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ピンクレディーのお二人って、当時でも今でも凄いスタイルの持ち主だし何より声が素敵。
真ん中欽ちゃんやで!
1976年生まれなんですが、生まれて初めて「この人、きれいだなぁ」と思ったのがミーちゃんでしたww
ほんと全速力で、がんばってたんですね!この時代、小学生で、いじめられっこだったけど、ピンクレディーがいたから、家で歌っておどって、救われました~!ほんとひたむきで涙でます!今でも美魔女ぶりは、健在ですね!今でも大ファンです♡
マイケルジャクソンのスリラーのワーハハハハを聴いた時にビンクレディーのモンスターじゃんって当時思った。ビンクの方が5年位早いって凄くない?
解散宣言記者会見での"私達は精一杯頑張ってきました"ピンク・レディーには、その言葉がよく似合うなと思った
紅白歌合戦を辞退してまで目の見えない子供達のためにチャリティーコンサートをする。周囲から批判を受けてもやり遂げたこと、リスペクトです。小学校3年生の時、自分の住んでいる田舎町にコンサートに来てくれました。その時、本物を見たとき、TVに映っている人が現実に目の前にいる事に感動した事がピンクレディの思い出です。もう40年以上前の思い出。
ピンクレディーは、かなりチャレンジ精神旺盛なアイドルだったんだね❗️
目の見えない子供たちとの約束を守り、チャリティ・コンサートをするために紅白を辞退。そのために、バッシングを受けたピンクレディー。やるせないですね。お金よりも子供たちの幸せのために頑張ったお二人をなぜ潰すの?(/_;)ピンクレディーのお二人には、今まで理不尽な仕打ちや、辛いことがいっぱいあった分、死ぬまで幸せでいてほしいです。
すごい時代のかけぬけ方ですね。涙が出ます。
UFO、サウスポーの時は無敵でした。
チャリティーで子供に話しかけるミーちゃん、ほんとに優しそうな顔と声してる当時は目の前の仕事で精一杯だったんだろうけど、約束果たしたよっていう言葉からも本当に大事に仕事してたんだなぁと
絶対的カリスマ性を持ったアイドルだった。もうこんな時代は来ないだろう。
こんな時代は来ないってよりきて欲しくないって願望では?
@@starpop6337これだけ見るもの好みが多様化してる状態で老男男女問わず巻き込むって不可能だからこの頃は茶の間で祖父母、父母、兄弟姉妹みんなが1つのテレビで番組を見てたそんな時代にまた戻るとは思えないよね
ミイちゃんがいてあのハスキーボイスはセンセーショナルだった
当時、どこのチャンネルを廻しても出てましたね😊大変だったと思いますが、頑張ってくれて、私たちを幸せにしてくれました。この2人が、本当の、『国民的アイドル』なんだと思います
キー局は、恐らく全部出ていたのじゃないかな?特にTBSなんて、ドリフがメインの人形劇「翔べ!孫悟空」の主題歌を歌って、「ザ・チャンス」ではアメリカに行く前にMCをされていたからね。(後任は、伊東四朗さん)
今思うと、ピンクレディーはテレビに出ない日は無い位。お茶の間の超売れっ子だったね❗️
最後のレコードまで買った人気落ちても買った好きって気持ちは人気落ちても変わんなかったこの時代に生まれて良かったと思う。
素晴らしい
同じです。人気落ちても全部シングル買いました😃
ドラえもんの「宇宙ターザン」を思い出した。
やはりアメリカでの活躍VTRが薄く表現されているのが悲しい。どんだけの活躍したことか。結構アメリカでの活躍は、ピンクレディーの中でも大きな成功だったと思う。
ミーちゃんの…どうしても使えもんないなっての…訛りがかわいい!もう、ピンクレディーじゃん!!
寝る間もなく歌ってきたんだから疲れは絶大だよね。たまにお笑いで見るミーちゃんが面白かった。
ピンクレディーとは、田舎娘wのミーがどんどん洗練された女になる成長の物語でもある。(対照的にケイは最初からずっとイメージが変わらない気がした)
小2の頃デビューして数年でピークは過ぎたけどリアルタイムで活躍を観れたのは良かったです。どの曲にも思い出がありますから😃
田舎娘が、ドンドンあか抜けてきて大スターになりましたね。
結成~解散までの経緯は、波瀾万丈でした。中でも紅白出場辞退は、衝撃でした。
当時は2人ともスラっと背が高くて、それまでのアイドルと違って「カッコイイ」「洗練されてる」という印象でしたが、ミーちゃんが163cmでケーちゃんが160cm、今となってはそれ程背が高いという訳では無いですね。
小5の時デビューして、それから3年くらいが絶頂期だったんで毎日視てた😅ミーちゃんステキなお姉さんだったな😃死ぬまでに一度ミーちゃんに会いたい😂
ピンクレディは、永遠のアイドルですね。👍この時代は、歌番組があり、いつも、ベスト1になっていましたね。p(^^)q
当時は、スマホとネットが無い時代だったけど。テレビ・ラジオ・雑誌のメディアで、色々活躍してたのが超スゴかった❗️
ケイがミーの学校に転校して二人が出会わなければピンクレディーはいなかったのだ。本当に奇跡としか言いようがない!👍
後ろの他の歌手の冷めた目今どきの若いもんはって感じで草ピンクレディーは永遠に不滅です
逆にピンクレディー世代の人たちも今の若いもんはって感じだから時代は繰り返すと思う
デビュー当時小学校低学年で大ファンでした😍 当時はスーパースターでした。今、初老の自分が当時の彼女らを見た時、職業人としていい仕事をして輝いているな~と思います。ジュリーがいて秀樹がいていい時代だった。
ミーちゃんの『なんない』静岡だなぁ..
たった4年ですよ。ちょっと売れると欲が出てどこまでもやりたがる現在のアイドルグループとは大違いですね。。
坂道?AKB?の事?
ピンクレディーの活動期間は、たった4年だったんだ❗
AKB全盛期は本当に凄かったし、スパッと終わればよかったのにね…
正確には4年7か月です☆彡
まあまあ、はっきりと明確に年月がわかったのだから、それでいいじゃないですか。モヤモヤしなくなくなったのでしょ。
ピンクレディーが静岡出身、これだけでも嬉しいわ
彼女たちは時代に生まれ時代に踊らされて時代に幕を下ろされた。
そして、時代を作った♡
時代が踊った
今でも全曲踊れます👍
My heart is filled with so much love for them… especially from 3:04 to 3:16. I love Pink Lady - now and forever.私の心は彼らへの愛でいっぱいです…特に 3:04 から 3:16 まで。 私はピンク・レディーが今もこれからも大好きです。
当時あまり好きではなかったけど今聞いてみると、歌唱力が、半端ないなー
スター誕生のテレビ。オーディションを見ていた。赤と青のオーバーオールきて歌っていたの、印象的でした。
私も小さい頃はミィちゃんは可愛いと思ってましたが歳を重ねるうちにケイちゃんの魅力にも虜になりますねピンクレディーは無敵です
スタ誕時点で歌はかなり上手かったんだな
ピンクレディー小さい子どもの頃大好き💓♥️❤️でした
やり遂げた‼️二人だから 最後まで乾杯🍷
まさに売れる時期に売りつくす‼流行歌の極み‼
瞬間最大風速だね
私が5才の時に、ピンクレディーが解散宣言したけど。当時、山口百恵も同時期に引退した。
アイドルとしてもさることながらこの2人の人間性がなによりの素晴らしいところ😌リアルタイムで観てきた俺達は2人を死んでも忘れることはないだろう❤✨
今日で、デビュー43年。
1:30 オーディション時に、すでにここまで歌えているのはすごいと思った レコード会社が一から育て上げたという感じではないですね
既に「クッキー」とかいう名前でマイナーアイドル的に活動してたらしいですよ。 ワザと地味にサロペット来てフォーク的な歌でアピールしたかったようで。
AKBの誰よりも上手いやん
ピンクレディーは、超売れっ子だった頃。今では考えられないけど、超ハードスケジュールで睡眠時間はたった2~3時間だったらしいよ。
ピンクレディは一度見に行きました〜😃😃
ペッパー警部の映像(間違いなくスター誕生!からの物)をリアルタイムで観た記憶(勿論動画で)がある。観た当時は「キワモノ狙い?」だとしか思えんかったけど・・・・・。
喋り方ほんっとすき
時折、フジの君スタ!で優勝してデビューし、審査員の千家和也&穂口雄右の作品でデビューしていたら、どう展開したかな…と考える。いろんな楽曲を唄っていたかも。妄想。
mieちゃん今でも可愛い💕
1:10 のミーちゃんの写真はTBS『ぴったしカン・カン』でピンク・レディーがゲスト出演した際、「一枚の写真」で出題されたのを見た覚えがある。
僕もリアルタイムで見た記憶があります。確かカルメン'77が新曲で歌った時だと思います。
有楽町のスタ誕の予選会でデビュー前のピンクレディーにあいました。ミーちゃんに頼んだら笑顔でサインしてくれました。あの頃まだ、もう一つの候補があると話してくれてました。みいちゃんホントに可愛かったです
そういえば、昔ピンクレディ物語っていうアニメやってたね。清水ゆきこさんって自殺したよね。
テレ東で、ピンクレディ物語というアニメがオンエアしてたね❗
時代の申し子生まれるべくして生まれた超絶のアイドルピンクレディと松田聖子が今思えば唯一無二のアイドルだったと思う。当時はまるでそこらへんにいくらでもある石ころのような存在だと思っていたのに。
タイトル:部屋を出て下さい歌手:ピーマン作詞:上岡健二作曲:上岡健二編曲:船山基紀どうもありがとう部屋を出て下さいとてもいとおしいあなたを残して出て下さい今はいりませんあなたのおしゃべりはうなずくことしかできない今です出て下さいあかりを消しますよ街もねむりましたね帰ってくださいあなたもおうちへさようならなにも聞きませんなにも言わないで部屋を出て下さいタバコがすんだらなにも言わないでおやすみなさいと静かに笑って出て下さい今はいりませんあなたの親切はうつむきかげんのあなたが好きです 出て下さい今のすれちがいが言葉に出ないうちに気づいてくださいきのうのあなたに戻ってなにもいりません部屋を出て下さい部屋を出て下さい部屋を出て下さい
4年って短いなぁ😅😣
太く短くそして燃え尽きたのだよ。
4年という短い期間でも人気はとにかく凄まじかった
スター誕生にエントリーした時点で、発声や歌唱の基本がすでにここまでできてるのは、今のアイドル(NMB48の渋谷凪咲推しですが…)から考えると驚異的ですらあります。特にミーちゃんの澄んだ高音は本当に耳に心地良いですね。
ちょっと時代が違うと思いますが、ピンクレディを見ていると沢田研二さんを思い出しますね。パフォーマンスが似ているのですかね❗
ピンク・レディーと沢田研二は、同時期にヒット曲出してますよ❗️
1977年(昭和53年)サザンオールスターズが、ピンク・レディーと、沢田研二さんのヒット曲の合体曲「勝手にシンドバッド」を発売した年です。
スタンドマイクで歌う曲が多い点は共通していると思います。
この頃は、どのチャンネル回してもピンクレディーのコマーシャルが流れていたし、グッズも売れに売れていたし、ただ売れに売れ過ぎてスケジュールはびっしりで、食事や睡眠を取ることもままならず、移動の車の中でしか食べることしか出来ず、満足な食事は出来なかった。寝るにしても、たったの二時間~三時間で若いからこそ体力も持ったんだと思う。解散して、ようやく普通の生活に戻ることが出来て良かったと思った。
テレビに出ない日は無い位、いろんなメディアで活躍してたね❗️
カルメンは今でも名曲
透き通ったハイトーンボイスとアンニュイなハスキーボイスのハーモニー絶品👏破竹の3年弱は勿論あの路線で良かったと思うのだけどサウスポーかモンスターの後にこのオーディションみたいに路線変更で本格女性デュオになれなかったのかしら😅晩年はお二人共綺麗な大人の女性になられて、楽曲もセールス度外視で素敵だったから❤
短い期間だったから『伝説』なので良かったのかも✌️
ピンクレディー永遠のアイドルですね!もうこうゆうアイドル二度と出てこないと思います!
出てこないっていうよりこういうアイドルを今の若い世代が求めないだけの話だと思う
@@jjaccess7480日本の音楽業界は終わってますから
最近のアイドルグループはお人数かつメンバー変更でグループ自体は別物になっても存在し続けますから、なかなか時代の変化が感じられませんね。そもそもみんなが一つの物にハマる時代ではないから難しいんですかね。
ですね。今の10代のアイドルの子たちが悪いわけでなくビジネスになる限りとことんやる周りの大人やスタッフ、それを買うロリコンおじさんヲタクがいるから成り立ってるわけだしね。
この頃はまだケイの声がミーの声を少し低くしたような声で、声が似ている。
今改めて見ても完成形(*´∀`*)
本人たちもだけど、欽ちゃんが若い❗️
これ程の大旋風を巻き起こしたアイドルはこれ以降も居ないような気がする。花の82年組もAKBもここまでの人気は無かった気がする
別格ですよ😃
時代背景も違うしね何でもそうだけど環境や条件の違う時代のものを比べても意味がない
光GENJIが近いかも…。
2:40これ銀ちゃんだ!
当時はわからんかったけど、歌、上手ですよね(^-^;当時ルックス先行な感じやったけど。やっぱり、昭和は良い!!!!!!…なんかちゃうか?ま、それぐらい、ピンクレディは素晴らしかった…ってことですよ♥
よく頑張った結果出る予定ですねこれから配信者ですね
せっかく編集して頂いたのですが、ピンクレディーの全てと混合したものではなく、ラスベガス特集のままが、見たかったです。😢
1:04 住所出てる…
Awesome stuff! Love me some Pink Lady!
ピンクレディ❗👏俺が、小学生の時❗女の子ピンクレディの歌、踊り、真似してましたね❗ピンクレディ旋風❗🎶💘俺は、みーちゃん派、けいちゃん派って言ってたな❗俺は、みーちゃん派ですね❗💘👍👍👍👍👍
当時、いわゆる追っかけ(JPC)やってました。後楽園もチャリティのコマ劇場も居ました。その前のレコ大で大賞取ったのをコマで誰かの携帯テレビで見ました。もう40年以上前ですね。当時、地方のコンサートは口パクだったんですよ。
what's the song at 3:17?
スターを 目指し 目標が 達成し 時代が❗終わった‼️
懐かしいやな!小学生の時やで!
ミーちゃんのお母様はハタチで産んだそうだから、お若いのよね。
ふたりとも成長し、身長162センチメーター以上に上昇。
ピンク・レディーの知られざるストーリー渡辺プロの総務部長に、波多野和彦という人がいた。波多野氏は、知り合いの芸能プロの相馬一比古氏が発掘した二人の女の子の売り出しの為に、新たにT&Cというマネージメント会社を設立させる。その資金(一億円以上だという)を提供したのが、日本を代表する総会屋の一人、小川薫氏だった。小川氏は、女の子達のデビュー曲が「乾杯お嬢さん」と「ペッパー警部」というA,B面シングルだと聞き、開口一番「乾杯お嬢さん、なんて田舎臭い曲名より、ペッパー警部のほうが語呂がええ、そっちにせえ。」小川氏は、T&Cの社員全員に、猛烈にレコードを売りに出させた。デパートなどのサイン会なども、積極的に行なった。そして、大ヒットになる。
J.J.ジェイジェイ さん。相馬さんに力を貸した方がいたんですね。T&Cはもともとあった事務所だと思ってました。レコード会社側と日本テレビのスタッフの話は良く聞きますが事務所のマネジメントについてはあまり聞いたことがないので興味深いです。
@@キヒロ-t1g T&Cの社長は、元日興証券社員の貫泰夫という人が就任して、貫氏が、直接ピンクレディーのマネージャーを勤めたようですね。貫氏が、小川薫氏と同級生だった間柄で資金提供をした小川氏がデビュー曲にケチをつけたため、かの阿久悠氏が、何で総会屋風情がそんなこと決めるんだ、と激怒したといいます。貫氏も歌謡曲界の大御所に意見するのは恐れ多いと思ったが、結果的には見る目があったことになりますよね。
このプラカードがあがった時点では、アクトワンエンタープライズという名前だったと思います。相馬さんて、芸映プロにいたんですよね。よく見ると、彼女達にも芸映さん、あげていますよね。どうせなら2組ともT&Cが獲得して、清水由貴子もピンクのように大変身させてほしかった。岩崎宏美が大好きみたいだから芸映に行ったんでしょうけどね。アコギをエレキに変えてバリバリのロックで…。
大手証券会社の社員だった貫泰夫氏が、なぜ突然芸能事務所を始めたのかが疑問でしたが、ナベプロの波多野と言う人が貫氏を芸能ビジネスに勧誘したというのなら話が見えてきます。
3:12ドラフトみたいな感じ?
入るとこ(事務所)は自分で決める、クジじゃないよw
正直、UFO→サウスポーまでは良かった次がモンスターじゃなかったら
西暦で言わないあたりに時代を感じる。
ピンクレディーはレコードの売り上げではUFOの155万枚を頂点にし、人気絶頂を迎えるが、ある分析会社では、その1曲前のウォンデットで12週連続1位を記録していたにも拘わらず、二人が徐々に飽きられ始めており、その人気はそう長くはもたないと分析していたそう。
その前にちょっと飛んでるピンクレディーの前に[白い風船]やってたのに無視されている
レコード持ってます〜😊😊😊
ペッパー警部~UFOまでは、女性が積極的、受け身、積極的・・と交互になっている。サウスポーから、イミフな世界観になって、人気が下降?のイメージ。
サウスポーは、歌詞の出だしの意味がわかれば「そうなんや」と納得出来るはずだよ。背番号1、これがわかれば後はそんなに難しくない。
お疲れ、有難うケイチャン60才M
🎉🎉🎉
売れかたが、半端でなかった。昭和の超ビッグスターと言えば、ピンクレディー、山口百恵、キャンディーズかな。
(ピンクレディ❤️(ノ≧▽≦)ノの物語❤️(ノ≧▽≦)ノ🎀)
つーか全曲覚えてるわ
小学1年〜小学6年迄一粒約5年
1976年昭和51年4月頃ぴんくレディ始めテしリ〜1981年僕11歳昭和56年3月31日解散コンサート侯楽園球場日本テレビ見た
6歳小学1年
愛知嫌い男より😡⚡。腰振りすぎるとぐぎっとなるよん😁関西三重男より。
ミーもケイも子供の頃はぶさいね。
子供の頃は二人とも不細工でびっくり
当時の写真技術のせいもあるんじゃないでしょうか😊
ピンクレディーのお二人って、当時でも今でも凄いスタイルの持ち主だし何より声が素敵。
真ん中欽ちゃんやで!
1976年生まれなんですが、生まれて初めて「この人、きれいだなぁ」と思ったのがミーちゃんでしたww
ほんと全速力で、がんばってたんですね!
この時代、小学生で、いじめられっこだったけど、
ピンクレディーがいたから、家で歌っておどって、
救われました~!
ほんとひたむきで涙でます!
今でも美魔女ぶりは、健在ですね!
今でも大ファンです♡
マイケルジャクソンのスリラーのワーハハハハを聴いた時にビンクレディーのモンスターじゃんって当時思った。ビンクの方が5年位早いって凄くない?
解散宣言記者会見での
"私達は精一杯頑張ってきました"
ピンク・レディーには、その言葉がよく似合うなと思った
紅白歌合戦を辞退してまで
目の見えない子供達のためにチャリティーコンサートをする。
周囲から批判を受けてもやり遂げたこと、リスペクトです。
小学校3年生の時、自分の住んでいる田舎町にコンサートに来てくれました。
その時、本物を見たとき、TVに映っている人が現実に目の前にいる事に感動した事がピンクレディの思い出です。
もう40年以上前の思い出。
ピンクレディーは、かなりチャレンジ精神旺盛なアイドルだったんだね❗️
目の見えない子供たちとの約束を守り、チャリティ・コンサートをするために紅白を辞退。そのために、バッシングを受けたピンクレディー。やるせないですね。
お金よりも子供たちの幸せのために頑張ったお二人をなぜ潰すの?(/_;)
ピンクレディーのお二人には、今まで理不尽な仕打ちや、辛いことがいっぱいあった分、
死ぬまで幸せでいてほしいです。
すごい時代のかけぬけ方ですね。涙が出ます。
UFO、サウスポーの時は無敵でした。
チャリティーで子供に話しかけるミーちゃん、ほんとに優しそうな顔と声してる
当時は目の前の仕事で精一杯だったんだろうけど、約束果たしたよっていう言葉からも本当に大事に仕事してたんだなぁと
絶対的カリスマ性を持ったアイドルだった。もうこんな時代は来ないだろう。
こんな時代は来ないってよりきて欲しくないって願望では?
@@starpop6337
これだけ見るもの好みが多様化してる状態で
老男男女問わず巻き込むって不可能だから
この頃は茶の間で祖父母、父母、兄弟姉妹みんなが1つのテレビで番組を見てた
そんな時代にまた戻るとは思えないよね
ミイちゃんがいて
あのハスキーボイスはセンセーショナルだった
当時、どこのチャンネルを廻しても出てましたね😊大変だったと思いますが、頑張ってくれて、私たちを幸せにしてくれました。この2人が、
本当の、『国民的アイドル』なんだと思います
キー局は、恐らく全部出ていたのじゃないかな?
特にTBSなんて、ドリフがメインの人形劇「翔べ!孫悟空」の主題歌を歌って、
「ザ・チャンス」ではアメリカに行く前にMCをされていたからね。
(後任は、伊東四朗さん)
今思うと、ピンクレディーはテレビに出ない日は無い位。
お茶の間の超売れっ子だったね❗️
最後のレコードまで買った
人気落ちても買った
好きって気持ちは人気落ちても変わんなかった
この時代に生まれて良かったと思う。
素晴らしい
同じです。人気落ちても全部シングル買いました😃
ドラえもんの「宇宙ターザン」を思い出した。
やはりアメリカでの活躍VTRが薄く表現されているのが悲しい。どんだけの活躍したことか。
結構アメリカでの活躍は、ピンクレディーの中でも大きな成功だったと思う。
ミーちゃんの…どうしても使えもんないなっての…訛りがかわいい!
もう、ピンクレディーじゃん!!
寝る間もなく歌ってきたんだから疲れは絶大だよね。
たまにお笑いで見るミーちゃんが面白かった。
ピンクレディーとは、田舎娘wのミーがどんどん洗練された女になる
成長の物語でもある。(対照的にケイは最初からずっとイメージが変わらない気がした)
小2の頃デビューして数年でピークは過ぎたけどリアルタイムで活躍を観れたのは良かったです。どの曲にも思い出がありますから😃
田舎娘が、ドンドンあか抜けてきて大スターになりましたね。
結成~解散までの経緯は、波瀾万丈でした。
中でも紅白出場辞退は、衝撃でした。
当時は2人ともスラっと背が高くて、それまでのアイドルと違って「カッコイイ」「洗練されてる」という印象でしたが、ミーちゃんが163cmでケーちゃんが160cm、今となってはそれ程背が高いという訳では無いですね。
小5の時デビューして、それから3年くらいが絶頂期だったんで毎日視てた😅ミーちゃんステキなお姉さんだったな😃死ぬまでに一度ミーちゃんに会いたい😂
ピンクレディは、永遠のアイドルですね。👍
この時代は、歌番組があり、いつも、ベスト1になっていましたね。p(^^)q
当時は、スマホとネットが無い時代だったけど。
テレビ・ラジオ・雑誌のメディアで、色々活躍してたのが超スゴかった❗️
ケイがミーの学校に転校して二人が出会わなければピンクレディーはいなかったのだ。
本当に奇跡としか言いようがない!👍
後ろの他の歌手の冷めた目
今どきの若いもんはって感じで草
ピンクレディーは永遠に不滅です
逆にピンクレディー世代の人たちも今の若いもんはって感じだから時代は繰り返すと思う
デビュー当時小学校低学年で大ファンでした😍 当時はスーパースターでした。今、初老の自分が当時の彼女らを見た時、職業人としていい仕事をして輝いているな~と思います。ジュリーがいて秀樹がいていい時代だった。
ミーちゃんの『なんない』静岡だなぁ..
たった4年ですよ。ちょっと売れると欲が出てどこまでもやりたがる現在のアイドルグループとは大違いですね。。
坂道?AKB?の事?
ピンクレディーの活動期間は、たった4年だったんだ❗
AKB全盛期は本当に凄かったし、
スパッと終わればよかったのにね…
正確には4年7か月です☆彡
まあまあ、はっきりと明確に
年月がわかったのだから、
それでいいじゃないですか。
モヤモヤしなくなくなったのでしょ。
ピンクレディーが静岡出身、これだけでも嬉しいわ
彼女たちは時代に生まれ時代に踊らされて時代に幕を下ろされた。
そして、時代を作った♡
時代が踊った
今でも全曲踊れます👍
My heart is filled with so much love for them… especially from 3:04 to 3:16. I love Pink Lady - now and forever.
私の心は彼らへの愛でいっぱいです…特に 3:04 から 3:16 まで。 私はピンク・レディーが今もこれからも大好きです。
当時あまり好きではなかったけど今聞いてみると、歌唱力が、半端ないなー
スター誕生のテレビ。オーディションを見ていた。赤と青のオーバーオールきて歌っていたの、印象的でした。
私も小さい頃はミィちゃんは可愛いと思ってましたが
歳を重ねるうちにケイちゃんの魅力にも虜になりますね
ピンクレディーは無敵です
スタ誕時点で歌はかなり上手かったんだな
ピンクレディー小さい子どもの頃大好き💓♥️❤️でした
やり遂げた‼️
二人だから 最後まで
乾杯🍷
まさに売れる時期に売りつくす‼流行歌の極み‼
瞬間最大風速だね
私が5才の時に、ピンクレディーが解散宣言したけど。
当時、山口百恵も同時期に引退した。
アイドルとしてもさることながら
この2人の人間性がなによりの素晴らしいところ😌リアルタイムで観てきた俺達は2人を死んでも忘れることはないだろう❤✨
今日で、デビュー43年。
1:30 オーディション時に、すでにここまで歌えているのはすごいと思った レコード会社が一から育て上げたという感じではないですね
既に「クッキー」とかいう名前でマイナーアイドル的に活動してたらしいですよ。 ワザと地味にサロペット来てフォーク的な歌でアピールしたかったようで。
AKBの誰よりも上手いやん
ピンクレディーは、超売れっ子だった頃。
今では考えられないけど、超ハードスケジュールで睡眠時間はたった2~3時間だったらしいよ。
ピンクレディは一度見に行きました〜😃😃
ペッパー警部の映像(間違いなくスター誕生!からの物)をリアルタイムで観た記憶(勿論動画で)がある。観た当時は「キワモノ狙い?」だとしか思えんかったけど・・・・・。
喋り方ほんっとすき
時折、フジの君スタ!で優勝してデビューし、審査員の千家和也&穂口雄右の作品でデビューしていたら、どう展開したかな…と考える。いろんな楽曲を唄っていたかも。妄想。
mieちゃん今でも可愛い💕
1:10 のミーちゃんの写真はTBS『ぴったしカン・カン』でピンク・レディーがゲスト出演した際、「一枚の写真」で出題されたのを見た覚えがある。
僕もリアルタイムで見た記憶があります。確かカルメン'77が新曲で歌った時だと思います。
有楽町のスタ誕の予選会でデビュー前のピンクレディーにあいました。ミーちゃんに頼んだら笑顔でサインしてくれました。
あの頃まだ、もう一つの候補があると話してくれてました。
みいちゃんホントに可愛かったです
そういえば、昔ピンクレディ物語っていうアニメやってたね。
清水ゆきこさんって自殺したよね。
テレ東で、ピンクレディ物語というアニメがオンエアしてたね❗
時代の申し子
生まれるべくして生まれた超絶のアイドル
ピンクレディと松田聖子が今思えば
唯一無二のアイドルだったと思う。
当時はまるでそこらへんにいくらでもある
石ころのような存在だと思っていたのに。
タイトル:部屋を出て下さい
歌手:ピーマン
作詞:上岡健二
作曲:上岡健二
編曲:船山基紀
どうもありがとう
部屋を出て下さい
とてもいとおしいあなたを
残して出て下さい
今はいりません
あなたのおしゃべりは
うなずくことしかできない今です
出て下さい
あかりを消しますよ
街もねむりましたね
帰ってください
あなたもおうちへさようなら
なにも聞きません
なにも言わないで
部屋を出て下さい
タバコがすんだら
なにも言わないで
おやすみなさいと
静かに笑って出て下さい
今はいりませんあなたの親切は
うつむきかげんのあなたが
好きです 出て下さい
今のすれちがいが
言葉に出ないうちに
気づいてください
きのうのあなたに戻って
なにもいりません
部屋を出て下さい
部屋を出て下さい
部屋を出て下さい
4年って短いなぁ😅😣
太く短くそして燃え尽きたのだよ。
4年という短い期間でも人気はとにかく凄まじかった
スター誕生にエントリーした時点で、発声や歌唱の基本がすでにここまでできてるのは、今のアイドル(NMB48の渋谷凪咲推しですが…)から考えると驚異的ですらあります。特にミーちゃんの澄んだ高音は本当に耳に心地良いですね。
ちょっと時代が違うと思いますが、ピンクレディを見ていると沢田研二さんを思い出しますね。パフォーマンスが似ているのですかね❗
ピンク・レディーと沢田研二は、同時期にヒット曲出してますよ❗️
1977年(昭和53年)サザンオールスターズが、ピンク・レディーと、沢田研二さんのヒット曲の合体曲「勝手にシンドバッド」を
発売した年です。
スタンドマイクで歌う曲が多い点は共通していると思います。
この頃は、どのチャンネル回してもピンクレディーのコマーシャルが流れていたし、グッズも売れに売れていたし、ただ売れに売れ過ぎてスケジュールはびっしりで、食事や睡眠を取ることもままならず、移動の車の中でしか食べることしか出来ず、満足な食事は出来なかった。
寝るにしても、たったの二時間~三時間で若いからこそ体力も持ったんだと思う。
解散して、ようやく普通の生活に戻ることが出来て良かったと思った。
テレビに出ない日は無い位、いろんなメディアで活躍してたね❗️
カルメンは今でも名曲
透き通ったハイトーンボイスとアンニュイなハスキーボイスのハーモニー絶品👏
破竹の3年弱は勿論あの路線で良かったと思うのだけど
サウスポーかモンスターの後にこのオーディションみたいに路線変更で本格女性デュオになれなかったのかしら😅
晩年はお二人共綺麗な大人の女性になられて、楽曲もセールス度外視で素敵だったから❤
短い期間だったから『伝説』なので良かったのかも✌️
ピンクレディー永遠のアイドルですね!もうこうゆうアイドル二度と出てこないと思います!
出てこないっていうよりこういうアイドルを今の若い世代が求めないだけの話だと思う
@@jjaccess7480日本の音楽業界は終わってますから
最近のアイドルグループはお人数かつメンバー変更でグループ自体は別物になっても存在し続けますから、なかなか時代の変化が感じられませんね。
そもそもみんなが一つの物にハマる時代ではないから難しいんですかね。
ですね。今の10代のアイドルの子たちが悪いわけでなくビジネスになる限りとことんやる周りの大人やスタッフ、それを買うロリコンおじさんヲタクがいるから成り立ってるわけだしね。
この頃はまだケイの声がミーの声を少し低くしたような声で、声が似ている。
今改めて見ても完成形(*´∀`*)
本人たちもだけど、欽ちゃんが若い❗️
これ程の大旋風を巻き起こしたアイドルはこれ以降も居ないような気がする。花の82年組もAKBもここまでの人気は無かった気がする
別格ですよ😃
時代背景も違うしね
何でもそうだけど環境や条件の違う時代のものを比べても意味がない
光GENJIが近いかも…。
2:40これ銀ちゃんだ!
当時はわからんかったけど、歌、上手ですよね(^-^;
当時ルックス先行な感じやったけど。
やっぱり、昭和は良い!!!!!!…なんかちゃうか?
ま、それぐらい、ピンクレディは素晴らしかった…ってことですよ♥
よく頑張った結果出る予定ですねこれから配信者ですね
せっかく編集して頂いたのですが、ピンクレディーの全てと混合したものではなく、ラスベガス特集のままが、見たかったです。😢
1:04 住所出てる…
Awesome stuff! Love me some Pink Lady!
ピンクレディ❗👏俺が、小学生の時❗女の子ピンクレディの歌、踊り、真似してましたね❗ピンクレディ旋風❗🎶💘俺は、みーちゃん派、けいちゃん派って言ってたな❗俺は、みーちゃん派ですね❗💘👍👍👍👍👍
当時、いわゆる追っかけ(JPC)やってました。後楽園もチャリティのコマ劇場も居ました。その前のレコ大で大賞取ったのをコマで誰かの携帯テレビで見ました。もう40年以上前ですね。当時、地方のコンサートは口パクだったんですよ。
what's the song at 3:17?
スターを 目指し 目標が 達成し 時代が❗
終わった‼️
懐かしいやな!小学生の時やで!
ミーちゃんのお母様はハタチで産んだそうだから、
お若いのよね。
ふたりとも成長し、
身長162センチメーター
以上に上昇。
ピンク・レディーの知られざるストーリー
渡辺プロの総務部長に、波多野和彦という人がいた。
波多野氏は、知り合いの芸能プロの相馬一比古氏が発掘した
二人の女の子の売り出しの為に、新たにT&Cという
マネージメント会社を設立させる。その資金(一億円以上だという)
を提供したのが、日本を代表する総会屋の一人、小川薫氏だった。
小川氏は、女の子達のデビュー曲が「乾杯お嬢さん」と
「ペッパー警部」というA,B面シングルだと聞き、開口一番
「乾杯お嬢さん、なんて田舎臭い曲名より、ペッパー警部のほうが
語呂がええ、そっちにせえ。」
小川氏は、T&Cの社員全員に、猛烈にレコードを売りに出させた。
デパートなどのサイン会なども、積極的に行なった。
そして、大ヒットになる。
J.J.ジェイジェイ さん。
相馬さんに力を貸した方がいたんですね。
T&Cはもともとあった事務所だと思ってました。
レコード会社側と日本テレビのスタッフの話は
良く聞きますが事務所のマネジメントについては
あまり聞いたことがないので興味深いです。
@@キヒロ-t1g
T&Cの社長は、元日興証券社員の貫泰夫と
いう人が就任して、貫氏が、直接
ピンクレディーのマネージャーを勤めた
ようですね。
貫氏が、小川薫氏と同級生だった間柄で
資金提供をした小川氏が
デビュー曲にケチをつけたため、かの阿久
悠氏が、何で総会屋風情がそんなこと
決めるんだ、と激怒したといいます。
貫氏も歌謡曲界の大御所に意見するのは
恐れ多いと思ったが、結果的には
見る目があったことになりますよね。
このプラカードがあがった時点では、アクトワンエンタープライズという名前だったと思います。
相馬さんて、芸映プロにいたんですよね。よく見ると、彼女達にも芸映さん、あげていますよね。
どうせなら2組ともT&Cが獲得して、清水由貴子もピンクのように大変身させてほしかった。岩崎宏美が大好きみたいだから芸映に行ったんでしょうけどね。
アコギをエレキに変えてバリバリのロックで…。
大手証券会社の社員だった貫泰夫氏が、なぜ突然芸能事務所を始めたのかが疑問でしたが、ナベプロの波多野と言う人が貫氏を芸能ビジネスに勧誘したというのなら話が見えてきます。
3:12
ドラフトみたいな感じ?
入るとこ(事務所)は自分で決める、クジじゃないよw
正直、UFO→サウスポーまでは良かった
次がモンスターじゃなかったら
西暦で言わないあたりに時代を感じる。
ピンクレディーはレコードの売り上げではUFOの155万枚を頂点にし、人気絶頂を迎えるが、ある分析会社では、その1曲前のウォンデットで12週連続1位を記録していたにも拘わらず、二人が徐々に飽きられ始めており、その人気はそう長くはもたないと分析していたそう。
その前に
ちょっと
飛んでる
ピンクレディーの
前に
[白い風船]やってたのに
無視されている
レコード持ってます〜😊😊😊
ペッパー警部~UFOまでは、
女性が積極的、受け身、積極的・・と交互になっている。
サウスポーから、イミフな世界観になって、人気が下降?のイメージ。
サウスポーは、歌詞の出だしの意味がわかれば「そうなんや」と納得出来るはずだよ。
背番号1、これがわかれば後はそんなに難しくない。
お疲れ、有難う
ケイチャン
60才M
🎉🎉🎉
売れかたが、半端でなかった。昭和の超ビッグスターと言えば、ピンクレディー、山口百恵、キャンディーズかな。
(ピンクレディ❤️(ノ≧▽≦)ノの物語❤️(ノ≧▽≦)ノ🎀)
つーか全曲覚えてるわ
小学1年〜小学6年迄一粒約5年
1976年昭和51年4月頃ぴんくレディ始めテしリ〜1981年僕11歳昭和56年3月31日解散コンサート侯楽園球場日本テレビ見た
6歳小学1年
愛知嫌い男より😡⚡。腰振りすぎるとぐぎっとなるよん😁関西三重男より。
ミーもケイも子供の頃はぶさいね。
子供の頃は二人とも不細工でびっくり
当時の写真技術のせいもあるんじゃないでしょうか😊