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教科書で学んだ光秀は 信長を撃った家臣の印象しかありませんでしたが(浅学で申し訳ありません)ドラマをとうして小和田先生の解説を重ねながら 戦国時代を活き活きと生きた光秀が輝いて見えてきました歴史の楽しさをいっそう感じています これからもご指導をお願いします
小和田先生の解説とても分かり易く好きです。
この様な知識をえられるのはとても幸せなことだと思います。感謝します。
小和田先生 光秀様の貴重なお話をありがとう🙇ございます。麒麟が来るの大ファンになりました。悪者の光秀様の名誉挽回して下さり スッキリしました。
いつも詳しくわかりやすい解説ありがとうございます。タイムラインに沿って解説いただき、また参考文書を取り入れて非常にわかりやすいです。麒麟がくるは、終わってしまいましたが、これからもチャンネルを続けていただきたいです。
小和田さんの歴史解説が聞きやすく、学びたい感が強くてNHKでよく見ていました。
先生、詳しい解説ありがとうございます!
小和田先生ありがとうございました。光秀と細川藤孝の関係が推移していく過程がよく理解できました。
その場で受けそうなことを、それらしく書いたり喋ったりが最優先、するともれなく、名誉教授。そんな歴史家もいるんですね~
こんにちは♪細川家の家臣の末裔です。ありがとうございます😊
素晴らしいご解説でした!
わかりやすい解説ありがとうございます。本能寺の変の前に書いた光秀の手紙等が有ればより解明出来るかと感じました。
小和田先生、学生時代、真面目に聞かずに、すみません。
動画内で紹介されていた(永禄13年)4月20日付明智光秀書状(三宅家文書)ですが、光秀は「越州口や近江北郡は今のところ何事もない」と言っており、織田軍は金ヶ崎の戦いの発生前から浅井長政の動向を警戒していたことが分かりますね。
明智光秀は秀吉軍を迎え撃つために準備をしましたが、よくわからない城を改修したり、山崎の戦いでは、明智光秀らしからぬ布陣をしています。明智光秀は動揺どころかまともに判断ができず、秀吉軍と接線に持ち込めた可能性があったにも関わらず、負け戦をしてしまいました。何もかもが想定外で普段の明智光秀とは別人の状態だったのでしょう。
わずか10年あまりで1万人の兵士を自在に動かせ光秀は凄い
黒田官兵衛ですよ。官兵衛がキリシタン情報網を駆使して、光秀らを動かし『 殿のご運が開ましたな 』と秀吉に言葉を掛けるという流れ
信長が光秀の娘と藤孝の息子を結婚させたのは、自分や光秀を裏切らないように固めたものと思います。信長にとっては光秀より藤孝の方が不安だったのかも知れません❗
光秀と藤孝、言われるほど親密ではなかったのかな。
光秀は日向の守、秀吉は筑前の守。いずれも九州の国名である。すでに九州征伐に行くことが決まっていた証拠であり、かなり前から計画していたはず。西洋にはこういう言葉がある、「金持ちにしてやってもヒトは感謝しない。」つまり金持ちになればヒトは傲慢になってしまうということである。
明智光秀から見た戦国史観は一般的な信長、秀吉、家康の流れや信玄、謙信の少し主流から離れたものとも違う今までの信長から家康までの天下取り主流にいながら敗者の光秀側に立つだけて戦国時代が全く違う世界になった事に驚きました光秀こそ天下取り中心の信長と一体でありながり正反対の存在で勝者の歴史から消されてしまったのだと思うに至りました天下取り最初の信長から最後の家康の正反対の性格の中で自我の強い秀吉と自我を消す光秀の葛藤が大河麒麟では描かれたと感じます光秀は戦いに負けて最後に戦国を終わらせ勝ったと思いたいです最終回は長く大河をみましたが長谷川博己と染谷将太のキャラクターも良すぎたので泣けましたね
おっしゃるとおり、光秀、久秀という、「謀反人」として扱われてきた側からの視点、がこれまでとは違いましたね。
歴史平和講演会の平和ってどんな意味なんだろうね?
細川藤孝は秀吉に加担したので信長の書状が沢山残っている。逆に光秀は謀叛の逆賊なので信長が送った書状も沢山あったと思います。が秀吉が全て焼き払ったのでしょうね❗
小和田先生、京都の 本能寺跡 を調査して、地下に抜け道があったかどうかはわかりますか?本能寺の変後に秀吉か誰かに破壊され、完全に埋められてしまったとしても。そういう調査も可能ならしてほしいのですが。
「麒麟がくる」ファンは、『おさかな幕府』と呼んでいます。
光秀が何も残していない所を見ると不満を溜め込んだ所に原因が有るのではないでしょうか?
幕府は征夷大将軍がいるところなので、室町幕府は滅亡しています。
信長と光秀がワンセットで消されたと考えれば二人の関係は非常によく絶大な信頼関係があったという証明でもあります。だから本能寺の変直後の畿内の光秀の寄騎がほとんど味方せず秀吉に味方した。信長的政策、信賞必罰を嫌い秀吉の表向きの人柄と論功行賞の前約束に惹かれたのだと思う。細川藤孝など中立するだけで戦後莫大な恩賞を受けているのも事実。
信長は、光秀の謀反など頭にも無く本能寺に宿泊したぐらいですから、秀吉が光秀の謀反、信長が討たれたことを信じ、信長の命令を放棄して京都に引き返したのは、決断の早さと言うよりも、秀吉自身は、光秀と信長の関係が怪しく光秀に謀反の可能性があることを感じていたからだと思いますが・・・
与力大名の細川藤孝や黒田官兵衛等が密に暗躍してた可能性があると考えたいですね黒田や細川は後々の関ヶ原でも豊臣方を徳川方をへ寝返らせる工作してますよね本能寺と秀吉中国大返しの妄想が広がりましたね歴史は陰謀論そのものですね
備中から秀吉の軍勢が大返しする時に毛利勢から旗差しや武器を借りたという記録もあるくらいですから和議はとっくに煮詰まっていて後は本能寺の首尾の報告待ちだったのだと思います。自分が引き起こした暗殺でなければその情報を信じて直ぐに大返しなど実現できるわけがないです。大返し直後に畿内の大名である中川清兵衛への返書「梅林寺書簡」の中で「上様はご無事で安土へお戻り」などと書けるのは信長の生死を把握している加害者本人にしか書けないものです。
主君が殺されたら首謀者が勢力を拡大しない内に前線を離れて城に戻る以外にない。秀吉はただ姫路城を目指して、それから体制を整えようとしたのかな🤔🙄姫路城に着いたときには情勢が有利と判り光秀討伐に向った。裏切り者には武将は味方しない、裏切る前に相談すれば謀反が発覚する。
丹羽長秀の兵隊が本能寺の報を聞いて逃げだしたりしてるし秀吉には及ばなかったものの柴田勝家も加害者じゃないけど戻って来てます。だいいち誰かに信長を殺させるなんてことが可能なら家康だとかいくさで勝てなかった場合はその同じ謀略で誰かに殺させれば苦労しないですよね
ノブの事が嫌いだったから。以上。
TVドラマでは歴史を伝えるにはこの位が万人の納得する限界だと思いました。私は麒麟が来るのラスト3回を見て残念だがこれでも大河ドラマの歴代のものよりずっと進歩したものと捉えました。残念というのは真相はもっと違うところにあると思うからです。その一つは信長と光秀は最後まで信頼関係にあったと確信出来るからです。
あの警戒心と猜疑心の塊の信長が13000の兵を持つ光秀を警戒すらせずに、亀山に置いていた事からしても、どれだけ信頼してたか分かる。信長は丸裸に近い状況なのだから、太平の世が来ても使える唯一の武将は光秀だけだったと頼みにしていたと思う
将軍は家康がなるまでずっと名目的に足利将軍だった訳ですか?それともそれ以前に辞めさせられた?
本能寺、の、変、わ、へんな、こと、で、ありました、みつひで、も、ざんし、、へんな、ことでした、
曖昧な歴史は想像力を掻き立てるし、中学時代に習った歴史と現在教えている歴史が違うことも多い。
光秀くらいの大物になるとやっぱり「大義」がないと付いて来てくれる人物限られるよなー
信長最後の書状は天正十年四月の細川藤孝宛のものですが西国への出陣準備を促し最後に仔細は惟任光秀に従うことと下知しています。死の直前まで信長が光秀を信頼し寄親として畿内諸大名を指揮下に置く重責を任していたことが伺われます。光秀を知れば知るほど人物の大きさを感じさせますが信長や義昭そして正親町の帝また室町幕府奉公衆たちにこれほど信頼され尊敬されたことは日本の歴史に登場する人物の中でも傑出していると断言できます。仕事の力量、合理性を重視した信長にしても光秀を大事にしたのはそれだけの理由ではなかったと考えられます。
信長最晩年に発給された書状ではありますが、正確には最後の書状ではないですね。信長最後の書状は天正10年5月27日付の長連龍宛黒印状になります。光秀のことが書かれている書状としてはこの天正10年4月24日付の書状が最後になり、また細川家文書に残されている信長書状もこれが最後になります。
細川家は本当に判断を間違わなかった。幕末以外は。
3日天下の言い始めが 意味あると思います6月6日に何かが決まって 明智光秀は外れたわけですよ
先日、静岡県富士宮市の西山本門寺にある信長の首塚へ行きました。他に誰もいなく、貸切の見学のようでした。笑京都の阿弥陀寺には首だけでなく、遺体の全てを境内のある所に埋葬した説があり、小説の 信長の棺 はそれに基づいて書かれましたね。いずれにせよ、本能寺の地下に外部への抜け道がなければ不可能です。
足利義昭将軍は,運が悪いね?!まさか信玄公が死ぬなんて思わず,信長を打倒できると喜んでいたんだろうけれど…。
正座は奴隷座りという説を見つけたので しないように心掛けてます 正座必須のシチュエーションもありますが
歴史解説は良いが大河ドラマを引き出すのはあかんな。
なぜ起きたのか? の結論がないですよ。
お互いが譲らなかった事が本能寺の変の原因だと思います。
先生は。どうお考えでしょうか?。一体。どこで、つまりいつの時点で光秀は信長撃ちを考えたのでしょうね? まず事件の直近としては、秀吉援護に向かう逢坂の関までの道すがら。今ならできる。。俺が天下を取れる。。次は、信長親子が僅かな、とも連れで京に入り。。やれるかも知れない。。斥候を出したかもしれない。兎に角、陰謀説も何も、まずこの状況が出現しなければ。恐らく光秀はやらなかったでしょうし。だから光秀の心に謀反の炎が煌めくのは。信長親子のこの状況が現れない限りは。恐らく光秀は事件を起こさなかったのでしょうか?。陰謀説ではなく、また恨みでもない。その何かが。光秀の中で。。彼、つまり信長をこのまま生かせててはいけないと言う結論だったのでしょうか?
残ってる資料が全て事実とは限らない。いくらだって改ざんできる。
単純に勝ち馬に乗っただけかと。
※かごめかごめ(通りゃんせ通りゃんせも)の歌は天海僧正(明智光秀)が作った童謡である。その歌詞を解析すると、籠目、籠目、籠の中の鳥は六角の網目は結界によって封じ込められた、籠の中の鳥(太陽神、大国常立大神等)はいついつ出ーやーるいつになったらその結界をやぶって出てくるのか夜明けの晩に太陽神、大国常立大神等が天の岩戸から出てくる前に鶴と亀がすべった丹頂鶴の頭は日の丸で日本の暗号、亀は亀の甲羅が六角だからこれは六芒星でユダヤの暗号で統べったとはお互いに手を結んで協力すると言う暗号後ろの正面 だあれあなたの後ろの守護霊は神か悪魔か。あなたは神を信じていても間違った宗教の神(悪魔)の教えで魔道へ落される。結論日月神示が警告する神の裁きの大峠がやってくる。それまでに自分が犯した罪を神に詫びて改心していないとこの世に住めなくなり、地獄の監獄に幽閉される。運が良ければこの世の草木として生存できる。キリスト教で言う最後の審判、キリスト(救世主の)再来である。通りゃんせ 天神様の細道じゃ 行きは良い良い 帰りは怖い 怖いながらも 通りゃんせこれも神の裁きで天神様の細道は身魂を磨いて改心できた者のみ通ることができる細い道である。生きている内は贅沢な生活ができて結構だが、死んだら二度とこの世に生まれ変わることができない。地獄の監獄で幽閉される。だから、帰りは怖いのである。最後通牒 人間は暴力や戦争を否定するが、牛豚を屠殺して肉を食らう事は暴力や殺し合いではないのか。この世を残酷な弱肉強食の地獄の世に落として、自分だけ助かろうとしても無駄だ。人間は平気でいたいけな動物の命を奪っている。癌は殺された動物が人間に復讐する為に発生する。食べた肉が血となり、血が細胞に化成する時に細胞に怨霊が宿るのだ。人間は殺生、姦淫、虚言、偸盗、贅沢の悪業の癖が止められない。肉食は間接的殺生である。姦淫は神を冒涜する獣的行為である。この世の物は神のものであって、悪魔はこの世を神から盗んだ泥棒であり、人民を騙す詐欺師である。なぜ、神が悪の存在を許されているのか。それは悪魔によって人間の罪を償わせているのである。今の世で悪魔に見えるのが正神で神の様に振る舞っているのは悪魔である。だから、人民に災いを及ぼしている、災害、疫病、戦禍等は天罰である。なぜ、東日本大震災で多くの人命が奪われたのか。それは大神様が人間の悪業を裁かれたのである。日本の救世主が世界の人民の罪をあがなう為に犠牲となられる。その時までに心を改めて、神の御心に沿う様に行いを正さなければ、地獄の苦しみにのた打ち回っても、その苦しみの甲斐もなく、草木に成り下がる。いよいよ、フリーメイソンが悪の御用を務めるべく、世界を第3次世界大戦に導く。フリーメイソンに怨霊が憑依して戦争を起こさせるのである。第3次世界大戦は日本への核攻撃を口火にして開始される。皆の衆、覚悟はよいか。
N
本能寺の変の黒幕は天皇公家で反信長武士僧侶による大乱で光秀が綸旨を秀吉家康に打ち明けてたかわ謎。でも光秀や義昭達は天下でわ無力。
信長を引退させようとした信忠と側近たちの勇み足だったって結論出てるのに。
14代将軍義輝は長年政所執事を勤めた伊勢氏を滅ぼしてしまいます。その他にも幕府の慣例を破る人事を重ねます。そして永禄の変で近臣共々討たれます。その為、義昭が将軍になった時、幕府の政務、財政を仕切ることが出来る、役方幕臣が不足していたのではないでしょうか?信長が将軍義昭に仕事をさせなかったと言うより、出来る人間が義昭の回りに少なかった為に、織田家が代行せざるを得なかったのではないでしょうか?
主催者やメディアに心地よいことを、前のめりに語ってしまうお方
一部の作家さんが言われる「信長は家康を殺す気だった」説、これ後世の秀吉を過度に警戒した家康の行動からそんなこともあるのかな思います。信長の元で知らぬ間でもないのに、家康は大政所を人質に出すまで上洛を拒み続けました。後の秀吉の朝鮮出兵も「もともとは信長のアイデア」とすると秀吉の政策は「とことん信長に忠実」だと言えます。そんな信長絶対の秀吉、信長は家康を殺そうとしたとすれば、家康が過度に秀吉を警戒した理由が見えてくる気がします。
学者でドラマの時代考証もされているのなら、キリンが来るのラスト。あれに苦言を呈してほしかった。あんな滅茶苦茶なラストは無い。学者なら言わんといかんでしょ!自分の中で評価ガタ落ち。小和田先生もお金の魔力には叶わなかったか。
麒麟が来るは明智光秀は善としたドラマ、誰も傷つけないような解決です、命がけの戦国時代からして違和感を感じます。
昭和天皇の死すらも操作されたと言われてんのに、こいつらは何を理由に本能寺で信長公が死んだと確定してんだろw
先生!!光秀は義昭とか正親町天皇とかを邪険にするのが気に入らなかっただけでしょ??!日本の新しい時代を切り開く邪魔をしたのが光秀でしょ???!?!
教科書で学んだ光秀は 信長を撃った家臣の印象しかありませんでしたが(浅学で申し訳ありません)ドラマをとうして小和田先生の解説を重ねながら 戦国時代を活き活きと生きた光秀が輝いて見えてきました
歴史の楽しさをいっそう感じています
これからもご指導をお願いします
小和田先生の解説とても分かり易く好きです。
この様な知識をえられるのはとても幸せなことだと思います。感謝します。
小和田先生 光秀様の貴重なお話をありがとう🙇ございます。麒麟が来るの大ファンになりました。悪者の光秀様の名誉挽回して下さり スッキリしました。
いつも詳しくわかりやすい解説ありがとうございます。
タイムラインに沿って解説いただき、また参考文書を取り入れて非常にわかりやすいです。
麒麟がくるは、終わってしまいましたが、これからもチャンネルを続けていただきたいです。
小和田さんの歴史解説が聞きやすく、学びたい感が強くてNHKでよく見ていました。
先生、詳しい解説ありがとうございます!
小和田先生ありがとうございました。光秀と細川藤孝の関係が推移していく過程がよく理解できました。
その場で受けそうなことを、それらしく書いたり喋ったりが最優先、するともれなく、名誉教授。そんな歴史家もいるんですね~
こんにちは♪
細川家の家臣の末裔です。
ありがとうございます😊
素晴らしいご解説でした!
わかりやすい解説ありがとうございます。
本能寺の変の前に書いた光秀の手紙等が有ればより解明出来るかと感じました。
小和田先生、学生時代、真面目に聞かずに、すみません。
動画内で紹介されていた(永禄13年)4月20日付明智光秀書状(三宅家文書)ですが、光秀は「越州口や近江北郡は今のところ何事もない」と言っており、織田軍は金ヶ崎の戦いの発生前から浅井長政の動向を警戒していたことが分かりますね。
明智光秀は秀吉軍を迎え撃つために準備をしましたが、よくわからない城を改修したり、山崎の戦いでは、明智光秀らしからぬ布陣をしています。明智光秀は動揺どころかまともに判断ができず、秀吉軍と接線に持ち込めた可能性があったにも関わらず、負け戦をしてしまいました。何もかもが想定外で普段の明智光秀とは別人の状態だったのでしょう。
わずか10年あまりで1万人の兵士を自在に動かせ光秀は凄い
黒田官兵衛ですよ。官兵衛がキリシタン情報網を駆使して、光秀らを動かし『 殿のご運が開ましたな 』と秀吉に言葉を掛けるという流れ
信長が光秀の娘と藤孝の息子を結婚させたのは、自分や光秀を裏切らないように固めたものと思います。信長にとっては光秀より藤孝の方が不安だったのかも知れません❗
光秀と藤孝、言われるほど親密ではなかったのかな。
光秀は日向の守、秀吉は筑前の守。いずれも九州の国名である。
すでに九州征伐に行くことが決まっていた証拠であり、かなり前から計画していたはず。
西洋にはこういう言葉がある、「金持ちにしてやってもヒトは感謝しない。」
つまり金持ちになればヒトは傲慢になってしまうということである。
明智光秀から見た戦国史観は一般的な信長、秀吉、家康の流れや信玄、謙信の少し主流から離れたものとも違う
今までの信長から家康までの天下取り主流にいながら敗者の光秀側に立つだけて戦国時代が全く違う世界になった事に驚きました
光秀こそ天下取り中心の信長と一体でありながり正反対の存在で勝者の歴史から消されてしまったのだと思うに至りました
天下取り最初の信長から最後の家康の正反対の性格の中で自我の強い秀吉と自我を消す光秀の葛藤が大河麒麟では描かれたと感じます
光秀は戦いに負けて最後に戦国を終わらせ勝ったと思いたいです
最終回は長く大河をみましたが長谷川博己と染谷将太のキャラクターも良すぎたので泣けましたね
おっしゃるとおり、光秀、久秀という、「謀反人」として扱われてきた側からの視点、がこれまでとは違いましたね。
歴史平和講演会の平和ってどんな意味なんだろうね?
細川藤孝は秀吉に加担したので信長の書状が沢山残っている。逆に光秀は謀叛の逆賊なので信長が送った書状も沢山あったと思います。が秀吉が全て焼き払ったのでしょうね❗
小和田先生、京都の 本能寺跡 を調査して、地下に抜け道があったかどうかはわかりますか?
本能寺の変後に秀吉か誰かに破壊され、完全に埋められてしまったとしても。
そういう調査も可能ならしてほしいのですが。
「麒麟がくる」ファンは、『おさかな幕府』と呼んでいます。
光秀が何も残していない所を見ると不満を溜め込んだ所に原因が有るのではないでしょうか?
幕府は征夷大将軍がいるところなので、室町幕府は滅亡しています。
信長と光秀がワンセットで消されたと考えれば二人の関係は非常によく絶大な信頼関係があったという証明でもあります。
だから本能寺の変直後の畿内の光秀の寄騎がほとんど味方せず秀吉に味方した。信長的政策、信賞必罰を嫌い
秀吉の表向きの人柄と論功行賞の前約束に惹かれたのだと思う。細川藤孝など中立するだけで戦後莫大な恩賞を
受けているのも事実。
信長は、光秀の謀反など頭にも無く本能寺に宿泊したぐらいですから、秀吉が光秀の謀反、信長が討たれたことを信じ、信長の命令を放棄して京都に引き返したのは、決断の早さと言うよりも、秀吉自身は、光秀と信長の関係が怪しく光秀に謀反の可能性があることを感じていたからだと思いますが・・・
与力大名の細川藤孝や黒田官兵衛等が密に暗躍してた可能性があると考えたいですね
黒田や細川は後々の関ヶ原でも豊臣方を徳川方をへ寝返らせる工作してますよね
本能寺と秀吉中国大返しの妄想が広がりましたね
歴史は陰謀論そのものですね
備中から秀吉の軍勢が大返しする時に毛利勢から旗差しや武器を借りたという記録もあるくらいですから
和議はとっくに煮詰まっていて後は本能寺の首尾の報告待ちだったのだと思います。
自分が引き起こした暗殺でなければその情報を信じて直ぐに大返しなど実現できるわけがないです。
大返し直後に畿内の大名である中川清兵衛への返書「梅林寺書簡」の中で「上様はご無事で安土へお戻り」
などと書けるのは信長の生死を把握している加害者本人にしか書けないものです。
主君が殺されたら首謀者が勢力を拡大しない内に前線を離れて城に戻る以外にない。秀吉はただ姫路城を目指して、それから体制を整えようとしたのかな🤔🙄
姫路城に着いたときには情勢が有利と判り光秀討伐に向った。裏切り者には武将は味方しない、裏切る前に相談すれば謀反が発覚する。
丹羽長秀の兵隊が本能寺の報を聞いて逃げだしたりしてるし
秀吉には及ばなかったものの柴田勝家も加害者じゃないけど
戻って来てます。だいいち誰かに信長を殺させるなんてことが可能なら
家康だとかいくさで勝てなかった場合はその同じ謀略で誰かに殺させれば苦労しないですよね
ノブの事が嫌いだったから。
以上。
TVドラマでは歴史を伝えるにはこの位が万人の納得する限界だと思いました。
私は麒麟が来るのラスト3回を見て残念だがこれでも大河ドラマの歴代のものよりずっと
進歩したものと捉えました。残念というのは真相はもっと違うところにあると思うから
です。その一つは信長と光秀は最後まで信頼関係にあったと確信出来るからです。
あの警戒心と猜疑心の塊の信長が13000の兵を持つ光秀を警戒すらせずに、亀山に置いていた事からしても、どれだけ信頼してたか分かる。信長は丸裸に近い状況なのだから、太平の世が来ても使える唯一の武将は光秀だけだったと頼みにしていたと思う
将軍は家康がなるまでずっと名目的に足利将軍だった訳ですか?
それともそれ以前に辞めさせられた?
本能寺、の、変、わ、へんな、こと、で、ありました、みつひで、も、ざんし、、へんな、ことでした、
曖昧な歴史は想像力を掻き立てるし、中学時代に習った歴史と現在教えている歴史が違うことも多い。
光秀くらいの大物になると
やっぱり「大義」がないと
付いて来てくれる人物
限られるよなー
信長最後の書状は天正十年四月の細川藤孝宛のものですが西国への出陣準備を促し
最後に仔細は惟任光秀に従うことと下知しています。
死の直前まで信長が光秀を信頼し寄親として畿内諸大名を指揮下に置く重責を任して
いたことが伺われます。光秀を知れば知るほど人物の大きさを感じさせますが信長や
義昭そして正親町の帝また室町幕府奉公衆たちにこれほど信頼され尊敬されたことは
日本の歴史に登場する人物の中でも傑出していると断言できます。
仕事の力量、合理性を重視した信長にしても光秀を大事にしたのはそれだけの理由
ではなかったと考えられます。
信長最晩年に発給された書状ではありますが、正確には最後の書状ではないですね。信長最後の書状は天正10年5月27日付の長連龍宛黒印状になります。
光秀のことが書かれている書状としてはこの天正10年4月24日付の書状が最後になり、また細川家文書に残されている信長書状もこれが最後になります。
細川家は本当に判断を間違わなかった。幕末以外は。
3日天下の言い始めが 意味あると思います
6月6日に何かが決まって 明智光秀は外れたわけですよ
先日、静岡県富士宮市の西山本門寺にある信長の首塚へ行きました。
他に誰もいなく、貸切の見学のようでした。笑
京都の阿弥陀寺には首だけでなく、遺体の全てを境内のある所に埋葬した説があり、小説の 信長の棺 はそれに基づいて書かれましたね。
いずれにせよ、本能寺の地下に外部への抜け道がなければ不可能です。
足利義昭将軍は,運が悪いね?!まさか信玄公が死ぬなんて思わず,信長を打倒できると喜んでいたんだろうけれど…。
正座は奴隷座りという説を見つけたので しないように心掛けてます 正座必須のシチュエーションもありますが
歴史解説は良いが大河ドラマを引き出すのはあかんな。
なぜ起きたのか? の結論がないですよ。
お互いが譲らなかった事が
本能寺の変の原因だと思います。
先生は。どうお考えでしょうか?。一体。どこで、つまりいつの時点で光秀は信長撃ちを考えたのでしょうね? まず事件の直近としては、秀吉援護に向かう逢坂の関までの道すがら。今ならできる。。俺が天下を取れる。。次は、信長親子が僅かな、とも連れで京に入り。。やれるかも知れない。。斥候を出したかもしれない。兎に角、陰謀説も何も、まずこの状況が出現しなければ。恐らく光秀はやらなかったでしょうし。だから光秀の心に謀反の炎が煌めくのは。信長親子のこの状況が現れない限りは。恐らく光秀は事件を起こさなかったのでしょうか?。陰謀説ではなく、また恨みでもない。その何かが。光秀の中で。。彼、つまり信長をこのまま生かせててはいけないと言う結論だったのでしょうか?
残ってる資料が全て事実とは限らない。いくらだって改ざんできる。
単純に勝ち馬に乗っただけかと。
※かごめかごめ(通りゃんせ通りゃんせも)の歌は天海僧正(明智光秀)が作った童謡である。その歌詞を解析すると、
籠目、籠目、籠の中の鳥は
六角の網目は結界によって封じ込められた、籠の中の鳥(太陽神、大国常立大神等)は
いついつ出ーやーる
いつになったらその結界をやぶって出てくるのか
夜明けの晩に
太陽神、大国常立大神等が天の岩戸から出てくる前に
鶴と亀がすべった
丹頂鶴の頭は日の丸で日本の暗号、亀は亀の甲羅が六角だからこれは六芒星でユダヤの暗号で統べったとはお互いに手を結んで協力すると言う暗号
後ろの正面 だあれ
あなたの後ろの守護霊は神か悪魔か。あなたは神を信じていても間違った宗教の神(悪魔)の教えで魔道へ落される。
結論
日月神示が警告する神の裁きの大峠がやってくる。それまでに自分が犯した罪を神に詫びて改心していないとこの世に住めなくなり、地獄の監獄に幽閉される。運が良ければこの世の草木として生存できる。キリスト教で言う最後の審判、キリスト(救世主の)再来である。
通りゃんせ 天神様の細道じゃ 行きは良い良い 帰りは怖い 怖いながらも 通りゃんせ
これも神の裁きで天神様の細道は身魂を磨いて改心できた者のみ通ることができる細い道である。生きている内は贅沢な生活ができて結構だが、死んだら二度とこの世に生まれ変わることができない。地獄の監獄で幽閉される。だから、帰りは怖いのである。
最後通牒
人間は暴力や戦争を否定するが、牛豚を屠殺して肉を食らう事は暴力や殺し合いではないのか。この世を残酷な弱肉強食の地獄の世に落として、自分だけ助かろうとしても無駄だ。人間は平気でいたいけな動物の命を奪っている。癌は殺された動物が人間に復讐する為に発生する。食べた肉が血となり、血が細胞に化成する時に細胞に怨霊が宿るのだ。人間は殺生、姦淫、虚言、偸盗、贅沢の悪業の癖が止められない。肉食は間接的殺生である。姦淫は神を冒涜する獣的行為である。この世の物は神のものであって、悪魔はこの世を神から盗んだ泥棒であり、人民を騙す詐欺師である。なぜ、神が悪の存在を許されているのか。それは悪魔によって人間の罪を償わせているのである。今の世で悪魔に見えるのが正神で神の様に振る舞っているのは悪魔である。だから、人民に災いを及ぼしている、災害、疫病、戦禍等は天罰である。なぜ、東日本大震災で多くの人命が奪われたのか。それは大神様が人間の悪業を裁かれたのである。日本の救世主が世界の人民の罪をあがなう為に犠牲となられる。その時までに心を改めて、神の御心に沿う様に行いを正さなければ、地獄の苦しみにのた打ち回っても、その苦しみの甲斐もなく、草木に成り下がる。いよいよ、フリーメイソンが悪の御用を務めるべく、世界を第3次世界大戦に導く。フリーメイソンに怨霊が憑依して戦争を起こさせるのである。第3次世界大戦は日本への核攻撃を口火にして開始される。皆の衆、覚悟はよいか。
N
本能寺の変の黒幕は天皇公家で反信長武士僧侶による大乱で光秀が綸旨を秀吉家康に打ち明けてたかわ謎。でも光秀や義昭達は天下でわ無力。
信長を引退させようとした信忠と側近たちの勇み足だったって結論出てるのに。
14代将軍義輝は長年政所執事を勤めた伊勢氏を滅ぼしてしまいます。その他にも幕府の慣例を破る人事を重ねます。そして永禄の変で近臣共々討たれます。その為、義昭が将軍になった時、幕府の政務、財政を仕切ることが出来る、役方幕臣が不足していたのではないでしょうか?信長が将軍義昭に仕事をさせなかったと言うより、出来る人間が義昭の回りに少なかった為に、織田家が代行せざるを得なかったのではないでしょうか?
主催者やメディアに心地よいことを、前のめりに語ってしまうお方
一部の作家さんが言われる「信長は家康を殺す気だった」説、これ後世の秀吉を過度に警戒した家康の行動からそんなこともあるのかな思います。信長の元で知らぬ間でもないのに、家康は大政所を人質に出すまで上洛を拒み続けました。後の秀吉の朝鮮出兵も「もともとは信長のアイデア」とすると秀吉の政策は「とことん信長に忠実」だと言えます。そんな信長絶対の秀吉、信長は家康を殺そうとしたとすれば、家康が過度に秀吉を警戒した理由が見えてくる気がします。
学者でドラマの時代考証もされているのなら、キリンが来るのラスト。あれに苦言を呈してほしかった。あんな滅茶苦茶なラストは無い。学者なら言わんといかんでしょ!自分の中で評価ガタ落ち。
小和田先生もお金の魔力には叶わなかったか。
麒麟が来るは明智光秀は善としたドラマ、誰も傷つけないような解決です、命がけの戦国時代からして違和感を感じます。
昭和天皇の死すらも操作されたと言われてんのに、こいつらは何を理由に本能寺で信長公が死んだと確定してんだろw
先生!!光秀は義昭とか正親町天皇とかを邪険にするのが気に入らなかっただけでしょ??!日本の新しい時代を切り開く邪魔をしたのが光秀でしょ???!?!