ミトラさん五六十年たつと腐るものは何も残ってないですね❗電柱もこの頃は木製だったと思います❗缶にペンギン🐧の絵、懐かしい😀聖子ちゃんがCMに出ていたビール🍺の缶ですよ‼️🏞️🤗
嫁です
50年以上昔上世屋に住んでたころ、駒倉から上世屋の
学校に一時間かけて通って来てた、男の子公一君が
居ました。明るくて誰とでも直ぐ友達になれた子です
今でもフルネームで覚えています。
小学校と中学校が同じ校舎にあって、私と同い年です
同学年は6人か,7人だけでしたが。こんな山奥から小さな
体で歩いて通ってたとは、今思うと凄いですね
懐かしいです
上世屋にはまだ両親が住んでた家はありますが
年を取ると中々帰れないものです、死ぬ前には
一度帰りたいものです、大阪から4時間位かかりまね
(電車で乗り継ぎしてると)
Merci pour cette belle vidéo.
人が住まなくなるとたった50年で自然に還ってしまうのを目の当たりにすると何だか侘しいですね
先人方の努力と此処を終の住み家と覚悟して切り拓いた場所学校を建てたりお寺を建てたりどれだけの費用と人力が掛かった事でしょう
先人方に頭が下がります
苔むした机?エモいですな…😆
小学生の頃遠足で行きました。東京オリンピックの頃です。ちょっと小高い所に分校の校舎があったような記憶があります。小さな可愛い女の子がいて今なら63、4歳になっているんでしょうか。38豪雪は過酷だったですね....麓の村々でも2メートル近くの積雪でしたから。子供だったのでかまくら遊びや落とし穴を作ったりして楽しかった思い出もあります。
1962年離村がなあ.約60年なぁ。これから100年後どうなっているかなあ。
ここは電気も電話を引かれんかったのだろうなあ。
木漏れ日と苔むした石材が美しい…
😐🇧🇷🌲🌳
( ・ω・)👍
呪霊がいそう
廃村碑や道標が案内役の散策って、今の自分では出来ない話なので、有難く拝見致しました。駒倉が廃村になった昭和四十九年というと、自分がバイク・ツーリングで京都をベースに地方都市や山村・集落を巡るようになったのよりもだいぶ前なので、たとえここを通っていたとしても生活があった時代は見ていないことになります。里山も、羊歯が生え苔が蒸す自然に還って行きますね。電気が及ばぬ場所、或る意味、文明の支配の影が薄くて、好きです。他では、時折 手入れをする方が訪れる場所も挙がっていましたが、こちらはどうなのかなあ、と思ったりしました。
墓にかなり前の花と添え物があったので、何年かに一度は墓参りしているようでした