親鸞和讃を読む「他力の信心うるひとを」瓜生崇

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  • Опубліковано 28 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 13

  • @HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun
    @HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun 3 місяці тому +6

    こういう説法こそ本当の『ご法話』ですね…
    教えがギッシリ詰まっていて聞き甲斐があります。ありがとうございます。
    南無阿弥陀仏🙏🪷

  • @tyabou-e2w
    @tyabou-e2w 2 місяці тому +2

    毎回の御法話有難うございます。南無阿弥陀仏。

  • @g.k.s3212
    @g.k.s3212 3 місяці тому +2

    ありがとうございます!

  • @伊藤玲子-l9v
    @伊藤玲子-l9v 3 місяці тому +2

    有難いご法話聴聞させていただきました。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

  • @yoppyhappy_wagenaigo_49
    @yoppyhappy_wagenaigo_49 2 місяці тому +1

    共感させて頂きました。
    どうしても自尊心がね
    有るから
    どうしても正しさに
    迷ってしまって
    その闇の中から先生のお言葉に光を感じられて、頷かされて往きます✨

  • @雲の介
    @雲の介 3 місяці тому +1

    南無阿弥陀仏🙏

  • @よしノリ
    @よしノリ 2 місяці тому +1

    南無阿弥陀仏👃✕3

  • @chip855
    @chip855 Місяць тому +1

    念仏って簡単なのか難、そんなこと知らなくていいのか、知ることは自力なのか他力なのか、何故私には分からないのか、そんな私は元々ないのか

  • @sensenmanman
    @sensenmanman День тому

    真如が人の形を得た(人の元に真如が明らかになった)がそもそも釈尊ですが、龍樹天親に至っては表現として人の側から真如を表す方法論しかなかった所を、曇鸞においてようやく釈尊の出世本懐、釈尊の方向性がはっきりした。
    それによって、凡夫を救済する阿弥陀の本願の働きが明らかに凡夫に向いている(凡夫から真如にむかうのではない)事が明らかになった。
    そして、成就した阿弥陀の本願という外側(すでにある真如、事実の世界)と、五念門を行じこれから仏になろうとする内なる法蔵菩薩(阿頼耶識)が相互に作用して、釈尊が凡夫の世界に出世し、凡夫に本願成就するという本来起こり得ない事が起きる。
    言語化に不足があるかもしれまそんが、そういう理解でよろしいでしょうか?

  • @user-sakunosuke
    @user-sakunosuke 3 місяці тому +2

    ありがとうございます!

  • @石原寿代
    @石原寿代 Місяць тому

    南無阿弥陀仏🙏

  • @paindarvoine
    @paindarvoine 3 місяці тому +1

    ありがとうございます!