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三成の忠節よりも家康の武将として人間としての器の大きさを秀吉は臨終の際にも頼みとし高く評価していたのだと思います。
秀長、秀次、秀吉、利家と天下取りの邪魔者が次々と亡くなり、家康は運が良かったとしか言いようがない。
秀吉の父としての存在これを見てると、亡き父を思い出すあれは、12歳の時亡き父は、病気で体を壊してから12年も家から出ず引きこもりタバコ吸い お酒を飲み体を壊しながら肺炎で、48歳で亡くなりあんまり父の思い出が、ないそんな自分も亡き父と同じ人生だもう、12歳から32歳になってしまったがこの先は、わからないけどゆっくり生きよう
武田秀吉は、人間味が、有り何処か、憎めない魅力が、有りましたね。後は、気になったのは、緒方秀吉、西田秀吉ですね。
実際には家康はほくそえんでいたんだろうな
やっぱ前田利家が一番強そう。
この時点で太閤の負けだな。如水から賢人と言われた小早川隆景が既に無く、また前田利家も逝ってしまったのが痛恨の極みだな。まあ家康にとってはラッキーだけど。小早川隆景が存命していたら家康も引っ掻き回す事はできなかったろうな
小早川隆景自身が、危険ですよ。彼の心には豊臣家よりも、毛利家のことが大事でしょうからね。
@伊藤宏憲-y4u それぞれの「家」が第一義なのはみんな同じですよ。力量が拮抗したものが複数居れば、それがお互いに牽制になるから、家康はその点がラッキーだったと思います
@@伊藤宏憲-y4u =知恵者=ではなく=賢人=ね。如水が後者を用いた意味を考えたらよろし。隆景ならば恐らく秩序の維持の為に現政権の維持を考えたと思う。隆景は田岡組長亡きあとの山一抗争後の、5代目山口組の岸本才三総本部長のような人物だと思う。元就も自身までの才は無くとも、維持する才はあると認めていたと思う
かなり老いたな。まー、秀吉が将軍になってたら違ってたやろーな。
三成の忠節よりも家康の武将として人間としての器の大きさを秀吉は臨終の際にも頼みとし高く評価していたのだと思います。
秀長、秀次、秀吉、利家と天下取りの邪魔者が次々と亡くなり、家康は運が良かったとしか言いようがない。
秀吉の父としての存在
これを見てると、亡き父を思い出す
あれは、12歳の時
亡き父は、病気で体を壊してから12年も家から出ず引きこもり
タバコ吸い お酒を飲み
体を壊しながら
肺炎で、48歳で亡くなり
あんまり父の思い出が、ない
そんな自分も亡き父と同じ人生だ
もう、12歳から32歳になってしまったが
この先は、わからないけど
ゆっくり生きよう
武田秀吉は、人間味が、有り何処か、
憎めない魅力が、有りましたね。
後は、気になったのは、緒方秀吉、
西田秀吉ですね。
実際には家康はほくそえんでいたんだろうな
やっぱ前田利家が一番強そう。
この時点で太閤の負けだな。如水から賢人と言われた小早川隆景が既に無く、また前田利家も逝ってしまったのが痛恨の極みだな。まあ家康にとってはラッキーだけど。小早川隆景が存命していたら家康も引っ掻き回す事はできなかったろうな
小早川隆景自身が、危険ですよ。彼の心には豊臣家よりも、毛利家のことが大事でしょうからね。
@伊藤宏憲-y4u それぞれの「家」が第一義なのはみんな同じですよ。力量が拮抗したものが複数居れば、それがお互いに牽制になるから、家康はその点がラッキーだったと思います
@@伊藤宏憲-y4u =知恵者=ではなく=賢人=ね。如水が後者を用いた意味を考えたらよろし。隆景ならば恐らく秩序の維持の為に現政権の維持を考えたと思う。隆景は田岡組長亡きあとの山一抗争後の、5代目山口組の岸本才三総本部長のような人物だと思う。元就も自身までの才は無くとも、維持する才はあると認めていたと思う
かなり老いたな。まー、秀吉が将軍になってたら違ってたやろーな。