【ラスト侍】幕末、天狗党に散った高崎藩士

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  • Опубліковано 16 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 166

  • @user-hm5vo4gj7r
    @user-hm5vo4gj7r 6 місяців тому +7

    こちらも面白かったです!ほんと、研究熱心というか勉強家ですね🎉でもお一人で周っていて怖くないのかな〜😅自分なら無理です。(笑)いつもBGMも語りも、尺も長過ぎず短過ぎず、引き込まれます。応援しています!

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  6 місяців тому +3

      ありがとうございます。夜でなければ大丈夫です。
      尺長いのも見たい方多いようで、どっちがいいのだろうと悩ましいですね。

  • @岩崎喜幸
    @岩崎喜幸 Рік тому +74

    亡くなった人の最期がこんなにもきちんと記録されているのに驚きました。
    その記録を後世に残してきた地域の人や関係者に感謝の念が絶えません。

  • @wantama777
    @wantama777 Рік тому +32

    長松寺の件でコメントさせていただいた者です。亡くなった祖父から、今回の高崎藩下仁田戦争犠牲者の中に祖先の一人が
    人形になって祀られていると聞き、お参りに行ったことがあります。今となっては名字が同じだけで、系図がある訳でもなく、
    菩提寺に祀られている訳でもなく、本当かどうかわからないのですが、これからもお参りに行こうとは思っています。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +9

      おお、そうでしたか。
      名字が同じで、そのようにおっしゃっているなら、そうでしょう。
      この動画に辿り着いたのも何かの縁かもしれません。

  • @まめふ-l3y
    @まめふ-l3y Рік тому +34

    今回も動画投稿お疲れ様です、
    戦国、幕末共に戦乱の世の中で志を持って戦い、
    死んでいった漢たちが数知れずいたと思います。
    自らの信じる義のため、主君のため、はたまた愛する人のためにその命を散らしていった漢たち....。
    そんな漢たちに思いを馳せながら動画を見ていました。
    いつの世も歴史に名を残すのは勝者、敗者の歴史はほとんど語られることもなく消えていくので、
    こういった動画でその歴史が、彼らの懸命に生きた記録が見れることはすごくいいことだと思います。
    きっと亡くなられた方々も浮かばれると思います。
    ぜひこれからも埋もれた歴史をどんどん動画にしていってほしいです。
    お体に気をつけてこれからも頑張ってください。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +12

      ありがとうございます。その通りで、
      名も無き歴史に消えた漢たち、いつだって、ここにスポットは当たりません。
      ですが、それこぞがリアルだし、真実で、当時の息づかいか垣間見えるのです。
      私はそういう欠片を探して歩きます。

  • @dynastysharise
    @dynastysharise Рік тому +29

    日本には、そう遠くない昔に、熱い武士道を持った男達が居た
    それを知れただけでもよかったです

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +7

      そうですね、昭和の日本軍の戦いぶりをみても
      武士道をもった人達が、そのころはまだ大勢いたように思います。

  • @みよし三吉
    @みよし三吉 Рік тому +52

    首塚、胴塚、討たれた武士や農民の魂を鎮め、慰めるのは地元の方々だけでなく
    探訪する主様のような方々や自分ら視聴者(プチ参加型)もおります。
    名前が残され散り様をも記し残されたのは凄い事です。
    如何に思いが深かったのか…合掌。
    この度も貴重な記録動画をありがとうございます😭
    (人形浄瑠璃並のリアル人形こっわああああああ😅)

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +15

      プチ参加型で十分いいですよ、
      是非プチ参加していただければ嬉しいです。
      この高崎藩士のは比較的近年のため、記録がしっかりありますが、
      江戸初期とか戦国になると、なかなか資料がないんですよね。

  • @やまさち-n5e
    @やまさち-n5e Рік тому +23

    高崎藩を取り上げてくださり、また、丁寧な取材に基づいた動画をありがとうございます。 今まで知り得なかった史実もあり、感動しました。
    父方の祖先が下仁田戦争に巻き込まれ、命を落としました。 華々しい討ち死にではなく、本陣に酒樽を届けに行った造り酒屋の主人だったそうです。
    木像になり、今でも藩をお守りしているのでしょうか…凛々しい姿ですね。 ここのところ北関東が続き、地元民としてうれしいです😊

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +8

      なるほど、そうでしたか。
      今でも下仁田の民家の壁に無数の銃弾がある家があります。
      幕末の内乱は武士のみならず犠牲はあったのでしょうね。
      地元の方にご視聴いただき嬉しいです、他の地域もやっていくので是非またみてください。

    • @やまさち-n5e
      @やまさち-n5e Рік тому +1

      @@怪奇な歴史研究室
      上州沼田城にまつわる歴史も興味深いです。 迦葉山の天狗と、沼田まつりで天狗神輿として女性のみで担がれる巨大な天狗面、沼田城址本殿裏にある天狗堂、
      その西側にある「平八郎岩」 謀殺された城代?(詳しいことは知らないのです)の首を乗せたとの謂れがあります。
      将門のように、怨みにより首が胴体まで飛んでいったとの伝説もあります。 田舎ですが、土岐氏ゆかりの桔梗紋もあちこちで見かけます。
      ご存じでしたら失礼いたしました。 これからも楽しみにしています。

  • @さざえくん-x5m
    @さざえくん-x5m Рік тому +23

    自分と同世代の漢達と、その息子達が壮絶な戦いで死んで行った話には涙が出ました。この時代に生きて戦って死んで行った漢達とその子供達には正直胸を痛めました。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +11

      この36名に親子もいますね、息子が本陣でやられたと聞いて、
      本陣の銃弾の中、助けにとびこんでいった父親が、銃弾に倒れています。

  • @東丈-u8r
    @東丈-u8r Рік тому +26

    他の動画とは明らかに違うから、大好き

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +16

      ありがとうございます。
      ゆっくり解説とか、明るい感じのほうが皆見慣れているので
      のびるかもしれないんですけどね、私は独自でいきます。
      そしてこの世界観とかに共感いただける人に見ていただければ、とても嬉しく思います。

  • @harumitada8514
    @harumitada8514 Рік тому +14

    歴史好きの私でも知らない歴史を知る事が出来るのでワクワクが止まりません✨
    どこか遠くのどこかの偉い人ではなくひょっとしたらむか〜し昔のご先祖様がそこにいたかもしれないと思ってしまう空気感がたまりません✨

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +5

      ありがとうございます。
      マニアックな歴史とかをテーマにしておりまして、
      そういうところに、当時の土着の生活感、息づかいが聞こえるように思うのです。
      大河ドラマとかも、それはそれでおもしろいし素敵なのですが、
      当時のリアルみたいなものを意識しております。

  • @masakomasako382
    @masakomasako382 Рік тому +31

    いや〜最後まで心臓のドキドキが止まりませんでした
    人形の中には、幼い少年の姿もあり おそらく16才の戦士だったのでしょう
    やってやられて善と悪も解らない まさに諸行無常
    胸が締めつけられました
    亡くなった方々は今で言う働きざかり さぞ、無念だったことか
                        合掌

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +8

      15歳で5人の大人に長槍で立ち向かい斬られた少年がいます。
      その少年は、最初は幼い見た目から天狗党も何もせず、
      向こうへ行きなはれ、という感じだったそうですが、
      槍で応戦してくるため、仕留められました。

    • @masakomasako382
      @masakomasako382 Рік тому +7

      @@怪奇な歴史研究室 様
      なんとも悲しい

  • @ちゅん太-f2e
    @ちゅん太-f2e Рік тому +12

    相変わらず、感服します。

  • @おだいふく-x6t
    @おだいふく-x6t Рік тому +15

    今に至るまで供養されている地元の方々の心根がやさしいですね。

  • @梅の花サルトリイバラ
    @梅の花サルトリイバラ Рік тому +49

    「飛び道具とは卑怯なり...!!」
    を体現したような戦の記録。
    15歳だの、医者まで切腹で、敵にはらわた投げつけるって...やっぱ日本人の胆力凄いわ。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +10

      天狗党は高崎藩士より実戦経験もあり、
      火器の扱いも慣れており、やはり差はあったと思います。

  • @yasf6245
    @yasf6245 Рік тому +8

    群馬の太田市住みです‼️
    神流川の戦いでの首塚は行った事があり知ってましたが高崎藩士の壮絶な戦いは知りませんでした。ためになります。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +1

      太田ですか、いいところですね。
      是非また他の地域の歴史もご紹介していきますので、見てくだされば幸いでございます。

  • @剛司小林
    @剛司小林 Рік тому +17

    初めてコメントさせていただきます。御先祖様達の、歴史をもっと世の中に広げたいです。良きお話をありがとうございます。勉強になりました。😊

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +4

      コメントありがとうございます。
      私はとくにスポットライトの当たらないところに
      リアル、真実があり、当時が見えてくると感じるので、
      これからもそういうところを歩いていきたいですね。

  • @花田麗華
    @花田麗華 Рік тому +12

    壮絶に散っていった高崎藩の人々も、室長様が個々にその最期を紹介してくださったことを喜んでおられるのではないかと思いました。今回も見応えある動画をありがとうございました。次の動画も楽しみにしています😌

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +2

      ありがとうございます。
      少しでも継承する事ができればと、動画に想いを込めています。

  • @チマチマ-j5w
    @チマチマ-j5w 5 місяців тому +8

    ありがとうございます!

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  5 місяців тому +4

      おお、ありがとうございます。
      そんなビッグなスーパーサンクスいただいたの初めてです。一生忘れません。

    • @チマチマ-j5w
      @チマチマ-j5w 5 місяців тому +2

      こちらも勉強になるので頑張ったください

  • @sensen2372
    @sensen2372 24 дні тому +2

    高崎市民です。
    素晴らしい内容でした。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  24 дні тому

      ありがとうございます。地元の方に言ってもらえて、さらに有難き

  • @言霊の幸う國のムソジニスト

    散華した高崎藩士の中には15歳なんて少年も居て胸が痛む😢家族の細かい注文に応じた高崎藩の誠意と哀悼の意を感じる。
    首はともかく、胴は火葬して埋めたのかな?もう、戦乱も戦死も無い世の中に生まれ変わっていてね、転生があるのなら。滝川一益の潔さは天晴れ

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +10

      天狗党も、その少年と対峙した際、幼いと感じたため、
      斬らずに追い払おうとしただかで、
      ところがその少年は勇敢に槍で5人の大人相手に向かってくるもんで、
      斬られた、とか詳細はそんな話でした。

    • @言霊の幸う國のムソジニスト
      @言霊の幸う國のムソジニスト Рік тому +5

      @@怪奇な歴史研究室 様
      吉良邸に仕えていた14歳の茶坊主はやかんを投げるなどして抵抗したので、遂に苛立った赤穂浪士に斬られたそうです。悪役の吉良上野介ですが、国元では、治水に努めた名君でしたし、武士でも無い少年が必死に守ろうとする程優しい主人だったのかも😢杉浦日向子先生の『吉良供養』で感銘深く読みました

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +4

      吉良上野介、地元ではリスペクトされてた説、ありますね。
      逆に赤穂浪士も「義」ではなく、浪士のパフォーマンスだった説もありますね。

  • @おだいふく-x6t
    @おだいふく-x6t Рік тому +9

    ぬしさんのねっとりとした赤ワインの様な語り口と歴史秘話がよくマッチしていてなかなか他にない迫力のある歴史配信だと思います。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +8

      ありがとうございます。今後もねっとり赤ワインでいきます。

  • @ぽんず山
    @ぽんず山 Рік тому +12

    藩士の中には今なら中学生、高校生くらいの子が居たり、そんな子達が猛将勇将の片鱗を見せてたりしてるのが……
    幕末を乗り越えて明治を迎えてたらどこまで上り詰めたのかなあと思ってしまう。そして壮絶な最期を迎えた大人たちもどうか安らかに眠って欲しいな。

  • @れぃちぇる-c8l
    @れぃちぇる-c8l 10 місяців тому +3

    主様の動画を拝見すると、なんだか胸熱な気分になります。
    当時の人々の想いや息づかいをリアルに凄く感じるのです。
    あの高崎藩士の方々のお人形、魂、絶対に入ってると思います‼️
    よくぞ来て下さった‼️という言葉を私は感じました✨

  • @おさむ-v6e
    @おさむ-v6e Рік тому +10

    ラストサムライ、一度でも訪れたい😊

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      付近も自然豊かでいいところです。是非行ってみてください。

  • @いそっぴ童話
    @いそっぴ童話 Рік тому +4

    歴史ファンとして住宅街に残る歴史の証拠を紹介して下さるこのチャンネルが大好きです
    動画の雰囲気も昔の金田一映画のような趣があり、とても見応えがありますね
    更新を楽しみにしています

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  11 місяців тому +1

      ありがとうございます。不定期更新ですが是非よろしくお願いします!

  • @kaikoba6254
    @kaikoba6254 Рік тому +20

    神流川合戦は知っていましたが、
    地元民なのに、
    ラストサムライは知りませんでした。
    勉強になりました、
    ありがとうございます🙇‍♀️

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +5

      ありがとうございます。地元の方。
      他の地域もおもしろいですよ、是非また見てくだされ

  • @gerosyabu7841
    @gerosyabu7841 Рік тому +44

    下仁田戦争での総大将であり高崎藩の家老だった堤金之丞。額を撃たれ最期を悟った彼は同行していた甥に兜ごと首を切って持ち帰るよう遺言したそうです。高崎市志の会理事の堤氏こそその子孫であり今でも銃創の空いた兜が残されています。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +9

      そうですね、たしか何かの記事でも堤氏が藩士の末裔と紹介されていました。

  • @popokimi
    @popokimi Рік тому +8

    いつも貴重なお話ありがとうございます😊

  • @九戸政実-z6p
    @九戸政実-z6p Рік тому +32

    民間人三名が犠牲になってるのがいたたまれない……😭

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +22

      それはそうなのですが、
      身分が違う農民と武士が一緒に祀られているのは
      けっこう珍しい光景ですね。

  • @おたくさ-g5z
    @おたくさ-g5z Рік тому +4

    今回もじわっと泣きたくなるような、胸の熱くなるような、良い内容ありがとうございました😊

  • @user-bbryO664
    @user-bbryO664 Рік тому +19

    人形を見て切なくなった。
    手当をしてる医師すらも斬られたなんて...。それぞれの志や思いはあっただろうし、守りたい思いもあっただろう。人間はいつの時代も争い犠牲になる命がたくさんあり、その無念がどれだけその地に留まってしまうのか...。どうか安らかに眠って欲しいと強く願う。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +6

      組織でも派閥ができるのは必然
      これが、人間の最も愚かでもあり、賢くもある事と思います。

    • @user-bbryO664
      @user-bbryO664 Рік тому +3

      @@怪奇な歴史研究室 本当にその通りですね。人間ほど残酷で愚かな生き物は他にいない...

  • @コーヒーうまい-t1e
    @コーヒーうまい-t1e Рік тому +4

    人形のお顔は、何となく穏やかな表情に見えます。
    最後までやり抜いた漢達の姿ですね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      そうそう、どなたかも言ってましたが、
      「どうだ、すごいだろう」みたいな感じもします。

  • @Kaito5327
    @Kaito5327 Рік тому +13

    私の先祖も織田家旧臣の国人領主。先祖がこぞって滝川一益の配下であったなら、私はこの世に生まれていなかったかもしれない・・・・。
    幕末の高崎藩士の壮絶なること、言葉もない。
    どうか安らかに眠ってほしい。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      一益も信長もおしい漢です。
      あと一歩のところで果てる、という儚さがまた現代の人にも魅力に感じるのかもしれませんね。

  • @FreezeQueen-k4h
    @FreezeQueen-k4h Рік тому +8

    私は岩手県民です。瀬織津姫の
    聖地といわれており、関連する神社は多いのですが、同じくらいに何箇所にもあるのが【一生に一度の願いを叶える】という神社です。運を使い果たしたらいけないと思い、まだ参拝できてません、道真公ゆかりのもの、夫人の墓もあるみたいです。飛び梅の梅の木も移植されてるみたいです。勉強不足ですが調べればレアな遺構とかあったりしそうですね。南部家が治めるまで内輪モメ、お家騒動だらけで政宗が頭を悩ませていたくらい酷いし、それで潰し合うことになり、名を挙げた武士が一人もいなくて、追われて逃げ続けてきた人が命を終える場所にしかなってないんだよね。高崎藩士も似たような感じですね。悲しくて、不条理
    だけど因果応報かなと複雑です。どうかその魂が安らかでありますように

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      一生に一度の願い、か。興味深い神社ですね。いつか行ってみたい。
      お家騒動はいつもそうで、日本軍も陸軍と海軍の話は有名ですが、
      会社でも部長派と次長派とか、政治の派閥とか、、
      これが人間の最大にして最多の不幸の原因とも思います。

  • @森下徳也
    @森下徳也 Рік тому +11

    これは訪れねばなるまい。名誉の墓碑ですね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +1

      非常にいいところです、自然も豊かですし。
      是非、機会あれば行ってみてください。

  • @りか-d4h
    @りか-d4h Рік тому +5

    7:00 ここは観音山の「せいすいじ」ですね。知らない方の為に読みを書いておきます。
    丁寧な調査ありがとうございました。地元のはずなのにここまで詳しくは知らなかったです。
    この辺りの歴史はとても古いはずですがあまり知られていません。この寺の裏手に城址(寺尾城)もあるんですよ。ごちゃごちゃ城址が点在していて古墳も混じっています。古い地名も意味深なものが多いと聞きました。
    ここも誰かが気付いてくれなければ歴史に埋もれてしまう場所です。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +5

      歴史が埋もれてしまうのは残念ですね、残したいものです。
      私の動画の意味というか、モチベーションも
      そういう風化させない的な意味もこめて活動しています。

  • @uz395
    @uz395 Рік тому +12

    高崎藩最後の藩主大河内輝声という人物のWikiがなかなか興味深い
    ・天狗党鎮圧に失敗(今回)
    ・八公二民の重税に直訴した農民代表を処刑
    重税の理由の中には大河内松平家という家格を保つための見栄もあったようで...
    前回動画の石碑が建ったのもこの人の影響だったりして😅

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +5

      投げ銭的なもの、ありがとうございます!
      そうですね、五万石騒動もぎり明治とかだったと思うので、
      少なからず、そういうプロパガンダというか、
      そういうのもあったかもしれませんね。

  • @大村伸子
    @大村伸子 Рік тому +11

    15歳ということは、数え年でしょう。現在なら14歳。元服したばかりの少年。何となく戦に向かうべく元服をして戦いに赴いたというような想像をしてしまいます。初陣だったかもなどおもってしまいす。息子を持つ身としてやるせなく悲しく手を合わせました。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +6

      初陣ですね、他の藩士も武士なので日々鍛錬はしていたでしょうが、
      戦闘経験はなく、天狗党は戦闘経験が豊富でした。
      やはり火器の扱いなども、差があったと思います。

  • @masayafujiki8471
    @masayafujiki8471 Рік тому +4

    ご苦労さまです。楽しみにしておりました。😮

  • @詩織石田-v2v
    @詩織石田-v2v Рік тому +5

    凄い人形まであるんだ。驚きました。けどちょっと怖いところですね。私一人では行けそうにないと思いました。貴重な動画有難うございます。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +2

      怖い感じはすると思います。気迫というか、本当に動き出しそうですよ。
      映像では伝わりづらいですが、
      おそらく現地に行くと、ただの人形じゃん、とは感じないはずです。

  • @kunihiko690918
    @kunihiko690918 Рік тому +9

    まずは下仁田戦争でなくなられた方々のご冥福をお祈りいたします。以前ニシン蔵に閉じ込められそのご処刑された天狗党の方の動画を見ました。また高崎藩に殺された農民の動画をみました。今回天狗党に殺された高崎藩の兵士の動画ということですね。誰が正しとかではなく争い自体の醜さむごたらしさ、むなしさ、悲しさが際立ってきます。それらの方々が平和な時代に生きていたら、それらの方々ひとりひとりに夢のある人生があったのではないか感じずにはいられません。改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。戦争のない世の中が実現しますようにと祈らずにはいられません。また次回の動画をお待ちいたしております。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      ありがとうございます。
      そう、やはり映画とかドラマは白と黒、正義と敵に分けて描かれがちですが、
      結局、お互いの正義のぶつかり合いですよ、多くの場合は。
      だから争いはむなしい。。が、欲望のもと人間は争う。おろかです。
      地球上の動物で人間しかこんな事しませんので。

    • @kunihiko690918
      @kunihiko690918 Рік тому +3

      @@怪奇な歴史研究室そうですね。悲しいかな、生きてゆくうえで「欲」とは無縁ではいられません。それがゆえに争いがおこる。生があるがゆえ死があり、生があるがゆえに欲が生じ、いくさとなり、死する。生きるとは悲しい琴なことなのかもしれませんね。

  • @エレガント猫パンチ
    @エレガント猫パンチ Рік тому +25

    お人形さんは魂入ってますね…瞬きするし絶命した時の映像がイメージで伝わるほどですが不思議なのは笑ってる感じがするのですよ。どうだ凄いだろうってね…

    • @ちょこ-p9p
      @ちょこ-p9p Рік тому +8

      私も人形が笑ってるように見えました。いい意味での笑顔

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +9

      どうだ、て感じはありますよね。人型の人形は魂はりやすいですからね。

  • @gunmateikokudenreiheicho
    @gunmateikokudenreiheicho Рік тому +3

    暑い中お疲れ様でした。
    清水寺の木像は小学生の時遠足で行って見学しています。
    観音山は地元小学生や幼稚園や保育の遠足コースなので懐かしいです。 
    観音山にデートに行くと観音さまが嫉妬してカップルが別れるとかいうジンクスがあったり、観音山にカッパピアという名前の遊園地があってお化け屋敷に本物が出る?なんて噂があったりしました。
    カッパピアも閉園してしばらく廃墟になってて近年公園として再整備されました。
    滝川一益も清洲会議に間に合わなくて立派な武士だったけど没落してしまった方だったと思います。
    甲府の川尻秀隆は悲惨な最後を迎えた事を考えれば犠牲者は出したけど撤退には成功したと思います。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +2

      小学生の遠足で行くのですね。地元ならではですね。
      滝川一益はおしい人物ですね、けっこう北条には奮戦したのですが、
      上野国に来てからそんな時間も経っておらず
      地盤固めもできていなうちにやられましたからね。

  • @BJ-nd9pt
    @BJ-nd9pt Рік тому +9

    今回も素晴らしい動画でした。ありがとうございます。
    高崎藩士の慰霊木像は顔に艶と目力があり恐しくもあり圧倒されました。主様の錯覚ではないですな〜動いてますよ 笑🤭

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      ありがとうございます。
      現地に行くとより迫力があります。
      映像だと伝わらないものがあると思います。
      ただの人形じゃん、とはならないですね。
      本当に生きてるよう

  • @tagomagotagomago
    @tagomagotagomago Рік тому +11

    昔だから当たり前だったんだろうけど15、6歳も犠牲になってるのがなんか特攻隊の事思い出してなんとも…人形もそれぞれ個人の服装再現してるようなんで、そりゃ本人やら遺族やらの念こもってますよね…

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +6

      そう、天狗党は、15歳の少年と対峙し、幼いから見過ごしてやろうとしたとかなんですが、
      泣く子も黙る天狗党の浪士5人相手に、その少年は槍で向かっていったという…
      それで斬られたらしいのですが、すごい話です。

    • @tagomagotagomago
      @tagomagotagomago Рік тому +2

      @@怪奇な歴史研究室 Oh...

  • @fuzuki_kisaragi
    @fuzuki_kisaragi 7 місяців тому +9

    戦死した全員誰かの父親であり夫であり息子なんだよな、ご遺族の悲しみは筆舌に尽くし難いものだったろうな

  • @彰布-j5b
    @彰布-j5b Рік тому +4

    群馬県立歴史博物館に、下仁田戦争の事や高崎藩士が被っていた、銃弾が貫通した兜などが展示されています。わたしは、そこで下仁田戦争の事を知りました。神流川の戦いの碑や首塚、胴塚は、近くまで行った事があります。また、その戦いの時に、滝川一益が陣を置いた、陣山古墳や、北条側の小城跡などには行った事があります。歴史が大きく動く時は、人の運命も大きく動くのですね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому

      色々行かれているようで。群馬のあたりは戦も多く、歴史がありますからね。

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke 8 місяців тому +3

    これは存じ上げませんでした… 神流川と天狗党、時代は違えども、大きな流れに抗った痕跡ですね。
    それぞれの死因を見ると銃によるものが多い。そういう時代になってしまってたんですね…人形は遺族の方々の話を参考にされてるとのことで、本当に似てるんでしょうね。今は安らかに、そして大切にしていってほしいですね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  8 місяців тому

      けっこうこの2つの戦いはマニアックかもですね。天狗党自体マニアックですからね。

  • @飛べモモンガ
    @飛べモモンガ Рік тому +8

    高崎藩士の首から頭部の被弾が多いように思います。かなり至近で撃たれているのでしょうね。壮絶です。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      そうだと思います、この時代の銃なんて、遠くから、まず当たりませんよね。
      現代の銃でさえ、映画みたいにバンバン当てるなんてのは、
      相当な腕がないと無理なくらいですからね。

  • @babycat9899
    @babycat9899 Рік тому +6

    その時代に、男として侍として生まれたことは、戦国を作り出した時というものが、悲しい。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      修羅の時代に生まれた運命をどう感じたか、
      彼らには日常で、むしろ落ち着いた心境だったのか、
      そういうのは私も興味がありますね。

  • @wouldhrough963
    @wouldhrough963 Рік тому +7

    首塚八幡宮の看板に書かれていた、丑三つ時に参拝されると良いって案内は、丑の刻参りみたいで不気味です…((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +5

      お、よく見ていますね。
      私もそれは思いました、深夜に首塚に行くといいと、
      看板にしっかり書いてあるんですよね。

  • @六十路ひよこ
    @六十路ひよこ Рік тому +3

    ちゃんと祀られているとはいえ、首と胴を別々に…何と酷い。10代の若者も戦いに加わったのですね。生まれた時代が違っていたら…美味しい物を沢山食べさせてあげたいです❨涙❩。

  • @小谷野晃
    @小谷野晃 Рік тому +4

    こんばんはm(_ _)m
    神流川合戦と天狗党動画配信ありがとう御座います。
    後、神流川合戦で有名な神社で思い出した
    のですが新町に有るお菊稲荷神社は確か?
    北条氏政由来の神社と聞き及びますので
    一度行ってみると面白いと思います。
    いけ〜ない!!
    ガトーフェスタ原田のラスクヲお忘れずに!、😂

  • @うぐ-j2t
    @うぐ-j2t Рік тому +1

    今入院中🏥なのですが…夜な夜な最初から見直して楽しんでます😊

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +2

      おお、ありがとうございます。
      入院中にはいい動画ですよ。しっとりとしているので。

  • @彰布-j5b
    @彰布-j5b Рік тому +4

    神流川の戦いと下仁田戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。その時その時代、仕える主君により命運が決まった時代。それぞれの方がそれぞれの立場で、主君からの命を達成しなければならない時代。命の尊さを思い知りました。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +1

      ええ、なので、
      現代の自ら…という人が年間何万といる、というのが信じられんのです。

  • @侍マスターチャンネル
    @侍マスターチャンネル 10 місяців тому +2

    侍マスターと申します!
    チャンネル登録させて頂きました!
    自分の住む信州でも、
    和田峠の戦いがあり、
    天狗党、高島藩、松本藩、
    戦死者が出ています。
    自分は、天狗党幹部、田中愿蔵さんの陣太刀をお世話させて頂いていますので、
    また良かったら、
    歴史ロマンのコラボをお願いいたします😊🙇‍♂️

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  10 місяців тому

      天狗様でも過激派と言われる田中愿蔵氏ですね、
      刀をお持ちとは、すばらしいです。

  • @masayafujiki8471
    @masayafujiki8471 Рік тому +4

    西南戦争の後も、各地で強奪や殺傷事件など治安が悪かったそうですね。徳川慶喜公は、後半生は、カメラや自動車など趣味を堪能したとされる一方、武家政権の終焉に腹を括っていたかも知れません。万一の際、16代将軍、家達を検討したとも聞きますが、水戸徳川家は、朝廷寄りの思想が強く、薩摩はともかく、毛利家は、もともとが、正月の挨拶が、徳川を倒そう!いや、まだまだ!を200年以上、そんな調子です(笑)しかし、15歳から、51歳まで、戦い亡くなられた方々、供養されていて、やや安堵しました。人形が印象的でした。😮

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +1

      そうですね、徳川慶喜は晩年いろいろな趣味をもったと言いますね。
      実はクリエイティブだったのでしょうね。

  • @インディードプル
    @インディードプル 4 місяці тому +2

    ホラーや猟奇的なもの、心霊、呪い、数多ある動画のどれとも違いますね。悲しさや切なさが伝わって来て私は少しも怖くないです。敢えて言うならこの動画は鎮魂でしょうか。思わず合掌してしまいます。こういう地方の小さな祠やお堂のような所、地元の人も知らないような深く眠った消える事のない歴史が佇んでいる

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  4 місяці тому

      鎮魂ですが、とくにジャンルにこだわるつもりはなくて、感じたままに。

  • @mityuo8485
    @mityuo8485 Рік тому +2

    すいません!今アップに気付きました!
    正座で観させていただきます!

  • @三平三平-h6w
    @三平三平-h6w Рік тому +2

    私の祖先が同じ群馬の富岡市七日市の七日市藩士だったので感慨深い。
    天狗党は富岡を通過したが、七日市藩は先陣を求められたが拒否して、これが高崎藩士の多数の犠牲の遠因になったらしい。
    七日市藩は加賀藩の前田利家の五男が初代藩主だったが加賀藩と天狗党は何か近しい関係があったのか?

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +2

      まあ、天狗党討伐命令があった藩は政治力とか力関係で、
      立場が不利な藩が選ばれたみたいな話もあるみたいですね。

  • @吉-w8g
    @吉-w8g 8 місяців тому +8

    そのへんのホラーチャンネルよりはるかに怖い。

  • @tvxq2368
    @tvxq2368 6 місяців тому +1

    子供の頃、毎年胴塚様の小さい祭りに行ってポテトチップスもらってたなぁ。近所では胴塚様、首塚様と呼んでた。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  6 місяців тому

      お祭りもあったのですね。今もあるんですかね、そういうの。
      私の地元も祭りとか、節分の豆まきとか続いているのだろうか。。

  • @masayafujiki8471
    @masayafujiki8471 Рік тому +5

    15歳で亡くなられたとは、なんとも。😮

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +2

      幼くて天狗党も見過ごそうとしたらしいです。
      ただ、槍で少年が向かっていったので斬られた、ようです。

  • @yummy822
    @yummy822 Рік тому +2

    天狗党は大河ドラマ徳川慶喜で描かれてます、時代が生んだ悲劇

  • @yyou1222
    @yyou1222 4 місяці тому +1

    合戦で亡くなられた霊達を救済されるのが十一面観世音菩薩様です。あと古戦場跡地や合戦で殺されたりした霊達を成仏させる法もありますね。

  • @源の浮雲
    @源の浮雲 Рік тому +4

    🙏🙏🙏

  • @maxterhecht
    @maxterhecht Рік тому +4

    藩士と住民には、かなりの差が有るな!

  • @BANDMAN-n3o
    @BANDMAN-n3o Рік тому +2

    自分の高祖父のさらに上の方が高崎藩のお侍でした。

  • @R.M-d7s
    @R.M-d7s 6 місяців тому +1

    首塚を祀った神社の効能が首から上の病を慰める上に丑三つ時の参詣がいいと言うのはここだけなのかな?初めて知った。他にもあるのかな。

  • @v_v157
    @v_v157 Рік тому +10

    最後の人形の場所は霊気ありますよね。 彼等の御霊に岸田政権について伺いたい。一言ずつ笑

    • @masakomasako382
      @masakomasako382 Рік тому +3

      微妙なご意見かと。。。笑

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +7

      「貴様それでも日本人か!」と刀を抜かれなければいいですが。。w

  • @やまとまほろば
    @やまとまほろば 5 місяців тому +1

    安中にある赤穂浪士47志像も紹介して下さると...

  • @顕一杉本
    @顕一杉本 2 місяці тому +1

    遺族の血縁水原徳言氏曰く「この静かな山村(下仁田)の道にたっぷり流された血の意味は今日どう評価すべきものになったのだろう。棺を覆うて後にとか百年の後にとかいうが、そんな甘いものではなくて、立場が違うと今でも歴史は動揺を続けたままで、一つの真実は得難いものらしい。」

  • @言霊の幸う國のムソジニスト

    滝川一益は、神流川の戦いで死んでいた方がよかったかも。晩年は失意と敗退の連続で、死因もハッキリしない寂しい死に方。時流に乗り損ねたか、死に損ねたか…人には死に時というものもあるらしい。地を這うように生きる名も無い庶民ならともかく、滝川一益程の武将には不遇な晩年だった😢

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +2

      そう、一益は完全にこの戦が人生のターニングポイント、
      色々、逸話が残り、中には真実でない事が語られたりしていますが、
      それだけ、この方は、当時の上野国に影響力あったのだと思います。

  • @akiosakata-cl4pu
    @akiosakata-cl4pu 4 місяці тому +1

    水戸藩は幕府の海防責任者でもあった藩主斉昭の方針で
    軍事力は北関東で頭一つ抜けていた
    とても旧態依然の小藩の武士達では太刀打ちできなかったろう

  • @pontarou01
    @pontarou01 Рік тому +2

    天狗党の方が兵力多いのに戦死者2倍だから、実質高崎藩の勝ちですね。

    • @怪奇な歴史研究室
      @怪奇な歴史研究室  Рік тому +3

      一応、シ傷者なので、傷を負った者が含まれます。
      ただ戦の負傷者のレベルは腕がとれかかってるとか、そういうレベルで、
      もちろん、かすり傷程度ではありません。

  • @ヒヨコマメ-e9h
    @ヒヨコマメ-e9h 5 місяців тому +1

    せつないですね

  • @十蘭コメント
    @十蘭コメント 4 місяці тому +1

    住宅街の中に、武士の首 ?
    事故物件の住宅地 ?

  • @マリアアントニア
    @マリアアントニア 8 місяців тому +1

    動画を見るまで何も知りませんでした。高崎藩は戦国時代に北条に敗れ、幕末には天狗党に敗れ、散々な結果となった様ですが、地元の方々に手厚く供養されているのですね。丑の刻に行くと何か見えるのだろうか?気になるけど怖いです。
    幕末の水戸藩は徳川斉昭が熱心に鉄砲生産をしていたので、天狗党は刀と鉄砲とで暴れまくっていた事でしょう。
    高崎藩は手厚い供養。水戸天狗党は後味が悪い最後と今だにタブーで、差がありすぎますね。どちらも自分達が信じる義の為に戦ったはずなのに…。

  • @metboos506
    @metboos506 7 місяців тому +1

    下仁田内戦?

  • @ski8846
    @ski8846 9 місяців тому +1

    高崎藩が北条氏と、また数百年後、天狗党と戦ったとは存じませんでした。パラオ守備隊は主力が水戸、一部高崎の兵も加わり、今度は一緒に戦い米軍を血祭りに上げました。

  • @dobami44
    @dobami44 Рік тому

    胸がいっぱいになりました