法話「生き方の変わる言葉の理解」真宗大谷派僧侶 高科 修 師20240920

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  • Опубліковано 10 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 23

  • @来田まなぶ
    @来田まなぶ Місяць тому

    何時もありがとうございます今日もお勉強させて頂きました

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  Місяць тому

      来田まなぶ様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      「勉強」とは、一般的に「学問や技芸などを学ぶことの意味で使われています。
      しかしながら、宗教宗派の教え=仏法は学問でも技芸でもありません。
      そのことは、この『お坊さんの小話』の約300ある動画の中で申し上げておるとおりであります。
      では…
      仏法に頷くことは勉強ではないのか?と言われれば、そうとも言えません。
      勉強という言葉には、本来、情熱・熱心という意味が含まれています。
      勉強とは本来、自分から志向し、取り組むものという意味です。
      仏法を勉強する!とは、それは、自らの人生をどう生きていくか!
      どう生きていきたいか!
      どう生きればよいのか!
      を、自らが求める姿勢が不可欠であります。
      「何時もありがとうございます今日もお勉強させて頂きまし」との来田まなぶ様のお言葉が、本来の『勉強』であられますことを、切に願っております。
      南無阿彌陀仏
      合掌
      高科修

  • @odorokutamegorou
    @odorokutamegorou Місяць тому

    でありますね。ありがとうございます。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  Місяць тому +1

      M8様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      「でありますね」
      とのM8様のお言葉。
      理解。
      認識。
      頷き。
      それらは、自分自身の言葉で言語化出来なければ「ですよね」には成りません。
      算数・数学の先生が頻繁に使う例があります。
      数式を理解するとは、
      『1+1=2の数式を、
      1+1=2の計算が出来ない人に教え、その人が、
      1+1=2の計算が出来るように成って初めて、1+1=2の数式を私が理解したことに成る』というものです。
      さて、M8様。
      「でありますね。ありがとうございます」
      とのお言葉に、浄土真宗大谷派僧侶としてご返信致します。
      『で…』と!
      南無阿弥陀仏
      合掌

  • @ThetoAll
    @ThetoAll Місяць тому

    今日もありがとうございます
    ナカナカ「・・・で?」とは言う機会はありませんが、私自身には「“一期一会”その先の思い」を心に刻んだ上で使おうと思いました。
    上っ面で言葉を使わないようにしなくては・・・
    youtubeでの出会いも大切な一期一会、そちらの地域での新たな大過がないことを祈っています。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  Місяць тому +2

      channel KR-1様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      channel KR-1様の仰る通り、
      この動画の主旨は「・・・で?」と誰かに問いかけなさいという法話ではありません。
      channel KR-1様の仰る通り、
      この動画の主旨は、浄土真宗の聞法は自身に問うであります。
      事象に出会い、その事象を自らに問う…とことん問う…なぜ私はそう理解、そう思い、そう感じ、そう頷くのだろうかと!
      その先には、その人その人の、その人だけの知識から実践・覚悟へ進みがあります。
      その人その人の、その人だけの気づきがあります。それが一期一会の先にあるものです。
      そして…
      その気づいていこうとする『生き様』を『南無阿彌陀仏』と浄土真宗大谷派は呼びます。
      南無阿彌陀仏
      合掌
      高科修

  • @yoshi0314kawai
    @yoshi0314kawai Місяць тому

    いつもありがとうございます。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  Місяць тому

      Yoshi Kawai様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修

  • @Aシキミ
    @Aシキミ Місяць тому +1

    考えさせられるお話し、ありがとうございました。「で、〇〇〇?」とは、知識から実践・覚悟に進みなさい。という事だと思いました。
    私にとって「一期一会」は「別れ際に喧嘩をするな」という祖母の教えです。「で?」の先は、もし、喧嘩になったら、すぐ(相手が生きてるうち)に「ごめんなさい」と言う事(和解する事)です。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  Місяць тому +1

      A・シキミ様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      「で、○○○?」とは、知識から実践・覚悟に進みなさい。ということだと思いました。と仰るA・シキミ様の頷き!
      それこそが、親鸞聖人が語られた『面々の御はからい』の正体であります。
      事象に出会い、その事象を自らに問う…とことん問う…なぜ私はそう理解、そう思い、そう感じ、そう頷くのだろうかと!
      その先には、その人その人の、その人だけの知識から実践・覚悟へ進みがあります。
      その人その人の、その人だけの気づきがあります。
      すなわち、『面々の御はからい』としか言えない『頷き』なのです。
      そしてその頷きの積み重ねが、やがて、今日を喜んで過ごせる…いつ死んでも良いの己の生き様と成って行きます。
      と同時に、その生き様は、すでにA・シキミ様がお感じの通り、大きな深い願いの中で生きている私を実感させることになります。
      祖母様の大きな深い願い(祖母様の教え=仏=大悲=他力本願)の中で、すでに生きておられるA・シキミ様
      です。
      このA・シキミ様ご自身の己の姿の自覚を信心と申します。
      その信心を南無阿彌陀仏と浄土真宗大谷派は頷くのです。
      南無阿彌陀仏
      合掌
      高科修

    • @Aシキミ
      @Aシキミ Місяць тому

      @@buddhism_japan 返信ありがとうございます。
      涼しくなってきました。お体にお気を付けください。ありがとうございました。

  • @kishimen_good
    @kishimen_good Місяць тому +1

    以前から閲覧させて頂いておりましたが、初めてコメント入れさせて頂きます。
    秋のお彼岸の最中に、高科様の大変為になる法話を拝聴し、大谷派の門徒としてありがたい限りです。
    8月にガンで母を亡くし、天涯孤独の身となり、毎日暗中模索の状態です。その中でも朝夕のお勤めをさせて頂くようになり、幾分気持ちが落ち着くようになりました。
    高科様もどうかお体をご自愛下さいませ。次回更新を楽しみにしております。合掌🙏

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  Місяць тому

      きしめん様
      始めに、大切で愛する、そして、かけがえのないお母様とのお別れ…
      そのお別れに、文面で誠に失礼とは存じておりますが、一言お参りの言葉を申させて頂きます。
      『たいへんお寂しい事になられました。
      南無阿彌陀仏』
      きしめん様。
      改めて、ご視聴、コメントありがとうございます。
      『天涯孤独』
      …身寄りがひとりもいない状況を指す言葉です。
      この身寄りとは、肉親や兄弟、親戚など血縁関係のことを意味します。
      天涯孤独は、「頼れる血縁のいない状況で孤独に生きる」という意味として使われてきました。
      確かに、亡くなられたお母様が唯一の血縁者ならば…きしめん様は、自身で仰る通り天涯孤独であります。
      娑婆にひとり遺された私は、寂しく、悲しく、辛く、苦しく、そして…その寂しさと悲しさと辛さと苦しさに、押し潰されてしまいます。
      遺されたきしめん様のご心情は、私が察するに余り有ります。
      それ故に…
      こうお話しを致すことしかできません。
      今!きしめん様の身を…心を…覆い尽くしている深い悲しみと寂しさは、それはそれはその身を震えさせおられることでしょう……
      きしめん様の、今、その身を引き裂く、辛く悲しく寂しい思いは、それはそのままお母様の思いでもあると…
      そして、そのお母様の思い(身を引き裂く、辛く悲しく寂しい)は、身を引き裂く、辛く悲しく寂しい思いであるが故に、この世に遺った我が子を思う『大きな深い願い』となって行きます。
      あなたを、
      きしめん様を、
      お母様は、大きく深く願うのです。
      『どうか!我が子よ!きしめん様よ!例えどんなに辛く悲しく寂しくても、お前の人生のその時が来るまで、歯を食い縛り、唇を噛んで、生きてくれ』と!
      どうかきしめん様…
      深い悲しみの中ではございますが、どこを探しても居ない。けれど、どこを探して居る。思えばソコに居る。何時も『大きな深い願い』として、あなたを叱咤激励しているお母様がソコに居る。
      この事を、胸にとどめておいて欲しいのです。
      きしめん様!
      どうか、どうか、亡くなられたお母様の『大きな深い願い』を、汲み取って頂ければと、切に切に願っております。
      追伸
      天涯孤独の対義語は比翼連理という四字熟語です。
      中国の故事に伝わる『比翼の鳥』が語源で、互いに目と翼をひとつしか持っておらず、互いを補い合うように翼をぴったりと合わせて連なって飛ぶことから生まれた四字熟語です。
      亡くなられても、お母様は、比翼の鳥の如く、大きな深い願い=仏様と成って、きしめん様と共におられます。
      南無阿彌陀仏
      合掌
      高科修

  • @rdmlw5809
    @rdmlw5809 Місяць тому

    いつまで経っても‥
    考えれば考えるほど…
    「迷宮」入りな私です
    南無阿弥陀仏

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  Місяць тому

      gdjmed moupi angamare様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      「考えれば考えるほど」
      との村上祥のお言葉。
      何を、どう考えておいでなのでしょうか…
      何を、どのように考えておいでなのでしょうか…
      そして、考えて、どうしようと思っておいでなのでしょうか …
      考え迷宮入りなのではありませ。
      『何を、どう考えておいでなのでしょうか…
      何を、どのように考えておいでなのでしょうか…
      そして、考えて、どうしようと思っておいでなのでしょうか …』
      上記の事が抜けているから、迷宮入りなのです。
      南無阿彌陀仏
      合掌
      高科修

  • @tiarakansai3038
    @tiarakansai3038 Місяць тому

    たかなしさん、いつもべんきようになつています。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  Місяць тому

      tiara Kansai様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修

  • @秋元一良-j8z
    @秋元一良-j8z Місяць тому

    一期一会の解釈されてる方に「・・で・・」はできません。導師ならできるでしょうが「慢」に近い。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  Місяць тому

      秋元一良様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      で…なぜ、このコメントを書きましたか?
      で…なぜ、できないのでしょうか?
      で…なぜ、私ならできるのでしょうか?
      で…なぜ、「慢」に近いのでしょうか?
      それは、秋元一良様が、全て他人事で話を聞いているから出てくる言葉ばかりです。
      秋元一良様ご自身がご自身に生活の中の頷きに、
      「で…」と秋元一良様ご自身がご自身に問いかけていないからこそ、
      今回のこのコメント内容になるのです。
      秋元一良様に、
      一期一会の解釈されてる方に「・・で・・」と問いかけなさいという法話ではございません。
      上から目線で他人事な物言いは、秋元一良様ご自身が「慢」であります。
      浄土真宗の聞法は自身に問うでございます。
      他人に問えではございません。
      秋元一良様の今回のコメントは、ただの秋元一良様ご自身の思い上がりでございます。
      他人事としてではなく、自分自身のこととして、もう一度、動画を最初から最後までご覧ください。
      自分自身に問いかけていない秋元一良様ご自身を気づくことが出来るかもしれません。
      ちなみに…
      『和讃、御文の正しい触れ方』で、「5つのキーワードの意味を知り腑に落ちました」とのコメントでありますが…
      今回の秋元一良様のコメントにより、腑になど一つも落ちていないことが露になってしまいました。
      確かに5つのキーワードの意味は腑に落ちたかもしれません。
      けれど、5つのキーワードのお話は、蓮如上人、親鸞聖人の願い触れるための5つのキーワードであるというお話しであります。
      故に…『…で…』のお話しでもあったのです。
      5つのキーワードのお話しを腑に落とされたなら、今回の動画での秋元一良様のコメントはありません。
      『腑に落ちる』
      そのためには、
      『…で…』は、必要不可欠です。
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修

    • @秋元一良-j8z
      @秋元一良-j8z Місяць тому

      @@buddhism_japan 叱責のような指摘、傷み入ります。関係が希薄のように感じる昨今、上辺だけの会話に頷く自分、思い上がりともいえ腑に落ちたつもりだけかもしれません。縁は尊いもの。一期一会、深い意味も承知しましたが解釈は十人十色、正解がないのでように思い、人の話で気づかされたとて時と場合による未熟者である由、導師の深い思慮に到達できないでしょう。

    • @buddhism_japan
      @buddhism_japan  Місяць тому +1

      秋元一良様
      ご視聴、コメントありがとうございます。
      で…なぜ、このコメントを書きましたか?
      で…なぜ、できないのでしょうか?
      で…なぜ、私ならできるのでしょうか?
      で…なぜ、「慢」に近いのでしょうか?
      それは、秋元一良様が、全て他人事で話を聞いているから出てくる言葉ばかりです。
      秋元一良様ご自身がご自身に生活の中の頷きに、
      「で…」と秋元一良様ご自身がご自身に問いかけていないからこそ、
      今回のこのコメント内容になるのです。
      秋元一良様に、
      一期一会の解釈されてる方に「・・で・・」と問いかけなさいという法話ではございません。
      上から目線で他人事な物言いは、秋元一良様ご自身が「慢」であります。
      浄土真宗の聞法は自身に問うでございます。
      他人に問えではございません。
      秋元一良様の今回のコメントは、ただの秋元一良様ご自身の思い上がりでございます。
      他人事としてではなく、自分自身のこととして、もう一度、動画を最初から最後までご覧ください。
      自分自身に問いかけていない秋元一良様ご自身を気づくことが出来るかもしれません。
      ちなみに…
      『和讃、御文の正しい触れ方』で、「5つのキーワードの意味を知り腑に落ちました」とのコメントでありますが…
      今回の秋元一良様のコメントにより、腑になど一つも落ちていないことが露になってしまいました。
      確かに5つのキーワードの意味は腑に落ちたかもしれません。
      けれど、5つのキーワードのお話は、蓮如上人、親鸞聖人の願い触れるための5つのキーワードであるというお話しであります。
      故に…『…で…』のお話しでもあったのです。
      5つのキーワードのお話しを腑に落とされたなら、今回の動画での秋元一良様のコメントはありません。
      『腑に落ちる』
      そのためには、
      『…で…』は、必要不可欠です。
      南無阿弥陀仏
      合掌
      高科修