病気で死にかけて、事故で死にかけて、セリでも売れのこり
こんな子馬時代を乗り越えて、サンデーサイレンスは名馬になりあがったんだなぁ
凄い勇気をもらえる!
今年(2021)の日本ダービー出走した馬17頭全てにサンデーサイレンスの血が流れてるって実況があってさすが日本競馬を変えた馬だなって納得した
米競馬界「母系の血統に名血がねえじゃん、いらね」
サンデー「俺が名血だ」
サンデーサイレンス買う事を薦めなかったアドバイザーは、其の後にサンデーサイレンスの活躍ぶりを見て必死に自己弁護してたらしいなあ。
米国では屑な血統扱いされてた馬が、日本では良血の代名詞迄伸上るってのはドラマだよなあ。
オルフェ、ゴルシ、ドリジャ
親友だったマックとサンデーの組み合わせが孫の代で爆発したのも感慨深い
「爺ちゃんのなにかけて」というと
どっちの?てなる
母方は爺ちゃん同じでも、異母姉妹父親はシティゴールドで同じだけど○○事件起きそうな複雑な家系
トラックの中で死神と契約したんやろなぁ・・・
やっぱ生まれながらエリートかつ最強みたいな非の打ち所がないのもいいけど、誰からも相手にされず不遇の幼少期を過ごしたのが成長したらめっちゃ強くなったみたいなのに惹かれるな〜
活躍する馬の血統を見ると「またサンデーの子供か」って思っちゃってたけど、サンデーも血統で苦労したんですね。この動画を見たら日本で成功して良かったねと思いました。サンデーの馬のイラストに💢マークがはいってたのが可愛かったです
ここで言われて無いけど、すんなり吉田パパが買えた訳では無いです。当時サンデーサイレンスの買い取りオファーは、あのアラブの殿下が更に高額オファーをしていて、買える見込みが無かった。殆ど諦めていたんです。が、突然、殿下が購入をやめた為に、吉田パパが購入出来た。と言う奇跡的なストーリーも有りました。本当に日本に来た事が奇跡的な馬でも有ります。
サンデーは日本に来る運命だっただろう。
サイレンススズカ、スペシャルウィーク、ステイゴールド…数得きれない名馬を輩出。
そして英雄ディープインパクトを輩出。凄い…
運命に噛み付いた馬
地味な血統で馬体も足が曲がっていてみすぼらしく
期待されず蔑まれたサンデーサイレンス
良血の血統、馬体は美しい栗毛に筋肉隆々で圧倒的なカリスマ性で人を魅了したイージーゴア
そんな2頭は同じ時代で終生のライバル
競馬の神はこういうの好きすぎなんよなぁ
正に運命に噛み付いた馬……。そして日本にやって来てくれたアメリカ競馬の勇者。サンデーは日本に来て良かったと思う。日本では丁重に扱われ、多くの人に愛され、生涯の友を得る事が出来た。そしてその友との血が孫の代で混ざり合い、オルフェーヴル、ゴールドシップとゆう名馬を輩出する。浪漫ですなぁ。
サンデーとイージーゴアの直線での叩き合い
実況がこの2頭の名前を連呼するだけで成り立った壮絶なレース
サンデーが日本に来た時は種牡馬と言うより現役バリバリの馬が来たと思った
それにあの漆黒の馬体が格好良くジェニュインを新馬戦で見た時
すぐ応援するようになった
死神が選んだ神の馬🐴、、種牡馬としての実績も凄いが、現役時代も型破りだった
困った時のサンデー産駒でボックス馬券に入れておくと人気薄でも面白いほど高配当が獲れた時代が懐かしい。
吉田善哉さんの馬産に対する執念がサンデーを日本に招き入れた事と思う。
サンデーサイレンスの幼少期の姿がどれほど酷いか見てみたい(笑)
種牡馬となったサンデーは牝系の特徴を出しつつ、圧倒的なスピード、抜群の瞬発力、類まれなる勝負根性をプラスして強化版を生み出すような馬だった。
ただそれと同時に、荒い気性という本人の個性もプラスしてしまう所がなんか面白い。
話は逸れるが、サンデーの子供が活躍するにつれて、気性の難しい馬の扱いが上手い武豊騎手が勝ち星を量産する。
サンデー産駒を1番上手く扱えた、武豊騎手は1番サンデーの影響を受けたとも言える。
そして30年の時を超えてサンデーサイレンスの血を引く馬がブリーダーズカップを制する…と言うのがまたね
うぽつです。サンデーの現役時代はこの動画で初めて知りましたが、低い評価を覆して大物になったんですね。驚きました。
現役だとあのデアリングタクトも大出世よな、セリつかず、牧場にて厳しい環境、そして伝説へ…
日本近代競馬の中でもニックスを作ったと言える存在だからやっぱり群を抜いてすごいのよね。
頭数が多かったと言えばそれまでではあるんだけども。
サンデーの本のタイトル「運命に噛みついた馬」ってのがまた色々と考えちゃって面白い。
私が今まで見た馬のなかで圧倒的に存在感があったのは、間違いなくサンデーサイレンス号です。
すでにトウカイテイオーが社台SSにいた頃なので、結構年をとっていたはずですが、それでも
そのときひと目見た印象は、狼でした。
動画のなかで、キチガイと呼んでいましたが、まさにそういう感じの獣という印象でした。
ぱっと見た感じでいうと、ディープとはまったく違う馬という印象を私は持っています。
動画面白かったです。
種付けをアメリカで申し込んだのは
社台とゴドルフィンだけなんだっけ
やっぱりこの二つは凄いわ
ダビスタでサンデーサイレンスと
ノーザンテーストの種付け料が高すぎて
サッカーボーイを付けてた日々を思い出す
プリークネスS、直線の馬体を接しての凄絶な叩き合い! 痺れる競馬の醍醐味. . 野性味溢れるサンデーサイレンスの激走!イージーゴアも凄い
セールで売れ残り→クラシック2冠→種牡馬として大成功 見事にノーザンダンサーと一致
しかもサンデーの調教師の師匠がそのノーザンダンサーの調教師で、三冠がかかった時に、ノーザンダンサーより可能性あるとサンデーを太鼓判してサンデーの調教師さんを鼓舞していたみたいですな。
サンデー旋風とはいうがその前のノーザン旋風ありきだからなぁ。
土台にノーザンの親和性がなかったらここまでじゃなかったろうな。
サンデーとノーザンに親和性があるならオペラハウスやコマンダーインチーフやピルサドスキーやフレンチデピュティがサンデー牝馬の血を活かして活躍馬や後継馬を出せていたかもしれない
サンデー、母系でも頑張れよ。親父は母系でも優秀だぞ。
ヘイローは母系に入るとラーイやマキャベリアンやシングスピールを出したし
ここからイクイノックスまで繋がるというバグ
サンデーサイレンスが誕生したのは、アーサー・ハンコックJr.が独立して経営したストーンファーム
イージーゴーアーが誕生したのは、アーサー・ハンコックJr.を追い出した実家のクレイボーンファーム
生産地・牧場主にも因縁がありましたね。
Breeders Cup Classic and a double crown winner. Sunday Silence is really great. And the Yoshidas a Jackpot on Sunday Silence as a Stud.
ダビスタ『サンデーサイレンスを去勢してみてはどうでしょうか?』『サンデーサイレンスは予後不良です』
日本競馬史が変わった瞬間である
アメリカも一時期突然変異かと思う馬がお薬漬けだったりして、ある意味本当の突然変異で強かったのSSくらいじゃないかと勘ぐってる
良くも悪くも日本競馬を変えた馬
高速馬場への異常な適応力でライバル種牡馬を蹴散らし日本競馬のスタイルが完全に定着した
サンデーで溢れかえった状態から今後日本競馬はどうなるのか非常に楽しみではある
日本競馬の父といえる存在。
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日本競馬の父と言われて思い浮かぶのはサンデーサイレンスじゃなくノーザンテーストかな。
サンデーサイレンスはまた何と言うか・・・化け物
よくぞ、サンデーを日本に
連れて来た!
今の大半の一流馬は、サンデーの血が入っているから、当然だけど、サンデーが来日していなかったら存在しない。
照哉さんの見る目と情熱に感謝です。
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照哉さんのアメリカ修行時代の人脈が、サンデー輸入の取引に大きく貢献したようですが、主導したのは照哉さんの父親の善哉さんです。
善哉さんはサンデー産駒デビューの前年に亡くなりました。
@@IM-ey9ue さん
あっ!善哉さんの間違いでした(((^_^;)
善哉さんの頃は、社台だけでなく、シンボリの和田さんやメジロの北野さん等、オーナーブリーダーが凌ぎを削って良い意味で生産界に活気がありましたね。
今は、社台というよりノーザン一強になってしまいましたが・・・。
サンデーが新種牡馬になったころ、トニービン、ブライアンズタイム、と連続で新種牡馬が活躍馬を輩出した奇跡的な時代だった。当時はそれが普通なのかと錯覚したがそれは普通では無かった。三強種牡馬時代が懐かしい
あの時代を境にジェイドロバリーやヘクタープロテクターレベルの輸入種牡馬が(G1特に芝)中長距離を勝ちにくくなったね
そういうのがいるから面白いのに、今のG1馬はトップ種牡馬の仔ばっかりでつまんない
イージーゴアとの対決はホント漫画以上に漫画みたいな展開だなあ。お互い大負けしないし
曽孫まで引き継ぐ気性の悪さww
祖父ヘイルトゥリーズン(ファミリーは俺が護る)。父ヘイロー(PTSD)。SS(気性難)。息子ステゴ(俺様何様ステゴ様)。孫ゴルシ(ゴルシ)。曾孫サービスエース(アタクシ様何様エース様)
うーん。この
シアトルスルーも負けないくらい凄いエピソードある馬よね
種牡馬としても超成功したし
種牡馬入りした時の日本での評価も「激しい気性が産駒に競争心として伝われば面白いけどトニービンやブライアンズタイム程の成績は残せないだろう」。
それでサンデーの産駒であるディープインパクトの産駒が世界中で求められているって所ね良いよねぇ
幸いなことにUA-camでレースが見れるから見ような
本当、SSがいなかったら90年代以降の日本競馬がどうなってたかは想像できない。
SS自身はダートのみで競走馬人生を終えてるけど、日本での種牡馬実績を考えるに実際に芝を走ったらどうだったのか…というのも考えてみると楽しそう。
あとは、SS以外のアメリカダート馬が種牡馬として来日したら、同じように今のSS血統図を塗り替えるような名馬が埋もれてるのかもしれない…とも思う
シャダイカグラが地味かあ…
まあ世代が違えばそうなるか。
(確かに牡馬は地味オブ地味だったけど)
当時のイージーゴーアの人気は凄くて日本でも競馬やってて知らない人はいないって感じだったんですよね。
で、裏街道から突然出てきたサンデーサイレンスに2冠を掻っ攫われたって雰囲気だった。
米3冠がかかったベルモントSは日本の競馬場でも映像が流されたぐらいの盛り上がりで私は阪神競馬場で見た記憶があります。
3冠よりもイージーゴーアが雪辱することを期待してたのであの8馬身差は嬉しかったですね。
BC入れても総合計着差ではイージーゴーアが勝ってる!とか言ってました(笑)
当時の日本馬で強引に例えるならええとこのボンボンがサッカーボーイで、低評価からの叩き上げ馬がオグリキャップでしようか。私は…勿論サッカーボーイが好きでした(笑)
サンデーを社台が買った時はジャパンマネーバッシングの時代(バブル時代)でしたから米からの批判もありましたよね。
しかしサンデーで競馬が変質するとは善哉さんも思ってなかったでしょうね。明確にサンデー前とサンデー後に分かれたんですからね。
凄いサイヤーでした。
母系を遡るとアルゼンチンとかで走っていた馬らしい。
気性が荒いサンデーも引退後の牧場ではメジロマックイーンとは仲が良かったらしいね。
突っかかったけどビビらなかったマックイーンをサンデーが心底気に入ったとかいうヤンキー同士の友情っぽいなにか。
一昔前の不良系青春漫画とかでこういう展開ありそう。
名前の由来は『日曜日のミサ』、だが強すぎたので『日曜日の喧騒』と揶揄されたとか。
サイレンススズカの子供も見たかったですね。残念無念。
プリークネスSの直線の叩き合いは全くピッタリ並んだままだったから、初めて動画見たときは胸が熱くなりました。
あれを、当時現地で、サンデー側の立場で見てたらと思うと…そこは興奮の坩堝と化していたでしょうね。
あんなに走ったサンデーサイレンス産駒。私の共同出資馬は走らなかった。
サンデーの生涯は、感動あるよね。
(´・ω・`)
サンデーが日本に来た事で当時の内国産馬の血統が絶滅したからね
当時はバブル崩壊直後で内国産の血統を保護する余裕が無かった事も原因ですね
大変勉強になりました。
温故知新の気持ちで明日の競馬頑張ります。
今度マイナー血統の事もご教授お願いします、セイウンスカイが良血に思えるようなものを期待しています
プリークネスsでのシバキ合いを観た時は、画面に釘付けでした。
痺れる~!!
なけてきた、、。すげーよ、サンデーサイレンス!
幼少期にクソ重すぎるドラマを抱えてて、コイツ主役でアニメでもドラマでも作ればいいのにと思った
ゴットファーザーも合う馬
ウイポでも米3冠は日程詰まってるしダートだしで達成難しいんだよなぁ。欧州3冠や英3冠の方がよっぽど楽に取れる。
サンデーサイレンス君色々と凄すぎるなぁ...
当時はバブルもありスポーツ紙などで大騒ぎしていたな……
当時は地味な名門シンボリやメジロに対し、ド派手な社台グループ種牡馬のノーザンテースト、リアルシャダイ、アンバーシャダイ、トニービン、サンデーサイレンス……ある意味今以上に競馬熱が凄かったからな。
シンジケート、一口馬主なんて言葉もあの頃から頻繁に聞くようになった。
今のスポーツ紙の競馬欄のコラムや特集はあの時できたと思う。
丁度スポーツ新聞が2色刷りからフルカラーに変化した時期でもあり派手な紙面になった時期と符合する。
そのボンボンが、マジモンの化け物なんだよなぁ。サンデー以外には同期にも古馬にもほぼ負けなしでGI9勝しているし。
本気で走ったのはサンデー以外いないんしゃないのかな。
黒に流星のシルエットだけでSSとすぐ分かる
漫画的展開すぎる
もしかして、牧場が紅魔館組なのって
仔馬時代と紅魔時代をかけてる?
楽しかった!この動画。
また、お願いします
うぽつです。今度は別の馬の「名馬解説」もやってください。
ストーリーで多いと言えば「キーストン」「シャダイソフィア」「トロットサンダー」なんかいいと思います。
待ってました!
休日のミサの静けさから名付けられたという、最高に似合わない馬名。だがそれがいい
とーちゃんがhalo(光輪)
かーちゃんがwishing well(願いの井戸)
んで坊やがsunday silence(日曜日の静寂)
連想で名付けられたんだろうが大分ヤンチャに育ってしまった
ある意味でぴったりの名前。
ハンコックⅢが送られてきた「こんな名前どうでしょうリスト」からSSを選んだ理由が、「あるカントリーミュージックを連想したから」だそうです。カントリーミュージック歌手としてメジャーデビューを目指した人物で、アマチュア歌手としても有名です。後に「サンデーサイレンス」という自主制作CDも発売しています。(その道楽が祟り実家を継げなかったとも言う)
@@chobichobi2001
じーちゃんHail to Reason(理性を呼び掛ける)←超気性難な上に賢い
とーちゃん←PTSD。メンヘラ気性難
かーちゃん←控えめに言ってキ○ガイ
坊や←気性難
息子←俺様何様ステゴ様。
これでも、を年代を経る毎にマシになっているという恐怖
「神は乗り越える者にしか試練を与えない」を地で行ってたサンデーか………
種牡馬当時、仔馬の後脚がX脚だと「こりゃダメだな」と評価下がるのにサンデー産駒だと告げると「なんでそれを言ってくれないんだ!」とむしろ評価されたらしい
アメ公、最大のやらかし
アメリカにいてもミスプロ系には勝てなかったんじゃない?
ミスプロ本人の活躍はもちろん、ファピアノやゴーンウェストとか後継種牡馬も成功したの多いし
仮に成功したとしてもせいぜい(当時でいえば)ミスプロ以外のレイズアネイティヴ傍系、リボー系やトムフール系、ダマスカス系、リローンチ系、ラフンタンブル系ポジションにとどまってたかもね
ウイポだとイージーゴアがかなり手ごわいので芝主体のほうが成績は安定したりするけどね
距離適性的に欧州マイル三冠取らせて三冠配合の条件を満たした馬主は多いはず
サンデー自身に芝適性があったのかは走ってないから分からないけど、ゲームの都合で産駒が芝馬が多いから万能型にして、ダート型のイージーゴアに勝てなくなるのは皮肉だね
ウイポ9だと馬場型が8までの仕様と変わって万能型でも遜色なくなったから最初の2冠とか勝ちやすくなったけど
90年代のSS旋風が凄すぎたもんなぁ。
サンデーサイレンスの生涯を描いた映画かドラマが見たいな
ダート馬っぽくない体型なのに
ダートでこの実績
芝ならもっと強かった可能性あるな
アメリカだと芝は「ダートで勝てない馬」の行き先みたいな評価がまだあるからね。
ブリーダーズカップで賞金額が最高なのはダート2000mの「クラシック」だし。
日本での産駒を見るに、距離や馬場の適性なんてありゃしない、もうなんでもありぐらいな勢いですもんね
欧州の芝でもてんで無理って訳ではなさそうでしたし(ディープインパクトはやらかした印象が先行して気の毒)
日本競馬界を変えた名馬
八雲紫「おいしい所くれてどうもありがとう!ところでレミリアとパチュリーの目が怖いんだけど」
日本の競馬界そのものを変えたサンデーサイレンス。サンデーが日本に来なかったら日本競馬は終わってたかもしれない。
それならそれで違う馬の父系が繁栄しているからそれは大袈裟では?
例えばトニービンやブライアンズタイムなど
サンデーが輸入されていなかったらおそらくノーザンテースト系やマルゼンスキー系がまだラインが続いて日本土着のノーザンダンサー系として確立していたかもしれないし彼らが日本競馬を支えていた気はする
それにヘロド系(ダンディルート等のリュティエ系やパーソロン等のマイバブー系)もガッツリ残っていたかもしれない
サンデーが日本競馬を変えたのは間違いないけど彼がいないからって競馬が終わるってことは絶対にない
その時日本にいる馬たち、あるいは別の輸入種牡馬が日本競馬の歴史を紡いでいく
ただそれだけのこと
終わるとしたら競馬を禁止にするか廃止にするかじゃない限り終わらないと思う
ノーザンダンサーも売れ残り。
ハイペリオンモ売れ残り。
共に小さい、世界最高峰の種馬。
ノーザンダンサーは言うまでもなく、ハイペリオンもオーウェンテューダー、スターダスト、オリオール、アリバイ、カーレッド、アリストファネス、ヘリオポリス、ロックフェラなど多数の後継種牡馬が大成功して一大父系を築いたからね
サンデーはこの2頭に並び立てるのだろうか
これからも海外から来た血統詳しく説明して欲しいです
青鹿毛ってメッチャ綺麗じゃないか
これだからアメリカ人は
レース中に隣の馬を噛む、社台スタリオンでも目の前を通る他の馬や人間を威嚇する。近隣の幼稚園児が写生会に来た際他の馬は普通に描かれていたのにサンデーは怪獣みたいに描かれる。ある日いつも通り横切った馬に因縁つけた。普通の馬ならビビるか向かってくるか。なのにその芦毛馬はまったく意に介せず。その様子にサンデーは「コイツ、オモロイやんけ」と思ったのか威嚇しなくなった。それを見たスタリオン関係者は見学コースにいた芦毛馬をサンデーの隣の放牧地に移動。そうしたらサンデーは芦毛馬の側に面した柵に張り付きいつもその芦毛馬に話しかけ、芦毛馬は黙って牧草を食べながら話を聞いていたという。しばらくするとサンデーは以前ほどキレなくなり扱い易くなった。その芦毛馬はメジロマックイーン。数年後「精神安定剤」メジロマックイーン無しでもキレなくなったサンデー。マックイーンは元の見学コースに。親友サンデーの死後、マックはふるさと浦河に近い社台スタリオン荻伏へ。しかし直ぐ心臓発作で親友の後を追った。