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「電波と受験」の方を読んでみたい ><なんかワクワク感が半端ないオーラが!!
ありがとうございます
選択式になったのは知らなかったです。その選択式は答えA〜Eの中なら多数派の答えばかりを選んでも正解になるケースが多いような問題ですね
私も免許をとったときは記述式でしたが 本当に理解できていれば 記述式も選択式も難しさに関係ないと思います。答えをそのまま書くか 答えをだして選ぶだけですから・・・
自分は工業高校の電子科を卒業した新人類世代のジジイだけど、高校生の時、学校で通信士の試験を受けに行ったけど、その頃はまだ記述式だった。回路図を書く問題の対策を必死で勉強してた思い出がある。卒業してわずか数年後にマークシート式に変わっていた。
私が初めて アマチュア無線の初級を受けたのが昭和44年頃。その時は記述式。そして昭和50年に次のステップ試験にはマークシートに変わっていたので そのころの変更。 いずにれしても 記述式のほうが圧倒的に難しいと思う というか 基本的な理解度が要求される
さすがにST管のピン配まで覚えておかないと解けない問題には驚くと同時に思わず笑いだしました。(特にラジオ用部品に乏しい田舎の人間にはとてもできない問題の気がします)。私が電話級の試験を受けたときショックだった問題は「非同調給電線について説明せよ」とかの問題で今でも覚えています。
当時の1アマ試験は 理論に加えて ピンアサインという いわゆる自作が基本だったのでしょう。 わたしがその後受けた1アマ試験と比べたら当時の試験は100倍難しいです。たしかに私も最初の電話級試験の記述式時代 最低共振周波数について記せと問題がありました。これも今の1アマでもまともに答えられる人はいないでしょうね
72歳の爺です。コメント見てましたら懐かしくなり、コメントいたします。1アマ、3通まで試験受けました。専門ではなかったので、土曜日曜は、結婚して子供ができ自宅で勉強できず、図書館に行って勉強しました。工学はもちろん法規もまるで、司法試験なみ、無線局の定義についてのべよ。みたいな問題でした。違反し場合の罰則規定も書かないと。それから3通試験9科目のうち1アマは免除の科目がありましたから、1アマのほうが難しいと思いました。又昔のお話楽しみにしてをります。本の表紙は船の通信室だとおもいます。
試験内容は簡単ですが、制度開始からそんなに経っていないので、問題サンプルが少ないのがムズイです。自分が受験した頃の、記述式試験とモールスの送受信があった昭和50年代前後が一番難しかったかな…とはいえ、問題集があったし、過去問がそのまま出るので、少し勉強すれば取れちゃうレベル。
わたしの受験した昭和45年頃は記述式だったんですか? 昭和50年ごろだと もう択一式になっていたのかと思いました。
追伸、1アマは2回3通は4回落ちて、合格しました。3通は、新聞に名前乗りました。10月期に九州で3名でした。おかげで、高専の生徒さんと仲良くなりました。
3通は電気通信術の速度がアマチュアとは違いますし、平文、暗語と分かれますからね。工学は範囲が広いですし、英文和訳や和文英訳等が出て来ますから、難易度は通信士の方が高いです🙂。
1アマ、2アマも昔は新聞に合格発表が掲載されてましたよね。
素晴らしいです
こんなたぐいの挑戦もしてみるべきだったかも。手こずっても楽勝だったとしても、その後の人生違ったかもしれませんね。今からだと、情報処理技術者とか、システムエンジニアだとか大変なことになりそう。WWW それはそれで、面白そうだけど
やっぱり 無線やオーディオに限らず 電気の基礎の勉強ってすごく役立ちますよね
どうせ手も足も出んのだろうと思って、この動画を観るのをためらっておりましたが・・・問31は選択肢「A、周波数混合器が3/5」「B、検波器が3/5」「BFOが3/5」この組み合わせで回答は「2」マークシートは「白紙」という事だけは無いのでラクでいいですね。わからなくても回答できます!ところで最近はドローンを飛ばすためにアマチュア無線や陸特のライセンスをとる方も多いようで一度もQSOしたことがない人も増加していると思われます。法規の定義もかなり変わってしまいました。
ドローン目的の方 ほんと最近多いようですね!
しみじみ心に染み入る会でした。私にも少なからず思いが在ります。
ありがとうございます わたしもしみじみしました
親父さん、きっとあの世から見守っていますよ。無線が通じたら良いのになあ。
いい話ですね でも親父免許もってないです 笑
あの世は、免許要らないかも。いい話ですね。テレビのドラマになりそうです。
ありがとうございます。親父もちょっと喜んでいるかもしれません。死んだとき免許のいらないCBを棺桶に入れてやればよかったと・・・笑
よく考えたらこの問題の実験はスケールダウンしてSGで1V 50Hz正弦波を入れて簡単な回路を構成することでも実験できますね。但し、ダイオードのVfを差し引く必要がありますが。
今回の動画にあった問題だけなら頑張れば解けそうだけど、さすがに真空管のピン配置は覚えてないなぁ。太いのがヒーターくらいしか。
現代の1アマの人はまず解けないでしょうね しかしこれは決して難しかったのではなく 現代は理論であって 過去の問題はいわゆる電子工作をどれだけしていたが当レベルだと思います。 まあ電気工事士の技能試験みたいなもんですね。むしろピン配列単に記憶できていれば くだらない問題と思います。
故ご尊父の話に泣けました。私の親爺もとっくに故人となりましたが、電子工作ではないが、一応父の遺志をそれなりに継げいていて有難いと思っています。
段々歳をとってくると 親の気持ちがわかるような気がしますね
無線もですけど電気工事士も今は簡単に取得できて・・・・技術者不足対策なのか知らんけど実務経験の無い役に立たん電気工事士がうちの会社に沢山いて困ります。
はい、私も一種の電気工事士の技能試験を受けみましたが、真空管アンプをいつも作っている者からすると、わざわざ複線図をかきなおしたりするほどのものでもないし、簡単すぎておどろきました。 まさに技術者不足対策ってとこなんでしょうね。
今は電気工事士の実技は難しいらしいです。しかも1年に1回しか試験ないからね。
@@がんちゃん-p8u 一年に2回以上あった気がします。 なお技能試験は 案外プロの2種の免許を持っている人は普段の仕事と内容が違うので 難しく感じるみたいです。 一方 アンプを自作する人は 複線図は頭でかけるので すごく早いです。 それから線のむき方は アンプビルダーのほうが圧倒的にうまいです 笑
@@miyazin-shoten 調べたら2回ありますね。取っていこうかな。以前UA-camで1回って載ってたんです。独特の図面ですね。ラダー図も独特でしたけどね。
@@がんちゃん-p8u 電気工事士の資格試験は わたしは1種を直接うけて合格しても 二種をとって3年とか5年たたないと免許申請ができないという 面白い制度。はじめから一種は受験資格で二種取得後何年とかすればいいのに・・・笑。図面は無線でいうとブロックダイヤグラム。無線やアンプの自作をやっている我々は 慣れていれば配線図があたまに浮かびますが 本職の電気工事士の人はできない人もいるみたいで 試験のとき ここに時間をとられて時間切れも多いみたいです。
おやじさんの事をお話された宮甚商店さんへ私も父親には感謝しかありませんね。今更ですが 何もお返しできなかったなと何度も思います。涙。。しかし昔の問題は難しいですね。玉のピンアサインを知らないと解けないし IFTのコイル切れたら どうするかとか知識だけでなく 真の実践者でないと解けませんね。良いお話有難う御座いました。
こちらこそありがとうございます。みんな親父の感謝は いまになって思うんですね! もっとこうしておけばよかったと!・・・
30歳になる前に、旧1アマを取りました。70年前の1アマは難しくて私は合格しないと思いました。通信術の和文受信に苦労した記憶があります。いつも楽しい内容の動画を見て、喜んでいるジジイです。
70年前の無線の試験は まったく丸暗記とか効かなかったんでしょうね、まさに送受信機を自分で造れて当たりまえの世界だったと再認識しました
昭和29年生まれの爺さんです。 最近1アマを取りましたが、昔に取られた1アマの方々へのリスペクトを再確認です。宮甚さん、たくさんのこと教えていただき感謝です。 アマチュア無線の老齢化、確かに問題です。若い方に人気が無いことを問題視しているのはわかりますが、趣味ですから年寄りでも自分が楽しめれば良いんでは? と思うのは自分勝手な爺さんだからでしょうか? 爺さんでも楽しめるのが趣味のはず。 1アマ取って、1陸技取って、1総通は学科ですが取りました。モールスが残っていますが....。爺さんでも、それなりに楽しめます。アマチュア無線。100歳までやりたいな。
そうですよね 無線のたのしみは 私は自己中心でいいとおもうんです。 時代の流れもありますし 物事なんでもはやりすたりもありますから わたしは まったく交信はしませんが 受信機や送信機つくったり いじったりが一番楽しいです
先輩方の無線や回路や部品の理解力トラブルを自分で解決する器用さもあるのでしょうが脱帽しかありません!
いやー ほんと 当時の上級アマチュア無線技士は ほんとうに上級だったんですね!
昔の問題は難しいですね。私の場合、50年前に電話級を取得、45年前に電話級、43年前に2級の通信術(CW)の科目合格(送信と受信)はしたものの学科受験をせずにそのままでした。最近の2級の過去問題を確認したところ、法規に・ーで示されたCW問題が出ているのにビックリで、これは法規の問題ではない。今更ですが簡単になった現在の2級の試験を受けてみようかと思いました。
電気通信術がない(和文がない)ので、現在の2アマと1アマは 無線工学でいうと ほとんどレベル差がないと思います。 実はわたしも3級と2級は受験したことがありません。 上級受験なら 2アマと1アマの同時受験もありだとおもいます 案外1アマ受かって2アマ不合格って 実際ありえると思います…笑
@@miyazin-shoten 返信ありがとうございます。確かに和文がネックで1アマは無理だと思ってましたが、今はそういう時代なのですね。昨年大学時代の友達と電話でのアマチュア無線機器の相談があって、彼のいるところのホテルに泊まって近況や無線の話を語りました。それで旧コールサインを復活しようとしているのだけど、免許状や免許証が見つからないけど免許証は簡単なコードだったので覚えている。15mhのタワーもあるけど、シャックの部屋はなかなか行けないので、ベランダに取り付けた簡易アンテナで、SDR受信機を各種類、多数購入して受信してます。今人気のFT8もSDRとソフトウェアでデコードできていまいますね。また昔な電電公社のFAX機を改造して受信していた気象FAXであるJHMもSDRとソフトで受信できてしまいます。時代も進んでいます。
@@JashiChannel そういえば旧コール復活も多いみたいですね。わたしも空いていたので そうしました。
いつも楽しい動画有り難うございます。22年前に1アマとった時はマークシートでした。今は、電信がなくなった分、当時より学科が難しくなったように聞いています。
試験の内容は時代に合わせて変化していますが、22年くらい前だとそれほど大きな変化はないと思います。 たしかに電気通信術はなくなりましたが、無線工学はほぼ変化はないですが 当然新しい問題が出題されますね。 たとえばスプリアス規格の新問題、帯域外とスプリアス領域の違いなどは 難しく感じるかもしれません。 ただいつの時代も新問題は出題されます。わたしは個人的には 60年くらい前は問題の質がちがいますが 20年くらいまえの1アマと 今の1アマ試験は 新問題をのぞけばほとんど同レベルと感じます。
昔の記憶ですが1アマは確か3通レベルと同等じゃなかったかな しかし問題が凄いですね。試験問題マスターするだけで無線機が作れそうです。
逆に 受信機と送信機が自分で造れないと 1アマは受からなかった時代でしょうね。まさに自作が当たりまえというのがよくわかりました
私も其の様に思います🙂。3通は昭和45年に取得しましたけど、本試験より予備試験の方が難しかったです。ホイ―トストンブリッジ等では無く、マックスウェルでリアクタンスやキャパシタンスを求める様な問題だったと記憶しています。本試験も、やはり記述式で「A級、B級、C級、及びB級プッシュプルについて、動作特性曲線を書いて説明いせよ。」この様な問題だったかと思います、其と通信士の試験にはレ―ダ―の問題なんかも有りました🙂。47年に取得した2通は問題等は3通と似ているのですが、「説明せよ。」だけで無く、「詳細に説明せよ。」だった様に記憶しています。3通の回答では50点位にしかなりません😢。昔の懐かしい記憶を思い出させて頂きました🙂。
2アマで電話級無線通信士(今の4海通)の無線工学が免除、1アマで3通(今の3総合通)の無線工学の予備試験と確か電気通信術が免除だったと思います。プロの資格に匹敵するほどのもので、良く電波受験界をみると当時電波高専や電気通信の職業訓練校に入った人は、近道は1アマを取ることとありそれなりに、価値のある資格でした。今から50年位前は、外航航路、北洋漁業又近海沿海の漁業が華やかりしき頃で、各地に無線局があり沿岸漁業でも海岸局と、底曳漁船の通信は電信でした。この頃の無線通信士の地位は高く且つ給料も高くて垂涎の的でした。話しはそれますが当時当地方の沿岸漁業では125トン型と96トン型の2種類の漁船があり125トン型は沿岸漁業に関わらず3通が必要で、96トン型は電話通で良くて船主は支給する給料もさることながら、125トン型では漁労作業に従事すると、通信士は手崩れをおこす一人区が勿体ないとのこと。その為船主は確か国会議員を動かして無線従事者の資格を、3通から電話通でも良くしちゃいました。何か今の運送業界の人手不足で色々と道交法を改正していることと似ていますよね。昔の1アマを取った人は、本当に機械のことが分かっていて且つ電信も和文と欧文の送受信もあり、本当に俄か1アマの私は同じ1アマでも肩身が狭いと心の中で思っております。
@@かまちゃん-t4n 電話級無線通信士ですか😊、懐かしい響ですね😊。私は無線通信科だったのですが、産業科と言う科も有り、其処は1年で電話級無線通信士を取得する科でした。学校には380トン位の実習船が有り航海士や機関士を目指す連中は、ハワイ沖やオ―ストラリア沖等に実習に行きました。今では実習船も700トン近くになってますが😃。当時の1アマの工学のレベルはかなり高かったと思います。昔の電波法令集を紐解いて見れば分かります。実際には工学だけに限れば、3通と2通の間位では無いでしょうか?。初歩と大要の違いです。通信士には後、航空級も有りました。今の1海通、2海通等の前ですが🙂。本当に昔が懐かしいです😊。
30才の時に、記述式、欧文・和文の送受が有る時代に旧1アマを取得しました。仕事が忙しかったので、先に通信術、次回に工学・法規を受験しました。工学の数式を使った計算問題は大学の初等数学が必要でした。当時、旧1アマの免許を持っていたら、プロ資格の免除や科目免除が有ったと記憶しています。
そうですよね そのうち1アマも eラーニングの時代がくるでしょうね。
昔はモールスの高速英文和文送受信があって凄い難関だったんですよね。だってネットで知らん人とコミュニケーションできますからね無線機は買えばいいしね、つまらないだろうと思う
たしかに50年前とは 通信インフラも電子技術も全く違いますよね。 私はいま50年前の設計の車にのっていますが ほとんど車は本質的な進歩がありませんが 無線機は飛躍的に進歩しましたね
資料があるとは、すごいですね・・・・・1955年頃は1級と2級しかなくて、昭和58年 11月に電信級・電話級の初級資格ができたと思います歳がばれるかもしれませんが、電話級の無線従事者の免許を受験するときに、何故かしら現代では、必要が無くなりましたが、医師の診断書が必用でした。
あはは・・ 私が中学生で電話級をとったときは昭和44年ですから・・・。昭和58年ってこたーないでしょう。 それから医師の診断書は受験のときですか? 昭和44年には免許申請の時だった記憶がありますけど・・・。あなたが免許をとったところは 受験時に必要だったどうかわかりませんが・・・大丈夫です、あなた歳バレませんよ このコメント内容では…笑
昭和40年代、従事者免許証を申請するとき、診断書と住民票が必要だと記憶しています。当時は、日本国籍が無いと従免は発給されませんでした。
10年くらい前に4級から3級、2級、1級と立て続けに国家試験で取得しまたした。基本すべて過去問暗記です。ついでに1陸特、4海通、航空特も取得しました。すべて過去問暗記です。工学?まったく理解してません。法規ももう全部忘れました。
じゃ次 一陸技いってみましょう。暗記でいけるかも? 笑
昔の1アマ資格のOMさんは、企業でも一目置かれていました。難しい国家試験に合格しているということで!
いまでは 無線ってなんですか? って若い人から言われます 笑
女の子にも、もてたと言う伝説的な話もありましたね
@@鍵浩明 そういえば少年雑誌に当時 かっこいいハム、クラスの女子からもモテモテに なんてセールスコピー見ました。 現代なら 無線?きもい なんて言われそうで怖いです 笑
CQ7👍 一年取らないと親の気持ちは解らないですね。親があって自分があるのですからね。
そうですね 孝行したいときには親は無しとはよく言ったもんですね
昭和30年この頃は回路図を見ただけで、シャーシの裏側で部品(C R)の配置やリード線の引廻しが頭の中で描けるレベルなんだろうね。昭和30年頃は殆ど自作機で、電波監理局の技官(だったかな)から立ち会い監査(検査)のときは、その技官から質問にも答えられる技術力が必要だったのでしょうね。この頃のアマチュア局免許状は、プロ局と同じ形状だったらしいですね。確かB5用紙を少し延ばした位の大きさ?でアマ局とは言えども威厳があったようですね。でもこのころ電監の技官もアマチュア局の監査に行くだけでも大変だったろうね、検査する測程器だって重かったと思うし、県を越えないと行けなかったと思うし・・。
まあ 当時はメーカーの既製品のトランシーバーを買ってきて すぐオンエアという時代ではないので 当然自作送信機と受信機とすると TVIや BCIも問題となったであろうし、 ちょっとした無線機メーカーの設計者レベルの知識がもとめられたのでしょう。
私、中学2年の4月に新たに新設された電話、電信級の試験を中野無線学校で受けましたが全て記述式で見事不合格、難しかった、10月に再受験でなんとか合格しました、オームの法則は勿論、周波数をルートLC分の1で求める問題も出るとかOMに言われそれに集中しすぎたのが敗因でした、そしてコールはJA1F・・でしたアンカバしていたので電波少年だったです
私も記述式の最後の時代ですが あきらかに レベルとしては今の1アマ以上のむずかしさがあったと思います。
趣味で真空管をいじって動作原理を理解できる人であれば、昔の試験は比較的簡単でした、今は素材は半導体・ソフトウエア・デジタルラジオの時代、古い人間にとって各部がブラックボックスで???、 ICを買ってきて 仕様書通り繋ぎ 動きをみてホ~と感心します。
まあ、昔の試験は どうでもいい真空管のピンアサインなんかを覚えさせたんで、ラジオ組立工場の職人向けの試験みたいなもんですね。
アーカイブ楽しく見させてもらってます。どうも年同じですねP1、C6、D6のピン番を自分も覚えていて懐かしかったです。もちろん何十年も触っていませんが!OMRONのリレーのコイルのピンが当時のGT管のヒーターを同じとか想い出します。
そういえば わたしは今でも真空管アンプのGT管作るときは オムロンのリレーソケット使っています 一番信頼性あるみたいな感じします
無線工学も解けませんが、60字/分の和文と70字/分の欧文(でしたっけ?)のモールス送受信も難関でした。特に和文はを覚えようとしても覚えられなかった。
和文は別格ですね! こればっかりは素質と才能って気がします
50/60ですね、欧文は100くらいいけましたが、DX専門でしたので、和文は苦労しました。96爆撃機に乗っていた軍隊上がりの先生にならいました
@@kotanuki1205 そういえば 私の親父も 満州に兵隊にいっていたので 無線の免許もないのに 和文CWは 1アマの私より上手かった・・・そんな時代ですね
@@kotanuki1205 さん。私は受験当時には50/60の2倍の通信速度の信号を受信できていました。モールス受信の試験は、広い専門学校の教室で行われ、信号の反響が大きく聞き取りにくかったと記憶しています。モールス受信の試験は、欧文・和文とも「暗文」と「普通文」がありまして合計4種類でした。兎に角、通信術の試験は疲れました。
オーディオ関係の動画からここに辿り着きました。私は40歳ですが、表 2:01 を見ると逆をいえば36〜40歳でも633人いるし、10代でも300人を超える人がアマチュア無線をやってるんですね!年代に限らずに90年代に無線を電話代わりに使ってたような人は、2000年以降の携帯電話普及に伴ってか無線を止め、逆にSNSスマホ全盛の令和でも無線技術や電波が好きな人は年代関係無く無線やってるんでしょうね。私も10代の頃4アマとって無線やってましたが、成人してからすっかりやらなくなってましたが、久しぶりにアマチュア無線再開したくなりました。最後の一言で笑ってしまいました
ありがとうございます仰る通りですね。 無線は交信がすきなひと 自作や機械いじりがすきなひと どっちも正解なんですよね 趣味なんですから。 ぜひご一緒にたのしみましょう!!
宮甚さん。いつも楽しく視聴されていただいております。まあ、江戸っ子の口の悪さなのかと思いますが、でも下町でもない方なので何故かなあという感じです。今回は、アマチュア無線の年齢層で定年を迎えたジジイ世代が多いとの表現がありました。ジョーク的にはその通りだと思います。ですが、一方で、中学・高校・大学という時期にアマチュア無線を興味を持って始めたけど、就職して、行員・職工・営業などのサラリーマンとして、趣味に時間を割くことも、興味を深堀することも一時的に封印していた人もいます。それらの方々は「定年になったら復活するんだ」を夢に、そして支えに頑張ってきた人も多いでしょう。すみません、老人とか無趣味とか暇だとか、一色単に括らないで愛を込めてください。
コメントありがとうございます。無線に関しての経緯は まさに貴殿のコメント通りで わたしの場合も 無線をはじめてすぐバイクや車に興味が移ってしまい、その後就職、結婚、子育てに明け暮れ 無線などやれる時間も気力もありませんでした。 その反動で 定年になった今 やることもなくなり 暇つぶしに無線を めいっぱい楽しんでいます。 私は事実を事実のまま表現しています。ジジイが多いのは事実ですし、ひまでやることがないから昼間無線をやっているのはジジイばかり・・・ 私は決して なにも彼らを批判をしてませんし、自分と同じ境遇にいるジジイですから 親しみを込めていますよ。 これは幸せなことであるし、ジジイにとっては天国だとおもいます。 愛は十分込めていますよ 無線をやっているほかのジジイにも 私自身にも・・・
宮甚さんピン配置まで覚えてるんですね。恐れ入りました。
5球スーパーの代表的な球だけです! でも最近よく作っているのですが 5年くらい作らないとやっぱり忘れます 笑
いいお父さんでしたね 私の父も「女は嫁に出さなくては」「お里が知れる」などと随分 お金をかけてくれました 結局 兄と弟は家を出て 家付き娘になって親の言いなりで darling迎えて 子達に お金つぎ込むようになってから親のありがたみを知るようになりました
ほんと 親のありがたみはいなくなってから分かるんですよね。でもそれでいいんですね! 分かっただけで・・・
おっと、おいらも同じ年のひつじ年生まれでありんす。
長く続けていても発見の多い趣味だと思います。電子部品も日々進化してて、楽しみは尽きませんね~定年退職まで、あと8年! そのころにはHFも全デジタル? 試験もデジタル寄りになるんでしょうかね?
あと8年ですか たのしみですね。 わたしは待ちきれず早期退職しました 笑
面白い🎉🎉🎉
書体やイラストから時代を感じますね、それらの本は現在は大変高価な品物でしょう理系の本は全て高いんです、ちなみに僕はアマチュア無線は4級です、他は第1級陸上特殊無線技師と第2級陸上特殊無線技師、アマチュア無線とはレスリングで言えばアマチュアレスリングのようなイメージかと、ほんちゃんはプロレスリングのイメージ、最近はトラック無線がなくなり物悲しいですね、唯一タコグラフとカーナビにDC12Vを供給するインバータはありますね、シート下または足元に転がしておくので稀に端子が外れる事があります、タクシーにはまだあったと思います、最近は乗るチャンスがあまりなくなりました。
そういえば私も以前 第1級陸上特殊無線技師を取りました。特殊のほうは簡単かと思ったら 無線工学は1~2アマレベルだった感じがしました。 あと電気工事士の第一種も 非常にレベルが近くて 3つ一緒に受験すると勉強が効率的ですね。
私も親の古い本で真空管の勉強をしました。赤いハードカバーの電気の入門書でしたが、何回も読み返していました。私の親は小学校の教諭で専門は国語だったのですが、宮甚商店さんの御父上と同様、電気にあこがれみたいなものを持っていたのかもしれませんね。真空管のヒーターが切れたときには、一瞬だけ100Vにつなぐと切れていたところが溶けてつながるという技がその本に載っていましたが、使う機会は全くありませんでした。
いい思い出ですね!やはり昭和の中頃までは まだまだ物資が十分でなくて たとえ捨てる真空管でも もし復活したら儲けという感覚だったのでしょうね。なんでも使い捨ての時代の今からみたら 考えられないですね。 私は今でもサニートラックという40年も前の車を大事に整備して乗っていますが まわりからは捨てろと言われますが まだまだ動くものを捨てられないですね。 真空管のヒーター切れと一緒です
@@miyazin-shoten 真空管が呆けてきたら火鉢で炙ったような。
私も、中学の頃に本屋で見つけた「電波と受験」を購入してから、電気関係に興味を持ち今に至っています。真空管の回路は懐かしいですね、トリオのコイルパックを使い真空管11球の高1中2の受信機を作ったのが懐かしく思う出されます。アマチュア無線は、電話級を高2の時に札幌まで受験に行き、無線局の免許「JA8***」の取得し交信してました。「電波と受験」には、試験合格の体験談の投稿が掲載されていて、どのように勉強して合格したのかを見た記憶があります。
この問題は日ごろから自作をしている人、電子回路の設計をしている人でしか、わからない問題でしょうね。 逆に毎日そのような設計をしている人、無線機などの修理などをしている人にとっては簡単な問題かもしれないですね。 知識と言うよりも経験があるかどうかの試験ですね。 AG6JU
当時は 既製品のリグを買ってきて開局などというのは考えられず、自作でしたでしょうから BCI,TVI(いまでいうスプリアス)を抑圧させるための手段だったんでしょう。 この試験を資格試験ではなく技能試験と言っている人もいました。
古今独歩で過去問勉強が定石でしょうけと古い問題には驚きですね、当時はその過去門入手がきめ手?!🤔合格には5年分以上~が必要だろう。青焼きリコピーで対応できるので全然大丈夫!と聞きましたが、そもそも雑誌の両面コピーできるのか?
すいません 後半意味わかりませんでした
@@miyazin-shoten すいません 青焼きの話はこちらの話しでした。
私は1アマですが昔に比べれば取りやすくなったと聞いていますので実際に今回の物を解けと言われても合格出来るか判りませんね
昭和30年の頃は別格だったと思います。 おそらく昭和40年以降の問題は今とほとんど変わらない難易度と思います。 ちょうど自作時代から メーカーリグを使うようになった時代がターニングポイントでしょうねきっと
いつも楽しく楽しみに見させていただいております 私は45年前20の時に1アマとりましたその時もまだ記述式でした 工学の試験は 5問で 試験時間は 2時間半でした1問あたり30分配分です 電卓の持ち込みはダメで 計算尺はOKでした私はすべて手計算でやりましので時間がかかりました 公式にもよく出てくるルート計算今は電卓でルートボタンを押せば 答え一発ですが 手計算のルート計算に苦労しました解答用紙も 上にちょろっと問題があり下は全部解答欄 計算式で埋まってました^^;
たしかに私も最初は昭和44年頃電話級からとりましたが 電話級でも記述式は非常に今の4級と比べると段違いに難しく 当時は電話級も1アマも無線工学のレベルはあまり変わらい難易度だったような記憶があります
私は、ぎりぎり60点で合格しました。たしか問題数が4題、2時間半の試験時間、工学も同じだったかなあ、いや、通信術を除けばプロの三級以上の値打ちがありましたよ、
まあ、当時の試験は 電気理論というよりも技能試験みたいなもんですからね いまでいう電気工事士の試験みたいなもんですね
自分が電話級を受けたとき真空管とトランジスタが混在していました。トランジスタのバイアス問題が出たかと思えば終段が真空管な回路が載っていたり。時代はカタログや機器の全面にsolid stateって文字が輝いていたそんな時代。🤣まぁどっちでも良かったのですがハートレーとコルピッツの回路は未だに混乱します。😅
たしかに 試験の内容はすこし世の中の時代に遅れ気味ですね。わたしが電話級を受けた昭和45年は もう初歩のラジオなどでトランジスタと真空管が半分くらいでした、市販のラジオやTVは全部トランジスタに移行していましたが 電話級の試験は全部真空管でしたね。
無線工学というよりも、より実践的な無線器具の作製、修理対応に重点が置かれていたんですね。アマチュア無線の目的は実験、研究にあるというのが納得できる内容です。その昔、戦後すぐに無許可でアマチュア無線始めた超OM達は、外国の文献読んで無線機作製したりしたそうですから、その方々の監修ではこれぐらい出来なきゃ、って思いだったのではと思います。
そうですね。当時は 市販の無線機はほとんどない時代。送受信機は自分で作って電波をだすものだったので やはり感電やTVI、BCI(いまでいうスプリアス)をいかに防ぐ試験内容にするかだったんでしょうね。むずかしいとか 難易度ではなく 当時の時代の違いだったんでしょうね。 でも それにしても最近の1アマ問題はレベル下げすぎのような気がします。(昭和40年当時の記述式の電話級問題よりもレベルが低い内容が多いです 笑)
こんばんは、受信機の構成の問題は本当に1アマの問題ですか?私は電話級・4級の講習会の管理者をしてましたが、4アマの問題と同じですね・・・。
コメントありがとうございます。管理者であれば尚更、実態を一度ご自身でお調べになったほうがいいのではないかと思いますよ。1~4級、各級の無線工学の難易度を把握する意味でも。
はい、私もロクゼットピーワンといってます。
なんでなんでしょうね ろくぶいろく・・・なのに あと いちえぬ60と あいえぬ60よくまちがえます
6ZP1なんて、カラオケネットのおいらのニックネームジャン
高校の頃、地域の公民館で電話級取ったよ講師は無線機屋の親父で、わからなければ、それとなく教えてくれた無論、無線機は講師の店で買ったわいい時代だったなぁw
そういえば2アマのEラーニングだけでなく 電話級も講習会があったんですね!
TNX DE JH1VGC / 1 TU
免許と言えばバイクの大型免許も今は教習所で取れてズルいって言うおじさん初老世代ですさらに上の世代はどんなバイクでも乗れる2輪免許でした上の世代も下の世代もズルい笑私も大型免許を教習所でもいいから取って置けば良かったかもでも年を取ると原付2種で十分です便利すぎていけません4輪も乗らなくなりますアマ無線も復活するなら上級資格をボケ防止を兼ねて狙おうかな??お父上の話、しみじみしますうちの父も屋根に無線のアンテナ建ててくれたりトランシーバー買ってくれたりして無線には協力的でしたルーフタワーのステーを2階の屋根の端から張っていてよく落ちなかったな感謝しかないですねいろいろして貰ったのに父の期待に応えられなかった自分が情け無いです
あはは・・・ 実は バイクの大型免許を教習所で取れてズルいと思うのはまだ初老じゃなくて若い世代の人なんですよ。というのも私(昭和30年生まれ)までは 大型バイクの試験ってなかったんです。(笑) 昭和46年まではバイクは二輪と 原付(50CC)しか区分がなく、 たとえば神奈川県だと二輪免許は ホンダのカブで一周コースを回ると 無制限の排気量つまりいまでいう大型です。 しかもそのカブは ノークラでしたから クラッチ操作できなくていいんです。 だからそれで免許取った私は 250CCのハスラーというオートバイに初めて運転したとき クラッチ操作ができませんでした。 つまり私の年代からみれば 教習所で大型二輪とったひとは尊敬に値するんですよ! もっといえば 私の姉(戦中生まれ)なんて 当時の軽自動車免許を取ったので 250CCバイクが乗れることになっていて 当然その後大型二輪になりました、だから姉は自転車に乗れないのに 二輪免許は大型です 笑
昭和の問題は激ムズ、と言うか自作経験ないとお手上げですね。私は昭和40年代に1アマ取得しましたが、筆記は問題無く出来て、和文モールスで苦戦の経験が有りました。今は随分と簡素化された試験に感じます。
昭和30年代は 送受信機は自分で作って開局があたりまえの時代だったんでしょうね。
投稿動画とても楽しそうで何よりです。見ている方も楽しくなります。当方6歳も若いので、デジタル回路しかわかりません。ありがとうございます。動画の詳しい説明がアナログ回路の勉強に少しなりました。最近無謀にも DENON PWM-390 というアンプを直そうとしています。先日は車で運んで現地で電源を入れたところ、Lch の音が出なくなりました。修理が振出しに戻った感じです。ふたを開けて、あちこち電圧を測ってみないといけなさそうです。一応電源電圧も測ってみますが、Rchは出ているので関係なさそうです。もし、電源電圧だったら動画中の整流回路の解説が参考になります。(たぶん「参考になる」のはUSO800言ってしまいました。アンプにはブリッジ使われていましたから、同じに考えてはいけない気もします)次回の動画も楽しみにしていますが、ご無理をなさらない様ご自愛ください。
ありがとうございます お気遣い感謝します そうなんです 結構製作と撮影 編集・・・サラリーマン時代よりハードかも? でも楽しいですから…笑
電話級でも記述式でしたよ、解答用紙は白紙、***の***について述べよ。合格率20パーセント位かな
昔はアマチュア無線の試験は記述式だけですよ。わたしも もちろん最初の電話級は記述式です。
試験官相手に、持参した米つきバッタをコツコツと 和文送信後 終了符号送信を忘れそうになった 試験官が促す様に鉛筆でコツコツと合図に気付き 難なく合格 昔は気持ちも良かった合格させてやろうと もう50年が見えてきた現役ハムです 7J1RLが交信出来なく残念、有給休暇でチャレンジしたが 73歳では現地への移動運用も難しい でもチャンスがあれば、行ってみたい 夫婦でハムです(^^♪
そういえば 試験内容も簡単になりましたが いつのまにはCWの電気通信術もなくなり 法規問題に面影を残すのみ・・・まあ時の流れですね
単に記述式というだけでなく、この頃の試験は本当に自分で無線機を作り上げる技術力がなければ合格できなかったということですね。それと比較すると、やはり現在の1アマ、2アマの無線工学試験はかなり易しくなっていると言わざるを得ないです。私は約40年前、大学生の時に2アマを取っていましたが、会社へ入って上司から「アマチュア無線は何級を取っているのか」と聞かれ、2級だと答えたら褒めてもらえました(笑) 変な言い方になりますが当時でも上級の資格はそれなりに値打ちがあったのですよね。確かに今なら「丸暗記」でも1級が取れそうですが、せっかく上級の資格取得に挑むなら少しでも自分で理解することによって技術力を身に着け、それを応用して仕事にも趣味にも活躍の場を広げて欲しいと思います! 若者たち、じじいに負けずに頑張れって言いたいです!!
その通りだと思います。もちろん試験に対する考え方ですが わたしはアマチュア無線は操作するのではなく 無線工学の勉強ののためなので 丸暗記はまったく意味がなく やはり20年、30年たっても忘れず問題が解けるのが理想だと思います。
あの時代は自分で無線機が作れないと開局できなかったと感じてしまいますね。しかし、真空管のピン配置までとは、、、。いまならICのピン配置でしかねぇと言ってしまいます。まあ最近は FPGA が流行ってますので、、、いや今のアマチュア無線は自作する事は考えない時代になってきているから、、、。残念な事ですが。
さらに 既製品の無線機メーカーも少なく 所得もみんな低かったので 既製品を買う余裕もなかったのでしょうね。 家庭用のラジオも作る人が多かったくらいですから アマチュア無線の機器を買う人はすくなかったと想像します。 なんたって ドライバー一本で組み立てるパソコンを 自作PCっていう時代ですから・・・ わたしは最初聞いたとき PC基板を自作するって すごい人がいるなと思ったら はんだ付けもできない人で驚きました。
昭和40年代後半からから50年代前半にかけて、ガキだった自分の世代では、トランシーバー(子供向けの)やラジコンが流行ったんで、その頃にお金が使える世代と考えたら、今のアマチュア無線の年齢層に納得出来る感じがします大阪万博で携帯電話的なものが有ったりで、無線で何か出来ることにワクワクした時代かなぁ?ちなみに、私は大阪万博には行きましたが記憶が無い世代です
1970年ですね わたしは運よく中学の修学旅行で 東京からいけました しかも新幹線、一年先輩は夜行列車で京都でした 日本が行動成長に入ったことを実感できました。
全く意味が分かりませんでした。コメントしてる人達、話しについていけてスゲーとおもいましたよアニキ。
そんなことはないです。無線って 言葉も決まっているし 案外覚えることも少なくて ・・・ 海外(外国)との交信なんて 記号みたいなのを数語知っているとできてしまうんですよ。 まわりで聞いているとすごいとおもうだけで ・・・ 笑
最近は国家試験は別に金払うと1週間ほど講習受けて4科目のうち3科目パスで1科目受験とかそういうのがあるようですねそうでない人は受験料のみで全科目受験するという手順みたいです
なんだか 試験が複雑になってきましたね もうアマチュア無線機器業界も 必死でロビー活動が必要になっているんでしょうきっと
@@miyazin-shoten 手順は色々増えてる様ですが全般的に受かりやすくする方向性みたいです どこも人が足りないので
@@ハラハ-g2w たしかに落とす試験から 受からせる試験へ・・ですね
完全な記述式ではなく択一問題もあるのですね。
さすがに 受信機の電圧問題は完全記述式を答えらえるのはいないと思います 笑
50年くらい前に、初級(?)アマチュア無線の試験を受けて、資格を取りました。開局はしなかったのですが、しておけば、「JA1xxx」のコールサインが貰えたのかな?確か最後の手書き試験だった様な思いがあります。そのあとマークシートになったのでしたっけ?
わたしも最初の電話級は記述式だったので マークシートかどうかわかりません。
いいなあ宮甚兄い。お父上のことをこんな風に語ることができるなんて。ハムの試験。私もあまり自信ないです。
ありがとうございます。無線は親父のいい思い出です
宮甚さんすごいです。私なんて昔の問題は意味不明で、現在の問題でもA1Aが何かが分からないので最後の選択があやしいです。上級ライセンスはやはり難しいと言う事で、電話級のワッチ専門といたします(笑)。
そういえば 電波形式 いつのまにか変わっていましたね! けっこう難解ですね
A3Jがいつの間にかJ3Eになったり、ハムの局免見たら一括記載コードになっていたりで…もう包括免許でいいんじゃないかと 笑
@@prc148mbitr たしかに申請書がらくになりましたね 一括ですみますし ところでよく知らないのですが 最近包括免許に近くなるそうですね
かなり歯ごたえのある問題ですね。7PinMT管ならできそう。どうかな?
そうですね。わたしも このピンアサインの問題はびっくりしました。 覚えているのはヒーターのピンだけですよ・・・笑
いつも楽しく動画見させていただいています。近所のOMは口が悪いって、それまさに宮甚さんですよ。(大変失礼しました!!)
いえいえ これでも 先輩たちの前にでると借りてきた猫状態なんですよ
はい、高評価を押しました!
ありがとうございます 親父喜んでいるとおもいます!
こんにちは 資料館が欲しがるような 古い本ですね 表紙はRTTYでしょうか弟が発砲してましたカタカタ 音がやかましく 子供たちの昼寝の邪魔でした放電破壊紙のファックスもあったり 博物館級です
もう紙がボロボロになっています。親父も少し読み込んでいたのかもしれませんが・・・
昔の問題は凄いとしか言えないですね(^◇^;)喋る無線ではなくて作る無線
まさに作る無線機時代ですね。 どちらかというと技能試験ですね職人の・・・
うわぁ~苦手な真空管ばっかり・・・真空管のソケットなんて全然分かりません。(泣 トランジスターならどうかと言われても超古い使い慣れた2SC372のピンアサインってBCEだったかな・・・逆だったかも、とにかく真ん中がベースじゃないことは覚えてます。こんなの試験に出たらどーしましょ。
最初みたとき びっくりしました。 試験問題にピンアサイン乗っていないのはミスプリか 落丁かと思いました 笑
実務認定試験と資格試験の違いのように見えましたね。
まさに これは実務、電気工事士の技能試験の時に書く複線図みたいな感じがしました・・・笑
ローカルの親父の気持ちは十分にわかります。それをふまえて、でもね、ローカル親父は真空管とその周辺回路等の知識が起点ですよね。もう少し言えば、もっと昔の人は電波って何とか、電波そのものを知らないことから始めていますよね。つまり、知識や技術というのは先人たちが苦労・研究をして、それを礎に発展したものと思っています。なので、過去の問題が今の人に解けなくても、それはブラックボックスであって、そのうえで新たな使い方で良いのではないでしょうかと思いますね。逆に、今の回路をローカル親父は解けるのでしょうかね? マイコン、パソコン、SDRとかDSPだとかね?言いたいことは、基礎を理解していればそれで良しです。作り方は時代で進化しますよね。
コメントありがとうございます。私はこの動画で、昔の1アマと今の1アマの試験の単なる難易度ではなく 目的や時代背景があるとお伝えしています。当時は メーカー製無線機などほとんどなく、買える人もいなかったと思うので 無線をやるのには送受信機を自分で作るために必要不可欠な試験内容だったのだろうと言っているだけです。どちらが良いとか 悪いではなく それが時代の変化、流れというものなのです。 それから もちろん貴殿の言う通り ローカル親父の言っていることも 単なるたわごとです。それは判っています。それをとやかく言ったり そのことをコメントで議論しても無意味ではないでしょうか? いまさらローカル親父にSDRだのDSPが お前はわかるのか?と問うたところで 何になるのでしょうか? ジジイがたわごとを言っているのだから そっとしておけばいいのではないでしょうか? それで本人は幸せだろうし、だれにも迷惑をかけず すくなくとも貴殿には迷惑をかけていないのですから・・・ 逆に貴方が どうでもいいジジイのたわごとに 何に腹を立てて わざわざコメントでお書きになるのか 理解に苦しみます。なにかご自身に嫌なことがありましたか? 大変失礼なことをお伝えしますが、貴殿のコメントを拝見すると何にゆえそこまで正義感を感じてわざわざコメントで伝えたいのか?不思議な感じがしてしまいます。 貴方の言う 愛をこめて・・・ もうすこし 自分にも他人にも 向けたほうがもっとご自身の気が楽になりませんか?
すみません、少し言葉足らずだったかもしれません。そのせいで誤解を与えてしまったのであれば訂正もしますし、お詫びもいたします。私が言いたかったのは、その世代、その環境、その時代の知識を基に研鑽してきた人たちは、過去の研究者をリスペクトしていても、「昔はこうだったんだ」といわれると、「だから何」となるじゃないですか。私だって真空管世代ですよ。宮陣さんと同じようにテレビの真空管を集めてラジオとか送信機を作っていました。すみません、コメントとして出すべき内容ではないといわれれば、もう何も言いませんが、賛成とか反対だとか、いやだとか、くだらないとかいうつもりもなく、ただ単に感想として申し述べたのです。私が言いたかったのは、真空管が良いとかシリコン部品が良いとかのことではなく、知識の進歩と技術の進歩は過去の礎に発展したものではあるものの、それを現在に生きる世代に対して、「昔は探求・研究していたのに」今は「こんなことも知らねーのかー」みたいな、比較に受け止めたからです。
@@yusa8228 ご丁寧に ご返信ありがとうございます。決して貴殿を誤解したわけではなく、お詫びいただくことでもありません。事実貴殿のお話はその通りだと思いますし、なにより私自身もそう思います。それは判っているつもりです。 実は私のこの動画の趣旨は、1アマだの無線工学のテクニカルな話などどうでもよくて、眼光紙背に徹してみていだくと、口うるさかった父親や 理不尽なことを言う無線の先輩への愛と思い出を語っているのです。 私たちが会社に入ったころは 理不尽の塊でした。年功序列、パワハラなんて当然、わたしも残業200時間の仕事を毎月しながら ほとんどサービス残業をさせられて 今思えば理不尽この上ない上司たちでした。でも今になって思えば それは上司本人の人格が悪かったよりも そういう時代だったのだと思います。そんなやつらでも 会社のためを思い必死で利益を上げ社員の給与の原資を確保し、部下のことを思い いろいろなことも教えてもらいました。いまではいい思い出であり 逆に感謝することも多いです。 近所のOMのジジイたちからは、無線のことでは ずいぶんしごかれながらもいろいろ教えてもらいました。だからお互いジジイになっても 「昔は探求・研究していたのに」お前ら今では「こんなことも知らねーのかー」と、ジジイが言いたいのなら 言わせておけばいいし、それでジジイの気分が良ければそれでいいと思うんです。ジジイとはそういうもので、 それをあえて分かったうえで許容してあげれは それですむ問題だと思っています。実際 そのジジイのたわごとで 私が被害を被っているわけではなく ましてや第三者である 視聴者や貴方が 嫌な思いをしたわけではないと思うので あえてコメントで ジジイの悪いところを指摘しても なんの価値も意味もないのではないかと言いたかっただけです。・・・それこそ逆に 貴方が別のコメントで 私に指摘された 愛とやらが込めれらていないのではないですか? 実は私は学校は文学部卒で、電気や無線工学にはあまり知識も、興味もありません。わたしが無線に求めているのは、無線工学などどうでもよくて 15歳ころの口うるさい先輩たちと ジジイになっても いまでもこうして お互い付き合っていけることの大切さと思い出を語っているだけなのです。
お疲れ様です。つくづく良いチャンネルですね。いいね👍しました。視聴回数欲しいけど、チャンネル登録はあまりして欲しくない・・・という珍しいコンセプトも素敵ですw
ありがとうございます。 コンセプトはあまのじゃくなだけです 笑
「電波と受験」の方を読んでみたい ><
なんかワクワク感が半端ないオーラが!!
ありがとうございます
選択式になったのは知らなかったです。
その選択式は答えA〜Eの中なら多数派の答えばかりを選んでも
正解になるケースが多いような問題ですね
私も免許をとったときは記述式でしたが 本当に理解できていれば 記述式も選択式も難しさに関係ないと思います。答えをそのまま書くか 答えをだして選ぶだけですから・・・
自分は工業高校の電子科を卒業した新人類世代のジジイだけど、高校生の時、学校で通信士の試験を受けに行ったけど、その頃はまだ記述式だった。
回路図を書く問題の対策を必死で勉強してた思い出がある。
卒業してわずか数年後にマークシート式に変わっていた。
私が初めて アマチュア無線の初級を受けたのが昭和44年頃。その時は記述式。そして昭和50年に次のステップ試験にはマークシートに変わっていたので そのころの変更。
いずにれしても 記述式のほうが圧倒的に難しいと思う というか 基本的な理解度が要求される
さすがにST管のピン配まで覚えておかないと解けない問題には驚くと同時に思わず笑いだしました。(特にラジオ用部品に乏しい田舎の人間にはとてもできない問題の気がします)。私が電話級の試験を受けたときショックだった問題は「非同調給電線について説明せよ」とかの問題で今でも覚えています。
当時の1アマ試験は 理論に加えて ピンアサインという いわゆる自作が基本だったのでしょう。 わたしがその後受けた1アマ試験と比べたら当時の試験は100倍難しいです。
たしかに私も最初の電話級試験の記述式時代 最低共振周波数について記せと問題がありました。これも今の1アマでもまともに答えられる人はいないでしょうね
72歳の爺です。コメント見てましたら懐かしくなり、コメントいたします。1アマ、3通まで試験受けました。専門ではなかったので、土曜日曜は、結婚して子供ができ自宅で勉強できず、図書館に行って勉強しました。工学はもちろん法規もまるで、司法試験なみ、無線局の定義についてのべよ。みたいな問題でした。違反し場合の罰則規定も書かないと。それから3通試験9科目のうち1アマは免除の科目がありましたから、1アマのほうが難しいと思いました。又昔のお話楽しみにしてをります。本の表紙は船の通信室だとおもいます。
試験内容は簡単ですが、制度開始からそんなに経っていないので、問題サンプルが少ないのがムズイです。
自分が受験した頃の、記述式試験とモールスの送受信があった昭和50年代前後が一番難しかったかな…
とはいえ、問題集があったし、過去問がそのまま出るので、少し勉強すれば取れちゃうレベル。
わたしの受験した昭和45年頃は記述式だったんですか? 昭和50年ごろだと もう択一式になっていたのかと思いました。
追伸、1アマは2回3通は4回落ちて、合格しました。3通は、新聞に名前乗りました。10月期に九州で3名でした。おかげで、高専の生徒さんと仲良くなりました。
3通は電気通信術の速度がアマチュアとは違いますし、平文、暗語と分かれますからね。工学は範囲が広いですし、英文和訳や和文英訳等が出て来ますから、難易度は通信士の方が高いです🙂。
1アマ、2アマも昔は新聞に合格発表が掲載されてましたよね。
素晴らしいです
ありがとうございます
こんなたぐいの挑戦もしてみるべきだったかも。
手こずっても楽勝だったとしても、その後の人生違ったかもしれませんね。
今からだと、情報処理技術者とか、システムエンジニアだとか
大変なことになりそう。WWW それはそれで、面白そうだけど
やっぱり 無線やオーディオに限らず 電気の基礎の勉強ってすごく役立ちますよね
どうせ手も足も出んのだろうと思って、この動画を観るのをためらっておりましたが・・・
問31は選択肢「A、周波数混合器が3/5」「B、検波器が3/5」「BFOが3/5」この組み合わせで回答は「2」
マークシートは「白紙」という事だけは無いのでラクでいいですね。わからなくても回答できます!
ところで最近はドローンを飛ばすためにアマチュア無線や陸特のライセンスをとる方も多いようで
一度もQSOしたことがない人も増加していると思われます。法規の定義もかなり変わってしまいました。
ドローン目的の方 ほんと最近多いようですね!
しみじみ心に染み入る会でした。私にも少なからず思いが在ります。
ありがとうございます わたしもしみじみしました
親父さん、きっとあの世から見守っていますよ。無線が通じたら良いのになあ。
いい話ですね でも親父免許もってないです 笑
あの世は、免許要らないかも。
いい話ですね。テレビのドラマになりそうです。
ありがとうございます。親父もちょっと喜んでいるかもしれません。死んだとき免許のいらないCBを棺桶に入れてやればよかったと・・・笑
よく考えたらこの問題の実験はスケールダウンしてSGで1V 50Hz正弦波を入れて簡単な回路を構成することでも実験できますね。但し、ダイオードのVfを差し引く必要がありますが。
今回の動画にあった問題だけなら頑張れば解けそうだけど、さすがに真空管のピン配置は覚えてないなぁ。太いのがヒーターくらいしか。
現代の1アマの人はまず解けないでしょうね しかしこれは決して難しかったのではなく 現代は理論であって 過去の問題はいわゆる電子工作をどれだけしていたが当レベルだと思います。 まあ電気工事士の技能試験みたいなもんですね。
むしろピン配列単に記憶できていれば くだらない問題と思います。
故ご尊父の話に泣けました。私の親爺もとっくに故人となりましたが、電子工作ではないが、一応父の遺志をそれなりに継げいていて有難いと思っています。
段々歳をとってくると 親の気持ちがわかるような気がしますね
無線もですけど電気工事士も今は簡単に取得できて・・・・
技術者不足対策なのか知らんけど実務経験の無い役に立たん電気工事士がうちの会社に沢山いて困ります。
はい、私も一種の電気工事士の技能試験を受けみましたが、真空管アンプをいつも作っている者からすると、わざわざ複線図をかきなおしたりするほどのものでもないし、簡単すぎておどろきました。 まさに技術者不足対策ってとこなんでしょうね。
今は電気工事士の実技は難しいらしいです。しかも1年に1回しか試験ないからね。
@@がんちゃん-p8u 一年に2回以上あった気がします。 なお技能試験は 案外プロの2種の免許を持っている人は普段の仕事と内容が違うので 難しく感じるみたいです。
一方 アンプを自作する人は 複線図は頭でかけるので すごく早いです。 それから線のむき方は アンプビルダーのほうが圧倒的にうまいです 笑
@@miyazin-shoten 調べたら2回ありますね。取っていこうかな。以前UA-camで1回って載ってたんです。独特の図面ですね。ラダー図も独特でしたけどね。
@@がんちゃん-p8u 電気工事士の資格試験は わたしは1種を直接うけて合格しても 二種をとって3年とか5年たたないと免許申請ができないという 面白い制度。はじめから一種は受験資格で二種取得後何年とかすればいいのに・・・笑。
図面は無線でいうとブロックダイヤグラム。無線やアンプの自作をやっている我々は 慣れていれば配線図があたまに浮かびますが 本職の電気工事士の人はできない人もいるみたいで 試験のとき ここに時間をとられて時間切れも多いみたいです。
おやじさんの事をお話された宮甚商店さんへ
私も父親には感謝しかありませんね。
今更ですが 何もお返しできなかったなと何度も思います。涙。。
しかし昔の問題は難しいですね。玉のピンアサインを
知らないと解けないし IFTのコイル切れたら どうするかとか
知識だけでなく 真の実践者でないと解けませんね。
良いお話有難う御座いました。
こちらこそありがとうございます。みんな親父の感謝は いまになって思うんですね! もっとこうしておけばよかったと!・・・
30歳になる前に、旧1アマを取りました。70年前の1アマは難しくて私は合格しないと思いました。
通信術の和文受信に苦労した記憶があります。
いつも楽しい内容の動画を見て、喜んでいるジジイです。
70年前の無線の試験は まったく丸暗記とか効かなかったんでしょうね、まさに送受信機を自分で造れて当たりまえの世界だったと再認識しました
昭和29年生まれの爺さんです。 最近1アマを取りましたが、昔に取られた1アマの方々へのリスペクトを再確認です。宮甚さん、たくさんのこと教えていただき感謝です。 アマチュア無線の老齢化、確かに問題です。若い方に人気が無いことを問題視しているのはわかりますが、趣味ですから年寄りでも自分が楽しめれば良いんでは? と思うのは自分勝手な爺さんだからでしょうか? 爺さんでも楽しめるのが趣味のはず。 1アマ取って、1陸技取って、1総通は学科ですが取りました。モールスが残っていますが....。爺さんでも、それなりに楽しめます。アマチュア無線。100歳までやりたいな。
そうですよね 無線のたのしみは 私は自己中心でいいとおもうんです。 時代の流れもありますし 物事なんでもはやりすたりもありますから
わたしは まったく交信はしませんが 受信機や送信機つくったり いじったりが一番楽しいです
先輩方の無線や回路や部品の理解力
トラブルを自分で解決する
器用さもあるのでしょうが
脱帽しかありません!
いやー ほんと 当時の上級アマチュア無線技士は ほんとうに上級だったんですね!
昔の問題は難しいですね。
私の場合、50年前に電話級を取得、45年前に電話級、43年前に2級の通信術(CW)の科目合格(送信と受信)はしたものの学科受験をせずにそのままでした。
最近の2級の過去問題を確認したところ、法規に・ーで示されたCW問題が出ているのにビックリで、これは法規の問題ではない。
今更ですが簡単になった現在の2級の試験を受けてみようかと思いました。
電気通信術がない(和文がない)ので、現在の2アマと1アマは 無線工学でいうと ほとんどレベル差がないと思います。 実はわたしも3級と2級は受験したことがありません。 上級受験なら 2アマと1アマの同時受験もありだとおもいます 案外1アマ受かって2アマ不合格って 実際ありえると思います…笑
@@miyazin-shoten 返信ありがとうございます。
確かに和文がネックで1アマは無理だと思ってましたが、今はそういう時代なのですね。
昨年大学時代の友達と電話でのアマチュア無線機器の相談があって、彼のいるところのホテルに泊まって近況や無線の話を語りました。
それで旧コールサインを復活しようとしているのだけど、免許状や免許証が見つからないけど免許証は簡単なコードだったので覚えている。
15mhのタワーもあるけど、シャックの部屋はなかなか行けないので、ベランダに取り付けた簡易アンテナで、SDR受信機を各種類、多数購入して受信してます。
今人気のFT8もSDRとソフトウェアでデコードできていまいますね。また昔な電電公社のFAX機を改造して受信していた気象FAXであるJHMもSDRとソフトで受信できてしまいます。
時代も進んでいます。
@@JashiChannel そういえば旧コール復活も多いみたいですね。わたしも空いていたので そうしました。
いつも楽しい動画有り難うございます。22年前に1アマとった時はマークシートでした。今は、電信がなくなった分、当時より学科が難しくなったように聞いています。
試験の内容は時代に合わせて変化していますが、22年くらい前だとそれほど大きな変化はないと思います。 たしかに電気通信術はなくなりましたが、無線工学はほぼ変化はないですが 当然新しい問題が出題されますね。 たとえばスプリアス規格の新問題、帯域外とスプリアス領域の違いなどは 難しく感じるかもしれません。 ただいつの時代も新問題は出題されます。わたしは個人的には 60年くらい前は問題の質がちがいますが 20年くらいまえの1アマと 今の1アマ試験は 新問題をのぞけばほとんど同レベルと感じます。
昔の記憶ですが1アマは確か3通レベルと同等じゃなかったかな しかし問題が凄いですね。試験問題マスターするだけで無線機が作れそうです。
逆に 受信機と送信機が自分で造れないと 1アマは受からなかった時代でしょうね。まさに自作が当たりまえというのがよくわかりました
私も其の様に思います🙂。3通は昭和45年に取得しましたけど、本試験より予備試験の方が難しかったです。ホイ―トストンブリッジ等では無く、マックスウェルでリアクタンスやキャパシタンスを求める様な問題だったと記憶しています。本試験も、やはり記述式で「A級、B級、C級、及びB級プッシュプルについて、動作特性曲線を書いて説明いせよ。」この様な問題だったかと思います、其と通信士の試験にはレ―ダ―の問題なんかも有りました🙂。47年に取得した2通は問題等は3通と似ているのですが、「説明せよ。」だけで無く、「詳細に説明せよ。」だった様に記憶しています。3通の回答では50点位にしかなりません😢。昔の懐かしい記憶を思い出させて頂きました🙂。
2アマで電話級無線通信士(今の4海通)の無線工学が免除、1アマで3通(今の3総合通)の無線工学の予備試験と確か電気通信術が免除だったと思います。
プロの資格に匹敵するほどのもので、良く電波受験界をみると当時電波高専や電気通信の職業訓練校に入った人は、近道は1アマを取ることとありそれなりに、価値のある資格でした。今から50年位前は、外航航路、北洋漁業又近海沿海の漁業が華やかりしき頃で、各地に無線局があり沿岸漁業でも海岸局と、底曳漁船の通信は電信でした。この頃の無線通信士の地位は高く且つ給料も高くて垂涎の的でした。話しはそれますが当時当地方の沿岸漁業では
125トン型と96トン型の2種類の漁船があり125トン型は沿岸漁業に関わらず3通が必要で、96トン型は電話通で良くて船主は支給する給料もさることながら、125トン型では漁労作業に従事すると、通信士は手崩れをおこす一人区が勿体ないとのこと。その為船主は確か国会議員を動かして無線従事者の資格を、3通から電話通でも良くしちゃいました。何か今の運送業界の人手不足で色々と道交法を改正していることと似ていますよね。
昔の1アマを取った人は、本当に機械のことが分かっていて且つ電信も和文と欧文の送受信もあり、本当に俄か1アマの私は同じ1アマでも肩身が狭いと
心の中で思っております。
@@かまちゃん-t4n 電話級無線通信士ですか😊、懐かしい響ですね😊。私は無線通信科だったのですが、産業科と言う科も有り、其処は1年で電話級無線通信士を取得する科でした。学校には380トン位の実習船が有り航海士や機関士を目指す連中は、ハワイ沖やオ―ストラリア沖等に実習に行きました。今では実習船も700トン近くになってますが😃。当時の1アマの工学のレベルはかなり高かったと思います。昔の電波法令集を紐解いて見れば分かります。実際には工学だけに限れば、3通と2通の間位では無いでしょうか?。初歩と大要の違いです。通信士には後、航空級も有りました。今の1海通、2海通等の前ですが🙂。本当に昔が懐かしいです😊。
30才の時に、記述式、欧文・和文の送受が有る時代に旧1アマを取得しました。
仕事が忙しかったので、先に通信術、次回に工学・法規を受験しました。
工学の数式を使った計算問題は大学の初等数学が必要でした。
当時、旧1アマの免許を持っていたら、プロ資格の免除や科目免除が有ったと記憶しています。
そうですよね そのうち1アマも eラーニングの時代がくるでしょうね。
昔はモールスの高速英文和文送受信があって凄い難関だったんですよね。
だってネットで知らん人とコミュニケーションできますからね
無線機は買えばいいしね、つまらないだろうと思う
たしかに50年前とは 通信インフラも電子技術も全く違いますよね。 私はいま50年前の設計の車にのっていますが ほとんど車は本質的な進歩がありませんが 無線機は飛躍的に進歩しましたね
資料があるとは、すごいですね・・・・・1955年頃は1級と2級しかなくて、昭和58年 11月に電信級・電話級の初級資格ができたと思います
歳がばれるかもしれませんが、電話級の無線従事者の免許を受験するときに、何故かしら現代では、必要が無くなりましたが、医師の診断書が必用でした。
あはは・・ 私が中学生で電話級をとったときは昭和44年ですから・・・。昭和58年ってこたーないでしょう。
それから医師の診断書は受験のときですか? 昭和44年には免許申請の時だった記憶がありますけど・・・。あなたが免許をとったところは 受験時に必要だったどうかわかりませんが・・・
大丈夫です、あなた歳バレませんよ このコメント内容では…笑
昭和40年代、従事者免許証を申請するとき、診断書と住民票が必要だと記憶しています。
当時は、日本国籍が無いと従免は発給されませんでした。
10年くらい前に4級から3級、2級、1級と立て続けに国家試験で取得しまたした。基本すべて過去問暗記です。ついでに1陸特、4海通、航空特も取得しました。すべて過去問暗記です。工学?まったく理解してません。法規ももう全部忘れました。
じゃ次 一陸技いってみましょう。暗記でいけるかも? 笑
昔の1アマ資格のOMさんは、企業でも一目置かれていました。難しい国家試験に合格しているということで!
いまでは 無線ってなんですか? って若い人から言われます 笑
女の子にも、もてたと言う伝説的な話もありましたね
@@鍵浩明 そういえば少年雑誌に当時 かっこいいハム、クラスの女子からもモテモテに なんてセールスコピー見ました。 現代なら 無線?きもい なんて言われそうで怖いです 笑
CQ7👍 一年取らないと親の気持ちは解らないですね。親があって自分があるのですからね。
そうですね 孝行したいときには親は無しとはよく言ったもんですね
昭和30年この頃は回路図を見ただけで、シャーシの裏側で部品(C R)の配置やリード線の引廻しが頭の中で描けるレベルなんだろうね。
昭和30年頃は殆ど自作機で、電波監理局の技官(だったかな)から立ち会い監査(検査)のときは、その技官から質問にも答えられる技術力が必要だったのでしょうね。
この頃のアマチュア局免許状は、プロ局と同じ形状だったらしいですね。確かB5用紙を少し延ばした位の大きさ?でアマ局とは言えども威厳があったようですね。
でもこのころ電監の技官もアマチュア局の監査に行くだけでも大変だったろうね、検査する測程器だって重かったと思うし、県を越えないと行けなかったと思うし・・。
まあ 当時はメーカーの既製品のトランシーバーを買ってきて すぐオンエアという時代ではないので 当然自作送信機と受信機とすると TVIや BCIも問題となったであろうし、 ちょっとした無線機メーカーの設計者レベルの知識がもとめられたのでしょう。
私、中学2年の4月に新たに新設された電話、電信級
の試験を中野無線学校で受けましたが全て記述式で見事
不合格、難しかった、10月に再受験でなんとか合格しました、
オームの法則は勿論、周波数をルートLC分の1で求める
問題も出るとかOMに言われそれに集中しすぎたのが
敗因でした、そしてコールはJA1F・・でした
アンカバしていたので電波少年だったです
私も記述式の最後の時代ですが あきらかに レベルとしては今の1アマ以上のむずかしさがあったと思います。
趣味で真空管をいじって動作原理を理解できる人であれば、昔の試験は比較的簡単でした、今は素材は半導体・ソフトウエア・デジタルラジオの時代、古い人間にとって各部がブラックボックスで???、 ICを買ってきて 仕様書通り繋ぎ 動きをみてホ~と感心します。
まあ、昔の試験は どうでもいい真空管のピンアサインなんかを覚えさせたんで、ラジオ組立工場の職人向けの試験みたいなもんですね。
アーカイブ楽しく見させてもらってます。どうも年同じですねP1、C6、D6のピン番を自分も覚えていて懐かしかったです。もちろん何十年も触っていませんが!
OMRONのリレーのコイルのピンが当時のGT管のヒーターを同じとか想い出します。
そういえば わたしは今でも真空管アンプのGT管作るときは オムロンのリレーソケット使っています 一番信頼性あるみたいな感じします
無線工学も解けませんが、60字/分の和文と70字/分の欧文(でしたっけ?)のモールス送受信も難関でした。特に和文はを覚えようとしても覚えられなかった。
和文は別格ですね! こればっかりは素質と才能って気がします
50/60ですね、欧文は100くらいいけましたが、DX専門でしたので、和文は苦労しました。96爆撃機に乗っていた軍隊上がりの先生にならいました
@@kotanuki1205 そういえば 私の親父も 満州に兵隊にいっていたので 無線の免許もないのに 和文CWは 1アマの私より上手かった・・・そんな時代ですね
@@kotanuki1205
さん。
私は受験当時には50/60の2倍の通信速度の信号を受信できていました。
モールス受信の試験は、広い専門学校の教室で行われ、信号の反響が大きく聞き取りにくかったと記憶しています。
モールス受信の試験は、欧文・和文とも「暗文」と「普通文」がありまして合計4種類でした。兎に角、通信術の試験は疲れました。
オーディオ関係の動画からここに辿り着きました。
私は40歳ですが、表 2:01 を見ると逆をいえば36〜40歳でも633人いるし、10代でも300人を超える人がアマチュア無線をやってるんですね!
年代に限らずに90年代に無線を電話代わりに使ってたような人は、2000年以降の携帯電話普及に伴ってか無線を止め、逆にSNSスマホ全盛の令和でも無線技術や電波が好きな人は年代関係無く無線やってるんでしょうね。
私も10代の頃4アマとって無線やってましたが、成人してからすっかりやらなくなってましたが、久しぶりにアマチュア無線再開したくなりました。
最後の一言で笑ってしまいました
ありがとうございます
仰る通りですね。 無線は交信がすきなひと 自作や機械いじりがすきなひと どっちも正解なんですよね 趣味なんですから。 ぜひご一緒にたのしみましょう!!
宮甚さん。いつも楽しく視聴されていただいております。
まあ、江戸っ子の口の悪さなのかと思いますが、でも下町でもない方なので何故かなあという感じです。
今回は、アマチュア無線の年齢層で定年を迎えたジジイ世代が多いとの表現がありました。ジョーク的にはその通りだと思います。ですが、一方で、中学・高校・大学という時期にアマチュア無線を興味を持って始めたけど、就職して、行員・職工・営業などのサラリーマンとして、趣味に時間を割くことも、興味を深堀することも一時的に封印していた人もいます。それらの方々は「定年になったら復活するんだ」を夢に、そして支えに頑張ってきた人も多いでしょう。すみません、老人とか無趣味とか暇だとか、一色単に括らないで愛を込めてください。
コメントありがとうございます。
無線に関しての経緯は まさに貴殿のコメント通りで わたしの場合も 無線をはじめてすぐバイクや車に興味が移ってしまい、その後就職、結婚、子育てに明け暮れ 無線などやれる時間も気力もありませんでした。 その反動で 定年になった今 やることもなくなり 暇つぶしに無線を めいっぱい楽しんでいます。
私は事実を事実のまま表現しています。ジジイが多いのは事実ですし、ひまでやることがないから昼間無線をやっているのはジジイばかり・・・ 私は決して なにも彼らを批判をしてませんし、自分と同じ境遇にいるジジイですから 親しみを込めていますよ。
これは幸せなことであるし、ジジイにとっては天国だとおもいます。 愛は十分込めていますよ 無線をやっているほかのジジイにも 私自身にも・・・
宮甚さんピン配置まで覚えてるんですね。恐れ入りました。
5球スーパーの代表的な球だけです! でも最近よく作っているのですが 5年くらい作らないとやっぱり忘れます 笑
いいお父さんでしたね 私の父も「女は嫁に出さなくては」「お里が知れる」などと
随分 お金をかけてくれました 結局 兄と弟は家を出て 家付き娘になって
親の言いなりで darling迎えて 子達に お金つぎ込むようになってから
親のありがたみを知るようになりました
ほんと 親のありがたみはいなくなってから分かるんですよね。でもそれでいいんですね! 分かっただけで・・・
おっと、おいらも同じ年のひつじ年生まれでありんす。
長く続けていても発見の多い趣味だと思います。
電子部品も日々進化してて、楽しみは尽きませんね~
定年退職まで、あと8年! そのころにはHFも全デジタル? 試験もデジタル寄りになるんでしょうかね?
あと8年ですか たのしみですね。 わたしは待ちきれず早期退職しました 笑
面白い🎉🎉🎉
ありがとうございます
書体やイラストから時代を感じますね、それらの本は現在は大変高価な品物でしょう理系の本は全て高いんです、ちなみに僕はアマチュア無線は4級です、他は第1級陸上特殊無線技師と第2級陸上特殊無線技師、アマチュア無線とはレスリングで言えばアマチュアレスリングのようなイメージかと、ほんちゃんはプロレスリングのイメージ、最近はトラック無線がなくなり物悲しいですね、唯一タコグラフとカーナビにDC12Vを供給するインバータはありますね、シート下または足元に転がしておくので稀に端子が外れる事があります、タクシーにはまだあったと思います、最近は乗るチャンスがあまりなくなりました。
そういえば私も以前 第1級陸上特殊無線技師を取りました。特殊のほうは簡単かと思ったら 無線工学は1~2アマレベルだった感じがしました。 あと電気工事士の第一種も 非常にレベルが近くて 3つ一緒に受験すると勉強が効率的ですね。
私も親の古い本で真空管の勉強をしました。赤いハードカバーの電気の入門書でしたが、何回も読み返していました。私の親は小学校の教諭で専門は国語だったのですが、宮甚商店さんの御父上と同様、電気にあこがれみたいなものを持っていたのかもしれませんね。真空管のヒーターが切れたときには、一瞬だけ100Vにつなぐと切れていたところが溶けてつながるという技がその本に載っていましたが、使う機会は全くありませんでした。
いい思い出ですね!
やはり昭和の中頃までは まだまだ物資が十分でなくて たとえ捨てる真空管でも もし復活したら儲けという感覚だったのでしょうね。なんでも使い捨ての時代の今からみたら 考えられないですね。 私は今でもサニートラックという40年も前の車を大事に整備して乗っていますが まわりからは捨てろと言われますが まだまだ動くものを捨てられないですね。 真空管のヒーター切れと一緒です
@@miyazin-shoten 真空管が呆けてきたら火鉢で炙ったような。
私も、中学の頃に本屋で見つけた「電波と受験」を購入してから、電気関係に興味を持ち今に至っています。真空管の回路は懐かしいですね、トリオのコイルパックを使い真空管11球の高1中2の受信機を作ったのが懐かしく思う出されます。アマチュア無線は、電話級を高2の時に札幌まで受験に行き、無線局の免許「JA8***」の取得し交信してました。「電波と受験」には、試験合格の体験談の投稿が掲載されていて、どのように勉強して合格したのかを見た記憶があります。
この問題は日ごろから自作をしている人、電子回路の設計をしている人でしか、わからない問題でしょうね。 逆に毎日そのような設計をしている人、無線機などの修理などをしている人にとっては簡単な問題かもしれないですね。 知識と言うよりも経験があるかどうかの試験ですね。 AG6JU
当時は 既製品のリグを買ってきて開局などというのは考えられず、自作でしたでしょうから BCI,TVI(いまでいうスプリアス)を抑圧させるための手段だったんでしょう。 この試験を資格試験ではなく技能試験と言っている人もいました。
古今独歩で過去問勉強が定石でしょうけと古い問題には驚きですね、当時はその過去門入手がきめ手?!🤔合格には5年分以上~が必要だろう。青焼きリコピーで対応できるので全然大丈夫!と聞きましたが、そもそも雑誌の両面コピーできるのか?
すいません 後半意味わかりませんでした
@@miyazin-shoten すいません 青焼きの話はこちらの話しでした。
私は1アマですが昔に比べれば取りやすくなったと聞いていますので実際に今回の物を解けと言われても合格出来るか判りませんね
昭和30年の頃は別格だったと思います。 おそらく昭和40年以降の問題は今とほとんど変わらない難易度と思います。 ちょうど自作時代から メーカーリグを使うようになった時代がターニングポイントでしょうねきっと
いつも楽しく楽しみに見させていただいております
私は45年前20の時に1アマとりました
その時もまだ記述式でした 工学の試験は 5問で 試験時間は 2時間半でした
1問あたり30分配分です 電卓の持ち込みはダメで 計算尺はOKでした
私はすべて手計算でやりましので時間がかかりました 公式にもよく出てくるルート計算今は電卓でルートボタンを押せば 答え一発ですが 手計算のルート計算に苦労しました
解答用紙も 上にちょろっと問題があり下は全部解答欄 計算式で埋まってました^^;
たしかに私も最初は昭和44年頃電話級からとりましたが 電話級でも記述式は非常に今の4級と比べると段違いに難しく 当時は電話級も1アマも無線工学のレベルはあまり変わらい難易度だったような記憶があります
私は、ぎりぎり60点で合格しました。たしか問題数が4題、2時間半の試験時間、工学も同じだったかなあ、いや、通信術を除けばプロの三級以上の値打ちがありましたよ、
まあ、当時の試験は 電気理論というよりも技能試験みたいなもんですからね いまでいう電気工事士の試験みたいなもんですね
自分が電話級を受けたとき真空管とトランジスタが混在していました。
トランジスタのバイアス問題が出たかと思えば終段が真空管な回路が載っていたり。
時代はカタログや機器の全面にsolid stateって文字が輝いていたそんな時代。🤣まぁどっちでも良かったのですがハートレーとコルピッツの回路は未だに混乱します。😅
たしかに 試験の内容はすこし世の中の時代に遅れ気味ですね。
わたしが電話級を受けた昭和45年は もう初歩のラジオなどでトランジスタと真空管が半分くらいでした、市販のラジオやTVは全部トランジスタに移行していましたが 電話級の試験は全部真空管でしたね。
無線工学というよりも、より実践的な無線器具の作製、修理対応に重点が置かれていたんですね。アマチュア無線の目的は実験、研究にあるというのが納得できる内容です。その昔、戦後すぐに無許可でアマチュア無線始めた超OM達は、外国の文献読んで無線機作製したりしたそうですから、その方々の監修ではこれぐらい出来なきゃ、って思いだったのではと思います。
そうですね。当時は 市販の無線機はほとんどない時代。送受信機は自分で作って電波をだすものだったので やはり感電やTVI、BCI(いまでいうスプリアス)をいかに防ぐ試験内容にするかだったんでしょうね。
むずかしいとか 難易度ではなく 当時の時代の違いだったんでしょうね。
でも それにしても最近の1アマ問題はレベル下げすぎのような気がします。(昭和40年当時の記述式の電話級問題よりもレベルが低い内容が多いです 笑)
こんばんは、受信機の構成の問題は本当に1アマの問題ですか?私は電話級・4級の講習会の管理者をしてましたが、4アマの問題と同じですね・・・。
コメントありがとうございます。管理者であれば尚更、実態を一度ご自身でお調べになったほうがいいのではないかと思いますよ。1~4級、各級の無線工学の難易度を把握する意味でも。
はい、私もロクゼットピーワンといってます。
なんでなんでしょうね ろくぶいろく・・・なのに あと いちえぬ60と あいえぬ60よくまちがえます
6ZP1なんて、カラオケネットのおいらのニックネームジャン
高校の頃、地域の公民館で電話級取ったよ
講師は無線機屋の親父で、わからなければ、それとなく教えてくれた
無論、無線機は講師の店で買ったわ
いい時代だったなぁw
そういえば2アマのEラーニングだけでなく 電話級も講習会があったんですね!
TNX DE JH1VGC / 1 TU
免許と言えばバイクの大型免許も今は教習所で取れてズルいって言うおじさん初老世代です
さらに上の世代はどんなバイクでも乗れる2輪免許でした
上の世代も下の世代もズルい笑
私も大型免許を教習所でもいいから取って置けば良かったかも
でも年を取ると原付2種で十分です
便利すぎていけません
4輪も乗らなくなります
アマ無線も復活するなら上級資格をボケ防止を兼ねて狙おうかな??
お父上の話、しみじみします
うちの父も屋根に無線のアンテナ建ててくれたりトランシーバー買ってくれたりして無線には協力的でした
ルーフタワーのステーを2階の屋根の端から張っていてよく落ちなかったな
感謝しかないですね
いろいろして貰ったのに父の期待に応えられなかった自分が情け無いです
あはは・・・ 実は バイクの大型免許を教習所で取れてズルいと思うのはまだ初老じゃなくて若い世代の人なんですよ。
というのも私(昭和30年生まれ)までは 大型バイクの試験ってなかったんです。(笑)
昭和46年まではバイクは二輪と 原付(50CC)しか区分がなく、 たとえば神奈川県だと二輪免許は ホンダのカブで一周コースを回ると 無制限の排気量つまりいまでいう大型です。 しかもそのカブは ノークラでしたから クラッチ操作できなくていいんです。 だからそれで免許取った私は 250CCのハスラーというオートバイに初めて運転したとき クラッチ操作ができませんでした。
つまり私の年代からみれば 教習所で大型二輪とったひとは尊敬に値するんですよ!
もっといえば 私の姉(戦中生まれ)なんて 当時の軽自動車免許を取ったので 250CCバイクが乗れることになっていて 当然その後大型二輪になりました、だから姉は自転車に乗れないのに 二輪免許は大型です 笑
昭和の問題は激ムズ、と言うか自作経験ないとお手上げですね。私は昭和40年代に1アマ取得しましたが、筆記は問題無く出来て、和文モールスで苦戦の経験が有りました。今は随分と簡素化された試験に感じます。
昭和30年代は 送受信機は自分で作って開局があたりまえの時代だったんでしょうね。
投稿動画とても楽しそうで何よりです。見ている方も楽しくなります。
当方6歳も若いので、デジタル回路しかわかりません。
ありがとうございます。動画の詳しい説明がアナログ回路の勉強に少しなりました。
最近無謀にも DENON PWM-390 というアンプを直そうとしています。
先日は車で運んで現地で電源を入れたところ、Lch の音が出なくなりました。
修理が振出しに戻った感じです。ふたを開けて、あちこち電圧を測ってみないといけなさそうです。
一応電源電圧も測ってみますが、Rchは出ているので関係なさそうです。もし、電源電圧だったら動画中の整流回路の解説が参考になります。
(たぶん「参考になる」のはUSO800言ってしまいました。アンプにはブリッジ使われていましたから、同じに考えてはいけない気もします)
次回の動画も楽しみにしていますが、ご無理をなさらない様ご自愛ください。
ありがとうございます お気遣い感謝します そうなんです 結構製作と撮影 編集・・・サラリーマン時代よりハードかも? でも楽しいですから…笑
電話級でも記述式でしたよ、解答用紙は白紙、***の***について述べよ。
合格率20パーセント位かな
昔はアマチュア無線の試験は記述式だけですよ。わたしも もちろん最初の電話級は記述式です。
試験官相手に、持参した米つきバッタをコツコツと 和文送信後 終了符号送信を忘れそうになった 試験官が促す様に鉛筆でコツコツと合図に気付き 難なく合格 昔は気持ちも良かった合格させてやろうと もう50年が見えてきた現役ハムです 7J1RLが交信出来なく残念、有給休暇でチャレンジしたが 73歳では現地への移動運用も難しい でもチャンスがあれば、行ってみたい 夫婦でハムです(^^♪
そういえば 試験内容も簡単になりましたが いつのまにはCWの電気通信術もなくなり 法規問題に面影を残すのみ・・・まあ時の流れですね
単に記述式というだけでなく、この頃の試験は本当に自分で無線機を作り上げる技術力がなければ合格できなかったということですね。それと比較すると、やはり現在の1アマ、2アマの無線工学試験はかなり易しくなっていると言わざるを得ないです。
私は約40年前、大学生の時に2アマを取っていましたが、会社へ入って上司から「アマチュア無線は何級を取っているのか」と聞かれ、2級だと答えたら褒めてもらえました(笑) 変な言い方になりますが当時でも上級の資格はそれなりに値打ちがあったのですよね。
確かに今なら「丸暗記」でも1級が取れそうですが、せっかく上級の資格取得に挑むなら少しでも自分で理解することによって技術力を身に着け、それを応用して仕事にも趣味にも活躍の場を広げて欲しいと思います! 若者たち、じじいに負けずに頑張れって言いたいです!!
その通りだと思います。もちろん試験に対する考え方ですが わたしはアマチュア無線は操作するのではなく 無線工学の勉強ののためなので 丸暗記はまったく意味がなく やはり20年、30年たっても忘れず問題が解けるのが理想だと思います。
あの時代は自分で無線機が作れないと開局できなかったと感じてしまいますね。
しかし、真空管のピン配置までとは、、、。
いまならICのピン配置でしかねぇと言ってしまいます。
まあ最近は FPGA が流行ってますので、、、いや今のアマチュア無線は自作する事は考えない時代になってきているから、、、。
残念な事ですが。
さらに 既製品の無線機メーカーも少なく 所得もみんな低かったので 既製品を買う余裕もなかったのでしょうね。 家庭用のラジオも作る人が多かったくらいですから アマチュア無線の機器を買う人はすくなかったと想像します。
なんたって ドライバー一本で組み立てるパソコンを 自作PCっていう時代ですから・・・ わたしは最初聞いたとき PC基板を自作するって すごい人がいるなと思ったら はんだ付けもできない人で驚きました。
昭和40年代後半からから50年代前半にかけて、ガキだった自分の世代では、トランシーバー(子供向けの)やラジコンが流行ったんで、その頃にお金が使える世代と考えたら、今のアマチュア無線の年齢層に納得出来る感じがします
大阪万博で携帯電話的なものが有ったりで、無線で何か出来ることにワクワクした時代かなぁ?
ちなみに、私は大阪万博には行きましたが記憶が無い世代です
1970年ですね わたしは運よく中学の修学旅行で 東京からいけました しかも新幹線、一年先輩は夜行列車で京都でした 日本が行動成長に入ったことを実感できました。
全く意味が分かりませんでした。
コメントしてる人達、話しについていけてスゲーとおもいましたよアニキ。
そんなことはないです。無線って 言葉も決まっているし 案外覚えることも少なくて ・・・ 海外(外国)との交信なんて 記号みたいなのを数語知っているとできてしまうんですよ。 まわりで聞いているとすごいとおもうだけで ・・・ 笑
最近は国家試験は別に金払うと1週間ほど講習受けて4科目のうち3科目パスで1科目受験とかそういうのがあるようですね
そうでない人は受験料のみで全科目受験するという手順みたいです
なんだか 試験が複雑になってきましたね もうアマチュア無線機器業界も 必死でロビー活動が必要になっているんでしょうきっと
@@miyazin-shoten 手順は色々増えてる様ですが全般的に受かりやすくする方向性みたいです どこも人が足りないので
@@ハラハ-g2w たしかに落とす試験から 受からせる試験へ・・ですね
完全な記述式ではなく択一問題もあるのですね。
さすがに 受信機の電圧問題は完全記述式を答えらえるのはいないと思います 笑
50年くらい前に、初級(?)アマチュア無線の試験を受けて、資格を取りました。開局はしなかったのですが、しておけば、「JA1xxx」のコールサインが貰えたのかな?確か最後の手書き試験だった様な思いがあります。そのあとマークシートになったのでしたっけ?
わたしも最初の電話級は記述式だったので マークシートかどうかわかりません。
いいなあ宮甚兄い。お父上のことをこんな風に語ることができるなんて。ハムの試験。私もあまり自信ないです。
ありがとうございます。無線は親父のいい思い出です
宮甚さんすごいです。私なんて昔の問題は意味不明で、現在の問題でもA1Aが何かが分からないので最後の選択があやしいです。
上級ライセンスはやはり難しいと言う事で、電話級のワッチ専門といたします(笑)。
そういえば 電波形式 いつのまにか変わっていましたね! けっこう難解ですね
A3Jがいつの間にかJ3Eになったり、ハムの局免見たら一括記載コードになっていたりで…もう包括免許でいいんじゃないかと 笑
@@prc148mbitr たしかに申請書がらくになりましたね 一括ですみますし ところでよく知らないのですが 最近包括免許に近くなるそうですね
かなり歯ごたえのある問題ですね。7PinMT管ならできそう。どうかな?
そうですね。わたしも このピンアサインの問題はびっくりしました。 覚えているのはヒーターのピンだけですよ・・・笑
いつも楽しく動画見させていただいています。
近所のOMは口が悪いって、それまさに宮甚さんですよ。(大変失礼しました!!)
いえいえ これでも 先輩たちの前にでると借りてきた猫状態なんですよ
はい、高評価を押しました!
ありがとうございます 親父喜んでいるとおもいます!
こんにちは
資料館が欲しがるような 古い本ですね 表紙はRTTYでしょうか
弟が発砲してましたカタカタ 音がやかましく 子供たちの昼寝の邪魔でした
放電破壊紙のファックスもあったり 博物館級です
もう紙がボロボロになっています。親父も少し読み込んでいたのかもしれませんが・・・
昔の問題は凄いとしか言えないですね(^◇^;)
喋る無線ではなくて作る無線
まさに作る無線機時代ですね。 どちらかというと技能試験ですね職人の・・・
うわぁ~苦手な真空管ばっかり・・・真空管のソケットなんて全然分かりません。(泣 トランジスターならどうかと言われても超古い使い慣れた2SC372のピンアサインってBCEだったかな・・・逆だったかも、とにかく真ん中がベースじゃないことは覚えてます。こんなの試験に出たらどーしましょ。
最初みたとき びっくりしました。 試験問題にピンアサイン乗っていないのはミスプリか 落丁かと思いました 笑
実務認定試験と資格試験の違いのように見えましたね。
まさに これは実務、電気工事士の技能試験の時に書く複線図みたいな感じがしました・・・笑
ローカルの親父の気持ちは十分にわかります。それをふまえて、でもね、ローカル親父は真空管とその周辺回路等の知識が起点ですよね。もう少し言えば、もっと昔の人は電波って何とか、電波そのものを知らないことから始めていますよね。つまり、知識や技術というのは先人たちが苦労・研究をして、それを礎に発展したものと思っています。
なので、過去の問題が今の人に解けなくても、それはブラックボックスであって、そのうえで新たな使い方で良いのではないでしょうかと思いますね。逆に、今の回路をローカル親父は解けるのでしょうかね? マイコン、パソコン、SDRとかDSPだとかね?
言いたいことは、基礎を理解していればそれで良しです。作り方は時代で進化しますよね。
コメントありがとうございます。
私はこの動画で、昔の1アマと今の1アマの試験の単なる難易度ではなく 目的や時代背景があるとお伝えしています。
当時は メーカー製無線機などほとんどなく、買える人もいなかったと思うので 無線をやるのには送受信機を自分で作るために必要不可欠な試験内容だったのだろうと言っているだけです。
どちらが良いとか 悪いではなく それが時代の変化、流れというものなのです。
それから もちろん貴殿の言う通り ローカル親父の言っていることも 単なるたわごとです。それは判っています。それをとやかく言ったり そのことをコメントで議論しても無意味ではないでしょうか? いまさらローカル親父にSDRだのDSPが お前はわかるのか?と問うたところで 何になるのでしょうか?
ジジイがたわごとを言っているのだから そっとしておけばいいのではないでしょうか? それで本人は幸せだろうし、だれにも迷惑をかけず すくなくとも貴殿には迷惑をかけていないのですから・・・
逆に貴方が どうでもいいジジイのたわごとに 何に腹を立てて わざわざコメントでお書きになるのか 理解に苦しみます。なにかご自身に嫌なことがありましたか? 大変失礼なことをお伝えしますが、貴殿のコメントを拝見すると何にゆえそこまで正義感を感じてわざわざコメントで伝えたいのか?不思議な感じがしてしまいます。
貴方の言う 愛をこめて・・・ もうすこし 自分にも他人にも 向けたほうがもっとご自身の気が楽になりませんか?
すみません、少し言葉足らずだったかもしれません。そのせいで誤解を与えてしまったのであれば訂正もしますし、お詫びもいたします。
私が言いたかったのは、その世代、その環境、その時代の知識を基に研鑽してきた人たちは、過去の研究者をリスペクトしていても、「昔はこうだったんだ」といわれると、「だから何」となるじゃないですか。
私だって真空管世代ですよ。宮陣さんと同じようにテレビの真空管を集めてラジオとか送信機を作っていました。
すみません、コメントとして出すべき内容ではないといわれれば、もう何も言いませんが、賛成とか反対だとか、いやだとか、くだらないとかいうつもりもなく、ただ単に感想として申し述べたのです。
私が言いたかったのは、真空管が良いとかシリコン部品が良いとかのことではなく、知識の進歩と技術の進歩は過去の礎に発展したものではあるものの、それを現在に生きる世代に対して、「昔は探求・研究していたのに」今は「こんなことも知らねーのかー」みたいな、比較に受け止めたからです。
@@yusa8228 ご丁寧に ご返信ありがとうございます。決して貴殿を誤解したわけではなく、お詫びいただくことでもありません。事実貴殿のお話はその通りだと思いますし、なにより私自身もそう思います。それは判っているつもりです。
実は私のこの動画の趣旨は、1アマだの無線工学のテクニカルな話などどうでもよくて、眼光紙背に徹してみていだくと、口うるさかった父親や 理不尽なことを言う無線の先輩への愛と思い出を語っているのです。
私たちが会社に入ったころは 理不尽の塊でした。年功序列、パワハラなんて当然、わたしも残業200時間の仕事を毎月しながら ほとんどサービス残業をさせられて 今思えば理不尽この上ない上司たちでした。でも今になって思えば それは上司本人の人格が悪かったよりも そういう時代だったのだと思います。そんなやつらでも 会社のためを思い必死で利益を上げ社員の給与の原資を確保し、部下のことを思い いろいろなことも教えてもらいました。いまではいい思い出であり 逆に感謝することも多いです。
近所のOMのジジイたちからは、無線のことでは ずいぶんしごかれながらもいろいろ教えてもらいました。だからお互いジジイになっても 「昔は探求・研究していたのに」お前ら今では「こんなことも知らねーのかー」と、ジジイが言いたいのなら 言わせておけばいいし、それでジジイの気分が良ければそれでいいと思うんです。ジジイとはそういうもので、 それをあえて分かったうえで許容してあげれは それですむ問題だと思っています。実際 そのジジイのたわごとで 私が被害を被っているわけではなく ましてや第三者である 視聴者や貴方が 嫌な思いをしたわけではないと思うので あえてコメントで ジジイの悪いところを指摘しても なんの価値も意味もないのではないかと言いたかっただけです。・・・それこそ逆に 貴方が別のコメントで 私に指摘された 愛とやらが込めれらていないのではないですか?
実は私は学校は文学部卒で、電気や無線工学にはあまり知識も、興味もありません。わたしが無線に求めているのは、無線工学などどうでもよくて 15歳ころの口うるさい先輩たちと ジジイになっても いまでもこうして お互い付き合っていけることの大切さと思い出を語っているだけなのです。
お疲れ様です。
つくづく良いチャンネルですね。いいね👍しました。
視聴回数欲しいけど、チャンネル登録はあまりして欲しくない・・・という珍しいコンセプトも素敵ですw
ありがとうございます。 コンセプトはあまのじゃくなだけです 笑