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小名木先生✨🪭ありがとうございます🙇さまざまな解釈✨✨老若男女みんな楽しめる日本書記🇯🇵✨✨豊かになりますね🌈日本をかっこよく👍✨ゆにわ塾で続きを楽しみます🙋
素晴らしいお話しありがとうございます😀
八岐の大蛇の秘密が分かった!神話はちやんと理解して始めて、日本人の魂の血となり肉となるんだと思った。須佐之男命の人としての隠された魅力や語源の1つ1つに深い意味があると思いました。
大和、河内平野を流れる河川をヤマタノオロチとする話が畿内にもありますよ。河内や奈良盆地に八尾という地名がありますが、それ由来という可能性はあるかもね?それに先程富雄丸山古墳で出土した蛇行剣も、あの大きさや形から、ヤマタノオロチとの関連性は考察の価値はあります。またクシナダヒメの逸話にもありますが、櫛も出土しましたしね。
八岐大蛇=ヤマトオオムチ=ヤマトオホアナムチ=大和の大己貴(大穴牟遅)=大和の多(意富、飯富)氏の穴蛇(アナムチ)鞭(ムチ)の語源は蛇(ムチ)、鉱山の坑道を穴蛇と呼ぶ、穴蛇=坑夫か鉱山主を示す、多氏は鍛治氏族天叢雲剣=アマ氏のムラクモの剣、剣を鍛えた鍛治氏がムラクモ、またはスサノオ=ムラクモ
私は日本書紀は読めませんが、読まれた方からヒノカワと聞いたように記憶しています。もしそうであればですが、斐伊川ではなく米子市を流れる日野川が音が近いように思いますが如何でしょうか。一度だけこの川の上流に行ったことがありますが川底は一面赤錆色でした。また、聞いた話ですが出雲の国風土記には八岐大蛇に関する記載がないと聞きましたが本当でしょうか?このような壮大な話であれば、書いてあっても良いように思います。(伯耆国風土記にはあるのかな?)当時は伯耆国辺りまで出雲国だったのかも。
斐伊川の上流を追ってみるとそこには、さくらおろち湖なるものが。。。小名木先生流石です👐
5月11日に東京に出かけて靖国神社にお参りした時に神社のたまたま見かけた神楽がヤマタノオロチを思わせる神楽の演目でした。豊前神楽という国指定の無形民俗文化財でついつい見とれ一時間以上も興味深く面白くて最後まで付き合ってしまいました。この時はお酒で酔わせて2匹の大蛇の首を取ってをやっつけるものでした。やっつけた大蛇から剣を取り出す場面もあったかな。
滋賀県にも大蛇を退治する伝説があるけど、上流や周辺には製鉄に関する地名が多くありますね。
文字記録も便利だけど観る物聴く物全てに注意するともっと好いニャン
八岐大蛇=斐伊川説というのは一番しっくりきますね。奥出雲に行った時にも用水路の水の色が赤みがかっていて鉄分が多いと実感しました。
岐って字がクナトと読めます日本古来の龍蛇信仰の出雲族(クナ人)と戦ったって事なんでしょうね
中国地方では、鉄鉱石は産出しません。 真砂土から鉄穴流しで砂鉄を得ました。赤とは、たたらの火を表しているのでは? 和鋼博物館を始め、安来をウロウロした事が有ります。
スサノオって、このときには全身の毛をむしられていたんでなかったでしたっけ?ヒゲだけでしたっけ?毛がないのに櫛を刺したというのが気になってたんですよね
八つのマタだから九つの頭で九頭竜だと思い込んでました。。
ヤマタノオロチの件、実は河であったことは納得できますが、九(無限、多数)ではなく八な訳で限定されたものかと推測しますし、その河川は北陸に流れる九頭や神通に繋がると思います。現に神通川には現代において神岡鉱山があるぐらい河川にはそれなりの汚染があったかと。今の福井石川富山は米の産地であってそれを今より暴れ川であった事を踏まえると、ヤマタノオロチはその北陸地方を流れる河川であった説の方がしっくりとしますね。すいません、反論的なコメントで。
足名椎=アシナヅチ=蘆名嗣地(治)=蘆名の地を継ぐ(治める)者、神奈川県横須賀市芦名を拠点にしていた氏族(戦国時代の蘆名氏の出身地)手名椎=タナヅチ=田名嗣地(治)=田名の地を継ぐ(治める)者、神奈川県相模原市田名を拠点にしていた氏族八岐大蛇の神話の舞台は相模国、国譲りは関東が舞台
八の意味はその通りだと思いますが、記紀の編纂に対しての考察が歴史家止まりです。記紀の編纂に際して口伝の聴き取り調査をしているはずです。それは一人二人の規模ではなく、かなりの人数、地域に渡ると考えます。記紀の記述は日本列島の自然災害との苦難の歴史を口伝と云う形で「注意すべき事」として伝わっていた話が物語化しており、それを聴き取りしているため、同一の災害であっても別々の事象と捉え、文学作品として良作側の出来上がったに過ぎない。
B b.
始めまして小名木先生、日本書紀、古事記、風土記からでは無理が有ります。お伽話を考察してもお伽話ですからね。それなのに小名木先生はここまで考察出来たことはさすがだと、でも旧家の伝承を読むことで簡単に読み解けます。邪馬台国も卑弥呼もヤマタノオロチもです。
旧家の伝承がおとぎ話でない証明はできるのかしら
@@shinchangreen36 出雲口伝
⭕️ 初めまして (その程度のオツムですな😱)
@@石井健次-h1n出雲口伝を根拠にするとか面白いこと言う方なんですね。
@@ぼるぞいぼるぞい基本一子相伝???だろうからです。中身は少し違うけど竹内文書と同じです。古代の出雲が語り部と言う役職を作ったと書いてましたね。小名木先生の記紀から読み解く話と出雲の伝承ってそこまで変わらないから小名木先生凄いなぁって、逆に記紀を正史としなければいけない理由が有るわけでしょ、書かれていますよその内容も。
脅して八又して村の若い女を独り占めしているお金玉でかおをやっつけた話とかかと思ったら全然違うし。
小名木先生✨🪭
ありがとうございます🙇
さまざまな解釈✨✨
老若男女みんな楽しめる日本書記🇯🇵
✨✨豊かになりますね🌈
日本をかっこよく👍✨
ゆにわ塾で続きを楽しみます🙋
素晴らしいお話し
ありがとうございます😀
八岐の大蛇の秘密が分かった!
神話はちやんと理解して始めて、日本人の魂の血となり肉となるんだと思った。須佐之男命の人としての隠された魅力や語源の1つ1つに深い意味があると思いました。
大和、河内平野を流れる河川をヤマタノオロチとする話が畿内にもありますよ。河内や奈良盆地に八尾という地名がありますが、それ由来という可能性はあるかもね?
それに先程富雄丸山古墳で出土した蛇行剣も、あの大きさや形から、ヤマタノオロチとの関連性は考察の価値はあります。またクシナダヒメの逸話にもありますが、櫛も出土しましたしね。
八岐大蛇=ヤマトオオムチ=ヤマトオホアナムチ=大和の大己貴(大穴牟遅)=大和の多(意富、飯富)氏の穴蛇(アナムチ)
鞭(ムチ)の語源は蛇(ムチ)、鉱山の坑道を穴蛇と呼ぶ、穴蛇=坑夫か鉱山主を示す、多氏は鍛治氏族
天叢雲剣=アマ氏のムラクモの剣、剣を鍛えた鍛治氏がムラクモ、またはスサノオ=ムラクモ
私は日本書紀は読めませんが、読まれた方からヒノカワと聞いたように記憶しています。もしそうであればですが、斐伊川ではなく米子市を流れる日野川が音が近いように思いますが如何でしょうか。一度だけこの川の上流に行ったことがありますが川底は一面赤錆色でした。
また、聞いた話ですが出雲の国風土記には八岐大蛇に関する記載がないと聞きましたが本当でしょうか?
このような壮大な話であれば、書いてあっても良いように思います。(伯耆国風土記にはあるのかな?)
当時は伯耆国辺りまで出雲国だったのかも。
斐伊川の上流を追ってみるとそこには、さくらおろち湖なるものが。。。
小名木先生流石です👐
5月11日に東京に出かけて靖国神社にお参りした時に神社のたまたま見かけた神楽がヤマタノオロチを思わせる神楽の演目でした。豊前神楽という国指定の無形民俗文化財でついつい見とれ一時間以上も興味深く面白くて最後まで付き合ってしまいました。この時はお酒で酔わせて2匹の大蛇の首を取ってをやっつけるものでした。やっつけた大蛇から剣を取り出す場面もあったかな。
滋賀県にも大蛇を退治する伝説があるけど、
上流や周辺には製鉄に関する地名が多くありますね。
文字記録も便利だけど観る物聴く物全てに注意するともっと好いニャン
八岐大蛇=斐伊川説というのは一番しっくりきますね。奥出雲に行った時にも用水路の水の色が赤みがかっていて鉄分が多いと実感しました。
岐って字がクナトと読めます
日本古来の龍蛇信仰の出雲族(クナ人)と戦ったって事なんでしょうね
中国地方では、鉄鉱石は産出しません。 真砂土から鉄穴流しで砂鉄を得ました。
赤とは、たたらの火を表しているのでは? 和鋼博物館を始め、安来をウロウロした事が有ります。
スサノオって、このときには全身の毛をむしられていたんでなかったでしたっけ?ヒゲだけでしたっけ?
毛がないのに櫛を刺したというのが気になってたんですよね
八つのマタだから
九つの頭で九頭竜だと思い込んでました。。
ヤマタノオロチの件、実は河であったことは納得できますが、九(無限、多数)ではなく八な訳で限定されたものかと推測しますし、その河川は北陸に流れる九頭や神通に繋がると思います。現に神通川には現代において神岡鉱山があるぐらい河川にはそれなりの汚染があったかと。
今の福井石川富山は米の産地であってそれを今より暴れ川であった事を踏まえると、ヤマタノオロチはその北陸地方を流れる河川であった説の方がしっくりとしますね。
すいません、反論的なコメントで。
足名椎=アシナヅチ=蘆名嗣地(治)=蘆名の地を継ぐ(治める)者、神奈川県横須賀市芦名を拠点にしていた氏族(戦国時代の蘆名氏の出身地)
手名椎=タナヅチ=田名嗣地(治)=田名の地を継ぐ(治める)者、神奈川県相模原市田名を拠点にしていた氏族
八岐大蛇の神話の舞台は相模国、国譲りは関東が舞台
八の意味はその通りだと思いますが、記紀の編纂に対しての考察が歴史家止まりです。記紀の編纂に際して口伝の聴き取り調査をしているはずです。それは一人二人の規模ではなく、かなりの人数、地域に渡ると考えます。記紀の記述は日本列島の自然災害との苦難の歴史を口伝と云う形で「注意すべき事」として伝わっていた話が物語化しており、それを聴き取りしているため、同一の災害であっても別々の事象と捉え、文学作品として良作側の出来上がったに過ぎない。
B b.
始めまして小名木先生、日本書紀、古事記、風土記からでは無理が有ります。お伽話を考察してもお伽話ですからね。それなのに小名木先生はここまで考察出来たことはさすがだと、でも旧家の伝承を読むことで簡単に読み解けます。邪馬台国も卑弥呼もヤマタノオロチもです。
旧家の伝承がおとぎ話でない証明はできるのかしら
@@shinchangreen36 出雲口伝
⭕️ 初めまして
(その程度のオツムですな😱)
@@石井健次-h1n出雲口伝を根拠にするとか面白いこと言う方なんですね。
@@ぼるぞいぼるぞい基本一子相伝???だろうからです。中身は少し違うけど竹内文書と同じです。古代の出雲が語り部と言う役職を作ったと書いてましたね。小名木先生の記紀から読み解く話と出雲の伝承ってそこまで変わらないから小名木先生凄いなぁって、逆に記紀を正史としなければいけない理由が有るわけでしょ、書かれていますよその内容も。
脅して八又して村の若い女を独り占めしているお金玉でかおをやっつけた話とかかと思ったら全然違うし。