Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
次は北海道をお願いします😊
自分の住んでる場所の昔の地名がわかってなんか嬉しい笑笑
源頼朝の生誕地の誓願寺の全景が見られるのは非常に参考になる。
現在の地図と比較すると熱田の宮の渡しから南側は海で港区はありませんでしたね。港区の北部は江戸時代に埋め立てられ南部と港湾部は昭和になってからです。従って海抜0メートル区域がほとんどでしたから度々水害に遭いました。特に伊勢湾台風では港区から中川区までが水に浸かってしまいました。現在の地図で見ると広範囲で大規模な埋め立てが行われたことがわかります。そのおかげで名古屋の南部は工場や倉庫、それらに関連、従事する人たちの住宅と商業で発展しました。木曽川と長良川を筏で下ってくる良質な木材は日本の建築を支えました。港には大規模な貯木場が作られ、そこで取引された材木は市内の運河沿いにある材木商に引き取られましたから運河の両岸には一定期間水に浸される材木が浮かび、それを陸にあげて干し、加工する様子が見られたものです。それらは昭和後期から徐々に衰退してしまいました。外国から安価な材木が輸入されるようになったからです。
かや
ら
さ
まるで、江戸時代に生きた名古屋の御城下の人々の息遣いが聞こえるような動画!
城代家老、成瀬家の名前があるね。分家筋の成瀬さん存じているけどここに名前があるなんてすごい。いま現存する寺社がどれくらいか解説があるとありがたい。戦後の都市造りで寺社は移転になったから無くなったものも多い。本町筋、薬品街、まったくそのままと分かるね。四間道、円頓寺も同様。いまでも富士見町あるけど、富士が見えたのかな。。。全体に古地図、絵図は総じて誇張され過ぎでおり、堀川は今の川幅と思うが船がすれ違うくらいの幅と思う。江川線の江川って何だと思っていたら、堀川の西にもういっぽん人工河川があったんだね。
安井正規さんの音楽が素晴らしいですね
名古屋には昔住んでいたことが有りました。小田井の北辺り、岩倉街道の側でしたが、住み易い良い街でした。今住んでいる東京も刺激的で面白いのですが、私の場合は名古屋位の規模の方が居心地が良くて向いているようです。
東区の建中寺でけーなと思ってwiki。創建時は東区役所、東海高校、あずま中学校、筒井小学校なども境内地であった。でかすぎw現在の徳川園もwiki。光友の歿後大曽根別邸は、尾張藩家老の成瀬家、石河家、渡邊家に渡る。建中寺の北側の下屋敷が3つ並んでるとこがそこ。つまりのこの地図は1700年以降のモノってことですね。今の出来町通りや外堀通りなんかもハッキリわかる。早咲き桜で有名な白壁から高岳方面の南北の道はないみたい。面白い。
あずま中学の北側と西側の壁はストリートビューでも石垣が残っていますね
good ! [ dani no motojime ]
中根村の絵は現在の瑞穂公園にあたりがイメージが重なる。昔は池があった。現在の人工物を一切排除するとこんな風景になる。音聞山も現在は高級住宅地だがこのような風景になると思う。何でもない昔の日本の普通の風景だが懐かしい。今は豊田市の奥の方にいかないとない風景。
瓦焼場→御器所 かと思いました。御器所の名前の成り立ちが 器を作る場所 と聞いたことがあるので。
瓦焼き場の右上に御器所村の文字があります 広見町に在所があり御器所村に祖父の土地があってそこの土地に母が幼い頃小作の長屋に囲まれて住んでいたようです。庭に井戸と自分家用の畑もあったとか。防空壕も庭に作って小作の人たちも一緒に入っってもらったとのこと。戦災で焼けて縁戚疎開し、土地が奪われないように疎開先から祖父が毎日畑を耕しに通ったとのこと。祖父は旧第5中学校(現熱田高校?)の数学教師でした。
画面の移り変わりが速すぎて読めない!
瓦焼場ってどこ?
現代の地図に当てはめると、鶴舞公園あたりと思われるが、明治時代の地図を見ればわかるかも知れない。
次は北海道をお願いします😊
自分の住んでる場所の昔の地名がわかってなんか嬉しい笑笑
源頼朝の生誕地の誓願寺の全景が見られるのは非常に参考になる。
現在の地図と比較すると熱田の宮の渡しから南側は海で港区はありませんでしたね。港区の北部は江戸時代に埋め立てられ南部と港湾部は昭和になってからです。従って海抜0メートル区域がほとんどでしたから度々水害に遭いました。特に伊勢湾台風では港区から中川区までが水に浸かってしまいました。現在の地図で見ると広範囲で大規模な埋め立てが行われたことがわかります。そのおかげで名古屋の南部は工場や倉庫、それらに関連、従事する人たちの住宅と商業で発展しました。木曽川と長良川を筏で下ってくる良質な木材は日本の建築を支えました。港には大規模な貯木場が作られ、そこで取引された材木は市内の運河沿いにある材木商に引き取られましたから運河の両岸には一定期間水に浸される材木が浮かび、それを陸にあげて干し、加工する様子が見られたものです。それらは昭和後期から徐々に衰退してしまいました。外国から安価な材木が輸入されるようになったからです。
かや
ら
ら
さ
まるで、江戸時代に生きた名古屋の御城下の人々の息遣いが聞こえるような動画!
城代家老、成瀬家の名前があるね。分家筋の成瀬さん存じているけどここに名前があるなんてすごい。いま現存する寺社がどれくらいか解説があるとありがたい。戦後の都市造りで寺社は移転になったから無くなったものも多い。
本町筋、薬品街、まったくそのままと分かるね。四間道、円頓寺も同様。
いまでも富士見町あるけど、富士が見えたのかな。。。
全体に古地図、絵図は総じて誇張され過ぎでおり、堀川は今の川幅と思うが船がすれ違うくらいの幅と思う。
江川線の江川って何だと思っていたら、堀川の西にもういっぽん人工河川があったんだね。
安井正規さんの音楽が素晴らしいですね
名古屋には昔住んでいたことが有りました。小田井の北辺り、岩倉街道の側でしたが、住み易い良い街でした。今住んでいる東京も刺激的で面白いのですが、私の場合は名古屋位の規模の方が居心地が良くて向いているようです。
東区の建中寺でけーなと思ってwiki。
創建時は東区役所、東海高校、あずま中学校、筒井小学校なども境内地であった。でかすぎw
現在の徳川園もwiki。光友の歿後大曽根別邸は、尾張藩家老の成瀬家、石河家、渡邊家に渡る。
建中寺の北側の下屋敷が3つ並んでるとこがそこ。つまりのこの地図は1700年以降のモノってことですね。
今の出来町通りや外堀通りなんかもハッキリわかる。
早咲き桜で有名な白壁から高岳方面の南北の道はないみたい。面白い。
あずま中学の北側と西側の壁はストリートビューでも石垣が残っていますね
good ! [ dani no motojime ]
中根村の絵は現在の瑞穂公園にあたりがイメージが重なる。昔は池があった。現在の人工物を一切排除するとこんな風景になる。音聞山も現在は高級住宅地だがこのような風景になると思う。何でもない昔の日本の普通の風景だが懐かしい。今は豊田市の奥の方にいかないとない風景。
瓦焼場→御器所 かと思いました。御器所の名前の成り立ちが 器を作る場所 と聞いたことがあるので。
瓦焼き場の右上に御器所村の文字があります 広見町に在所があり御器所村に祖父の土地があってそこの土地に母が幼い頃小作の長屋に囲まれて住んでいたようです。庭に井戸と自分家用の畑もあったとか。防空壕も庭に作って小作の人たちも一緒に入っってもらったとのこと。戦災で焼けて縁戚疎開し、土地が奪われないように疎開先から祖父が毎日畑を耕しに通ったとのこと。祖父は旧第5中学校(現熱田高校?)の数学教師でした。
画面の移り変わりが速すぎて読めない!
瓦焼場ってどこ?
現代の地図に当てはめると、鶴舞公園あたりと思われるが、明治時代の地図を見ればわかるかも知れない。