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「中じょんから」には、堪えに堪え腹にため込んだ感情が、どうしても抑えきれなくなって噴出するような激しさを感じていましたが、竹山師のお話をうかがい納得できました。貴重な公演シーンをアップして下さりありがとうございました。
これ程までに尊敬の意で満ち溢れたコメント欄を見たことが無かった。感動。
この海外公演を見ていた厳しい論評で知られるニューヨーク・タイムズは「まるで魂の探知器ででもあるかのように、聴衆の心の共鳴音を手繰り寄せてしまう。名匠と呼ばずして何であろう」と最高の賛辞を贈った。
q
当然の評価ですね
竹山さん、大変な時代を生き抜いてくださったこと、ありがとうございます!聴けば涙がこぼれます。こんな音色奏でられる方は今いないと思いました。お会いしたかったです
私はこの60年以上三味線というもので生活して歩きました。その時この中じょんから節を弾いて歩く時、これは大変な時代でした。戦争でありましたから、恐ろしい時代でありましたねぇ、今でもこの三味線(曲)を弾く度毎にざわっとする。気持ちが何となく後に引かれるような嫌な気持ちになるという、こういう三味線(曲)になりました。
日本語通訳ありがとうございます。なんと言っているのかよく聞き取れずにいました 💦
津軽弁訳、ありがとうございます!
見た目の穏やかなばちさばきとは裏腹になんとも一つ一つの音の力強さ、、、それでいて優しくも感じる。素晴らしいの一言ですね。鳥肌が立ちました。ありがとうございました
神業、とはこういう事を言うのか。最初の出だしで魂を鷲掴みにされる。
生で聴いてみたかった…。
曲から辛さを、感じる感情が楽器を通じて放ってるここまで曲に感情が出る曲は、あまり聞いたことがないしかも言葉無しならなおさら、、、
聴くのではなく感じる生きているうちに出会いたかった
津軽三味線至高の奏者に海外のステージをプロデュースしたスタッフに拍手
いろんな人の津軽三味線をきいてみたけれど、この人の音だけはまったく別物だな。まったく別の楽器を使ってるように感じてしまう。曖昧な音が無く凄くクリアで(他の人の音は竹山に比べるとずっと濁っていて曖昧だ)、濃密だけどなぜかどこか乾いてる。私は竹山の三味線を聞くと小さな漁村の風景を思い浮かべてしまうのだが、他の人の三味線ではそんなことはない。魂の奥深くまで直に届くような不思議な音だ。
辻井伸行さんのピアノに通じるものがありますね。一音一音がクリアで優しくてキラキラしてる。
流れ流れて作り上げた曲凄く感動もう1度生で聞けたら最高です。
生きるために天才にならざるを得なかった。。凄い。
個人的には「天才」て一言で言うのは嫌だしこの人の研鑽と苦労は天才一言で語る程薄くない。
クゥー↑ リスペクトだねぇ〜👍
この間がなかなかできないのですよ‼
私は、この時、照明をやって、同行した。
孫の哲子です。祖父がお世話になりました。ビデオでしか聴けないのが少し悔しいですが、この時のじょんからには泣きそうになりました。
あなたは手踊りやつてましたね、ジアンジアンで会ったことがあります。竹山Tシャツつくりました。馬齢を重ねて75歳、未だ現役。
初代竹山と行動を共にしたんですね。一生の「宝物」ですね。
懐かしいです。
「先生」と呼ばれる人は多々居るけど、真の「先生」は高橋竹山先生ただ一人だと私は思う。
日本にはすばらしいものが沢山ある。それに一番気づいていない(意図的に気づかせてもらえなかった)のが日本人という話を最近よく聞く。本当にそう思う今日この頃。
本当に津軽弁に聴こえる!!!
素晴らしい
この後にジャズも聴いてみたくなる
クラプトンとかツェッペリンを聴くのと、ほぼ同じような感覚で聴いていますが、ぶっちぎりで凄い鳥肌なのは竹山先生!
同じ感覚で聴けるのすごいわかるなんでなんですかね〜
昔おばあちゃんが 高橋竹山が聴きたいと言うので LPレコードを買って来て聴かせたことがありましたやはり 生だったら音の余韻が全然違うんだろうなぁもう聴くことはできないけれど・・・
心に響く音。言葉はいりません。
シャミマスクなる者にはまってますが、やはり高橋竹山のバチの柔らかさに関心しております☺️天才ですね😊
高橋竹山 渾身の一曲。最高です。
カッコよ✨✨✨
肉も血も三味線と一つになった人が、遠い伝統という場所から届く命の調べを現代に伝える。
竹山の津軽三味線は魂を揺さぶる音色です
昔渋谷のジャンじゃんで 何度かすぐ目の前で聞かせていただきました北国の情念を ぜひ生で聞いてみてください まるで違いますから
正真正銘のハードロッカーの先駆者、神である。
津軽三味線は生で聴くに限る。鳥肌もんだよ。自分は中学校で聴けて運が良かった。
そうだけど、独奏ばかりで民謡としての意味も大事、それは竹山さんの大事なポイント、彼は歌がない独奏重視をすごく嘆いていいたからね
恐ろしい・・・(聞き取れず)、戦争なんてものは本当に大変なもんだ。と、おっしゃっています。
竹山さんの海外公演のお話で地元にいた竹山さんと話をしていて海外公演で困った事で出た話なんですが。一番困った質問が「その楽器は何でで(素材)が出来ているんですか?」という質問が困ったと、実は三味線の素材は犬の皮だったのでペット大国の西洋では何を言われるか分からない。今では輸入が多いが土佐犬、秋田犬なんか使われている時なので、動物愛護系がわざと吹っかける事も言われていたようで。「よぐ、わがらねぇ。」と答えていたそうです。でも「なんぼなんでも、材料知らねぇわげねぇべな(笑)」って言ってましたけど。その後違う方や長唄の人に聞いても海外の外国人には素材は犬猫だって言わない様にはしているようです。
今はそうじゃありませんけども、戦争中は何ほど(どれほど)この三味線弾いて叱られたり、偉い人に苛められたか分からない。
n Iso わな
津軽三味線の名手は数居れど やはり 何かが違いますね。
申し訳ないけど、竹山さんは三味線だけの名手ではないですよ尺八、太鼓、笛とかく尺八、笛はまた違う凄さ。この人の本質はライブの良さと、昔やっていた、座敷、かどつけ、祭りなど、その場所のその地域の人の歌い手や歌唱力のレベルに関係なく、対応して気持ちよく歌ってもらい座敷を楽しませる技量なんですよね。 名手かどうか知らないけど、日の目にあたらないだけで、こういった野良犬の様な猛者の演者の流しは時代とともに淘汰されたけどまだ俺のガキの頃にはこういった竹山さんのような猛者は青森の旅館街とかいたからね。
昭和45年、全共闘はなやかなりし、ビートルズが若者の時代の神様、当時、高橋竹山さんもにわかに時代の寵児みたいに担がれていましたね当時、神戸にお住まいだった大阪地唄三味線菊筋の芸系を体現なさっていた盲人さんが、高橋竹山さんをにわに珍重するじだいの軽薄さに苦笑されていたことを思いだします。か
私は昔に有ったけど津軽弁が、全然知らなかったですよ😃
Incredible to see this live. Thank you! 🙏
つくづく思うのだが、中国から琉球へ渡り、津軽へと到る。その過程で、どんどん進化し、様々な形を残していく、、、。日本文化の豊かさが、将に此処に現れている、、、。
☝は、中東→中央アジア経由です。シュメ-ル をオワスレカ?💫
kurotanuki1021 て
ほんに、魂の歌だよな
What a bright moment !!!
Eu aprecio muito música japonesa
私が幼いころは、ほいどと呼ばれて乞食と同じ扱いでした軒付けを見た記憶があるのですがテレビ等の後付けの記憶かもしれません。自分の生活も大して変わらないのに見下したような親の態度に違和感を感じました。今では津軽の宝です。先生は自分は三味線は叩かない何故ならば叩くと痛むからと仰ってました。
映画「津軽のカマリ」上映中です!
❤ カマリは 津軽弁で 匂い の事です ‼️ 東北 北海道と 門付けで 方々 回り 、 自分の古里 平内町に 辿り着いた時 懐かしい 津軽の カマリ ‼️ お墓は 平内町 小湊に 有ります 、平内の 有名人は 今でも 高橋竹山 ただ 一人 です ❤
低評価を押してる輩はどうかしてる。
これがギターだったらプログレッシブメタルにしか聞こえない。
録音状態が悪くて残念。生音に近いものを聴きたかった。
三味線の音って物悲しいよね。そして恐ろしいほどの変拍子。やっぱり何拍子なのかもわからない。ギターと違って何の線?も無いから押しどころで同じドの音でも高めのドと低めのドが出せるが、少しでも絶対音感から外れると不協和音になる。この人はそんな音楽理論をブッチ切ってます。
今は失われつつある津軽弁のネイティブ話者ですね。口からもうネイティブですね
この演奏を聞いて何とも思わない人は、音楽を聞かない方が良いと思う。
なんで?
何故かな日本で奏でる音と違う
アメリカ公演で戦争ば語る竹山。青森も空襲の被害酷がったみてぇだ。
うちのばさまからきいたけど空襲あったとき、弘前からけむりみえでたて言ってた
きしょ
津軽のかまりこする音楽だねさだまって聞いてれば、あづましぐて、気持ちこ いやされますじゃなんぼ、良いんだしての~
What is music? Hard to define, but surely this is music?
海外の評価なんてどうでもええんやあの時代は全共闘やロック、ビートルズ欧米文化が日本を席捲し、若者はスッカリマイルドコントロールされ、日本の伝統文化までそんな軽薄な時代風潮に擦り寄る情けない有様でした。高橋竹山さんもその軽薄な時代風潮に担がれてアメリカまで公演してさぞ戸惑っていたことでしょう^_^(笑)
「中じょんから」には、堪えに堪え腹にため込んだ感情が、どうしても抑えきれなくなって噴出するような激しさを感じていましたが、竹山師のお話をうかがい納得できました。貴重な公演シーンをアップして下さりありがとうございました。
これ程までに尊敬の意で満ち溢れたコメント欄を見たことが無かった。
感動。
この海外公演を見ていた厳しい論評で知られるニューヨーク・タイムズは「まるで魂の探知器ででもあるかのように、聴衆の心の共鳴音を手繰り寄せてしまう。名匠と呼ばずして何であろう」と最高の賛辞を贈った。
q
当然の評価ですね
竹山さん、大変な時代を生き抜いてくださったこと、ありがとうございます!聴けば涙がこぼれます。こんな音色奏でられる方は今いないと思いました。お会いしたかったです
私はこの60年以上三味線というもので生活して歩きました。その時この中じょんから節を弾いて歩く時、これは大変な時代でした。戦争でありましたから、恐ろしい時代でありましたねぇ、今でもこの三味線(曲)を弾く度毎にざわっとする。気持ちが何となく後に引かれるような嫌な気持ちになるという、こういう三味線(曲)になりました。
日本語通訳ありがとうございます。なんと言っているのかよく聞き取れずにいました 💦
津軽弁訳、ありがとうございます!
見た目の穏やかなばちさばきとは裏腹になんとも一つ一つの音の力強さ、、、それでいて優しくも感じる。素晴らしいの一言ですね。
鳥肌が立ちました。ありがとうございました
神業、とはこういう事を言うのか。
最初の出だしで魂を鷲掴みにされる。
生で聴いてみたかった…。
曲から辛さを、感じる
感情が楽器を通じて放ってる
ここまで曲に感情が出る曲は、
あまり聞いたことがないしかも
言葉無しならなおさら、、、
聴くのではなく感じる
生きているうちに出会いたかった
津軽三味線至高の奏者に海外のステージをプロデュースしたスタッフに拍手
いろんな人の津軽三味線をきいてみたけれど、この人の音だけはまったく別物だな。
まったく別の楽器を使ってるように感じてしまう。曖昧な音が無く凄くクリアで(他の人の音は竹山に比べるとずっと濁っていて曖昧だ)、濃密だけどなぜかどこか乾いてる。私は竹山の三味線を聞くと小さな漁村の風景を思い浮かべてしまうのだが、他の人の三味線ではそんなことはない。魂の奥深くまで直に届くような不思議な音だ。
辻井伸行さんのピアノに通じるものがありますね。
一音一音がクリアで優しくてキラキラしてる。
流れ流れて作り上げた曲凄く感動もう1度生で聞けたら最高です。
生きるために天才にならざるを得なかった。。
凄い。
個人的には「天才」て一言で言うのは嫌だしこの人の研鑽と苦労は天才一言で語る程薄くない。
クゥー↑ リスペクトだねぇ〜👍
この間がなかなかできないのですよ‼
私は、この時、照明をやって、同行した。
孫の哲子です。祖父がお世話になりました。ビデオでしか聴けないのが少し悔しいですが、この時のじょんからには泣きそうになりました。
あなたは手踊りやつてましたね、ジアンジアンで会ったことがあります。竹山Tシャツつくりました。馬齢を重ねて75歳、未だ現役。
初代竹山と行動を共にしたんですね。
一生の「宝物」ですね。
懐かしいです。
「先生」と呼ばれる人は多々居るけど、真の「先生」は高橋竹山先生ただ一人だと私は思う。
日本にはすばらしいものが沢山ある。それに一番気づいていない(意図的に気づかせてもらえなかった)のが日本人という話を最近よく聞く。本当にそう思う今日この頃。
本当に津軽弁に聴こえる!!!
素晴らしい
この後にジャズも聴いてみたくなる
クラプトンとかツェッペリンを聴くのと、ほぼ同じような感覚で聴いていますが、ぶっちぎりで凄い鳥肌なのは竹山先生!
同じ感覚で聴けるのすごいわかる
なんでなんですかね〜
昔おばあちゃんが 高橋竹山が聴きたいと言うので LPレコードを買って来て
聴かせたことがありました
やはり 生だったら音の余韻が全然違うんだろうなぁ
もう聴くことはできないけれど・・・
心に響く音。言葉はいりません。
シャミマスクなる者にはまってますが、やはり高橋竹山のバチの柔らかさに関心しております☺️天才ですね😊
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カッコよ✨✨✨
肉も血も三味線と一つになった人が、遠い伝統という場所から届く命の調べを現代に伝える。
竹山の津軽三味線は魂を揺さぶる音色です
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津軽三味線は生で聴くに限る。鳥肌もんだよ。自分は中学校で聴けて運が良かった。
そうだけど、独奏ばかりで民謡としての意味も大事、それは竹山さんの大事なポイント、彼は歌がない独奏重視をすごく嘆いていいたからね
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と、おっしゃっています。
竹山さんの海外公演のお話で地元にいた竹山さんと話をしていて海外公演で困った事で出た話なんですが。一番困った質問が「その楽器は何でで(素材)が出来ているんですか?」という質問が困ったと、実は三味線の素材は犬の皮だったのでペット大国の西洋では何を言われるか分からない。今では輸入が多いが土佐犬、秋田犬なんか使われている時なので、動物愛護系がわざと吹っかける事も言われていたようで。
「よぐ、わがらねぇ。」と答えていたそうです。でも「なんぼなんでも、材料知らねぇわげねぇべな(笑)」って言ってましたけど。
その後違う方や長唄の人に聞いても海外の外国人には素材は犬猫だって言わない様にはしているようです。
今はそうじゃありませんけども、戦争中は何ほど(どれほど)この三味線弾いて叱られたり、偉い人に苛められたか分からない。
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津軽三味線の名手は数居れど やはり 何かが違いますね。
申し訳ないけど、竹山さんは三味線だけの名手ではないですよ尺八、太鼓、笛とかく尺八、笛はまた違う凄さ。
この人の本質はライブの良さと、昔やっていた、座敷、かどつけ、祭りなど、その場所のその地域の人の歌い手や歌唱力のレベルに関係なく、対応して気持ちよく歌ってもらい座敷を楽しませる技量なんですよね。
名手かどうか知らないけど、日の目にあたらないだけで、こういった野良犬の様な猛者の演者の流しは時代とともに淘汰されたけどまだ俺のガキの頃にはこういった竹山さんのような猛者は青森の旅館街とかいたからね。
昭和45年、全共闘はなやかなりし、ビートルズが若者の時代の神様、当時、高橋竹山さんもにわかに時代の寵児みたいに担がれていましたね
当時、神戸にお住まいだった大阪地唄三味線菊筋の芸系を体現なさっていた盲人さんが、高橋竹山さんをにわに珍重するじだいの軽薄さに苦笑されていたことを思いだします。か
私は昔に有ったけど津軽弁が、全然知らなかったですよ😃
Incredible to see this live. Thank you! 🙏
つくづく思うのだが、
中国から琉球へ渡り、津軽へと到る。
その過程で、どんどん進化し、様々な形を残していく、、、。
日本文化の豊かさが、将に此処に現れている、、、。
☝は、中東→中央アジア経由です。
シュメ-ル を
オワスレカ?💫
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ほんに、魂の歌だよな
What a bright moment !!!
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低評価を押してる輩はどうかしてる。
これがギターだったらプログレッシブメタルにしか聞こえない。
録音状態が悪くて残念。生音に近いものを聴きたかった。
三味線の音って物悲しいよね。
そして恐ろしいほどの変拍子。
やっぱり何拍子なのかもわからない。
ギターと違って何の線?も無いから押しどころで同じドの音でも高めのドと低めのドが出せるが、少しでも絶対音感から外れると不協和音になる。この人はそんな音楽理論をブッチ切ってます。
今は失われつつある津軽弁のネイティブ話者ですね。口からもうネイティブですね
この演奏を聞いて何とも思わない人は、音楽を聞かない方が良いと思う。
なんで?
何故かな
日本で奏でる音と違う
アメリカ公演で戦争ば語る竹山。
青森も空襲の被害酷がったみてぇだ。
うちのばさまからきいたけど
空襲あったとき、弘前からけむりみえでた
て言ってた
きしょ
津軽のかまりこする音楽だねさ
だまって聞いてれば、
あづましぐて、
気持ちこ いやされますじゃ
なんぼ、良いんだしての~
What is music? Hard to define, but surely this is music?
海外の評価なんてどうでもええんや
あの時代は全共闘やロック、ビートルズ欧米文化が日本を席捲し、若者はスッカリマイルドコントロールされ、日本の伝統文化までそんな軽薄な時代風潮に擦り寄る情けない有様でした。高橋竹山さんもその軽薄な時代風潮に担がれてアメリカまで公演してさぞ戸惑っていたことでしょう^_^(笑)