【等彌神社】神々のエネルギーを感じるパワースポット:奈良

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  • Опубліковано 29 сер 2024

КОМЕНТАРІ • 20

  • @user-wi2go5yy7i
    @user-wi2go5yy7i Місяць тому +4

    UP有難うございます☺こちらの元氏子です。お宮参りも、七五三も、十三詣りもこちらでお世話になりました。
    祖父母の家が近く、懐かしいです✨昔から変わらないってすごいことだなあ、とこの年になって思います
    小さい頃は何も考えてなかったけど、御祭神今は神武天皇ということですが、元々、饒速日命と聞きました。
    神武が大和に入る前の、記紀にも書かれている大和の王者ですね☺
    そういえば、伯母もこちらで結婚式させていただきました、小さな池のある辺りです。
    祭祀跡の残る山麓に登れば、三輪山も美しく見えます☺有り難い神様です。

    • @sanpotabi-2
      @sanpotabi-2  Місяць тому +1

      コメントありがとうございます!素敵な思い出をシェアしていただき、とても嬉しいです😊
      等彌神社は、本当に長い歴史と共に地域の皆様に愛されてきた場所ですね。お宮参りや七五三、十三詣りなど、人生の節目に関わる大切な行事を等彌神社で迎えられたこと、そしてご家族の結婚式のエピソードも、とても感動的です✨
      御祭神に関しても貴重な情報をありがとうございます。饒速日命が元々の御祭神であり、神武天皇が大和に入る前の大和の王者だったという歴史的背景、とても興味深いです。神話と歴史が交差する場所である等彌神社は、改めてその魅力を感じますね。
      これからも等彌神社が皆様に愛され続ける場所であることを願っています。三輪山の美しい風景と共に、神様のご加護がありますように☺

    • @user-wi2go5yy7i
      @user-wi2go5yy7i Місяць тому +4

      @@sanpotabi-2 三輪や桜井のこの辺りは、古墳時代には磐余(いわれ)と呼ばれ、大和朝廷の心臓部でした。神武天皇が九州からはじめて大和に入って、磐余彦を名乗り、国の祭祀をされたという場所が、「白庭山」という記録が残ります。これがどこかは、二つ候補地があります。柏原のほうの、富雄川の近くにある、同じ呼び名の「登彌神社」と、桜井のこちらかで学説が分かれています。ただ、柏原のほうの祭神は「饒速日命」であり、同名の神社が千葉の方などにもいくつかあるのですが、そちらの祭神も同じく饒速日命だそうです。饒速日は、大和朝廷の武人で、強い武力を持ち、この辺りを統治していたようです。九州から大和に入ろうとしたよそ者の神武天皇を撃退しようと、(大坂辺りまで勢力を持つ)武人の長髄彦らは大阪湾から入ろうとした神武天皇の兄を討ち取りましたが、戦況が悪化し、最後負傷して亡くなったようです。大和側の抵抗は激しく、結局、神武天皇は大和の最高権力者・大物主命(三輪山の祭神)の「娘婿」という形でやっと大和に入れました。(九州に残してきた神武の長男が、権利を主張して大和に来たのですが、即斬られました。あくまで扱いは「娘婿」です。二人の間に生まれた息子が、2代天皇になりました。長男を斬ったのはこの弟です。大和を治めるのは、大物主の血を継いだものでなければならないわけです。)以降、天皇家(大王家)の時代になり、さらに蘇我氏が滅びた時に饒速日の記録は失われ、「消された覇王」などといわれています。饒速日=大物主という説もありますが、別人を唱える学者もおります。白庭山の場所がどちらかはわからないですが、弓張桜井皇女は、推古天皇の娘です。桜井のほうの神主さんのお話だと、近年になって、縄文時代くらいの埴輪が、神域の松の木の下から見つかり、神宝になっています。一度盗まれたけど、盗んだ人に祟りが続き、持て余して戻ってきたそうです。ほんと、いつから拝まれている神社なのか、どのみち、途方もなく古いようです。近くにあるホケノ山古墳も、大王級の古墳で、武器満載しており、物騒な時代だったんだなあと思います☺また良かったら、等彌神社の裏山の神域まで登山されてください。元々は、本殿はその山中にありました☺山崩れかなんかで、本殿を今ある山裾に降ろしました。山頂にある「鳥見の霊畤 」が、白庭山の祭祀場所(推定)です☺山の峰を縫ってずっと進むとあります。疲れた~と思った頃にやっと着きます。峰のはじっこは古墳です。パワースポットという言葉は私の子供の頃は無かったのですが、もし御興味なら、いいしれぬ霊気のある場所ですよ。是非是非☺✨

    • @sanpotabi-2
      @sanpotabi-2  Місяць тому

      コメントありがとうございます!とても詳しい歴史や背景を教えていただき、とても興味深く読ませていただきました😊
      磐余(いわれ)についてのご説明や、白庭山の候補地についての情報、本当に勉強になります。等彌神社と柏原の登彌神社、さらに千葉の同名の神社との関係性など、饒速日命にまつわる歴史の深さを感じました。神武天皇や大物主命との関係性も、当時の大和の複雑な歴史を物語っていますね。また、弓張桜井皇女や縄文時代の埴輪にまつわるお話も、等彌神社の古さとその神聖さを感じさせるエピソードで、とても興味深いです。盗まれた埴輪が戻ってきた話も神秘的ですね。ホケノ山古墳やその周辺の歴史についても教えていただき、ありがとうございます。確かに、当時の大王級の古墳には武器が満載されていることから、物騒な時代背景を想像させられます。
      等彌神社の裏山の神域にもぜひ訪れてみたいと思います。元々本殿がその山中にあったというのも興味深いですし、「鳥見の霊畤」にも興味があります。山頂への道のりは大変そうですが、パワースポットとしての魅力に引かれます。素晴らしい情報を共有していただき、本当にありがとうございます。等彌神社の歴史と魅力を再確認することができました。また機会があれば、ぜひ訪れてみたいと思います!

    • @user-wi2go5yy7i
      @user-wi2go5yy7i Місяць тому

      @@sanpotabi-2 そうですね、「鳥見の霊畤」までは一本道なので、迷われることは無いと思います。分岐には標識もあります☺ただ、アップダウンがあるので、まだ着かないのか?と不安になるころに着きます。山の尾根を伝っています。道ははっきりしていて、歩きやすいですよ。昔の人は、山頂への道を、供え物を担いで歩いたんでしょうね😅母の頃は、山中の木のうろに、フクロウがいたそうです🤭弓張桜井皇女は、聖徳太子の正妻(正妃)の妹なので、聖徳太子の義理の妹になります。古人大兄皇子という有力者と結婚して、3児をもうけ、その後、聖徳太子の弟・米目皇子と再婚?した説ありますが、どのみち義妹です。(彼女については、それ以外は伝わってないそうです。)ちなみに、聖徳太子が若い頃住まれていた宮も、ここから歩いてすぐのところにあります。桜井市「上之宮遺跡」が宮の跡地です。当時の日本には不似合いなほどの立派な排水施設が見つかったそうです。地元では、昔から伝承がありました。”上之宮は、聖徳太子が若い頃、斑鳩に行かれるまで住んでおられたところだ”、と。空地でしたが、鳥居が立っていました。そして昭和の区画整理の際、言い伝え通り、遺跡が出ました。聖徳太子は、ここに20年ほど住み、最愛の妃・膳部菩岐々美郎女の実家のある、膳氏の勢力地・法隆寺近くの斑鳩に転居します。蘇我氏と離れたかったのかもしれません☺あと、ごめんなさい💦間違えました🥲、すみません、埴輪じゃなくて、「土偶」ですね💦、カラス人間みたいな模型が社務所に見えるところに置いてあります。小さい模型売ってました。変わった土偶なので、ついでに是非ご覧くださいね😊✨

  • @user-suzuchan
    @user-suzuchan Місяць тому +1

    お引き合わせくださりありがとうございます🍀
    🙏

    • @sanpotabi-2
      @sanpotabi-2  Місяць тому +1

      コメントありがとうございます!動画を通じて等彌神社との「お引き合わせ」ができたこと、とても嬉しく思います😊
      等彌神社の魅力や神聖さを感じていただけたようで、本当に光栄です。これからも皆さんに素敵な場所や歴史を紹介できるよう、心を込めてコンテンツを作っていきます。
      ご視聴いただきありがとうございました!またぜひ動画を楽しんでくださいね。

  • @user-hk8kks5e
    @user-hk8kks5e Місяць тому +4

    ありがとうございます❗️my龍🐉神さんです❗️ 稲荷社へ登り途中を右側山手に登るとすぐに黒龍社が有ります‼️人懐っこい黒龍が居ます❗️毎回お参りすると風や参拝した瞬間に急に雨☔️とか歓迎してくれます❗️神社の道向かいが祖母の生家が有ってで60年前にここに来てました❗️ほぼ覚えていないんですけど❗️ご縁あるんですねぇ~❗️

    • @sanpotabi-2
      @sanpotabi-2  Місяць тому

      コメントありがとうございます!とても興味深いお話ですね。黒龍社について教えていただきありがとうございます。次回訪れる際には、ぜひ黒龍社にもお参りしてみたいと思います。風や雨で歓迎してくれる黒龍の存在、そして60年前からのご縁、素敵なエピソードですね。これからも等彌神社で素敵な経験がたくさんありますように!

    • @akisuzu55
      @akisuzu55 Місяць тому

      黒龍さんが見えちゃうなんて凄いですね!羨ましい😊

  • @user-zt6zk6uq5d
    @user-zt6zk6uq5d Місяць тому +1

    ありがとうございました♪遠隔参拝することができました。空気感を感じることが出来て,幸せな気持ちです❤感謝です♪

    • @sanpotabi-2
      @sanpotabi-2  Місяць тому

      コメントありがとうございます!動画を通じて遠隔参拝の気持ちを感じていただけたとのこと、とても嬉しいです😊
      等彌神社の神聖な空気感を少しでもお届けできたこと、そしてそれが幸せな気持ちに繋がったと聞いて感謝の気持ちでいっぱいです。これからも皆さんに喜んでいただけるようなコンテンツをお届けできるよう努めます。
      ご視聴いただきありがとうございました!また何かありましたら、ぜひコメントしてくださいね。

  • @user-nn9xe5vc8l
    @user-nn9xe5vc8l Місяць тому +1

    御本殿迷まで行けるの?本当?すごい😆⤴️

    • @sanpotabi-2
      @sanpotabi-2  Місяць тому

      コメントありがとうございます!等彌神社は訪れる人々にとって、心身ともにリフレッシュできる特別な場所ですので、機会があればぜひ訪れてみてくださいね。
      これからも動画を通じて等彌神社の魅力をお届けしていきますので、どうぞお楽しみに!またご質問やコメントがあれば、お気軽にどうぞ!

  • @surgeont777
    @surgeont777 Місяць тому +1

    神話時代前より栄えた出雲国の有力者、トビ家由来っぽい神社なのですね

    • @sanpotabi-2
      @sanpotabi-2  Місяць тому

      コメントありがとうございます!等彌神社に関しては、トビ家に関する直接の記録や証拠が、確認されていません。文様も違うと思われます。ひょっとしたら自分が知らないだけで、関連あるかもしれませんが、由来っぽいということで、動画を楽しんでくださいね。

  • @akisuzu55
    @akisuzu55 Місяць тому +1

    神武天皇所縁の神社とのことですが、天津系神社とは気が全く異なりますね。
    こちらで最初の大嘗祭が行われたとの伝承ですが、樫原宮から遠過ぎると思います。
    謎多き神社さんですね😊

    • @sanpotabi-2
      @sanpotabi-2  Місяць тому +1

      コメントありがとうございます!等彌神社の動画をご覧いただき、また興味深いご意見をいただき嬉しく思います😊
      確かに、等彌神社は神武天皇所縁の神社として知られていますが、天津系神社とは異なる雰囲気を持っていますね。おっしゃる通り、等彌神社には、謎に包まれた部分も多いです。
      最初の大嘗祭がこちらで行われたという伝承についても興味深いご指摘です。樫原宮からの距離を考えると確かに遠いですが、その分、この地域が当時どれほど重要な場所だったかを示しているのかもしれません。
      等彌神社の歴史と伝承についてはまだ解明されていない部分も多く、探究する価値があると感じます。これからも色々と調べて、少しずつその謎に迫っていきたいと思います。また、何か興味深い情報やご意見がありましたら、ぜひ教えてください。引き続き、等彌神社の魅力を共有できれば幸いです。

  • @user-kn5oz4el6b
    @user-kn5oz4el6b Місяць тому +1

    2024年7月17日(水曜日☁6時44分)参考に成りました。ありがとう御座いました🙇‍♂🙏⛩🌲

    • @sanpotabi-2
      @sanpotabi-2  Місяць тому

      ご視聴、コメントありがとうございます。