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私は18歳のとき軽井沢で夏の講習会でレッスンを受けてから、21才でドイツに留学するまで町田市の先生のお宅で月に一度レッスンを受けました。同じ大阪出身で先生は神戸女学院の中高部 私は神戸女学院大学にいたので後輩だからといって大事にしてくださり、関西でのコンサートの際にはゲネプロに呼んでくださいました。そこで印象的だったのは先生が常にカセットレコーダーを手に持ってられたことです。録音を聞くのが最もいいレッスンだからあなたも常に歌を録音するようにしなさい。と教えてくださいました。また休憩の時お菓子を差し入れに持っていくと、まずはマエストロに差し上げるのよ。と言ってマエストロの部屋に行かれたのを思い出します。
素晴らしい経験をされましたね。
有難うございます。
@@junkonishi5486 東先生は、その後は跡見学園でしたね?神戸の方でしたか、、知りませんでした。たくさんの思い出がおありになることでしょうね。軟口蓋を上げること以外に、よくおっしゃったことは何でしたか??? 可能ならばお聞かせ下さい。正確な日本語をお話になりましたね。
東先生はたしか大阪の吹田市でお生まれになったと思います。その当時は軟口蓋を上げることはおっしゃりませんでしたが、軽井沢ではよく軟口蓋を上げて高い音域でアー、アーと歌うというよりもどちらかというと呼びかけるような感じの先生のお声がよく聞こえてきました。レッスンではその当時は、お腹からつながりのある声で歌うことと、上顎で歌う事をレッスンされました。先生はおへその3センチほど上のあたりを常に軽く下にひっぱていないといけないとおっしゃいましたがその当時は私は未熟すぎてよく意味がわかりませんでした。多分横隔膜を下に下げておくという事だと思います。あとは小さな卵が口の中に入っているように口を開けるようにとおっしゃいました。先生曰く、どんなに努力しても日本人は全くイタリア人のように話したり、歌ったりはできないとおっしゃいました。かなりそれを目標になされて頑張ってこられたあとの思いだと思います。別の事では舞台に上がる前には必ず何か感動したことを思い出してから舞台に上がっているとおっしゃっていました。また何か思いついたら書きますね。
@@junkonishi5486 早速、ありがとうございます。とても重要なことですね。軽井沢は何年頃のことでしょうか?
四家文子、柳兼子の話をお聞きしたいなあ😅
そのお二人にはお会いしたことがないのです。長門三保、原信子さんのことをちょっとはなせるか? という程度です。
@@operasinger5370 ほー。
林康子さんのことを褒めていらしたというのは少し意外でした。レパートリーも被るライバル関係に近いのかと勝手に思っていましたが、ライバルというよりは林さんはポスト東という感じだったのでしょうか。林さんや松本美和子さん、さらにその下の世代で世界で活躍された日本人歌手などのお話も聴いてみたいですが、ご存命の方だとお話しづらいでしょうか?
そうですね、確かに林さんは東さんの次の世代ですね。林康子さんの蝶々夫人を2回、スカラで聞きました。話そうかナ
@@operasinger5370 調べてみたら東敦子さんと林康子さんとでは7歳違いのようですねでもオペラの舞台を引退したのが東さんが86年で林さんが2000年と、その差は14年もあることから林さんのほうが長く舞台に立っていられたのはやはりキャリアの初期にロッシーニやドニゼッティなどベルカントオペラ系の役を多く歌われていたのがその長さの差に繋がったのでしょうかねぜひお話を聞かせていただきたいです!
@@panerai2 そうですか。ありがとうございます。複合的な要因があるので一概に原因を一つには絞れませんが、ベルカント時代のオペラを若い時にきちんとやったか、まあた、ある時に急に重たいオケの厚い激情型のオペラを数々歌って喉をすり減らしたか、健康体調、私生活の面などが考えられることだと思います。もともと喉が強い、、、ということも影響しますね。
@@operasinger5370 なるほど確かに要因は一つではないですよね納得です
@@panerai2 林康子さんの話を、いまアップしましたよ~
私は18歳のとき軽井沢で夏の講習会でレッスンを受けてから、21才でドイツに留学するまで町田市の先生のお宅で月に一度レッスンを受けました。同じ大阪出身で先生は神戸女学院の中高部 私は神戸女学院大学にいたので後輩だからといって大事にしてくださり、関西でのコンサートの際にはゲネプロに呼んでくださいました。そこで印象的だったのは先生が常にカセットレコーダーを手に持ってられたことです。録音を聞くのが最もいいレッスンだからあなたも常に歌を録音するようにしなさい。と教えてくださいました。また休憩の時お菓子を差し入れに持っていくと、まずはマエストロに差し上げるのよ。と言ってマエストロの部屋に行かれたのを思い出します。
素晴らしい経験をされましたね。
有難うございます。
@@junkonishi5486 東先生は、その後は跡見学園でしたね?神戸の方でしたか、、知りませんでした。たくさんの思い出がおありになることでしょうね。軟口蓋を上げること以外に、よくおっしゃったことは何でしたか??? 可能ならばお聞かせ下さい。正確な日本語をお話になりましたね。
東先生はたしか大阪の吹田市でお生まれになったと思います。その当時は軟口蓋を上げることはおっしゃりませんでしたが、軽井沢ではよく軟口蓋を上げて高い音域でアー、アーと歌うというよりもどちらかというと呼びかけるような感じの先生のお声がよく聞こえてきました。レッスンではその当時は、お腹からつながりのある声で歌うことと、上顎で歌う事をレッスンされました。先生はおへその3センチほど上のあたりを常に軽く下にひっぱていないといけないとおっしゃいましたがその当時は私は未熟すぎてよく意味がわかりませんでした。多分横隔膜を下に下げておくという事だと思います。あとは小さな卵が口の中に入っているように口を開けるようにとおっしゃいました。先生曰く、どんなに努力しても日本人は全くイタリア人のように話したり、歌ったりはできないとおっしゃいました。かなりそれを目標になされて頑張ってこられたあとの思いだと思います。別の事では舞台に上がる前には必ず何か感動したことを思い出してから舞台に上がっているとおっしゃっていました。また何か思いついたら書きますね。
@@junkonishi5486 早速、ありがとうございます。とても重要なことですね。軽井沢は何年頃のことでしょうか?
四家文子、柳兼子の話をお聞きしたいなあ😅
そのお二人にはお会いしたことがないのです。長門三保、原信子さんのことをちょっとはなせるか? という程度です。
@@operasinger5370 ほー。
林康子さんのことを褒めていらしたというのは少し意外でした。レパートリーも被るライバル関係に近いのかと勝手に思っていましたが、ライバルというよりは林さんはポスト東という感じだったのでしょうか。林さんや松本美和子さん、さらにその下の世代で世界で活躍された日本人歌手などのお話も聴いてみたいですが、ご存命の方だとお話しづらいでしょうか?
そうですね、確かに林さんは東さんの次の世代ですね。林康子さんの蝶々夫人を2回、スカラで聞きました。話そうかナ
@@operasinger5370 調べてみたら東敦子さんと林康子さんとでは7歳違いのようですね
でもオペラの舞台を引退したのが東さんが86年で林さんが2000年と、その差は14年もあることから林さんのほうが長く舞台に立っていられたのはやはりキャリアの初期にロッシーニやドニゼッティなどベルカントオペラ系の役を多く歌われていたのがその長さの差に繋がったのでしょうかね
ぜひお話を聞かせていただきたいです!
@@panerai2 そうですか。ありがとうございます。複合的な要因があるので一概に原因を一つには絞れませんが、ベルカント時代のオペラを若い時にきちんとやったか、まあた、ある時に急に重たいオケの厚い激情型のオペラを数々歌って喉をすり減らしたか、健康体調、私生活の面などが考えられることだと思います。もともと喉が強い、、、ということも影響しますね。
@@operasinger5370 なるほど
確かに要因は一つではないですよね
納得です
@@panerai2 林康子さんの話を、いま
アップしましたよ~