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いいお話をありがとうございました、胸に刺さりました、
梅本陵仙様ご視聴、コメントありがとうごさいます。みんな分かっているはずなのです。みんな知っているはずなのです。ただ、すぐ忘れてしまうのです。ただ、すぐうっかりしてしまうのです。だからこそ「心得」なのです。合掌 高科 修
ありがとうございます。お話が胸にしみました。
とし爺様ご視聴、コメントありがとうございます。合掌 高科 修
おしゃったとおりです、素晴らしい教え有難う御座います🙏
reiko kitagawa様ご視聴、コメントありがとうございます。そう言っていただけるとありがたいです。🙏 高科 修
今まで わからない 事が この年になつて やつと わかってきました 本当にありがとう 御座います❗
鈴木正様ご視聴、コメントありがとうございます。20代だから見えたこと30代だから気づいたこと40代だから感じたこと50代だから知ったこと60代だからわかったこと70代だから知り得たこて80代だから思ったこと90代だから府に落ちたこと年代年代にならなければ、またその年代までの人生を積み重ねなければ、感じたり知り得たり思ったり出来ない事は確実にあります。鈴木正様の「この年になって…」のお言葉は、その人生の積み重ね、鈴木正自身の人生の重たさの言葉だと感じております。こちらこそ、ありがとうございます。合掌 高科 修
わかっている様で,出来ているようで,していない出来ていない。これらの事を教えて頂き,ありがとうございました。心に留めおきます。誰が,この様なお話をしてくれましょうか………ありがたくて感謝です😢思い起こせば,多くのお通夜(お悔やみ)葬儀に参らせて頂きましたが,我が家族の時と同じ想いを持って接したことは少なかったように思います。親戚,友人,近所の方,職業柄、職員のご家族等々の葬儀にも参列させて頂きましたが,ご家族に果たして歩み寄ってあげることが出来ていただろうか?気持ちを察してあげれていただろうか?改めて課題を頂きました。ありがとうございました。🙏
M Kawaguchi様ご視聴、コメントありがとうございます。わかっている様で,出来ているようで,していない出来ていない。私もその通りだとおもいます。無意識の中の意識、意識の中の無意識という考え方にもなっていくのですが、昔から何かしでかした時には「相手の気持ちになって考えてみなさい」と叱られたものです。また、お仕事の中でも、「お客様の身になって考えなさい」ともよく言われています。 でも、慣れてくるといつの間にか、自分で勝手にこうだろう、ああだろう、こいうもんだろう、私はこうだからと、知らず知らずの間に自分の都合で考えてしまっている場合があります。私自身もそうですが、常に相手の身になって考える。寄り添って考えるというのは、難しいものですし、気を付けていかねばならないですね。 合掌 高科 修
ありがとうございました私の父が亡くなった時お通夜も葬式の時も親戚の人や私の3人の兄家族達がいました私と息子2人は透明人間でした…誰からも話しかけられずそっぽ向かれました兄家族が私と息子2人の悪口を親戚の人達に話している…私と息子2人だけが式場に泊まり込みお線香の番をしましたとてもつらかったです今は絶縁状態にしました住んでいる所も教えていません昔は仲が良かった兄妹なのに……兄嫁達からのいじめ辛いですね…
あけみ千葉様ご視聴、コメントありがとうございます。『毎朝の息子様と あけみ千葉様の親子の絆のやり取り』その、お互いを思いやる、お互い慮る心根。それは、全て あけみ千葉様が息子様にも、自分自身にも、蒔いた種であります。その種が息子様と あけみ千葉様ご自身に花を咲かせた果であります。そして…あけみ千葉様が、何気ない毎日の日々に、心配し心配される、ありがたさに、心穏やかに感じれるのは…間違いなく、このコメントでの一連の体験であります。この一連の体験・経験が、間違いなく、家族・兄弟は仲が良いのが一番であると、深く深く、あけみ千葉様に、意識するしないにかかわらず、心の奥底に刻みつけたのですから。辛い出来事になど、誰も会いたくはありません。しかし、人生には、辛い出来事は避けて通ることは出来ません。有る意味それが人生です。それ故に…辛い出来事は無駄ではありません。『幸』という漢字。この漢字を良く観察してください…お気づきになられましたでしょうか…そう、幸という漢字には、すでに『辛い』…そう辛いという漢字が含まれているのです。『一』の字を加えるだけで辛いは幸の漢字に変化します。つまり、心底何が大切で、何が大事なのかは、辛い出来事に会わなければ知ることは出来ないという意味を、この辛と幸は表しているのです。あけみ千葉様。あけみ千葉様のお父様が亡くなった時の出来事は、あけみ千葉を、今現在の素敵な女性に成らしめた、無駄にならない貴重な経験であったのです。そしてもう ひとつ。忘れてはならないことは、そのことを、あけみ千葉様に教え気づかせてくれたのは、まぎれもなく、あけみ千葉様の亡くなられたお父様(仏)であります。なぜなら、お父様が亡くならなければ、皆の心根は、決して見えてこない(あけみ千葉様が気づくことか出来なかった)ことであったからです。合掌高科修
@@buddhism_japan 返信ありがとうございます私が幼い頃に父と私は良く水と油だと言われていました家族の中で1番相性が悪いとでも大人になり息子が出来てその息子からおじいちゃんと暮らさなければいけないと言われ暮らすようになり昔のような仲違いは無くなり息子にも父にも感謝していますもっと親孝行したかった 親孝行出来たかなと……父には一緒に暮らしてありがとうと言われていましたが自分なりに親孝行出来たと思っています親孝行したいときには…と言いますが二人には感謝しています🙏
有難うございました🙏
高寺笑子様ご視聴、コメントありがとうございます。南無阿彌陀仏合掌高科修
南無阿弥陀仏合掌
cyonnmageomuretu様ご視聴コメント、ありがとうございます。南無阿弥陀仏合掌 高科 修
すばらしいお話ありがとうございました。涙が止まりませんでした。
ご視聴、コメントありがとうございます。動画でお話しているような、何か理不尽な心ない言葉を投げ掛けられたことがおありなのでしょうか?大切な愛する方をなくされて一歩も前に進めなくなった経験がおありなのでしょうか?質問しているのではございません。ただ、その涙の訳をご推察し、その涙が、少しでも明日を今日を歩いていける涙であればと願わずにはいられないだけです。私たちは、私もふくめて、どんな辛い、悲しい、苦しい出来事にあっても、生きていかなければなりません。それが、娑婆に残された人間の使命だと思っています。生きている人間が亡くなった人に対する責任だと。ご推察するだけで、何もわかりませんが、一歩一歩、ゆっくりと、大地を踏みしめるように生きていかれることを切に願うばかりです。 合掌 高科修
コロナの時に聞いて心に沁みる。
みすず 木村様ご視聴、コメントありがとうございます。会うことが出来ない…またはお参りに行けない…コロナの現状で、何かしらのご経験をなさったのでしょうか……コメントから、そんなことを慮っております。南無阿弥陀仏合掌高科修
大変心の中に感じ録れました今私は80歳です父母を最後まで見させていただきました、その時は葬儀手順で心にゆとりが無かった今思うと父母申し訳ない気持ちに成りました、南無阿彌陀仏。
足立憲司様ご視聴、コメントありがとうございます。『今思うと父母申し訳ない気持ちに成りました』とのお言葉。大丈夫です。お父様お母様は、微塵もそんなことは思っておりません。なぜなら…それが『親』という者だからです。足立憲司様も、ご自身のお子様やお孫様に、そんなことは思わないはずですから。きっと…優しい顔で…苦笑しておいでたはずです。合掌高科修
@@buddhism_japan お言葉を頂き有り難う御座います、気持ちがスッキリしました。😊
法話ありがとうございました私は4年前に母を亡くしましたご住職様のおっしゃった、大事な人の傍に居るそれか私はできませんでした、なんて親不孝な娘なんだと、ご住職様の法話を聞いて後悔の念でいっぱです
Tukiusagi 栗田万利子様はじめに、大切で大事なお母様とのお別れ…文面で大変失礼とは存じますが、一言お参りの言葉を申させて頂きます。『たいへんお寂しいことになられました。南無阿彌陀仏』大切で大事なお母様のお別れは、辛く悲しく寂しい日々であることは、察するに余りあります。しかしながら、大切で大事なお母様の側にいられなかった後悔の念にさいなまれておられることであろうことは十二分に感じられます。だからこそ…お伝えしたいこと、知っておいて欲しいことがあります。たとえどれだけお母様に、全力で看病されて、全力で側に付かれていても、どれだけ自分の身を粉にして尽くされたとしても…愛した人、愛された人、大切に思った人、大切に思われた人が亡くなったなら…もっとあーすれば良かったんじゃないだろうか?こうも出来たんじゃないんだろうか?もっと側にいられた、もっともっと側にいたかった、もっと優しく、もっと話を、もっと…もっと…と、それこそきりがない思いが頭どころか、身体中を駆け巡ります。『後悔・懺悔』しないことなど、決して誰にも出来ないことなのです。そのことをまず知っていて欲しいのです。その上で、どうか『後悔』なさらないでください。どうか『自分を責めない』でください。 なぜなら…もしTukiusagi 栗田万利子様、貴女がお母様より先に亡くなったとします。どうでしょうか?遺されたお母様に『後悔して欲しい』でしょうか?『後悔の念』にさいなまれていて欲しいでしょうか?それより、Tukiusagi 栗田万利子様は、そこされたお母様のことが心配で心配で心配でたまらないのではないでしょうか!ちゃんと食事を取っているだろうか?ちゃんと生活が出来ているだろうか?子供(Tukiusagi 栗田万利子様)を先に亡くして、毎日泣きくらして自暴自棄になってはいないだろうか?そう思って心配でしかたないのではないでしょうか!全力でお母様の側に寄り添っていても、何をどう尽くしても「後悔」はしてしまうものなのです。それが愛する人を亡くした、遺された者のある意味必ず起こる気持ちなのです。だからこそ、今、Tukiusagi 栗田万利子様が、しなければならないことは、『お母さん。心配していて。そのしんぱいが心配でないように。大丈夫!辛く悲しく寂しいけれど、私はしっかり生きて行くから!』とお母様のお気持ちを汲むことにあると思います。亡くなっても、お母様がTukiusagi 栗田万利子様を『愛する』気持ちは無くなったりはしないのです。ずっと愛し心配してくれているのです。その亡くなっても愛して心配してくれている『その思い』を『その願い』を、汲みとって欲しいのです。どうか、後悔の念にさいなまれるのではなく、『Tukiusagi 栗田万利子様を愛し願ってくれている思い』を汲み取りながら、信じながら、一歩一歩ゆっくりとTukiusagi 栗田万利子様の人生を歩んで行かれることを、切に切に願っております。合掌高科修
@@buddhism_japan ご住職様有難うございます。何か胸のつかえがすっーとしました私が毎日悔いていればあちらに逝った母は心配ですね毎日元気に生活していく事が良いのですね。母が生きている頃よく言っていた言葉で笑顔、感謝笑顔は人を嫌な気持ちにさせない感謝有難うの言葉は有難い、何かをしてもらって有難い事自然に有難う感謝の言葉が出るのよと母から教わってきました。今は父を私の傍に呼びケアーハウスでお世話になっております母のぶんまで親不孝したいですこれも母が安心してくれるのではないかと思います。ご住職様ためになる法話をあげて下さり感謝申し上げます、まだまだわからない事沢山有ります、法話の方いろいろお聞きしたいので宜しくお願い申し上げます 合掌
@@tukiusagi7039 様親不孝したい?親孝行では?
字を間違えてました、ご指摘下さり有難うございます
本当にそうですね、お葬式とか人が亡くなると気持ちより先にお香典なんぼにするとか、花出す?とか私ん時なんぼ包んでくれた?とかそんな気持ちが先走りバタバタしてしまいます。気持ちなんですね、気持ち。自分の気持ちが引き締まりました。ありがとうございます。
中村友子様ご視聴、コメントありがとうございます。子供の頃によく叱られました。「自分がされて嫌なことは人にするな!自分にされて嬉しかったことを人にしろ!」と。この言葉に尽きるように感じます。合掌 高科 修
阪神淡路大震災で、我が子を亡くされたお母様に、「○○ちゃんは、天に召されたのですよ」と、声を掛けた牧師がいました。クリスチャンでも受け入れたくない現実を前にして、あまりにも失礼極まりない言葉だと、怒りを覚えました。
加藤真理様ご視聴、コメントありがとうございます。お悔やみ行くときの一番大事な心得は、とりもなおさず「ある日のわたし」の動画でお話している、そこにいるのはある日の私自身!です。動画の内容をキチンと受けとめていただいて、ありがとうございます。でも動画をご覧になる前から、加藤様にはこの心があったのだとご推察いたします。だからこそ「怒りを覚えました」の言葉が出てくるのですから。合掌 高科 修
拝聴する度に阿弥陀様、お釈迦様の視線が一緒に注がれているような気がします…両親を無くして大分経ちますが独り還暦を迎えてもすべてが無味乾燥に映ってしまいます…食事も景色も…それだけ家族の存在は大きいということだと思います。義務教育から仏教の教えがあったらと残念でなりません。配信されている動画を一つ一つ拝聴しながら自分に問うていきたいと思いますが四苦八苦の世の中ですから煩悩や世間の荒波にもまれてしまうかもしれませんね…その時は南無阿弥陀仏と唱えてみます、…両親や阿弥陀様が見ていて下さる…そう思って有難うございました。
m様ご視聴、コメントありがとうございます。知らない人が知らない処で一生懸命に生き、死んで行く。その知らない人の産物、働き、思いは、巡り巡って我が身へと渡り、今を生きる糧となっています。m様も、その例外ではありません。『その知らない人の産物、働き、思いは、巡り巡って我が身へと渡り、今を生きる糧となっている』この事実を『お陰様』と呼びます。このお陰様への気づき、感謝が南無阿彌陀仏です。故に…お陰様と思える人に孤独はありません。南無阿彌陀仏が側に居るのですから。合掌高科修
仰る通りだと思います❣ファイト一発リポビタンD!
尾窪勝麿様ご視聴、コメントありがとうございます。南無阿彌陀仏合掌高科修
高科和尚様のお話、胸に染み入ります。その上で、浄土真宗の僧侶様の中にも方を時折見受けます。通夜葬儀の場で『倶会一処』の話をしたり、お参りに来る方が全て浄土真宗の方ばかりではないからと、門扉に盛った盛り塩を踏み蹴散らす。来れもまた如何に浄土真宗。教えがあるとは言え、非常識だとか感じたこと外交あります。和尚様なら、お通夜ご葬儀の席ではどのようなお話をされますでしょうか。
北畑宏道様ご視聴、コメントありがとうございます。お通夜での法話は…お通夜での『話し方そのままの姿』で下記の動画が御座います。是非ご覧ください。お通夜法話「長さんの弔辞」ua-cam.com/video/mLDXCtx17uQ/v-deo.htmlお通夜法話「死にゆく親の最後の願い」ua-cam.com/video/To0gRJbd7jk/v-deo.htmlお通夜法話「もう一度大好きなお父さんに会いたいなぁ」ua-cam.com/video/8INUIGA1I6Y/v-deo.html『門扉に盛った盛り塩を踏み蹴散らす』このお話しに関しましては…以前にもお答えいたしましたが、その場にいなかった私に何も言う事はできません。『非常識だとか感じたことがあります』という北畑宏道様の思う「常識」「非常識」のお話しは…北畑宏道様の思う「常識」「非常識」が必ずしも他の人の「常識」「非常識」と同じではないということを申し上げなければなりません。年齢の違い、地域性の違い、育った環境・教育の違い、神道・キリスト教・仏教など宗教の違い、同じ仏教でも宗派による違い、支持している政党の違い、などあげればキリがないからです。私はそれらを踏まえた上で…浄土真宗真宗大谷派の僧侶としての立場で、私の了解したお話ししかできませんのでご理解いただけるとありがたいです。合掌高科修
でも高科さん!法事なり1周忌なり、もともと「悲しむ暇」「辛がる暇」「悩む暇」「苦しむ暇」を、バランス良くはぐらかすために行う儀式ですよね?愛する人を失った、または愛する添い相を失った……だからこそ、恐ろしい程泣いたり喚いたりする……そうすると、本当に今!が観えなくなり、それこそ「どん底」に自分自身で突き落してしまいますよね…だからこそ身内の葬式は、喪主や家族である自分自身たちが、いろいろ動いたり忙しくしたりするのが、家族の最後の勤めじゃないですか!!!※私もかつてはそうでした…愛する兄を病気で失い、家族一同それは本当に地獄のような光景で泣きじゃくり、喧嘩もし、またはコメントでは言えないような言い合いもしたりしました!!!しかしながら、私自身ははっきり申し上げて、3日で切り替えました!実の姉からは、「あんたには心がないんか!!!」と罵声を浴びせられましたが、「今切り替えんと何もできんぞ!!」と論破したり、喧嘩したりしました!そんなこんなで、1週間でなんとか成ったっていうぐらい私自身が行動し、全身全霊前を向いたことがありました…もちろん、人それぞれですがやはり、どんなに辛かろうと、どんなに地獄を観ようと、体を動かし、気持ちを切り替え何を考えるかを本当に考えていこうと決意したのが、私身です!!!これは、曹洞宗から真宗大谷派に改宗した人間として言い切ります。どうぞ、このコメントを削除してください真宗大谷派合掌南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
真宗大谷派 祥様ご視聴、コメントありがとうございます。「はぐらかすために行う儀式ですよね?」との真宗大谷派 祥様のお尋ね。『違います!』論破も喧嘩も…それは、論破でもないし、喧嘩にもなりません。ただ単に、考えなくしているだけであり、見なくしているだけでありあります。考えないように、見ないよう、感じないように、気にしないように、そうすることが、南無阿弥陀仏ではありません。むしろ逆であります。考えるようにする、見るようにする、感じるようにする、気にするようにする、それが南無阿弥陀仏です。追伸『…でも』は、必要ありません。『…でも』は、頷けていない真宗大谷派 祥様の表れです。南無阿弥陀仏合掌高科修
高校生の時、友だちのお母さんが死んだ時、その時その子に遠足行っておいでと言ったのは、先生から聞いた話だけど、がん闘病中、三年看病したんだから気を楽にしなさい、葬式など後始末は亭主である俺がすると行ったそうです。
小松晃様ご視聴、コメントありがとうございます。小松晃様の高校の時のお友達のご家族(お友達も含む)。そのご家族には、そのご家族にしか知ることの出来ないご苦労、辛さ、悲しみ、思いやり、慈しみ、愛が存在いたします。どんなに親しい人にも知り得ないことはあります。表に出て来る言葉、行動、物事だけでは、とてもはかり得ないことです。小松晃様のコメントだけでは…「そうで御座いますか」とお答えするしか御座いません。よろしくお願い致します。合掌高科修
こんなおとなが多すぎるとおもうのは私の気のせいでしょうか?悲しくなります。お話の中に出てくる様な大人はどんな生き方をしてきて何を教えていくのでしょうか?
シュークリーム様ご視聴、コメントありがとうございます。『人の降り見て我が振り直せ』さらに…浄土真宗の僧侶は、こう申します。『自分の振り見て我が振り直せ』と…合掌高科修
いつも心にあります様に🙏
何時も有り難うございます。法句経 涅槃経のことについて浄土真宗でどの様にとらえられてるのか教えてください。
やませみ様ご視聴、コメントありがとうございます。浄土真宗の所依経典は…・仏説無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経のこの三部経であります。ですので、法句経、涅槃経につきましては、浄土真宗としてお話しを致す立場では御座いません。ですので、法句経、涅槃経を所依としている宗教宗派にお尋ねになられて下さいませ。合掌高科修
お母さん、死んだ時、な来たかった、でも、生きていた時口癖にお前がやっていけるのか、怒鳴られて生きて過ごして仕事していたから、なくなったた時、お客さんと会って会話しながら、お客さんに息子が働く私を死んだお母さんが安心するじゃないかと思って、空元気で生きがってたのを後悔している。
晃小松様『お前がやっていける』『怒鳴られて生きて過ごして仕事していた』お母様のこの言葉は…お母様のこの怒鳴りは…お母様が、晃小松様のことを、それはそれは心底!心の底から愛し心配し慈しんでおられた『証し』以外のの何ものでもありません。強く激しく深く愛されておいででしたのですね。晃小松はお母様に…『息子が働く私を死んだお母さんが安心する』この晃小松様の『思い』は空元気ではありません。それはそのまま、亡くなったお母様の『願い』であり『愛』です。晃小松様ご自身に後悔はあるでしょう。現に今、後悔しておられます。しかしその『後悔』の中に、本当に…真に…『息子が働く私を死んだお母さんが安心する』は『有る』のです。『母の愛』です。どうか晃小松様。『息子が働く私を死んだお母さんが安心する』を『空元気』にしないでください。『息子が働く私を死んだお母さんが安心する』を実践いたしてください。もし今、お仕事が定年になっておられたのなら、『息子が生きているのをお母さんは安心する』を『母の願い』として、自分自身の『その時』がくるまで、生き切ってください。今、私は、そう強く強く晃小松様に願わずにはおられません。合掌高科修
@@buddhism_japan今度、生きているお父さんが200坪ある家庭菜園に、ノウハウ教えて、農家産まれた訳でも無いのに注文して来る。高梨の話でうちのお母さんの愛を悟らされた時、うちの父の実家、農家だったなぁ。野菜を育てる、これは自分の腰から子を育てるに似ている。そして、農家を馬鹿にしないでね。先祖(おじいちゃん、おばあちゃん)を大事にしてくれ。話は、代わるけど父亡き時、従兄弟から買っている米辞めようかと、お姉さんと計画中なのに、子孫を大事してくれ。これも骨肉なんだから。南無、阿弥陀仏でしょうか?
ろくな檀家さんがいらっしゃいませんね。
五十六様ご視聴、コメントありがとうごさいます。「ろくな檀家さんがいらっしゃいませんね」との五十六様のお言葉。この檀家(真宗では檀家とは呼びません門徒と呼びます)さんは、けっして『ろくな檀家』ではありません。むしろ…ろくな檀家どころか…素晴らしい檀家です。浄土真宗では、このような檀家さんを『仏様』と呼びます。なぜなら…この檀家さんの言動が…言葉が…振る舞いが…思いが…考え方が…今!その場に居る『私』に『無限の気づき』を気づかせてくれるからです。五十六様が感じた『ろくでもない』もその一つです。しかし…浄土真宗は、『ろくでもない』で終わらないのです。『ろくでもない』からさらに気づきを繋いでいくのです。その繋ぎ切った先には『私』がいます。五十六様も…思ったことはありませんか…遊びに行く予定の日に、何か仕事がはいり、『何で今やねん!こんちくしょう』と…知り合いの通夜やお葬式にお参りに行く時に、雨や雪が降っていて、『何でこんな日に行かなならんねん!もっと違う日に死んだらどうやねん!』とか…自分の都合を優先し、自分の都合の良し悪しで感情を爆発させる。突き詰めれば…五十六様が『ろくでもない』というこの檀家さんは、『私(五十六様)』なのです。当然、高科修でもあります。故に…五十六様が『ろくでもない檀家』というこの方から、私(その場に居るすべての人)は…なるほど!日々気をつけておらねばならないな!でなければ、知らず知らずのうちに、自分勝手な自分のご都合主義になっている私が出るな!と『大きな気づき』を気づかせてもったということになります。私に気づきを与えるモノ全てを浄土真宗は『仏様』と呼びます。浄土真宗の本尊は南無阿彌陀仏です。南無きづけ阿弥陀仏気づきましたの南無阿彌陀仏です。この五十六様が『ろくでもない檀家』という檀家。始めに浄土真宗は門徒と呼ぶとお知らせ致しました。何故門徒と言うか…今までお話しを致して来たことで、もうお分かりかと存じますが、同じ道を歩み者という意味が門徒であります。ろくでもないことを言う貴方も、それを聞いている私も、浄土真宗の宗=全ての出来事から気づいていきましょう という道を歩む門徒である。そういうことであります。ご認知下さいませ。追伸いろいろお書き致しましたが……この動画は、五十六様が仰る『ろくでもない檀家さんのお話し』をしているのではありません。そういう檀家さんがおられるお寺のお話しでもありません。タイトル通り…お悔やみに行くときの一番大事な心得のお話しであります。何回でもどうか、動画の主旨がご理解出来るまでご視聴くださることを、切に切にお願い申し上げます。合掌高科修
いいお話をありがとうございました、胸に刺さりました、
梅本陵仙様
ご視聴、コメントありがとうごさいます。
みんな分かっているはずなのです。
みんな知っているはずなのです。
ただ、すぐ忘れてしまうのです。
ただ、すぐうっかりしてしまうのです。
だからこそ「心得」なのです。
合掌
高科 修
ありがとうございます。
お話が胸にしみました。
とし爺様
ご視聴、コメントありがとうございます。
合掌
高科 修
おしゃったとおりです、素晴らしい教え有難う御座います🙏
reiko kitagawa様
ご視聴、コメントありがとうございます。
そう言っていただけるとありがたいです。
🙏
高科 修
今まで わからない 事が この年になつて やつと わかってきました 本当にありがとう 御座います❗
鈴木正様
ご視聴、コメントありがとうございます。
20代だから見えたこと
30代だから気づいたこと
40代だから感じたこと
50代だから知ったこと
60代だからわかったこと
70代だから知り得たこて
80代だから思ったこと
90代だから府に落ちたこと
年代年代にならなければ、またその年代までの人生を積み重ねなければ、感じたり知り得たり思ったり出来ない事は確実にあります。
鈴木正様の「この年になって…」のお言葉は、その人生の積み重ね、鈴木正自身の人生の重たさの言葉だと感じております。
こちらこそ、ありがとうございます。
合掌
高科 修
わかっている様で,出来ているようで,していない出来ていない。
これらの事を教えて頂き,ありがとうございました。心に留めおきます。誰が,この様なお話をしてくれましょうか………ありがたくて感謝です😢
思い起こせば,多くのお通夜(お悔やみ)葬儀に参らせて頂きましたが,我が家族の時と同じ想いを持って接したことは少なかったように思います。親戚,友人,近所の方,職業柄、職員のご家族等々の葬儀にも参列させて頂きましたが,ご家族に果たして歩み寄ってあげることが出来ていただろうか?気持ちを察してあげれていただろうか?
改めて課題を頂きました。ありがとうございました。🙏
M Kawaguchi様
ご視聴、コメントありがとうございます。
わかっている様で,出来ているようで,していない出来ていない。
私もその通りだとおもいます。無意識の中の意識、意識の中の無意識という考え方にもなっていくのですが、昔から何かしでかした時には「相手の気持ちになって考えてみなさい」と叱られたものです。
また、お仕事の中でも、「お客様の身になって考えなさい」ともよく言われています。
でも、慣れてくるといつの間にか、自分で勝手にこうだろう、ああだろう、こいうもんだろう、私はこうだからと、知らず知らずの間に自分の都合で考えてしまっている場合があります。
私自身もそうですが、常に相手の身になって考える。寄り添って考えるというのは、難しいものですし、気を付けていかねばならないですね。
合掌
高科 修
ありがとうございました
私の父が亡くなった時
お通夜も葬式の時も
親戚の人や私の3人の兄家族達がいました
私と息子2人は透明人間でした…誰からも話しかけられず
そっぽ向かれました
兄家族が私と息子2人の悪口を親戚の人達に話している…
私と息子2人だけが式場に泊まり込みお線香の番をしました
とてもつらかったです
今は絶縁状態にしました
住んでいる所も教えていません
昔は仲が良かった兄妹なのに……兄嫁達からのいじめ
辛いですね…
あけみ千葉様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『毎朝の息子様と あけみ千葉様の親子の絆のやり取り』
その、お互いを思いやる、お互い慮る心根。
それは、全て あけみ千葉様が息子様にも、自分自身にも、蒔いた種であります。
その種が息子様と あけみ千葉様ご自身に花を咲かせた果であります。
そして…
あけみ千葉様が、何気ない毎日の日々に、心配し心配される、ありがたさに、心穏やかに感じれるのは…
間違いなく、このコメントでの一連の体験であります。
この一連の体験・経験が、間違いなく、家族・兄弟は仲が良いのが一番であると、深く深く、あけみ千葉様に、意識するしないにかかわらず、心の奥底に刻みつけたのですから。
辛い出来事になど、誰も会いたくはありません。
しかし、人生には、辛い出来事は避けて通ることは出来ません。
有る意味それが人生です。
それ故に…
辛い出来事は無駄ではありません。
『幸』という漢字。
この漢字を良く観察してください…
お気づきになられましたでしょうか…
そう、幸という漢字には、すでに『辛い』…そう辛いという漢字が含まれているのです。
『一』の字を加えるだけで辛いは幸の漢字に変化します。
つまり、心底何が大切で、何が大事なのかは、辛い出来事に会わなければ知ることは出来ないという意味を、この辛と幸は表しているのです。
あけみ千葉様。
あけみ千葉様のお父様が亡くなった時の出来事は、あけみ千葉を、今現在の素敵な女性に成らしめた、無駄にならない貴重な経験であったのです。
そしてもう ひとつ。
忘れてはならないことは、
そのことを、あけみ千葉様に教え気づかせてくれたのは、まぎれもなく、あけみ千葉様の亡くなられたお父様(仏)であります。
なぜなら、お父様が亡くならなければ、皆の心根は、決して見えてこない(あけみ千葉様が気づくことか出来なかった)ことであったからです。
合掌
高科修
@@buddhism_japan 返信ありがとうございます
私が幼い頃に父と私は良く水と油だと言われていました
家族の中で1番相性が悪いと
でも大人になり息子が出来て
その息子からおじいちゃんと暮らさなければいけないと言われ暮らすようになり
昔のような仲違いは無くなり
息子にも父にも感謝しています
もっと親孝行したかった 親孝行出来たかなと……
父には一緒に暮らしてありがとうと言われていましたが
自分なりに親孝行出来たと思っています
親孝行したいときには…と言いますが二人には感謝しています🙏
有難うございました🙏
高寺笑子様
ご視聴、コメントありがとうございます。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
南無阿弥陀仏
合掌
cyonnmageomuretu様
ご視聴コメント、ありがとうございます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科 修
すばらしいお話ありがとうございました。涙が止まりませんでした。
ご視聴、コメントありがとうございます。
動画でお話しているような、何か理不尽な心ない言葉を投げ掛けられたことがおありなのでしょうか?
大切な愛する方をなくされて一歩も前に進めなくなった経験がおありなのでしょうか?
質問しているのではございません。ただ、その涙の訳をご推察し、その涙が、少しでも明日を今日を歩いていける涙であればと願わずにはいられないだけです。
私たちは、私もふくめて、どんな辛い、悲しい、苦しい出来事にあっても、生きていかなければなりません。それが、娑婆に残された人間の使命だと思っています。
生きている人間が亡くなった人に対する責任だと。
ご推察するだけで、何もわかりませんが、一歩一歩、ゆっくりと、大地を踏みしめるように生きていかれることを切に願うばかりです。
合掌 高科修
コロナの時に聞いて心に沁みる。
みすず 木村様
ご視聴、コメントありがとうございます。
会うことが出来ない…
または
お参りに行けない…
コロナの現状で、何かしらのご経験をなさったのでしょうか……
コメントから、そんなことを慮っております。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
大変心の中に感じ録れました今私は80歳です父母を最後まで見させていただきました、その時は葬儀手順で心にゆとりが無かった今思うと父母申し訳ない気持ちに成りました、南無阿彌陀仏。
足立憲司様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『今思うと父母申し訳ない気持ちに成りました』
とのお言葉。
大丈夫です。
お父様お母様は、微塵もそんなことは思っておりません。
なぜなら…
それが『親』という者だからです。
足立憲司様も、ご自身のお子様やお孫様に、そんなことは思わないはずですから。
きっと…
優しい顔で…
苦笑しておいでたはずです。
合掌
高科修
@@buddhism_japan お言葉を頂き有り難う御座います、気持ちがスッキリしました。😊
法話ありがとうございました
私は4年前に母を亡くしました
ご住職様のおっしゃった、大事な人の傍に居る
それか私はできませんでした、なんて親不孝な娘なんだと、ご住職様の法話を聞いて後悔の念でいっぱです
Tukiusagi 栗田万利子様
はじめに、大切で大事なお母様とのお別れ…
文面で大変失礼とは存じますが、一言お参りの言葉を申させて頂きます。
『たいへんお寂しいことになられました。
南無阿彌陀仏』
大切で大事なお母様のお別れは、辛く悲しく寂しい日々であることは、察するに余りあります。
しかしながら、大切で大事なお母様の側にいられなかった後悔の念にさいなまれておられることであろうことは十二分に感じられます。
だからこそ…
お伝えしたいこと、知っておいて欲しいことがあります。
たとえどれだけお母様に、全力で看病されて、全力で側に付かれていても、どれだけ自分の身を粉にして尽くされたとしても…
愛した人、愛された人、大切に思った人、大切に思われた人が亡くなったなら…
もっとあーすれば良かったんじゃないだろうか?
こうも出来たんじゃないんだろうか?
もっと側にいられた、
もっともっと側にいたかった、もっと優しく、もっと話を、もっと…もっと…と、それこそきりがない思いが頭どころか、身体中を駆け巡ります。
『後悔・懺悔』しないことなど、決して誰にも出来ないことなのです。
そのことをまず知っていて欲しいのです。
その上で、どうか『後悔』なさらないでください。
どうか『自分を責めない』でください。
なぜなら…
もしTukiusagi 栗田万利子様、貴女がお母様より先に亡くなったとします。
どうでしょうか?
遺されたお母様に
『後悔して欲しい』でしょうか?
『後悔の念』にさいなまれていて欲しいでしょうか?
それより、Tukiusagi 栗田万利子様は、そこされたお母様のことが心配で心配で心配でたまらないのではないでしょうか!
ちゃんと食事を取っているだろうか?
ちゃんと生活が出来ているだろうか?
子供(Tukiusagi 栗田万利子様)を先に亡くして、毎日泣きくらして自暴自棄になってはいないだろうか?
そう思って心配でしかたないのではないでしょうか!
全力でお母様の側に寄り添っていても、何をどう尽くしても「後悔」はしてしまうものなのです。それが愛する人を亡くした、遺された者のある意味必ず起こる気持ちなのです。
だからこそ、今、Tukiusagi 栗田万利子様が、しなければならないことは、
『お母さん。心配していて。そのしんぱいが心配でないように。大丈夫!
辛く悲しく寂しいけれど、私はしっかり生きて行くから!』
とお母様のお気持ちを汲むことにあると思います。
亡くなっても、お母様がTukiusagi 栗田万利子様を『愛する』気持ちは無くなったりはしないのです。
ずっと愛し心配してくれているのです。
その亡くなっても愛して心配してくれている『その思い』を『その願い』を、汲みとって欲しいのです。
どうか、後悔の念にさいなまれるのではなく、『Tukiusagi 栗田万利子様を愛し願ってくれている思い』を汲み取りながら、信じながら、一歩一歩ゆっくりとTukiusagi 栗田万利子様の人生を歩んで行かれることを、切に切に願っております。
合掌
高科修
@@buddhism_japan ご住職様有難うございます。
何か胸のつかえがすっーとしました
私が毎日悔いていればあちらに逝った母は心配ですね
毎日元気に生活していく事が良いのですね。
母が生きている頃よく言っていた言葉で笑顔、感謝
笑顔は人を嫌な気持ちにさせない
感謝有難うの言葉は有難い、何かをしてもらって有難い事自然に有難う感謝の言葉が出るのよと母から教わってきました。
今は父を私の傍に呼びケアーハウスでお世話になっております
母のぶんまで親不孝したいです
これも母が安心してくれるのではないかと思います。
ご住職様ためになる法話をあげて下さり感謝申し上げます、まだまだわからない事沢山有ります、法話の方いろいろお聞きしたいので宜しくお願い申し上げます
合掌
@@tukiusagi7039 様
親不孝したい?
親孝行では?
字を間違えてました、ご指摘下さり有難うございます
本当にそうですね、お葬式とか人が亡くなると気持ちより先にお香典なんぼにするとか、花出す?とか私ん時なんぼ包んでくれた?とかそんな気持ちが先走りバタバタしてしまいます。気持ちなんですね、気持ち。
自分の気持ちが引き締まりました。ありがとうございます。
中村友子様
ご視聴、コメントありがとうございます。
子供の頃によく叱られました。
「自分がされて嫌なことは人にするな!
自分にされて嬉しかったことを人にしろ!」と。
この言葉に尽きるように感じます。
合掌
高科 修
阪神淡路大震災で、我が子を亡くされたお母様に、「○○ちゃんは、天に召されたのですよ」と、声を掛けた牧師がいました。
クリスチャンでも受け入れたくない現実を前にして、あまりにも失礼極まりない言葉だと、怒りを覚えました。
加藤真理様
ご視聴、コメントありがとうございます。
お悔やみ行くときの一番大事な心得は、とりもなおさず「ある日のわたし」の動画でお話している、そこにいるのはある日の私自身!です。
動画の内容をキチンと受けとめていただいて、ありがとうございます。
でも動画をご覧になる前から、加藤様にはこの心があったのだとご推察いたします。
だからこそ「怒りを覚えました」の言葉が出てくるのですから。
合掌
高科 修
拝聴する度に阿弥陀様、お釈迦様の視線が一緒に注がれているような気がします…両親を無くして大分経ちますが独り還暦を迎えてもすべてが無味乾燥に映ってしまいます…食事も景色も…それだけ家族の存在は大きいということだと思います。
義務教育から仏教の教えがあったらと残念でなりません。
配信されている動画を一つ一つ拝聴しながら自分に問うていきたいと思いますが四苦八苦の世の中ですから煩悩や世間の荒波にもまれてしまうかもしれませんね…
その時は南無阿弥陀仏と唱えてみます、…両親や阿弥陀様が見ていて下さる…そう思って
有難うございました。
m様
ご視聴、コメントありがとうございます。
知らない人が知らない処で一生懸命に生き、死んで行く。
その知らない人の産物、働き、思いは、巡り巡って我が身へと渡り、今を生きる糧となっています。
m様も、その例外ではありません。
『その知らない人の産物、働き、思いは、巡り巡って我が身へと渡り、今を生きる糧となっている』
この事実を『お陰様』と呼びます。
このお陰様への気づき、感謝が南無阿彌陀仏です。
故に…
お陰様と思える人に孤独はありません。
南無阿彌陀仏が側に居るのですから。
合掌
高科修
仰る通りだと思います❣ファイト一発リポビタンD!
尾窪勝麿様
ご視聴、コメントありがとうございます。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
高科和尚様のお話、胸に染み入ります。
その上で、浄土真宗の僧侶様の中にも方を時折見受けます。
通夜葬儀の場で『倶会一処』の話をしたり、お参りに来る方が全て浄土真宗の方ばかりではないからと、門扉に盛った盛り塩を踏み蹴散らす。
来れもまた如何に浄土真宗。教えがあるとは言え、非常識だとか感じたこと外交あります。
和尚様なら、お通夜ご葬儀の席ではどのようなお話をされますでしょうか。
北畑宏道様
ご視聴、コメントありがとうございます。
お通夜での法話は…
お通夜での『話し方そのままの姿』で下記の動画が御座います。
是非ご覧ください。
お通夜法話「長さんの弔辞」
ua-cam.com/video/mLDXCtx17uQ/v-deo.html
お通夜法話「死にゆく親の最後の願い」
ua-cam.com/video/To0gRJbd7jk/v-deo.html
お通夜法話「もう一度大好きなお父さんに会いたいなぁ」
ua-cam.com/video/8INUIGA1I6Y/v-deo.html
『門扉に盛った盛り塩を踏み蹴散らす』
このお話しに関しましては…
以前にもお答えいたしましたが、その場にいなかった私に何も言う事はできません。
『非常識だとか感じたことがあります』
という北畑宏道様の思う「常識」「非常識」
のお話しは…
北畑宏道様の思う「常識」「非常識」が必ずしも他の人の「常識」「非常識」と同じではないということを申し上げなければなりません。
年齢の違い、地域性の違い、育った環境・教育の違い、神道・キリスト教・仏教など宗教の違い、同じ仏教でも宗派による違い、支持している政党の違い、などあげればキリがないからです。
私はそれらを踏まえた上で…
浄土真宗真宗大谷派の僧侶としての立場で、
私の了解したお話ししかできませんのでご理解いただけるとありがたいです。
合掌
高科修
でも高科さん!
法事なり1周忌なり、
もともと「悲しむ暇」「辛がる暇」「悩む暇」「苦しむ暇」を、バランス良く
はぐらかすために行う儀式ですよね?
愛する人を失った、または愛する添い相を失った……
だからこそ、恐ろしい程泣いたり喚いたりする……
そうすると、本当に今!が観えなくなり、それこそ「どん底」に自分自身で突き落してしまいますよね…
だからこそ身内の葬式は、喪主や家族である自分自身たちが、いろいろ動いたり忙しくしたりするのが、家族の最後の勤めじゃないですか!!!
※私もかつてはそうでした…
愛する兄を病気で失い、家族一同
それは本当に地獄のような光景で
泣きじゃくり、喧嘩もし、またはコメントでは言えないような言い合いもしたりしました!!!
しかしながら、私自身は
はっきり申し上げて、3日で切り替えました!
実の姉からは、「あんたには心がないんか!!!」
と罵声を浴びせられましたが、
「今切り替えんと何もできんぞ!!」
と論破したり、喧嘩したりしました!
そんなこんなで、1週間でなんとか成ったっていうぐらい私自身が
行動し、全身全霊前を向いたことがありました…
もちろん、人それぞれですが
やはり、どんなに辛かろうと、
どんなに地獄を観ようと、
体を動かし、気持ちを切り替え
何を考えるかを本当に考えていこうと決意したのが、私身です!!!
これは、曹洞宗から真宗大谷派に改宗した人間として言い切ります。
どうぞ、このコメントを削除してください
真宗大谷派
合掌
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
真宗大谷派 祥様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「はぐらかすために行う儀式ですよね?」
との真宗大谷派 祥様のお尋ね。
『違います!』
論破も喧嘩も…
それは、論破でもないし、喧嘩にもなりません。
ただ単に、考えなくしているだけであり、見なくしているだけでありあります。
考えないように、見ないよう、感じないように、気にしないように、そうすることが、南無阿弥陀仏ではありません。
むしろ逆であります。
考えるようにする、見るようにする、感じるようにする、気にするようにする、それが南無阿弥陀仏です。
追伸
『…でも』は、必要ありません。
『…でも』は、頷けていない真宗大谷派 祥様の表れです。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
高校生の時、友だちのお母さんが死んだ時、その時その子に遠足行っておいでと言ったのは、先生から聞いた話だけど、がん闘病中、三年看病したんだから気を楽にしなさい、葬式など後始末は亭主である俺がすると行ったそうです。
小松晃様
ご視聴、コメントありがとうございます。
小松晃様の高校の時のお友達のご家族(お友達も含む)。
そのご家族には、そのご家族にしか知ることの出来ないご苦労、辛さ、悲しみ、思いやり、慈しみ、愛が存在いたします。
どんなに親しい人にも知り得ないことはあります。
表に出て来る言葉、行動、物事だけでは、とてもはかり得ないことです。
小松晃様のコメントだけでは…
「そうで御座いますか」
とお答えするしか御座いません。
よろしくお願い致します。
合掌
高科修
こんなおとなが多すぎるとおもうのは私の気のせいでしょうか?悲しくなります。お話の中に出てくる様な大人はどんな生き方をしてきて何を教えていくのでしょうか?
シュークリーム様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『人の降り見て我が振り直せ』
さらに…
浄土真宗の僧侶は、こう申します。
『自分の振り見て我が振り直せ』
と…
合掌
高科修
いつも心にあります様に🙏
何時も有り難うございます。法句経 涅槃経のことについて浄土真宗でどの様にとらえられてるのか教えてください。
やませみ様
ご視聴、コメントありがとうございます。
浄土真宗の所依経典は…
・仏説無量寿経
・仏説観無量寿経
・仏説阿弥陀経
のこの三部経であります。
ですので、法句経、涅槃経につきましては、浄土真宗としてお話しを致す立場では御座いません。
ですので、法句経、涅槃経を所依としている宗教宗派にお尋ねになられて下さいませ。
合掌
高科修
お母さん、死んだ時、な来たかった、でも、生きていた時口癖にお前がやっていけるのか、怒鳴られて生きて過ごして仕事していたから、なくなったた時、お客さんと会って会話しながら、お客さんに息子が働く私を死んだお母さんが安心するじゃないかと思って、空元気で生きがってたのを後悔している。
晃小松様
『お前がやっていける』
『怒鳴られて生きて過ごして仕事していた』
お母様のこの言葉は…
お母様のこの怒鳴りは…
お母様が、晃小松様のことを、それはそれは心底!心の底から愛し心配し慈しんでおられた『証し』以外のの何ものでもありません。
強く激しく深く愛されておいででしたのですね。
晃小松はお母様に…
『息子が働く私を死んだお母さんが安心する』
この晃小松様の『思い』は空元気ではありません。
それはそのまま、亡くなったお母様の『願い』であり『愛』です。
晃小松様ご自身に後悔はあるでしょう。
現に今、後悔しておられます。
しかしその『後悔』の中に、本当に…真に…
『息子が働く私を死んだお母さんが安心する』
は『有る』のです。
『母の愛』です。
どうか晃小松様。
『息子が働く私を死んだお母さんが安心する』
を『空元気』にしないでください。
『息子が働く私を死んだお母さんが安心する』
を実践いたしてください。
もし今、お仕事が定年になっておられたのなら、
『息子が生きているのをお母さんは安心する』
を『母の願い』として、自分自身の『その時』がくるまで、生き切ってください。
今、私は、そう強く強く晃小松様に願わずにはおられません。
合掌
高科修
@@buddhism_japan今度、生きているお父さんが200坪ある家庭菜園に、ノウハウ教えて、農家産まれた訳でも無いのに注文して来る。
高梨の話でうちのお母さんの愛を悟らされた時、うちの父の実家、農家だったなぁ。
野菜を育てる、これは自分の腰から子を育てるに似ている。
そして、農家を馬鹿にしないでね。先祖(おじいちゃん、おばあちゃん)を大事にしてくれ。
話は、代わるけど父亡き時、従兄弟から買っている米辞めようかと、お姉さんと計画中なのに、子孫を大事してくれ。
これも骨肉なんだから。
南無、阿弥陀仏でしょうか?
ろくな檀家さんがいらっしゃいませんね。
五十六様
ご視聴、コメントありがとうごさいます。
「ろくな檀家さんがいらっしゃいませんね」
との五十六様のお言葉。
この檀家(真宗では檀家とは呼びません門徒と呼びます)さんは、けっして『ろくな檀家』ではありません。
むしろ…
ろくな檀家どころか…
素晴らしい檀家です。
浄土真宗では、このような檀家さんを『仏様』と呼びます。
なぜなら…
この檀家さんの
言動が…
言葉が…
振る舞いが…
思いが…
考え方が…
今!その場に居る『私』に『無限の気づき』を気づかせてくれるからです。
五十六様が感じた『ろくでもない』もその一つです。
しかし…浄土真宗は、
『ろくでもない』で終わらないのです。
『ろくでもない』からさらに気づきを繋いでいくのです。
その繋ぎ切った先には『私』がいます。
五十六様も…
思ったことはありませんか…
遊びに行く予定の日に、何か仕事がはいり、『何で今やねん!こんちくしょう』と…
知り合いの通夜やお葬式にお参りに行く時に、雨や雪が降っていて、『何でこんな日に行かなならんねん!もっと違う日に死んだらどうやねん!』とか…
自分の都合を優先し、
自分の都合の良し悪しで感情を爆発させる。
突き詰めれば…
五十六様が『ろくでもない』というこの檀家さんは、『私(五十六様)』なのです。
当然、高科修でもあります。
故に…
五十六様が『ろくでもない檀家』というこの方から、私(その場に居るすべての人)は…
なるほど!
日々気をつけておらねばならないな!
でなければ、知らず知らずのうちに、自分勝手な自分のご都合主義になっている私が出るな!
と『大きな気づき』を気づかせてもったということになります。
私に気づきを与えるモノ全てを浄土真宗は『仏様』と呼びます。
浄土真宗の本尊は南無阿彌陀仏です。
南無きづけ
阿弥陀仏気づきましたの南無阿彌陀仏です。
この五十六様が『ろくでもない檀家』という檀家。
始めに浄土真宗は門徒と呼ぶとお知らせ致しました。
何故門徒と言うか…
今までお話しを致して来たことで、もうお分かりかと存じますが、同じ道を歩み者という意味が門徒であります。
ろくでもないことを言う貴方も、それを聞いている私も、浄土真宗の宗=全ての出来事から気づいていきましょう という道を歩む門徒である。
そういうことであります。
ご認知下さいませ。
追伸
いろいろお書き致しましたが……
この動画は、五十六様が仰る『ろくでもない檀家さんのお話し』をしているのではありません。
そういう檀家さんがおられるお寺のお話しでもありません。
タイトル通り…
お悔やみに行くときの一番大事な心得のお話しであります。
何回でもどうか、動画の主旨がご理解出来るまでご視聴くださることを、切に切にお願い申し上げます。
合掌
高科修