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祖国防衛のために死力を尽くした先人達を絶対に忘れてはいけませんね。ありがとうございました。
映像のクオリティー高過ぎて見入ってしまった!映像と音楽もマッチしてて素晴らしい!!
源田実司令のつくった最強航空部隊。三四三空。杉田庄一、菅野直、武藤金義などのエースパイロットで構成されたまさにドリームチーム。そして紫電改でやっつけまくる。三四三空に対してはヘルキャットの大群でも慄いたとか。ああ、黄色ニ本ストライプの15 番機、かっこええ。
They fought for their country, I wouldn’t be here if they had killed my father on Tinian, yet I have the utmost respect for their courage in a war that was lost. RIP flyers of the 343rd.
I want to salute your father as well as these brave pilots.
伝えたいことはたくさんある。ただただ。敬礼
Well done CGI documentary , the air battles were epic
祖父が、大村基地で整備とかトラック運転で終戦を迎えたのを聞いております。同じ長崎出身の、鷲淵隊長の最後も聞いて知っていた筈だと、確信しております。昭和の時代ですが、祖父が亡くなった際、自衛隊の大村基地から多くの自衛官の方が精霊流しに来て下さいました。今考えると、343の(整備でも)生き残りとしての敬意で来て下さったのかなと思います。
Amongst the best naval aviators in history
紫電改はアメリカからも恐れられた優秀な戦闘機であり、決死の覚悟で戦った搭乗員には本当に頭が下がる思いです。しかし、最後は数の力にはかなわなかった。実際に最前線で戦った搭乗員には、数的な劣勢はさぞかし悔しかったに違いない。先人達が命をかけた戦いぶりは、永遠に語り継いでいかなければいけません。
😭 そうです‼️おれも 語り継いで行きますこんなんですが今年(2022年)で24歳 バリバリ平成世代・男児です
杉さんを尊敬します。
菅野直大尉に敬礼。ありがとうございました。
Really Fantastic!! The combat scenes are so realistic. . .so much better than any Hollywood Movie. Good Music too.
Story of the real men...May all them rest in peace.
素晴らしい!
↓あの未完成に終わった天城(赤城型空母)じゃなくて昭和19年に竣工した天城(雲龍型空母)のこと。
outstanding work
もう少し、紫電改の投入が早ければ戦局は変わっていたかもしれません😮
When I think about what these pilots went up against every day, it makes my own problems seem very trivial.
今年で戦後78年 今もう一度紫電改最後の闘いDVD 発売してください
栃林さん、本当に凄い...
この人のCGを観ると他の人のCGが観れなくなるのには困った。
先人の国民を守る気持ちを大切に生きていきたい。他のアジアの国同様に植民地支配となっていたかもしれない瀬戸際での戦いだったんだと思います。誰が何と言おうと日本人を守るための戦いで亡くなった方を英霊として弔うのは後世の国民のあたりまえのことだと思います。
日本の最後の優秀戦闘機、紫電改、性能が良かったし、日本の技術です。涙なしには、語られません。先人には、頭が下がる思いです。戦後生まれですので、動画、写真で、見るしかないです。日本を守ろうとされた方に、ご冥福をお祈りいたします。
我 菅野 ってやつね、あれ知った時は泣けた
50機の日本機を撃墜した紫電改は5回命中弾受けてもまだ飛んでいたわけだパイロットさえ無傷ならまだ飛べる燃えなきゃまだ飛べる穴だらけで戻ってくる紫電改紫電の初期の図面には浮き袋が書き込まれている不時着水しても機体が沈まぬための浮き袋だ強い戦闘機とは・・・
確かゼロ戦にも浮き袋があったようなそれか防水区画みたいなので浮くようになってましたね。なにせ艦上戦闘機ですからね
あと少し終戦が早ければ…
戦争は確かにいけない。しかしこの時代がそうさせた。もし、陸海軍がお互い尊重しあい、命の大切さを重んじてさえいればもっとまともな戦い方もできたはず。防弾装備もろくにない航空機で命をかけて国のために戦い散って行った方々の犠牲があって今の日本があると思います。
当時の戦闘機は事故や機体損耗で半分は戦闘以外で消えていく、つまり、巨大な消耗戦なので多少の機体の有利、不利などあまり関係が無い。太平洋の島々は多くは小さく十分な大きさの飛行場を作る事が出来ない。太平洋正面は攻勢に出ず、最初からそれなりの規模の航空基地が整備できる、小笠原ーマリアナーパラオラインで防御して、本土、フィリピン方面から加勢が出来る体制にすれば、米側は陸上機の大量投入は距離の関係で出来ないので、米側は艦載機主体で消耗戦を戦う必要が出る。搭乗員の消耗する前にこの体制であれば、小さな損傷や天候の悪化で着艦をあきらめざる得ない艦載機相手の消耗戦で負けることは無かった考える。これを回避しようとすると、ポートダウイン方面から攻めあがるという事になるが、これは補給線が長すぎるに加えて、日本側は造修能力のあり燃料補給も有利なシンガポールを策源地として迎撃でき、米側はさらに多くの陸上兵力を用いる必要が出て有利とはいえない。実際に定数2000機近い陸上機を持つ第一航空艦隊を主体として絶対防衛圏の防御を行う予定であったが、パイロット育成がまに合わず、中途半端な状態で各個消耗して、マリアナで不利な決戦を行う結果となってしまった。絶対防衛圏より外に80万の将兵とその装備を分散配備して、結局撤兵も出来ず、50万人を遊兵としてしまった。このための輸送力を最初から絶対防衛圏の構築に投入していれば、ここで米側に多大な出血を出させて、朝鮮戦争やベトナム戦争同様に米国民の利権から遠いい東アジアの戦争を休戦という形で終わらすことが出来たと信じる。そもそも、日本側がハワイを攻撃しなければ、アメリカの戦争計画は開戦と同時にエトクニア環礁を奪取してここを中継点としてフィリピン救援であった、1942年初頭のフィリピン沖海戦は日本海海戦同様に日本の圧勝に終り、米側はフィリピン沖では損傷艦は放棄することになり、人員の救助もままなら無いととなれば、ここでの米海軍の人材の損失は海軍の背骨を折って、この後、船を増産しても人ナシの状況に陥ったと考える。
男の中の漢 菅野直 こんなリーダーになりたかったなあ。。
最期はああいう感じだったのかな。
どうも有難う!
それは二代目天城では?三代目は一度も実戦を経験することなく呉で大破着底した
War in the Pacific Admiral edition.
『歴史街道』と言う雑誌の菅野直特集号で、菅野さんが飛行学生時代、自分の写真の裏に「Stantハ終ワッタ」と書き込んだ事に意味付けされているが、的外れ。Stantとは旧海軍航空隊で宙返りや上昇反転の様な“特殊飛行”を指して、ごく普通に使われていた言葉に過ぎない。そんな事も知らない人が全国誌の旧軍特集号に記事を書いている時代・・・。
頑張ってくださいね
343空には電探がないのですか?
地面は戦後のか成る程
何で天城が呉に居た・・・?関東大震災で大破着底したんじゃ・・・?
雲龍型で建造された2番艦と思いますよ。完成した時には航空機が無い状態…
米軍側のパイロットはどんな気持ちで撃墜したのだろうか…
どんな気持ちも何も、米パイロットも生き残ることに必死だったと思うから、撃墜した時は落とした日本軍機の事なんて考えてる暇なかったんじゃないかな?「よし落とした!次は?次の敵機はどこだ??」といった具合に。仮にも紫電改は零戦とかと違って、グラマンF6F、F4Uコルセア等とはある程度互角に渡り合える戦闘機だったわけだし、米パイロットも油断したら撃墜される危険が大いにあった訳だしね。ただ、生き残って母艦や基地に帰投したあとに、撃墜した敵機のことを思い出して、うちひしがれていたかもしれないね。
@@あつたん-v6t 戦後のPTSDは悲惨らしい。
@@CHIHATANK 仕方ないさ。飛行機以外にも民間人撃ってるんだから。
@@mihotiti それだと日本側の軍人の戦後のPTSDは米軍軍人より軽いものになるんだが?
@@CHIHATANK 空軍の軍人は一般にPTSDが軽いようですが、パイロットで単座なら自分しか血を見ないのでかなと。陸軍とかはダメみたいですけど。そうだとしたら一般に日本人の気質の問題なんでしょうね。生真面目な性格は精神症を患いやすいと思います。また生活の中で獣を殺すようなことは日本では滅多にないと思いますがあちらではハンティングとか家畜のトサツとか自分で手を汚す?ことがありますからね。日本ではせいぜい鶏を絞めるくらいでしょうか。違いますかねぇ?
Just a random English comment
全力2回分 ガソリン使って1機か2機で出撃させB-29とP-51ムスタングを撃墜して欲しかったは
なんて残酷な・・・
その程度撃墜して何になる?それを撃墜したことで生まれなかった命もあるかも分からないんだぞ。
ベテランなのに離陸直後に撃墜されるのはいかがなものか離陸するタイミングを考えないといけないねただでさえ、搭乗員不足なのに熟練工不足で、素人が造ったような不良部品のために、菅野大尉は戦死してしまったのか・・・
杉田庄一少尉について知った方がいいですよ離陸直後に撃墜されたのは343空が鹿屋基地に移った後、敵機接近の報を受けて源田司令は出撃命令を発し、しかし敵機グラマンF6Fヘルキャット数機が上空へ来襲したため、司令は離陸中止命令を出したが大部分は止まっていたが既に杉田少尉と3番機宮沢豊美が滑走しており、発進中の杉田少尉に敵が群がり撃墜されたんですよ。どう考えても仕方ないと思うんだけど逆に、中止命令が杉田少尉に届かないくらい迎撃出撃準備が早かった。菅野大尉達は出撃準備が整ってなく離陸できず避難していたくらいですから
当時の過大な戦果報告鵜呑みにするのは流石にどうなん。なんならキルレシオも1を満たせないらしいし…。当時の戦況で最も善戦できた航空隊には違いないのかもしれないけれど。
過大戦果報告ばかりで実際はほとんど負け戦
間違いなく末期は負け戦だったろう
ねさみ
ok啦。被您殺數千。。。您還有遺照留0。我回家還是。 30年以後。。
祖国防衛のために死力を尽くした先人達を絶対に忘れてはいけませんね。
ありがとうございました。
映像のクオリティー高過ぎて見入ってしまった!
映像と音楽もマッチしてて素晴らしい!!
源田実司令のつくった最強航空部隊。三四三空。
杉田庄一、菅野直、武藤金義などのエースパイロットで構成されたまさにドリームチーム。
そして紫電改でやっつけまくる。
三四三空に対してはヘルキャットの大群でも慄いたとか。
ああ、黄色ニ本ストライプの15 番機、かっこええ。
They fought for their country, I wouldn’t be here if they had killed my father on Tinian, yet I have the utmost respect for their courage in a war that was lost. RIP flyers of the 343rd.
I want to salute your father as well as these brave pilots.
伝えたいことはたくさんある。
ただただ。
敬礼
Well done CGI documentary , the air battles were epic
祖父が、大村基地で整備とかトラック運転で終戦を迎えたのを聞いております。同じ長崎出身の、鷲淵隊長の最後も聞いて知っていた筈だと、確信しております。昭和の時代ですが、祖父が亡くなった際、自衛隊の大村基地から多くの自衛官の方が精霊流しに来て下さいました。今考えると、343の(整備でも)生き残りとしての敬意で来て下さったのかなと思います。
Amongst the best naval aviators in history
紫電改はアメリカからも恐れられた優秀な戦闘機であり、決死の覚悟で戦った搭乗員には本当に頭が下がる思いです。しかし、最後は数の力にはかなわなかった。実際に最前線で戦った搭乗員には、数的な劣勢はさぞかし悔しかったに違いない。先人達が命をかけた戦いぶりは、永遠に語り継いでいかなければいけません。
😭 そうです‼️
おれも 語り継いで行きます
こんなんですが
今年(2022年)で24歳 バリバリ
平成世代・男児です
杉さんを尊敬します。
菅野直大尉に敬礼。ありがとうございました。
Really Fantastic!! The combat scenes are so realistic. . .so much better than any Hollywood Movie. Good Music too.
Story of the real men...May all them rest in peace.
素晴らしい!
↓あの未完成に終わった天城(赤城型空母)じゃなくて
昭和19年に竣工した天城(雲龍型空母)のこと。
outstanding work
もう少し、紫電改の投入が早ければ戦局は変わっていたかもしれません😮
When I think about what these pilots went up against every day, it makes my own problems seem very trivial.
今年で戦後78年
今もう一度
紫電改最後の闘い
DVD 発売してください
栃林さん、本当に凄い...
この人のCGを観ると他の人のCGが観れなくなるのには困った。
先人の国民を守る気持ちを大切に生きていきたい。
他のアジアの国同様に植民地支配となっていたかもしれない瀬戸際での戦いだったんだと思います。
誰が何と言おうと日本人を守るための戦いで亡くなった方を英霊として弔うのは後世の国民のあたりまえのことだと思います。
日本の最後の優秀戦闘機、紫電改、性能が良かったし、日本の技術です。涙なしには、語られません。先人には、頭が下がる思いです。戦後生まれですので、動画、写真で、見るしかないです。日本を守ろうとされた方に、ご冥福をお祈りいたします。
我 菅野 ってやつね、あれ知った時は泣けた
50機の日本機を撃墜した
紫電改は5回命中弾受けてもまだ飛んでいたわけだ
パイロットさえ無傷ならまだ飛べる
燃えなきゃまだ飛べる
穴だらけで戻ってくる紫電改
紫電の初期の図面には浮き袋が書き込まれている
不時着水しても機体が沈まぬための浮き袋だ
強い戦闘機とは・・・
確かゼロ戦にも浮き袋があったような
それか防水区画みたいなので浮くようになってましたね。なにせ艦上戦闘機ですからね
あと少し終戦が早ければ…
戦争は確かにいけない。
しかしこの時代がそうさせた。もし、陸海軍がお互い尊重しあい、命の大切さを重んじてさえいればもっとまともな戦い方もできたはず。防弾装備もろくにない航空機で命をかけて国のために戦い散って行った方々の犠牲があって今の日本があると思います。
当時の戦闘機は事故や機体損耗で半分は戦闘以外で消えていく、つまり、巨大な消耗戦なので多少の機体の有利、不利などあまり関係が無い。太平洋の島々は多くは小さく十分な大きさの飛行場を作る事が出来ない。
太平洋正面は攻勢に出ず、最初からそれなりの規模の航空基地が整備できる、小笠原ーマリアナーパラオラインで防御して、
本土、フィリピン方面から加勢が出来る体制にすれば、米側は陸上機の大量投入は距離の関係で出来ないので、米側は艦載機主体で消耗戦を戦う必要が出る。搭乗員の消耗する前にこの体制であれば、小さな損傷や天候の悪化で着艦をあきらめざる得ない艦載機相手の消耗戦で負けることは無かった考える。
これを回避しようとすると、ポートダウイン方面から攻めあがるという事になるが、これは補給線が長すぎるに加えて、日本側は造修能力のあり燃料補給も有利なシンガポールを策源地として迎撃でき、米側はさらに多くの陸上兵力を用いる必要が出て有利とはいえない。
実際に定数2000機近い陸上機を持つ第一航空艦隊を主体として絶対防衛圏の防御を行う予定であったが、パイロット育成がまに合わず、中途半端な状態で各個消耗して、マリアナで不利な決戦を行う結果となってしまった。
絶対防衛圏より外に80万の将兵とその装備を分散配備して、結局撤兵も出来ず、50万人を遊兵としてしまった。
このための輸送力を最初から絶対防衛圏の構築に投入していれば、ここで米側に多大な出血を出させて、朝鮮戦争やベトナム戦争同様に米国民の利権から遠いい東アジアの戦争を休戦という形で終わらすことが出来たと信じる。
そもそも、日本側がハワイを攻撃しなければ、アメリカの戦争計画は開戦と同時にエトクニア環礁を奪取してここを中継点としてフィリピン救援であった、1942年初頭のフィリピン沖海戦は日本海海戦同様に日本の圧勝に終り、米側はフィリピン沖では損傷艦は放棄することになり、人員の救助もままなら無いととなれば、ここでの米海軍の人材の損失は海軍の背骨を折って、この後、船を増産しても人ナシの状況に陥ったと考える。
男の中の漢 菅野直 こんなリーダーになりたかったなあ。。
最期はああいう感じだったのかな。
どうも有難う!
それは二代目天城では?
三代目は一度も実戦を経験することなく呉で大破着底した
War in the Pacific Admiral edition.
『歴史街道』と言う雑誌の菅野直特集号で、菅野さんが飛行学生時代、自分の写真の裏に「Stantハ終ワッタ」と書き込んだ事に意味付けされているが、的外れ。
Stantとは旧海軍航空隊で宙返りや上昇反転の様な“特殊飛行”を指して、ごく普通に使われていた言葉に過ぎない。
そんな事も知らない人が全国誌の旧軍特集号に記事を書いている時代・・・。
頑張ってくださいね
343空には電探がないのですか?
地面は戦後のか成る程
何で天城が呉に居た・・・?
関東大震災で大破着底したんじゃ・・・?
雲龍型で建造された2番艦と思いますよ。
完成した時には航空機が無い状態…
米軍側のパイロットはどんな気持ちで撃墜したのだろうか…
どんな気持ちも何も、米パイロットも生き残ることに必死だったと思うから、撃墜した時は落とした日本軍機の事なんて考えてる暇なかったんじゃないかな?
「よし落とした!次は?次の敵機はどこだ??」といった具合に。
仮にも紫電改は零戦とかと違って、グラマンF6F、F4Uコルセア等とはある程度互角に渡り合える戦闘機だったわけだし、米パイロットも油断したら撃墜される危険が大いにあった訳だしね。
ただ、生き残って母艦や基地に帰投したあとに、撃墜した敵機のことを思い出して、うちひしがれていたかもしれないね。
@@あつたん-v6t 戦後のPTSDは悲惨らしい。
@@CHIHATANK 仕方ないさ。飛行機以外にも民間人撃ってるんだから。
@@mihotiti それだと日本側の軍人の戦後のPTSDは米軍軍人より軽いものになるんだが?
@@CHIHATANK 空軍の軍人は一般にPTSDが軽いようですが、パイロットで単座なら自分しか血を見ないのでかなと。陸軍とかはダメみたいですけど。そうだとしたら一般に日本人の気質の問題なんでしょうね。生真面目な性格は精神症を患いやすいと思います。また生活の中で獣を殺すようなことは日本では滅多にないと思いますがあちらではハンティングとか家畜のトサツとか自分で手を汚す?ことがありますからね。日本ではせいぜい鶏を絞めるくらいでしょうか。違いますかねぇ?
Just a random English comment
全力2回分 ガソリン使って1機か2機で出撃させB-29とP-51ムスタングを撃墜して欲しかったは
なんて残酷な・・・
その程度撃墜して何になる?それを撃墜したことで生まれなかった命もあるかも分からないんだぞ。
ベテランなのに離陸直後に撃墜されるのはいかがなものか
離陸するタイミングを考えないといけないね
ただでさえ、搭乗員不足なのに
熟練工不足で、素人が造ったような不良部品のために、菅野大尉は戦死してしまったのか・・・
杉田庄一少尉について知った方がいいですよ
離陸直後に撃墜されたのは343空が鹿屋基地に移った後、敵機接近の報を受けて源田司令は出撃命令を発し、しかし敵機グラマンF6Fヘルキャット数機が上空へ来襲したため、司令は離陸中止命令を出したが大部分は止まっていたが既に杉田少尉と3番機宮沢豊美が滑走しており、発進中の杉田少尉に敵が群がり撃墜されたんですよ。どう考えても仕方ないと思うんだけど逆に、中止命令が杉田少尉に届かないくらい迎撃出撃準備が早かった。菅野大尉達は出撃準備が整ってなく離陸できず避難していたくらいですから
当時の過大な戦果報告鵜呑みにするのは流石にどうなん。なんならキルレシオも1を満たせないらしいし…。
当時の戦況で最も善戦できた航空隊には違いないのかもしれないけれど。
過大戦果報告ばかりで実際はほとんど負け戦
間違いなく末期は負け戦だったろう
ねさみ
ok啦。被您殺數千。。。您還有遺照留0。我回家還是。 30年以後。。