光慶寺 正信偈講座(50)「慶喜一念相応後」瓜生崇

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 1 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 10

  • @tyabou-e2w
    @tyabou-e2w 5 місяців тому +2

    毎回の御法話有難うございます。南無阿弥陀仏。

  • @hiromikurahashi812
    @hiromikurahashi812 7 місяців тому +5

    こうしてお聴聞させていただけるありがたみを繰り返し噛み締めています。ましてアメリカ在住の私には本来ならあり得ないことです。
    ありがとうございます。

  • @よしノリ
    @よしノリ 4 місяці тому

    南無阿弥陀仏

  • @戸村丈晴
    @戸村丈晴 7 місяців тому +1

    ありがとうございます!

    • @uryuneko
      @uryuneko  4 місяці тому

      ありがとうございます。大切に使わせていただきます。

  • @晃阿部-x8j
    @晃阿部-x8j 5 місяців тому +2

    瓜生先生の法話、有り難うございます。阿部晃 1:23:40 1:23:40 1:23:40 1:23:40 1:23:40 1:23:40 😮

  • @雲の介
    @雲の介 7 місяців тому +2

    南無阿弥陀仏🙏

  • @SN-bc3ym
    @SN-bc3ym 7 місяців тому +1

    春のお彼岸ですので、彼岸に関係する仏教のお話を配信して欲しい💮🙋

  • @yoshimasagoto9655
    @yoshimasagoto9655 6 місяців тому +1

    南無阿弥陀仏 瓜生さんの熱意はどこから出てくるのですか

  • @和尚橋本
    @和尚橋本 7 місяців тому +1

    親鸞上人の時代でさえ信じ難かったのに今の私達は浄土の経典は仏陀の教えでない事が明らかにされており後の時代の人が作った事。また法蔵菩薩ももと王様としてつまり人間な訳だから当然煩悩もありそういう人が神様でさえ大変な浄土を作ると言う事ができる訳がないとわかる。昔の人は神通力とか信じていたが今の時代そんなのはないとわかっているのだから余計に信じがたい。もし法蔵が地球人でないとしたら今でさえ無理なのに昔の時代にどうして遥か彼方の人の話が伝わりうるのか。また法蔵が今の宇宙より前の宇宙の人としたら宇宙が爆発してなくなった後の人がどうして昔の話を知る事ができるのか。南無阿弥陀仏の声として伝わってきてるのが証拠だと言われていますがそれがどうして証拠になるのか。別に法蔵でなくとも現に歴史的に文献に書かれたら伝わるのは他の書物でも明らかでそれだけの話かもしれないのにどうしてそれが証拠なのか。瓜生先生の話は率直で分かり易いのですがそもそも論の話が解決されないと今の人が信を得るのは親鸞上人の時代より色々な知識や科学がある中でもっと難しいのだから現代の観点も含めて説いてほしいです。