【朗読】小林多喜二「母たち」 朗読・あべよしみ
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- Опубліковано 13 жов 2024
- 『日本近代短編小説選』昭和編1より朗読させていただきました。
初出・・・「改造」1931年(昭和6年)11月
小林 多喜二
(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日 - 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な小説家、共産主義者、社会主義者、政治運動家。日本プロレタリア作家同盟書記長。
秋田県生まれ。四歳の時、父母と共に北海道小樽市に移住。小樽高等商業学校を卒業し北海道拓殖銀行小樽支店に勤務、同人雑誌「クラルテ」を創刊。「蟹工船」で作家としての地位を確立するも「不在地主」の発表により銀行を解雇され1930年に上京。翌年日本共産党に入党。1933年2月20日、築地署で特高の拷問により虐殺された。
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#短編
小林多喜二の命日にちなんで読んでみました。後半、伏せ字が多いのですが、その部分は無声にしております。ご了承ください。
私たちは過去のこうした母やその知り合い仲間たちのやり取りをどう振り返ったらいいのだろうか。過酷な弾圧の下で思想信条の自由を守ることの苦難を、単に過去のこととして語っていていいのだろうか⁉️いま私たちが置かれた状況の下でも同じようなことはないのだろうか。確かに露骨な弾圧は影を潜めている。だが、同じようなことはまったくないのだろうか。そうした観点で聞かないといけないのではないか。歴史に私たち一人一人が試されているという観点で。それにしてもこのような本の朗読をされたあべさんに改めて敬意を表したい。ありがとうございます。
ご視聴並びに丁寧なコメントをありがとうございます。
おっしゃる通り、民主主義の世の中を謳歌している気でいる私たちに、このようなことはもう全くないと言えるかどうか、疑問に思います。最近でも大川原化工機事件がありましたし。
私も普段全くもってノーテンキに生きていますが💦表現者として伝えていくべき作品に取り組みたいと願っています。
小林多喜二さんの命日だったのですね。それぞれのお母様達の、いろんな解釈や複雑な感情がぶつかり合ったりする内容に心打たれます。初めてこの作品を知りました。有り難うございました。
ご視聴いただきありがとうございます❗️
ご命日にこの動画をアップできてよかったです。
悲しみ、憤り、怒り、諦め、などがびんびん伝わってくる素晴らしい朗読に感謝します👂 如何に思想信条の自由、表現の自由が大切かを再認識しました🤔 色々考えさせられました。ありがとうございます❗
ご視聴並びに嬉しいコメントいただきありがとうございます❣️
私もこのような人間の尊厳が大切にされない暗い時代が二度とあってはならないという思いを強くしました。
よしみさん❤
小林多喜二の作品は、蟹工船など何作か読みました。
兄が、女の子にあまり推薦のできる本ではないが、読んでおくのも良い❗️と言って渡されました。友人と読みました。
いろいろの弾圧を乗り越えて今があるのですから、しっかりとその時代を思い巡らして考えさせられます。
全ての箇所を読み上げられなかったのは残念でしたね。
また次回時代が変われば云々変わるでしょう。
今日は、少し苦しい感じです。
母は、いつの時代も最後は我が子を心配しているのですね。
ありがとうございました❤
ありがとうございます💕
表現の自由が抑圧され、伏せ字でしか発表できなかった時代、繰り返しではなりませんね。
私は小林多喜二に縁のある北海道です、大切に拝聴させてもらいます、合掌👃(シバレル)いいね
ありがとうございます❣️そういう方にお聴きいただき嬉しいです。
妹とスパイはその朝は何があったのでしょうか。
現代でも黒塗りで残念な結果になったばかりです。
小林多喜二さんお母さまの御冥福をお祈りいたします
あべ様の朗読劇は素晴らしいです。演劇も講談も経験にあるからですね。有り難うございました。
ありがとうございます❣️
小林多喜二の人生を知り、彼を主人公にした芝居を観た時、本当に胸に迫るものがありました。ご命日にアップすることができてよかったです。
んー😢
共産主義 社会主義は無くなりつつあるわけで。
理想を抱きつつ現実社会で生きていくわけで。
右にいったり左に傾いたり下がったりしながら今があるわけで。
先人達の間違いはなぞらない生き方をしてくのだ!とあまり考えた事も無いのにコメントできる社会に乾杯✨🍻🎶
ありがとーございました🐚
ありがとうございます❣️
考えさせられる作品ですね。
この母たちのなかで、上田の母の気持ちは幾ら労働者のため、国の政治が間違っている、搾取されている労働者のための解放運動だと、理を尽くして諭そうと、我が子の無惨な様子を見たら受け入れられないなぁと真実感じました。
この時代頭がよすぎるとアカになるとは言われたそうですが、学のないおっかさんは愛する息子の思想を理解するより何より、無惨な息子にした警察にも又多喜二達にも碇を感じたし、それを助長させたのは彼らの信奉する主義思想が国家反逆罪に問われると言う事を怒りを感じたし、国家権力の象徴だった憲兵や警官に言われたら、息子を痛め付けた事に憤るより(途中憤っていますが)多喜二達に恨みをぶつけたい気持ちが痛いほど分かりました。
私は凡人なので、こうなるのが分かっているのに信念は貫けないし、痛いのも寒いのも暑いのも苦しいのも嫌だし。だから正直、多喜二達の運動の理より、上田のお母さんの恨み言に深く同意してしまいました。
今日ですね。三時間に及ぶ激しくて痛い取り調べの末彼が亡くなったのは。こうなることが分かっていたのにと、やはりこう言う運動を貫ける人の信念は理解を越えています。
丁寧なコメントいただきありがとうございます❣️
私も子を持つ母として、それぞれの母の気持ちがわかるなあと思いました。
どんな思想を持っていようと、暴力で気に入らぬ者を押さえつけたり命を奪うことが国家によってなされるような世の中には絶対に戻してはならないですね。
国家権力というものは本当に恐ろしいと思います。多喜二に凄惨な暴力を加えて虐殺した特高警察も、家に帰れば家族思いの優しい父だったりしたのでしょう。
小林多喜二さんの小説は、いつまでも読み続けられなければいけません。
私も貧困層ですが、この時代とは比較になりませんから、まったく有難いことだと思っております。
大事な部分が伏せ字になって、残念ですね。(。・・)
ご視聴いただきありがとうございます❣️❣️
私は小林多喜二の墓参りに行ったことがある。それも2度。小樽市の南、奥沢にある共同墓地にあるが、バスの停留所から歩いていった。かつては市場だったが今はコンビニのところを左折、左側に墓地がある。
多喜二の墓はすぐわかる。右側に新しい墓ができていた。妹?その他の人達の墓であろう。多喜二の墓は背が高い。多喜二が建てて2年後に虐殺されている。
文人のお墓参りがご趣味のデューク様、小林多喜二のお墓に、2度も行かれたのですね!私も小樽は再訪したいと思っている土地ですので、その機会にはぜひ。
貴重な情報をありがとうございます❗️
二度とこんな世の中に戻らない事を祈る
ありがとうございます!
同感です!
もし、可能であれば、「東倶知安行」か「1925年3月15日」の朗読をお願いします。
目が不自由なので、少し長い作品は、朗読が頼りです。
ありがとうございます。
調べましたら、初出では伏せ字にされていた部分が、比較的新しく出版された全集だと伏せ字ではなくなっているようです。
近くの図書館に新日本出版の全集があるようなので、近いうちに確認してまいります。
伏せ字を無音にすることに意味があるのでしょうか?
多喜二は、伝えて欲しいのではないでしょうか?
それとも、どこかに、誰かに忖度しているのでしょうか?
ご視聴ありがとうございます。
失礼ですが、誤解されています。
「伏せ字」というのは辞書によると「印刷物で、明記することをはばかる箇所を空白にしたり、〇×などの印で表わしたりすること。」です。
私がこの作品を読んだ本では「✳︎✳︎✳︎」になっており、私が読みたくとも読めません。なんと書いてあるか私もぜひ知りたいし、書いてあればもちろん読みます。
ありがとうございます。
誤解しておりました。
誤解がとけてよかったです😊
思想の弾圧遠い昔のことでは有りません。平和な社会が続くことを願っています。朗読有り難うございました。
多喜二の作品は、何本か読みました。「母たち」は、活字で読んだことが無く、大変な誤ったコメントをしてしまって申し訳ありません。
そう言えば彼の作品には、伏せ字が多かったのを思い出しました。深く反省しております。
目を悪くして、朗読を聴く事が多くなっている古稀です。他の作品も是非お願いします。
著作権の関係があるでしょうが、三浦綾子の作品もあなたの朗読で聴きたいと思います。
多喜二の関連では、「母」はどうでしょうか。
多喜二の遺体を囲む同志の写真が忘れられません。
お母さんの嘆きも。