Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
自分はこんな壮絶な物語があったとは思いませんでした。涙を流しながら最後まで見ました。素晴らしい動画をありがとうございました。
@@れお君-r4l こちらこそありがとうございます。音のない世界に最後は生きることになったクララの哀しみは言葉がありません
こんなに長い間、このように思いやりと誠実さにあふれた友人関係があるでしょうか。大げさでなく感涙にむせびながら視聴しました。胸がいっぱいです。辛うじて写真のある時代、もうちょっとお二人が長生きしてくれたら本人演奏のレコードなども出来たかもしれない。他の方もおっしゃるように、クララの演奏を聴いてみたかったです…
あと10年生きてくれたらもう少し鮮明な演奏が残っていたでしょうね。
常に苦悩と喜びが同居していたクララ。恐らく何処であろうが、彼女が登場するところは空気が引き締まったことでしょう。ブラームスとの音楽的見解や解釈は古今東西、芸術界と音楽界では宿命のようなものですね。おそらくどちらも正しくもあり、お互い尊敬しあっている仲ですから、どうやって妥協点を見つけ謙譲するかの葛藤だったと思われます。一流の人生を過ごし超越した人は。死は予感できるものですね。
>クラッシックガスキーさん晩年になっても写真からは楚々とした佇まいと美しさが伝わってきますね。初稿版の出版には賛否あったのでしょうが、自筆譜しかなければ、その後の世界大戦で失われていた可能性もあり(出版されてればどこかで生き残ります)、一定の意義はあったのだろうと思います。ブラームスは日露戦争が始まったとき、大方の見方に反して日本勝利を予想し、その後の三国干渉まで予言してるそうなので、先見の明があったのだろうなと思います。
>Erika Sonoさん、詳しい追加情報ありがとうございます。ブラームスは初稿にこだわる癖があるんですかね?自分のは初稿やスケッチは燃やしてしまったというのに。
@@クラシック音楽奇譚 丁寧なご返信ありがとうございます。いつもあんな年の差の離れたクララとブラームスがお互い尊敬し合えたのか不思議だったのです。男女の仲というより、どこか音楽家としての尊敬が常に勝っていた気がします。それだけ尊貴な音楽性を共に共有していて、立ち入らざるべき聖域だっのと感じていたのでしょうね。ブラームスの音楽的卓見性は日露戦争の意味さえ知り得たのかと驚きです。私自身も日露戦争の世界的意義と明治人の気概に迫りたいと思っていたものですから。初めての情報提供ありがとうございます。日露戦争の勝利はフィンランド、ポーランド、トルコやアジア諸国及びアフリカ諸国に与えた衝撃は大きく、自信を持たせるきっかけともなりましたね。
@クラッシックガスキー日露戦争…あれ年代がおかしいぞ、と調べ直して、日清戦争と取り違えたことに気がつきました!出典はブラームス回想録集3(音楽之友社)の189ページです。
19:33 19:33 @@クラシック音楽奇譚
クララの演奏を聴いてみたかったですね…
あと10-15年生きてくれてたら残ってたかもしれませんね
胸にじ~んときました。もうこれ以上は書けないです。。。
ブラームスの「4つの厳粛なる詩」をクララの最晩年と照らし合わせて聴いてみてはじめて、この作品の持つ意味が理解できたように思いました。
お話を聞いて感動しましたー
ありがとうございます!
「おお~Brahms!」Yeah! I would feel their friendship is veryvery beautiful forever! (91歳ポンコツ爺)
I totally agree with you.
クララシューマンとブラームスを考える時、芸術家の孤独や自由を噛みしめます。ブラームスは興味ある存在です。まだまだ彼らを批評することは出来ません。
まだまだ彼らを批評することができない、というお言葉、私もよくわかります。
13:11 ごろの歌手生命の字幕が歌手声明になっている。訂正済みの場合は失礼をお許しください。
ご指摘ありがとうございます。説明欄に訂正を出しておきました。
ブラームスイケメンすぎ
同意です!
ブラームスのインテルメッツォの前にクララの部屋から聞こえてきたバッハの曲が何であったか知りたいですね。
ほんとに、そうですね!
自分はこんな壮絶な物語があったとは思いませんでした。
涙を流しながら最後まで見ました。
素晴らしい動画をありがとうございました。
@@れお君-r4l こちらこそありがとうございます。音のない世界に最後は生きることになったクララの哀しみは言葉がありません
こんなに長い間、このように思いやりと誠実さにあふれた友人関係があるでしょうか。
大げさでなく感涙にむせびながら視聴しました。胸がいっぱいです。
辛うじて写真のある時代、もうちょっとお二人が長生きしてくれたら本人演奏のレコードなども出来たかもしれない。
他の方もおっしゃるように、クララの演奏を聴いてみたかったです…
あと10年生きてくれたらもう少し鮮明な演奏が残っていたでしょうね。
常に苦悩と喜びが同居していたクララ。恐らく何処であろうが、彼女が登場するところは空気が引き締まったことでしょう。ブラームスとの音楽的見解や解釈は古今東西、芸術界と音楽界では宿命のようなものですね。おそらくどちらも正しくもあり、お互い尊敬しあっている仲ですから、どうやって妥協点を見つけ謙譲するかの葛藤だったと思われます。一流の人生を過ごし超越した人は。死は予感できるものですね。
>クラッシックガスキーさん
晩年になっても写真からは楚々とした佇まいと美しさが伝わってきますね。
初稿版の出版には賛否あったのでしょうが、自筆譜しかなければ、その後の世界大戦で失われていた可能性もあり(出版されてればどこかで生き残ります)、一定の意義はあったのだろうと思います。ブラームスは日露戦争が始まったとき、大方の見方に反して日本勝利を予想し、その後の三国干渉まで予言してるそうなので、先見の明があったのだろうなと思います。
>Erika Sonoさん、
詳しい追加情報ありがとうございます。
ブラームスは初稿にこだわる癖があるんですかね?自分のは初稿やスケッチは燃やしてしまったというのに。
@@クラシック音楽奇譚 丁寧なご返信ありがとうございます。いつもあんな年の差の離れたクララとブラームスがお互い尊敬し合えたのか不思議だったのです。男女の仲というより、どこか音楽家としての尊敬が常に勝っていた気がします。それだけ尊貴な音楽性を共に共有していて、立ち入らざるべき聖域だっのと感じていたのでしょうね。ブラームスの音楽的卓見性は日露戦争の意味さえ知り得たのかと驚きです。私自身も日露戦争の世界的意義と明治人の気概に迫りたいと思っていたものですから。初めての情報提供ありがとうございます。日露戦争の勝利はフィンランド、ポーランド、トルコやアジア諸国及びアフリカ諸国に与えた衝撃は大きく、自信を持たせるきっかけともなりましたね。
@クラッシックガスキー
日露戦争…あれ年代がおかしいぞ、と調べ直して、日清戦争と取り違えたことに気がつきました!
出典はブラームス回想録集3(音楽之友社)の189ページです。
19:33 19:33 @@クラシック音楽奇譚
クララの演奏を聴いてみたかったですね…
あと10-15年生きてくれてたら残ってたかもしれませんね
胸にじ~んときました。もうこれ以上は書けないです。。。
ブラームスの「4つの厳粛なる詩」をクララの最晩年と照らし合わせて聴いてみてはじめて、この作品の持つ意味が理解できたように思いました。
お話を聞いて感動しましたー
ありがとうございます!
「おお~Brahms!」Yeah! I would feel their friendship is veryvery beautiful forever! (91歳ポンコツ爺)
I totally agree with you.
クララシューマンとブラームスを考える時、芸術家の孤独や自由を噛みしめます。ブラームスは興味ある存在です。まだまだ彼らを批評することは出来ません。
まだまだ彼らを批評することができない、というお言葉、私もよくわかります。
13:11 ごろの歌手生命の字幕が歌手声明になっている。
訂正済みの場合は失礼をお許しください。
ご指摘ありがとうございます。
説明欄に訂正を出しておきました。
ブラームスイケメンすぎ
同意です!
ブラームスのインテルメッツォの前にクララの部屋から聞こえてきたバッハの曲が何であったか知りたいですね。
ほんとに、そうですね!