を意識していると思いますね。
ありがとうございます❣️私も露でかけてあると思いました。
@@naohiraga こちらこそあがとうございます。一条天皇が遺詠で定子に返歌している感じですね。
一条天皇は死んでも定子命だったみたいで彰子様がかわいそうすぎる。
さささささ
一条帝の辞世の歌は道長や彰子のいない所で残して道長は下のくを改ざんしているでしょう 定子皇后はキッパリ一度一条帝と離縁しているのに無理に引きもどされそれだけ一条帝の愛は強かったなでないではまた露とかけているでしょう⁇
一条天皇の詠の答え合わせが出来たような気がして泣ける
何年か前に読んだのでうろ覚えですが雪山事件は定子さんが私に勝ってはいけません。私が中宮だから分をわきまえなければなりませんとか言っていたように思います。本が色々あるので本によって違うのかも知れません。つまり取引先社長と接待ゴルフ日曜日行き、社長に気遣いをせずにホールインワンを連発してしまった様な漢字かなと思いました。本によっては、春は曙からは始まっていないとか。
定子に向けて書いたかな。露とか定子が歌に書いていたし土葬の定子に天皇が😢塵とかいてる
第13回から成長した定子の活躍が楽しみ
一条天皇、定子、彰子はいとこ同士ですよね?
皆、親が藤原兼家の子供なのでいとこ同士です。😮
藤原定子は、清少納言が自身過剰になって、他の女官たちに嫌われないよう、雪山を片付けたのでは?清少納言よりずっと年下なのに、思慮深く、それでいて明るく、今の中、高生なら、クラスで一番人気女子でしょう。
天皇が退位しても、その妻が皇后であり続けられるというシステムがよくわかりません。円融天皇は退位して法皇になったのに、妻ののぶこさん?が皇后であり続けたのは??です。昭和天皇が亡くなったあと奥様は皇太后になったと思うのですが。
皇子が生まれても、親王宣下がなければ親王になれないように、おそらく当時の地位の変遷は、すべて手続きが必要だったのだと思われます。新天皇が即位すると自動的に后妃の呼び方が変わったり、天皇の子や孫に生まれると自動的に親王宣下される現代の方が、むしろ簡略化されているというべきかもしれません。
系譜に興味無いと辛い大河。解説一緒に見ようでなんとか見れてる。でも知らなかったら知れて新鮮かな
穢れと言う言葉がよく出てくるとともに揉み消したり禁忌を無視する描写もあるように見えます、実は貴族の一部の人は内心では迷信だと思ってたりしたんですかね、
11:18ノーカウントなんだっ..!この勝負はっ..........!
定子の遺詠に草葉の露と表現されていて、一条天皇の詠にも露って表現されてるから「君」は定子の事なんじゃないかな~と推測😊
武士道さん全ての視聴者のコメントを評価して否定しないで頂き、誠に有難うございます。定子が土葬を望んだのは公卿達に抗議していたのかな?と思いました。出家した定子をごり押しして内裏に入れさせたのは一条天皇ですから、定子が我儘だったというより一条天皇がKYだったのだと思います。定子に責任押し付けるのもどうよ?と思いました。
一条天皇が定子と会えなければ退位すると悲しげに言われるので仕方なく天皇の母親が内裏に戻るように勧めたらしい
翁丸のエピソードが好きだよぉ〜😍💕「上にさぶらふ御猫は」だったっけ?
命婦のおとどちゃんという猫ですねー
今回の動画を拝見して、定子さんは前例や社会的慣習を重視せず自分のやりたいようにやってしまう点で兄妹の伊周と結構似ているんだなと気がつかされました。現在の日本は前例踏襲主義から抜け出して効率化を進めないといけない時代局面なので、彼女達が一概に悪いとも私は思えないのですが、当時は日記記録の隆盛に見られるように「しっかりした社会的ルールを定めようとしていた時期」だったようなので、特に批判が集まったのかなとも思いました。しかし中関白家、珍しいくらい自由奔放な家風だったんですかね。。政治的トップに立った以上は反発を受けるのはやむを得ないですね。
当時の中関白家も世の中から批判を受けていたなら、まるで今のA家みたい。
いつもありがとうございます。雪山の話、とても面白く聞かせて頂きました。定子はちょっと子どもっぽいところもあったのでしょうか。ところで四后並立について教えて頂きたいのですが、一条天皇が即位したときに、なぜ遵子が皇太后にならなかったのでしょうか。現役の天皇の正妻でなくなったのに皇后というのは違和感があります。
いつも興味深く動画を拝見しています。ただ今回に関しては、なんだか定子様がわがままで気が強い、性格が悪いオンナ、のような印象を与える解説で、ちょっと残念…。確かにそんな見方もあるのかもしれませんが、清少納言たちが、ちょっと鈍臭くて要領の悪い男性、生昌の悪口を言って嗤っていたら、「そんなことを言うものではありませんよ」とたしなめたことが、枕草子「大進生昌が家に」の段で書かれています。また、雪山の件についても、本当に一介の女房に過ぎない清少納言に負けたくなかったのなら、自ら捨てさせたことを明かさないのではないでしょうか。なぜ清少納言が憧憬を捧げ、一条天皇が世間を敵に回しても傍らから離さなかったのか、それがもっと伝われば、と思います。
「定子」が「ていし」ではなくて「さだこ」読み。「彰子」が「あきこ」ではなく「しょうし」読み……なんで?めちゃ気になる…
あきこというと一条天皇の母である詮子もあきこで単純にややこしいからわざと呼び分けているのではないですか?
@@yayoia8017にゃるほど!定子も「ていし」読みの方が馴染むなぁ…でも実際、当時の人々はどんなふうに発音して呼んでたんでしょうね…タイムマシンで平安時代に行けても、おそらく外国語のように聞こえるんだろなぁ✨✨
@@ニャンコスキー-w3c 学校の歴史や国語だとそう教わりますからね。個人的には日本文学を学んでいるので歴史的仮名遣いなどは発音、話していたか気になります。
スゴイショックだった。今回はファーストサマーウイカの清少納言を筆頭にキャスティングがよい。でも定子のこのキャストはない。定子はとにかく美しい人だったらしい。いかにも事務所ゴリオシみたいな感じがする。瀧内公美と逆だったほうがよかったかも。定子は清少納言を気に入ってたらしい。「香炉峰の雪はいかならん」のエピはあるのかなあ。
定子、あんまり性格よくないなあ。まあ、図太くないと宮廷では生きていけないからしょうがないのかも。
枕草子、わかりやすい文章でも更に深い意味が隠されているという事で、最近になって知った解釈。
「春はあけぼの」から始まる有名な段。
「紫だちたる雲の細くたなびきたる」は紫雲=中宮のことを表し定子の素晴らしさを寿いでいる、のだそう。
宝探しを1000年経っても続けられるってすごいことですね!
定子は、母高階貴子の文才、漢学の知識(当時は男性の学問だったそうです)を持つ知性と教養溢れる女性で、華やかで明るい彼女の後宮は開放的で人気があったそうです。初め緊張していた清少納言を心に掛け、緊張を解き和ませるような心遣いのできる人でもあったそうです。そういう環境下、清少納言も徐々に、彼女本来の機知に富んだやり取りを定子と行えるように変わっていきます。
定子は、清少納言にとっては単なる主ではなく信奉する素晴らしい方であるので、父の若い急死や兄の左遷で不遇になった彼女、そして二人の子供を残し出産で亡くなった彼女を何としても記憶に留め、後の世に広めたいという使命感に清少納言は駆られていたと感じます。定子の都度重なる不幸に屈せず、定子に少しでも明るい気持ちになって欲しいと願った当時の気持ちを忘れないよう書き留めたものが”枕草子”であり、清少納言の強い意志を感じます。
平安時代の女性は、政治の駒として利用されるだけの存在と勝手に思い込んでいたので、こういう生涯の中でも精一杯自分らしく自分の個性を活かして生きた人がいたこと、それでも宿命とも言うべき周り合わせのために不幸な最期を迎えてしまった哀しさも同時に感じます。
一条天皇の詠歌は
道長が彰子に向けて詠んだと解釈
天皇に近しく使えた行成が定子に向けて詠んだとしていますよね
聴き取った歌の文字が少し違うことによって解釈してが変わるのですが
定子の歌への返歌だぞー道長って思っております
「サダコ」といえば「リング」だったのが、この大河でイメージが変わりそう😅
解説ありがとうございます
伊周さん、定子さんとも、
才気溢れる割には、行動がエキセントリックというか直情的ですね。言えば周りがなんとかしてくれる 、やっちゃえば後始末は下の者がなんとかしてくれる、そんな感想です。うまく行けば歴史や伝統に大きな貢献をして賞賛を受けるし、拙ければドン引きされて誰も助けてくれなくなる。
武士道さんの今回のお話で定子さんの理解が進みました。
お礼申し上げるでござる👏
高校の時の古文教材で雪山のエピソードを見た記憶があります。そこでは清少納言が賭けに一人勝ちすることで周りから反感を買うことがないように定子は雪山を崩したという解説があったような…本当のことは本人たちしかわからないですけどね
その発想はなかった…
興味深いです。古典は正直学校で苦手でした。でもこのチャンネルで動画をみていて、感情移入できるようになり、楽しいです❤ ありがとうございます✨
穢れの概念は、喪中の神社への初詣は疎まれるという現代の風習に続く名残なのでしょうね。
他の方も書かれていますが、雪山事件は、清少納言が才女で普段から目立ち過ぎるのでこの辺でちょっと鼻っ柱を折って周りからの反感やヤッカミを和らげようとした中宮の思いやりらしいです。紫式部も清少納言のことを「才能や知識をひらけかす嫌味な女」と悪く言っていましたしね。中宮は道長から位をはく奪されたり住む場所を屈辱的な場所に移動させられたり相当な嫌がらせを受けていました。清少納言はそのようなことは一切記録せず中宮のサロンの楽しかったことだけを見事に描き切っています。それだけ中宮は素晴らしい方だったのだと思います。気が強い、というのは私としては少し違うかな、と思います。
原文だけでは清少納言がひたすら悔しがって終わるので、その思いやりは汲み取れなかったなぁ。
定子との雪の話は香炉峰は御簾を掲げての話でしょうか?学生時代の、古文が懐かしいですw
これだけ愛されてみたいなあと思います。ある意味羨ましい。
大変分かりやすいです😆
ありがとうございます。『枕草子』は積読数十年ですが、読もうと思いました。
雪山事件は定子の優しさを感じます。このような時こんなにあっさり手の内を晒すのは優しさ以外の何者でもありません。
意地悪な人は絶対話してくれません。ニヤニヤさえしません。
これまで色々な動画を見て、一条天皇にとってナンバー1は定子、彰子は頑張ったけどナンバー2、の様な印象を持ってました。しかしながら、定子は一条天皇の愛を繋ぎ止めたけど、下に使える貴族達の心象を物凄く悪くしましたね。そういう考えに至らない所は浅はかだと思わざるを得ません。定子といい伊周といい、道隆一族は、やる事なす事、自分達の栄光にこだわって、周りからどう見られるか?全く考えられない人たちだったと思います。だから道長一族に取って代わられたのだと思います。ですが道長の息子頼通も女子に恵まれず、後が続かなかったことを考えると、摂関政治なんて所詮長続きしない危なっかしい政策だったのだなあとつくづく思います。
漠然とした印象だと平安=藤原摂関政治の時代みたいな感覚を持っていたのですが、実際には兼家以前までは他氏排斥は完了してなくて花山天皇退位の謀略によってかろうじて築き上げた不安定な権力だったのかなと考えるとこの時代を見る視点が覆されますね。道長・頼通を最後に⇨天皇親政+遙任国司中下級貴族層の結びつき⇨院政+近臣たちのようにより強固で安定した政治体制に転換していったのも時代のながれと言いますか、妥当なものに思えます。
道長も彰子が皇子を産まなけれは権力を完全にはものに出来なかったですからね
じつは彰子が皇子を産む前に二人の女性(定子の妹の御匣殿と女御藤原元子)が一条天皇の子供を身籠っていてどちらかが皇子を産んだらそちらが東宮になりかねなかった
特に元子は父親が大臣で一条天皇も元子を寵愛していたのでかなり危うかったと思います
中関白家は、悲運としかいいようがないですね
その真反対が、道長。
第11回放送で、道隆ファミリーが登場しましたが、安倍晴明の定子を見つめる目つきが、定子の悲運を暗示してる印象を感じました。
切なかったですね
伊周への態度も含めて宴の時のユースケ・サンタマリアさんの存在感!!!その後の悲劇を感じましたね。
えぇっ⁉️ そうですか❓
晴明がジーっと見つめたのは、悲劇を暗示しているのですか?
三郎をもジーっと見つめていたのだそうですってね。ということは、三郎も定子も 将来 高い位置に就くと霊感が働いたからなのでは❓
安倍晴明の定子を見つめる目つきが暗示…なるほどですね!😁コメ欄の皆さんの意見も参考に視聴してみるわ😄
@@AF-zq6ln
いよいよ、高畑充希さんの登場、
今後の描かれ方、興味深いです
(今回は帝とは、親子のような感じにみえました)
@@owyd2236帝とは3歳差らしいけど どう見ても親子ですよね
文献を読んだ訳ではなく武士道さんの解説を拝聴しただけなので、全く想像のみなのですが、定子は一条天皇よりも歳上ですし、しっかり者の所謂姉さん女房だったのかもしれないと思いました。定子こそ男子だったらまた違っていたのかも。彰子の立后も一族の没落も悔しかったでしょうね。だからこそ土の中から草葉の露となって世の中を見届けたかったのかもと。そう考えると、一条天皇の辞世の歌の「君」はやはり定子かなと思います。一緒に煙になりたかったでしょうに。
定子が「草葉の露をそれとながめよ」と遺詠で詠んでいるのを承知の上で、一条天皇が「露の身の・・・」と自らの崩御に際して詠んだのは明らかに定子を意識していると思いますね。
ありがとうございます❣️私も露でかけてあると思いました。
@@naohiraga こちらこそあがとうございます。一条天皇が遺詠で定子に返歌している感じですね。
一条天皇は死んでも定子命だったみたいで彰子様がかわいそうすぎる。
さささささ
一条帝の辞世の歌は道長や彰子のいない所で残して道長は下のくを改ざんしているでしょう 定子皇后はキッパリ一度一条帝と離縁しているのに無理に引きもどされそれだけ一条帝の愛は強かったなでないではまた露とかけているでしょう⁇
一条天皇の詠の答え合わせが出来たような気がして泣ける
何年か前に読んだのでうろ覚えですが雪山事件は定子さんが私に勝ってはいけません。私が中宮だから分をわきまえなければなりませんとか言っていたように思います。本が色々あるので本によって違うのかも知れません。つまり取引先社長と接待ゴルフ日曜日行き、社長に気遣いをせずにホールインワンを連発してしまった様な漢字かなと思いました。本によっては、春は曙からは始まっていないとか。
定子に向けて書いたかな。露とか定子が歌に書いていたし土葬の定子に天皇が😢塵とかいてる
第13回から成長した定子の活躍が楽しみ
一条天皇、定子、彰子はいとこ同士ですよね?
皆、親が藤原兼家の子供なのでいとこ同士です。😮
藤原定子は、清少納言が自身過剰になって、他の女官たちに嫌われないよう、雪山を片付けたのでは?清少納言よりずっと年下なのに、思慮深く、それでいて明るく、今の中、高生なら、クラスで一番人気女子でしょう。
天皇が退位しても、その妻が皇后であり続けられるというシステムがよくわかりません。円融天皇は退位して法皇になったのに、妻ののぶこさん?が皇后であり続けたのは??です。昭和天皇が亡くなったあと奥様は皇太后になったと思うのですが。
皇子が生まれても、親王宣下がなければ親王になれないように、おそらく当時の地位の変遷は、すべて手続きが必要だったのだと思われます。新天皇が即位すると自動的に后妃の呼び方が変わったり、天皇の子や孫に生まれると自動的に親王宣下される現代の方が、むしろ簡略化されているというべきかもしれません。
系譜に興味無いと辛い大河。解説一緒に見ようでなんとか見れてる。でも知らなかったら知れて新鮮かな
穢れと言う言葉がよく出てくるとともに
揉み消したり禁忌を無視する描写もあるように見えます、
実は貴族の一部の人は内心では迷信だと思ってたりしたんですかね、
11:18
ノーカウントなんだっ..!この勝負はっ..........!
定子の遺詠に草葉の露と表現されていて、一条天皇の詠にも露って表現されてるから「君」は定子の事なんじゃないかな~と推測😊
武士道さん全ての視聴者のコメントを評価して否定しないで頂き、誠に有難うございます。
定子が土葬を望んだのは公卿達に
抗議していたのかな?と思いました。出家した定子をごり押しして内裏に入れさせたのは一条天皇ですから、定子が我儘だったというより一条天皇がKYだったのだと思います。定子に責任押し付けるのもどうよ?と思いました。
一条天皇が定子と会えなければ
退位すると悲しげに言われるので
仕方なく天皇の母親が内裏に
戻るように勧めたらしい
翁丸のエピソードが好きだよぉ〜😍💕
「上にさぶらふ御猫は」だったっけ?
命婦のおとどちゃんという猫ですねー
今回の動画を拝見して、定子さんは前例や社会的慣習を重視せず自分のやりたいようにやってしまう点で兄妹の伊周と結構似ているんだなと気がつかされました。
現在の日本は前例踏襲主義から抜け出して効率化を進めないといけない時代局面なので、彼女達が一概に悪いとも私は思えないのですが、当時は日記記録の隆盛に見られるように「しっかりした社会的ルールを定めようとしていた時期」だったようなので、特に批判が集まったのかなとも思いました。
しかし中関白家、珍しいくらい自由奔放な家風だったんですかね。。政治的トップに立った以上は反発を受けるのはやむを得ないですね。
当時の中関白家も世の中から批判を受けていたなら、まるで今のA家みたい。
いつもありがとうございます。雪山の話、とても面白く聞かせて頂きました。定子はちょっと子どもっぽいところもあったのでしょうか。ところで四后並立について教えて頂きたいのですが、一条天皇が即位したときに、なぜ遵子が皇太后にならなかったのでしょうか。現役の天皇の正妻でなくなったのに皇后というのは違和感があります。
いつも興味深く動画を拝見しています。
ただ今回に関しては、なんだか定子様がわがままで気が強い、性格が悪いオンナ、のような印象を与える解説で、ちょっと残念…。
確かにそんな見方もあるのかもしれませんが、清少納言たちが、ちょっと鈍臭くて要領の悪い男性、生昌の悪口を言って嗤っていたら、「そんなことを言うものではありませんよ」とたしなめたことが、枕草子「大進生昌が家に」の段で書かれています。
また、雪山の件についても、本当に一介の女房に過ぎない清少納言に負けたくなかったのなら、自ら捨てさせたことを明かさないのではないでしょうか。
なぜ清少納言が憧憬を捧げ、一条天皇が世間を敵に回しても傍らから離さなかったのか、それがもっと伝われば、と思います。
「定子」が「ていし」ではなくて「さだこ」読み。「彰子」が「あきこ」ではなく「しょうし」読み……なんで?
めちゃ気になる…
あきこというと一条天皇の母である詮子もあきこで単純にややこしいからわざと呼び分けているのではないですか?
@@yayoia8017にゃるほど!
定子も「ていし」読みの方が馴染むなぁ…でも実際、当時の人々はどんなふうに発音して呼んでたんでしょうね…タイムマシンで平安時代に行けても、おそらく外国語のように聞こえるんだろなぁ✨✨
@@ニャンコスキー-w3c 学校の歴史や国語だとそう教わりますからね。個人的には日本文学を学んでいるので歴史的仮名遣いなどは発音、話していたか気になります。
スゴイショックだった。今回はファーストサマーウイカの清少納言を筆頭にキャスティングがよい。
でも定子のこのキャストはない。定子はとにかく美しい人だったらしい。いかにも事務所ゴリオシ
みたいな感じがする。瀧内公美と逆だったほうがよかったかも。定子は清少納言を気に入ってた
らしい。「香炉峰の雪はいかならん」のエピはあるのかなあ。
定子、あんまり性格よくないなあ。まあ、図太くないと宮廷では生きていけないからしょうがないのかも。