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私は広東人です、客家人の定義は最低でも客家語ができるとう思えます、だけどそれでも定義があやふやです。例えば私自身、父側の母語は広東語、母側の母語は客家語、私は無論二つの方言もできる、だけど自分が客家人であるかどうかにも疑問がある。それに客家人たちの間にも結果大きいの違いがある、私は広東南部出身、大学時代は広東北部出身の客家人ルームメイトがいるだけど。私たちが客家語を使う場合はほぼコミュニケーションが出来ない、私の客家語は彼に対しては方言の方言みたいの物だ😂。
地域差が大きい言葉も
日本のアイヌの民も同様でアイヌ語どうしは通じ無い。
作为一个四川人,成年后在族谱仔细寻找后才明白,自己的父系祖先大概率就是客家人。一方面,我这个姓(谢)早在春秋战国就开始南迁,在魏晋时间短暂繁盛了一段时间,除此之外历史上几乎这个姓的出名的人,即使如此,姓氏人口也能在全国排24,在大陆外如台湾排名更靠前,让人意外。另一方面,如果单独拧出来,恐怕客家人里谢姓占比应是更突出。在学习日语的时候,突然想到我的母语里有“咯个”这样的指示代词,这应该是出自江西客家话“里格”,是日语里的それ一样的第二性指物代词(类比于第二性的人称代词)。为啥谢姓在中国历史上少有名望,我认为有两个原因。一是姜姓谢氏故地在南阳,楚国灭国后就开始南迁,所以无法参与关陇集团的政治活动,二是科举出现后,因为名额有限,“土著”想方设法阻止客家人参加科举,故客家概念由此不断被强化,从他称变为了自嘲。至少我认为我们四川的抄着一口赣普夹川普的人实际上也是客家人。
然后我是邓小平那儿的人
@@sualarveen1069 具体到个人上当然是可以看认同感,我只是说统计上不能把你这种算上。民族本身就已经是个抽象概念,客家人还只是汉族的一个分支。反正我其实不太在意这类问题,平时也是看人下菜,遇上说广东话的我就是广东人,遇上讲客家的我就是客家人,潮汕话我也会点,偶尔还能跟潮汕人装下老乡。族谱往上查个几十代,谁都掺点外地的血,如果把你这类也算上的话全国都是客家人了。
大学で第二外国語を中国語にしていたのですが、中国語クラスがいくつかあった事・講師が事故負傷でやむなく途中交代した事・自分が休学して2年ほど離れていた事で、結果的に、1,北京大学出身・生まれも育ちも北京の北方系超都会っ子2,生粋の上海出身・阪大卒、以後ずっと大阪在住3,カリフォルニア生まれバンクーバー育ち・中国の大学出身(どこか失念)客家系3世・国籍はアメリカ4,蘇州近郊出身客家系・浙江大学出身と、非常にルーツバラバラな4名の講師にご教授いただきました(苦笑)それぞれ、授業以外の雑談がとても興味深かったです。特に3,4の講師、ともに客家系でありながら、本国に居続けた客家と2代前にアメリカに渡った客家でかなりアイデンティティやマインドの違いがあったり、色々考えさせられました。
魯迅が「客家はとにかく何でも干物にする」と書いたのも,移住先の人たちとの軋轢や地域的・国家的な戦争からの避難や逃避に備えて保存食を備えることだったんだなぁと,納得いきました.
近代区切りだけど日本の各中華街も福建系客家ですよね。アメリカ、イギリス、ブラジル、カナダと現在も拡大し続けてるのが凄い。世界大戦あっても客家系は何処かの国に逃げられて即意思疎通ができる状況というのは何度となく存在した戦乱からの避難が培った客家の生存戦略とも考えられる。中国本土を含めると広東語話者は一億二千万人で日本の総人口とほぼ一緒。鳥人間さん通史面白かったです。
客家出身の中国人と談じた時に、学校では北京官話を習い、町では広東語で、地元集落では客家語で話すと聞きました。個別の漢字について3つそれぞれで発音するのを幾つか繰り返してもらった中では、客家語が最も日本の音読みに近いと感じました。その時は中原起源説もむべなるかなと感じたものです。
客家は中国のユダヤ人と呼ばれる事もありますが、いつ定住地を奪われるか分からない集団にとって、土地や財産はいつ奪われるか分からないものであり、唯一奪われないものが個人が身につけた知識や能力であるという認識が、共通してたんですね。
客家に限らず、広東人や福建人などの漢人のサブグループや中国語諸方言がどう成立したかというのは非常に面白いテーマです日本語で読めるものだと『方言と中国文化』(光生館)がおすすめです
自分は日本人なのですが、妻が中国人の客家です。彼女は広東客家なのですが、現代では客家人という統一的なアイデンティティよりも地域毎にコミュニティが分かれつつあるようです。具体的に言えば臺灣の蔡英文総統も同じ客家なのですが、妻と蔡英文総統が客家人という共通のアイデンティティを持ってはいないでしょう。臺灣のTVでやっている客家語放送を妻の妹に聞かせたところ、「だいたいの意味は聞き取れるけどだいぶ違いが大きい」との事でした。中国大陸内部でも広東客家、福建客家、江西客家…などで文化はかなり違うようです。それでも妻の姉妹のうち同郷人同士で結婚した子が2人、我が妻含めそうでないのが2人ということで、広東客家内部の結束は固いようです。
中国本土(台湾と大陸)に限らず、マレーシアとかシンガポールといった中国人が社会を主導する東南アジアの国では広東と福建出身の人が多かったので、中では客家人も多かった
でも国が焼けるような何かがあったら客家のつても頼るでしょ?焼け出された客家がいたら心苦しくは思うでしょ?そういうことよユダヤ人とおんなじ
司馬遼太郎が、彼の著書『街道をゆく』シリーズ-台湾紀行で、客家についてこう言及しています。「客家は現実を直視する、と言われている。同時に気性激しく、漢民族的現実主義から離れ、宙空ににある自分の視点を頑固にまもるともいわれている」こう書かれていることから、客家は文化人類学的には大変興味深い集団です。
ふしぎ発見!で観たなぁ~。まじめで勤勉、独特な文化をもっていて保守的なのかと思いきや、割と考え方は柔軟で向上心が強いっていうふしぎな人々。現地民説が優勢であるようですがどちらにせよ、より良い明日を求めてずっと動き続けていた人々なんだなぁ。客家の人々が辿って来た道のりにロマンを感じずにはいられません。
自分も子供の頃にこれを見てあの丸い家がずっと記憶に残りましたね。
客家を取り上げていただき、ありがとうございます。昔から、客家はずっとわたしが厚い関心を持っている分野です。自分語りになってしまいますので、多くはお話しできませんが、ここで確実に言えるのは、客家という存在がわたしのアイデンティティとも密接に関わっていることです。客家を真面目に紹介する動画が上がり、本当にうれしく思います。
ガタッ その話、もうちょい詳しく(関心あり
そんなに隠すことじゃないだろ
昔、NHKで円形住宅に住んでいる客家のドキュメンタリーを見たことがあるが、その中で今も印象に残っているのは、マダカスタルで成功したこの村出身の男性が、息子の嫁探しに来てた事だ。 その男性は「やはり嫁は故郷の女性がいい」と言って探していた。(彼がいいと思った女性には断られていたが)
ありがとうございます!
ご支援いただき、感謝感激雨霰でございます~!!いつも大変励みにっております~~~!!
客家の人が多い台湾のMRT(地下鉄)では客家語のアナウンスもありますね。私の中国語の先生は台湾出身の客家の方で素晴らしいインテリです。
大人に置き去りにされて追いつけるくらいの根性があるなら、その子、連れて行かずともついて来させればよかったのに…なんてことを思ってしまいました汗 自分で詳しく調べてみます。
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!大変励みになります……!!
大学院の時に、建築の歴史研に所属しており調査に福建土楼を見に行きました。観光地化したものも多いですが、現在でも普通に暮らしているところもありました。入口に家系図があり、奥に宗廟があり、一族が100人単位で住む独特な建物にとてもワクワクした事を今でも覚えています。正円形の派生が多いですが、楕円や、四角のもの、地形の段差を利用して段々になっているものなど形としても見ていて面白かったです。文化的な側面で勉強できるこの動画を見れて、さらに客家を好きになれました。
凄く真面目に見てたせいか突然の「まだがすかるぅ!!」でガチで紅茶を吹きました(ペンタブがどえらいことになりました)いつも本当に為になり面白い動画をありがとうございます
客家といえば料理も特徴がありますよね。調べたら腹が減ってきました
Thanks!
ご支援感謝!感激!雨霰!!いつも励みになっております!
杜甫もかつては叔母に育てられて、杜甫の方を懸命に養育して実の子を死なせてしまう話を読んだことがあります。それで杜甫は成人して叔母の面倒を懸命に看たとか。中国人は、この類の話が好きみたいですね。
個人や民族以外の集団にスポットを当てた説明は面白かったです。同じような形で、青幇(チンパン)、紅幇(ホンパン)などの幇について説明してほしいです。
客家の方々がどう考えて何を誇りとしているのか分かりませんが(各地域でも、個人個人でも、それぞれ違う事でしょう)、外野である自分には、「中原起源であれ土着の南方系であれ、独自の文化を今に至るまで保ち、契機はどうあれ各国に英雄や偉人を送り込んだ集団であることは間違いのない事実で、それだけでも『私は客家です』と堂々と言えるって素晴らしい財産だよね」と感じます。
今回もおもしろかったです
終了1分前に中原起源説ひっくり返す魔理沙すこというか今は土着起源説が主流だと思うのでそちらの解説もお願いします
主流观点是各时代周边地区(江西、浙江、湖南)因战争及税收政策影响逃进山林中与当地土著融合产生的族群,生活生产方式及文化都具有浓厚的土著特点。直到清代之前,现今客家地区多数人口都不在政府的户籍统计之内,是不受王朝律法庇护的边缘族群。
現在は主に台湾で生活しており、時々客家の人々が多く住むと言われる新竹や苗栗などの地域に行くことがあります。客家料理の中でも、梅乾扣肉という豚肉料理は特におすすめでご飯に合います。
アジア初の共和国とも言われてる蘭芳共和国も客家出身の人が建てた国家ですね
鄧攸の話し、知りませんでした。 確か鄧小平氏も、御子息が文化革命時に暴行を受けて、半身に重い後遺症を負った為、仕事の合間をみては介護を行っていたと、聞いた事があります。私は、「客家」中原から移住してきた人々説の方が割としっくりくるんじゃないかと感じました。不撓不屈の客家の人々の歴史を知れて面白かったです。
とても勉強になりました😊ありがとうございます!家の近所に、ごく普通の町中華屋さんがあって『客家楼』と看板が出ていますが、その店名にも店主の思いが込められていたことに思い至りました。
黄巣の話イイですね
清朝は万里の長城を越えて北方に漢族が移住することを禁じていましたが、末期には万里の長城を越えて現在の黒龍江省、吉林省、遼寧省、内モンゴル自治区に漢族が移住するようになりました。現在では漢族が多数派になってます。客家とは異なりますね。
最近なんですよね、東北や北への進出が。
確かに、これは東洋のユダヤ人かもしれんな出身メンバーが強すぎる
囲屋のデザインめっちゃ好き
洪秀全に「イエスの弟」というルビを振るのは草ですね。「中原起源説」と「土着起源説」が並立しているのが興味深いですね。長い時の重ねた人の移動や通婚で血が交わったこともあったのでしょうから、ある意味両方とも正解なのかもしれませんが。
キャラバン生活していくうちにキャラバン内で独自の文化を持ち始めて、その文化というのも「流れ者として持ち合わせておかなければならない知恵」の果てなんですね。
黄巣のエピソード、ユダヤ人の過越祭に似ててビックリした。
古い時代の話とされるほど 実は最近作られた話であることが多いと言いますから 西洋文化に触れた中国人が創作した可能性もありますね
宋氏三姉妹も客家だよね。まだ纏足が廃れる前の世代だけど、彼女たちの足がフツウだったことは、歴史的な写真を観ると確認できる。また伝統的に漢族には軍人を卑しむ傾向があったが、客家にはそれがなかった。そのため優秀な軍人を多く輩出したといわれてるね。
中国は人災で人の数が減り、日本は天災で人の数が減る。と聞いた事が有りますが、まさしくその通りなのだと思います。
客家語を母語として使用する人々を客家として定義すれば、それを捨てた/忘れた人々は客家でなくなります。しかしそれでもなんとかこじつけて「自分も客家だ」と自称したがる輩、特に政治家は大勢います。
後から追いつけるぐらいの健脚の子供なら、逃げ切れそうだな
从科学的角度来说,客家土著说才是比较符合真实的。不管是从语言还是基因,客家都与中原关系不大。按照史书的记载,中原南迁族群的首选目的地,也大抵是江西北部与江淮江南一带。客家的土楼建筑也没有采用北方中国常用的斗拱。族谱在中国南方 通过攀附的方式以提升家族地位也是通行的做法。我比较倾向于客家是在明朝中后期通过吸收汉人语言文化技术,快速壮大起来的一支南方内陆族群。
不知道你講的科學是什麼?大陸的復旦大學與台灣的馬階醫院與中研院都各自做過大陸與台灣的客家人基因研究,客家人民系的漢人基因比例很高,在北方與南方的各個漢人民系中是前幾名的,遠高於旁邊的廣府人與閩南人,央視的科教片就講客家話的亻厓被查證就是漢朝時的吾(我),河南衛視也播放客從河洛來的影片好多年了。客家人南遷一定會混合很多當地人,這就是族群融合的必然,但是民系主體起源已經被查證是北方中原來的,所謂南方土著起源早就被證實是以偏概全的亂講,與廣府或閩南那些是當地人佔主體把南遷北方人融入是不一樣的。
@@黃冠鈞-d6d 复旦大学的取样只在汀州一地,我不觉得只取一城的样本在统计上是科学的作法,而且那次统计是2003年的结果,二十多年基因技术已经有不少进步了。明明有更多更全更新的研究证明客家与畲族之间的关系。即使是按照史书或者南安府志这样的地方志,也有大量如何抚安新民(诸峒之人与之附合),起太传书院对土著进行汉化的描述。
@@waa-q5n 你沒看過YT上2018年復旦大學的嚴實的影片有更新過的基因報告吧?而且我也講了台灣的馬階醫院與中研院也做了台灣的客家人基因,結論是與復旦大學的結論符合。兩岸不同的學術團隊都作出了相同的結論,反而是你說的科學從那裡來的?我只能建議你放開心胸去多看並面對基因科學與語言學與歷史考證的結論,客家人已經被證實是北方中原南遷後融合了當地人,而閩南人與廣府人則是當地人漢化後融合南遷的北方人。
@@waa-q5n 而且畬族人不會講漢朝時的漢語,那些是從那來的?你講的畬族是原本住在閩南的漳州與潮汕,那是閩南人的祖源的一支。跑到閩粵贛地區的畬族是在明朝時融入客家民系的,都有人查證過了,你該去讀一下新資訊。
@@黃冠鈞-d6d 我刚才看了你所提的,但是苗瑶畲族群的y染色体本来就是与南方汉人的y染是高度一致的(侗泰族群则不同),你如果是只根据y染得出高比例的汉基因是很自然的事情。所以要在畲汉之间分别就不能只看y染,母系一支的线粒体也是要看的。况且宋以后各种地方文字资料都是无尽详细的,古人分不清少数民族间的区别很正常,但关于汉人的事,客家如何从赣南南下去做佃客,身份户籍的事,习武好讼,以至与官军的冲突都记载的很详细。我觉得官修的地方资料权威性至少比明末以来各家请人修的族谱要高一些。如果中原人南下然后以压倒性的人数取代一大片山区的少民,这种事在重视户籍的古代自然会有详细的记载。
真偽はともかく、客家のルーツについて客家自身が残した記録がけっこうあったのは初めて知りました…。(しかも文書。せいぜい「先祖は元々〇〇に住んでいて、△△の時代に戦乱から逃れて~」くらいの口伝くらいだと思っていた。)客家の起源には中原起源説と土着起源説があるみたいですが、一口に客家と言っても色んなルーツがあるみたいなので、両方ともあるんじゃないかと思います。(A地域の客家は中原からの移民の子孫、B地域の客家は土着民が他地域の客家文化の影響を強く受けた人たち、C地域は中原移民と土着民の混合…みたいな感じ。)客家は元々辺境の地に住んでいて、あまり表に出てこない存在だったのが、近現代になってその存在が大きくなった感じですね。やはり、価値観が大なり小なりすぐに変わりやすい近現代においては、客家みたいな教育熱心かつ反骨精神の高い人たちがいい意味でも悪い意味でも存在感が大きいんでしょうね。(あと、孫文や鄧小平、李登輝といった客家系の人で有名な人は若い頃とかかなりの苦労を経験しているように思う。客家は苦労人気質だった…?)
客家にも邪馬台国みたいな二大説の対立があるんですね。それにしても、太平天国の乱で反乱軍について清にいられなくなって海外へ出ていくとか「歴史は昨日の続き」であると強く感じられる回でもありました。
まさかこのテーマが取り上げられるとは意外でした。とても興味深く拝見しました、ありがとうございます。1.次回は、現在の畲族のほとんどは、自民族語でなく客家語を話す「客家人起源的遗传学分析(少数民族が客家に同化)」と 劉鎮發氏の『客家- 誤會的歷史、歷史的誤會』をベースにした客家人「土着起源説」をお願いします。2.台湾人(本省人)から昔は、客家人は、福建系の人たちから「あいつらはずるくてウソつなので要注意」と差別をされていたと聞いたことがあります。3.台湾の8割以上を占める大部分の本省人の平地原住民=熟蕃(平埔族)起源説を取り上げて欲しいです。
我が子を縛り付けて逃げるってどうなんだろ悲惨なのは確かなんだろうけど、自分で歩けるならそのまま連れていけばいいじゃないかと思ってしまった
つまりは…人柱
大東亜戦争後、自分の子供を置いて満州から必死に逃げてきた日本人達と同じだよね。
@@manekineko0912 漢の初代皇帝劉邦でさえ、建国前、負け戦で逃亡中に、追っ手が近づいているからと言って、二人の我が子(正妻の子)を車から下ろして、車を軽くしようとした(家臣がその度に子供達を拾っていた) 後に皇帝になる男でさえこれだから。
@@鶴見五郎丸満洲にいた日本人の母親が子供を連れて足がボロボロになるまで必死に南に逃げて、朝鮮の農家に匿ってもらったって話は聞いた事あるけど(藤原正彦さんの実体験)、わざわざ子供置いて逃げたなんて話聞いた事ないよ。ソースどこ?
@ 中国残留孤児を知らないの?
神回でした!鳥人間さんに感謝!
アキノ大統領一族も福建系客家の一派だったそうですね。
中原起源説に沿って客家を見てると、ファンタジーでたまに出てくる「遠い昔に滅びた古代文明の末裔たちが暮らす隠れ里」を連想しました。
何時外敵に襲われるか解からない客家は、御飯の上に菜(オカズ)を乗せて食べる、丼料理の祖となったとの説が有る。薄切豆腐で餃子の具を挟み、蒸した料理が有るが、華北出身の客家が小麦粉の餅の代りに豆腐を用いたとの説が有る。一種の城塞である客家の住居は、解体した建築材を持って逃げ出せる様になっており、新天地での再建が容易です。円形に構築した集合住宅が、外壁を内側から支えており、外敵の物理的攻撃を凌いでいたと見られる事も特筆すべき。
カンフーとかの歴史もやって下さい。
葛藤坑って蘇民将来や過越の祭りと同じフォーマットだねぇ
なかなかのお話でした!
きゃー!こういうのちょーすき!!
5:20 械闘!械闘をテーマにたぶん動画一回分作れるんじゃないでしょうか?
人の往来がスムーズになると、文化の独自性は薄れていき同じようなものに落ち着くからねぇ
中原から避難してきてその血脈を残した人、土着民と結婚して統合した人、先祖がそれなり偉い人だった客家の系図を裕福な土着民が買って自分がそのかつての○○将軍や宰相△△の子孫を称したりとかも有るのかなぁ。(坂本龍馬の家も郷士株を買って士分になったり、両班でも没落し食い摘めた人が系図を売ったりとかも有るし。)
2:35 これ見て思ったのが数字の読みがよく似てる(共通している)と言われる朝鮮語以上に日本語に似ていると思った
year of the dragonという映画でChinese Mafiaの通話を警察の依頼で翻訳していたシスターが「客家語は久しぶりに聞いた」と言っていたような…映画の中の話
客家の住居である土楼が、アメリカにミサイルサイロと勘違いされてたのは有名な話ですよね
客家の事跡を見ていると、何らかの職能集団のように思えるのだが。移住しても農耕社会では簡単に土地を融通しては貰えないので、やはり何らかの特殊スキルを持っていないと、移住先に浸透するのは難しかろう。逆に考えると、そういった職能集団の「移動」を「客家」の「移住」とゴッチャにしている可能性もある。冶金や土木建設の能力を持っていれば、それ程土地には縛られず行動できるものだ。
意味が全く違うけど、春秋戦国時代必須の食客の由来と有名無名な歴史の人たちについても語りつくしていただきたい。
きゃ・・・客家🤐インテリ層の事かと思ってたら、そういう文化を持つ集団だったんですね
戦乱を避けた人々が荒れた土地を開拓していくという方がストーリー的には美しいかもまあ起源はどうあれ教育を大事にして改革を引っ張った人々ということは押さえたいですね
自分は日本人で、妻が広東客家です。妻の親族達は皆客家語で話します。自分は北京語、広東語は会話ができるのですが、客家語はなんとなく少し聞き取れる程度です。客家語は統一された「標準客家語」というものがなく、妻曰く「台湾の客家達が話す客家語は意味は聞き取れるけどだいぶ違う」とのことです。自分の中では客家は「中国のクルド人」という印象です。現在は広東、福建、江西の各省に分かれていますが、仮に「客家省」というのがあれば充分一つの省として成り立つでしょうね。ただ客家といっても各地で風習や喋る言葉がかなり違い、現在トルコなど3カ国で言語、文化がかなり分化しているというクルド人ににていると思います。
台湾行った時に空港で客家差別をやめよう見たいな広告見たけどこれのことやったんや
中国の円形集合住宅で思い出すのは、チャウ・シンチーのカンフーハッスル。なるほどあの砦に住む各達人らはみんな客家だったのか。
日本各地の平家落人伝説地区には何かしらの伝承の遺物が残されているらしいのですが、時代的には疑問符のつく物がほとんどだそうです。まあ住民の方々にとっては信仰の対象ですし、一々検証するのも野暮かもしれませんね。
やはりあの丸い家
今回は特に興味深く拝見しました。私の連れ合いの職場には中国から働きに来た人が多く、その話も時折耳にします。皆さん働き者で上昇志向の方だそうです。今回の動画を拝見していたら、連れ合いの職場の中国人の皆さんの印象と重なる部分が多く感じられました。連れ合いにもこの動画を勧めます。
追記。漢文の勉強をしていたらよそ者の意味で「外人」と云う言葉が出てきました。同じよそ者でも「客家」と「外人」では受ける印象が些か異なります。まるっきりの異民族扱いされる訳ではないけれどよそ者。日本に於ける部落問題にも似たものを感じ、余計に遣る瀬無くなりました。
自分の血筋じゃなくて兄弟の血筋を遺そうとするのが美談になるの昔はそういう価値観だったんですかねー
自分はまだ生きてるから子供を作れるからね
兄と妹ですから、兄が直系の家系。兄の子は(自分の実家の)直系の子。それも最後の子。そのせいでしょうね。姉と弟でも、男系相続ですから弟の血筋の方が上位。「妹」にとって、自分の産んだ子は、自分の嫁ぎ先の子。自分の夫が自分の嫁ぎ先の長男であれば、この話の「妹」にとっては我が子も嫁ぎ先の直系の子になるので、どっちを優先するのか葛藤があるはずで…その話題が出ないということは、夫は嫁ぎ先でも次男以下あるいはそもそも夫の親も分家で独立してはおらず、嫁ぎ先の一家には後継ぎとなる男子が別に少なくとも一人はいる(=少なくとも自分が産んだ子は後継者ではない)という設定でしょう。直系(宗家)の継いでいく「血」には、「(先祖)祭祀の継承」が含まれます。つまり実際のDNAやそれに伴う家「名」だけじゃなく、霊的な断絶をさせてはならないという、宗教的な意味合いです。いまよりはるかに、宗教・霊的なものの力を重要視していて本気で信じていて、直系にはそれを継承し子孫にバトンタッチすることが義務とされていた時代ですから…。美談というより、使命感?義務?そんな感じだと思います。
墨家みたいなもんかな。諸子百家時代に生まれた思想は今も息づいてるのかな
客家の人々は、中原と土着の起源説、両方ともあり得ると思う。
まってた
もしかすると三国時代の山越が歴史の流れに消え去った後に彼らがいたエリアに定住するようになったのかもしれない。それにしても、あのロールハウスはどうやって建てたのだろう。
台湾も苗栗に客家多いで、後、客家語テレビがある。昔、「みなみけ」を客家語で放送してたけど、台湾の標準中国語と全然違って聞いててちんぷんかんぷんやった。
客家について初めて知ったのは魔人学園の劉弦月
意外と誤解されがちですが、秘密結社で知られる洪門とはあまり関係ないんですよね。洪門と客家を結びつけて考えている俗説も多く見られますけれども、直接的な因果関係はありませんし。
土地土地に民族・部族よって独自の言語を使っていたというのは大陸に限らず日本の方言でも似たような話はある。余所者からすると土地の人間の会話は理解しきれないし、地域特有の常識の有無で帰って来た身内か外来者を判断したりもした。現在でも地方出身者が地元の訛りで話しかけられると、偏屈で知られた人が驚くほど流暢に話したりする。客家が教育熱心と言うのは、自分たちが独自の言語で会話しているから、普通話(北京語、現地語)で話す時とちらないようにってことだろう。結果として学を深めてインテリとなり出世する。
曹操「客家の道筋はワイが育てた。徐州から大移動させたんや」(阿瞞)
本当にユダヤ人のような境遇の民族だあ(感心)
客家は今敏の未完の漫画セラフィムで重要なファクターだった。
南の方が米が生産できるようになって、中原より生産性の高い南方が文化の中心になったのでしょうね。
ありがとう。しりたかた
こんばんは。今日はロシアが誇る国立アレクサンドリンスキー劇場かあ。出来てからもうすぐ200年だっけ。素晴らしい。客家特集ですか。霊夢、それはハッカーw私も少数民族だと思ってた。そうじゃなかったのね。それだけでも勉強になった。福建土楼は独創的で特徴的な建物だよねえ。どうしてこんな建築様式になったんだろうって思ったもんだった。李登輝元総統も客家だったのかあ。知らんかったなあ。優秀な人が多いのかね??ちょっと客家ししないw鄧小平氏が客家だったのは何故か知ってった。アパートの2階に住む大学生のあんちゃんが教えてくれたっけ。ほうほう晋の時代に中元から南に移った人なのねえ。葛根湯じゃなく葛藤抗ww反骨心かあ。いざとなったら血の気が多い倍返し上等な人々だったのかなあ?ジオン公国は客家が作った?wwなる幌、まだまだロマンの残ってる人々と。いい勉強になりました。ありがとうございます。
客家だけじゃなく長安の人々にも優しくしていたら⁉️悲惨な末路を遂げずにすんだのにな⁉️黄巣
いや、自力で追いついて来たのなら、ついて来られるところまでは連れてってやれよ、と何も木に縛り付けてまで置いてくことないじゃん
数字の発音に関しては北京語が異質に見える
客家と聞くと東京魔人學園の劉弦月が思い浮かぶ。
友達になろう!!
もう20年以上も続編を待ってます。
客家の歴史は2世紀にローマに滅ぼされ離散し以降各地で迫害され続けたユダヤ人と同様に強烈な仲間意識と独自の連絡網が形成され辛抱の果てに現代の有力者へと進化した印象
え? 不思議なくらいに発音近Σ(@_@;) 日本 →客家語 →北京語1 いち →イッ →イー2 に →二ー →アール3 さん →サム →サン4 し →シー →スー5 ご →ウン →ウー6 ろく →ロック →リュー
治安が悪くなってきた時に誰が「やばい!」と思うか、思ったとして逃げる資本があったかどうかは現代の誰にも分らない。
中国義侠ドラマのイメージがあるんですけど。あるいは暗殺軍団とか傭兵とか。
ガイアナの初代大統領となったアーサー・チュンも客家系。
移民は後世で偉業を残す人が多いのはやはり適応のために優れた技術が必要となるからかな
東洋のユダヤ民族にもなぞらえられる客家。昔は日本人がユダヤの失われ十支族の末裔だという日ユ同祖論を語る人がいたけど、日客同祖論を唱える人も出てきたりして。
あの円形の集合住宅は実はあまりないとそうです、客家といえばあの集合住宅ですがあまりないと聞いて驚いたことがあります。あと何故か客家を知らないで中国はどうとか語る人が多いですが中国を語るうえで欠かせないことの一つでしょう。
タクシンと李登輝が客家出身と聞いた時は驚いた。孫文は太平天国の勇姿を見て中国の民主化を夢見たという話を聞いたことがある。
はっかっかー、るっぱっぱ、ドーンと黄桜ぽんぴりぴ♪
円形の家は、大阪万博の建物ににている。浸透されてるのか?
ガハハ!!
白い猫でも黒い猫でも鼠を取る猫は良い猫だ、の名言を発した副主席だった鄧小平は客家出身 おそらく先祖は越国者であろう?江南国家呉と覇権を争い呉越同舟の言葉を元になった越から南は越南、今のベトナム国
私は広東人です、客家人の定義は最低でも客家語ができるとう思えます、だけどそれでも定義があやふやです。例えば私自身、父側の母語は広東語、母側の母語は客家語、私は無論二つの方言もできる、だけど自分が客家人であるかどうかにも疑問がある。それに客家人たちの間にも結果大きいの違いがある、私は広東南部出身、大学時代は広東北部出身の客家人ルームメイトがいるだけど。私たちが客家語を使う場合はほぼコミュニケーションが出来ない、私の客家語は彼に対しては方言の方言みたいの物だ😂。
地域差が大きい
言葉も
日本のアイヌの民も同様でアイヌ語どうしは通じ無い。
作为一个四川人,成年后在族谱仔细寻找后才明白,自己的父系祖先大概率就是客家人。一方面,我这个姓(谢)早在春秋战国就开始南迁,在魏晋时间短暂繁盛了一段时间,除此之外历史上几乎这个姓的出名的人,即使如此,姓氏人口也能在全国排24,在大陆外如台湾排名更靠前,让人意外。另一方面,如果单独拧出来,恐怕客家人里谢姓占比应是更突出。在学习日语的时候,突然想到我的母语里有“咯个”这样的指示代词,这应该是出自江西客家话“里格”,是日语里的それ一样的第二性指物代词(类比于第二性的人称代词)。为啥谢姓在中国历史上少有名望,我认为有两个原因。一是姜姓谢氏故地在南阳,楚国灭国后就开始南迁,所以无法参与关陇集团的政治活动,二是科举出现后,因为名额有限,“土著”想方设法阻止客家人参加科举,故客家概念由此不断被强化,从他称变为了自嘲。
至少我认为我们四川的抄着一口赣普夹川普的人实际上也是客家人。
然后我是邓小平那儿的人
@@sualarveen1069 具体到个人上当然是可以看认同感,我只是说统计上不能把你这种算上。民族本身就已经是个抽象概念,客家人还只是汉族的一个分支。反正我其实不太在意这类问题,平时也是看人下菜,遇上说广东话的我就是广东人,遇上讲客家的我就是客家人,潮汕话我也会点,偶尔还能跟潮汕人装下老乡。族谱往上查个几十代,谁都掺点外地的血,如果把你这类也算上的话全国都是客家人了。
大学で第二外国語を中国語にしていたのですが、中国語クラスがいくつかあった事・講師が事故負傷でやむなく途中交代した事・自分が休学して2年ほど離れていた事で、結果的に、
1,北京大学出身・生まれも育ちも北京の北方系超都会っ子
2,生粋の上海出身・阪大卒、以後ずっと大阪在住
3,カリフォルニア生まれバンクーバー育ち・中国の大学出身(どこか失念)客家系3世・国籍はアメリカ
4,蘇州近郊出身客家系・浙江大学出身
と、非常にルーツバラバラな4名の講師にご教授いただきました(苦笑)それぞれ、授業以外の雑談がとても興味深かったです。
特に3,4の講師、ともに客家系でありながら、本国に居続けた客家と2代前にアメリカに渡った客家でかなりアイデンティティやマインドの違いがあったり、色々考えさせられました。
魯迅が「客家はとにかく何でも干物にする」と書いたのも,移住先の人たちとの軋轢や地域的・国家的な戦争からの避難や逃避に備えて保存食を備えることだったんだなぁと,納得いきました.
近代区切りだけど日本の各中華街も福建系客家ですよね。
アメリカ、イギリス、ブラジル、カナダと現在も拡大し続けてるのが凄い。世界大戦あっても客家系は何処かの国に逃げられて即意思疎通ができる状況というのは何度となく存在した戦乱からの避難が培った客家の生存戦略とも考えられる。
中国本土を含めると広東語話者は一億二千万人で日本の総人口とほぼ一緒。
鳥人間さん通史面白かったです。
客家出身の中国人と談じた時に、学校では北京官話を習い、町では広東語で、地元集落では客家語で話すと聞きました。
個別の漢字について3つそれぞれで発音するのを幾つか繰り返してもらった中では、客家語が最も日本の音読みに近いと感じました。その時は中原起源説もむべなるかなと感じたものです。
客家は中国のユダヤ人と呼ばれる事もありますが、いつ定住地を奪われるか分からない集団にとって、土地や財産はいつ奪われるか分からないものであり、唯一奪われないものが個人が身につけた知識や能力であるという認識が、共通してたんですね。
客家に限らず、広東人や福建人などの漢人のサブグループや中国語諸方言がどう成立したかというのは非常に面白いテーマです
日本語で読めるものだと『方言と中国文化』(光生館)がおすすめです
自分は日本人なのですが、妻が中国人の客家です。彼女は広東客家なのですが、現代では客家人という統一的なアイデンティティよりも地域毎にコミュニティが分かれつつあるようです。具体的に言えば臺灣の蔡英文総統も同じ客家なのですが、妻と蔡英文総統が客家人という共通のアイデンティティを持ってはいないでしょう。臺灣のTVでやっている客家語放送を妻の妹に聞かせたところ、「だいたいの意味は聞き取れるけどだいぶ違いが大きい」との事でした。中国大陸内部でも広東客家、福建客家、江西客家…などで文化はかなり違うようです。それでも妻の姉妹のうち同郷人同士で結婚した子が2人、我が妻含めそうでないのが2人ということで、広東客家内部の結束は固いようです。
中国本土(台湾と大陸)に限らず、マレーシアとかシンガポールといった中国人が社会を主導する東南アジアの国では広東と福建出身の人が多かったので、中では客家人も多かった
でも国が焼けるような何かがあったら客家のつても頼るでしょ?焼け出された客家がいたら心苦しくは思うでしょ?そういうことよ
ユダヤ人とおんなじ
司馬遼太郎が、彼の著書『街道をゆく』シリーズ-台湾紀行で、客家についてこう言及しています。
「客家は現実を直視する、と言われている。同時に気性激しく、漢民族的現実主義から離れ、宙空ににある自分の視点を頑固にまもるともいわれている」
こう書かれていることから、客家は文化人類学的には大変興味深い集団です。
ふしぎ発見!で観たなぁ~。まじめで勤勉、独特な文化をもっていて保守的なのかと思いきや、割と考え方は柔軟で向上心が強いっていうふしぎな人々。現地民説が優勢であるようですがどちらにせよ、より良い明日を求めてずっと動き続けていた人々なんだなぁ。客家の人々が辿って来た道のりにロマンを感じずにはいられません。
自分も子供の頃にこれを見て
あの丸い家がずっと記憶に残りましたね。
客家を取り上げていただき、ありがとうございます。昔から、客家はずっとわたしが厚い関心を持っている分野です。自分語りになってしまいますので、多くはお話しできませんが、ここで確実に言えるのは、客家という存在がわたしのアイデンティティとも密接に関わっていることです。客家を真面目に紹介する動画が上がり、本当にうれしく思います。
ガタッ その話、もうちょい詳しく(関心あり
そんなに隠すことじゃないだろ
昔、NHKで円形住宅に住んでいる客家のドキュメンタリーを見たことがあるが、その中で今も印象に残っているのは、マダカスタルで成功したこの村出身の男性が、息子の嫁探しに来てた事だ。
その男性は「やはり嫁は故郷の女性がいい」と言って探していた。(彼がいいと思った女性には断られていたが)
ありがとうございます!
ご支援いただき、感謝感激雨霰でございます~!!
いつも大変励みにっております~~~!!
客家の人が多い台湾のMRT(地下鉄)では客家語のアナウンスもありますね。
私の中国語の先生は台湾出身の客家の方で素晴らしいインテリです。
大人に置き去りにされて追いつけるくらいの根性があるなら、その子、連れて行かずともついて来させればよかったのに…
なんてことを思ってしまいました汗 自分で詳しく調べてみます。
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!
大変励みになります……!!
大学院の時に、建築の歴史研に所属しており調査に福建土楼を見に行きました。観光地化したものも多いですが、現在でも普通に暮らしているところもありました。入口に家系図があり、奥に宗廟があり、一族が100人単位で住む独特な建物にとてもワクワクした事を今でも覚えています。
正円形の派生が多いですが、楕円や、四角のもの、地形の段差を利用して段々になっているものなど形としても見ていて面白かったです。
文化的な側面で勉強できるこの動画を見れて、さらに客家を好きになれました。
凄く真面目に見てたせいか突然の「まだがすかるぅ!!」でガチで紅茶を吹きました(ペンタブがどえらいことになりました)
いつも本当に為になり面白い動画をありがとうございます
客家といえば料理も特徴がありますよね。調べたら腹が減ってきました
Thanks!
ご支援感謝!感激!雨霰!!
いつも励みになっております!
杜甫もかつては叔母に育てられて、杜甫の方を懸命に養育して実の子を死なせてしまう話を読んだことがあります。それで杜甫は成人して叔母の面倒を懸命に看たとか。
中国人は、この類の話が好きみたいですね。
個人や民族以外の集団にスポットを当てた説明は面白かったです。
同じような形で、青幇(チンパン)、紅幇(ホンパン)などの幇について説明してほしいです。
客家の方々がどう考えて何を誇りとしているのか分かりませんが(各地域でも、個人個人でも、それぞれ違う事でしょう)、外野である自分には、
「中原起源であれ土着の南方系であれ、独自の文化を今に至るまで保ち、契機はどうあれ各国に英雄や偉人を送り込んだ集団であることは間違いのない事実で、それだけでも『私は客家です』と堂々と言えるって素晴らしい財産だよね」
と感じます。
今回もおもしろかったです
終了1分前に中原起源説ひっくり返す魔理沙すこ
というか今は土着起源説が主流だと思うのでそちらの解説もお願いします
主流观点是各时代周边地区(江西、浙江、湖南)因战争及税收政策影响逃进山林中与当地土著融合产生的族群,生活生产方式及文化都具有浓厚的土著特点。直到清代之前,现今客家地区多数人口都不在政府的户籍统计之内,是不受王朝律法庇护的边缘族群。
現在は主に台湾で生活しており、時々客家の人々が多く住むと言われる新竹や苗栗などの地域に行くことがあります。
客家料理の中でも、梅乾扣肉という豚肉料理は特におすすめでご飯に合います。
アジア初の共和国とも言われてる蘭芳共和国も客家出身の人が建てた国家ですね
鄧攸の話し、知りませんでした。 確か鄧小平氏も、御子息が文化革命時に暴行を受けて、半身に重い後遺症を負った為、仕事の合間をみては介護を行っていたと、聞いた事があります。私は、「客家」中原から移住してきた人々説の方が割としっくりくるんじゃないかと感じました。不撓不屈の客家の人々の歴史を知れて面白かったです。
とても勉強になりました😊ありがとうございます!
家の近所に、ごく普通の
町中華屋さんがあって
『客家楼』と看板が出ていますが、その店名にも店主の思いが込められていたことに思い至りました。
黄巣の話イイですね
清朝は万里の長城を越えて北方に漢族が移住することを禁じていましたが、末期には万里の長城を越えて現在の黒龍江省、吉林省、遼寧省、内モンゴル自治区に漢族が移住するようになりました。現在では漢族が多数派になってます。客家とは異なりますね。
最近なんですよね、東北や北への進出が。
確かに、これは東洋のユダヤ人かもしれんな
出身メンバーが強すぎる
囲屋のデザインめっちゃ好き
洪秀全に「イエスの弟」というルビを振るのは草ですね。
「中原起源説」と「土着起源説」が並立しているのが興味深いですね。長い時の重ねた人の移動や通婚で血が交わったこともあったのでしょうから、ある意味両方とも正解なのかもしれませんが。
キャラバン生活していくうちにキャラバン内で独自の文化を持ち始めて、その文化というのも「流れ者として持ち合わせておかなければならない知恵」の果てなんですね。
黄巣のエピソード、ユダヤ人の過越祭に似ててビックリした。
古い時代の話とされるほど 実は最近作られた話であることが多いと言いますから 西洋文化に触れた中国人が創作した可能性もありますね
宋氏三姉妹も客家だよね。まだ纏足が廃れる前の世代だけど、彼女たちの足がフツウだったことは、歴史的な写真を観ると確認できる。
また伝統的に漢族には軍人を卑しむ傾向があったが、客家にはそれがなかった。そのため優秀な軍人を多く輩出したといわれてるね。
中国は人災で人の数が減り、日本は天災で人の数が減る。と聞いた事が有りますが、まさしくその通りなのだと思います。
客家語を母語として使用する人々を客家として定義すれば、それを捨てた/忘れた人々は客家でなくなります。しかしそれでもなんとかこじつけて「自分も客家だ」と自称したがる輩、特に政治家は大勢います。
後から追いつけるぐらいの健脚の子供なら、逃げ切れそうだな
从科学的角度来说,客家土著说才是比较符合真实的。不管是从语言还是基因,客家都与中原关系不大。按照史书的记载,中原南迁族群的首选目的地,也大抵是江西北部与江淮江南一带。客家的土楼建筑也没有采用北方中国常用的斗拱。族谱在中国南方 通过攀附的方式以提升家族地位也是通行的做法。我比较倾向于客家是在明朝中后期通过吸收汉人语言文化技术,快速壮大起来的一支南方内陆族群。
不知道你講的科學是什麼?大陸的復旦大學與台灣的馬階醫院與中研院都各自做過大陸與台灣的客家人基因研究,客家人民系的漢人基因比例很高,在北方與南方的各個漢人民系中是前幾名的,遠高於旁邊的廣府人與閩南人,央視的科教片就講客家話的亻厓被查證就是漢朝時的吾(我),河南衛視也播放客從河洛來的影片好多年了。客家人南遷一定會混合很多當地人,這就是族群融合的必然,但是民系主體起源已經被查證是北方中原來的,所謂南方土著起源早就被證實是以偏概全的亂講,與廣府或閩南那些是當地人佔主體把南遷北方人融入是不一樣的。
@@黃冠鈞-d6d 复旦大学的取样只在汀州一地,我不觉得只取一城的样本在统计上是科学的作法,而且那次统计是2003年的结果,二十多年基因技术已经有不少进步了。明明有更多更全更新的研究证明客家与畲族之间的关系。即使是按照史书或者南安府志这样的地方志,也有大量如何抚安新民(诸峒之人与之附合),起太传书院对土著进行汉化的描述。
@@waa-q5n 你沒看過YT上2018年復旦大學的嚴實的影片有更新過的基因報告吧?而且我也講了台灣的馬階醫院與中研院也做了台灣的客家人基因,結論是與復旦大學的結論符合。兩岸不同的學術團隊都作出了相同的結論,反而是你說的科學從那裡來的?我只能建議你放開心胸去多看並面對基因科學與語言學與歷史考證的結論,客家人已經被證實是北方中原南遷後融合了當地人,而閩南人與廣府人則是當地人漢化後融合南遷的北方人。
@@waa-q5n 而且畬族人不會講漢朝時的漢語,那些是從那來的?你講的畬族是原本住在閩南的漳州與潮汕,那是閩南人的祖源的一支。跑到閩粵贛地區的畬族是在明朝時融入客家民系的,都有人查證過了,你該去讀一下新資訊。
@@黃冠鈞-d6d 我刚才看了你所提的,但是苗瑶畲族群的y染色体本来就是与南方汉人的y染是高度一致的(侗泰族群则不同),你如果是只根据y染得出高比例的汉基因是很自然的事情。所以要在畲汉之间分别就不能只看y染,母系一支的线粒体也是要看的。况且宋以后各种地方文字资料都是无尽详细的,古人分不清少数民族间的区别很正常,但关于汉人的事,客家如何从赣南南下去做佃客,身份户籍的事,习武好讼,以至与官军的冲突都记载的很详细。我觉得官修的地方资料权威性至少比明末以来各家请人修的族谱要高一些。如果中原人南下然后以压倒性的人数取代一大片山区的少民,这种事在重视户籍的古代自然会有详细的记载。
真偽はともかく、客家のルーツについて客家自身が残した記録がけっこうあったのは初めて知りました…。(しかも文書。せいぜい「先祖は元々〇〇に住んでいて、△△の時代に戦乱から逃れて~」くらいの口伝くらいだと思っていた。)
客家の起源には中原起源説と土着起源説があるみたいですが、一口に客家と言っても色んなルーツがあるみたいなので、両方ともあるんじゃないかと思います。(A地域の客家は中原からの移民の子孫、B地域の客家は土着民が他地域の客家文化の影響を強く受けた人たち、C地域は中原移民と土着民の混合…みたいな感じ。)
客家は元々辺境の地に住んでいて、あまり表に出てこない存在だったのが、近現代になってその存在が大きくなった感じですね。やはり、価値観が大なり小なりすぐに変わりやすい近現代においては、客家みたいな教育熱心かつ反骨精神の高い人たちがいい意味でも悪い意味でも存在感が大きいんでしょうね。(あと、孫文や鄧小平、李登輝といった客家系の人で有名な人は若い頃とかかなりの苦労を経験しているように思う。客家は苦労人気質だった…?)
客家にも邪馬台国みたいな二大説の対立があるんですね。それにしても、太平天国の乱で反乱軍について清にいられなくなって海外へ出ていくとか「歴史は昨日の続き」であると強く感じられる回でもありました。
まさかこのテーマが取り上げられるとは意外でした。とても興味深く拝見しました、ありがとうございます。
1.次回は、現在の畲族のほとんどは、自民族語でなく客家語を話す「客家人起源的遗传学分析(少数民族が客家に同化)」と 劉鎮發氏の『客家- 誤會的歷史、歷史的誤會』をベースにした客家人「土着起源説」をお願いします。
2.台湾人(本省人)から昔は、客家人は、福建系の人たちから「あいつらはずるくてウソつなので要注意」と差別をされていたと聞いたことがあります。
3.台湾の8割以上を占める大部分の本省人の平地原住民=熟蕃(平埔族)起源説を取り上げて欲しいです。
我が子を縛り付けて逃げるってどうなんだろ
悲惨なのは確かなんだろうけど、自分で歩けるならそのまま連れていけばいいじゃないかと思ってしまった
つまりは…人柱
大東亜戦争後、自分の子供を置いて満州から必死に逃げてきた日本人達と同じだよね。
@@manekineko0912 漢の初代皇帝劉邦でさえ、建国前、負け戦で逃亡中に、追っ手が近づいているからと言って、二人の我が子(正妻の子)を車から下ろして、車を軽くしようとした(家臣がその度に子供達を拾っていた)
後に皇帝になる男でさえこれだから。
@@鶴見五郎丸満洲にいた日本人の母親が子供を連れて足がボロボロになるまで必死に南に逃げて、朝鮮の農家に匿ってもらったって話は聞いた事あるけど(藤原正彦さんの実体験)、わざわざ子供置いて逃げたなんて話聞いた事ないよ。
ソースどこ?
@ 中国残留孤児を知らないの?
神回でした!鳥人間さんに感謝!
アキノ大統領一族も福建系客家の一派だったそうですね。
中原起源説に沿って客家を見てると、ファンタジーでたまに出てくる「遠い昔に滅びた古代文明の末裔たちが暮らす隠れ里」を連想しました。
何時外敵に襲われるか解からない客家は、御飯の上に菜(オカズ)を乗せて食べる、丼料理の祖となったとの説が有る。
薄切豆腐で餃子の具を挟み、蒸した料理が有るが、華北出身の客家が小麦粉の餅の代りに豆腐を用いたとの説が有る。
一種の城塞である客家の住居は、解体した建築材を持って逃げ出せる様になっており、新天地での再建が容易です。
円形に構築した集合住宅が、外壁を内側から支えており、外敵の物理的攻撃を凌いでいたと見られる事も特筆すべき。
カンフーとかの歴史もやって下さい。
葛藤坑って蘇民将来や過越の祭りと同じフォーマットだねぇ
なかなかのお話でした!
きゃー!こういうのちょーすき!!
5:20 械闘!械闘をテーマにたぶん動画一回分作れるんじゃないでしょうか?
人の往来がスムーズになると、文化の独自性は薄れていき同じようなものに落ち着くからねぇ
中原から避難してきてその血脈を残した人、土着民と結婚して統合した人、先祖がそれなり偉い人だった客家の系図を裕福な土着民が買って自分がそのかつての○○将軍や宰相△△の子孫を称したりとかも有るのかなぁ。(坂本龍馬の家も郷士株を買って士分になったり、両班でも没落し食い摘めた人が系図を売ったりとかも有るし。)
2:35 これ見て思ったのが数字の読みがよく似てる(共通している)と言われる朝鮮語以上に日本語に似ていると思った
year of the dragonという映画でChinese Mafiaの通話を警察の依頼で翻訳していたシスターが「客家語は久しぶりに聞いた」と言っていたような…映画の中の話
客家の住居である土楼が、アメリカにミサイルサイロと勘違いされてたのは有名な話ですよね
客家の事跡を見ていると、何らかの職能集団のように思えるのだが。
移住しても農耕社会では簡単に土地を融通しては貰えないので、やはり何らかの特殊スキルを持っていないと、移住先に浸透するのは難しかろう。
逆に考えると、そういった職能集団の「移動」を「客家」の「移住」とゴッチャにしている可能性もある。
冶金や土木建設の能力を持っていれば、それ程土地には縛られず行動できるものだ。
意味が全く違うけど、春秋戦国時代必須の食客の由来と有名無名な歴史の人たちについても語りつくしていただきたい。
きゃ・・・客家🤐
インテリ層の事かと思ってたら、そういう文化を持つ集団だったんですね
戦乱を避けた人々が荒れた土地を開拓していくという方がストーリー的には美しいかも
まあ起源はどうあれ教育を大事にして改革を引っ張った人々ということは押さえたいですね
自分は日本人で、妻が広東客家です。妻の親族達は皆客家語で話します。自分は北京語、広東語は会話ができるのですが、客家語はなんとなく少し聞き取れる程度です。客家語は統一された「標準客家語」というものがなく、妻曰く「台湾の客家達が話す客家語は意味は聞き取れるけどだいぶ違う」とのことです。
自分の中では客家は「中国のクルド人」という印象です。現在は広東、福建、江西の各省に分かれていますが、仮に「客家省」というのがあれば充分一つの省として成り立つでしょうね。ただ客家といっても各地で風習や喋る言葉がかなり違い、現在トルコなど3カ国で言語、文化がかなり分化しているというクルド人ににていると思います。
台湾行った時に空港で客家差別をやめよう見たいな広告見たけどこれのことやったんや
中国の円形集合住宅で思い出すのは、チャウ・シンチーのカンフーハッスル。
なるほどあの砦に住む各達人らはみんな客家だったのか。
日本各地の平家落人伝説地区には何かしらの伝承の遺物が残されているらしいのですが、時代的には疑問符のつく物がほとんどだそうです。まあ住民の方々にとっては信仰の対象ですし、一々検証するのも野暮かもしれませんね。
やはりあの丸い家
今回は特に興味深く拝見しました。
私の連れ合いの職場には中国から働きに来た人が多く、その話も時折耳にします。
皆さん働き者で上昇志向の方だそうです。
今回の動画を拝見していたら、連れ合いの職場の中国人の皆さんの印象と重なる部分が多く感じられました。
連れ合いにもこの動画を勧めます。
追記。
漢文の勉強をしていたらよそ者の意味で「外人」と云う言葉が出てきました。
同じよそ者でも「客家」と「外人」では受ける印象が些か異なります。
まるっきりの異民族扱いされる訳ではないけれどよそ者。
日本に於ける部落問題にも似たものを感じ、余計に遣る瀬無くなりました。
自分の血筋じゃなくて兄弟の血筋を遺そうとするのが美談になるの
昔はそういう価値観だったんですかねー
自分はまだ生きてるから子供を作れるからね
兄と妹ですから、兄が直系の家系。兄の子は(自分の実家の)直系の子。それも最後の子。そのせいでしょうね。
姉と弟でも、男系相続ですから弟の血筋の方が上位。
「妹」にとって、自分の産んだ子は、自分の嫁ぎ先の子。
自分の夫が自分の嫁ぎ先の長男であれば、この話の「妹」にとっては我が子も嫁ぎ先の直系の子になるので、どっちを優先するのか葛藤があるはずで…その話題が出ないということは、夫は嫁ぎ先でも次男以下あるいはそもそも夫の親も分家で独立してはおらず、嫁ぎ先の一家には後継ぎとなる男子が別に少なくとも一人はいる(=少なくとも自分が産んだ子は後継者ではない)という設定でしょう。
直系(宗家)の継いでいく「血」には、「(先祖)祭祀の継承」が含まれます。つまり実際のDNAやそれに伴う家「名」だけじゃなく、霊的な断絶をさせてはならないという、宗教的な意味合いです。
いまよりはるかに、宗教・霊的なものの力を重要視していて本気で信じていて、直系にはそれを継承し子孫にバトンタッチすることが義務とされていた時代ですから…。
美談というより、使命感?義務?そんな感じだと思います。
墨家みたいなもんかな。諸子百家時代に生まれた思想は今も息づいてるのかな
客家の人々は、中原と土着の起源説、両方ともあり得ると思う。
まってた
もしかすると三国時代の山越が歴史の流れに消え去った後に彼らがいたエリアに定住するようになったのかもしれない。それにしても、あのロールハウスはどうやって建てたのだろう。
台湾も苗栗に客家多いで、後、客家語テレビがある。昔、「みなみけ」を客家語で放送してたけど、台湾の標準中国語と全然違って聞いててちんぷんかんぷんやった。
客家について初めて知ったのは魔人学園の劉弦月
意外と誤解されがちですが、秘密結社で知られる洪門とはあまり関係ないんですよね。洪門と客家を結びつけて考えている俗説も多く見られますけれども、直接的な因果関係はありませんし。
土地土地に民族・部族よって独自の言語を使っていたというのは大陸に限らず日本の方言でも似たような話はある。余所者からすると土地の人間の会話は理解しきれないし、地域特有の常識の有無で帰って来た身内か外来者を判断したりもした。
現在でも地方出身者が地元の訛りで話しかけられると、偏屈で知られた人が驚くほど流暢に話したりする。
客家が教育熱心と言うのは、自分たちが独自の言語で会話しているから、普通話(北京語、現地語)で話す時とちらないようにってことだろう。結果として学を深めてインテリとなり出世する。
曹操「客家の道筋はワイが育てた。徐州から大移動させたんや」(阿瞞)
本当にユダヤ人のような境遇の民族だあ(感心)
客家は今敏の未完の漫画セラフィムで重要なファクターだった。
南の方が米が生産できるようになって、中原より生産性の高い南方が文化の中心になったのでしょうね。
ありがとう。しりたかた
こんばんは。今日はロシアが誇る国立アレクサンドリンスキー劇場かあ。出来てからもうすぐ200年だっけ。素晴らしい。
客家特集ですか。霊夢、それはハッカーw私も少数民族だと思ってた。そうじゃなかったのね。それだけでも勉強になった。福建土楼は独創的で特徴的な建物だよねえ。どうしてこんな建築様式になったんだろうって思ったもんだった。
李登輝元総統も客家だったのかあ。知らんかったなあ。優秀な人が多いのかね??ちょっと客家ししないw鄧小平氏が客家だったのは何故か知ってった。アパートの2階に住む大学生のあんちゃんが教えてくれたっけ。
ほうほう晋の時代に中元から南に移った人なのねえ。葛根湯じゃなく葛藤抗ww反骨心かあ。いざとなったら血の気が多い倍返し上等な人々だったのかなあ?ジオン公国は客家が作った?wwなる幌、まだまだロマンの残ってる人々と。いい勉強になりました。ありがとうございます。
客家だけじゃなく長安の人々にも優しくしていたら⁉️
悲惨な末路を遂げずにすんだのにな⁉️黄巣
いや、自力で追いついて来たのなら、ついて来られるところまでは連れてってやれよ、と
何も木に縛り付けてまで置いてくことないじゃん
数字の発音に関しては北京語が異質に見える
客家と聞くと東京魔人學園の劉弦月が思い浮かぶ。
友達になろう!!
もう20年以上も続編を待ってます。
客家の歴史は2世紀にローマに滅ぼされ離散し
以降各地で迫害され続けたユダヤ人と同様に
強烈な仲間意識と独自の連絡網が形成され
辛抱の果てに現代の有力者へと進化した印象
え? 不思議なくらいに発音近Σ(@_@;)
日本 →客家語 →北京語
1 いち →イッ →イー
2 に →二ー →アール
3 さん →サム →サン
4 し →シー →スー
5 ご →ウン →ウー
6 ろく →ロック →リュー
治安が悪くなってきた時に誰が「やばい!」と思うか、思ったとして逃げる資本があったかどうかは現代の誰にも分らない。
中国義侠ドラマのイメージがあるんですけど。あるいは暗殺軍団とか傭兵とか。
ガイアナの初代大統領となったアーサー・チュンも客家系。
移民は後世で偉業を残す人が多いのはやはり適応のために優れた技術が必要となるからかな
東洋のユダヤ民族にもなぞらえられる客家。
昔は日本人がユダヤの失われ十支族の末裔だという日ユ同祖論を語る人がいたけど、日客同祖論を唱える人も出てきたりして。
あの円形の集合住宅は実はあまりないとそうです、客家といえばあの集合住宅ですがあまりないと聞いて驚いたことがあります。あと何故か客家を知らないで中国はどうとか語る人が多いですが中国を語るうえで欠かせないことの一つでしょう。
タクシンと李登輝が客家出身と聞いた時は驚いた。孫文は太平天国の勇姿を見て中国の民主化を夢見たという話を聞いたことがある。
はっかっかー、るっぱっぱ、ドーンと黄桜ぽんぴりぴ♪
円形の家は、大阪万博の建物ににている。浸透されてるのか?
ガハハ!!
白い猫でも黒い猫でも鼠を取る猫は良い猫だ、の名言を発した副主席だった鄧小平は客家出身
おそらく先祖は越国者であろう?
江南国家呉と覇権を争い呉越同舟の言葉を元になった
越から南は越南、今のベトナム国